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後編4の目録
旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。
全1,899件中 101~200件・2 / 19ページ
後編4-No.101 本多正純書状
本多正純が島津忠恒に、重陽の祝儀として大御所へ進上した御服五領を披露し、無事受納されたので安心するよう伝えた書状。大御所の御内書は後日整えて送るとする。
後編4-No.102 島津義久書状案
島津義久が関白職就任を祝う書状案。祐乗法印の治療で自身の病状はおおむね快方に向かったが、膝痛と脚気で歩行が難しいことを述べ、南蛮頭衣一つと革五枚を進上して取り成しを頼む。
後編4-No.103 島津義久書状案
本文はNo.102と同文のため省略された島津義久書状案。関白職就任の祝賀、自身の療養、南蛮頭衣・革の進上に関する内容である。
後編4-No.104 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が島津忠恒から重陽の祝儀として小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは本多正信から伝えるとした御内書。
後編4-No.105 本多正信書状
本多正信が島津忠恒に、重陽の祝儀として呉服五領を進上したことを披露し、徳川秀忠の御内書と目録写しを送った書状。自分にも小袖三領が贈られたことへ深く礼を述べ、当地の様子は使者から伝えるとする。
後編4-No.106 亨徳院正純書状
亨徳院正純が島津惟新に、注文された茶道具・焼物・紙などの調達と送付について答えた長文書状。注文名の確認、遠路での運送、品物の見分け、茶会用具や使者との相談などを詳しく述べ、今後も必要品があれば知らせるよう伝える。
後編4-No.107 島津家久譜
山口直友が用事のため和久甚兵衛尉を使者として薩摩へ送り、九月十五日付の書状を届けたことを記す記事。徳川家康が伏見を発って関東へ向かったこと、石船建造を遅滞させないことなどが書かれていた。
後編4-No.108 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、徳川家康が九月十五日に無事関東へ下向し、自身は伏見留守居を務めると伝えた書状。石船の建造を遅らせないよう強く求め、呉国向けの朱印三通を送り、和久甚兵衛の口上をよく聞いて船を遣わすよう依頼する。
後編4-No.109 島津常久譜
島津常久譜の記事。九月十六日、右松安右衛門尉が惟新の使者として上着し、伊集院肥前守を常久の代役とする旨の書状をもたらし、翌日返書を託された。十月二十八日には寅連房・伊地知利兵衛尉が使者として上着し、島津忠恒の書状により長旅の労をねぎらうとともに、伊集院肥前入道を常久の代役とする旨が伝えられたことを記…
後編4-No.110 島津忠恒書状
島津忠恒が島津常久に、長い在京勤務をねぎらい、番替として伊集院肥前入道を上京させるので、町田勝兵衛尉らと交代して帰国するよう命じた書状。
後編4-No.111 本多正信書状
本多正信が島津忠恒へ、重陽の祝儀として将軍徳川秀忠に呉服五領を進上した件が披露され、秀忠が喜んで御内書を送ったので承知するよう伝えた書状。進上品の目録に正信が裏判して送り、正信自身に贈られた小袖三領(染鹿子・白綾・亀屋嶋)にも礼を述べ、詳しくは使者が伝えるとしている。
後編4-No.112 島津家久譜
大久保忠隣と本多正信が九月二十五日付の連署奉書を島津忠恒へ送り、領国内にある五百石積み以上の船は商船であっても献上し、淡路国岩屋で九鬼長門守へ引き渡すよう命じた記事。久永源兵衛尉・向井将監も現地にいると伝える。
後編4-No.113 本多正信・大久保忠隣連署状
大久保忠隣と本多正信が島津忠恒に、領内の五百石積み以上の船は商船も含め残らず上せるよう命じた連署状。大御所が江戸へ到着したことを知らせ、来春の上洛時に詳しく会談すると伝える。
