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後編6の目録
旧記雑録 寛永16年~寛永21年の文書・記事です。
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後編6-No.200 島津氏家臣某覚書
島津家臣某が、若君竹千代(後の徳川家綱)誕生に伴う江戸城での祝儀・参賀の次第を記した覚書。諸大名への祝言の申し渡し、太刀持参と登城・着座の作法、九日夜の大納言・中納言・大僧正らを交えた酒宴、若君や諸大名衆への饗応、十一日の使者参上など、数日にわたる儀礼と席次を列記する。本文末に寛永十八年八月十一日と…
後編6-No.201 喜入忠続譜
喜入忠続譜の記事。寛永十八年八月三日に将軍家の若君家綱が誕生したため、忠続が祝賀の使節となり、九月に江戸へ赴いて将軍の聞こし召すところへ慶賀を申し上げたことを記す。
後編6-No.202 殉国名藪
『殉国名藪』の記事。寛永十八年八月十五日、富山助兵衛が島津右衛門尉彰久室の死に後を追って殉死したことを記す。彰久室は島津義久の二女で、新城君と称したとの傍注がある。
後編6-No.203 島津彰久室譜
島津彰久室の譜記事。島津義久の二女で新城君と称し、永禄六年六月十六日に種子島左近大夫時堯の娘を母として生まれた。寛永十八年八月十五日に新城で死去し、享年七十九、法号を珠月浄珊庵主としたことを記す。
後編6-No.204 島津光久書状
島津光久が、若君竹千代誕生の祝儀として幕府老中衆を私宅へ招く旨を申し入れ、翌月十八日朝に来訪するとの返事を得たため、宛所の者にも同じ時刻に出席してほしいと依頼した書状。本文の宛所は「稲[欠損]人々御中」で、欠損箇所に編者注「(葉カ)」が付されるため「稲葉」と推定されるが、原文は欠損しており完全な宛名…
後編6-No.205 川上久国口上覚
川上因幡守久国が島津家重臣へ、幕府による島津家系図の調査・書写の経過を報告した口上覚。太田備中守へ系図を提出したところ、古文書は家の重宝であるため写本を差し出すよう命じられ、林道春らが北条時政・大江広元の筆跡や島津忠久の系譜を検討したこと、近代部分を詳しく追記する必要があることを伝える。黒田六郎右衛…
後編6-No.206 島津光久譜
島津光久譜の記事。寛永十八年八月、長野金山で掘り出された砂金千両を幕府へ献上したことを記す。
後編6-No.207 松平信綱・阿倍忠秋連署書状
松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋が島津光久へ、領内で金山が見つかり採掘したところ金が産出する見込みであるとの報告と、砂金千両の献上を受けて将軍へ披露したことを伝えた連署書状。今後も変わらず鉱山が繁栄するかは予測できないとの光久の説明も了承したとしている。
後編6-No.208 徳川家光御内書
徳川家光が薩摩侍従島津光久へ、重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは土井大炊頭利勝から伝えるとした御内書。
後編6-No.209 松平信綱・阿倍忠秋連署奉書
松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋が島津光久へ、若君竹千代誕生の祝儀として派遣された使者と、目録どおりの進上品を将軍へ披露したことを伝えた連署奉書。念の入った対応を将軍が上機嫌に受け止めたため、その旨を伝達するとしている。
後編6-No.210 拝領馬注文
島津家が幕府や大御所から拝領した馬について、毛色・馬名・拝領時期と、その後の進上先・配分先を列記した注文。黒栗毛・鹿毛・栗毛・星鹿毛などの馬を、吉野・福山野・伊作野・加治木・下野守・北郷山城守らへ渡した経過や、江戸・国元での拝領、将軍家への進上を記す。末尾に九月九日とあり、一度限りの御馬拝領に関する…
後編6-No.211 松平信綱・阿倍忠秋連署書状
松平伊豆守信綱と阿部豊後守忠秋が島津光久へ、日光山の将軍廟塔が無事に完成したことを国元へ伝え、光久が重ねて喜んで樽肴を献じた件を将軍へ披露したと通知した連署書状。念の入った対応を将軍が上機嫌に受け止めたとしている。
後編6-No.212 島津久達等連署差出
島原・天草一揆への出兵人数を集計した連署差出。寛永十五年正月朔日までに天草へ渡った人数を、二千六百十九人と雑兵三千百十二人、合計五千七百三十一人と記し、寛永十八年九月二十八日付で島津家の重臣らが連署している。
