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前編2の目録
旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。
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前編2-No.100 大隅国在庁利米借状
大隅国在庁関係者の沙弥観宗・少別当朝実が、正八幡宮の所司神官らに御供の稲米を借り受けることを申請した借状。
前編2-No.101 殉国名藪
『殉国名藪』が、貞治元年四月十六日に香登孫六政平が高江牟礼城で戦死したことを記す。
前編2-No.102 正八幡宮長吏御教書
正八幡宮長吏の仰せにより、中納言法眼坊を執印職に補任して下向させることを伝え、仏神事以下の社家の興行を旧例どおり行い、忠節を尽くすよう命じた御教書。
前編2-No.103 島津道鑑申状
島津道鑑が、島山礼部・大宰筑後守頼尚らの処置を退け、薩摩・大隅の分国にある関所・寺社本所領と本領讃岐国榊無保の知行を安堵する御教書を求めた申状。先例文書を列挙し、長年の軍忠を根拠として沙汰を願う。
前編2-No.104 島津氏久譜
島津氏久の譜として、大姶良・濱田・横山の諸勢が氏久に帰属し、氏久方が大姶良城・末次城を攻略して稱市場で戦ったこと、山田忠経を城主とし、本田重親を西俣方面へ移したことを記す。
前編2-No.105 本田重親伝
『本田重親伝』が、康安年間の初めに島津氏久が大姶良城を落として居城とし、康安二年七月十八日に西俣城を攻め取り、七十五町を本田重親へ与えたことを記す。
前編2-No.106 島津氏久宛行状
島津氏久が、西俣村地頭分半分の代官職について、別紙注文のとおり先例に任せて沙汰するよう宛行った文書。
前編2-No.107 島津氏久宛行状
島津氏久が称寝孫次郎に、深河院内北方半分を兵粮料所として計らい、先例に任せて沙汰するよう命じた宛行状。
前編2-No.108 島津師久補任状
島津師久が、薩摩郡内の先達職を冠嶽衆へ充行い、先例に任せて補任するよう定めた補任状。
前編2-No.109 足利義詮感状
足利義詮が渋谷九郎左衛門入道に、前年二月以来の薩摩国合戦での忠節を神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。
前編2-No.110 沙弥観宗奉書
沙弥観宗が正八幡宮所司神官らに、八月三日付書状への回答として、執印の下向、康俊の留守職改替、島津氏久による押妨、神領・神輿、平山方との和談など各案件の沙汰を伝え、社家が一致して厳密に処理するよう命じた奉書。
前編2-No.111 正八幡宮留守康俊用途請取状
正八幡宮留守康俊が、御供所の用途五貫文を割符の取継分として請け取ったことを証した請取状。
前編2-No.112 正八幡宮長吏御教書
正八幡宮長吏の仰せにより、帖佐・加治木・吉田・栗野・小河院内に散在する御供田について、郡司・名主らの押作で滞った御供米を、坪付注文に基づき回復・直納させるよう留守左衛門入道へ命じた御教書。
前編2-No.113 足利義詮感状
足利義詮が若松孫太郎に、同年三月三日の薩摩国宮里城合戦で挙げた軍忠について島津大夫判官の注進を受け、神妙と賞して今後も戦功を挙げるよう求めた感状。
前編2-No.114 足利義詮感状
足利義詮が薩摩郡司弥太郎に、同年三月三日の薩摩国宮里城合戦で挙げた軍忠について島津大夫判官の注進を受け、神妙と賞して今後も戦功を挙げるよう求めた感状。
前編2-No.115 足利義詮感状
