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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1601~1700件・17 / 19ページ

  1. 後編4-No.1599 島津家久書状

    島津家久が又五郎へ、遠路からの見舞い使者と帷子五領に謝し、幼少の又八郎忠平の船旅を案じたが、海路が静かで無事上着したことを喜んだ書状。

  2. 後編4-No.1600 島津家久書状

    島津家久が上井大炊へ、京都滞在中の状況と当面の用向きを伝え、委細は使者・口上に託した書状。

  3. 後編4-No.1601 細川忠利書状

    細川忠利が家久へ、徳川秀忠の上洛が近いこと、悪天候のため出迎えに苦労したこと、自身も途中まで迎えに出たことを述べ、家久の対応を尋ねた書状。

  4. 後編4-No.1602 島津家久譜

    元和五年五月二十六日、徳川秀忠が伏見城へ入った際、島津家久が山科まで出迎え、その行為が秀忠の耳に達して厚意を受け、のち旅館へ戻ったことを記す。

  5. 後編4-No.1603 日下部宗好外二名連署状

    日下部宗好ら三名が、虎屋弥九郎の宿所が狭いため近所の妙顕寺へ移し、家久の内衆は従来どおり置くことを認め、帷子五領中の単物二つへの謝意を述べた連署状。

  6. 後編4-No.1604 良恕入道親王書状

    良恕入道親王が、調合した薫物と諸白二荷を家久へ贈り、翌月初め頃に池坊で立花を行うので、暇があれば必ず来訪するよう招いた書状。

  7. 後編4-No.1605 島津家久譜

    元和五年六月朔日、島津家久が伏見城へ登り、幣物を献じて徳川秀忠に拝謁し、当年の慶賀と秀忠の上着を祝い、その後宿所へ戻ったことを記す。

  8. 後編4-No.1606 伊勢貞昌覚書

    伊勢貞昌が、家久が将軍御前へ召し出された際の懇ろな言葉と、秀忠・本多正純・土井利勝ほかから贈られた太刀・銀子・馬代・帷子等の品目を列挙した覚書。

  9. 後編4-No.1607 西洞院時直書状

    西洞院時直が島津家久へ、京都での面会・贈答に関する用向きを伝えた書状。

  10. 後編4-No.1608 島津家久譜

    島津家久が徳川秀忠への拝謁に際して厚遇され、秀忠や諸大名から多数の太刀・銀子・馬代・帷子などを受けたことを記す譜記事。

  11. 後編4-No.1609 島津忠朗進物目録

    島津忠朗が寺田将監・酒井雅楽助・山口駿河入道・石川太郎兵衛尉・牧野豊前守・御幸八幡などへ贈る銀子・太刀・馬代・帷子等の品目と数量を列記した進物目録。

  12. 後編4-No.1610 本田親政・高崎能乗連署状

    本田親政・高崎能乗が京都から、家久の将軍への御目見得が済んだこと、八郎の礼儀が賞賛されたこと、贈答品の処置や銀子の不足などを喜入・比志島・三原へ報じた連署状。

  13. 後編4-No.1611 島津義弘書状

    島津義弘が、家久と八郎の将軍への御目見得が無事に済み、八郎の振る舞いが賞賛されたことを喜び、今後も公儀への作法に留意するよう求めるとともに、自身の長病と療養の近況を伝えた書状。

  14. 後編4-No.1612 島津家久掟書案

    国役と借銀の負担に対応するため、諸士・寺社の知行上地、百石以上は四分一・百石未満は三分一の上地、屋形内の女房衆や衣裳の削減、出物・蔵入・物価・米取引・違反者処罰などを定め、将来の知行返還にも言及した掟書案。