後編4-No.114 本多正信書状
本文はNo.397と同文のため省略された本多正信書状。掲載箇所には本文がなく、日付・宛所などの注記のみを示す。
後編4-No.115 島津義久詠草
島津義久が清水岡寺を題材に詠んだ和歌。片岡に囲まれた寺の住人と、憂き世を知らぬ菊の花を重ねて詠む。
後編4-No.116 島津義久譜
島津義久譜の記事。慶長十年九月二十七日、島津忠恒(太守)が清水岡寺(岳寺)に遊び、車を留めて和歌一首を詠んだことを記す。その後、御歌を拝覧した松堂が、境内と菊花を詠んだ御歌の韻を用い、花亭で七言絶句を賦して唱和した。唱和詩は、山に囲まれた小蓬莱に太守の車が留まったこと、荒れた菊園の野趣と和歌の芳意を…
後編4-No.117 島津家久譜
板倉勝重と米津親勝が連署状を送り、大船を献上するよう重ねて催促したことを記す記事。
後編4-No.118 板倉勝重・米津親勝連署状
板倉勝重と米津親勝が島津忠恒に、先に申し入れた大船献上について江戸年寄衆から再度書状が来たため転送し、領内の商船も調査して同様に上せるよう命じた連署状。
後編4-No.119 古田重然書状
古田重然が島津忠恒に、帰国後に音信が途絶えていたことを詫び、九月十五日に大御所が伏見を発って江戸へ到着したと知らせた書状。当地に変事はなく、来春の上洛時に詳しく会談したいと述べる。
後編4-No.120 山口直友覚書
山口直友が島津惟新に送った、十一月朔日に古田織部方で行われた茶事の覚書。床・棚・釜・振舞膳・菓子・茶碗・水指などの道具と料理、座敷の寸法や配置を具体的に列挙する。
後編4-No.121 島津家久譜
島津家久譜の記事。島津忠恒が、帰国に関する謝礼、平戸に漂着した琉球船の件、領内を検分したものの命令に応じ得る大船がなかった件などを伝えるため、三原諸右衛門尉重種・喜入吉兵衛尉久洪を使節として駿府および淡路国岩屋へ派遣し、各所で事情を述べさせた。詳細は本多正信・久永源兵衛尉・向井将監・山口直友の返報に…
後編4-No.122 本多正信書状
本多正信が島津忠恒からの詳しい書状を拝見し、上方で両御所への奉公を無事終えて帰国したことを喜んだ書状。朱珍二十端の贈答に礼を述べ、当地の様子は三原重種・喜入久洪から聞くよう伝え、白鳥一羽を添える。
後編4-No.123 島津常久譜
島津常久の公宅警衛の番替と帰国航海を記した記事。十一月四日に川田大膳正、同月二十日に伊集院肥前入道元巣が常久に代わる警衛として上京した。常久は同月二十六日に伏見を発ち、十二月五日に大坂から福島へ、同月八日に伝法から播州室津へ進んだが、逆風のため航海が滞った。同月十九日に筑前唐泊へ繋船して船中で越年し…
後編4-No.124 小林家孝書状
小林家孝が島津忠恒に、久しく音信が途絶えていたことを詫び、豊臣秀頼の無事を喜ぶとともに、旧知の小早川隆景家臣・井上又右衛門尉から依頼された、その子五郎兵衛尉の福島正則への仕官について周旋を求めた書状。忠恒からも働きかけ、仕官が調うよう取り成してほしいと重ねて頼み、末尾で当地の近況などを伝える。
後編4-No.125 相良頼房(長毎)書状
本文は『御文庫二番箱家久公十三巻中』『家久公御譜中ニ在リ』との所在・参照注記だけで、犬の所望や鷹の所持に関する本文記述はない。
後編4-No.126 島津忠恒書状
島津忠恒が北郷次郎に、石漕船がどの程度完成したかを問い合わせ、見回りのため使者を送った書状。詳しくは口上に含めたとする。
後編4-No.127 島津竜伯書状
島津竜伯が島津惟新に、翌朝の訪問予定と道中・到着時刻、伊勢平左衛門方での宿や振舞について相談した書状。老齢のため移動が遅れる見込みなので、宿での振舞を控えるよう頼んでいる。
後編4-No.128 向井忠勝書状
向井忠勝が島津忠恒に、段子三端の贈答へ礼を述べ、領内に十六端帆以上や五百石積み以上の船がないとの報告を受けた書状。五百石を超える船だけを淡路へ回し、それ以下は不要とし、該当船がない旨の手形を求める。