足利義詮が島津道鑑に、大隅・薩摩両国の寺社本所領半済・関所をめぐる訴えを踏まえて沙汰し、本領讃岐国榊無保についても讃岐国守護へ速やかに命じることを伝え、老後の忠功を賞して九州の静謐に尽力するよう求めた感状。
前編2-No.116 足利義詮御教書
足利義詮が島津道鑑に、分国の関所以下の訴訟を先例に照らして沙汰し、本領讃岐国榊無保について讃岐国守護へ速やかに命じることを伝え、九州の静謐に励むよう求めた御教書。
前編2-No.117 足利義詮感状
足利義詮の感状。本文は別号文書と同文であるため省略されており、目録の年月日・標題と同文注記を保持して独立文書として整理した。
前編2-No.118 足利義詮感状
足利義詮の感状。本文は別号文書と同文であるため省略されており、目録の年月日・標題と同文注記を保持して独立文書として整理した。
前編2-No.119 足利義詮御教書
足利義詮が細川右馬頭に、島津道鑑が申す讃岐国榊無保地頭職について、鎮西にいる道鑑の知行に支障が生じないよう沙汰することを命じた御教書。
前編2-No.120 島津氏久偏諱宛行状
島津氏久が長谷場弥六に『氏純』の名を与えた偏諱宛行状。本文は名乗りを示す簡略な形で収録される。
前編2-No.121 宮内大輔今川三雄書状
宮内大輔今川三雄が周防右京亮に、島津上総介の自訴について京都での吹挙を求め、代官では認められないとの先の仰せに対し、子息は本人同然であり支障はないとの仰せを得た旨を披露するよう依頼した書状。
前編2-No.122 沙弥成栄譲状
沙弥成栄が、恩賞として拝領した大隅国多禰島について、嫡子忠勝へ半分、残る半分を左京亮忠元・掃部助忠平へ分け、代々の由緒を踏まえて子孫まで違乱なく知行するよう定めた譲状。
前編2-No.123 指宿氏系図
指宿氏の系図。指宿郡司又次郎忠連を起点に、忠篤・忠泰・忠勝・忠元・忠平らの系統、入道名、討死や寺院関係などを図示する。
前編2-No.124 後村上天皇綸旨
後村上天皇の意向を奉じ、渋谷能登守に、御方へ参じて一族を勧誘し軍忠を尽くせば本領を安堵し、忠節には恩賞を与える旨を伝えた綸旨。
前編2-No.125 島津氏久寄進状
島津氏久が大慈寺に、串良院内岩廣名の半分を寄進した寄進状。本文は貞治二年・南朝正平十八年に当たる年として延文八年の年紀を併記する。
前編2-No.126 島津氏所領注文
島津氏の所領・職を国別に列挙した注文。薩摩・大隅・日向三国の守護職をはじめ、各郡・院・村の地頭職、守護領、寺社領、関所関係の権益を記し、貞治二年四月上旬の注記を伴う。中世島津氏の広域的な所領構成と支配権の種類を一覧できる。
前編2-No.127 島津氏重書目録
島津家に伝来した重書の目録。鎌倉・室町期の御教書・御下文、所領の譲状・宛行状・施行状、軍忠状などを文書種別ごとに整理し、通数、年紀、発給者・受給者を記す。道鑑・師久・氏久らの所領継承と幕府関係を裏付ける文書群の構成を示す。
前編2-No.128 島津道鑑譲状
島津道鑑(貞久)が師久へ譲る所領・職を列挙した譲状。薩摩国守護職、薩摩郡・山門院などの地頭職を中心に、薩摩・大隅・日向の在地所領と筑前・肥後ほかの権益をまとめ、広域に分散する島津家領と守護権を師久へ継承させる。
前編2-No.129 島津道鑑譲状
島津道鑑が氏久へ、大隅国守護職と守護領、薩摩国指宿郡、肥前国倉上庄、筑前国今津村など、諸国の所領・地頭職を列挙して譲与した譲状。
前編2-No.130 島津道鑑譲状
島津道鑑が乙寿丸へ、薩摩国鹿児島郡内永吉村、大隅国寄郡内百引村、筑前国三奈木村地頭職などを譲与し、後代まで知行するよう定めた譲状。