  15. 後編4-No.1613 島津家久掟書

    公務費用の不足により、諸士・寺社の知行から二分半を上地させ、国役を支え、衣食などの無益な出費を禁ずる趣旨を簡潔に示した掟書。

  16. 後編4-No.1614 島津義弘辞世和歌

    元和五年七月二十一日寅刻に没した島津義弘が、春秋の隔てなく埋葬地となることや、死後も仏法の導きに従う心境を詠んだ辞世和歌二首。

  17. 後編4-No.1615 阿蘇玄与追悼和歌

    阿蘇玄与が、五常を守り仏神の道を尊んだ松齢自貞庵主(島津義弘)の生涯と死を悼み、無常・涙・秋・月などを題材に詠んだ追悼和歌。

  18. 後編4-No.1616 忠俊追悼和歌

    忠俊が、文武を備え仏法を尊んだ松齢自貞庵主(島津義弘)の徳と死を悼み、露・秋・月・法の道などを詠み込んだ追悼和歌。

  19. 後編4-No.1617 喜入紹嘉久正追悼和歌

    喜入紹嘉久正が、松齢自貞庵主(島津義弘)の死を悼み、その面影や武士の道、秋の露・月・紅葉などを題材に詠んだ追悼和歌。

  20. 後編4-No.1618 三原重種追悼和歌

    三原重種が、松齢自貞庵主(島津義弘)の往生と遺徳を悼み、仏法、涙、秋草、月、鐘の音などを題材に詠んだ追悼和歌。

  21. 後編4-No.1619 喜入忠政・比志島国貞追悼和歌

    喜入忠政・比志島国貞が、松齢自貞庵主(島津義弘)の遺徳と死を悼み、夢・露・秋草・月・鐘・仏法などを題材に詠んだ追悼和歌。

  22. 後編4-No.1620 伊勢貞豊追悼和歌

    伊勢貞豊が、松齢自貞庵主(島津義弘)の仏道への帰依と遺徳を偲び、涙・秋・月・鐘などを詠み込んだ追悼和歌。

  23. 後編4-No.1621 日説追悼和歌

    日説が、島津義弘の死による深い悲嘆と無常観、浄土往生への願いを述べ、夢・露・月・秋・法華経などを題材に追悼和歌を詠んだもの。

  24. 後編4-No.1622 島津家久譜

    七月二十七日、巡検使大橋親正が肥後水俣から比志島国貞・三原重種へ書状を送ったことを記し、その本文を次号に掲げる島津家久譜の記事。

  25. 後編4-No.1623 大橋親正書状

    大橋親正が、島津義弘死去の報に接した驚きと哀悼を述べ、島津家久の心痛を気遣い、追善供養と家中への慰問を依頼した書状。

  26. 後編4-No.1624 殉国名藪

    島津義弘の死に際して殉死した家臣たちについて、氏名・年齢・没日を列記した殉国者名簿。

  27. 後編4-No.1625 島津家久譜

    八月四日、江戸から相良頼豊・上井里兼が、献上材木積載船の着岸、家久の妹の帰国許可、家久の姪の縁組などを喜入忠政・比志島国貞・三原重種へ報じたことを記す家久譜の記事。

