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後編6の目録

旧記雑録 寛永16年~寛永21年の文書・記事です。

全452件中 301~400件・4 / 5ページ

  1. 後編6-No.300 発給者未詳書状(正文在久藤摩守所)

    発給者未詳の書状。別紙の条書と使者の口上によって用件を伝え、新加州老の当地滞留中に内々の事情を聞き合わせることや、関係者本人から事情を申し上げさせることを求める。あわせて扶持に関わる山衆屋敷の明渡しと耕作の手配など、現地で処理すべき事項を指示している。

  2. 後編6-No.301 島津久通・川上久国連署書状

    島津久通・川上久国が、金山から両使が帰国したことを報じ、金山停止後の処置を指示した連署書状。北郷佐州と相談のうえ、曾木・横川の衆から四人ほどを金山番手として移し、扶持と山衆屋敷を与えて山内を朝夕巡回させること、金山停止に伴い他国人約二千人を早々に帰国・退去させることを求める。さらに高麗人の取扱責任者…

  3. 後編6-No.302 島津久元外二名連署書状

    島津久元ら三名が、奥州で多数の切支丹宗徒が捕縛されたことを受け、領内の宗門改めを徹底するよう命じた連署書状。新たな入信者や潜伏者を早急に摘発し、宗旨を偽る者、匿う者、連帯責任を負う五人組などを厳しく調べること、申告者への褒賞を周知して隠れ切支丹を発見することを求めている。

  4. 後編6-No.303 島津久元外二名連署書状

    島津久元ら三名の連署書状。本文は『本書ハ三〇二號文書ト同文ニツキ省略ス』とされているため、No.302と同じく、奥州での切支丹捕縛を受けた領内の宗門改め、潜伏者・新規入信者の摘発、隠匿防止と処罰の徹底を命じた文書として整理した。

  5. 後編6-No.304 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、朝鮮信使の来朝に伴う用務のため、島津家の家臣一人を直ちに評定所へ出頭させるよう命じた連署書状。

  6. 後編6-No.305 幕府老中連署書状

    幕府老中が島津光久へ、朝鮮信使の来朝に際する漂着対応を命じた連署書状。信使の船が風波の難に遭い薩摩領内の浦へ着岸した場合は、綱・碇・水・薪などを滞りなく供給するよう、沿岸へあらかじめ申し付けることを求めている。

  7. 後編6-No.306 島津久通・川上久国連署書状

    島津久通・川上久国が、朝鮮信使の船が領内へ漂着した場合の対応を伝えた連署書状。幕府老中の命に従い、綱・碇・水・薪などを速やかに供給し、漂着の知らせを飛脚で急報すること、浦々の役人へ事前に申し渡して滞りなく救援できるよう備えることを求めている。

  8. 後編6-No.307 林春斎書状

    林春斎が、改元の噂について照会に答えた書状。即位時に年号を改める例と改めない例があり、公家・武家の間で前年から沙汰はあるものの、まだ正式な改元はないと説明する。公儀から仰せが出るまでは寛永年号を用いるべきであり、改元が決定したとの情報ではないと注意している。

  9. 後編6-No.308 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が、改元情報の真偽と取扱いを指示した連署書状。改元を申し出た者を詳しく糺明し、正式な公儀の沙汰があるまでは従来の年号を用いるよう求める。即位に伴う儀礼に通じる林春斎にも先例を尋ね、京都・江戸双方の情報を確かめたうえで軽々しく年号を改めないよう戒めている。

  10. 後編6-No.309 島津光久譜

    島津光久譜の記事。阿部対馬守重次が光久邸へ上使として来訪し、帰国の暇を伝え、例により御袷百・白銀千枚・馬一疋を賜った。竹千代君からも牧野内匠頭を通じて御袷五十を受け、光久は五月十五日に江戸を発ち、家老らを伴って六月十七日に鹿児島へ帰着し、帰国許可と賜物への謝意を示した。