後編4-No.129 久永重勝書状
久永重勝が島津忠恒に、段子三端の贈答へ礼を述べ、領内に五百石積み以上の船がないとの報告を駿府・江戸へ伝えるとした書状。十六端帆の船でも五百石を超えるなら淡路へ回すよう指示する。
後編4-No.130 久永重勝・向井忠勝連署状
久永重勝と向井忠勝が島津忠恒に、五百石積み以上の船が領内にないなら両人宛ての証明書を出すよう求めた連署状。十六端帆・十四端帆でも五百石を超える船は淡路由良湊へ届け九鬼長門守・小浜久太へ渡し、それ以下は回航不要と指示する。
後編4-No.131 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が島津忠恒から音信として蜜柑が二度届いたことを喜び、詳しくは本多正信から伝えるとした御内書。
後編4-No.132 山口直友書状
山口直友が島津忠恒(奥州様)に、南部酒二樽を進上するとともに、平戸へ琉球船が寄港した件について差し上げられた使節二人から御書と口上の趣旨を承り、忠恒の内意どおり使者を本多上野介(正純)のもとへ派遣して関東へ伝えたと報告した書状。上意を受けた後に返事があるはずなので、改めて申し上げるとする。また、石船…
後編4-No.133 寺沢広忠書状
寺沢広忠が島津忠恒に、蜜柑五百個入りの籠四つを贈られた礼を述べ、枕山権左衛門・平田太郎左衛門を召し出したと報じた書状。大船献上の命を受け、忠恒が十六・七端帆の船二艘を、自身も十八端帆の船を進上することに触れる。
後編4-No.134 飯野白鳥権現社棟札
慶長十年十一月十一日に飯野白鳥権現の宝殿一宇を造立した棟札。祭神の本地・垂迹を述べ、大檀那として島津忠恒・義久・義弘を掲げ、座主・木屋奉行・大工・塗師・鍛冶など造営関係者を列記する。
後編4-No.135 島津竜伯詠草
島津竜伯の詠草。神垣の榊は冬にも青葉を保つという趣を詠み、慶長十年十二月の作と注記される。
後編4-No.136 島津竜伯袖判伊集院抱節久治・山田理安有信連署証状
国分への御殿移転に伴い、金剛寺を祈願所として、吉祥院知行のうち二十石と新知八十石、合計百石を宛行い、所中の諸役を免許する一方、京儀国役は勤めるよう定めた、島津竜伯袖判・伊集院抱節久治・山田理安有信連署の証状。
後編4-No.137 島津竜伯袖判伊集院抱節・山田理安連署証状
国分への御殿移転に伴い、新地建立のため金剛寺へ旧知二十石・新知八十石、合計百石を与え、所中の諸役を免除し、京儀国役は勤めるよう定めた連署証状。
後編4-No.138 島津義久書状案
島津義久が寺沢広忠に、歳暮の祝儀として使札と小袖一重を受けた礼を述べた書状案。毎年の贈答と家族への配慮に感謝し、来春の江戸普請に向けた石舟普請衆の派遣や島津忠恒の正月上旬の出府予定、自身への命令はまだないことを伝える。
後編4-No.139 留守中置目条書
留守中の屋敷運営と規律を定めた置目条書。留守居中の参詣や御礼、御前への出入り、夜間に奥へ入ること、人員の雇用、納殿衆の勤務と無断欠勤、来客・酒宴、女房衆や小者の取次ぎ、台所・囲炉裏、龍伯の判形を用いる文書の扱い、役人同士の相談、奥州様の客への応対などを細かく規定する。違反・怠慢は重科とし、役人の指図…
後編4-No.140 島津義久譜
島津義久が重い病に罹り、国内の医薬では効き目がなかったため、徳川家康が祐乗房を薩摩へ派遣して療養させ、回復したことを記す記事。義久は使者を立てて謝礼を伝え、十二月二十五日付の家康の書状を受けた。
後編4-No.141 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、先の使者二人からの申し入れを関東へ取り次ぎ、本多正純から返事があり次第知らせると伝えた書状。石舟の件を油断なく進めるよう求め、徳川家康が来春早々に上洛する予定なので、忠恒も遅れず上洛することが肝要だと述べる。
