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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1001~1100件・11 / 19ページ

  1. 後編4-No.1000 島津義弘書状

    慶長十八年四月四日、島津義弘が島津家久の側近へ、扇子二本を贈り、細工に励む次郎太郎を田舎者として配慮しつつ召し置き、必要に応じて使うよう頼んだ書状。

  2. 後編4-No.1001 某覚書

    慶長十八年四月十一日、上洛の日取りを惟新の判断に委ねること、新入の者が来月節供後に越すこと、大弐の供領を加治木から召し寄せて確認することなどを列記した覚書。

  3. 後編4-No.1002 島津義弘書状

    慶長十八年四月十四日、島津義弘が宗善らへ、先の見廻りと礼に謝し、江戸から使者が到来して重要な用件があるため、引き続き配慮を求めた書状。

  4. 後編4-No.1003 島津義弘書状

    慶長十八年四月十四日、島津義弘が相良左兵衛佐へ、思いがけない書状と餅一箱・鷹十の贈答に謝し、使者菱刈平太を通じて返礼した書状。

  5. 後編4-No.1004 島津義弘書状

    四月十四日、島津義弘が本多正純へ、三月八日付返書の到来と東国無事を喜び、富士見丸の数寄や義弘の娘・孫の上洛について配慮を求めた書状。

  6. 後編4-No.1005 島津義弘書状

    四月十四日、島津義弘が山口直友へ、大学坊を介した返書と柿柄一本・茶洗・箱に謝し、流行の茶筅箱や釜の口・丈の調整、布袋表の補絵を細かく依頼した書状。

  7. 後編4-No.1006 高崎能乗外二名連署請取状

    慶長十八年四月十四日、高崎能乗・別府景親・伊勢貞昌が、検地後の薩摩・大隅諸県の割符、隅州・諸県郡・高麗・奥州様・出水に関する御朱印や写しを請け取った連署請取状。

  8. 後編4-No.1007 理性院観助書状

    慶長十八年四月二十三日、理性院観助が上洛時の礼に謝し、銀子十二枚を受け、太元明王護摩を七日間修して祈祷し、守札・護摩巻数・薫衣香五袋を贈った書状。

  9. 後編4-No.1008 鹿児島支配所加増名寄

    慶長十八年四月二十六日、鹿児島支配所の加増地として飯野杉水流村内の屋敷・田畠を所付ごとに石高・面積・名請人とともに列記した加増名寄帳。

  10. 後編4-No.1009 寺沢広高書状

    慶長十八年五月十一日、寺沢広高が島津惟新の側近へ、息女が二十九日に出立するとの連絡を受け海路を気遣い、琉球銭を贈り、預かった馬の処置も伝えた書状。

  11. 後編4-No.1010 島津義弘息女御下譜

    島津義弘息女御下の譜。慶長十八年に家久・惟新の命で江戸へ人質として赴き、伊集院忠真との間の娘を伴い、その娘は後に松平隠岐守定行の室となり、翌年旅寓の労により二千余石を与えられた。

