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前編2の目録
旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。
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前編2-No.1687 犬追物手組
延徳二年三月二十六日に福島で行われた犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と疋数を記録した一覧。
前編2-No.1688 犬追物手組
延徳二年三月三十日の犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と各人の疋数を一覧にした記録。
前編2-No.1689 犬追物手組
延徳二年四月朔日に福島で行われた犬追物手組を記し、島津忠昌以下の参加者と成績を疋数で示した一覧。
前編2-No.1690 犬追物手組
延徳二年四月四日に志布志で行われた犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と疋数を記録した一覧。
前編2-No.1691 犬追物手組
延徳二年四月六日の犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
前編2-No.1692 犬追物手組
延徳二年四月十八日の犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と疋数を記した一覧。
前編2-No.1693 豊州島津忠廉譜
豊州家三代島津忠廉が延徳二年八月二十日に摂州天王寺で没し、法号を雲溪忠好としたことを記す記事。
前編2-No.1694 渋谷重豊譲状
渋谷重豊が子の又五郎重聴へ、薩摩国入来院内の村・在家・田畠・山野などの所領を一所も残さず譲った文書。家領全体を後継者に集中して永代知行させ、親類・一族が異議や妨害を申し立てることを禁じ、重聴の相続権を明確にする。
前編2-No.1695 田畠薗地井屋敷注文
入来院領内の田畠・薗地・屋敷を一筆ごとに書き上げた土地注文。所在する村・門・名、田畠の反別、薗や屋敷の規模、名請人・作人などを対応させ、分散する所領の構成と知行関係を確認できる形で整理している。
前編2-No.1696 犬追物手組
延徳二年九月十八日の犬追物手組について、参河守以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
前編2-No.1697 田布施諏訪神社棟札
延徳二年、島津友久・忠幸が心を合わせ、田布施の諏方大明神二社の社殿を新造した際の棟札。大檀主に島津相模守友久・島津三郎左衛門忠幸、代官・地頭・律師・大工武本氏定・小工十八人など造営関係者を列記する。棟札本文では神仏への敬礼とともに、風災・水災・火災などの除去、領内安全、子孫繁昌を祈願し、十二月廿四日…
前編2-No.1698 島津国史
島津忠昌の時代における豊州島津氏との対立を軸に、忠朝・忠武・忠廉ら一族と家臣の動向を年次順に記す。各地への出陣、城郭攻防、細川政元・足利義材をめぐる中央政局との関係、軍功を挙げた家臣への恩賞・所領処置をまとめる国史記事。
前編2-No.1699 犬追物手組
延徳三年正月二十一日の犬追物手組について、参河守以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
前編2-No.1700 足利義植補任御教書
足利義植が利珪首座を薩摩国大願寺の住持職に補任し、先例に任せて執務するよう命じた御教書。
前編2-No.1701 犬追物手組
延徳三年二月二十日の犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
前編2-No.1702 犬追物手組
延徳三年三月二日の犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と疋数を記した一覧。