  11. 後編6-No.310 島津久通・川上久国連署書状

    島津久通・川上久国が、島津光久の帰国暇と江戸出立予定を伝えた連署書状。阿部対馬守重次・牧野内匠頭が上使として暇を伝え、光久が御袷・白銀千枚を、若君からも御袷五十を拝領し、馬も後日賜る予定であると報じる。出立日は五月十五日と定まったとして、喜びと祝意を共有するよう伝えている。

  12. 後編6-No.311 島津久通・川上久国連署書状

    島津久通・川上久国が、島津光久の江戸出立日と帰路を知らせた連署書状。帰国暇が五月十一日に下り、出立日は同十五日と定まったこと、船は西目方面を通る予定であるため、その心得で準備するよう伝える。注記には書状が五月二十六日に御道具衆によって届けられたことも記される。

  13. 後編6-No.312 島津光久条書

    島津光久が留守中の火災対応を定めた条書。火事の際は留守場から無断で人を出さず、用所の者や家人を屋上に上げ、火が近づけば道具を出して消火に当たらせることを命じる。放火・失火の疑いがある者は捕らえ、前年の大火のような事態を防ぐため、日頃から見回りと通報を徹底するよう求めている。

  14. 後編6-No.313 島津光久条書

    島津光久が留守中の政務処理を定めた条書。金銀の出入は物奉行と相談し、江戸役人や屋敷内の者を遠慮なく吟味すること、小事は家老衆へ逐一尋ねず処置することを命じる。火事などの騒動時には人員を指揮し、御城で新たな動きがあれば直ちに報告する一方、確定しない雑説は注進しないよう定めている。

  15. 後編6-No.314 島津光久条書

    島津光久が留守中の屋敷・奥方の警固と風紀を定めた条書。火災時の消火体制、御殿への無断出入の禁止、奥方への定例の音信、納殿衆・女房衆らの行儀と出入の監督を命じる。刀を抜くなどの乱暴には厳しく対処し、留守中の警備、節供、備品・食料の管理を滞りなく行うよう定めている。

  16. 後編6-No.315 島津光久条書

    島津光久が留守中の奥向きと台所運営を定めた条書。奥方へ来る町人の女房らへの過度な振舞いを禁じ、隠岐守・備後守方への年中の音信や節供品の回数・内容を定める。女客の接待、魚・野菜などの購入、膳所・台所の支出を吟味し、品物や費用を適正に管理するよう納殿衆へ命じている。

  17. 後編6-No.316 島津光久条書案文

    島津光久の留守中における禁止事項をまとめた条書案文。火事に備えて帳簿や重要品を管理し、役人が油断して不正を見逃さないこと、賄賂を受けないこと、古物や預り物を内々に売買・流用しないことなどを定める。違反や疑わしい取引は相談・報告し、納殿衆が厳格に監督するよう求めている。

  18. 後編6-No.317 島津久通譜

    島津久通譜の記事。寛永二十年五月十五日、島津光久が帰国の暇を得て江戸屋敷を発った後、久通は屋敷警衛を命じられて江戸に留まった。同年六月十二日に父・久光が死去したとの訃報を江戸で聞き、遠く離れて病床に侍し、薬を勧めることもできなかった悲嘆を記している。

  19. 後編6-No.318 殉国名藪

    殉国名藪の記事。竹下蔵人春綱の次男・重次は入来院伯耆守重国の家臣で、寛永二十年五月十七日に主君の死後を追って殉死したことを記す。

  20. 後編6-No.319 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、二丸・三丸の作事に際して将軍・若君へ献上した檜材木について、目録どおり披露したところ、念入りな献上を上意として嘉賞された旨を伝えた連署書状。

  21. 後編6-No.320 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、筑前国大島へ密航した伴天連四人・いるまん一人・同宿五人が捕縛されたことを伝えた連署書状。松平右衛門佐の番衆が小船による密渡を発見し、長崎奉行山崎権八郎へ送った処置を賞し、薩摩領内でも以前の捕縛に続いて一層念入りに穿鑿するよう命じている。