前編2-No.131 島津道鑑譲状
島津道鑑が祢々女子分として、薩摩国鹿児島郡内中村・郡本両村の郡司職などを譲与し、後代まで知行するよう定めた譲状。
前編2-No.132 島津道鑑譲状
島津道鑑が氏久へ所領・職を譲与した譲状。本文はNo.129と同文のため省略されており、別伝本として独立行を保持する。
前編2-No.133 正八幡宮領家御教書
正八幡宮領家の意向を受け、執印の下向・入部に対して康俊が本所へ敵対し異議を唱えたことを問題とし、執印を速やかに入部させ、厳密に沙汰するよう所司神官らへ命じた御教書。
前編2-No.134 正八幡宮領家御教書
正八幡宮領家の意向を受け、執印の下向に際して康俊が本所へ敵対して入部が遅れたなか、忠節を尽くしたことを賞し、その旨を伝えた御教書。
前編2-No.135 尼祖鑑文書請取状
尼祖鑑が正八幡宮権執印法橋御房から、大隅国本庄内岩河村南方の御譲状一通を受け取ったことを証した文書請取状。
前編2-No.136 あねゝ文書請取状
あねゝが、薩摩国鹿児島郡内中村・郡本両村の御譲状を受け取ったことを証した文書請取状。
前編2-No.137 島津師久請文
島津師久が、豊後・薩摩の合戦と九州各地の凶徒蜂起について幕府側へ報告した請文。菊池武光らへの対処、大内弘世の渡海、周防・九州諸国の軍勢動員を急ぐ必要を述べる。鎮西管領を通じて御教書を発給し、諸勢を統率して凶徒退治を進めるよう具体的な軍事措置を求める。
前編2-No.138 伊集院道忍忠國等寄進状
伊集院道忍・忠國らが圓勝寺に、薩摩国満家院小山田中俣内の水田五町と園九箇所を永代寄進し、寺領として知行させることを定めた寄進状。
前編2-No.139 渋谷重門証状
渋谷重門が、薩摩国入来院中村内の永野・世与牟礼両村を定円から譲与されたことを承認し、子々孫々まで他の妨げなく知行することを証した文書。
前編2-No.140 島津元久譜
島津元久の譜として、貞治二年五月二十日に大姶良で生まれたこと、母が伊集院長門守忠國の娘であること、幼少期の居所・移住と地域の由緒を記す。
前編2-No.141 島津貞久譜
島津貞久の譜として、貞治二年七月三日に九十五歳で没し、法名を道鑑、号を道阿としたことを記す。
前編2-No.142 正八幡宮永賢供米結解状
正八幡宮御供所検校永賢が、岩河村三分二五十町にかかる御供米・工事料などの納分と別納分を石・斗・升単位で算定し、合計を示した結解状。
前編2-No.143 島津国史
『島津国史』が貞治三年(南朝正平十九年)の南北朝情勢を記す。後村上天皇方の綸旨と渋谷重門の南朝帰属、藤原実秀ら関係者の動向を掲げ、島津氏久・元久らがどのように対応したかを家譜・文書と照合して編年上に位置付ける。
前編2-No.144 足利義満補任御教書
足利義満が祖通西堂に、眞如寺住持職を先例に任せて執務するよう命じた補任御教書。
前編2-No.145 正八幡宮領家御教書
正八幡宮領家の意向を受け、御供所奉行について本所へ注進し、その回答までの間、当年八月朔日から翌年七月十七日までの御供米の納欠を結解して備えるよう権執印法橋へ命じた御教書。
前編2-No.146 北郷道明譲状
北郷道明が犬太郎丸へ日向国北郷三分一を永代譲与し、公方御公事は惣領宮次郎丸の支配と先例に従って勤仕させることを定めた譲状。
前編2-No.147 蔵人頭西園寺実秀奉口宣案
蔵人頭左近衛権中将藤原実秀が奉じ、左衛門少尉藤原親忠を下野守に任ずる旨を伝えた口宣案。
前編2-No.148 後村上天皇綸旨
