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後編6の目録
旧記雑録 寛永16年~寛永21年の文書・記事です。
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後編6-No.400 島津光久譜
島津光久譜の記事。琉球国王尚賢が将軍家若君の誕生を祝うため王子・使者を派遣し、香炉・花瓶・太刀・馬・天鵞絨・香木・泡盛など多数の進物を献じたことを記す。使節は鹿児島を経て江戸へ向かい、光久・家中へも品々を贈った。
後編6-No.401 島津久通譜
島津久通譜の記事。将軍家男子誕生の慶賀を申し上げるため琉球国王尚賢の使節が遠海を渡り鹿児島へ到着し、島津光久に随って江戸へ参府した経緯を記す。将軍・若君・光久・幕府要人へ献じた銀・金・香木・織物・酒・器物などの進物を詳しく列挙する。
後編6-No.402 北郷久加譜
北郷久加譜の記事。正保元年四月、島津光久が琉球国中山王の使節を伴って江戸へ赴いた際、北郷久加も供奉したことを記す。
後編6-No.403 北郷忠盈譜
北郷忠盈譜の記事。正保元年四月、島津光久が武州へ赴く際、家老職の北郷久加が供奉し、北郷忠盈もこれに従ったことを記す。
後編6-No.404 参府琉人行列次第
琉球使節の参府行列次第。琉球人むら旗、楽人、王子・使者、騎馬、道具持、琉球供衆、薩摩側の先導・警固・家臣を行列順に配し、各役の人数・氏名・持物を詳細に記した編成表。
後編6-No.405 参府琉人行列次第
琉球使節の参府行列次第の別紙。王子・使者を中心に、琉球供衆、騎馬、小荷駄、御道具持、薩摩側の供奉・警固役を左右・前後の位置関係に従って配し、各役の氏名と編成を図式的に記す。
後編6-No.406 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署書状。島津光久からの書状を拝見し、その申し出を承知した旨を答え、念を入れて知らせたことを上聞に達すると伝える。本文の用件部分は判読に揺れがあるため、確読できる応答の骨格に限定した。
後編6-No.407 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署書状。島津光久からの書状を拝見し、日光参詣などの経過を承知したこと、将軍の機嫌がよく安心してよいことを伝え、丁寧な通知を上聞に達すると答える。
後編6-No.408 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署書状。島津光久からの書状を拝見し、長松殿誕生の慶事を重ねて祝う意向を了承したこと、早々に丁寧な連絡を受けた旨を機会をみて上聞に達すると答える。
後編6-No.409 阿部忠秋・阿部重次連署奉書
阿部忠秋・阿部重次の連署奉書。翌日の天気がよければ琉球人を上覧に出し、雨天であれば延期するよう命じ、天候の推移をみて取り扱うことを伝える。
後編6-No.410 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署奉書。前日は雨天のため琉球人の出仕を延期したが、晴天の時分に御礼を申し上げるよう上意があったので、その旨を琉球の両使へ伝えるよう命じる。
後編6-No.411 松平信綱外二名連署口達覚
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の口達覚。島津光久が琉球人を召し連れて参上したことにより、米二千俵を下賜するので、光久の家来から手形を差し出すよう伝える。
後編6-No.412 島津光久書状
島津光久が中山王へ、若君誕生の祝儀を重ねて申し入れる書状。祝意を表すため金武・国頭の両王子を差し渡したこと、両人が夏天の航海を無事に終えたことを述べ、特別の祝儀品を別に送る。
後編6-No.413 島津光久書状
島津光久が中山王へ、若君誕生の祝儀として金武王子を差し渡し、国頭王子も召し連れて江戸へ参勤したことを知らせる書状。両王子が拝謁を遂げ、将軍の機嫌もよく、使者としての役目を果たしたと伝える。
後編6-No.414 島津光久書状