前編2-No.1703 犬追物手組
延徳三年三月三日の犬追物手組について、島津次郎三郎以下の参加者と各人の疋数を記録した一覧。
前編2-No.1704 犬追物手組
延徳三年三月十一日に鹿児島で行われた犬追物手組について、島津忠昌以下の参加者と疋数を記した一覧。
前編2-No.1705 福昌寺所蔵文書目録
福昌寺に所蔵された山之置文・寺山禁制条々・福昌寺定条々・造営用木置文・寄進状など、合計十六通の文書を列挙した目録。
前編2-No.1706 樺山長久起請文
樺山長久が弓矢の御弟子となるにあたり、授けられた日記や口伝を家督相続者以外へ伝えず、違反時には神罰を受けることを誓った起請文。
前編2-No.1707 阿久根高津宮明神棟札
阿久根郷の高津宮大明神宝殿の上棟に際し、天下泰平・海晏河清・子孫繁栄などを祈り、大工以下の関係者を記した棟札。
前編2-No.1708 島津忠昌朱印状
島津忠昌が船頭町木に宛てた朱印状。本文には宛所と年月日、忠昌の朱印が記される。
前編2-No.1709 徹堂証状
徹堂が、光明院が没後の用途のため一斗五升地と周囲の竹木を四貫文で買い取った事実を認め、以後の違乱を禁じた証状。
前編2-No.1710 渋谷重聡田地井所当注文
渋谷重聡が入来院関係の田地について、村・門などの所在、各筆の面積、耕作する作人、年貢・所当額を対応させて列挙した注文。末尾では各項目の数量を集計し、領内の田地規模と徴収すべき所当の総額を示す。
前編2-No.1711 某請文
蹴鞠道の門弟となるにあたり、師からの口伝を許可なく漏らさず、虚偽を述べず、祖神への照覧を誓った請文。
前編2-No.1712 村田氏系図
村田肥前守経房を中心に、太守立久公の簾中となった女子や経安ら、村田氏の系譜関係を図示した系図。
前編2-No.1713 島津忠昌書状
島津忠昌が肝付をめぐる情勢に関し、上原藤左衛門尉・伊地知周防守を派遣したことを伝え、相良方・江候間の動向を含めて重ねて申すよう求めた書状。
前編2-No.1714 島津忠昌書状
島津忠昌が肝付方面への進使について伊地知周防守を派遣したことを知らせ、相談のうえ出陣日を決めて報告するよう求めた書状。
前編2-No.1715 島津日新公譜
島津忠良が明応元年九月二十三日に生まれ、母が新納是久の娘であったこと、島津善久に実子がなく忠良が家を継いだことを記す系譜記事。
前編2-No.1716 島津日新譜
『島津日新譜』が、島津忠良(日新斎)の人物像を、仁愛と剛毅、主君・父母への忠孝、神仏への信仰、学問・和歌と武芸の修養から描く。これらの徳が家臣統率、領民への教化、子孫繁栄の基礎になったとして、後世の理想的領主像を示す。
前編2-No.1717 島津日新譜
『島津日新譜』が、菊三郎丸と称した島津忠良の年齢・成長過程、母から受けた教訓、親族との関係を記す。のちの日新斎による家督継承と子女の系譜へつなげ、幼少期の養育と家の継承が人物形成に与えた経緯を伝える。
前編2-No.1718 日新記
菊三郎丸の容貌・性格を記し、養父の官途を継いで任三郎左衛門尉と称したこと、婚姻と子女を伝える記事。
前編2-No.1719 日新以来当家繁栄記
島津忠良(日新斎)と伊作道場・西福寺の関係を記す寺院保護の記事。忠良や新納殿・伊作殿・勝久らの時代に、寺院建立、寺領・扶持の設定、証文や什物の授与が行われた経緯を追い、当家の庇護によって道場と寺の経営基盤が整えられたことを伝える。
前編2-No.1720 入来院重聡譜
足利義材が防州山口へ下り、大内義興が近国の軍兵を催促した際、入来院重聡は薩摩国内の争乱のため招集に応じられなかったことを記す記事。
前編2-No.1721 伊作家譜
伊作家九代善久について、応仁二年の誕生、明応年間の没年と法号などを記した家譜記事。
前編2-No.1722 大内義興書状
大内義興が入来院氏に、先に申し通じた件を引き続き進め、忠節を尽くすよう求めた書状。
前編2-No.1723 大内義興書状
大内義興が入来院氏の働きを喜び、懸案が決着したことを伝え、今後も忠節を尽くすよう求めた書状。
前編2-No.1724 大内義興書状
