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前編2の目録

旧記雑録 延文2年~天文23年の文書・記事です。

全2,778件中 1301~1400件・14 / 28ページ

  1. 前編2-No.1290 渋谷重宗名字状

    大口高城氏蔵の名字状。本文欄には独立した文言を載せず、嘉吉二年十一月十五日の年紀と発給者・渋谷出雲彦太郎平重宗の署名を記す。

  2. 前編2-No.1291 本田重経寄進状

    本田重経が、亡母天桂祐公大師の毎月二十一日の忌日供養のため田字内丸五反を梶殿寺へ寄進し、万雑公事を免除した。買得地が本主へ返る場合は本物十七貫文などで代替地を求め、子孫も永く寄進の趣旨を守るよう定めた寄進状。

  3. 前編2-No.1292 伊集院照久証状

    伊集院照久が、延慶寺・寶壽寺・靈徳寺・龍泉庵・如々院・聚星軒・無量壽院・収得軒などを廣濟寺の末寺・塔頭として確認し、今後は本寺の統轄に従わせ、別文書を用いたり所領を違乱した者は照久の子孫と認めないと定めた証状。

  4. 前編2-No.1293 伊集院照久書状

    伊集院照久が廣濟寺の新衲へ、妙圓寺の使節から伝えられた意向は承知したと述べ、山王一祓訪への寄進をめぐる件について速やかに知行を申し出るよう求め、満家にも事情を伝えるとした書状。

  5. 前編2-No.1294 伊集院照久書状

    伊集院照久が廣濟寺侍者へ、圓福寺の件は概ね意向に従うが、忠書記と春藏主の二人に命じる案には賛成できず、忠書記だけを任じれば春藏主の恨みを招くため、別の判断を求めると内々に伝えた書状。

  6. 前編2-No.1295 伊集院照久書状

    伊集院照久が廣濟寺へ、東堂の存命中は寺務について堪忍し、東堂の一期の後は順職の筋に従って寺家のことを相談するよう伝え、詳細は面会時に述べるとした書状。

  7. 前編2-No.1296 島津持久安堵状

    島津持久が梶山殿へ、日向国北郷の島津井、大隅国および薩摩国魔島・知覧内の各買得地について異議がないことを認め、先例に任せて知行するよう命じた安堵状。

  8. 前編2-No.1297 感応寺太叔尚祐証状

    感應寺八世住持太叔尚祐が、先年交換した田と池について、寺家にとって寸土も大切であるため衆評によって田地を寺へ返し、従来どおり知行させると証した文書。

  9. 前編2-No.1298 伊東祐堯契状

    伊東祐堯が一味の衆と、政情が変化しても互いの大事を自分の大事として助け、武力対立や島津氏兄弟の和睦時にも協議し、密かな交渉や相互の城への忍び入りを禁じ、讒言があれば包み隠さず確認し、子孫まで水魚の交わりを守ると神々に誓った契状。

  10. 前編2-No.1299 野辺盛吉契状

    野辺盛吉が一味の衆と、世上が変転しても相互に助け合い、武力対立や島津氏兄弟の和睦時にも協議し、密かな交渉・城への忍び入りを禁じ、讒言を残さず確認して子孫まで水魚の結束を守ると神々に誓った契状。

  11. 前編2-No.1300 高木殖家契状

    高木殖家が一味の衆と、政情が変化しても互いに助力し、争い・和睦の際は協議して独断や密かな交渉をせず、相互の城への忍び入りを禁じ、讒言を包み隠さず確認し、子孫まで水魚の交わりを守ると神々に誓った契状。

  12. 前編2-No.1301 阿多郡熊野上宮再興棟札

    薩州阿多郡熊野上宮の神祠再興棟札。本願大檀那を島津忠国、助成施主を四箇所地頭の藤原友久・藤原忠持と記す。

  13. 前編2-No.1302 西藩野史

    文安年間以降の島津氏をめぐる軍事・政治動向を記す。本田重恒が税所氏の援助を得て姫木方面で島津忠国と争った戦闘、忠国方の反撃と敵将の敗走、伊集院照久らの動向、島津家の家督継承、応仁の乱と細川勝元・山名宗全、足利義尚の将軍就任などを年代順に叙述する記事。

  14. 前編2-No.1303 島津国史

    島津忠国の時代について、文安二年の盟書下賜と琉球王尚思達の即位、翌年以降の新納・頴娃・肝付・島津久連らの盟約、樺山孝久へ二心なく協力して軍事に従うよう求めた盟書などを記す国史記事。