後編6-No.213 山田有栄覚書
山田有栄が島原・天草一揆に際する薩摩勢の行動を時系列で記した覚書。新納加賀守らが三百人で獅子島へ渡って肥後境の下知を待ったこと、板倉内膳正重昌・石谷十蔵への使者として松橋・三角を経て有馬へ赴いたこと、正月十四日に薩摩勢が天草へ渡ったことを記す。有栄自身も松平伊豆守信綱・戸田左門氏鉄への使者として有馬…
後編6-No.214 伊集院忠貞書状
伊集院三右衛門尉忠貞が寺師半右衛門へ、互いの無事を喜び、自身が前年以来江戸に滞在し、この秋に供をして国元へ下ったことを伝えた書状。長く対面できないことと便りを怠ったことを詫び、江戸にいる村上本助夫妻が無事に奉公していることを知らせる。あわせて新納加賀守への無沙汰について取り成しを頼み、貞左衛門にも事…
後編6-No.215 島津久慶書状
島津弾正久慶が、御文書改めに伴い、普光院御所から琉球を給わった件に関する文書一箱を、伊勢兵部貞昌の上包書付のまま受領したことを伝えた書状。あわせて昇進に関する徳川秀忠の御内書一通も受け取り、後日御納戸へ収納する際にこの受取書を返すよう求めている。
後編6-No.216 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が島津光久へ、若君竹千代誕生の知らせを受けて光久が重ねて祝意を示し、江戸へ参府して祝儀を申し上げたいと願った件を伝えた連署書状。上意を測りがたいため使者を派遣したところ、将軍は念の入った対応を喜び、光久自身の参府には及ばないと命じたとして、詳細は使者から聞くよう述べている…
後編6-No.217 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が島津光久へ、将軍家光と若君竹千代の機嫌を尋ねるため使者を派遣し、樽肴を献じた件を将軍へ披露したと通知した連署書状。念の入った対応に将軍が満足したため、詳しくは使者が説明するとしている。
後編6-No.218 島津久慶書状
島津久慶が新納仲左衛門へ、送られた書状・書立を夜に灯火のもとで読み、これまで知らなかった事柄が判明して疑念が晴れたことを伝えた書状。近年の文書の造成や人物・屋敷拝領の由緒について慎重に検討し、野州老・秘書老にも示したこと、使者が上るため清書へ追記したことを述べる。さらに島津忠恒が家久と名乗るようにな…
後編6-No.219 島津久慶外四名連署書状
島津久慶・山田有栄・鎌田正統・頴娃久政・島津久元が寺師半右衛門へ、大口の役人・衆中が手薄で用務に支障があるとの新納加賀守の申し出を受け、寺師に関係する役務・公役の扱いを調整し、当地の衆中のため万事念を入れて勤めるよう求めた連署書状。本文注は、島津忠恒が慶長十一年に徳川家康から『家』字を与えられ家久と…
後編6-No.220 佐多門弥外十一名連署起請文
佐多門弥ら十二名が、召し出された際には命令に従い、内密の事柄を漏らさず、徒党や企てに与せず、不正を知れば申し上げ、親類・縁者をえこひいきしないことなどを誓った連署起請文。違背した場合には梵天・帝釈、国内諸神、熊野権現ほか多数の神仏の罰を受けるとする。
後編6-No.221 種子島時寿起請文
種子島時寿が島津光久に対し、忠実に奉公して出仕・勤役を怠らず、命令に従い、退けられた場合にも事情を明らかにし、忠節を欠く者を親兄弟であっても隠さず申し上げることなどを誓った起請文。末尾に多数の神仏を列挙し、違背すれば神罰を受けるとしている。
後編6-No.222 島津光久書状
島津光久が新納久詮へ、川上久国にも書状を一覧させ、以前に書面で申し置いた筋目に従って諸事を遠慮なく指図し、その内容を久国にも知らせるよう命じた書状。現地や本人の無事を問い、不明な事柄は久国と相談して処理し、油断なく勤めるよう求めている。
後編6-No.223 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、幕府上使として水野甲斐守が下向するとの情報を東郷加兵衛に調べさせ、確報があれば早飛脚で知らせること、翌年の島津光久の参府時期について阿部忠秋・阿部重次へ届け出たことを報告した連署書状。さらに金山の稼行と産金の調査、江戸への金の輸送、系図細書の閲覧と道春への進物、若…
後編6-No.224 入来院重国起請文
