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前編2の目録
旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。
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前編2-No.2680 進藤長治書状
進藤長治が樺山安藝守に、上洛後の滞在予定を問い、古市長門守のもとへ赴いて相談するよう求めた書状。
前編2-No.2681 近衛植家書状
近衛植家が島津修理大夫貴久に、上洛の計画を喜び、古市長門守を介して今後の来洛・対面を待つ旨を伝えた書状。
前編2-No.2682 半松斎宗養書状
半松斎宗養が古市長門守に、前年に預かった旧書を返却し、来春の上洛時に再び借覧したいことなどを伝えた書状。
前編2-No.2683 法印日承書状
法印日承が古市長門守に、家門に関する願いとその取り次ぎ、青蓮院宮への働きかけなどについて伝えた書状。
前編2-No.2684 島津貴久譜
日向国の伊東氏と島津方の情勢を背景に、島津貴久が大友宗麟へ書状を送り、援助や周旋を求めた経過を記す。
前編2-No.2685 島津貴久書状
島津貴久が大友方の重臣らに、日州千戈の儀をめぐる当家の妨げが深刻であるとして、宗綱への取り次ぎと堅固な申し談じを求めた書状。
前編2-No.2686 島津貴久書状
島津貴久が大友方の重臣らに、飛脚の件や肥後の情勢、伊東氏の侵入をめぐる不和について申し談じ、宗綱への取り次ぎを求めた書状案。
前編2-No.2687 大友宗麟書状
大友宗麟が島津修理大夫貴久に、返書を受け取ったことを喜び、今後も時宜に応じて助言し、年寄一名を遣わすと伝えた書状。
前編2-No.2688 三千院宮応胤親王書状
三千院宮応胤親王が島津修理大夫貴久に、少児の上洛と法流への敬信を喜び、その養育を願う旨を伝えた書状。
前編2-No.2689 任尚書状
任尚が島津修理大夫貴久に、少児の上洛と法流敬信を喜び、沈香五斤や馬などの進物について伝えた書状。
前編2-No.2690 左衛門督藤蹴鞠免許状
左衛門督藤が島津三郎左衛門尉貴久へ蹴鞠の免許を授けた文書。競技の作法、身体・足の運び、人数と位置取りに関する秘伝を述べ、八境図・両分図・対縮図などの図式を付して、貴久が正統な伝授内容を実技とともに継承したことを証する。
前編2-No.2691 島津日新斎譜
日新公御譜および日新記に、島津貴久へ蹴鞠の家統・秘伝が授けられたことを記す記事。
前編2-No.2692 島津日新斎譜
天文二十一年、六十一歳の島津日新斎が生死と国家・民衆について述べた記事。自らの葬送や墓所の扱い、死後の功徳、領主が民を治める心得を示し、あわせて詩歌に託した心境を記して、晩年の日新斎の政治観・宗教観・死生観を伝える。
前編2-No.2693 島津日新寄進状
島津日新斎が川邊寶福寺へ、薩摩国加世田庄内の小湊にある塩屋一間を永代寄附した寄進状。
前編2-No.2694 親方書状
親方が本田弾正忠に、書状を受け取ったことを述べ、義鎮から仰せられた件などについて返答した書状。
前編2-No.2695 親方書状
親方が本田弾正忠に、贈物を拝領したことへの謝意と、道具一領を進上する旨を伝えた書状。
前編2-No.2696 近衛尚通書状
近衛尚通が島津修理大夫貴久に、書画・詩歌・楽器などの取り扱いや進上について問い合わせた書状。
前編2-No.2697 足利義昭御内書
足利義昭が島津又三郎に、『殿』文字の使用を赦免し、詳細は昭光・昭秀から伝えるとした御内書。