  15. 前編2-No.1304 和田正存契状

    和田正存が樺山殿へ、弓箭の義理や大小の用事は必ず相談し、巷説があれば発言者を相互に確認し、心底を隠さず、世上が変転しても樺山方を滅ぼす企てに加わらないと神々に誓った契状。

  16. 前編2-No.1305 伊東六郎四郎契状

    伊東六郎四郎が樺山殿と、以前の約定を守り、弓箭の義理や争いは互いに相談して独断せず、双方の所領を企てに用いず、世上が変転しても無二の結束を保つと神々に誓った重契約。

  17. 前編2-No.1306 島津忠国契状

    島津忠国が祢寝重永に対し、天下が変転しても一味同心となり、和睦・凶事・公事には時宜に従って協力し、蜂起の際はいっそう頼みとすることなどを神々に誓った契状。

  18. 前編2-No.1307 藤原久景寄進状

    藤原久景が、義天の志を受け、薩摩国給黎院奴久見内の塩屋一所を賢忠寺へ寄進し、万雑公事・諸役を停止した。後世に違背する者は久景の子孫と認めないと定めた寄進状。

  19. 前編2-No.1308 犬追物手組

    文安三年二月に行われた犬追物の手組を記し、各組の射手・配置と検見役などを列挙する。陸奥守を中心に、島津・本田・村田・伴・祢寝・新納・肝付らが参加した。

  20. 前編2-No.1309 伴兼忠等連署契状

    伴兼忠・右馬助重清・修理亮忠治らが連署し、天下が変転しても一味同心に奥州方へ奉仕し、合戦・和談・凶事の際は心底を隠さず相談して協力すると神々に誓った契状。

  21. 前編2-No.1310 樺山孝久契状

    樺山孝久が新納忠治・祢寝重清・肝付兼忠らへ、天下が変転しても一味同心に奥州方へ奉仕し、合戦・和談・凶事の際は心底を隠さず相談して協力すると神々に誓った契状の案文。

  22. 前編2-No.1311 島津忠国契状

    島津忠国が樺山孝久へ、天下が変転しても同心し、和談や凶事には時宜に従って協力し、今後は理非に任せて二心なく頼み合うと神々に誓った契状。

  23. 前編2-No.1312 神重兼寄進状

    神重兼が、亡父道光禅門の毎年九月十三日の忌日供養のため、曾小河内の敷称上檀行平田代一貫五百文を本文書とともに梶殿寺へ寄進した。本主が請け返す場合は本物四貫文などで代替地を求め、子孫も寄進の趣旨を守るよう定めた。

  24. 前編2-No.1313 源義清譲状

    源義清が孫千代房丸へ、薩摩国満家院内の比志嶋・河田・西俣・前田・上原薗の五か所に関する惣領職と、代々の手継状・調度文書を残らず譲渡し、先例どおり知行するよう定めた譲状。

  25. 前編2-No.1314 壱岐加賀自記

    『壱岐加賀自記』に、三俣領主の高木氏が文安四年に没落したと記されていることを伝える短い記事。

  26. 前編2-No.1315 前遠江守康令譲状

    前遠江守康令が、宮内五代内の三町五か所、薩摩郡内の四町五反、くきもと一町内の浮免五反・平田一町などを定め、熊少に志分を譲り、その後は一人だけが神領を相続するよう命じ、違背者を子孫と認めないとした譲状。