島津光久が中山王へ、将軍家の祖を祀る日光山東照大権現社へ参詣し、国頭王子を召し連れて江戸へ戻ったことを知らせる書状。将軍の厚い信仰にならい、琉球国人も日光東照宮を崇敬するよう勧め、この趣旨を両使から伝えさせる。
後編6-No.415 島津光久書状
島津光久が中山王へ、琉球国王の継目について将軍徳川家光の上意を受け、薩摩領国として光久の判断に委ねられたので、中山王の地位を安堵したと伝える書状。国頭王子を江戸へ召し連れて両上様への拝謁を果たさせ、今後は国人をよく統率し、国政上の問題を薩摩側と協議するよう求める。
後編6-No.416 島津光久書状
島津光久が中山王へ、琉球国王の継目について将軍徳川家光の上意があり、琉球国は薩摩守の領内であるため光久の意向に任せるとの命を受けたことを伝える書状。王位の継承・安堵が滞りなく続くよう申し渡す。
後編6-No.417 島津綱久書状
島津綱久が中山王へ、綱久の元服を聞いて贈られた祝儀品を目録どおり受領したことを謝する書状。中山王の厚意は紙上に尽くしがたく、詳しくは使者から申し述べると伝える。
後編6-No.418 島津綱久書状
島津綱久が中山王へ、中山国の継目が安堵され満足であろうと祝意を述べ、その祝儀として綱久にも贈られた品々を目録どおり受領したことを謝する書状。返礼の趣旨は使者から詳しく述べるとする。
後編6-No.419 島津綱久譜
島津綱久譜の出典見出し。本文では「綱久公御譜中」とだけ掲げられ、独立した記事本文は記されない。直後にNo.420の正保改元・禁裏御所造営の記事が始まるため、No.420以下の出典を示す区切り見出しとして扱い、No.420本文を混入しない。
後編6-No.420 島津久通外二名連署書状
寛永二十一年に正保へ改元され、禁裏御所の造営が命じられたことを記したのち、島津久通・北郷久加・山田有栄の連署書状を収める。若君誕生を太平の慶事として琉球に祝賀使節を命じ、金武・国頭両王子が薩摩から江戸へ参府して将軍家へ拝謁し、日光東照宮にも参詣した経緯を述べる。帰国する使節に銀子・衣服・織物などを与…
後編6-No.421 琉球国司尚賢書状
琉球国司尚賢が三司官へ、受け取った書状の趣旨を直ちに諸郷・諸士・庶民・百姓まで申し聞かせ、子孫に至るまで違背しないよう伝えることを命じる書状。
後編6-No.422 川上久国・頴娃久政連署覚書
川上久国・頴娃久政の連署覚書。阿蘭陀船・南蛮船・唐船の絵図をよく見分け、写しを八重山ほか諸島へ配布すること、異国船の漂着・寄港・上陸を厳重に監視して速やかに報告することを命じる。船形・旗印・乗員・積荷を確認し、禁制品の密売や唐人の無断上陸を許さず、長崎との連絡を徹底する海防条項を列挙する。
後編6-No.423 北郷久加書状
北郷久加が三司官らへ、諸所の地頭帳を衆中の石高・人数まで詳しくして早急に提出するよう求める書状。併せて七島へ異国船が着岸し、上陸者一人を捕らえて長崎へ送った事件と、その報告が江戸の阿部忠秋へ伝えられた経緯を知らせ、今後も異国船着岸時には速やかに薩摩へ上申するよう命じる。
後編6-No.424 町田久則・山田有栄連署覚書
町田久則・山田有栄の連署覚書。琉球使節の江戸参府・帰国に伴う神奈川・小田原・箱根・三島などでの宿泊、洪水時の渡船、道中警固、荷物輸送、医師手配、諸役人への挨拶・贈答と返礼を詳細に記す。各地の代官・宿役人・家老との折衝、旅程上の便宜、金武・国頭両王子への供応や人員配置を列挙した道中事務記録。
後編6-No.425 川上久国外二名連署書状
川上久国外二名の連署書状。島津玄蕃頭が登城する際、以前に諸大夫へ任じられていることを踏まえ、当年は諸大夫の装束を用いるべきかを照会し、必要なら証人奉行へ申し入れるよう指示する。官位と登城装束の扱いについて幕府側の意向を確認した文書。
後編6-No.426 徳川家光御内書
徳川家光の御内書。重陽の祝詞として島津光久から小袖五領が届いたことを喜び、詳細は酒井忠勝から伝えるとする返礼。
後編6-No.427 川上久国書状
川上久国の書状。島津兵庫頭家中の白坂納右衛門が加治木を退去して興国寺に籠居し、親類や複数の家臣が帰参を説得しても拒み続けた経緯を報告する。重罪を受けても加治木へ戻らないとの本人の意向を踏まえ、再度の説得と処置について相談している。