前編2-No.2698 北郷忠相譜
天文二十一年、島津貴久が北郷忠相・嫡孫忠豊らと連署契状を交わしたことを記す系譜記事。
前編2-No.2699 島津貴久等連署起請文
島津貴久・忠将・忠親、北郷忠相・忠豊、島津幸久・忠俊らが一味同心を誓った連署起請文。家中の重要問題と領国内の争いを共同で協議・処理し、互いに隔心や裏切りを持たないことを定め、違反時の神罰を受ける覚悟を神仏に誓う。
前編2-No.2700 大友宗麟書状
大友宗麟が島津方に、家中や領国内で問題が起きた際には隔心なく互いに申し合わせ、是非を決して協力する旨を伝えた書状。
前編2-No.2701 島津国史
天文二十二年春、伊東義祐が飫肥八幡馬場へ侵攻したのに対し、島津忠親方が迎撃した合戦記事。武蔵守董兼ら双方諸将の進退と戦場での攻防を追い、上井為秋の働きによって伊東勢を退けた経過を軍功として記す。
前編2-No.2702 瀬戸口伊豆入道覚書
瀬戸口伊豆入道が八幡馬場での伊東勢との合戦を回想した覚書。島津忠親方の兵が敵の進出を迎え撃ち、秀安が鉄砲を用いて戦ったこと、接戦の中で敵兵を討ち取ったことを記し、南九州の合戦における鉄砲使用と個々の軍功を伝える。
前編2-No.2703 年代記
天文二十二年癸丑の大旱魃と、それに伴う世間の飢饉を記す年代記記事。
前編2-No.2704 薩州島津氏家譜
薩州島津氏の系譜として、義虎の子女、志岐藤右衛門尉親重室となった娘、初忠永らの出生と母系を記す。
前編2-No.2705 島津日新寄進状
島津日新斎が天徳寺へ、薩州伊作の庄湯之浦名内にある水田五町を寄進し、永代の寺領とした寄進状。
前編2-No.2706 樺山忠副契状
樺山忠副が肝付三郎五郎に、世間の変動があっても奉公と一味を守り、相談・和睦の際にも背かないことを約した契状。
前編2-No.2707 島津貴久書状
島津貴久が島津又三郎に、義の字を与えて名乗りを定め、太刀・馬を進上して賀事を述べた書状。
前編2-No.2708 島津義久書状
島津義久が伊勢因幡守に、家門に関する配慮への謝意を述べ、太刀一腰・馬一匹を進上した書状。
前編2-No.2709 近衛尚通書状
近衛尚通が島津三郎左衛門尉に、当該案件を命じて取り計らい、使者を派遣する旨を伝えた書状。
前編2-No.2710 日向記
天文二十二年の伊東勢による飫肥侵攻と島津方の防戦を詳述する合戦記事。島津忠親・貴久・北郷忠相らの軍勢が八幡馬場・白銀坂などで敵を迎え撃ち、部隊の進退、瀬戸口伊豆入道ら諸将の働き、双方の討死を追って戦線の推移をまとめる。
前編2-No.2711 島津日新書状
島津日新斎が栗野徳元寺の祐田公記室禅師に、大隅国宮内の正雲禅寺の件を進献し、後の鑑定・令啓を求めた書状。
前編2-No.2712 殉国名藪
天文二十二年十一月朔日、比志島美濃守義任が郡山城で戦死し、享年七十二歳であったことを記す。
前編2-No.2713 島津国史
天文二十三年、島津貴久・忠親方と伊東方が岩剣城・白銀坂・蒲生方面で戦った経過をまとめる国史記事。諸将の布陣、城兵の出撃、鉄砲・弓矢を交えた攻防、双方の討死・負傷と退却を追い、岩剣城を中心に複数の戦場が連動した状況を詳述する。
前編2-No.2714 島津日新寄進状
島津日新斎が保泉寺へ、薩州加世田庄内の合大浦名・長田之門にある田地などを永代寄進した寄進状。
前編2-No.2715 近衛植家書状
近衛植家が島津修理大夫貴久に、薬事や南蛮人から伝わった話、武家の内書に関する件などを伝えた書状。
前編2-No.2716 島津日新起請文