  22. 後編6-No.321 島津久元譜

    島津久元譜の記事。島津下野守久元が寛永二十年六月十二日に六十三歳で没したことを記し、道号・法名は前書にあると付記する。

  23. 後編6-No.322 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が、証人衆の評定所出頭と逃亡事件を報じた連署書状。御証人奉行の切紙により証人衆を伴って評定所へ出頭した経緯を伝える。安芸守が主家との争いから国を逃れ、証人として江戸にいた子の弥四郎も留守居衆へ無断で逃亡したため、私怨の有無にかかわらず厳しく捜索・処置するよう求めている。

  24. 後編6-No.323 新納忠清書状

    新納忠清が、江戸から帰国した新納忠秀への賀使が出されていないことをたしなめた書状。忠秀が鹿児島へ帰着して日が経つのに、任地の衆中から慣例の見舞い・祝賀使がないのは面目を失うとし、刑部が無事帰国したことにも触れつつ、衆中から一人の使者を立てるよう求める。あわせて係争がまもなく解決する見込みを伝えている…

  25. 後編6-No.324 北郷久加世別記

    北郷久加世別記の記事。島津光久の江戸からの帰国に際し、久加が領地の伊集院にある御仮屋へ赴いて迎えの準備をした。六月十七日に光久が伊集院御仮屋へ到着すると膳を献じ、川上因幡守久国・伊勢兵部少輔貞昭らとともに相伴して帰国を迎えたことを記す。

  26. 後編6-No.325 松平信綱外二名連署奉書

    松平信綱ら三名が島津光久へ、二丸・三丸への移徙に際する献上品が披露され、上意によって嘉賞された旨を伝えた奉書。島津家の使者を差し越し、将軍方へ三種二荷、若君へ台子二飾を献上した念入りな対応を賞している。

  27. 後編6-No.326 野村元綱・岩切信元連署書状

    野村元綱・岩切信元が新納加賀守へ、地頭職の願いが上聞に達したことを伝えた連署書状。対象地は本人が長年勤功を重ねた場所であるため、特に地頭職を仰せ付けられたとし、現地の諸事を取り仕切るよう求めている。

  28. 後編6-No.327 川上久国外二名連署引付

    川上久国ら三名の連署引付。新納加賀守に大口地頭分として三百石、新納勘解由に甑島地頭分として二百石を与えることなど、地頭職に伴う知行配分を記す。伊地知縫殿助の鹿児島高への組入れなど、関係者の持留知行の調整も定めている。

  29. 後編6-No.328 山崎正信書状

    山崎正信が島津光久へ、薩摩領沖で目撃された阿蘭陀船について返答した書状。領内沖で船が見えたとの報告と書状を受け取り、その阿蘭陀船一艘が八月二十八日に長崎へ入津したことを知らせている。

  30. 後編6-No.329 酒井忠勝外三名連署奉書

    酒井忠勝ら四名が島津光久へ、長年にわたる女帝在位を踏まえ、当年に皇位継承・即位の儀を沙汰する意向であることを伝えた奉書。禁裏・仙洞へ執奏する案件であり、その趣旨を家中へ伝えるよう上意として命じている。

  31. 後編6-No.330 伴天連入満陳述書写

    捕縛された伴天連・いるまんらの陳述書写。日本への渡航経路、宗門を広める目的、信徒の勧誘と学文、同宿・日本人協力者の役割などを述べる。日本人の子弟を教え、将来の渡航・布教に備えること、仏法・神道を退けて伴天連方の教えを広めようとした経緯を供述している。

  32. 後編6-No.331 松平信綱外二名連署奉書

    松平信綱ら三名が島津光久へ、筑前国大島で捕らえた南蛮の伴天連・いるまんらの白状を領内へ周知するよう命じた奉書。在江戸の諸衆へ供述内容を知らせたのと同様、国元にも伝え、井上筑後守から送られた別紙を参照して切支丹取締りに念を入れるよう求めている。

  33. 後編6-No.332 西国時通外二名連署書状案

    西国時通らが、加州老の病状と養生、堂作事の進捗を伝えた書状案。加州老の気色がいまだ十分に快復していないため養生を第一にするよう申し入れ、先月二十日に幻生の堂作事へ大工衆が取り付いたことなど、近況を報告している。

