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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1301~1400件・14 / 19ページ

  1. 後編4-No.1299 比志島国貞外二名連署掟書

    領内の魚・塩の売買について納屋主・問屋の役割を定め、浦々の商人・小売人による勝手な取引を禁じて流通を統制した三名連署の廻書。

  2. 後編4-No.1300 後藤長乗書状

    島津陸奥守からの書状と厚意に謝し、上洛時の懇情や秘蔵の鉄砲拝領を喜び、帰国・道中の無事と今後の交誼を願った後藤長乗の書状。

  3. 後編4-No.1301 島津家久書状

    琉球から唐へ渡った船の帰帆を早く報告させ、琉球国内の法令・役人統制を厳守し、許可のない進物や謀計を禁じるよう命じた島津家久の書状。

  4. 後編4-No.1302 島津家久譜

    元和元年九月二十一日夜半、江戸で大火が起こり、松平長門守邸をはじめ諸大名・家臣の屋敷が焼失したことを記す島津家久譜の記事。

  5. 後編4-No.1303 土井利勝書状

    江戸の大火で島津家の屋敷も焼けたと聞き、火事見舞いを述べ、当面の居所・屋敷再建について案じた土井利勝の書状。

  6. 後編4-No.1304 福島正則書状

    江戸大火による屋敷被害を見舞い、焼失した家臣・屋敷の状況と再建について心配し、必要な支援を申し出た福島正則の書状。

  7. 後編4-No.1305 本多正純書状

    大御所への鷹関係の進上物や遠路帰国の労をめぐる配慮を伝え、京都・関東での奉公と今後の参府について案内した本多正純の書状。

  8. 後編4-No.1306 伊東祐慶書状

    九州への軍勢侵入との風説、江戸・京都間の連絡、上洛の遅れや家臣の動向について事情を説明し、詳しい情報を求めた伊東祐慶の書状。

  9. 後編4-No.1307 伊東祐実・長倉兵茂連署状

    伊東祐実・長倉兵茂が川崎九左衛門に宛て、使者乗坊と細書を受け取り、惟新から修理へ送られた書状も拝見したと伝える。九州入りや上方で陣用意があるとの風説について、当地ではそのような取沙汰を聞かないが、近隣から情報を得れば報告すると回答する。さらに修理大夫について、前年は海路の都合で上着が遅れたため、母・…

  10. 後編4-No.1308 伊東祐実・長倉兵茂連署起請文

    上方の陣用意に関する雑説に加担せず、江戸・駿河で新たな企てを行わないことを、梵天・帝釈天など諸神に誓った二名連署の起請文。

  11. 後編4-No.1309 伊東祐実・長倉兵茂連署状

    伊東祐実・長倉兵茂が川崎九左衛門に宛て、先に問い合わせのあった件について特段の沙汰はなく、江戸から戻った平部長右衛門・大福院も江戸・上方に新たな命令はないと述べたことを報告する。また、成瀬右衛門から、翌年に一条の城を拡張するとの沙汰があり、修理大夫にも普請が割り当てられる可能性があるため準備するよう…