島津日新斎が島津貴久に、両郡の格護や世間の雑説に動かされず、互いに疎略なく一味することを神仏へ誓った起請文。
前編2-No.2717 島津貴久契状
島津貴久が頴娃左馬允に、親子として奉公し一心に尽くすこと、雑説に惑わされず互いに礼明を守ることを約した契状。
前編2-No.2718 戸次紹花書状
戸次紹花が本田山城守に、書状を拝受した礼を述べ、馬一匹を贈られたことへの謝意と今後の奉頼を伝えた書状。
前編2-No.2719 戸次紹花書状
戸次紹花が本田山城守に、息孫次郎からの伝言、馬や織香などの贈答について礼を述べた書状。
前編2-No.2720 年代記
天文二十三年、加治木周辺の対立が長期戦へ発展した経過を記す年代記。西俣武蔵ら島津方が蒲生衆と交戦し、岩剣城・白銀坂・清水方面で陣地を移しながら攻防を重ねた。城兵の出撃と追撃によって双方に多数の死者が生じた戦況を年次記事としてまとめる。
前編2-No.2721 島津貴久契状
島津貴久が、世上の変動にも二心なく奉公し、和議や雑説に惑わされず互いに信義を守ることを約した契状。
前編2-No.2722 島津忠将一流系図
島津忠将の一流系図として、右馬頭以久の出生、母が佐多上野守忠成の娘であることなどを記す。
前編2-No.2723 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、天文二十三年に大隅国加治木・帖佐周辺で蒲生・祁答院・肝付方との対立が深まった経過を記す。島津貴久が諸方へ動員を命じ、敵方の城と交通路を押さえるため軍勢を進め、岩剣城を含む戦線形成へ至った。
前編2-No.2724 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、天文二十三年九月十一日に島津軍が加治木へ進んだ戦況を記す。貴久方は清水・帖佐周辺で肝付・蒲生方の兵と交戦し、敵兵を討ち取る一方で味方にも戦死者を出し、翌日以後の岩剣城攻撃へ向けて陣を整えた。
前編2-No.2725 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月十二日の加治木・岩剣城方面の戦闘を記す。貴久・義久方の陣へ本田彌六ら使者と援軍が往来し、島津忠将ら諸将が配置を変えながら、敵の出撃に鉄砲と火攻めで応戦した一日の進退をまとめる。
前編2-No.2726 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月十五日に貴久・義久・忠平らの軍勢が焼山付近へ陣取り、岩剣城を攻めた戦況を記す。城兵の出撃と火攻めに対抗して陣を維持したものの、双方に討死・負傷者が生じた攻防と諸隊の働きを伝える。
前編2-No.2727 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月十八日に島津右馬頭忠将が大隅の兵と船団を率いて来援したことを記す。忠将勢は海路から帖佐・岩剣城方面へ進み、城方の兵と交戦して貴久方の攻勢を支え、陸海の諸隊が連携して包囲を強めた。
前編2-No.2728 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月二十日に貴久方が白銀陣から帖佐・脇元方面へ攻勢をかけた戦況を記す。脇元衆との攻防で火船・鉄砲を用い、梅北宮内左衛門・河野又九郎ら諸将が各持場で敵を迎撃した経過を伝える。