入来院重国が島津光久に対し、世上が変動しても別心なく忠節を尽くし、親類・縁者に逆心があれば隠さず、国内外から光久に害をなす企てを持ちかけられても同心せず言上し、内密を他言せず、自身に関する訴えには真実を申し上げることを誓った起請文。多数の神仏を列挙して違背時の神罰を誓い、町田新兵衛宛てに差し出してい…
後編6-No.225 林羅山書状
本文はNo.292と同文のため省略されている。No.292の本文によれば、林羅山が島津光久へ、島津家使者が持参した系図一巻と覚書を検討して依頼に沿う加筆草案を作成したと伝え、光久の家督相続を祝い、緞子五巻・なし物一壺・琉球酒一壺の贈答に礼を述べた書状である。No.225は「寛永十八年」十二月十六日、…
後編6-No.226 島津久雄書状
本文注記は「No.275の文書と同文のため省略」とするが、No.275は寛永十九年八月十三日付の南蛮人捕獲・尋問に関する島津久通外二名連署書状であり、本書状とは一致しない。標題・日付・発給者が一致する実質的な参照先はNo.175である。No.175の本文によれば、島津久雄が下野守へ、将軍徳川家光の命…
後編6-No.227 土井利勝書状
土井利勝が島津光久へ、薩摩の金山が怠りなく稼行しているとの報告を受け、八月から十月まで厳重な仕置を行って目録を提出し、公儀からの仕置を求めて老中へ申し入れた件を了承したと伝えた書状。あわせて国元から贈られた壺箱に謝意を示し、遠路から毎度心を配ることへの礼を述べている。
後編6-No.228 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、若君の疱瘡平癒と諸大名からの祝儀、松平信綱への伺い、光久の参府時期、金山の産金・保管と幕府側への相談、九州巡回上使への対応を報告した連署書状。さらに関蔵人からの書立、国絵図の郡分け・道筋の調査、来春の上洛に関する見通し、道春への書状・進物、系図細書、贈答品など、多…
後編6-No.229 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、土井利勝・堀田正盛からの書状、道春からの返札、阿部忠秋の用向き、喜入摂津守を通じて照会した翌春の参府時期とその返答を報告した連署書状。さらに阿部忠秋から命じられた防船(かりうた)・勢楼船の用意と大鉄砲の新鋳について、井上政重へ相談する予定であったが筑後へ召し出され…
後編6-No.230 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、九州巡回上使の松田善右衛門・蒔田数馬・曽川喜左衛門を迎えるため、国絵図を持参して経路や宿所を協議した結果を報告した連署書状。上使は江戸を正月二十三日に出立し、細島・佐土原・飫肥・志布志・肝付・根占・佐多・種子島・屋久島・永良部島・山川などを巡る見込みで、渡海船・水…
後編6-No.231 徳川家光御内書
徳川家光が島津光久へ、歳暮の祝儀として小袖十領が到来したことを喜び、詳しくは土井大炊頭(土井利勝)から伝えるとした御内書。寛永十八年十二月二十七日付で黒印を据え、薩摩侍従宛てに発給した。
後編6-No.232 島津光久吉書
島津光久が年頭の吉書として、神社・仏閣の修理興行、農事の奨励、年貢納入の励行を三か条で示し、その趣旨に従って沙汰するよう命じたもの。
後編6-No.233 島津光久譜
島津光久譜の記事。光久が長野金山を公領に差し出したいと願ったため、松平信綱が江戸城で川上久国・新納久詮を召し、酒井忠勝・阿部忠秋・阿部重次ら列座のもと、その忠節を賞したことを記す。ただし直ちに公領とはせず、その年中は光久に採掘させ、期限後は改めて幕府の指図を仰ぐよう命じた。
後編6-No.234 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元の重臣らへ、長野金山を公領に差し出す願いについて、江戸城で松平信綱・酒井忠勝・阿部忠秋・阿部重次らから忠節を賞され、その年は従来どおり採掘し、翌年以降は改めて指図を受けることになったと報告した連署書状。永続的な拝領ではないため、当年の利潤を借銀返済に充てるよう勧め、系図の扱い…
後編6-No.235 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が島津光久へ、長野金山を幕府へ差し出したいとの申し出と使者の説明を将軍へ披露したところ、金山の繁栄は領内の繁昌につながるため、当年は光久が従来どおり仕置して採掘するよう上意があったと伝えた連署奉書。詳しくは使者に申し含めたとしている。
