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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1801~1900件・19 / 28ページ

  1. 前編2-No.1787 島津勝久譜

    島津勝久が初め忠兼と称し、のち勝久と改め、宮房丸・又八郎などの名乗りと官途を持ち、文亀三年八月十八日に生まれ、兄二人の早世後に守護職となったことを記す譜記事。

  2. 前編2-No.1788 島津忠昌社参随兵人数書上

    文亀四年二月十四日、島津忠昌が正八幡宮へ初社参した際の随兵名簿。御屋形に供奉した伊地知越右衛門以下の家臣を組・役割ごとに列挙し、人数、太刀・弓・打刀などの装備を記す。大規模な社参行列の編成、家臣序列、武具構成を具体的に示す。

  3. 前編2-No.1789 犬追物手組

    文亀四年三月二十二日の犬追物について、島津備前守・豊後守ら各組の射手名と持分を列挙した手組書。

  4. 前編2-No.1790 島津忠治書状

    新納家文書に伝わる島津忠治書状。本文はNo.1793と同文であるため省略され、餅原駿河守・吉田六郎三郎の名のみ掲げられる。

  5. 前編2-No.1791 島津忠治代寄合座鉢

    島津忠治の代に行われた寄合の座鉢・式次第。新納次郎四郎・新納江州、平田右馬助、本田治部左衛門尉、伊地知らの座席順を示し、出仕、贈答、酒肴・祝物の配膳、役人の出入りを日次に沿って記して、家中儀礼の序列と運営実務を伝える。

  6. 前編2-No.1792 島津忠治書状

    島津忠治が新納近江守へ祝意を述べ、今後の相互の満足を願い、太刀一腰と鹿毛の馬一疋を贈った書状。

  7. 前編2-No.1793 島津忠昌書状

    島津忠昌が新納近江守に新春の慶賀を述べ、今後も諸事に満足し、同意の条々を祝着する旨を伝えた書状。

  8. 前編2-No.1794 山崎某覚書

    永正三年七月十一日の土川合戦後、山崎助左衛門が捕虜・被官・領知の処置をめぐる交渉を記した覚書。和泉氏・阿多民部左衛門尉ら当事者の申し分を整理し、誰を返還・召し抱えるか、所領をどう扱うかについて島津忠興が下した裁定を伝える。

  9. 前編2-No.1795 島津国史

    文亀・永正年間の国内外の出来事と島津家の動向を年次順にまとめる。島津忠昌の治世、忠治・兼久、新納忠武、公班師らの関係を示し、家督・合戦・寺社・葬送などの事件を配列して、忠昌期から次代へ移る政治・軍事情勢を記す国史記事。