後編4-No.142 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が島津忠恒から歳暮の祝儀として小袖五重を贈られたことを喜び、詳しくは本多正信から伝えるとした御内書。
後編4-No.143 本多正信書状
本多正信が島津忠恒に、歳暮の祝儀として呉服十を進上した件は披露され、遠路からの厚意を喜んでいると伝えた書状。さらに呉服・綾・染物などの進物にも触れ、山口駿河守から詳しく伝えるとする。
後編4-No.144 徳川家康御内書
徳川家康が島津義久に、祐乗坊の治療によって病気が平癒したことを重ねて喜び、砂糖五百斤の到来にも謝意を示した御内書。
後編4-No.145 島津家久譜
島津忠恒が使者を遣わして時服を献じ、徳川秀忠と徳川家康へ歳暮の祝儀を申し上げたところ、両者から御内書および奉書が下されたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.146 本多正純書状
本多正純が島津忠恒に、歳暮の祝儀として呉服十・綾三・染物三などを進上した件を披露し、厚意に感謝した書状。使者の到着後、面会して直接申し述べるとする。
後編4-No.147 徳川家康御内書
徳川家康が島津忠恒から歳暮の祝儀として小袖十のうち綾三を贈られたことを喜び、厚意を謝した御内書。
後編4-No.148 本田親存書状
本田親存が本田助允に、書状と下緒一具・唐墨を贈られた礼を述べた返書。勝吉の所持品を拝見したことに触れ、勝吉が懸命な療養にもかかわらず十二月二十日に三十三歳で病死したことを悼み、後の処置について相談している。
後編4-No.149 本多正信書状
本多正信が山口直友に、島津忠恒が歳暮の祝儀として徳川秀忠と忠恒側へ使者を立て、呉服を進上した件は酒井雅楽頭によって披露され、御内書が下されたと伝えた書状。使者への小袖五重の下賜にも触れ、引き続き取り計らうよう求める。
後編4-No.150 徳川家康御内書
徳川家康が山口直友から音信として砂糖千斤を贈られたことを喜び、謝意を示した御内書。
後編4-No.151 伊勢貞昌起請文
伊勢貞昌が、御前で稽古や書物に関わって知り得た事柄を一切他言しないと誓った起請文。違背した場合は梵天・帝釈・四大天王をはじめ日本国中の神々の罰を受けるとする。
後編4-No.152 慶長十年国府衆中交名
慶長十年の国府衆中を家ごとに列記した大規模な交名。町田縫殿助(後の駿河守)をはじめ、各家の当主・子・兄弟・養子・婿・被官らの姓名、入道名、役職、親子・養子関係、居所・移住先、出仕・死亡などの注記を収める。
後編4-No.153 得能氏記録
得能氏記録から、徳川家康・秀忠の伏見・江戸往来と秀忠の征夷大将軍任命、参内、諸大名・公家の叙位任官などを日付順に記した記事。家康の伏見城修理や江戸帰還までを収める。
後編4-No.154 国老用人記
国老用人記の記事。慶長十一年、島津義久が帖佐から平松へ移った後、二年間在城した際の家老として、新納旅庵・新納弥七左衛門・伊勢平左衛門・上井次郎左衛門を挙げ、御使衆として新納本右衛門入道一甫を記す。
後編4-No.155 徳川秀忠御内書
徳川秀忠が島津忠恒へ、恒例の蜜柑が遠路から届いたことを喜び、格別の心遣いに謝意を示し、詳細は本多正信(佐渡守)が伝えるとした御内書。
後編4-No.156 徳川家康御内書
徳川家康が島津忠恒へ、蜜柑二箱が遠路から届いたことを喜んだ御内書。
後編4-No.157 島津惟新義弘書状
島津義弘(惟新)が福島正則へ、山居で茶を点てて日を送る近況を伝え、一座分の畳表を所望した書状。かつて正則が望んだ呂宋犬に子が生まれたため、赤ぶち・黒ぶちの子犬各一疋を贈るとし、上京する島津忠恒(陸奥守)を引き続き懇意にするよう頼んだ。新年の祝儀として太刀一腰・馬一疋も贈り、内容を他言しないよう求めて…
後編4-No.158 島津忠恒書状
島津忠恒が北郷忠能へ、陽春の祝詞として例年どおり佳札ならびに五明二本が届いたことを重ねて喜び、日々の慶賀は尽きないと述べた書状。