後編6-No.236 島津氏掟書
島津氏の家中統制に関する掟書。家老・諸役人への用件は従来定めた取次を通し、与力・筆者・縁者から直接申し入れることを禁じる。正月礼に際して百姓を私的に使役することを止め、親兄弟への礼は三が日後に行うこと、葬礼では遺骸を長く留めず身分相応に速やかに寺へ送り、過度な道具や儀式を避けることなどを定める。
後編6-No.237 島津光久袖判条書
島津光久が家中の職分運営について定めた袖判条書。職分・物定の吟味と談合を担当する頭取二、三人を選び、諸役人へ渡す書物には頭取が判形を据えること、職分帳・条書を扱う担当者を置くことを命じる。役務・奉行・兵具・褒賞などの案件は必要な人数を招集して吟味し、決定事項を記録し、難しい案件は複数の適任者で相談し…
後編6-No.238 救仁郷朝次起請文前書
救仁郷朝次が島津光久に対し、別心なく奉公し、上意に二心なく従い、光久に悪意を抱く山伏などを見聞きした場合には隠さず申し上げることを誓った起請文前書。梵天・帝釈、熊野・八幡・春日・天満天神ほか多数の神仏を列挙し、違背した場合には神罰を受けるとしている。
後編6-No.239 島津光久譜
島津光久譜の記事。寛永十九年正月二十六日、光久が参勤のため鹿児島城を発し、西方の海路を進んだことを記す。家老の頴娃久政と旅家老の島津久通が海路に随行した。
後編6-No.240 川上久国・新納久詮連署書状
本文はNo.279と同文のため省略されている。No.279の新納氏古日記本文を再照合し、重陽の祝儀として将軍へ呉服五つ、若君へ呉服三つを進上し、新納刑部大輔が使者を務めた内容と確認した。A~D列は修正版インデックスの川上久国・新納久詮連署書状を保持する。
後編6-No.241 島津久元外二名連署引付
島津久元・山田有栄・頴娃久政が五代仲兵衛尉・三原五郎兵衛尉へ、高二百石を知行および御使役分として与え、両人で支配するよう命じた連署引付。寛永十九年正月二十八日付で、久元が印を据えている。
後編6-No.242 伊東祐正起請文
伊東祐正が島津光久に対し、悪心を抱かず別心なく奉公し、自身らの存命中は二世にわたり仕えることを誓った起請文。梵天・帝釈、熊野・八幡・春日・天満天神ほか多数の神仏を列挙し、違背した場合には神罰を受けるとしている。
後編6-No.243 川上久国・新納久詮連署書状
川上久国・新納久詮が国元へ、例年の四国浦廻上使として小笠原安芸守・向井右衛門佐が下向するとの情報を受け、相良主計助が両名に確認した結果を報告した連署書状。出立は同月二十~二十一日頃、巡見の方角は大坂で蔵奉行らと相談して決める見込みとし、国元へ早く知らせるよう求める。あわせて大名家の誕生祝儀・振舞、参…
後編6-No.244 島津光久譜
島津光久譜の記事。徳川家光が諸大名に各家の系譜提出を命じたため、光久は家蔵の系譜を林羅山(道春)に校訂させ、根拠となる文献を添えて提出した。寛永十八年三月五日、家老川上久国が献上し、太田資宗が奉行として受領して幕府の官庫へ納めたことを記す。
後編6-No.245 島津氏系図奥書
寛永十九年三月五日、江戸城で将軍徳川家光の命により諸大名が系図を提出した際、島津氏も高祖以来から島津光久までの歴代系譜を一巻にまとめたことを記す奥書。林道春と川上因幡守が系譜を撰論し、源頼朝・北条氏・足利尊氏らの文書写二十二通と、家光が島津家久邸へ渡御した記録一巻も併せて提出した。
後編6-No.246 島津光久譜
寛永十九年二月、西国巡見の上使である松田善右衛門・蒔田数馬・蜷川喜左衛門が島津光久の領内を巡見した。三月二十六日に光久が江戸へ到着すると、翌日には将軍の命を受けた松平信綱が着府を慰労し、四月一日に光久は徳川家光へ拝謁して例のとおり方物を献上した。
後編6-No.247 島津綱久譜
寛永十九年三月二十五日に島津綱久が誕生したことを記し、母を黒田友右衛門頼清の娘とする。あわせて女子二人と、そのうち一人が家臣島津又八郎久董の室となった系譜関係を掲げる。
後編6-No.248 島津久通譜
寛永十九年、島津光久の参勤に島津久通も供奉し、旅中の家老役を命じられた。久通は供奉の列にありながら家老職を兼ねることを辞退しようとしたが許されず、やむなく大任を引き受けた。
後編6-No.249 島津久通外二名連署書状