後村上天皇の意を奉じ、伊作親忠に御方へ参じて功を立てれば殊に賞する旨を伝えた綸旨。
前編2-No.149 藤原顕方書状
藤原顕方が伊作親忠に、御名字には差し障りがあるため『親忠』と称するよう仰せられた旨を伝え、了承を求めた書状。
前編2-No.150 島津道鑑書状
島津道鑑が、先例のない牛屎一族宛ての御書が出され面目を失ったとして、詳細は対面時に述べるので披露してほしいと廣澤藤三郎へ依頼した書状。
前編2-No.151 大隅国在庁質券
大隅国在庁が要用のため、臺明寺の三昧田五段を米一石七斗の代として御前執當御房方へ入れ置き、元物を返すまで耕作を認めた質券。
前編2-No.152 長谷場久武・氏純連署状
長谷場氏純・久武が、墓へ寄進した水田ならびに『いのしり四つる』について、覺阿の取り計らいに任せ、少しも煩いを申し立てないと約した連署状。
前編2-No.153 島津国史
『島津国史』が、貞治四年(南朝正平二十年)閏九月十七日に渋谷重門が鎮西凶徒退治を命じられたことを、入来院家蔵文書や次掲の渋川義行書下を引いて記す。
前編2-No.154 渋川義行書下
渋川義行が渋谷弾正少弼に、鎮西凶徒退治へ発向するので味方として忠節を尽くし、さらに戦功を挙げた場合は注進するよう命じた書下。
前編2-No.155 北郷北方相分注文
北郷北方一方分の田地を分配した相分注文。宮丸名内の御一向分を中心に、田名、作人、反別、請分を一筆ごとに対応させ、渋川義行・渋谷弾正少弼・樺山久清ら関係者の分を整理する。総計十五町一反余に及ぶ耕地構成と収納関係を示す。
前編2-No.156 正八幡宮領家下文
正八幡宮領家が、御供所職を管領する前権執印永賢の任料未納について厳密に催促し、先例どおり所定数を速やかに納めさせるよう命じた下文。
前編2-No.157 島津氏久書下
島津氏久が寶満寺領の日向河原下について、北条守時の例に従い、今後違乱してはならないと定めた書下。本文には二か所の欠損がある。
前編2-No.158 北条守時巻数請取状
北条守時が、寶満寺長老から大般若経転読などの修法・祈祷の巻数を受け取り、謝意を伝えた請取状。
前編2-No.159 島津師久所領目録
島津師久が嫡子伊久へ継承させる知行をまとめた所領目録。薩摩国守護職を中心に、下総・信濃・讃岐の遠隔所領、薩摩・日向の院・郡・村、地頭職などを列挙し、島津宗家が各国に有した重代の権益と伊久の相続分を具体的に示す。
前編2-No.160 島津国史
『島津国史』が貞治五年(南朝正平二十一年)の出来事を記す。島津師久から長子伊久への薩摩守護職継承、久安を祖とする支族の成立、菊池武光討伐の戦闘を掲げる。さらに種子島頼時、二階堂近江前司、阿多郡司らへの命令を収録し、家督継承と領国支配の再編を結び付ける。
前編2-No.161 殉国名藪
『殉国名藪』が、貞治五年四月十六日に種子島対馬守頼時が菊池武光と肥後白岡で戦死し、家臣の九郎左衛門家信・下野小藤太秀遠も従ったことを記す。年紀には羽島久成申状との相違を注記する。
前編2-No.162 島津師久預ケ状
島津師久が二階堂隠岐守に、闕所となった阿多郡内観音寺・白河村を公方の処置が決まるまで預け置き、先例どおり知行するよう命じた預ケ状。
前編2-No.163 島津師久預ケ状
島津師久が二階堂隠岐守に、闕所となった智覧院名主職を公方の処置が決まるまで預け置き、先例どおり知行するよう命じた預ケ状。
前編2-No.164 雲板銘
薩州谷山郡永谷山の常住物である雲板に、正平廿一年丙午三月十五日と大工浄法の名を刻んだ銘。皇徳寺所在。
前編2-No.165 渋谷重門寄進状