後編4-No.159 島津家久譜
慶長十一年正月中旬、造られた石槽船がすべて帆を開き、淡路国の由良・岩屋などの港へ向けて出航したことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.160 島津義弘復書
島津義弘が呂宋国王に、日本と呂宋との交易と友好を求めた復書。交易が天下の民を利するとの考えを述べ、日本の貨物を積んだ船を送り、帰国用の船の提供と今後の往来、海上の安全確保を求める。
後編4-No.161 島津義弘答書
島津義弘が呂宋国王へ、黎明勝らの来訪と書状を喜び、羅明敕院の人物を賞するとともに、前年に大洋で風波に遭って日本へ漂着した船の客を帰国させるため新船を造ったことを伝えた答書。今後は毎年一船に貨物を載せて往来し、交易を継続したいと願い、緞子一端・烏陀羅毘一巻の贈物を受領したことへの謝意を述べる。
後編4-No.162 島津忠恒書状
島津忠恒が竜伯に、上洛の意向を承知し、急ぎ申し上げた書状。石舟の出船、使者の遅延、出雲の病気や家中の取り計らいにも触れ、詳しい指示を求める。
後編4-No.163 島津竜伯義久書状
島津義久が島津忠恒に、上洛と京都・伏見での滞在、随行者の選定、家中の秩序維持について細かく指示した書状。留守中の城内勤務、酒宴や私的な出入り、物資・役人の扱いなどを戒め、不正や混乱を防ぐよう求める。
後編4-No.164 島津家久譜
島津忠恒が使節を細川幽斎のもとへ遣わし、新年の祝儀として太刀一腰・馬代黄金二十両・緞子十巻を献じたところ、幽斎から返書と内書が届いたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.165 島津義久書状案
島津義久が信門助に宛てた書状案。前年夏、川野猪右衛門を介して祐乗法印へ一件を相談したところ、信門助が事情を聞き、格別に力添えして詳しく知らせたことへ謝意を述べ、今後も頼みとすると伝える。伊集院肥前入道が伏見の屋敷に在番していた際に関白から召し出された件にも触れ、その折の信門助の懇情を深く謝す。四、五…
後編4-No.166 島津義久書状案
島津義久が祐乗法印に、前年からの療養と調薬への礼を述べた書状案。薬の服用後に気分が改善し、膝痛や嘔吐などの症状も落ち着きつつあることを報告し、今後の薬と診療を引き続き頼む。
後編4-No.167 島津惟新書状案
島津義弘が島津忠恒に、家中の統制と国元の政務について申し送った長文の書状案。国外船の出入りと物資、船の配備、役人の任用、勤務規律、酒宴、城内警備などを取り上げ、命令を徹底し勝手な行動を許さないよう求める。
後編4-No.168 島津家久譜
島津家久譜の記事。慶長十一年二月上旬、島津忠恒が江戸へ向かうため鹿児島を発ち、官道を通って同月十五日に京都へ着き宿泊した。供奉の家老は比志島紀伊守国貞・伊勢兵部少輔貞昌・山田民部有栄で、ほかの従者名は伝わらない。島津義弘は本田源右衛門尉親同・伊勢平左衛門尉貞成および旗手の士を遣わし、忠恒を乗船地の港…
後編4-No.169 島津忠恒書状
島津忠恒が、船団が京泊へ到着したため急いで出船し、上洛衆を宿所へ集めるよう命じた書状。別用の者も同座させ、兵糧・物資を先に送ることや、本田源右衛門・伊勢平左衛門の参着を待って処置することを伝える。
後編4-No.170 秋月種長書状
秋月種長が島津義弘に、命令を受けたことを報じ、上洛準備と使者の取り次ぎを依頼した書状。内府徳川家康が今月十五、六日ごろ上京するとの知らせを伝え、河東方面の船の手配についても返答を求める。
後編4-No.171 詠花有喜色和歌
慶長十一年三月四日に催された『詠花有喜色』を題とする和歌会の詠草。島津義久・義弘をはじめ家臣や僧侶らが、春の花の色、霞、雪、風、長閑さなどを詠み交わした。
後編4-No.172 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、先日の飛札を受けて報告したことを伝えた書状。徳川家康の上洛と忠恒の上洛時期、伏見での御座所や諸大名との対面・使者の取り次ぎについて、決まり次第知らせると述べる。
