追録7-No.2207記事旧記雑録暫定版・確認中
安山大中寺住職トナリ重豪ノ寿像ヲ福昌寺ニ安置ス
文政11年2月3日(記事。翌年5月の遷座まで記載)/整理ID 旧記雑録追録7_文書2207
確認度高
この文書は暫定版です
現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。
概要
重豪公御譜の記事。文政十一年二月三日、福昌寺住持安山が幕府により大中寺住持となる。大中寺・総寧寺・龍穏寺を三関三箇寺とし、大中寺を下野、総寧寺を下総国葛飾郡国府臺、龍穏寺を武州高麗郡越生に置き、各寺の所領・管轄国と遠州の睡齋領を列記する。安山は重豪の特恩に報いるため寿像を本国福昌寺に安置したいと願い、許可を受けて仏匠梶田武助を中寺に招き彫刻させる。重豪は実名・花押を自書して像内に納める。二十七日に像が完成し、四月朔日に武助が高輪邸へ奉持し重豪が見る。その後、大中寺へ護送し、江府にいた福昌寺役人島津孫左衛門良中が寺社方の取次として寿像を護送する。江戸・大中寺からの出発は本文で「二十一日」と続き、東海・中国・九州の駅路を経て五月二十八日に鹿児島福昌寺へ着く。仏室未完成のため客殿の御仏座に置き、翌年五月に仏室が成り、十五日に仏殿へ遷座する。斉興は家老島津但馬久風を遣わして寿像を拝ませる。像完成日・出発日の月は本文に明記されていないため補わない。
登場人物
安山、島津重豪、梶田武助、島津孫左衛門良中、島津斉興、島津但馬久風
宛先
記事(宛名なし)
キーワード
安山、大中寺、福昌寺、三関三箇寺、総寧寺、龍穏寺、梶田武助、重豪寿像、実名花押、高輪邸、島津孫左衛門良中、五月二十八日、仏室、翌年遷座、久風代拝
冊子頁
782~783頁
読込量
小
面白さ
★★★★☆
原文を確認
(5)698~928頁(文政7~天保3).pdf