  12. 後編4-No.1011 島津家久書状案

    慶長十八年五月十八日、島津家久が、妹の上洛について秋は海が荒れるため早く出立させるよう求め、先日伊東作右衛門へ命じた琉球の錺の進上にも触れた書状案。

  13. 後編4-No.1012 近衛信尹書状

    慶長十八年五月二十日、近衛信尹が島津家久へ、書状を受け、京都・大坂の様子や駿河・武蔵方面の事情に触れ、後日の詳報を約した書状。

  14. 後編4-No.1013 比志島国貞外二名連署知行目録

    慶長十八年五月二十四日、日向国飯野杉津留村内の十二石余と吉田佐多浦内の浮免七石余、合計二十石余を岩下藤七兵衛尉へ宛行った三名連署知行目録。

  15. 後編4-No.1014 島津惟新書状

    五月二十六日、島津惟新が中川大炊助へ、段子二端を贈り、大神宮への千日参詣と祈念を頼み、自身の娘子らを人質として江戸へ送ることを伝えた書状。

  16. 後編4-No.1015 比志島国貞外二名連署覚書

    慶長十八年六月一日、琉球関係の用務として、名護の帰国、関東御用の硫黄、駿府御用の朱や花、小唐船・生糸、銀子の唐渡しなどを列記した三名連署覚書。

  17. 後編4-No.1016 比志島国貞外二名連署掟書

    慶長十八年六月一日、琉球から唐へ渡る船の出航時期、帆・奉行・納銀・船員、王位算用、乗員や女性の取扱い、島ごとの商人などについて定めた三名連署の規定書。

  18. 後編4-No.1017 島津家久譜

    島津家久譜に、家久が上洛して謝礼と用務を果たすため、先に伊集院半右衛門久元を使節として駿府へ遣わし、山口直友にもその趣旨を書き送った記事。

  19. 後編4-No.1018 島津家久書状案

    慶長十八年六月六日、島津家久が、妹を今月中に上洛させること、駿府・江戸参府の指示を求めること、伊集院半右衛門尉を使者として派遣することを述べた書状案。

  20. 後編4-No.1019 島津家久書状

    慶長十八年六月九日、島津家久が山口直友へ、当年の吉祥と自身の小児誕生への祝意に謝し、使者を通じて返礼した書状。

  21. 後編4-No.1020 山口直友書状

    慶長十八年六月十九日、山口直友が島津家久の側近へ、那須主膳が駿府から退出した後の取成しと現地事情について、本人から説明させる旨を伝えた書状。

  22. 後編4-No.1021 島津家久譜

    島津家久譜に、徳川秀忠の命で諸侯の人質を江戸へ出すこととなり、家久が惟新と協議して妹姫千鶴を当家の人質として江戸へ送り、千鶴が国のため身命を惜しまないと誓った記事。

  23. 後編4-No.1022 島津家久書状

    慶長十八年六月二十三日、島津家久が江戸へ人質として赴く妹千鶴へ、道中と江戸で年長者の教えに従い、女性としての作法を守り、家の名を汚さず心身を大切にするよう諭した消息。

  24. 後編4-No.1023 島津義弘譜

    島津義弘譜に、慶長十八年六月二十四日、義弘の息女と孫女が当家の人質として加治木を発ち、蒲生・川内などを経て進み、十一月十六日に江戸へ到着した行程を記す記事。

  25. 後編4-No.1024 島津家久書状案

    慶長十八年七月十二日、島津家久が難波氏へ、琉球線五十把を贈り、東国から帰国後は京都へ赴けていないことを述べ、来春の上洛時に面会したいと伝えた書状案。

  26. 後編4-No.1025 島津家久書状

    慶長十八年七月二十七日、島津家久が高橋右近大輔へ、駿府参上を許されたことに謝し、上洛・参府の支度について今後の指示と調整を求めた書状。

  27. 後編4-No.1026 本多正信書状

    七月、本多正信が島津家久へ、男子誕生を祝い、使者の遅れを詫び、伊勢兵部少輔や伊集院氏をめぐる取次・御仕合について配慮を求めた書状。

  28. 後編4-No.1027 島津義弘書状

    慶長十八年八月三日、島津義弘が島津家久へ、娘・孫らの人質江戸下向について、船路・天候・宿泊・衣装・供人・祈祷・贈物などを細かく指示し、道中の安全を繰り返し求めた長文書状。

  29. 後編4-No.1028 島津家久書状案

    慶長十八年八月七日、島津家久が、種子島小筒を御用のため急ぎ調達するよう命じ、必要数の準備と今後の用向きへの対応を求めた書状案。

  30. 後編4-No.1029 島津義弘書状

    慶長十八年八月八日、島津義弘が、船の出航時期と風雨・海況を案じ、道中の安全、宿泊や供人の手配、祈願などについて細かく指示した仮名書状。

  31. 後編4-No.1030 島津家久書状案

    慶長十八年八月八日、島津家久が松浦法印・肥前守へ、年頭の祝意と贈答に謝し、太刀一腰・馬代二千疋を贈り、船や港に関する取次を頼んだ書状案。

  32. 後編4-No.1031 島津家久書状案

    慶長十八年八月八日、島津家久が長岡越中守へ、年頭の祝儀と今後の交誼を述べ、太刀一腰・馬一疋・生糸一丸を贈った書状案。

  33. 後編4-No.1032 島津家久書状案

    慶長十八年八月二十一日、島津家久が本多佐渡守へ、迦羅一斤を贈り、妹が江戸へ無事到着したことを報じ、妹の居所や今後の世話について配慮を求めた書状案。

  34. 後編4-No.1033 島津家久書状案

    慶長十八年八月二十二日、島津家久が本多氏へ、妹が当地へ無事到着したことを喜び、見廻りと今後の面倒、万事の指示を重ねて頼んだ書状案。

  35. 後編4-No.1034 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が、人質として江戸へ赴く女性一行の船路、風雨、宿泊、供人、荷物、神仏への祈願と礼、親族への連絡などを細かく指示した長文仮名書状。