島津久通・頴娃久政・川上久国が、島津光久の江戸着府後に松平信綱の慰労を受け、将軍への拝謁を無事に済ませたことを報じた連署書状。あわせて西国浦廻上使の向井右衛門祐・小笠原芸州が出立し、東目・西目の巡見経路は大坂で決める予定であること、贈答品の受領や焼酎を音信として贈ることなどを伝える。
後編6-No.250 島津光久袖判条書
本文は「二三七号文書ト同文ニツキ省略ス」とする。参照先No.237によれば、島津光久が家中の職分運営について定めた袖判条書で、職分・物定の吟味と談合を担当する頭取二、三人を選び、諸役人へ渡す書物には頭取が判形を据えること、職分帳・条書を扱う担当者を置くことを命じる。役務・奉行・兵具・褒賞などの案件は…
後編6-No.251 雑抄
江戸では米一石につき銀十九匁ほどで取引され、そのため世上が少し窮屈になっているとの事情を記す雑抄。寛永十九年六月三日付の書付に見える内容として抄録されている。
後編6-No.252 徳川家光御内書
徳川家光が端午の祝儀として帷子・単物数十点を贈られたことを喜び、なお詳しいことは土井大炊頭から伝えると島津光久へ知らせた御内書。
後編6-No.253 島津光久書状
島津光久が無事に参府して将軍への拝謁を済ませたことを述べ、国元の火災と放火の可能性、家老衆による穿鑿の進み具合、若者たちの振る舞い、弾正の養生、出羽守の訴訟の決着などを安芸守へ問い、逐次注進するよう求めた書状。
後編6-No.254 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が、島津光久から献上された南京の鶏と琉球八重山島の鳥類を徳川家光が上覧し、機嫌よく思し召したため、その旨を関係者へ伝えるよう上意により命じた連署奉書。
後編6-No.255 島津光久譜
寛永十九年、西国浦巡見の上使である小笠原安芸守・向井右衛門佐が下向し、薩摩国の京泊津に着船したのち甑島へ渡り、五月二十八日に加世田片浦へ来着して領内海辺を巡見し、六月十五日に領外へ出たことを記す。あわせて島津光久の帰館に触れる。
後編6-No.256 二階堂伊行書状
二階堂伊行が、西国浦巡見の上使が五月二十八日夜に片浦へ着津した経緯を報告した書状。上使は京泊を出船後、予定外に甑島の中甑へ渡って各所を見分し、その日のうちに片浦へ着いたこと、前年までの上使が見なかった鹿児島表の内海も今回は巡見する意向であることを知らせる。
後編6-No.257 島津久通外三名連署書状
島津久通ら四名が、金山麓で金を小判相当の品位に整え、山中の商取引や運上・八木代などを金子で行う案について報じた連署書状。幕府老中らへ内談したうえで実施を認める印判書が下され、北郷佐渡守に関係者と相談して首尾よく進めるよう求めている。両替の扱いは既に命じてあるとして、当地から重ねて問い合わせないよう付…
後編6-No.258 新納氏古日記
新納氏古日記の寛永十九年六月の記事。六月三日に島津光久が日光参詣へ出発し、新納右衛門佐以下の供奉者を記すほか、六月二十八日から七月十五日頃にかけて道具衆が持ち下ったことと、御曹子島津綱久の元服に関する事項を記録する。
後編6-No.259 島津綱久譜
寛永十九年六月二十八日に島津綱久が元服して又三郎久平と号したことを記す。家臣島津兵庫忠平が代父、島津光久が加冠役を務めて諱を授け、川上因幡守久国が理髪役を務めた。
後編6-No.260 島津久通外二名連署書状
島津久通・川上久国・頴娃久政が、虎寿丸の加冠・元服を祝し、家中から太刀・青銅などの進上物を差し出す手順を知らせた連署書状。両殿や御前への太刀・折樽、諸地頭その他の家中衆が進上する品目と負担の目安を伝えている。
後編6-No.261 樺山才右衛門外三名起請文
樺山才右衛門ら四名が島津光久・虎寿丸へ忠節を誓った起請文。別心なく奉公し、相互に秘密を守り、悪事の企てを知れば申し出ることなどを誓約し、違反時には梵天・帝釈・薩摩国諸社をはじめ多数の神仏の罰を受けるとする。
後編6-No.262 杉田伊与秀次外二名起請文
杉田伊与秀次・植木三右衛門尉正勝・根占権丞重昌の三名が島津光久・虎寿丸へ忠節を誓った起請文。別心なく奉公し、秘密を漏らさず、悪事の企てを知れば届け出ることを誓い、違反時には天地の神仏・薩摩国諸社・日本国中の神仏の罰を受けるとして、神名と罰文を詳細に列挙する。
後編6-No.263 内山兼成覚書