  34. 後編6-No.333 西国時通外二名連署書状案

    西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行の通行を知らせた書状案。入江は父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、野尻に宿泊後、八日町の三学院付近へ到着したとする。伊地知杢右衛門からの連絡を受け、宿泊・通行への対応を関係者へ申し送っている。

  35. 後編6-No.334 西国時通外二名連署書状案

    西国時通らが、秋月家家老の入江三左衛門一行が翌日に当地へ通行する予定であることを知らせた書状案。父子三人・弟一人・女房衆五人を含む上下四十五人で唐津方面へ向かい、前日に野尻、当日に八日町へ宿泊した経路を示し、宿所・通行の準備を求めている。

  36. 後編6-No.335 川上久国外三名連署書状

    川上久国ら四名が、異国船と伴天連の潜入に備えて沿岸警戒を命じた連署書状。江戸年寄衆の意向を島津久通・新納久詮から受け、浦浜を担当する者は油断なく番を固めるよう求める。伴天連が日本商人に変装して日本船へ乗り移り、船を処分して山中へ潜伏する可能性にも触れ、前年の異国船取逃しを教訓に厳重な捜索を命じている…

  37. 後編6-No.336 伴天連並いるまん陳述書写

    伴天連・いるまんらの陳述書写。本文は『三三〇号文書と同文につき省略』とされているため、No.330と同じく、日本への渡航経路、切支丹宗門を広める目的、信徒勧誘、同宿・日本人協力者の役割を述べた供述として整理した。

  38. 後編6-No.337 阿倍忠秋・阿倍重次連署書状

    阿部忠秋・阿部重次が島津光久へ、無事帰国の礼として派遣された種子島左近と献上品の受領を伝えた連署書状。巻物二十と二種二荷を披露したところ、使者の左近が御前へ召し出され、念入りな献上を嘉賞されたとして、詳しくは左近が演説すると伝えている。

  39. 後編6-No.338 犬追物手組

    島津光久関係の犬追物手組。初日の第一組について、射手と騎馬の組合せ、および四角の外を回る順序を定めた編成表である。

  40. 後編6-No.339 犬追物手組

    犬追物の手組を記した詳細な編成表。島津家一門・家臣について、初日各番の射手名、騎馬・馬役、組ごとの人数と配置を列挙し、四角の外を回る順序も定めている。犬追物実施時の参加者構成と進行順を示す記録である。

  41. 後編6-No.340 犬追物諸役者注文

    犬追物の諸役者注文。初日から二日目までの各番について、射手・騎馬の組合せを列挙し、日記、幣之役、弓・太刀・鞭、犬放し、犬懸、狼藉時の兵具奉行など、競技運営を担う諸役と担当者を定めている。

  42. 後編6-No.341 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が、筑前大島で捕らえた南蛮人・伴天連らの白状を伝え、領内の切支丹穿鑿を命じた連署書状。阿部忠秋・阿部重次から江戸留守居が評定所へ呼び出され、井上筑後守の別紙とともに供述内容を在江戸大名へ示された経緯を報告し、国元でも同様に周知・捜索するよう求めている。

  43. 後編6-No.342 島津光久譜

    島津光久譜の記事。徳川家光が水野藤右衛門を上使として薩摩へ遣わし、鷹狩で得た鶴を島津光久へ賜った。光久はこれを拝戴し、島津市正忠弘を江戸へ急派して幕府執政へ謝意を述べ、忠弘は登城して酒肴を献上し、将軍家から時服十領を賜った。

  44. 後編6-No.343 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が、水野藤右衛門の薩摩下向に伴う接待・贈答を指示した連署書状。鶴拝領の礼に来る上使の宿所、饗応、腰の物などの進物を相談し、高価すぎる品や籠相の品は避けること、銀子の受取や支出を慎重に扱うことなど、過不足のない接遇を求めている。

  45. 後編6-No.344 島津光久譜

    島津光久譜の記事。寛永二十年九月二十七日に女帝が譲位し、新帝が即位したのは徳川家光の執奏によると記す。光久は島津筑前久頼を京都へ派遣して品物を献じて祝賀し、さらに江戸へ赴かせて酒肴を献上し、皇位継承を祝った。