  36. 後編4-No.1035 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が三原二郎左衛門へ、蒲刈からの便りと船路の進行、江戸へ近づいた一行の安否を喜び、自身の無事を伝えた仮名書状。

  37. 後編4-No.1036 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が局へ、道中の女性や供の者の扱い、宮仕衆への扶持・用向き、江戸到着後の奉公などについて細かく指示した仮名書状。

  38. 後編4-No.1037 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が新大夫へ、書状・贈物の到来に謝し、道中一行の様子と必要品の扱い、今後の連絡について述べた仮名書状。

  39. 後編4-No.1038 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が使者へ、娘・孫らの無事な到着を喜び、現地から届いた書状と父母の安否、今後の便りについて取り次ぐよう求めた仮名書状。

  40. 後編4-No.1039 島津義弘書状

    慶長十八年八月二十二日、島津義弘が使者へ、大弐・おいま・ちゃうほからの報告を喜び、手の荒れなど身近な健康状態を気遣い、返事を託した仮名書状。

  41. 後編4-No.1040 島津家久譜

    島津家久譜の記事で、本文は既収録のNo.733の記事と同文であるため、本巻では省略すると注記されたもの。

  42. 後編4-No.1041 本多正純書状

    本多正純書状で、本文は既収録のNo.734文書と同文であるため、本巻では省略すると注記されたもの。

  43. 後編4-No.1042 島津惟新書状

    慶長十八年九月八日、島津惟新が家久へ、家督を守る者の責任、子孫と後継者の養成、諸国・家臣への配慮、節倹と慈善、家政の将来を長文で訓戒した書状。

  44. 後編4-No.1043 近衛信尹書状

    慶長十八年九月八日、近衛信尹が島津家久へ、泉坊に関する書状と贈答に謝し、高崎弥六郎の来訪、家久妹の江戸下向などを気遣った書状。

  45. 後編4-No.1044 島津忠嘉久賀書状

    二月二十九日、島津忠嘉が鎌田左京亮へ、高麗入・大脇の二所をめぐる安楽五郎左衛門と鎌田玄蕃助の所領争いについて、両者を召して熟談・調停するよう求めた書状。

  46. 後編4-No.1045 安楽某覚書

    慶長十八年九月九日、安楽某が所領を自力で確保した経緯、前年の陳述、鎌田玄蕃助への付託、島津豊後守への申訴などを列記した所領争論の覚書。

  47. 後編4-No.1046 島津家久条書

    慶長十八年九月十五日、島津家久が琉球統治について、旧来の制度と日本法、国王位、知行配分、百姓、年貢船・渡唐船、商船、官人・人質、日本人・唐人商人の取扱いを定めた条書。

  48. 後編4-No.1047 比志島国貞・伊勢貞昌連署状

    慶長十八年九月十七日、比志島国貞・伊勢貞昌が、悪党による夜間放火の企てを報じ、陸奥守の人員を見廻りに当て、山中警戒と処罰を徹底するよう命じた連署状。

  49. 後編4-No.1048 伊勢貞昌・三原重種連署知行目録

    慶長十八年九月二十四日、鬼界島内荒木本横目浦治の高十石を宛行い、知行について別途召し出し・扶持する旨を記した伊勢貞昌・三原重種連署知行目録。

  50. 後編4-No.1049 伊勢貞昌・三原重種連署覚書

    慶長十八年九月二十四日、琉球統治について、使者・港湾、渡唐船頭、官人・支配人、兵具規制、王子・官人子弟の人質、日本人・商人、年貢銀などを列記した連署覚書。

  51. 後編4-No.1050 山口直友書状

    慶長十八年九月二十四日、山口直友が島津惟新へ、伊勢兵部少輔の上洛と本多正信・正純の取次、駿府・江戸での対応、肩衝二つの進上などを報じた書状。

  52. 後編4-No.1051 島津家久書状

    慶長十八年九月二十四日、島津家久が惟新の側近へ、使者二人の帰着を報じ、同五郎兵衛が長年積んだ奉公を評価して隠居させず、家臣として登用・配置するよう求めた書状。

  53. 後編4-No.1052 島津家久書状案

    慶長十八年十月二日、島津家久が三輪先達へ、諸白・魚・茶道具など遠路からの度重なる贈答に謝し、宴席で披露したことや当山賀後筋の相談を受けたことを述べた返書案。

  54. 後編4-No.1053 島津義弘書状

    十月十日、島津義弘が、先便や大坂からの書状を読み返して喜び、船旅が順調であったこと、家族・家中の近況、京都での滞在や道中の苦労、今後の連絡と再会への願いを長文で述べた書状。