  27. 前編2-No.1316 道性所領注文

    道性が六郎衛門へ、へき雲寺代官職の給分足、田畠、前田一鶴の上下、各所の田地・島・屋敷などを列挙して永代相続させ、光兼とともに署判した所領注文。

  28. 前編2-No.1317 島津国史

    文安五年を中心に、三俣院での和田正存との盟約、高木氏に関する動向、税所介らの謀、本田重経、谷山城の島津用久、新納忠臣らの動静を記した記事。

  29. 前編2-No.1318 足利将軍家御教書

    南禅寺住持職について、先例に任せて執務するよう大叔和尚へ命じた足利将軍家御教書。右京大夫の判について細川勝元との注記がある。

  30. 前編2-No.1319 中漸等奉加状

    大叔和尚の入寺に際する奉加銭五貫文を納めたことを記し、修造納所中漸、却来都寺梵舜、都聞中竺、却来首座梵著、西堂聖慶が署判した奉加状。

  31. 前編2-No.1320 伊佐智佐権現坪付

    谷山和田内の伊佐智佐権現領について、霜月二十日の祭田などの坪付と神主分を記し、むらた経房・柏原永好・伊地知久安が署判した文書。

  32. 前編2-No.1321 伊佐智佐権現坪付

    谷山和田内の伊佐智佐神領について、霜月二十日の祭田二段二十と八月彼岸の祭田二段を記し、むらた経房・柏原永好・伊地知久安が署判した坪付。

  33. 前編2-No.1322 島津忠国書状

    島津忠国書状として掲げられ、正文は帖佐衆富山清右衛門義清の所蔵とされる。本文は『一二三九号文書ト同文』として省略されているため、本箇所から内容を確定できない。

  34. 前編2-No.1323 持家譲状

    持家が薩摩国山門院三百五十町のうち、先々高小野分を亀太郎丸へ譲り、末代まで相違がないよう定めて能登守へ進めた譲状。

  35. 前編2-No.1324 平家教譲状

    平家教が亀太郎丸へ、横峰村・くきさこ・芝引・しもたかう・上原などの所領と屋敷を列挙して末代の財所として譲った譲状。

  36. 前編2-No.1325 某譲状

    発給者不明の人物が子息彦六へ、薩摩国山門院東方の田畠・屋敷を譲る案文。高橋里・高小野里などの田地面積と屋敷の四至を列挙する。

  37. 前編2-No.1326 景安質券

    景安が、所内の蔵の園と当官の屋敷を本物返しの質券として代銭五貫文に定め、小河湊の当住のもとへ置いた。年紀を三か年とし、請け戻しの条件を定めた質券。

  38. 前編2-No.1327 島津好久書状

    島津好久が樺山殿へ、久しく無音となったことを詫び、伊集院へ赴いた兄や来る二十六日の当地での動向に触れ、事情を知らせて返事を求めた書状。年号には後世の注記がある。

  39. 前編2-No.1328 島津国史

    宝徳元年の改元、足利義政の征夷大将軍就任、琉球王尚思達の死去を同年記事として記す。領国内では伊集院熙久と石谷高久の争いが起こり、幕府は内裏造営費として薩摩・大隅・日向三国へ段銭を課した。島津忠国が徴収・負担に対応した経過を述べ、中央・琉球・三州情勢を対照する。

  40. 前編2-No.1329 殉国名薮

    『殉国名薮』から、町田家十一世の石谷出羽守高久が伊集院熙久に攻められて妙圓寺前で戦死したことと、村田美河守経近が薩摩出水で戦死したことを記す。

  41. 前編2-No.1330 年代記

    『年代記』に、宝徳二年庚午、貴久を忠国と改めたと記されていることを伝える短い記事。

  42. 前編2-No.1331 年代記

    年代記および伊集院系図に、同年二月十四日、伊集院熙久を伊集院で退治したと記されていることを伝える短い記事。

  43. 前編2-No.1332 島津忠国譜

    島津忠国の長女を妻とする伊集院大隅守熙久が陰謀を企てたため、宝徳二年二月二十四日に伊集院城を攻められ、肥後国へ逃れたと記す。

  44. 前編2-No.1333 足利将軍家御教書

    内裏料として大隅・薩摩・日向三か国に課した段銭が未進であるため、早急に徴収して進納するよう島津忠国へ命じた足利将軍家御教書。

  45. 前編2-No.1334 島津忠国安堵状

    島津忠国が羽嶋豊後守に対し、羽嶋その他の諸所の知行地に相違がないことを認め、先例どおり領掌するよう安堵した。

  46. 前編2-No.1335 足利将軍家御教書

    天龍寺造営のため、渡唐船に関わる碇磧の収益を徴収・進納し、天龍寺以外の者による関与を厳しく禁制するよう島津忠国へ命じた足利将軍家御教書。

  47. 前編2-No.1336 牛屎院内光吉水田坪付

    牛屎院内光吉の水田について、せとくち門・三反井・小山下・山下のならひなど各所の面積を列挙し、合計を示した坪付。村田経房・大寺光貴・町田胤久が署判した。

  48. 前編2-No.1337 島津忠国書状

    島津忠国が和田殿へ、重ねて届いた詳しい知らせを喜び、敵方が損害を受けたことを踏まえ、陣を堅固に保てばさらに利を得られるとして、情勢を連日報告するよう求めた書状。

  49. 前編2-No.1338 島津忠国書状

    島津忠国が和田殿へ、落人の処置と焼山への布陣を相談し、相手方の奔走を喜ぶ一方、三俣辺の警戒に遺漏がないよう申し付け、情勢を連日知らせるよう求めた書状。

  50. 前編2-No.1339 島津忠国書状

    島津忠国が、姫木城へ登る途中の石原口で敵軍と交戦して勝利し、今城・税所の両城付近まで攻め込んだ戦況を報告した。本田重経・河俣孫太郎らが敵の首を取り、中間数十人を討ったと記す。