大内義興が入来院氏の進状を受領したことを伝え、訴えの趣旨を認めて忠節を尽くすよう求めた書状。
前編2-No.1725 相良為続書状
相良為続が入来院加賀守に、報告の内容を承知したことを伝え、懸案について引き続き取り計らうよう求めた書状。
前編2-No.1726 殉国名藪
明応三年六月十二日、新納刑部少輔忠親が伊東伊祐と志和地野頸で戦い、戦死したことを記す記事。
前編2-No.1727 島津忠昌譜
明応三年九月二十九日、福島方と志布志方の対立が激化して合戦に至ったことを記す島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1728 島津忠昌譜
同年六月十二日、新納刑部少輔忠親が志和地野久尾で戦死したことを記す島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1729 島津忠昌書状
島津忠昌が村田氏に軍事上の連絡と出陣を求め、桂樹院摂津守方の動向などを伝えた書状。本文注記は旧譜の文明十六年比定に疑義を示す。
前編2-No.1730 閑暇吟
明応三~四年頃の薩摩・大隅・日向の争乱を記す。島津忠昌・新納忠武・北郷数久・渋谷重度らと伊東祐国方が、梅北城・蒲生城・夏井城をめぐって出陣・攻城を重ねた。援軍の到着と軍勢の退却、使者を介した和議へ至る経過をまとめる。
前編2-No.1731 軍記
明応三年頃の肝付兼久・高山城をめぐる争乱を記す軍記。島津忠昌、新納忠武、北郷数久、渋谷重度らが出兵し、伊東祐安方の動きに応じて梅北城・高山城・志和池城方面で攻防を重ねた。島津豊後守忠明を含む軍勢の進退と複数城郭を結ぶ戦線の推移を示す。
前編2-No.1732 島津忠昌譜
明応四年、越中国将軍の上使として一色兵部大輔が下向し、島津忠昌が隅州曽於郡で対面したことを記す譜記事。
前編2-No.1733 島津忠昌書状
島津忠昌が肝付次郎左衛門尉に、横川へ出張した敵へ早々に馳せ向かい勝利した働きを賞し、今後も油断なく対処するよう求めた書状。
前編2-No.1734 島津忠昌譜
明応四年四月十五日、豊後守忠朝・修理亮忠廉らが串良方面へ進み、陣尾で合戦したことを記す島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1735 島津忠昌宛行状
島津忠昌が忠節の賞として、薩摩国谷山院山田村三十町と同院道祖脇内五瀬を吉田氏へ宛行い、先例に任せ知行するよう命じた宛行状。
前編2-No.1736 島津忠昌宛行状
島津忠昌が忠節の賞として、日向国島津庄郡本四十町・山田三十町・薄壇五町、計七十五町を樺山安芸守へ宛行った宛行状。
前編2-No.1737 島津忠昌譜
明応四年六月二十九日、加治木大和守の反抗を受けて帖佐城・加治木城をめぐる軍事行動が起こり、樺山氏側の動向を記した島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1738 島津忠昌書状
島津忠昌が肝付次郎左衛門尉に、加治木方が帖佐城へ攻め寄せたとの報を伝え、社家衆・本田氏・日置美作守らとともに防戦へ加わるよう求めた書状。
前編2-No.1739 島津忠昌書状
島津忠昌が肝付次郎左衛門尉に、城之坂口での合戦で敵七人を討ち退けたこと、なお敵勢への備えが必要なことを伝え、加勢を求めた書状。
前編2-No.1740 喜入忠弘譜
明応四年六月末から七月初めの加治木方との合戦について、喜入忠弘らが坂口の守備・反撃にあたり、敵を討ち退けた経緯を記す譜記事。
前編2-No.1741 島津忠昌書状
島津忠昌が山田河内守に、今度の合戦で当初から忠節を尽くし坂上郡を守った働きを賞し、子孫まで忘れず、今後も守方として奉公するよう求めた書状。
前編2-No.1742 島津忠昌寄進状
島津忠昌が、大隅国帖佐郷餅田町の正八幡宮永代御供田をめぐる相論を裁き、水田二町余を定めて寄進・安堵した寄進状。
前編2-No.1743 島津家老臣連署坪付
島津家老臣の義阿・重貞・兼親が、伊集院清藤名内の田地坪付を萩野又二郎へ連署して示した文書。