  55. 後編4-No.1054 島津義弘書状

    慶長十八年十月十日、島津義弘が、大坂衆を通じた便りと茶道具二筋などの贈答に謝し、京・大坂を離れて東国へ下る相手との距離を惜しみ、今後も折々に消息を知らせるよう望んだ書状。

  56. 後編4-No.1055 伊勢貞知書状

    慶長十八年十月十二日、伊勢貞知が伊勢兵部少輔へ、帷子三領の贈答に謝し、公方の命による上洛延期、判紙と文言の調整、門跡から命じられた大峯での護摩祈祷、翌春の上洛見込みを報じた書状。

  57. 後編4-No.1056 奈須祐金書状

    慶長十八年十月十五日、奈須祐金が伊勢兵部少輔へ、高橋同名玄蕃父子が討ち果たされた件と遠路からの見舞いに触れ、紀州・日向境の山を守ってきた経緯を述べ、今後の憐愍と取成しを求めた書状。

  58. 後編4-No.1057 板倉勝重達書

    慶長十八年十月二十二日、板倉勝重が、島津家久の妹を江戸へ移すため駄賃馬三百疋を用意し、女房衆用の小荷駄五十五疋を含め、宿々で不足なく調達して道中を遅滞させないよう命じた達書。

  59. 後編4-No.1058 島津家久書状案

    十月、島津家久が、前年以来伊勢兵部少輔を介して進めた願件について、本多佐渡守が上意を伺った後も返答がないため、改めて伊勢兵部少輔を差し上せ、詳しい口上を託して取次と入魂を求めた書状案。

  60. 後編4-No.1059 島津家久書状案

    十月、島津家久が本多上野介らへ、緩子五十端を贈り、前年から伊勢兵部少輔を介して本多佐渡守に申し入れた件の返答と上聞への取次に謝し、御前でのさらなる取合せを求めた書状案。

  61. 後編4-No.1060 島津家久書状案

    十月二十五日、島津家久が山駿州へ、前年の願件につき伊集院半右衛門尉と本多佐渡守を通じて得た上意と厚意への礼のため、再び伊勢兵部少輔を派遣し、段子十端を贈って今後の入魂を求めた書状案。

  62. 後編4-No.1061 島津義弘書状

    慶長十八年十月二十五日、島津義弘が、伊勢兵部少輔の上京と市成掃部兵衛妻の下向を聞き、京都への往復を急ぐよう述べるとともに、大名が集住する江戸では評判や風聞が立ちやすいとして、身持ちを慎み家臣を統率し、再会まで無事に勤めるよう訓戒した書状。

  63. 後編4-No.1062 島津家久書状案

    慶長十八年十一月十一日、島津家久が相良左兵衛佐へ、高橋右近が法度に背いたため、稲葉彦六らとその居城・知行・家財を改め、関係者を領内へ入れて詳しい状況を報告するよう求めた書状案。

  64. 後編4-No.1063 島津久賀母屋地書状

    慶長十八年十一月頃、島津家の女性年長者が、江戸へ赴く女性親族に対し、道中と在府中の身持ち、女房衆や家臣の統率、贈答、他家との交際、親子・家族への配慮を細かく説いた長文書状。

  65. 後編4-No.1064 島津惟新書状

    慶長十八年十一月頃、島津惟新が江戸の娘へ、豊後守母から届いた呉服に添える書状を送り、上臈や局らとともに披露して見るよう伝えた短い書状。

  66. 後編4-No.1065 島津義弘書状

    慶長十八年、島津義弘が娘へ、寒中の長旅と奉公の苦労を気遣い、江戸へ向かう道中の無事を祈るとともに、東国の様子や途中の出来事を折々知らせるよう求めた書状。

  67. 後編4-No.1066 南郷忠重書状

    十一月二日、南郷忠重が三河国吉田から、京都出立後、大津・草津・水口・関地蔵・桑名・岡崎などを経た一行の宿泊日程、雨天による逗留、女房衆の進行、今後の道筋を報じた書状。