  28. 後編4-No.1626 細川忠興譜

    元和五年八月、徳川秀忠が江戸から京都へ赴いて参内した際、細川忠興が供奉したことを記す島津忠興譜の記事。

  29. 後編4-No.1627 上井里兼・相良頼豊連署状

    上井里兼・相良頼豊が、京都での家久の将軍拝謁と饗応、帰国許可、家久の姪の縁組、献上材木船や銀子の処置、京都での諸折衝などを国元へ詳報した連署状。

  30. 後編4-No.1628 島津家久譜

    京都滞在中の島津家久が義弘死去の報を受け、帰国許可を得て鹿児島へ急行し、細川忠興・忠利から弔使、香典銀五十枚、法華経一部を受けたことを記す家久譜の記事。

  31. 後編4-No.1629 細川忠利書状

    細川忠利が島津義弘への弔意を使者を通じて伝え、帰国した島津家久の悲嘆を慰め、詳細は伊勢貞豊へ申し入れたと述べた書状。

  32. 後編4-No.1630 新納久治書状

    新納久治が暇乞いに際する厚遇に謝し、今後も変わらぬ縁を願い、島津家久への取り次ぎを伊勢貞豊方へ依頼した書状。

  33. 後編4-No.1631 島津義弘譜

    島津義弘の出自、文武の徳、諸戦での軍功、豊臣・徳川政権下での働き、元和五年七月二十一日の死去、享年八十五、妙円寺への葬送と法名をまとめた編纂伝記記事・偈頌。

  34. 後編4-No.1632 細川忠興書状

    細川忠興が島津義弘の死を悼み、弔使の志水雅楽助を遣わして香典銀五十枚と法華経一部を贈り、島津家久への取り次ぎを伊勢貞豊に求めた書状。

  35. 後編4-No.1633 島津家久譜

    島津義弘の死去を受け、徳川秀忠が島津家久へ御内書を送り、花房元則を使者として詳意を伝えさせたことを記す家久関係の記事。

  36. 後編4-No.1634 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津義弘の死去に弔意を示し、島津家久へ花房元則を遣わして詳しく伝えさせる旨を記した御内書。

  37. 後編4-No.1635 花房元則書状

    花房元則が島津家久方からの書状を受け、翌日の出立、高松領内などを経る旅程、面会と連絡の手配について町田図書へ伝えた書状。

  38. 後編4-No.1636 山崎正次書状

    山崎正次が、薩摩領海で目撃されたオランダ船について照会を受け、八月二十八日に一艘が入津したため船の由来を尋ねたことを島津家久へ報じた書状。

  39. 後編4-No.1637 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が重陽の祝儀として島津家久から贈られた小袖五領を受け取ったことを喜び、詳細は本多正純が伝えるとした御内書。

  40. 後編4-No.1638 寸苗坊紹之書状

    寸苗坊紹之が島津義弘の死去を弔い、五月の八条宮歌会の懐紙写しを受け取って島津家久の和歌を賞賛し、翌年の下国を期待した書状。

  41. 後編4-No.1639 島津家久譜

    九月八日、酒井忠利が島津家久へ書状を送り、献上材木を監司が受け取ることになった旨を記す家久関係の記事。

  42. 後編4-No.1640 酒井忠利書状

    酒井忠利が、島津家久からの献上材木や馬代銀子などの受領・取扱いを報告し、材木奉行への引き渡しや将軍への披露について伝えた書状。

  43. 後編4-No.1641 酒井忠利・青山忠俊連署状

    酒井忠利・青山忠俊が、城郭用の板三千枚を進上するとの島津家久の申し出を承知し、材木奉行へ伝達したことを報じた連署状。

  44. 後編4-No.1642 島津家久書状

    島津家久が中山王の代替わりを祝い、贈物への謝意を述べ、返礼として杉原紙百帖・鉄三千斤を贈った書状。

  45. 後編4-No.1643 比志島国貞外二名連署覚書

    琉球の池城主の出銀、遭難商船の損失分担、豊見城主渡唐時の借銀、役人間の紛争、船舶・釘・赤金などの処理について協議・決定した三名連署の覚書。

  46. 後編4-No.1644 島津家久書状

    島津家久が中山王へ、書状と贈物への謝意を述べ、池城の乗船が未帰帆であるため後便で知らせるよう求め、役人への下知や進物の受領にも触れた書状。

  47. 後編4-No.1645 島津家久女子系譜記事(光久公御譜中)

    「光久公御譜中」の系譜に、光久・忠朗・久直と並ぶ女子について、元和五年十月二十日に誕生し、母は家臣鎌田政重の娘、寛永十一年八月十八日に十六歳で早世したと記す。島津光久本人の出生記事ではない。

  48. 後編4-No.1646 島津家久譜

    十月下旬、花房元則が江戸へ帰る際、島津家久が川上久国を護送役として同行させ、十月二十九日に乗船し、肥前で久国が帰国したことを記し、次号に元則の書状を掲げる家久譜の記事。

  49. 後編4-No.1647 花房元則書状

    花房元則が帰途の船中から島津家久へ、手厚い饗応と護送に謝し、川上久国を帰国させたことや航路が無事であることを報告した書状。

  50. 後編4-No.1648 町田久幸外三名連署状

    聖護院の裁定に従い、飯隈山蓮光院に薩摩・大隅両国の在行職を認め、大峯本山で修行に励むよう命じた四名連署状。本文はNo.1472と同文のため省略され、正文の所在が注記される。