後編4-No.173 島津家久譜
慶長十一年三月二十七日、島津忠恒が芸州から高崎へ赴いて船に乗った際、上国から帰る三原諸右衛門重種の使者に会い、情勢を記した書一通を託して国元へ返したことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.174 島津家久書状(No.28と同文)
本文はNo.28と同文のため省略されている。内容は、島津忠恒(家久)が島津義弘(惟新)へ、安芸国高崎で三原諸右衛門尉に会い、順風により早く上洛できそうだと報じ、鹿児島留守中の処置、とりわけ唐船への注意を求めた書状である。前年に秋月殿領へ漂着した唐船が江戸で問題となったことを踏まえ、各浦の唐船奉行へ指…
後編4-No.175 島津家久譜
本多正純が三月二十七日付で島津忠恒に書状を送り、領国内へ唐船が着岸した場合は長谷川左兵衛へ連絡し、事情を把握して適切に処置するよう伝えたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.176 本多正純書状
本多正純が島津忠恒に、唐船が領内に着岸した際の取り扱いを命じた書状。乗員や積荷を勝手に処分せず、事情を調べて長谷川左兵衛へ報告し、指示を受けるよう求める。
後編4-No.177 島津家久譜
島津忠恒が駿府へ向かおうとした際、山口直友が徳川家康・秀忠父子の上京が近いので伏見で拝礼すべきだと勧め、本多正信も同意見の返書を寄せたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.178 本多正信書状
本多正信が島津忠恒に、新春の書状を受けた礼を述べ、徳川家康・秀忠父子への礼のため下向する件について、家康の駿州入りが近いので当地で待つのがよいと助言した書状。
後編4-No.179 島津以久譜
慶長十一年三月、島津以久が参勤のため上洛して徳川家康に拝謁し、その後東国へ赴いて徳川秀忠にも拝謁したことを記す記事。江戸城普請に際して栗石を献上し、帰国の暇と脇指・小袖・白銀などを賜った。
後編4-No.180 島津竜伯書下
島津竜伯が妙谷寺の再興に際して出した書下。大閤の命で神社仏寺領が没収された後、篤志によって妙谷寺を再興し、寺領五百石を寄進したので、歴代住持は修造と勤行を怠らないよう命じる。
後編4-No.181 島津惟新書状
島津義弘(惟新)がゆの殿に、世継ぎに関わる縁談について返答した書状。弥二郎を望む意向を承知した一方、藤二郎の妹との縁組について少将殿から話を受けているため、まず少将殿へ内意を伝えて返事を得たうえで、その意向に従って取り計らうよう述べ、弥八郎や平松への伝達にも触れる。
後編4-No.182 瀬戸口勧之丞外二名連署起請文
瀬戸口勧之丞ら三名が、預け置かれた御物について内容を漏らさず、命令に忠実に取り扱うことを誓った連署起請文。違背した場合は梵天・帝釈・四大天王、九州の諸社、霧島・八幡などの神罰を受けるとする。
後編4-No.183 島津家久譜
島津忠恒が大坂に滞在したころ、琉球国中山王の朝貢が近年途絶えていたため、その責任を問うべく大島出兵が議論されたことを記す島津家久譜の記事。島津義弘は桂忠昉を通じて討議内容を忠恒へ伝えた。
後編4-No.184 島津惟新書状
島津義弘が島津忠恒に、在京中の労をねぎらい、琉球・大島渡海の談合と出兵準備について詳しく報告した書状。竜伯への相談、出物・人員の手配、関係役人との談合、振舞や接待の段取りなどを伝える。
後編4-No.185 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、昨日の報告を受け、京都での滞在が延びたことを伝えた書状。徳川家康の到着を待つ間に大坂へ人を遣わして調整し、忠恒の上着・帰着時期についても相談したと述べる。
後編4-No.186 島津家久譜