  12. 後編4-No.1310 福島正則書状

    遠路からの懇ろな書状と八月五日付の贈物が到着したことに謝意を示し、今後も変わらぬ交誼を望んだ福島正則の書状。

  13. 後編4-No.1311 島津家久譜

    大坂城の逆徒が琉球へ逃亡した場合は、速やかに捕縛して日本側へ引き渡すよう、中山王に命じた島津家久譜の記事。

  14. 後編4-No.1312 島津家久書状

    宇治茶・加治木焼・中紙を贈るとともに、大坂落城後の落人が琉球へ渡来した場合は速やかに捕縛し、日本側へ引き渡すよう命じた島津家久の書状。

  15. 後編4-No.1313 上村某・小森某連署請取状

    船から搬出した米などの荷物について、石・斗・升・合単位の数量を列記し、受け取ったことを上村・小森両名が証した請取状。

  16. 後編4-No.1314 酒井忠世書状

    駿府・江戸への到着後の様子や宿所・対面等の手配について承知した旨を伝え、今後の進め方を案内した酒井忠世の書状。

  17. 後編4-No.1315 島津家久書状

    先に駿府・江戸へ注進した件を踏まえ、関東の情勢や上洛後の対応について取次と助言を求め、遠国ゆえの不安を伝えた島津家久の書状。

  18. 後編4-No.1316 徳川秀忠御内書

    音信として道服類と羅紗十間が遠路到来したことを喜び、その心遣いに謝意を表した徳川秀忠の御内書。

  19. 後編4-No.1317 松平定勝書状

    書状と贈物に礼を述べ、無事の帰国と船旅を祝うとともに、琉球酒一壺の到来を喜んだ松平定勝の書状。

  20. 後編4-No.1318 三原重種書状

    年末の挨拶と連絡を述べ、関係する調達・精算は銀子でなければ整いにくいとして、追って詳しく申し入れる旨を伝えた三原重種の書状。

  21. 後編4-No.1319 本多正信書状

    居城に関する使札と口上を承知し、当地で申し上げる筋ではないため駿府へ伺いを立て、承認に従って進めるのがよいと助言し、三原とも相談した本多正信の書状。

  22. 後編4-No.1320 三原重種書状

    相良勘解由を介して下された書状を拝見したことを述べ、伝達された用件に応答して年末の挨拶を申し送った三原重種の書状。

  23. 後編4-No.1321 野村久網起請文

    主君に二心なく奉公し、私益を優先せず、旧主に関する事柄を正直に伝え、親類・遺恨ある者との徒党や私欲を避けて公平に報告することを神仏に誓った五か条の起請文。

  24. 後編4-No.1322 北郷翁久譜

    北郷長千代丸が島津家久の人質として都城から駿府へ赴き、徳川家康に拝謁して太刀・馬代等を献じ、本多正純の取次を受けた経緯と、その後の江戸・京都方面への移動を記した北郷翁久譜の記事。

  25. 後編4-No.1323 島津家久書状

    新春の賀意を述べ、旧例どおりの書状と品物二本が到来したことを喜び、今後も変わらぬ交誼を願った島津家久の年頭書状。

  26. 後編4-No.1324 島津家久譜

    徳川家康の病を聞いた島津家久が鹿児島を発って京都から駿府へ急行し、板倉勝重・本多正純の取次を経て、家康・秀忠両御所に拝謁した道程と対応を記した島津家久譜の記事。

  27. 後編4-No.1325 島津惟新書状

    家久の出船後に消息がないため使者を差し上せ、天候・航海と駿府への道中を案じ、家康への伺候や東国での用向きを慎重に進めるよう申し送った島津惟新の書状。

  28. 後編4-No.1326 古口利氏系図

    古口利氏系図から、古口久定の弟・三郎次郎左衛門佐山城守久金について、享禄三年生、母は島津相模守忠幸の娘、元和二年三月二日に八十七歳で没したと記す系譜記事。

  29. 後編4-No.1327 島津家久書状

    京都を発って駿府へ急行し、大雨と人馬の疲労で到着が遅れたこと、本多正純の取次により徳川家康への拝謁が整ったことなどを報告した島津家久の書状。

  30. 後編4-No.1328 島津家久書状

    駿府で徳川家康に拝謁した経過、本多正純らの取次、諸大名の動向、贈物・薬などへの対応を詳しく伝え、島津家の用向きについて指示を仰いだ島津家久の報告書状。

  31. 後編4-No.1329 島津家久書状

    前年十月の書状到来を喜び、琉球の国政と対明交易に通じた人材の重要性を説き、国上の帰帆時の早期注進を求め、真壺・銀子・芭蕉布・酒甕などの贈物に謝意を表した島津家久の書状。

  32. 後編4-No.1330 本多正信書状

    徳川家康の病を聞いて早々に参府し、家康・秀忠両御所への拝謁を無事果たしたことを喜び、今後の下向・相談にも応じる旨を伝えた本多正信の書状。

  33. 後編4-No.1331 本多正信書状

    徳川家康の容体は変わらないものの食事が進まず心配されていること、駿府滞在が長期化して諸大名も詰めていることを知らせ、一部の家臣を帰し鹿児島の見回りと諸事の統制を命じるよう勧めた本多正信の書状。