  51. 後編4-No.1649 島津家久譜

    島津家久が伊勢貞昌を江戸へ派遣した後、しばらく音信がなかったため書状を送り、伊勢から別府景親を介して返書が届いたことを記す家久譜の記事。

  52. 後編4-No.1650 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が江戸から、到着後の情勢、加藤家関係の処分や幕府の対応、借銀返済・物資調達・人馬手配などの諸事を島津家久方へ詳報した書状。

  53. 後編4-No.1651 島津家久書状

    島津家久が家族へ、日取りや使者からの連絡、女性の近況、衣類などの手配について仮名書きで伝えた私的書状。

  54. 後編4-No.1652 島津義弘息女譜

    島津義弘の娘が元和五年冬に江戸から薩摩へ戻り、多年の功労により加増地二千石を与えられ、元和七年に島津久元へ嫁ぎ、慶安二年に死去したことを記す系譜記事。

  55. 後編4-No.1653 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から遠路の使者を通じて贈られた硫黄三千斤、焼物、泡盛、熨斗鮑などを受領し、喜びを伝えた御内書。

  56. 後編4-No.1654 酒井忠利書状

    酒井忠利が、将軍から恒例の八木二千俵を又八郎へ下賜するため、家中年寄衆の手形を早く取り寄せるよう島津家久方へ求めた書状。

  57. 後編4-No.1655 本多正純書状

    本多正純が島津家久から歳暮の贈物として蜜柑一籠を受け取り、謝意を述べた書状。

  58. 後編4-No.1656 某条書

    殺人などの死罪、身売買、奉公人・家子の売買、逃亡者や犯罪人の匿い、宿主・請人の責任、借金返済、請人の引受けなどについて処罰と手続きを定めた条書。

  59. 後編4-No.1657 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が歳暮の贈物として島津家久から贈られた小袖五領を受領し、喜びを伝えた御内書。

  60. 後編4-No.1658 島津家久譜

    徳川秀忠の弔使花房元則への謝礼のため、島津家久が市来家貞を江戸へ派遣し、家貞が幣物を献上して諸方の返書を持ち帰ったことを記し、以下の文書群へ接続する家久譜の記事。

  61. 後編4-No.1659 水野忠元書状

    水野忠元が島津家久から琉球酒一壺を贈られたことに謝し、上使として派遣された花房元則への対応と翌春の下向について述べた書状。

  62. 後編4-No.1660 細川忠興譜

    元和六年、徳川秀忠が播磨国大坂城の築造を進めた際、細川忠興に本営の石垣築造を命じたことを記す譜記事。

  63. 後編4-No.1661 島津忠朗譜

    元和六年正月、島津忠朗が登城して年頭の賀儀として太刀・馬代を献上し、将軍に拝謁したこと、その後も寛永二年まで毎年年頭に登城したことを記す譜記事。

  64. 後編4-No.1662 島津忠清譜

    島津忠清が、子の忠影による新納家相続を支えたこと、元和六年正月五日に病没し、島津家久夫妻が弔問して葬送・法要が営まれたことを記す譜記事。

  65. 後編4-No.1663 島津家久室譜

    島津家久室が慶長五年に肥後で生まれ、母は皆吉久右衛門続能行の娘であったことを記す系譜記事。

  66. 後編4-No.1664 島津家久譜

    島津家久が年頭祝儀の品を使者に託して徳川秀忠へ献上し、例年どおり返礼の御内書を受けたことを記す家久譜の記事。

  67. 後編4-No.1665 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久から年頭祝儀として贈られた太刀一腰・馬代黄金二枚を受領し、詳細は酒井忠世が伝えるとした御内書。