  10. 前編2-No.1796 伊作観音由緒記

    島津忠良が十五歳の時に観音の霊夢を得て供物を捧げ、伊作城が攻撃された際にも観音の加護を受けたとする伊作観音の由緒記。

  11. 前編2-No.1797 福昌寺侍衣建盈請取

    福昌寺の侍衣建盈が、藤原忠治から牌銭十貫文、馬一疋の代物五百疋を受け取った請取。

  12. 前編2-No.1798 河辺平山村観音堂木像光背板

    河辺平山村六町の観音堂木像光背板に記された銘で、島津忠昌・忠治の息災延命、国家安穏、武運長久などを祈願し、関係者名を列挙する。

  13. 前編2-No.1799 本田兼親伝

    永正三年八月二十六日、島津忠昌が霧島山華林寺に鐘楼を建立し、本田兼親に造営を命じ、同年霜月十五日に完成して銘を置いた経緯を記す伝記事。

  14. 前編2-No.1800 島津忠昌書状

    島津忠昌が本田兼親に、造営の辛労をねぎらい、肥前守を召し寄せて造営を協議し、詳細は平田から伝えるよう命じた書状。

  15. 前編2-No.1801 本田兼親書状

    本田兼親が平田に、造営に関する書状を受領したことを謝し、村田と相談して修造に奔走する旨を述べ、御前への披露を依頼した書状。

  16. 前編2-No.1802 島津忠昌書状

    島津忠昌が平田に、小原への移動と城の整備について村田・本田を派遣したことを伝え、引き続き尽力するよう求めた書状。

  17. 前編2-No.1803 御前法橋沢永観補任状

    沢永観を御前法橋上人位に補任した補任状。

  18. 前編2-No.1804 島津忠昌書状

    島津忠昌が新納近江守に、宝木の贈与を謝し、先に依頼した角・鈴を早々に調達したことへの礼を述べ、対面時に詳しく礼を述べると伝えた書状。

  19. 前編2-No.1805 島津氏家譜

    島津忠昌が大隅国肝付氏の高山本城を攻めたものの、敵の激しい抵抗で軍勢が退き、やむなく退陣した経緯を記す島津氏家譜の記事。

  20. 前編2-No.1806 西藩野史

    永正三年、島津忠昌が肝付兼久の高山城を攻めるため新納忠武に援軍を求めた戦いと、琉球の貢納をめぐって忠昌が使者を派遣した経緯を記す西藩野史の記事。

  21. 前編2-No.1807 西藩野史

    島津忠治が島津忠昌の長子として生まれ、幼名を安房丸と称し、のち又三郎忠治と名乗ったことなど、その誕生・系譜・名乗りを記す西藩野史の記事。

  22. 前編2-No.1808 西藩野史

    島津忠隆が忠昌の第二子として生まれ、百房丸・又六郎と称したこと、のち国秀と対立し、吉田方面の戦いに関わった経緯を記す西藩野史の記事。

  23. 前編2-No.1809 西藩野史

    島津勝久が島津忠昌の第三子として生まれ、幼名を宮房丸、元服後に又八郎忠兼と称し、のち勝久と改名したことを記す西藩野史の記事。

  24. 前編2-No.1810 殉国名藪

    永正五年二月十五日に島津忠昌が清水の私宅で自害したのち、奈良原助八が忠昌を追って同月十八日に殉死したことを記す殉国記事。

  25. 前編2-No.1811 島津忠昌譜

    島津忠昌が永正五年二月十五日に清水の私宅で自害し、辞世の和歌を残したこと、法名や葬地などを記す譜記事。

  26. 前編2-No.1812 興国寺二世宗津隻疏

    興国寺二世宗津が、島津忠昌の死と、それに殉じた奈良原助八を追悼した疏文。忠昌の武徳と主君としての恩、助八が主従の義を守って死を共にした行為を仏教語・禅語で称え、両者の迷いを離れた往生と冥福を祈る。

  27. 前編2-No.1813 奈良原道三真賛

    奈良原助八の死後に親族が描いた肖像に、奈良原道三が助八の武勇・忠義と殉死を称えて記した画像賛。

  28. 前編2-No.1814 興国寺二世宗津受疏

    興国寺二世宗津が島津忠昌と奈良原助八を供養するため作成した受疏。忠昌の生前の統治と武勇、助八の殉死を主従一体の忠義として述べ、死後も両者の縁が失われないことを仏教的表現で示し、法会における回向の趣旨を明らかにする。

  29. 前編2-No.1815 某書状

    差出人某が、福昌寺の開創由緒と禅門による教化の功徳を述べ、琉球国との交流継続を求めた長文書状。僧侶・使節の往来を通じて仏法を広めること、海上交通を保って相互の礼節と善隣を維持することを説き、宗教と外交を結び付ける。