前編2-No.2729 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月二十六日に義久が白銀陣へ進み、帖佐方の敵兵を迎え撃った戦況を記す。城方の出撃に対して鉄砲・弓矢を交えた射撃戦となり、双方に負傷者が出る中、義久方が陣を維持して岩剣城包囲を続けた。
前編2-No.2730 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、九月晦日に島津貴久・義久らが焼山方面へ進み、蒲生衆と交戦した経過を記す。伊集院大和守ら諸隊が敵将を討ち取る一方、味方にも討死・負傷者が出たため、戦果と損害の双方を挙げて当日の戦況を示す。
前編2-No.2731 島津貴久譜
『島津貴久譜』が、十月朔日の岩剣城攻防を記す。島津貴久・義久方が白銀陣から城兵の出撃を迎撃し、伊集院大和守ら諸隊も加わって接戦となった。敵味方に多数の討死・負傷者を出しながら、城の包囲と攻略を継続した戦況を示す。
前編2-No.2732 殉国名藪
岩剣合戦で討死した有川新左衛門らの名と戦死の状況を列挙する。
前編2-No.2733 日向記
『日向記』が、天文二十三年七月二日の出陣以後、古市本城・山東方面で行われた偵察と伏兵戦を記す。北郷・山田地頭の兵が蒲生方の動きを探り、要路へ兵を伏せて敵の進出に応戦した過程と、各勢の進退を追う。
前編2-No.2734 島津義久譜
『島津義久譜』が、義久が大将として九月十二日の岩剣城攻撃を指揮したことを記す。伊集院大和守ら諸勢を配置し、帖佐・岩剣城兵の出撃に応戦して攻城を進めた一方、敵味方に討死・負傷者が生じた初日の戦況を示す。
前編2-No.2735 島津義久譜
『島津義久譜』が、九月十三日に義久方が脇元方面へ進んだ戦況を記す。梅北宮内左衛門・川辺衆らが民家へ放火して帖佐方の兵を誘い出し、出撃した敵と交戦して退けた過程と、諸隊が岩剣城包囲を続けた動きを伝える。
前編2-No.2736 島津義弘譜
『島津義弘譜』が、天文二十三年九月十三日の岩剣城合戦を二十歳の義弘の初陣として記す。義弘は父貴久の軍に属して白銀陣の守備を担い、城兵の出撃に備えつつ攻城戦へ参加し、その働きが後年の軍歴の起点となった。
前編2-No.2737 島津忠将譜
『島津忠将譜』が、天文二十三年秋に忠将が隅州勢を率いて来援したことを記す。海路・陸路から加治木・清水方面へ進み、肝付三郎五郎方や城兵の動きに対処しながら、貴久方の岩剣・帖佐攻めを支援した経過をまとめる。
前編2-No.2738 島津尚久譜
『島津尚久譜』が、加治木城主肝付三郎五郎をめぐる攻防を記す。尚久ら島津方が城を包囲して抵抗を抑え、使者を介して降伏条件を協議したのち、開城・帰順を受け入れ、城と人質・所領に関する戦後処置を定めた経過を伝える。
前編2-No.2739 島津義弘譜
『島津義弘譜』が、天文二十三年十月二日の岩剣城攻めで義弘らが伏兵を置いたことを記す。城兵の出撃を待って側面から迎撃し、敵を城内へ退却させた戦術と、白銀陣・攻城諸隊が呼応して包囲を維持した経過を示す。
前編2-No.2740 箕輪伊賀覚書
箕輪伊賀の覚書が、岩剣合戦を中心に、蒲生・祁答院方との交渉が決裂して戦闘へ移る過程を記す。加治木・清水・帖佐方面での陣替え、使者・援軍の往来、放火・鉄砲を伴う連日の攻防を、箕輪伊賀の見聞に即してまとめる。
前編2-No.2741 浜田氏譜
浜田氏譜により、蒲生方との対立と登山口などでの戦闘、島津方への従軍経過を記す。
前編2-No.2742 岩剣合戦軍労交名
天文二十三年十二月二日付の参考記録として、岩剣合戦に従軍し軍労を立てた者の名を列挙する。