  68. 後編4-No.1666 本多正純書状

    本多正純が、花房元則の帰着と島津家久からの伝言を承知し、贈られた紙類への謝意を述べ、今後も音信を求めた書状。

  69. 後編4-No.1667 花房元則書状

    花房元則が伊勢貞昌へ、薩摩滞在中の厚遇、帰路の護送・宿泊・人馬、島津家久から託された諸件の幕府での取り次ぎと今後の処置を詳報した書状。

  70. 後編4-No.1668 島津家久譜

    元和六年二月二十七日、上井利勝が、徳川秀忠の命により幼少の久平を営中の猿楽見物へ招いたこと、長時間の着座が難しければ欠席も許されたことを家久へ報じた記事。

  71. 後編4-No.1669 土井利勝書状

    土井利勝が上井大炊頭に、翌二十八日の御能へ又八郎を見物に出すよう上意があったことを伝え、幼少で長座が難しければ登城しなくてもよいと知らせた書状。

  72. 後編4-No.1670 島津家久譜

    島津備前守忠清が家臣であると同時に一族で、光久の母・慶安大姉の父でもあったため、家久がその死を深く哀しみ和歌を詠んだことを記す系譜記事。続く追悼和歌は譜中で全文を欠くと注記する。

  73. 後編4-No.1671 島津家久追悼和歌

    元和六年春に死去した前備前守島津忠清を悼み、老少不定の世を嘆きつつ、春夏秋冬に寄せた八首を手向けた追薦和歌。

  74. 後編4-No.1672 山口直友書状

    山口恵倫(直友)が松平薩摩守に、以前からの懇書への返礼が遅れたことを詫び、江戸への使者派遣の件や、伏見で御法度・仕置等を申し付けた使者への処置をめぐる訴訟について、上方の相応の御用等を仰せ付けるよう求めた書状。

  75. 後編4-No.1673 金武外二名連署状

    金武ら三名が、京・大坂で借銀を調達する場合の琉球からの返弁方法や、在地の者による年々の出銀との調整を述べ、残額を命じられれば相談して工面すると伝えた連署状。

  76. 後編4-No.1674 帖佐支配所知行目録

    帖佐の餅田村柏木之門および鍋倉村下羽迫門の田地を本田助之丞に宛てた知行目録。各所の石高と浮免であることを記す。

  77. 後編4-No.1675 島津久元外四名連署知行目録

    桑原郡内の知行七十四石を、領国内の改配分に伴って源七郎へ宛行い、その領有を認めた島津久元ら五名の連署知行目録。

  78. 後編4-No.1676 島津家久譜

    比志島紀伊守国貞が義弘・家久に仕えて家老職を務め、忠節と国政への仁慈で重んじられたこと、家久が幼少時から教えを受け、国貞の死を特に哀しんで六首の和歌を手向けたことを記す系譜記事。

  79. 後編4-No.1677 島津家久追悼和歌

    元和六年初夏に死去した前比志島紀伊守国貞を悼み、幼少時からの親交と教えを回想しながら詠んだ追悼和歌。譜記事にいう六首を収める。

  80. 後編4-No.1678 島津久元外四名連署知行目録

    阿多郡中津野村、始羅郡帖佐の餅田村内、諸県郡小林の北之西方村内を合わせた知行千四十八石を、領国内の改配分に伴って諏方治部少輔へ宛行った島津久元ら五名の連署知行目録。

  81. 後編4-No.1679 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が島津久元に、加治木で山伏が封じ物を埋めた一件と鎌田幡摩守夫婦・又三郎への悪心の疑いを報告し、直ちに死罪とせず霊社で厳重な起請を立てさせ、真偽を見極めるよう進言した書状。

  82. 後編4-No.1680 鎌田某父子起請文前書写

    鎌田某父子が家久・忠元への奉公に別儀がないこと、江戸で幡摩守夫婦が悪心を企てていないこと、不忠の企てに同心せず親子兄弟や縁者であっても容認しないことなどを神仏に誓った起請文前書の写し。

  83. 後編4-No.1681 島津家久譜

    島津家久が元和六年四月上旬に鷹府を発って江戸へ向かい、家老伊勢貞昌が随行し、五月下旬に大坂へ到着したことを記す系譜記事。

  84. 後編4-No.1682 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が松平薩摩守島津家久に、端午の祝儀として帷子・単物数十を贈られたことへの謝意を伝え、詳しくは本多上野介正純から述べるとした御内書。