後編6-No.428 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。阿部重次から大名家臣へ、南蛮宗禁制を重ねて徹底するよう命が出たことを伝える。当年長崎へ来た唐船にキリシタン宗門の唐人がいるとの訴えがあり、取調べで唐人を南蛮宗へ勧誘した者の存在も問題となったため、領内での探索・申告・港湾監視を急ぐよう指示する。
後編6-No.429 島津光久書状
島津光久の書状。祭礼役を命じられた東郷肥前守の宿所で、斎籠前に禁制の相撲興行が度々行われ、宛所の人物も見物したと聞いたため、事実関係を問いただす。興行の経緯と見物人全員を漏れなく書き上げ、隠し立てせず報告するよう厳命する。
後編6-No.430 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。禁制相撲興行の件について、酒席・評定場・宿所などにいた関係者を召し出し、各人の書付と証言を集めて相互に照合するよう命じる。主催・参加・見物の経緯、誰が呼び寄せたか、供述の食い違いを厳密に調べ、隠し立てなく報告するよう求める。
後編6-No.431 島津久通外三名連署覚書
島津久通外三名の連署覚書。琉球使節が江戸で無事に拝謁し、中山王や使者が拝領物を受けたことへの御礼として、翌春から夏の間に中山王から島津光久へ使者を派遣するよう指示する。将軍・若君と幕府年寄へ進上する品数・書状・使者の作法を示し、過重な品は避けるよう定める。
後編6-No.432 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。江戸城西丸作事に伴い、薩摩から材木二千五十本を進上することを阿部忠秋へ目録で届けたと報告する。代銀約六十六貫目が必要だが蔵銀がないため、商人伏見屋又兵衛と相談し、その手前から立て替えて上納させるよう手配した。
後編6-No.433 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。津田平右衛門が上使として参り、将軍の御鷹で捕らえた雁を島津光久が拝領した慶事を伝える。併せて犬追物稽古について古法を守るよう命があり、その趣旨を関係者へ申し下すよう指示する。
後編6-No.434 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。肥後笠猪兵衛をめぐる入組の件が評定所へ出されたため、関係者・証人を召し寄せ、猪兵衛が「山先」を務めたか否か、過去の奉公や証文・書付の有無を調べるよう命じる。供述の矛盾を公平に確認し、各人の書付をそろえて報告することを求める。
後編6-No.435 笠猪兵衛覚書
笠猪兵衛の覚書。肥後国の金山で「山先」や抽者に選ばれた経緯、清右衛門・吉右衛門らとの役割分担、金山の持分・銀納・抽籤をめぐる争論を詳述する。図書頭家中や薩摩家老へ繰り返し申し立て、過去の評定・書付・証人に基づいて自らの正当性を主張し、不正や横領を否定する陳述書。
後編6-No.436 北郷久加・新納久詮連署書状
北郷久加・新納久詮の連署書状。肥後国の笠猪兵衛が金山の山先をめぐる申し分を評定所へ提出し、国許でも興国寺参詣の折に目安を差し上げた件について、その後の相談・処置を報告するよう求める。証拠・証人を精査し、猪兵衛の主張に確かな根拠がなければ速やかに申し渡すよう指示する。
後編6-No.437 北郷久加書状
北郷久加の書状。笠猪兵衛が江戸へ下り、金山山先の件を公儀へ訴えたため、島津図書頭家中の関係者を召し寄せて従前の経緯を吟味し、急ぎ報告するよう命じる。米・銀などの受け渡し、宿主や証人の供述も確認し、隠匿や不正がないよう調査する。
後編6-No.438 島津久通外三名連署条書
島津久通外三名の連署条書。八重山の島々・村々について、番衆の配置、石垣・番屋・宿所、石火矢や兵具・薬の備蓄、井戸・船・港の確保を定める。敵船や異国船を発見した際の通報、村民動員、船での追跡・捕縛、鉄砲・石火矢の使用、兵糧・物資輸送など、島嶼防衛の具体的手順を列挙する。