  30. 前編2-No.1816 島津忠治書状

    島津忠治が琉球国王に、両国の友好と海上往来の維持を願い、使僧を通じて意思を伝えた外交書状。

  31. 前編2-No.1817 島津忠治書状

    島津忠治が琉球国王に、日本と琉球の旧来の友好を重んじ、今後も全国的な善隣と往来を保つよう求めた別通の外交書状。

  32. 前編2-No.1818 田布施金蔵院由緒書

    田布施金蔵院の本尊十一面観音・脇士と堂宇の建立・再興について、忠幸公の創建と寛文十年の綱久公による再興を記した由緒書。

  33. 前編2-No.1819 島津国史

    永正六・七年の国内動向と薩摩の事件を年次順に掲げ、島津忠治期の幕府関係、清水氏や島氏をめぐる動きを記す島津国史の記事。

  34. 前編2-No.1820 池田氏年代記

    永正六年五月十五日、向島の御鐵金の鉾を福昌寺十一世天祐が建立したことなどを記す池田氏年代記の記事。

  35. 前編2-No.1821 足利義植御内書

    足利義植が島津陸奥守に、渡唐船の警固を命じ、太刀一振・刀一腰を贈った御内書。

  36. 前編2-No.1822 島津忠治書状

    島津忠治が北郷源左衛門尉に、各地への使者派遣と軍事上の奔走を求め、今後も忠節を尽くすよう命じた書状。

  37. 前編2-No.1823 伴兼利証状

    伴兼利が新納四郎に、祝儀として屋形から給わった太刀などの品と、その後の給付・儀礼を後代の証拠として記した証状。

  38. 前編2-No.1824 竜厳寺・荘厳寺・大興寺門徒契約状

    竜厳寺・荘厳寺・大興寺の門徒が法流と寺院運営の秩序を共同で定めた契約状。精範・頼憲らの関係を踏まえ、寺同士の争論を避けること、困窮時の相互扶助、本堂・寺領の維持、住持選任の手続を規定し、三寺門徒が合議で法流を守ることを誓う。

  39. 前編2-No.1825 島津忠治伝

    永正七年十二月二十三日、島津忠治が伊東大和守尹祐の娘を妻に迎え、垂水隠岐守が使者として引き渡しを担ったことを記す伝記事。

  40. 前編2-No.1826 島津忠治代寄合座鉢

    島津忠治代の寄合座鉢。本文はNo.1791の前半と同文であるため省略され、享禄二年の場に写し置いた旨が注記される。

  41. 前編2-No.1827 島津忠治書状

    島津忠治が渋谷弾正少弼入道に、先に松本図書から聞いた話の細部を承知したいとして、早く参会するよう求めた書状。

  42. 前編2-No.1828 島津忠治書状

    島津忠治が渋谷弾正少弼入道に、新年の慶賀を述べ、忠節の賞と限城の事について引き続き尽力するよう求めた書状。

  43. 前編2-No.1829 島津忠治書状

    島津忠治が肝付越前守に、山北・南方の軍勢動員に応じて出陣し、忠節を尽くす者を選び出すよう命じ、その功を賞すると伝えた書状。

  44. 前編2-No.1830 石清水八幡宮惣検校補任状

    石清水八幡宮惣検校の権大僧都法印大和尚位が、御前法橋永観を惣検校に補任した補任状。

  45. 前編2-No.1831 識鷹秘訣集序

    島津忠治のもとで巣松が編纂した『識鷹秘訣集』全九巻の序。王者の鷹狩と政治的威儀の関係を説き、鷹の種類・姿形・習性、捕獲後の飼育と調教、狩猟での扱いを古書・伝承から集成したことを述べ、秘訣を体系化した編纂意図を示す。