  46. 後編6-No.345 川上久国外三名連署書状

    川上久国ら四名が敷根筑前守へ、今回の御使を務めるにあたり敷根姓では差し支えるため、島津姓を名乗るよう光久の意向を伝えた連署書状。日付はインデックス記載の寛永二十年十月五日を保持するが、本文の日付は寛永二十年十月十五日である。

  47. 後編6-No.346 堀田正盛書状

    堀田正盛が島津光久へ、将軍の機嫌がよいので安心するよう伝え、翌春に琉球使者を伴って参府するとの知らせを了承した旨を述べた書状。

  48. 後編6-No.347 川上久国外三名連署書状

    川上久国ら四名が敷根筑前守へ、京都への使者としての用務を終え次第、さらに江戸へ赴いて将軍へ祝言を申し上げるよう光久の命を伝えた連署書状。島津久通・新納久詮と相談し、添付の書状・案文に沿って手続きを進めるよう指示している。

  49. 後編6-No.348 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が敷根筑前守へ、阿部忠秋・阿部重次から諸大名留守居へ示された異国船警戒の幕命を急報した連署書状。唐人・切支丹の上陸を許さず、阿蘭陀船も乗員・積荷・書付を厳重に改め、疑わしい者を鹿児島へ報告するよう命じている。

  50. 後編6-No.349 島津久通外三名連署申渡書

    島津久通ら四名が領内へ申し渡した異国船取締りの廻文。長崎来航の唐船に天川で南蛮宗を学んだ切支丹の唐人がいたことを受け、唐人を陸へ上げず水は陸から船へ運び、海上で船内・積荷・人数を改め、疑わしい者は鹿児島へ即時報告するよう命じている。

  51. 後編6-No.350 島津久通外三名連署申渡書

    島津久通ら四名が、先に示した異国船・切支丹取締りの趣旨を領内の各浦へ回達し、現地の地頭からも漏れなく申し渡すよう命じた申渡書。

  52. 後編6-No.351 島津久通外三名連署申渡書

    島津久通ら四名が領内へ、異国船乗員・唐人の切支丹取締りをさらに厳命した申渡書。船中・荷物・所持品を改め、宗門の品や疑わしい者を発見した場合は隠さず報告し、関係者・宿主まで厳しく処断すること、勝手な移動や上陸を許さないことを命じている。

  53. 後編6-No.352 加久藤不動寺棟札

    加久藤不動寺の棟札。島津光久を大檀越として堂宇を再興したことを記し、嗣子鶴寿丸の誕生・成長と不動寺の由緒を掲げ、地頭伊地知氏らが建立に関わったことを伝える。

  54. 後編6-No.353 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が国元の重臣らへ、翌年の琉球使者参府について人数・行列・進物・船舶・馬・宿所・衣服・路銀などの準備を詳細に協議した連署書状。朝鮮使節の例も参照し、琉球人百二十人程度という当初案に対して二百五十人前後の編成を検討し、幕府・京都側との調整を求めている。

  55. 後編6-No.354 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が国元の重臣らへ、先の書状を受領したことを伝え、祝儀・進物や翌年の交替に伴う供立てについて、京都・江戸の関係者と相談しながら準備するよう求めた連署書状。供奉者の選定と熟練した者の召上げに念を入れるよう指示している。

  56. 後編6-No.355 阿部忠秋・阿部重次連署書状

    阿部忠秋・阿部重次が島津光久へ、将軍に関する光久の申し出を了承し、使者を通じて献上された樽肴を披露したところ、念の入った処置として将軍が満悦した旨を伝えた連署書状。

  57. 後編6-No.356 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が国元の重臣らへ、阿部忠秋・阿部重次から示された南蛮宗門に関する新たな法度を伝達し、従前の取締り方針と食い違いがないことを確認した連署書状。添付書状と合わせて早急に領内へ申し渡し、各役人が趣旨を徹底するよう命じている。