  34. 後編4-No.1332 島津家久譜

    天皇が広橋・烏丸両名を駿府へ勅使として遣わし、徳川家康を太政大臣に任じた際、島津家久が装束を着けて諸大名とともに駿府城へ出仕したことを記す島津家久譜の記事。

  35. 後編4-No.1333 島津家久書状

    徳川家康の太政大臣任官に伴い装束で出仕したこと、勅使の到着、家康の容体、将軍秀忠への拝謁や尾張家での饗応などを島津惟新へ報告した島津家久の書状。

  36. 後編4-No.1334 島津家久譜

    徳川秀忠が土井利勝を使者として島津家久に吉光の脇差・馬・時服を与え、帰国の暇を許したため、家久が登城して拝謝し旅館へ戻ったことを記す島津家久譜の記事。

  37. 後編4-No.1335 島津惟新書状

    家久の東国からの帰途を待ち、駿府・江戸での拝謁の詳細を早く知らせるよう求めるとともに、留守中は一同無事で孫たちも健勝であること、国元の諸事を報告した島津惟新の書状。

  38. 後編4-No.1336 福島正則書状

    家久が土井利勝を通じて吉光の脇差・服・馬を拝領し帰国の暇を得たことを祝し、自身も正宗の腰物と銀子千枚を拝領して御礼に上がった際の厚遇を伝えた福島正則の書状。

  39. 後編4-No.1337 島津義弘譜

    島津義弘が四月四日に加治木を発って船で谷山・山川へ向かい、大迫吉允宅に宿泊して開聞へ参詣し、七日に帰着した道程を記す島津義弘譜の記事。

  40. 後編4-No.1338 島津家久譜

    帰国の暇乞いに登城した島津家久が、前田利常・伊達政宗・細川忠利とともに病床の徳川家康へ召され、死期が近いとの永訣を告げられて宝刀を拝領し、本多正純を介して途中で訃報を聞いても帰国し翌年必ず江戸へ来るよう遺命を受けたことを記す島津家久譜の記事。

  41. 後編4-No.1339 島津家久書状

    遠路の見舞使者を喜び、駿府で家康・秀忠両御所へ無事拝謁して早々に帰国の暇を得たことを報告し、音信として銀子三十両を受け取った礼を述べた島津家久の書状。

  42. 後編4-No.1340 松平定行書状

    徳川家康が十七日に死去したことを知らせ、自身も江戸へ下る予定であること、今後は本多正純・土井利勝らの指図に従って対応する旨を伝えた松平定行の書状。

  43. 後編4-No.1341 山口直友書状

    徳川家康が四月十七日に七十五歳で死去したことを急報し、駿府の状況を確認して追って詳報すると伝えた山口直友の書状。

  44. 後編4-No.1342 細川忠利書状

    徳川家康が前日に死去したため江戸へ下る予定であり、今後の進退は本多正純・土井利勝らの指図を待つこと、江戸・駿河で用事があれば申し越すよう伝えた細川忠利の書状。

  45. 後編4-No.1343 島津家久書状

    見舞使者への礼を述べ、幸いに用向きを終えて間もなく帰国するので安心するよう伝え、船出を控えて簡略に近況を知らせた島津家久の書状。

  46. 後編4-No.1344 島津家久譜

    徳川家康が四月十七日未刻に死去し、京都で訃報を聞いた島津家久が駿府へ戻ろうとしたものの板倉勝重に不要と止められ、諸大名と帰国し本多正純父子・安藤重信らへ弔問書状を送った経緯を記す島津家久譜の記事。

  47. 後編4-No.1345 安藤重信書状

    徳川家康死去への丁重な弔問書状を拝見し、将軍秀忠の愁傷と服喪中の対応を説明するとともに、改めて駿府へ戻る必要はないとの板倉勝重らの判断を伝えた安藤重信の書状。

  48. 後編4-No.1346 本多正純書状

    徳川家康死去への弔問に礼を述べ、諸大名の進退と帰国後の対応について伝え、幕府側の指示に従えばよいとして島津家久を安心させた本多正純の書状。

  49. 後編4-No.1347 町田久幸・比志島国貞連署状

    上洛費用や江戸屋形の火災などで生じた借銀千貫目余の返済のため、来秋の出銀として一石につき一匁三分を賦課し、銀子・銭・米のいずれかで納めさせることなどを定めた町田久幸・比志島国貞の連署状。