  85. 後編4-No.1683 島津家久書状

    島津家久が進藤中山王に、年中の祝詞と上布百端・焼酒三壺・唐折敷十枚の贈答へ謝意を示し、近く上洛する予定と毎年の旅行による疲労を伝えた書状。

  86. 後編4-No.1684 島津家久書状

    島津家久が、又五郎らの無事を喜び、下野守久元のもとへ人を遣わして兵部方に関する事情を聴取し、その内容に応じて処置するよう求め、自身も間もなく帰る意向を伝えた書状。

  87. 後編4-No.1685 某覚書

    家久留守中の職務・鹿児島警固・寄合・酒色・喧嘩口論・夜行・辻斬り・火の用心・辻歌・走者・耕作などについて、禁止事項と報告義務を列挙した覚書。

  88. 後編4-No.1686 島津久元外四名連署知行目録

    肝付郡内の知行十石を、琉球硯を進上した褒美として宛行い、その領有を認めた島津久元ら五名の連署知行目録。

  89. 後編4-No.1687 島津久元外四名連署知行目録

    曽於郡松永村内の知行百石を、布袋絵讃を進上した褒美として源七郎へ宛行い、その領有を認めた島津久元ら五名の連署知行目録。

  90. 後編4-No.1688 喜入久政・川上久晴連署名寄目録

    上小河院内の田地について、田ごとの面積・籾高・石高を記し、蒲地四郎左衛門に宛てた喜入久政・川上久晴連署の名寄目録。

  91. 後編4-No.1689 島津家久書状

    島津家久が喜入摂津守忠政に、遠路から見舞いの使者を送られたことを喜び、自身の側は平穏であると伝え、音信として銀子三枚を贈った書状。

  92. 後編4-No.1690 飛鳥井雅胤書状

    飛鳥井雅胤が松平薩摩守島津家久に、諸白二樽と糯二十袋を進上し、家久が暑中に目的地へ到着したことを見舞い、近日の上洛時に面会したいと伝えた書状。

  93. 後編4-No.1691 島津光久譜

    島津光久譜中、元和六年六月十八日に生まれた光久と同母の家久女が、家臣島津大和久章の室となり、正保二年五月十日に二十六歳で早世し、桃岳英仙と号したことを記す系譜記事。

  94. 後編4-No.1692 土井利勝書状

    土井利勝が島津家久に、前日の能が無事に済んだことを喜び、家久の軽い病気を案じ、能礼のため登城するか本多上野介に相談して翌日にするのがよいと助言した書状。新しい鹿を贈られたことへの礼も述べる。

  95. 後編4-No.1693 北郷翁久譜

    北郷長千代丸が十一歳で再び人質として江戸へ赴き、旅家老北郷善兵衛久繁と林六郎兵衛重康が随行し、久繁の病死後は北郷仲左衛門久永が代わったことを記す系譜記事。家久が長千代丸へ送った書状の正文が続くと注記する。

  96. 後編4-No.1694 北郷翁久譜

    元和九年十二月、江戸へ人質として赴いていた北郷長千代丸が帰国したことを記す系譜記事。

  97. 後編4-No.1695 島津家久書状

    島津家久が北郷長千代丸に、見舞使者と南都諸白一荷への礼を述べ、交替の又四郎は上洛したものの大炊頭からの引付状が未着で下向が遅れているため、大炊頭と相談するよう伝えた書状。

  98. 後編4-No.1696 島津家久書状

    島津家久が進藤中山王に、旧冬に順風がなく出航を延期した渡唐船が春二月に出船したことを述べ、無事の到着と帰帆を願い、卓子一箇・焼酒三壺の贈答へ謝意を示した書状。

  99. 後編4-No.1697 毛利秀就書状

    毛利秀就が島津家久に、越前宰相へ申し入れた結果、翌朝の外出に供をすることになったと伝え、寺沢志摩守と竹田法印も同行させるための連絡方法を相談した書状。

  100. 後編4-No.1698 土井利勝書状

    土井利勝が島津家久に、西丸へ伝奏衆が登った際の家久の登城延期は本多上野介との相談によるもので妥当とし、若君の官位に関する祝儀について上野介と相談して返答すると伝えた書状。