  58. 後編6-No.357 島津久通・新納久詮連署書状

    島津久通・新納久詮が川上久国へ、阿部忠秋当番中の登城・談合の経過や、酒井備後守の暇、鎌倉での鷹狩・箱根湯治、進物の取次ぎなど江戸での諸動向を報告した連署書状。関係老中への書状・相談を速やかに進めるよう求めている。

  59. 後編6-No.358 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、将軍の機嫌を伺うため島津市正を派遣した件について、将軍が変わらず健勝なので安心するよう伝えた連署書状。光久が献上した白砂糖五桶・肴一種・琉球酒二壺を披露し、将軍が満悦した旨を報告している。

  60. 後編6-No.359 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、上使水野藤右衛門尉を通じて将軍の御鷹の鶴を拝領したことへの礼を了承し、光久が差し越した使者と樽肴を披露したところ、将軍がその入念さを喜んだ旨を伝えた連署書状。

  61. 後編6-No.360 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、異国船に関して度々報告を受けたことを了承し、その入念な対応を将軍へ上聞に達した旨を伝えた連署書状。

  62. 後編6-No.361 鎌田政由起請文

    鎌田政由の起請文。蒲池新介から知音として書物を送られたが、召し上げを受けて返却したこと、今後は新介と一切相談・交際せず、命令に背かないことを三か条で誓い、諸神への神文を付している。

  63. 後編6-No.362 島津氏条書写

    島津氏の留守中条書。与中衆を統制し、留守中の寺社参籠・夜間参詣、若衆の遊山による町屋立入り、相撲などを禁じ、役人が気ままな行動をせず法度を厳守するよう命じている。

  64. 後編6-No.363 島津氏条書写

    島津氏の風紀・儀礼に関する条書写。身分に不相応な小袖着用、京都・江戸からの帰国者への見上げ物、上洛者への振舞・酒の持参、親類・役人間の過度な贈答や宴席などを禁じ、外城まで申し渡すよう定めている。

  65. 後編6-No.364 島津氏条書抄

    島津氏の財政・収納に関する条書抄。京都・江戸で年六百貫目余の不足が生じ、借銀も増えているとして、諸経費の省略、収納の徹底、未進処理、諸役人の吟味を命じる。地頭・役人への過度な贈答や宴席を禁じ、船奉行・商船などの運用も点検するよう求めている。

  66. 後編6-No.365 島津氏条書抄

    島津氏の留守中取締りに関する条書抄。留守中に家臣が気ままな行動をした場合は、罪の軽重に応じ、寺領の作業、川除・堀掘り、板材の調達などの公役を科すよう定めている。

  67. 後編6-No.366 島津久通等連署条書写

    島津久通らが船舶・交易・米穀輸送について定めた連署条書写。船の仕立て・修理・遭難時の損失、船頭・商人の責任、運賃・口米、島々への渡航、使者の扶持や米支給などを条々に規定し、不正や過分な負担を防ぐよう命じている。

  68. 後編6-No.367 御勘定所日帳

    寛永二十一年の御勘定所日帳。正月から十二月まで、使者・筆者の召出し、帳簿・証文・書付の授受、米・銀・物品・扶持・借銀の処理、地頭所や各役所からの申請・照会、役人の任免・吟味・差出しなどを日付順に記録する。藩財政と行政実務の年間推移を示す長大な日記である。

  69. 後編6-No.368 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、年頭祝儀の使者を差し越したことを了承し、その趣旨を将軍へ披露したところ、念の入った対応として将軍が満悦した旨を伝えた連署書状。

  70. 後編6-No.369 北郷久加譜

    北郷久加譜の記事。正保元年十一月十三日に日向国高崎地頭へ補任されたことを記し、霧島神社の社殿修理・造営や寄進を行って神徳を仰ぎ、家運長久を祈った経緯と棟札・銘文を掲げている。

  71. 後編6-No.370 霧島東御在所大権現棟札

    霧島東御在所大権現の棟札。島津光久を大檀那として社殿を再興・修理し、白石守藤原朝臣光久の代に加修したことを記す。神徳による国家安泰・子孫繁栄を祈り、伊地知知本ら修理関係者を掲げている。