  50. 後編4-No.1348 寺沢広高書状

    徳川家康の死去を京都で知って駿府へ戻ろうとした家久が、板倉勝重から参府無用とされた経緯を踏まえ、帰国許可や拝領への祝意と今後の連絡を伝えた寺沢広高の書状。

  51. 後編4-No.1349 荒木元満書状

    徳川家康死去に伴う弔意と幕府での対応を伝え、島津家久の帰国と今後の交誼について申し送った荒木元満の書状。

  52. 後編4-No.1350 飛鳥井雅胤書状

    便宜に一書を送り、家久の上洛中に病気で十分に対面できなかったことを詫び、先に返却された一巻の書物と今後の閲覧・返送について依頼した飛鳥井雅胤の書状。

  53. 後編4-No.1351 島津光久譜

    元和二年六月二日に鹿児島で島津光久が誕生し、母が島津忠清の娘であったこと、幼名・官位などを記す島津光久譜の記事。

  54. 後編4-No.1352 島津家久書状

    虎寿丸を島津家久の甥として国分家の子に定めることと島津家の相続をめぐり、島津義久以来の家筋・関係者の意向を確認し、将来の家督処置を協議するよう求めた島津家久の書状。

  55. 後編4-No.1353 島津義弘譜

    島津義弘が甑島へ赴き樺山久太郎宅に宿泊した後、陸奥守家久と面会し、誕生した孫への祝いとして太刀・馬などを贈った経緯を記す島津義弘譜の記事。

  56. 後編4-No.1354 島津家久書状

    唐船の着岸・琉球への渡航など海上交通の動向を伝え、琉球佐敷王子や金武王子の渡海に関する相談と今後の対応を求めた島津家久の書状。

  57. 後編4-No.1355 酒井忠世外二名連署状写

    琉球へ逃れた大坂方の者について、本人だけでなく妻子・縁者も含めて調査・処置し、幕府へ詳細を報告するよう求めた酒井忠世・土井利勝・安藤重信の連署状写。

  58. 後編4-No.1356 中山王覚書

    琉球王位に後継がいない場合は佐敷王子に継がせること、王子が国政を習熟すること、日本・琉球間および対明交易を整えることを確認した中山王の覚書。

  59. 後編4-No.1357 島津家久譜

    従来は明商船が薩摩へ来航して交易していたが、将軍秀忠が中国船の入港を長崎に限定し、薩摩など他地域での交易を禁じたため対応に苦慮したことを記す島津家久譜の記事。

  60. 後編4-No.1358 須知之簿

    薩摩の日本商船が海外へ渡航することは認める一方、中国商船は長崎にのみ入港させ、薩摩への来航・交易を禁じるという幕府の対明貿易方針を記した須知之簿。

  61. 後編4-No.1359 島津惟新書状

    島津義弘が病気見舞いの将軍内書に謝し、病状のため家久の参府が遅れていることを伝え、家督相続に向けて家久を今後も指導・支援するよう本多正純に依頼し、祝儀の品を贈った書状。