  46. 前編2-No.1832 島津忠治証状

    島津忠治が種子嶋武蔵守に、弓箭の忠節を賞し、三か国のうち自然の地百町を宛行うことを約した証状。

  47. 前編2-No.1833 島津国史

    永正九年閏四月六日、島津忠治が祢寝大和守尊重に関して下した処置を記す島津国史の記事。

  48. 前編2-No.1834 調所恒房伝

    永正九年の阿多城をめぐる動きのなかで、国老伊地知重貞・本田兼親・桑波田景元らと調所恒房が軍事・政務に対処した経緯を記す伝記記事。

  49. 前編2-No.1835 伊地知重貞等連署状

    伊地知重貞ら三名が調所恒房に、祝儀時の庄内からの人足や前年の南方への動員をねぎらい、来月初三日の使者派遣などを申し合わせた連署状。

  50. 前編2-No.1836 島津忠治安堵状

    島津忠治が本田兼親に、当代の証状を求める願いに応じ、本田名字の領地を検断の対象から除くことを認めた安堵状。

  51. 前編2-No.1837 島津家老臣連署坪付

    島津家老臣四名が連署し、薩摩国指宿郡、谷山郡和田名内、臥蛇島などの坪付・反畝を列記した文書。

  52. 前編2-No.1838 島津忠治安堵状

    島津忠治が祢寝大和守に、指宿院について従来の知行を踏まえ、内々の相談が決着した時に宛行う旨を示し、忠儀を守るよう命じた安堵状。

  53. 前編2-No.1839 加治木久恒寄進状

    加治木久恒が川辺宝福寺関係の熊峯へ、屋敷や田代などを寄進した寄進状。

  54. 前編2-No.1840 岩下某寄進状

    岩下助右衛門尉が、河辺平山村内の寺前水田などを玉泉寺へ永代に寄進し、子孫らの妨げを禁じた寄進状。

  55. 前編2-No.1841 笠懸射書

    都城で行われた笠懸についての射書・日記として掲げられた文書。

  56. 前編2-No.1842 島津一瓢久沽券

    島津一瓢が、田布施野崎名内の十石園門などの田地を代銭二十貫文で坊津の智徳院へ永代に売り渡し、後日の違乱を禁じた沽券。

  57. 前編2-No.1843 智徳院頼真渡状

    智徳院頼真が、田布施内十石園門の代物二十貫文を関係者へ渡したことを証明した渡状。

  58. 前編2-No.1844 阿久根院水田坪付

    阿久根院内の水田を、一壺町三段・六町卅・九段・一弐段などの区画に分け、所在地と面積を列記した坪付。

  59. 前編2-No.1845 本田親安伝

    永正十一年二月朔日、島津忠治が本田親安に、大隅国山之地内の由緒ある旧邑二十五町を与えたことを記す伝記記事。

  60. 前編2-No.1846 島津忠治宛行状

    島津忠治が本田親安に、大隅国山之地内の二十五町を由緒ある土地として宛行い、知行を認めた宛行状。

  61. 前編2-No.1847 本田親安伝

    本田親安と父兼親の島津家への奉公、本田氏の系譜や郡内での処遇を記す伝記記事。

  62. 前編2-No.1848 島津貴久譜

    島津貴久の系譜記事として、貴久公御譜中および日新斎の子女に関する記載を掲げる。

  63. 前編2-No.1849 調所恒房伝

    永正十一年の所領・寄進をめぐる処置と、調所恒房や島津家老臣らの関与を記す伝記記事。

  64. 前編2-No.1850 島津家老臣連署寄進状

    島津家老臣四名が連署し、大隅国曽於郡内の田地を守公神へ寄進して、坪付と面積を列記した寄進状。

  65. 前編2-No.1851 犬追物手組

    永正十一年九月十四日、鹿児島殿中で蘭窓(島津忠治)の代に初めて行われた犬追物について、参加者別の疋数と検見・喚次を記した手組。

  66. 前編2-No.1852 犬追物手組

    永正十一年十一月十四日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。

  67. 前編2-No.1853 犬追物手組

    永正十一年十一月十九日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。

  68. 前編2-No.1854 犬追物手組

    永正十一年十二月九日の犬追物について、殿以下の参加者と検見・喚次を配列した手組。

  69. 前編2-No.1855 島津国史

    民間を騒がせた妖怪を大覚寺殿とみなし、島津忠朝が神祇官兼倶に位号を求めたことなど、大興寺をめぐる由来を記す島津国史の記事。

  70. 前編2-No.1856 犬追物手組

    永正十二年二月七日の犬追物について、初日二番の射手と射数を列記した手組。

  71. 前編2-No.1857 犬追物手組

    No.1856と同日の犬追物について、別の初日二番の射手と射数を列記した手組。

  72. 前編2-No.1858 祐富寄進状

    祐富が大隅国清水の楞厳寺へ、姫木森山の下にある田一段を後世まで寄進し、違乱を禁じた寄進状。

  73. 前編2-No.1859 犬追物手組

    永正十二年四月一日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  74. 前編2-No.1860 島津忠治証状