  72. 後編6-No.371 島津久通外三名連署書状

    島津久通ら四名が北郷久加へ、石高一石につき銀二分、領内の男女老若一人につき銀二分を合力銀として徴収するよう命じた連署書状。前年の出米時に米価が安く借銀が増えたため、琉球にも同様に申し渡し、定めどおり銀・米を納めさせるとしている。

  73. 後編6-No.372 天草立軍衆覚

    天草立軍衆の人数覚。鹿児島衆・外城衆などを内衆と披官・小者に分けて人数を列挙し、天草出陣に関わる軍衆の総数を集計した記録。

  74. 後編6-No.373 吉田康清有馬・天草両陣軍衆人数極

    有馬・天草両陣の軍衆人数極。鹿児島衆・外城衆などについて内衆と披官・小者の人数を区分して集計し、両陣に動員された人数の総計を示す。黒田三左衛門・土持左馬権頭の確認を伴う。

  75. 後編6-No.374 有馬立軍衆人数極

    有馬立軍衆の人数極。鹿児島衆・外城衆・獅子島衆などを内衆・披官・小者に分け、各集団の人数と総人数を記録した動員集計。吉田次郎兵衛が人数を取りまとめている。

  76. 後編6-No.375 奥平貞由・遠山景朝連署書状

    奥平貞由・遠山景朝が、御用のため派遣された竹内忠左衛門・有馬次右衛門に対し、現地の仕置について相談し、書付を渡したことを報告する連署書状。詳細は両使者が説明するとしている。

  77. 後編6-No.376 山田某・木戸某連署覚書

    山田某・木戸某が知行方の仕置を詳述した連署覚書。大奉行・郡奉行・代官を置き、郷村の善悪・水損日損・新田を調査し、庄屋・百姓の年貢、扶持米、代官米、夫役、馬・兵粮、町と市場、山林・竹木などを統制する行政・収納制度案を条々に示している。

  78. 後編6-No.377 某覚書

    銀子の元高・利銀・本利合計と月数を掲げた覚書。京都での金銀貸借または勘定に関する金額を整理し、竹内忠左衛門へ示したもの。

  79. 後編6-No.378 僧太極覚書

    僧太極が新納刑部太輔へ、志布志大慈寺の寺派・住持継承をめぐる由緒と争論を説明した覚書。大慈寺が東福寺派に属した経緯、西院・妙心寺派との関係、京都での認可、寺領・住持の扱いを述べ、従来どおりの処置となるよう披露を求めている。

  80. 後編6-No.379 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が新納刑部太輔へ、異国船が着岸した際は従前の命令どおり領内で油断なく警戒し、万事を厳重に申し付けるよう命じた連署書状。

  81. 後編6-No.380 牧野信成・松平乗友書状

    牧野信成・松平乗友が島津光久へ、将軍・若君の機嫌を伺うため伊勢兵部少輔貞昌を派遣した件を了承し、両上様とも機嫌がよいので安心するよう伝えた連署書状。

  82. 後編6-No.381 松平信綱外二名連署書状

    松平信綱ら三名が島津光久へ、両上様の機嫌を伺うため前年冬に派遣された島津市正が上聴に達し、呉服を拝領したことを報告した連署書状。光久の入念な対応を了承し、両上様の機嫌がよいので安心するよう伝えている。

  83. 後編6-No.382 島津久通譜

    島津久通譜の記事。寛永二十一年三月八日、島津光久が評定所へ出座して政務を執ったことを記す。

  84. 後編6-No.383 島津光久達書案

    島津光久の達書案。親の下野守に付属していた役分知行を従来どおり島津久通へ下し置くことを伝え、久通が礼を申し上げた返答を聞き届けた旨を新納刑部太輔から申し聞かせている。

  85. 後編6-No.384 根占重永起請文

    根占重永の起請文。八木主水佐から知音として送られた書物を命令により返却したこと、今後は主水佐と相談・交際せず、いかなる場合も上意と法度に背かないことを誓っている。