  62. 後編4-No.1360 近衛信尹書状

    近衛信尹が先便の一冊の到着を尋ね、家久の子の成長と翌春の叙爵を話題にし、京都・禁中の平穏を伝えるとともに単物二領を贈った書状。

  63. 後編4-No.1361 島津家久書状

    島津家久が科人の処分を流罪ではなく死罪と決定し、山之口の見回りへ赴く途中で福山において刑を執行する予定であることを、父義弘へ報告した書状。

  64. 後編4-No.1362 島津家久書状

    島津家久が年中の嘉祥に際する琉球側の使者と贈物に礼を述べ、日本国内が平穏であることを伝え、詳細は使者の口上に委ねた中山王宛書状。

  65. 後編4-No.1363 島津義弘譜

    島津義弘が甑島へ渡り和泉屋監津九右衛門宅に宿泊し、翌日家久の招きで茶屋に入り、家久が得た大小の宝刀などを見た経緯を記す島津義弘譜の記事。

  66. 後編4-No.1364 北郷翁久譜

    北郷翁久が甑島滞在中に本多佐渡守正信の死去を聞き、弔書と香奠の白銀十枚を山田民部少輔に託し、同日に加治木へ帰ったことを記す北郷翁久譜の記事。

  67. 後編4-No.1365 酒井忠利外三名連署達書

    北郷讃岐守の証人である長千代について、父に与えられていた百五十人扶持を、長千代の家臣の手形に基づき江戸逗留中は毎月渡すよう命じた幕府年寄衆の連署達書。

  68. 後編4-No.1366 酒井忠世外四名連署状

    酒井忠利・土井利勝・安藤重信・酒井忠世らの連署状で、本文は第二三八八号文書と同文のため省略されており、宛所と連署者のみを掲げる。

  69. 後編4-No.1367 町田久幸外二名連署条書

    河道の変化や岸崩れによって田畠が川成となった場合の残地の算定と付分、以前の検地後にさらに流失した土地の再検について定める。また、門屋敷周辺や山野内の仕明田畠は領主の裁量とし、開地や川端などにある田畠の扱いも規定した、町田久幸ら三名連署の条書。

  70. 後編4-No.1368 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が重陽の祝儀として島津家久から小袖五領が届いたことを喜び、詳しくは本多正純から伝えるとした御内書。

  71. 後編4-No.1369 島津惟新書状

    島津義弘の書状で、本文は第一〇四三号文書と同文のため省略されていることを示す。

  72. 後編4-No.1370 島津家久譜

    本多正信の死去を知った島津家久が使者を遣わし香典として白銀百枚を贈ったが、本多正純が辞退して返却した経緯を記す島津家久譜の記事。

  73. 後編4-No.1371 本多正純書状

    本多正純が父正信の死去に際して島津家久から贈られた香典銀百枚に謝意を述べ、他からの香典も受け取っていないため返却すると伝えた書状。

  74. 後編4-No.1372 島津忠朗譜(光久公御譜中)

    「光久公御譜中」に、島津忠朗(初名忠平、忠明、又八郎、兵庫)が元和二年十一月七日に誕生し、母は家臣鎌田政重の娘、延宝四年二月十六日に没したことなどを記す。島津光久本人の出生記事ではない。

  75. 後編4-No.1373 島津義弘譜

    島津義弘が鷹狩で谷山へ赴いた後、孫の誕生を祝って家久へ樽酒・折を、新生児へ太刀・馬・青銅を贈り、家久からも返礼を受けたことを記す記事。

  76. 後編4-No.1374 山口直友書状

    山口直友が江戸へ差し出す証人について、以前にも書状で催促したとし、遅滞なく早々に江戸へ送るよう島津家久側へ求めた書状。

  77. 後編4-No.1375 島津家久譜

    島津家久が江戸で越年する予定であったところ、幕府から在国のまま翌年初夏まで参府を延ばす許可が下り、比志島国隆を使者として本多正純へ謝意を伝えた経緯を記す島津家久譜の記事。

  78. 後編4-No.1376 本多正純書状

    本多正純が島津家久の在国継続と参府延期を認め、冬季の海陸の難儀を避けて翌年四月中に江戸へ着くよう伝え、今後も用向きを支援すると述べた書状。

  79. 後編4-No.1377 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が島津家久から竹心香一嚢が届いたことを喜び、詳しくは本多正純から伝えるとした御内書。

  80. 後編4-No.1378 児玉氏譜

    朝鮮の役に出陣した児玉利昌が薩摩から軍勢を率いて赴き、元和二年十二月二十一日に帰参を願い出て赦免され、国老家久がこれを喜んだことを記す児玉氏譜の記事。

  81. 後編4-No.1379 児玉氏軍忠覚書

    児玉利昌が文禄・慶長の朝鮮役で自力・自船により渡海し、主従や船員を率いて国府衆も無償で乗船させた軍忠を列挙し、その働きの披露を求めた覚書。

  82. 後編4-No.1380 飯野西方寺阿弥陀堂棟札

    飯野西方寺の阿弥陀堂一宇を再興した際の棟札で、大檀那を島津家久、大願主を島津義弘と記す。

  83. 後編4-No.1381 島津家久譜

    島津家久が鹿児島を発って大坂・京都を経て江戸へ向かい、近衛家を介して禁中から琴・薫物などを賜ったこと、領知朱印と郡郷帳の提出を命じられたことを記す島津家久譜の記事。