    島津忠治が大興寺について、由緒と先祖の寄進を踏まえて諸役停止・子孫相続を認め、寺領を安堵した証状。

  75. 前編2-No.1861 島津氏家譜

    永正十二年、十九歳の島津忠隆が守護職となったことなど、忠治から忠隆への継承を記す島津氏家譜の記事。

  76. 前編2-No.1862 山田忠尚譜

    島津忠治が島津荘内薩摩方の麓島郡に大興寺を建立し、権大僧都法印頼盛を開基始祖としたことを記す山田忠尚譜の記事。

  77. 前編2-No.1863 島津氏家譜

    永正十二年、島津忠隆が十九歳で守護職となったことを記す島津氏家譜の記事。

  78. 前編2-No.1864 島津忠隆証状

    島津忠隆が福昌寺の定法と寺家の特権を確認し、逃亡者や犯罪人の扱いを含む寺内秩序を安堵した証状。

  79. 前編2-No.1865 島津国史

    『島津国史』が、永正年間に薩摩へ来航した琉球船と使者の動きを年次順に記す。島津忠隆による接遇、謝那大屋子ら使節の往還、幕府への報告や贈答、海上警固を挙げ、琉球との通交が領国外交・交易・軍事警戒に関わった経過をまとめる。

  80. 前編2-No.1866 調所恒房伝

    永正十三年正月二十日、島津忠隆が留守所を通じて諸郷院へ政令を下したことを記す調所恒房伝の記事。

  81. 前編2-No.1867 大隅国留守所下文

    大隅国留守所が諸郷院に、仏神の祭祀を先とし、国政の法に従って池溝・築堤などを修固するよう命じた下文。

  82. 前編2-No.1868 犬追物手組

    永正十三年三月十三日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  83. 前編2-No.1869 犬追物手組

    永正十三年三月十六日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  84. 前編2-No.1870 年代記

    永正十三年四月十五日、琉球国の文船が着岸し、使者の謝那大屋子が来訪したことを記す年代記の記事。

  85. 前編2-No.1871 年代記

    備前国連島の三宅和泉守が兵船十二艘を率いて琉球国を襲おうとし、薩州坊津へ着いたところ、滞留者が久しかったため三宅を誅罰したと記す年代記の記事。

  86. 前編2-No.1872 年代記

    同年、別の琉球国使船一艘が着岸し、使者が西殿へ赴いたことを記す年代記の記事。

  87. 前編2-No.1873 犬追物手組

    永正十三年五月二十八日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  88. 前編2-No.1874 犬追物手組

    永正十三年六月一日の犬追物について、初日一番の射手と射数を列記した手組。

  89. 前編2-No.1875 犬追物手組

    No.1874と同日の犬追物について、初日二番の射手と射数を列記した別手組。

  90. 前編2-No.1876 犬追物手組

    No.1874・1875と同日の犬追物について、別の射手と射数を列記した手組。

  91. 前編2-No.1877 犬追物手組

    永正十三年六月七日の犬追物について、御代初の手組として射手と射数を列記した文書。

  92. 前編2-No.1878 石塚種延寄進状

    石塚種延が清水楞厳寺へ、大門口一町内の田二段などを寄進し、本物は宇大鳥丸貫文・洪武二貫文・米一斗であると記した寄進状。

  93. 前編2-No.1879 犬追物手組

    永正十三年と注記された犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  94. 前編2-No.1880 犬追物手組

    永正十三年八月二十九日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  95. 前編2-No.1881 犬追物手組

    永正十三年九月一日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  96. 前編2-No.1882 犬追物手組

    永正十三年九月十日の犬追物について、各組の射手と射数を列記した手組。

  97. 前編2-No.1883 島津忠隆譜

    永正十四年二月十二日、島津忠隆が吉田城を攻め、翌日の城門攻防を経て城内を制圧したことを記す島津忠隆譜の記事。

  98. 前編2-No.1884 宮豊氏系図

    宮里氏の孫太郎正豊が折目合戦で功を立て、島津忠隆から屋形の御代として宮里の名字を許されたことを記す系図記事。

  99. 前編2-No.1885 島津忠隆譜

    連歌宗匠宗碩法師が忠隆の識量を評価し、古今集を伝授して席上の人々も感服したことを記す島津忠隆譜の記事。

  100. 前編2-No.1886 島津家老臣連署坪付

    島津家老臣が連署し、大隅国吉田院内の坪付として田畠・屋敷の所在地と反別を列記した文書。