  86. 後編6-No.385 島津綱久書状

    島津綱久が種子島左近太夫へ、年頭祝儀の使者と太刀一腰・馬一疋の献上を受け、遠方からの懇志を喜んだ旨を伝えた書状。詳細は島津久通から申し伝えるとしている。

  87. 後編6-No.386 犬追物手組

    寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の外囲次第について、射手・騎馬の組合せと順序、検見役・喚次役などを列挙した編成表。

  88. 後編6-No.387 犬追物手組

    寛永二十一年三月十三日の犬追物手組。一番の囲次第について、射手・騎馬の配置と検見役・喚次役・日記役・幣之役などの担当者を定めた編成表。

  89. 後編6-No.388 島津久通譜

    島津久通譜の記事。寛永二十一年四月朔日、家老中の条書に射手奉行として土持左馬権頭・相良主税助の名が掲げられたことを記す。

  90. 後編6-No.389 島津光久達書写

    島津光久の達書写。島津久通から役分を差し上げたいとの願いが出されたことについて、その返答を聞き届けた旨を新納刑部太輔を使者として伝えている。

  91. 後編6-No.390 喜入久治寄進状

    喜入久治が国武作の刀一振を神前または寺社へ納めた寄進状。本文には刀身の図と『為御納内 国武之刀』の注記を伴う。

  92. 後編6-No.391 北郷久加外三名連署書下

    北郷久加ら四名が、川辺の山之寺客殿が破損したため再建勧進を行うことを許可し、領内の貴賤を問わず志に応じて寄進するよう命じた連署書下。

  93. 後編6-No.392 川上久国外三名連署書下

    川上久国ら四名が、川辺山之内の山之寺客殿の破損に伴う造営勧進を許可し、領内の貴賤を問わず志に応じて寄進するよう命じた連署書下。No.391と同趣旨の再建勧進許可である。

  94. 後編6-No.393 岩下某口上覚書

    岩下某の口上覚書。以前に本高麗町で屋敷を与えられ、番所役を勤めてきたが、屋敷帳には載る一方で衆中帳に記載がないため、家族・扶持・役勤めの実績を挙げて衆中帳への登録と身分の確認を求めている。

  95. 後編6-No.394 岩下某口上覚書

    岩下某の口上覚書。島津義弘の代から近侍・細工役として奉公し、茶入袋などの細工や諸役を勤め、扶持米を受けてきた経歴を述べる。家族・子孫の生活と従来の扶持・役目を維持するため、奉公実績を踏まえた処遇を願い出ている。

  96. 後編6-No.395 八木元信起請文

    八木元信の起請文。根占七郎へ執心して起請文を渡したことを不調法として詫び、以後は交際しないこと、主君への忠節と法度を守ることを誓う。多数の神仏名を列挙した長大な神文を伴う。

  97. 後編6-No.396 某覚書

    南蛮人・伴天連の密航と交易に関する覚書。南蛮人が唐人の装束で唐船に紛れ、天川商人を介して商品を扱い、日本人姿で唐船・日本船に乗って来航する可能性を警告する。漁船を含む船舶の監視と、日本船の外国寄港禁止の徹底を求めている。

  98. 後編6-No.397 荒木某書状

    荒木某が、江戸在住の南蛮伴天連が日本へ渡来するとの情報を伝えた書状。鍋島信濃守・高力摂津守らが吟味し、諸浦まで番船を巡回させると聞いたため、関係文書の写しを送り、沿岸警戒を求めている。

  99. 後編6-No.398 島津光久書状

    島津光久が琉球側へ、両使から事情を承知したとして、従来の国法・置目を変えず、官人・侍・百姓に至るまで忠実に奉公するよう厳命した書状。緩怠や違反があれば厳しく処置するとし、使者の口上と合わせて統制を徹底させている。

  100. 後編6-No.399 喜入久治寄進状

    喜入久治が正八幡宮へ国武作の刀一振を奉納した寄進状。刀の奉納趣旨と、喜入舎人佑・澤水賢老ら関係者を記す。