渋谷重門が境の合戦祈祷のため、二か所合計二町の田地を冠嶽権現へ寄進し、山中での地頭の妨げを停止するよう定めた寄進状。
前編2-No.166 島津氏久願文
島津氏久が持国天王を造替し、善因との結縁と家門の繁栄を願った願文。重富船津村森永の百姓太郎蔵に伝わる。
前編2-No.167 渋谷重門置文
渋谷重門が合戦での忠節に対する新恩給与を定めた置文。抜群の軍功者には新所を与え、討死者の子息・女子・後家には本知行と新恩をどのように相続させるかを条々に規定し、戦死家の扶養と所領継承を保障して家中の軍役意欲を維持しようとする。
前編2-No.168 後村上天皇綸旨
後村上天皇の意を奉じ、渋谷弾正少弼の軍忠を聞き届け、神妙であると賞した綸旨。
前編2-No.169 山田忠経譲状
山田忠経が重代相伝の薩摩国谷山郡山田・上別府両村を証文とともに嫡子虎王丸へ譲り、虎王丸に男子がなければ王犬丸へ継承させると定めた譲状。
前編2-No.170 山田氏系図
『山田氏系図』が、前掲譲状の虎王丸を山田氏六代久興とし、四郎・右京亮・出羽守、入道名玄威の異名と、延文四年九月廿六日に鹿児島宮地で誕生したことを記す。
前編2-No.171 比志島範平軍忠状
比志島範平の軍忠状。本文は既載の同文書と同文であるため省略され、文書標識と所蔵注記のみを載せる。
前編2-No.172 島津国史
『島津国史』が貞治六年の出来事を編年で記す。島津師久による下大隅稲荷社への田地寄進、彌寝久清への大隅西俣村地頭職・弁分の預置、稲荷社周辺での賊徒討伐を掲げ、同年の足利義詮死去と併せて在地支配と中央政局を位置付ける。
前編2-No.173 島津氏久寄進状
島津氏久が戦場で奇瑞があったことに報いるため、下大隅稲荷社へ同郡内の田地一町を寄進した寄進状。
前編2-No.174 島津氏久書状
島津氏久が執印に、境の合戦が重大な局面にあるため協力を頼み、同心してくれれば本望であるとして返事を求めた書状。
前編2-No.175 島津氏久・基久連署安堵状
島津氏久・基久が河上次郎左衛門尉に、申談の内容に基づいて市来院内河上村地頭職を安堵し、領掌に相違がないよう定めた連署安堵状。
前編2-No.176 島津氏久預ケ状
島津氏久が彌寝孫次郎に、大隅国西俣村の地頭職・弁分を兵粮料所として預け置き、先例どおり領掌するよう命じた預ケ状。
前編2-No.177 島津氏久立願文
島津氏久が凶徒退治の祈願として、下大隅稲荷社の拝殿を造営させる旨を定めた立願文。
前編2-No.178 島津氏久立願文
島津氏久が凶徒退治のため、冠嶽権現の御宝殿を修理することを立願した文書。
前編2-No.179 島津玄久書状
沙弥玄久が冠嶽別當へ、礼を受け取ったこと、前年夏の対面を喜んだこと、奉加を送ることなどを伝えた書状。
前編2-No.180 若松忠貞田地売券
若松忠貞が、薩摩国薩摩郡時吉名・串木野村内の田地(下辺北五反、田三反など)を伊作殿へ売り渡した売券。若松孫太郎以来の所領であることを述べ、相対で代価を定めて売却し、以後の違乱を認めず買主の支配を保証する。本文末に五月廿八日、忠貞(花押)とあり、押紙には年貢三百貫文の請取正文と山田入道の上京に関する注…
前編2-No.181 覚阿譲状
覚阿が長谷場内の所領を阿弥陀仏へ寄せたうえで、その後は六郎に与えることを定め、異乱を申し立てる者を不孝とするとした譲状。仮名書きの地名細部には判読留保がある。
前編2-No.182 覚阿譲状
前掲No.181と同日同標題の覚阿譲状。本文欄は『全』との表示のみで、独立番号として保持する。
前編2-No.183 古河田薗堺実検帳