内山兼成が、諸国の人民が疲弊しているため、百姓をいたわり、作毛不良による翌年の飢饉に備えて倹約するよう命じた覚書。百姓の年貢について損毛を口実に未進しないこと、定役以外の使役を避けること、五穀を無駄にしないこと、翌年から本田畠で煙草を作らないことなどを侍・町人・百姓へ厳命する。
後編6-No.264 板倉周防守外七名連署書状
板倉周防守ら八名が島津光久へ、金山拝領に伴い金子二千両を和泉守のもとへ持参して受け取らせることを伝えた連署書状。あわせて先に相談のあった南蛮人をこちらへ差し越す件を了承し、念を入れて移送するよう求めている。
後編6-No.265 島津光久譜
寛永十九年七月十一日、甑島小串の農夫が南蛮人九人を捕らえ、そのうち三人は日本人であったため長崎へ送って江戸の執政へ報告したことを記す。八月十三日には将軍が池田帯刀を上使として派遣して捕獲を褒め、長崎奉行を通じて捕獲者へ褒賞銀を与えた。
後編6-No.266 馬場利重書状
馬場利重が島津光久へ、甑島小串で農夫が南蛮人九人を捕らえ、うち三人が日本人であったとの報告を承知した旨を伝えた書状。乗船の有無などを確かめ、近辺の者に見せず、南蛮人を念入りにこちらへ差し越すよう求めている。
後編6-No.267 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次が、島原・天草領は先年の一揆後に荒廃して百姓が不足しているため、薩摩領から百姓を移すよう命じた連署書状。兄弟・親子が三人から五人いる家から一人を選び、田地の少ない村などから移住させ、幕府への奉公として速やかに差し越すよう求めている。
後編6-No.268 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、島々の者が流罪人に私事や非分を申し掛けて殺害するとの風聞を受け、流罪人を勝手に打ち果たすよう命じたと称する書物があれば取り返すよう指示した連署書状。島民が恣意的に流人を死なせた場合は厳しく処罰すると申し渡すよう求めている。
後編6-No.269 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が江戸での幕府老中との折衝を伝えた連署書状。薩摩金山の前年産金四十貫目は献上を免じられ、礼として金子三千両を進上したこと、当年の産金は年末の進上に備え、翌年も九州の飢饉が続けば採掘停止を検討することを報告する。あわせて他国者森寺清左衛門の召抱え、浦廻上使の帰着、八重山に渡った使者と琉球…
後編6-No.270 島津久通外二名連署書状
本文には「本文書ハ二六九号文書ノ抄録ニツキ省略ス」との注記のみがある。No.269は薩摩金山の産金献上と飢饉時の採掘停止、他国者の召抱え、浦廻上使、八重山・琉球からの報告などを扱っており、本書はその抄録であることを確認できる。
後編6-No.271 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、荒廃して百姓の少ない島原・天草へ隣国から百姓を移すとの幕命について、薩摩も百姓に余裕がなく田畠が荒れる懸念はあるが、天下の下知であるため従わざるを得ないと伝えた連署書状。使者の到着後すぐに相談し、隣国の様子も聞き合わせて移住の手配に尽力するよう求めている。
後編6-No.272 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、鍋島信州の家老衆から知らされた『かれうた船』への警戒と通報手順を指示した連署書状。船が甑島方面に現れた場合は鹿児島を経由すると遅れるため、長崎および高力家へ島から直接急報し、早飛脚を用いるよう新納勘解由らへ申し渡すことを求める。あわせて島原・天草への百姓移住の使者派遣を知らせている…
後編6-No.273 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、甑島に潜んでいた南蛮人九人について幕府老中へ報告し、書付・絵図を提出した経緯を伝えた連署書状。島内に彼らを世話した者がいないか油断なく調べ、長崎で出身地や宗旨を尋問すれば事情が明らかになるとして、念入りな調査を求める。あわせて八重山番手の帰帆と交替要員の扱いに触れている。