  51. 前編2-No.1340 本田重恒譜

    『本田重恒譜』に、文安五年十二月二十九日、税所氏らと清水で戦い、本田重恒が石原口で国親に討たれたことと、その法名を義翁忠公とすることを記す。

  52. 前編2-No.1341 本田国親書状

    本田国親が最勝寺俊道へ、伊東・北原勢との戦況を報告した書状。敵が敷根・上井へ侵攻し、山崎付近で合戦となったが、島津忠国方が勝利して多数の首を得たと伝える。あわせて所領確認に必要な水田坪付を持参して鹿児島へ参上し、忠国の御判を受けるよう命じ、軍事報告と土地手続きを結び付ける。

  53. 前編2-No.1342 島津忠国安堵状

    島津忠国が羽嶋豊後守に対し、羽嶋その他の諸所の知行地に相違がないことを認め、先例どおり領掌するよう安堵した文書。No.1334と同文。

  54. 前編2-No.1343 藤原久親寄進状

    藤原久親が祈祷のため、高城郡本萬徳内の水田九町一反分を八幡大菩薩の御宝前へ寄進した寄進状。

  55. 前編2-No.1344 島津国史

    宝徳三年から享徳年間の出来事を年代順に記す国史記事。島津忠国・北郷持久らが関わる犬追物、享徳元年の改元、足利義政期の幕府・北郷氏の動向を掲げ、琉球王尚金福の死去と王位継承にも触れて、領国内儀礼と東アジア情勢を同じ年次に置く。

  56. 前編2-No.1345 足利義政代幕府重職注文

    足利義政(慈照院殿)の時代の幕府役職と担当者を一覧化した注文。細川勝元ら管領、斯波義敏ら武衛、畠山義就ら右武衛をはじめ、三職・四職、供衆、外様衆、御部屋衆、同朋衆を区分して列記し、将軍家を支えた奉公衆・近習層の職制と構成を示す。

  57. 前編2-No.1346 犬追物手組

    宝徳三年九月八日の犬追物について、島津忠国以下の参加者を組別に配し、それぞれの定数を記した手組。

  58. 前編2-No.1347 伊作多宝寺鐘銘

    薩摩国伊作庄の多宝寺で、妙見大菩薩の宝前に鐘一口を鋳造・奉懸した由緒と願意、願主・関係者を記した鐘銘。正朝・外朝の繁昌や諸願成就を祈る。

  59. 前編2-No.1348 犬追物手組

    宝徳四年五月十四日の犬追物について、島津氏・鹿屋氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。

  60. 前編2-No.1349 島津忠国宛行状

    島津忠国が北郷持久へ、豊州飲肥福嶋への移動に伴って召し移された美作守の本地日置八十町に代え、宮之浦ほか九十五町を合わせた百十町の替地を申請して受けるよう命じた宛行状。

  61. 前編2-No.1350 島津氏重書目録

    藤野氏蔵本に収められた島津家伝来文書の目録。源頼朝の御状・下文、畠山重忠自筆状、足利将軍家の御教書、歴代の譲状・置文・綸旨などを文書種別と通数ごとに整理し、鎌倉以来の島津氏の所領権・家督継承を裏付ける文書群を示す。

  62. 前編2-No.1351 北郷持久譜

    北郷持久が島津忠国の命により享徳二年四月二十九日に三俣高城へ移り十二年間居住し、寛正六年六月二十九日に子の敏久とともに高城を去って安永古江村薩摩迫へ移った経緯を記す。