古河田薗以下の屋敷・薗地・寺社領を一筆ごとに掲げ、隣接地や道・溝などを基準に境界と坪付を記した実検帳。守公神講師隆幸、留守沙弥康俊、法橋道与・永賢、執行兼秀、検校道世らが現地確認に関与し、土地の所在と支配関係を確定した。
前編2-No.184 古河田薗堺実検帳
No.183と同文の古河田薗堺実検帳で、本文は同文につき省略される。別伝本として独立番号を保持する。
前編2-No.185 島津国史
『島津国史』が応安元年の出来事を編年でまとめる。改元を記した後、島津師久・氏久方が山門院西方樺田の水田三段を諏訪社領として寄進したこと、足利義満が征夷大将軍に補任されたことを掲げ、地域の寺社政策と中央政局を同じ年次に位置付ける。
前編2-No.186 島津氏久契状
島津氏久が執印左衛門太夫入道と、風聞や伝聞を直ちに信じず互いに確認して落着させることを誓い、違背時には神罰を受けるとした契状。
前編2-No.187 正八幡宮領家御教書
正八幡宮領家が、未補の御供所職について再度異議を申し立てるのは不当として、まず任料の所定分を進上して嘆願するよう命じた御教書。
前編2-No.188 正八幡宮留守康俊用途請取状
正八幡宮留守康俊が、御供所職の任料取継用途十貫文を受領したことを御供所検校へ証した請取状。
前編2-No.189 島津師久預ケ状
島津師久が執印左衛門太夫入道の忠節に報い、薩摩郡内寄田村牧を特別に預け置いた預ケ状。
前編2-No.190 島津氏久書状
島津氏久が執印に、先日相談した祈所の件は相違があれば別途処置すると伝え、あわせて寄田村牧を特別に預ける旨を知らせた書状。
前編2-No.191 長谷場久武譲状
長谷場久武が、弥六跡の水田・屋敷について覚阿の取り計らいに従い、六郎を養子として譲与し、末代まで異乱しないと定めた譲状。
前編2-No.192 若松忠貞田地売券
No.180と同文の若松忠貞田地売券で、本文は同文につき省略される。別伝本として独立番号を保持する。
前編2-No.193 渋谷重成譲状
渋谷重成が子息松寿丸へ、薩摩国入来院清色南方、美作国河絵庄、相模国曽司郷、筑前国比伊郷などの重代相伝所領を証文とともに永代譲与した文書。複数国に散在する家領を一括して継承させ、松寿丸の知行権を保証する。
前編2-No.194 渋谷重成譲状
渋谷重成が子息松寿丸に、入来院内市比野名主職、清色南方内本村北方、肥前国佐嘉下御領内の田地などを永代譲与した譲状。複数国にまたがる所領と名主職をまとめて示し、松寿丸を後継者として知行させる意思を明記する。
前編2-No.195 正八幡宮任料請取状
正八幡宮の法眼・大和守が、御供所職の任料用途三十貫文を受領したことを証した請取状。
前編2-No.196 島津道貞寄進状
島津道貞(師久)が、山門院西方樺田内の水田三段を誠方大明神の御宝前へ寄進した寄進状。
前編2-No.197 武光心呈譲状
武光心呈(重光)らが小三郎兼氏へ、薩摩国高城郡本万得名・吉枝名・宮里郷、筑前国三奈木庄などの重代相伝の所領・所職を譲った文書。関係証文を添えて永代譲与し、庶子・女子・後家による違乱を禁じる。薩摩・筑前に分散する家産を一括継承させ、兼氏の排他的な知行権を保障する。
前編2-No.198 樺山資久申状
樺山資久(明見・島津安芸入道)が、多年の軍忠・奉公によって宛行われた日向国臼杵院・宮崎郡、肥後国山鹿庄・尻無村などについて、御下文の旨に任せた御教書の発給を求めた申状。
前編2-No.199 兼阿譲状
兼阿が父子契約により、重代相伝の大隅国肝付郡岸良村弁済使職を証文とともに鍋太郎丸へ永代譲与し、子孫の領知を定めた譲状。