後編6-No.274 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、切支丹宗徒を発見・届け出た者への褒賞を指示した連署書状。幕府高札では伴天連の申告者に銀百枚、いるまんに五十枚、一般の切支丹宗徒に三十枚と定められており、今回の通報者にも銀五十枚ほどを与えるべきだとする。南蛮人が長崎で述べた内容の報告を求め、竹内備前は江戸での用務がないため上らせる必…
後編6-No.275 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、甑島で南蛮人を捕らえて長崎へ送ったことを将軍が賞し、池田帯刀を上使として褒意を伝え、捕獲した島民へ褒賞を与えるとした連署書状。南蛮人と日本人を長崎で拷問・尋問し、島内に残る同類や協力者を捜索すること、発見者には銀を与え、隠匿者は処罰することを命じている。
後編6-No.276 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、南蛮人捕獲への褒意に対して島津光久が登城して謝礼した際、将軍が書状中の『下野守』に名字がないことを問題とした経緯を伝えた連署書状。古来名字を書かない慣例であると説明したが、将軍家一門や他国の例にならい、以後は公私とも島津一門の全員が『島津』の名字を記すよう厳命された。
後編6-No.277 林春斎書状
林春斎が川上久国へ、前日に備中守邸で初めて面会できたことを喜び、贈られた琉球上布三疋への礼を述べた書状。詳細な謝意は後日対面して申し述べるとしている。
後編6-No.278 島津氏老臣覚書
琉球先王死去後の王位継承と江戸への使節について、島津氏老臣がまとめた覚書。先王の実子がいるため、その跡職は島津光久の裁量で申し付けてよいとの幕府回答を記す。将軍・若君への進物、若君の祝言を祝う琉球使節、金之王子の派遣、唐式・琉球式の装束、六、七十人ほどの随行人数など、翌年の上使計画を示している。
後編6-No.279 新納氏古日記
新納氏古日記の寛永十九年九月五日条。重陽の祝儀として、将軍へ呉服五つ、若君へ呉服三つを進上し、いずれも新納刑部大輔が使者を務めたことを記録する。
後編6-No.280 島津忠栄譜
島津忠栄の譜記事。天正二年に忠清の弟として生まれ、豊臣秀吉の西征時に人質となって細川幽斎に預けられ、小倉に滞在した。忠辰改易後は佐土原で島津豊久を頼り、その姉を妻としたが、関ヶ原後の家臣一揆を逃れて国府へ移り、龍伯公から母の領地を与えられた。高原・飯野・牛根などの地頭を務め、寛永十九年九月晦日に牛根…
後編6-No.281 良恕親王書状
良恕親王が江戸滞在中の島津光久へ消息を述べ、薫物一種を贈った書状。後便を期すとして簡潔に結んでいる。
後編6-No.282 島津光久譜
島津光久譜の記事。光久が軽い病気を患ったため相模国熱海の温泉で湯治し、寛永十九年十月十三日に江戸の旅館へ帰ったことを記す。
後編6-No.283 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、島津光久の熱海湯治後に複数の政務を伝えた連署書状。甑島で捕らえた南蛮人の所持金銀を発見者へ褒賞として与え、刀・履物は鹿児島に留め、宗旨や同類を詮議することを命じる。ほかに籠屋の移転、当年の出物、甑島・長崎間の火立て、火災後に寺領へいた者の召出し、沖長門守の処分、八重山番手が売った鉄…
後編6-No.284 島津光久書状
島津光久が病中の島津弾正大弼へ、寒中のため養生を第一にするよう勧めた書状。町田出羽守との入組をめぐり使者が来た件について、書物に見える申立ては事実ではなく、発端は明らかなので心配は不要だと保証する。帰国時に相談することとし、使者への返答は公儀老中から送られると伝えている。
後編6-No.285 島津光久書状
島津光久が島津弾正大弼へ、町田出羽守との入組をめぐる件について再度伝えた書状。弾正大弼の申分は家老衆から聞き届け、こちらで相談した処置の筋は変えないとする。ただし現地でもう一度申断を行うべき事情があるため、光久の帰国時に早々に決着させるとして心得を求めている。
後編6-No.286 奥山政常起請文
奥山五兵衛尉政常が神仏に誓約した起請文。奉公・忠節に偽りや隠し立てをせず、誓約に背けば天罰・神罰と地獄の苦しみを受けるとする。本文には神道・仏教の諸神仏、霊社、地獄の責苦が長く列挙され、寛永十九年十一月吉日付で政常が花押を据えている。
後編6-No.287 島津久通外二名連署書状