慶長十一年四月四日、島津忠恒が愛宕山へ参詣し、同月七日に徳川家康が伏見へ入ったことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.187 島津義久(龍伯)・島津忠恒連署掟書(後編3 No.1955と同文)
島津義久(龍伯)と島津忠恒が連署し、侍の命令服従、武具の整備、殿役、喧嘩の停止、外城衆の地頭への服従、百姓の耕作時刻、普請・狩猟、服装・飲酒、出物などを定め、違反者には所領没収または成敗を科すとした掟書。本文は後編3 No.1955と同文のため省略されている。四月八日付で、慶長十一年かとの張紙があり…
後編4-No.188 昭高院如雪道澄書状
昭高院如雪道澄が島津忠恒に、数枝の花を贈られた礼を述べ、珍しい花を賞翫したことを伝えた書状。後日あらためて返礼を申し述べるとする。
後編4-No.189 某書状
差出人不詳者が少将殿に、先に厚意を受けたことへの礼を述べ、音信のしるしとして太刀一腰・月毛の馬一疋・蝋燭百挺を贈った書状。少将殿の滞留中に参上して詳しく申し述べるとし、残りは西川左馬に伝え含めたとする。
後編4-No.190 島津惟新書状
島津義弘が島津忠恒に、在京中の滞在・帰国時期、諸役人の任用、宿所や普請、材木・道路の手配について詳しく申し送った長文書状。福島正則らとの交渉、鹿児島方面の普請、山城の作事、使者や留守居の処置などを指示する。
後編4-No.191 島津竜伯書状
島津竜伯が島津忠恒に、唐船関係の予定は当年九月ごろ、遅くとも十月には決まる見込みだと伝えた書状。自身の上京時期や現地での手続き、山口駿河守からの書状を踏まえ、今後の日程を知らせるよう求める。
後編4-No.192 昭高院如雪書状
昭高院如雪が島津忠恒に、無事到着した知らせを喜び、珍しい自然石を贈られた礼を述べた書状。伊勢左衛門尉を呼び寄せて祝意を伝え、忠恒の今後を祈念するとする。
後編4-No.193 島津竜伯書状
島津竜伯が島津忠恒に、上京後に音信がなく心配していると述べ、鹿児島からの早打が遅れた事情や現地の様子を詳しく知らせるよう求めた書状。桂太郎兵衛尉の上洛予定にも触れる。
後編4-No.194 島津龍伯書状
島津龍伯(義久)が島津忠恒に、屋久島へ唐船が着岸した際の積荷検査について、検使の家村源左衛門尉と鈴木猪介の処置が不十分で、荷物が散逸したことを報告した書状。種子左近太夫にも事情を申し渡し、家村は永く召し籠めて所領没収も覚悟させるとし、鈴木の処分は忠恒の判断に委ねた。ただし鈴木が半狂であることに酌量す…
後編4-No.195 島津家久譜
慶長十一年四月十九日、島津忠恒が伏見城へ登り、徳川家康に拝謁して職務上の礼を述べたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.196 山口直友書状
山口直友が島津忠恒に、昨日の供物と本日の対面について取り計らいが進んでいることを伝えた書状。忠恒の礼が受け入れられ、殿中へ出る際の手順や今後の意向を知らせるよう求める。
後編4-No.197 島津惟新書状
島津義弘が島津忠恒に、正源院・戸田助左衛門尉ら使者からの申し入れを受け、命令や約束を関係者へ伝えたと報じた書状。国元の急務について早急な指示を求め、使者の帰還後も連絡を続けるとする。
後編4-No.198 島津家久譜
四月二十二日、島津以久が伏見へ登って徳川家康に拝謁した際、島津忠恒が供奉し、山口直友が装束などを整えたことを記す島津家久譜の記事。
後編4-No.199 飛鳥井雅胤書状
飛鳥井雅胤が島津忠恒に、書状を拝見した礼を述べ、在京中に訪問して面会したいと伝えた書状。都合のよい日時を知らせるよう求める。
後編4-No.200 某書状
差出人不詳者が島津忠恒に、忠恒の上洛を承知し、本来なら参上して挨拶すべきところ、忠恒が参内前で取り紛れているため訪問を控えたと伝えた書状。落ち着いてから面会して万事申し述べるとし、まず書状を送ったことを記す。