  84. 後編4-No.1382 安藤重信・本多正純連署状

    安藤重信・本多正純が、先年拝領した領知朱印に奉行衆の書出と郷付帳を添え、書出がない場合は検地帳に基づく高辻・郷付を作成して早々に提出するよう命じた連署状。

  85. 後編4-No.1383 島津家久書状

    島津家久が禁中から賜った品々について、袋や箱、薫物まで比類なくありがたいと述べ、帰国後に見せる意向を伝えた書状。

  86. 後編4-No.1384 酒井忠世外四名連署奉書

    酒井忠世ら五名の連署奉書で、本文は第二三八八号文書と同文のため省略されていることを示す。

  87. 後編4-No.1385 島津義弘譜

    島津家久が鹿児島から京都へ出立する際、島津義弘が本多正純・土井利勝らへ書状・太刀・馬・銀などを贈り、荒木十左衛門には琉球焼酎を贈ったことを記す島津義弘譜の記事。

  88. 後編4-No.1386 町田久幸外三名連署状

    朝鮮役で自船を用いて人衆を渡海させた児玉利回の忠節を認め、加恩の願いは以前から披露済みであり、知行事情のため時機を見て加増すると約した連署状。

  89. 後編4-No.1387 島津家久譜

    キリシタン宗門の禁制を徹底し、黒船・イギリス船は長崎・平戸へ回して領内で売買させないという幕府奉書を、家久が後証として再確認・加判した経緯を記す島津家久譜の記事。

  90. 後編4-No.1388 酒井忠世外四名連署奉書

    幕府年寄衆がキリシタン宗門を百姓以下まで厳禁し、黒船・イギリス船は長崎・平戸へ送り領内で売買させない一方、唐船は船主の選択でどこでも交易できると命じた連署奉書。

  91. 後編4-No.1389 島津家久書状案

    島津家久が領国の石高と郡付を進上せよとの命令を了承し、作成を命じて完成次第提出すると、本多正純・安藤重信へ回答した書状案。

  92. 後編4-No.1390 島津家久書状案

    島津家久の書状案で、本文は第二三八九号文書と同文のため省略されていることを示す。

  93. 後編4-No.1391 島津家久譜

    家久に忠節を尽くした有馬丹波重純の死を悼み、家久が六首の和歌を詠んで生前の忠貞を賞し、菩提を祈ったことを記す島津家久譜の記事。

  94. 後編4-No.1392 島津家久追悼和歌

    有馬重純の死を悼み、花・露・白雲・月などに寄せて無常と故人への哀惜を詠んだ島津家久の追悼和歌六首。

  95. 後編4-No.1393 島津家久譜

    有馬重純が朝鮮・琉球の遠征にも家久に忠信を尽くして没したため、家久が『事君能致其身』の六字を冠した和歌で弔い、景親も命に従い詩を添えたことを記す記事。

  96. 後編4-No.1394 町田久幸・比志島国貞連署条書

    琉球の江洲・津堅・越来に関する知行の召上げと返進、遠島中の江洲の子息の帰還・本領安堵、津堅の暇状への帰国時の御判などを定めた連署条書。

  97. 後編4-No.1395 児玉氏譜

    児玉氏一族が惣領家再興のため、代々伝来の系図を利昌へ渡して宗職を継がせることを相談し、利貞が山口主馬介を介して系図と青銅千匹を届けた経緯を記す児玉氏譜の記事。

  98. 後編4-No.1396 児玉利貞書状

    児玉利貞が代々相伝の児玉惣領系図を利昌へ送り、祝いとして鳥目十貫を添え、系図の継承と新四郎の名乗りについて今後相談するよう伝えた書状。

  99. 後編4-No.1397 島津家久譜

    徳川秀忠が土井利勝を通じて島津家久へ枝柿一箱を下賜し、家久が拝領後これを父義弘へ贈って孝養を示したことを記す島津家久譜の記事。

  100. 後編4-No.1398 島津家久書状

    島津家久が将軍から土井利勝を使者として拝領した枝柿一箱を、賞翫するよう父義弘へそのまま進上し、度重なる将軍の厚遇への感謝を述べた書状。