  63. 前編2-No.1352 島津忠国安堵状

    島津忠国が祢寝重永に対し、大隅国祢寝の当知行を先例どおり領掌し、相違がないよう安堵した文書。

  64. 前編2-No.1353 大寺彦左衛門施行状

    大寺彦左衛門が島津忠国の命を受け、三俣院南方内の上さり河という所と、とび松うたを宛行う旨を伝えた施行状。

  65. 前編2-No.1354 島津国史

    享徳三年の犬追物、享徳四年・康正元年への改元前後の出来事、琉球王尚泰久の即位などを年代順に記した『島津国史』の記事。

  66. 前編2-No.1355 犬追物手組

    享徳三年九月二十日の犬追物について、島津氏・肝付氏・餅原氏らの参加者を組別に配した手組。

  67. 前編2-No.1356 犬追物手組

    享徳三年九月二十三日の犬追物について、島津氏・肝付氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。

  68. 前編2-No.1357 在家人々寄進状

    在家人々が大隅国臺明寺山王の御宝前へ銭六貫文と湯田・土器田を寄進し、守護代本田国親の関与にも触れて相違のない旨を記した寄進状。

  69. 前編2-No.1358 足利将軍家御教書

    島津忠国に謀叛の企てがあるとして治罰を加えたことを述べ、島津祐真に合力して忠国を討ち、戦功に応じた恩賞を与える旨を和田殿へ伝えた足利将軍家御教書。

  70. 前編2-No.1359 島津忠国書状

    島津忠国が南慶和尚へ、湯治のため訪れたが留守で面会できなかったこと、一万部経を在所で読誦する予定や新蔵主に用意させたい品について伝え、来訪を促した書状。

  71. 前編2-No.1360 島津忠国譜

    島津忠国譜から、康正二年二月に法華経一万部を読誦し、同年七月に大般若経を読誦して、いずれも忠国が願主となったことを記す。

  72. 前編2-No.1361 犬追物手組

    康正二年三月八日の犬追物について、島津氏・市来氏・肝付氏らの参加者を組別に配し、各人の定数を記した手組。

  73. 前編2-No.1362 島津忠国書状

    島津忠国が南渓和尚へ、面会できたことを喜び、祈祷のため大般若経を読誦したいとして百巻を依頼し、残りは他方へ頼むことや願文を当地で認めることを伝えた書状。

  74. 前編2-No.1363 島津忠長宛行状

    島津忠長が二階堂殿に対し、薩摩国田布施の所領について先例に任せて沙汰するよう命じた宛行状。

  75. 前編2-No.1364 文明記

    長禄二年以降の合戦について、東郷城・玉利城・加治木・蒲生など各地での勝敗、攻城や太刀打ちの有無を列挙した『文明記』の記事。

  76. 前編2-No.1365 島津国史

    島津忠国が新納忠続を日向国飫肥へ置いて伊東氏に備えさせ、仁院領を従前どおりとしたことや、季久の帖佐領有・平山城をめぐる動向などを記す『島津国史』の記事。

  77. 前編2-No.1366 本田国親吉書

    本田国親が、神社仏寺の興行、勧農、大犯三箇条の執行、入部先の所領など五箇条について沙汰すべきことを定めた吉書。

  78. 前編2-No.1367 本田国親書状

    本田国親が新年の吉兆を祝し、十五日に恒例どおり勤仕する行事について助成を求めた書状。

  79. 前編2-No.1368 阿久根波留村諏訪明神鏡背銘

    阿久根波留村の上下諏訪大明神両殿に納めた扇形の鏡について、信心の大願主平兼次の息災延命と子孫繁昌を祈る願意を記した鏡背銘。

  80. 前編2-No.1369 伊作島津大安丸譜

    伊作島津大安丸が伊集院諏訪祭祀の頭人を務め、祭礼後の長禄二年十二月四日に十六歳で死去し、法号を良山道賢としたことを記す。

  81. 前編2-No.1370 琉球国王書状

    琉球国王が厚い祝意と贈物への謝意を述べ、段子八疋などの品を贈って、山川のように変わらぬ友好と国の長久を願った書状。

  82. 前編2-No.1371 島津国史

    長禄三年春、帖佐平山氏が起こした反乱を島津立久が鎮圧した経過を記す。父忠国(大岳公)の時代背景を述べ、立久が比志島義重らへ討伐を命じ、周辺武士を動員して攻撃した。平山氏と関係諸氏の系譜注記も加え、反乱の位置付けを示す。