前編2-No.1744 島津家老臣連署坪付
入来院氏臣田中氏所蔵の、No.1743と同文のため本文を省略した島津家老臣連署坪付。独立番号の別伝本として収録される。
前編2-No.1745 島津国史
樺山長久起請文と阿久根高津宮明神棟札の年紀を掲げ、暦法・干支との関係から明応年間の年代を考証した島津国史の記事。
前編2-No.1746 島津国史
明応五年に加治木久平が降伏して阿多城へ移ったこと、翌年の大岳公を小城権現と称したことや社領設定、その後二年間の記事欠落を記す島津国史の記事。
前編2-No.1747 島津忠昌譜
明応五年二月、加治木大和守の城が落ち、加治木大和守が阿多城へ移ったことを記す島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1748 島津忠昌譜
明応五年、興国寺を建立し、泰雲和尚を開山、島津忠昌を檀那としたことを記す島津忠昌譜の記事。
前編2-No.1749 本田重親伝
本田信濃守重親が興国寺を建立し、泰雲和尚を開山としたことを記す本田重親伝の記事。
前編2-No.1750 伊地知重貞書状
伊地知重貞が本田氏に、加治木方面の軍事で援助を受けて勝利したことを謝し、今後も変わらぬ協力と関係維持を求めた書状。
前編2-No.1751 本田重親伝
島津氏久による留主氏所領の没収と、加治木郷の法楽寺田・修理田、関所に関する権利が伊地知重貞へ与えられた経緯を記す本田重親伝の記事。
前編2-No.1752 伊地知重貞書状
伊地知重貞が本田氏に、留主氏の所領没収に伴う加治木郷法楽寺田・修理田の処置を伝え、今後も協力して領掌するよう求めた書状。
前編2-No.1753 足利将軍家御教書
足利将軍家が薩摩国感応寺の住持職について、先例に任せ執務させるよう細川右京大夫へ命じた御教書。
前編2-No.1754 宗祇書状
宗祇が福昌寺衣鉢禅師に、贈答への礼と近況を述べ、屋形への礼意や今後の取り次ぎを依頼した書状。
前編2-No.1755 島津忠昌書状
島津忠昌が山田河内守に、先年敵方に同心した心を改め、今後二心がない旨の神名起請文を提出したことを喜び、誓約に相違がなければ等閑に扱わないと伝えた書状。
前編2-No.1756 平田兼宗・村田経安連署状
平田兼宗・村田経安が、屋形の薬蜜の手配、諸人の来訪、市来への移動、山北方面の軍事情勢などを伝えた連署状。
前編2-No.1757 沙弥善従譲状
沙弥善従が、大隅国禰寝院佐多村内の松坂薗・濱田などの田薗を重代相伝の私領として、証文を添え孫の又十郎清年へ永代譲渡した譲状。
前編2-No.1758 島津忠隆譜
島津忠隆が百房丸・又六郎と称し、明応六年八月十四日に誕生し、母が島津忠治と同腹であったことを記す譜記事。
前編2-No.1759 島津忠昌寄進状
島津忠昌が病気平癒と先祖の擁護を願い、真勝院殿大岳等公居士を小城殿として祀る社壇を新造し、所願成就のため社領を寄進した寄進状。
前編2-No.1760 入来院本村諏訪座敷定日記
入来院本村諏訪社での座敷順を定めた日記。参列する家臣・座衆を左上・右上・左下・右下の四区画に分け、本村誠方・加賀守らの名を席次に従って配列し、祭礼・寄合における家中と諏訪社座衆の序列を具体的に示す。
前編2-No.1761 薩州島津国久譜
島津国久が明応七年七月二十九日に二十八歳で没し、法号を桂林国久、菩提寺を保泉寺としたことを記す薩州家譜の記事。
前編2-No.1762 山田忠尚譜
福昌院関係の霊異と祭祀について、壇を築いて社を新建し、神霊を崇めて祭祀を営んだ由来を記す山田忠尚譜の記事。
前編2-No.1763 沢永観証状
沢永観が、水田四段などの所領処置と代替地、年貢・役負担の扱いを定め、土屋次郎左衛門尉へ伝えた仮名書きの証状。
前編2-No.1764 忠貞書状
忠貞が、御供所職に関する御教書と施行への礼を述べ、物騒な事情の中での取り次ぎや八木二石の給付を謝した書状。
前編2-No.1765 俊道書状
俊道が所領と役負担をめぐる相論について、以前の約束と当事者双方の申し分を述べた仮名書きの書状。こしまとのへ・さいせうしら関係者の間で一方に偏らず調整し、既定の負担と知行を守って今後も公平に取り計らうよう求める。