後編6-No.439 島津久通外三名連署申渡書
島津久通外三名の連署申渡書。日本で禁じられたキリシタン宗門が「天主教」「耶蘇会」などと名を変えて唐人を通じて渡来するとの長崎奉行の通報を伝える。唐船が着岸しても唐人を上陸させず船中で宗門を調べ、とくに広東船を厳重に検査し、疑わしい者は直ちに鹿児島へ送るよう命じる。
後編6-No.440 北郷久加譜
北郷久加譜の記事。寛永二十一年十一月十三日、北郷久加が御家老職に補任され、御証判を受け、役料米千石を与えられたことを記す。続く補任書下の由来を示す記事。
後編6-No.441 島津光久補任書下
島津光久の補任書下。北郷久加は前代からの家老筋ではないが、今度加判役を命じるので、万事の差引に遠慮せず、藩のためになることは念を入れて懇切に奉公するよう命じる。
後編6-No.442 山田某外二名連署書状
山田某外二名の連署書状。飫肥城で前年九月末から進められた本丸・曲輪・堀などの普請を内偵し、本丸と一之丸の間を埋めて一体化したこと、新たな堀・出入口・兵具準備・夫役動員を報告する。江戸からの飛脚往来や領内の警戒状況、犬追物を古法どおり行うとの情報も併記する。
後編6-No.443 松平信綱外二名連署奉書
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署奉書。奥州の浦へ漂着した異国船を調べたところ、風波に遭った阿蘭陀船で、長崎からカピタンを呼んで詮議し、伴天連・キリシタン宗門の者が乗っていないと確認したと伝える。今後領内へ阿蘭陀船が漂着した場合は、上陸者・乗員を改め、船番を付けて詳しく注進するよう命じる。
後編6-No.444 松平乗寿書状
松平乗寿の書状。牧野内匠頭が病気で登城していないため加判できないことを断り、将軍徳川家光の機嫌がよく安心するよう伝える。島津光久から献上された島蜜柑一箱を披露し、結構な贈り物であったと謝する。
後編6-No.445 島津光久譜
島津光久譜の記事。寛永二十一年十二月十六日、留守居の新納久詮が諸大名の留守居とともに評定場へ出席し、井上筑後守・宮木越前守から、各領国の地図を幕府へ献上するよう命じた条書を受領した。日向国の領地は諸氏に分かれている一方、薩摩・大隅・日向三州の地図は島津光久に一括して献上させることとなったため、飯野城…
後編6-No.446 絵図書付候海辺之覚
領国絵図に海辺を描く際の記載要領を列挙した覚。各海岸・湊について、船掛かりの可否、遠浅、南風・西風時の入港難、湊間および他国の湊口への海上道程、海底の岩、潮時による入港可否、渡口の距離と荒潮、浜辺の遠浅、左右の岩・遠浅岩を記すよう定める。さらに、これら以外の海路も漏れなく記載し、湊名・浦名を書き付け…
後編6-No.447 覚(領国絵図作成条目)
領国絵図作成の条目を列挙した覚。城の本丸・二丸・三丸、堀、天守・櫓、城内外の高所、侍町・町屋、山城・平城の書式を定める。郷村の知行高を別紙帳二通にまとめ、一国・一郡ごとの石高、山野、道程、国境、道・川・橋・渡し、難所、滝・溝川の水色、絵図の縮尺・色分け・仮名書きを統一し、水損・塩損地も記載して旧絵図…
後編6-No.448 今御譜中
出典見出し「今御譜中」の記事。今上天皇の勅により、元号が寛永から正保へ改められたことを記す。
後編6-No.449 松平信綱外二名連署書状
松平信綱・阿部忠秋・阿部重次の連署書状。「御文庫拾二番箱中」に収められ、「光久公御譜中二在り」と注記される。翌日の四つ時ごろに登城するよう上意があったので、その旨を承知するよう島津光久へ伝える。
後編6-No.450 島津綱久譜
出典見出し「綱久公御譜中」の系譜記事。綱久の子女として女子三人と久統を掲げる。久統はのち久定と称し、又作次郎・左衛門と名乗った。正保元年十二月二十二日生まれで、母については島津美作久憲室と同母と記す。家臣北郷式部大輔久直の後嗣となり、寛文二年七月五日に早世した。
後編6-No.451 徳川家光御内書
出典見出し「光久公御譜中」の徳川家光御内書。歳暮の佳慶として島津光久(薩摩侍従)から小袖五重が届いたことを喜び、詳細は酒井讃岐守(酒井忠勝)から伝えるとした返礼。