島津久通ら三名が、翌年に金山を停止する件を伝えた連署書状。新納右衛門佐が阿部対馬守へ出向いたところ、金山を直接停止する旨を告げられた一方、領国内の者には採掘させたいとの従前の申出もあったため、酒井讃岐守と相談して改めて上聞に達することとなった。北郷佐州へも伝え、他国人を翌年早々に帰国させるよう厳命す…
後編6-No.288 島津光久譜
島津光久譜の記事。寛永十九年十二月、城下士を十の番号組に編成し、各組に組頭と小組頭を置いた。さらに家老組、寺社家組、諸役座組を設け、合計二十六組とし、各番号組の組頭を列挙する。動員と伝達を迅速にし、内外の備えを整えることを目的とし、正保二年には二十六組を七組へ再編した。
後編6-No.289 御役元基組頭之下注
寛永十九年十二月に城下士を初めて十組へ分けた際の組頭を記した注記。一番組から十番組まで各二人の組頭を列挙し、家老組、寺社家組、諸役座組などを合わせて二十六組としたことを示す。正保二年にこれらを七組へ統合したことも付記している。
後編6-No.290 島津光久条書
島津光久が与頭・組頭へ示した条書。組中に野心・不忠の者がいれば直ちに言上し、隠せば組頭と談合衆も同罪とする。喧嘩・口論は早速寄合って処理し、仮病などで奉公を難渋する者を処罰すること、切支丹・一向宗を糺明すること、訴訟は与頭を通して公儀へ申し出ることなど、組内統制と報告手順を定めている。
後編6-No.291 島津氏老臣条書
島津氏老臣が組中の者へ示した条書。与頭の下知に背かず、出陣・江戸勤番・狩りなどの役を忌避しないこと、喧嘩・口論や訴訟は与頭へ届けることを命じる。また与頭から組中へ命令を取り次ぐ者として小組頭を置くことを定め、組内の指揮系統と服務規律を明確にしている。
後編6-No.292 林羅山書状
林羅山が島津光久へ、島津家系図の加筆案を進上した書状。太田備中守資宗の使者に同行した島津家使者が持参した系図一巻と覚書を検討し、依頼に沿って草案を作成したと述べる。光久の家督相続を祝し、緞子五巻・なし物一壺・琉球酒一壺の贈答にも礼を述べている。
後編6-No.293 島津久通・川上久国連署書状
島津久通・川上久国が、翌春から金山を停止する幕府方針を改めて伝えた連署書状。阿部対馬守の指示に従い、自国・他国を問わず金山関係者を残らず帰し、境を設けて人の出入りを断つよう厳命する。処置が緩ければ他国や江戸へ伝わるため、確実に停止するよう求め、同文を北郷佐州へも送ったとしている。
後編6-No.294 島津久基譜
島津久基の譜記事。久基は忠清の弟・忠栄の子で、初名を久盛、幼名を鎌菊、通称を弥市郎、官途を美作守・民部少輔といい、実父は入来院伯耆守重国であったと記す。伊集院源助久朝とともに六番組の与頭を務め、隅州牛根・薩州高尾野などの地頭を歴任し、延宝八年正月十二日に没した。
後編6-No.295 雑抄
寛永二十年正月二十五日付の雑抄。諸役人の用方・出入について年内に書立をもって通知した案件のうち、未済のものを近日中に処理し、下向などで支障が生じる前に延引なく完了させるよう命じる。あわせて関係する地域・担当を列挙している。
後編6-No.296 島津光久掟書
島津光久が領内での新銭鋳造を禁じた掟書。諸国で新銭を鋳造する者がいるため、領内でも鋳造を停止し、隠れて鋳造する者がいれば道具を押収して厳しく処罰するよう命じる。隠匿や黙認も許さず、発見時の申告と取締りを徹底させる内容である。
後編6-No.297 島津久通・新納久詮連署書状
島津久通・新納久詮が、琉球の金王子を中心とする使節の江戸参府について、接遇と先例を問い合わせた連署書状。王位継承の礼を名目とする使節の宿所、将軍・若君への拝謁と進物、他国使節との席次、琉球人の人数や装束などを検討し、過去の琉球使節の扱いを知る者から情報を集めて返答するよう求めている。
後編6-No.298 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱ら三名が島津光久へ、甑島周辺に多数潜伏する切支丹宗徒を厳重に捜索するよう命じた奉書。逃散した者が各地や江戸に入り込むことを警戒し、領内を念入りに改めて発見次第捕らえ、処置を徹底するよう求めている。
後編6-No.299 島津久元外二名連署条書
島津久元らが番手・警固の規律を定めた条書。物頭の下知に従い、異国船が来着した際は南蛮人を上陸させて捕縛・討取りし、武器を散逸させないよう命じる。切支丹の摘発、賄賂・進物、琉球島中との私的売買、博奕、喧嘩、押買いなどを禁じ、警固中は私怨を交えず職務に専念することを定めている。