前編2-No.2743 新納忠元譜
『新納忠元譜』が、天文二十三年九月に新納忠元が貴久方として加治木・岩剣方面へ出陣したことを記す。城兵の出撃に対して先陣で敵陣へ攻め入り、味方諸隊とともに押し返した働きが、忠元の軍功として後世に伝えられた。
前編2-No.2744 新納忠元譜
『新納忠元譜』が、岩剣の陣で城方が出撃した際、新納忠元が前線で応戦したことを記す。忠元は敵兵と接戦しながら陣を崩さず、貴久方の諸隊が態勢を整えるまで攻撃を支え、激戦で示した働きを個人の軍功として特記する。
前編2-No.2745 島津貴久譜
天文二十三年十月十九日、貴久が二男又四郎忠平を岩剣城へ移し、城の守りと法度を任せたことを記す。
前編2-No.2746 新納忠元勲功記
『新納忠元勲功記』が、天文二十三年の肝付兼演方との戦いで忠元が加治木・岩剣方面を転戦した経過を記す。敵の出撃や伏兵に応じて先陣・追撃を務め、味方の劣勢時にも踏みとどまって敵を退けた複数の働きを勲功としてまとめる。
前編2-No.2747 調所恒房伝
『調所恒房伝』が、天文二十三年八月以後、調所恒房が貴久方として蒲生・祁答院方と戦った経過を記す。網懸川・清水・宮内・姫城方面へ出陣し、城兵の動向を探りながら攻防・警固を重ねた働きと、各地の戦線が連動した状況を伝える。
前編2-No.2748 貴久公記
本文がNo.2749記事の前半と同文であるため省略されている。
前編2-No.2749 貴久公記
『貴久公記』が、天文二十三年の加治木・帖佐・岩剣方面における蒲生・祁答院方との戦争を記す。貴久方諸勢の集結、陣所の移動、城兵の出撃への迎撃、使者を介した交渉を追い、攻城と退陣を重ねながら包囲を進めた経過をまとめる。
前編2-No.2750 樺山玄佐自記
樺山玄佐が自ら、加治木・帖佐・岩剣方面での従軍を記した戦闘記録。島津貴久方が陣所を移して攻撃と退却を繰り返し、敵の出撃に鉄砲・弓矢で応戦したこと、諸隊に多数の負傷者が生じたことを挙げ、前線での判断と損害を具体的に伝える。
前編2-No.2751 箕輪伊賀覚書
箕輪伊賀の覚書が、天文二十三年九月十三日以後、貴久方が平松から帖佐・岩剣方面へ軍を進めた経過を記す。陣取り、斥候・使者の往来、城方との矢戦、民家への放火、討死・負傷者の発生を日を追って述べ、長期化した攻城戦の実態を伝える。
前編2-No.2752 岩剣合戦日記
天文二十三年九月十二日から二十九日までの岩剣城攻防を日ごとに詳記する戦陣日記。十二日の出陣・陣取りに始まり、十三日以後の城兵の出撃、伏兵、民家への放火、火攻め、鉄砲・弓矢戦と、それに対する島津方諸隊の迎撃を追う。島津貴久・義久・義弘・忠将らのほか、伊集院・川辺・梅北・北郷など各隊の配置、船による援軍…
前編2-No.2753 島津久保譜
島津久保譜中の系譜記事として、天文二十三年に生まれた女子が島津豊後守朝久の室となり、母は北郷左馬助忠孝の娘であることを記す。
前編2-No.2754 島津日新書状
島津日新斎が又三郎に、岩剣方面の戦況を踏まえ、船の手配や陣中での働きに万事油断なく対処するよう伝えた書状。
前編2-No.2755 右馬頭某安堵状
右馬頭某が、大隅国宮内の龍波見知行について、小法橋から譲られた所を改めて安堵した文書。
前編2-No.2756 島津日新書状
島津日新斎が又三郎に、陣取りを喜びつつ長く用心するよう戒め、文六郎の件などへの対応を伝えた書状。
前編2-No.2757 某覚書
天文二十三年かとされる九月二日、帖佐から出た敵と島津方が矢軍を交え、その後の合戦へ至った状況を記す覚書。