  68. 後編4-No.1067 稲葉典通書状

    慶長十八年十一月十六日、稲葉典通が羽柴陸奥守へ、高橋右近の法度違反による入城・改易、家財・知行の調査、領民への年貢賦課と兵糧支給について報じ、近辺での協力を求めた書状。

  69. 後編4-No.1068 相良長毎書状

    慶長十八年十一月十六日、相良長毎が羽柴陸奥守へ、高橋居城の改修と知行処理、逃散する高橋奉公人・百姓の改め、宮崎を含む領内統治について報告した書状。

  70. 後編4-No.1069 寺沢広高書状

    慶長十八年十一月二十四日、寺沢広高が、高橋右近の江戸での不首尾、稲葉彦六・相良左兵衛による居城接収、高橋・富田両人の預け置き、公事相手酒井出羽の動向を報じ、詳報を求めた書状。

  71. 後編4-No.1070 福島正則書状

    慶長十八年十二月十四日、福島正則が六月二十五日付の書状に返答し、息女と孫の無事を喜び、自身の娘が江戸に在府していること、将来の帰国や奉公について気遣いを述べた書状。

  72. 後編4-No.1071 島津義弘書状案

    慶長十九年頃、島津義弘が江戸へ証人として赴く女性親族と家中へ、道中・江戸在府の心得、贈答品の管理、奉公人と女房衆の統率、他家との交際、風聞への警戒、親子・孫への配慮を詳細に説いた長文書状案。

  73. 後編4-No.1072 雑抄

    家久の慶長十九年正月の案文中に、上床藤右衛門入道・曽木五兵衛尉・上井次郎左衛門尉・蒲地備中守を宛所とする案文があることを記した雑抄。

  74. 後編4-No.1073 軍役賦帳

    慶長十八年十二月朔日付の軍役賦帳。家臣・地域ごとに石高、人数、乗馬、鉄砲・槍などの装備、船、城内外の勤仕を列挙し、総人数・道具・馬匹等の集計と大坂方面への動員経過を記す。

  75. 後編4-No.1074 伊地知重康日記自六月四日至十二月廿九日

    伊地知周防守重康による慶長十八年六月四日から十二月二十九日までの日記。会合・訴訟や願書、火災対応、武具・鉄砲の点検、踊りや祭礼、兵糧・物資、人事と往来など、藩政と日常の諸事を日次に記録する。

  76. 後編4-No.1075 高帳写

    米良隼人所持本をもとに天保七年に伊地知小十郎季安が書き留めた古高帳の写。慶長十五年または十八年の高帳とされ、家臣・寺社等をいろは順に掲げ、各人の高・内高・役分・職分などを大量に記録する。

  77. 後編4-No.1076 島津忠興譜

    島津忠興の譜。慶長十九年、将軍家が武城を経営するにあたり、忠興が命を奉じて石垣を築いたことを記す。

  78. 後編4-No.1077 島津家久書状案

    新年の祝意を述べ、長期滞在の労をねぎらうとともに、交替について伊勢兵部少輔から現地の様子を聞いて指示するので、それまで引き続き詰め、諸事を油断なく処理するよう命じた書状案。

  79. 後編4-No.1078 島津家久書状案

    江戸にいる妹のもとへ年始の使者を遣わす件について、田舎者を取次に置くことへの心遣いを述べ、遠方からの使者を適切に取り次ぐよう北郷讃岐守へ求めた書状案。

  80. 後編4-No.1079 島津家久書状案

    家久の妹が現地へ無事に到着したことを喜び、道中で尽力したことを賞するとともに、以後も諸事を怠りなく取り計らい、女房衆への配慮を続けるよう求めた書状案。

  81. 後編4-No.1080 徳川秀忠御内書

    慶長十九年正月六日、徳川秀忠が島津家久へ、琉球から明へ遣わした使節が夏ごろ帰着する見込みであることを伝え、砂糖二百桶・焼酒二壺の到来を喜び、本多佐渡守からも伝達させるとした御内書。

  82. 後編4-No.1081 島津家久書状案

    羽柴左衛門大夫の滞留中に、田舎に残した家久の妹を差し置かず諸事を指南するよう重ねて依頼し、琉球の遺物一壺を送り、取次衆の前で状態を確かめてから差し出すよう求めた書状案。