前編2-No.1766 伊地知重房書状
伊地知重房が、代参者の選定と公家衆への依頼、節供に要する青銅・中紙の進上などについて指示した書状。
前編2-No.1767 室町幕府奉行連署奉書
室町幕府奉行が、播磨国布施郷の地頭職・下司職・公文職について、島津氏の先祖以来の権利を認め、島津四郎へ返付して従前どおり領知するよう命じた奉書。
前編2-No.1768 越前島津忠勝譜
島津忠勝が明応八年十一月二日に敵山坂本で戦死し、三十八歳、法名を正菊としたことを記す譜記事。
前編2-No.1769 殉国名藪
明応八年十一月二十二日、島津四郎忠勝が敵山坂本で戦死したことを記す殉国記事。No.1768とは日付表記が異なる。
前編2-No.1770 島津国史
明応九年、後土御門天皇崩御と後柏原天皇践祚の年に起きた島津一族の争いを記す。島津忠興が加世田城の忠福を攻め、伊作久逸が救援に向かったが敗北し、園田新左衛門に討たれた。中央の皇位継承と加世田をめぐる軍事衝突を同年記事として収録する。
前編2-No.1771 殉国名藪
明応九年十一月十一日の加世田城攻防で、伊作河内守久逸が島津忠福を救援して戦死し、枕崎右衛門祐能・松元左近将監久賢らも同時に討死したことを記す殉国記事。
前編2-No.1772 霧島西生寺大曼荼羅院再興棟札
霧島山西生寺大曼荼羅院の再興に際し、聖皇の長久、武運、万民の豊楽、伽藍の興隆を祈願し、再興関係者を記した棟札。
前編2-No.1773 島津忠昌納経大随求陀羅尼
島津忠昌が大随求陀羅尼を奉書し、仏法興隆、皇室安泰、父母・子孫の利益、現世安穏などを祈願して奉納した納経。
前編2-No.1774 喜入忠弘書状
喜入忠弘が加世田河内守に、菊三郎をめぐる相談への返答がないことを述べ、事情を確認して早急に返事をするよう求めた仮名書きの書状。
前編2-No.1775 島津久逸譜
島津久逸が島津忠興と島津忠福の加世田城争いで忠福方に加勢し、明応九年十一月十一日に六十一歳で戦死し、善勝寺殿徳瑠輝公と追号されたことを記す譜記事。
前編2-No.1776 大田忠福譜
大田氏系図により、忠福が加世田城で島津忠興の攻撃を受け、伊作河内守久逸の来援を得て抗戦したものの、久逸の戦死後に窮地へ陥った経緯を記す譜記事。
前編2-No.1777 酒井宗房寄進状
酒井宗房が、隈州曽小河村楞厳寺の水田七段などを川盈同島脇園から寺へ寄進し、後生菩提のため永代の寄進とした寄進状。
前編2-No.1778 島津家老臣連署坪付
島津家老臣が、薩摩国河辺郡野崎名内木場の一ヶ所と水田・屋敷を坪付として示した連署文書。
前編2-No.1779 調所恒房伝
文亀二年正月、留守所が諸郷院に三章の政令を下して沙汰させた際、調所恒房がこれを預かった先例を記す伝記事。
前編2-No.1780 大隅国留守所下文
大隅国留守所が諸郷院に、例に任せた仏神事の勤行、池溝・築堤の修固、吏務上の事案処理など三条を命じた下文。
前編2-No.1781 大田忠福寄進状
大田忠福が薩摩国南郷内の塩屋一間を坊津龍厳寺一乗院へ永代寄進し、末代の亀鏡として証文を残した寄進状。
前編2-No.1782 足利将軍家補任御教書
足利将軍家が聖福寺住持職について、先例に任せて執務するよう命じた補任御教書。
前編2-No.1783 足利将軍家補任御教書
足利将軍家が建仁寺住持職について、先例に任せて執務するよう命じた補任御教書。
前編2-No.1784 島津忠昌筆写般若心経識語
島津忠昌が般若心経を書写し、その年紀と署名を記した識語。本文では経文用紙二葉を略し、末紙左側の識語を収める。
前編2-No.1785 犬追物手組
文亀三年七月二十四日に催された犬追物の編成表。島津忠昌家臣ら参加者を複数の組に分け、各組の射手名、持分、人数を列挙することで、競技当日の対戦・射礼の組合せと、家中武士が担った役割を確認できるようにした手組書。
前編2-No.1786 式事目録
琉球人が殿中へ参上する際の作法、新納殿名の披露、忠幸の祝儀など、御屋形での儀式・応対事項を掲げた式事目録。