  83. 前編2-No.1372 鎌田氏政寄進状

    鎌田氏政・政秀が、社家満徳殿から鎌田性海が買得した畠について、本田国親の欠所処分と九郎二郎の安堵を経た由緒を記し、母の後生善処のため楞厳寺へ寄進した寄進状。

  84. 前編2-No.1373 島津用久譜

    島津用久譜から、本田殿の内に居住していた事情について、後日の証文とするため鎌田政秀が判を加えたことを記す短い記事。

  85. 前編2-No.1374 大島有久譜

    大島有久の出自と所領を記し、島津久豊の四男で伊集院頼久の娘を母とすること、日向庄内梅北・大隅姫城・帖佐田中門などを領し、長禄三年七月三日の三俣合戦で戦死したことを述べる。

  86. 前編2-No.1375 殉国名藪

    長禄三年七月三日の日向三俣小山での合戦について、島津忠国が和田・高木勢を討った際、新納忠臣・大崎忠秀・大島有久らが戦死したことを記す『殉国名藪』の記事。

  87. 前編2-No.1376 某安堵状

    発給者名の記載がない人物が、野邊刑部大輔入道に対し、先知行所であることにより悉く改補し、本領を領掌することに相違がない旨を認めた安堵状。本文中の法名らしき部分は判読が安定しないため採用せず、明瞭な肩書のみを記録した。

  88. 前編2-No.1377 細川勝元書状

    細川勝元が野辺刑部大輔へ、唐鳥井に関する希望への配慮を求め、国のことは大友氏と相談するよう勧め、詳しくは真鍋太郎左衛門尉から伝えるとした書状。

  89. 前編2-No.1378 伊集院照久寄進状

    伊集院照久が冠嶽権現へ、薩摩国伊集院大田内の一町と栗毛馬一疋を寄進し、敵悉退治と本願成就を祈った寄進状。

  90. 前編2-No.1379 島津立久寄進状

    安養院所蔵の島津立久寄進状。本文はNo.2385と同文であるため省略されており、巻末目録の年月日・標題に基づいて独立文書として保持する。

  91. 前編2-No.1380 島津立久譜

    島津立久と父忠国の不和について、対立は立久一人の行為ではないとする主張を収めた譜記事。守護職・所領の継承、島津用久をめぐる一族事情を説明し、立久が比志島立頼を烏帽子親として加冠・元服した経緯も記す。家督争いの弁明と成人儀礼を通じ、立久の政治的立場を示す。

  92. 前編2-No.1381 島津立久書状

    島津立久が貴嶋殿へ、高城・小城・中城の敵情と残る城の処置に触れ、翌日以後の戦いで油断せず、夜の勢いを維持して働くよう求めた書状。

  93. 前編2-No.1382 島津立久加冠状

    島津立久の加冠に関する文書。正文は比志島左京義時所蔵とされ、立久公御譜中にも収録される。

  94. 前編2-No.1383 島津国史

    寛正元年以後の出来事を年代順にまとめる国史記事。改元と琉球王尚徳の即位、島津庄薩摩方の火災、永利・山田城をめぐる軍事動向、市来久家の帰参を記し、島津立久による龍雲寺などの寺院建立も掲げて、戦乱・災害と復興を一連に示す。

  95. 前編2-No.1384 沙弥浄仁譲状

    沙弥浄仁が五郎二郎に、薩摩国宮里郷下二郎丸名内の田畠・屋敷などを永代譲渡し、所領の境界と公事負担を列挙した譲状。

  96. 前編2-No.1385 島津立久寄進状

    島津立久が讃方上下大明神の御燈油料として、薩摩国別府村河俣名内高倉門の田八段余を寄進し、上皇・国主の繁栄と武運長久などを祈った寄進状。

  97. 前編2-No.1386 正八幡宮寺家政所下文

    正八幡宮寺家政所が法橋永万を権執印職に補任し、職務を執行するよう命じた下文。

  98. 前編2-No.1387 河辺郡あらとの門水田坪付注文

    薩摩国河辺郡あらとの門の水田について、ふる竹・みやした・本中かわら・かと田・かしわ木・小山田などの所在地と面積を列挙した坪付注文。

  99. 前編2-No.1388 河辺郡あらとの門水田坪付注

    河辺郡あらとの門の水田について、つぼけ・なる竹・みやした・本中かわら・かと田・小山田など各所の面積を列挙した別の坪付。

  100. 前編2-No.1389 河辺之内坪付

    薩摩国河辺郡内のあらとの門・かわらの門・からとのつしの門などについて、町・反単位の田地面積を列挙した坪付。