  83. 後編4-No.1082 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久へ蜜柑一箱を贈り、遠路の入念を述べて今後も食用するよう伝えた御内書。

  84. 後編4-No.1083 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久から届いた沈香二十斤・生糸十丸・緋綾子十端を喜び、本多佐渡守からも伝達させるとした御内書。

  85. 後編4-No.1084 島津家久息女譜

    島津家久の二女で北郷山城翁久の室となった女性の譜。慶長十九年二月三日の出生、母が鎌田政重の娘であること、寛永九年三月五日に十九歳で没したことを記す。

  86. 後編4-No.1085 慶長十九年日記

    慶長十九年日記のうち正月三日以降の記事。年頭の拝礼、家臣や使者の参上、進物、酒宴、江戸・駿河方面との往来など、年初の儀礼と政務を記録する。

  87. 後編4-No.1086 日記抜書

    慶長十九年の日記抜書。正月から六月にかけ、年頭挨拶、使者・進物、馬や武具、参勤・参上、寺社や諸大名との交際、書状・物品の遣送などを日付順に記す。

  88. 後編4-No.1087 豊臣秀頼黒印状

    豊臣秀頼が改年の祝儀として島津家久から届いた太刀一腰・馬一疋・段子十巻を喜び、祝意を伝えた黒印状。

  89. 後編4-No.1088 島津惟新伝授状

    島津惟新が自ら学んだ騎馬の術と伝授の由来を述べ、久幹が長年学んだ成果を認めて、その子へも馬術の理を伝えるよう授けた伝授状。

  90. 後編4-No.1089 伊地知某外二名連署銀子請取状

    七分出銀として銀四十三匁二分八厘を受け取り、別に九匁一分二厘七毛八忽が未進であることを記した三名連署の銀子請取状。

  91. 後編4-No.1090 伊地知某外二名連署銀子請取状

    七分出銀として銀九匁一分二厘七毛八忽を受け取ったことを記した三名連署の銀子請取状。

  92. 後編4-No.1091 寺沢広高書状

    寺沢広高が伊勢兵部少輔の暇と帰着を報じ、十二日に将軍へ拝謁したこと、陸奥守の屋敷を見舞って酒を賜ったことなど、江戸での応接と厚遇を伝えた書状。

  93. 後編4-No.1092 薩隅諸縣郡高究

    薩摩・大隅両国の諸郡高を算定した覚書。総高六十一万石を俵数へ換算し、合計百七十一万二千十七俵、余分四千十七俵と、その京枡換算高千四百三十五石余を示す。

  94. 後編4-No.1093 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が年始の祝儀として島津家久から届いた太刀一腰・馬代黄金二十両・緋綾子十巻を喜び、本多佐渡守からも伝達させるとした御内書。

  95. 後編4-No.1094 本多正信書状

    本多正信が前年冬の対面を懐かしみ、家久からの年始祝儀が将軍へ披露され喜ばれたこと、口上も伝えたことを報告し、太刀・馬・段子・唐物などの進上と返礼について述べた書状。

  96. 後編4-No.1095 川上忠適・鎌田政喬連署覚書

    二つの湊に役人を置いて諸事を入念に処理すること、寺領の役儀を滞らせないこと、神前の勤行を怠らず、衆徒・社人の旧規を守りつつ近年の善悪を糾して悪を除くことを命じた連署覚書。

  97. 後編4-No.1096 殉国名藪

    慶長十九年五月、広津下総守常久の家臣岩元孫兵衛が、木下藤吉左衛門と同じく主君に殉死したことを記す殉国者の記事。

  98. 後編4-No.1097 島津家久譜

    慶長十九年の仲夏初め、島津家久が花押を改めたことを、改定後の花押の図とともに記した譜の記事。

  99. 後編4-No.1098 島津家久書状

    使者の来訪を喜び、北郷讃岐守の病気を案じて十分に養生するよう勧め、用件は鹿児島から改めて伝えると述べる。あわせて馬に対する礼と、花押を改めたことを知らせた書状。

  100. 後編4-No.1099 長谷川藤広書状

    長谷川藤広が帷子・単物・赤貝漬物などの贈答と使者の口上に謝し、唐船が着岸した際は唐人の事情に応じて処置すると述べる。江戸・駿河に変事なく両御所が息災であることも報じた書状。