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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1101~1200件・12 / 19ページ

  1. 後編4-No.1100 島津常久譜

    島津常久が慶長十九年五月二十九日、広島上山城で疱瘡により二十八歳で死去したことを記す譜。法号とともに、瀬戸口兵右衛門・岩本孫兵衛・木下藤吉左衛門が殉死したことを載せる。

  2. 後編4-No.1101 島津惟新袖署判覚書

    島津惟新が華林寺に対し、神前の勤行を怠らず、山内の衆徒・社人に関する旧規を改めず、近年の諸事を糾して悪を除き善を守り、寺領の役儀を滞らせないよう命じた袖署判覚書。

  3. 後編4-No.1102 島津家久譜

    霧島山の座主職に対し、重罪人・逃亡者を抱え置かないこと、地域の風聞を報告すること、神物を社頭再興や寺内修理に用いること、宮廻りの清掃・道路整備などを怠らないことを定めた家久譜の記事。

  4. 後編4-No.1103 御譜抄

    家臣敷根仲兵衛は生来勇敢であったが、度重なる命令違反や不届きがあり、鹿児島で拘束されたのち、福山で斬首されたことを記す御譜抄。

  5. 後編4-No.1104 島津家久書状

    島津家久が、内々に相談していた罪人について流罪か死罪かを検討した結果、死罪に決したことを報告する。山之口地頭を任命し、同地見廻りの途上、福山で刑を執行すると伝えた書状。

  6. 後編4-No.1105 伊勢貞昌外二名連署知行目録

    菱刈郡里村の長谷川氏に、薩摩国大口の浮免三石五斗を知行として宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた三名連署知行目録。

  7. 後編4-No.1106 伊勢貞昌外二名連署知行目録

    薩摩国大口里名内の浮免五石余を長谷川刑部左衛門へ知行として宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた三名連署知行目録。

  8. 後編4-No.1107 三原重種外二名連署知行目録

    薩摩国大口里村内の浮免二石七斗を井之上喜左衛門尉へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた三名連署知行目録。

  9. 後編4-No.1108 伊勢貞昌外二名連署知行目録

    薩摩国大口牛尾村および同案原村内の浮免、合計十七石余を後藤善介へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた三名連署知行目録。

  10. 後編4-No.1109 比志島国貞外二名連署知行目録(記事)島津久元譜

    宮里越中守へ五石余の知行を宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた三名連署知行目録。目録は島津久元譜にも収載される。

  11. 後編4-No.1110 島津久元譜

    島津久元譜中に、慶長十九年の領地目録を収める旨と、その目録を松坂但馬守に宛てたことを記した記事。

  12. 後編4-No.1111 頴娃久政・川上久好連署知行目録

    慶長十九年六月晦日、島津久元の領地について、山崎村・湯田村・舟木村・屋地村など多数の村別石高を列挙し、合計一万三千六百六十石八斗二升とした頴娃久政・川上久好連署の知行目録。

  13. 後編4-No.1112 島津義弘書状

    慶長十九年七月八日、島津義弘が、長年笛を稽古し音楽で奉公することを望む宮原主計助を召し寄せたとして、伝授済みの技法を残らず指南するよう笛師へ依頼した書状。

  14. 後編4-No.1113 町田久幸外三名連署知行目録

    慶長十九年七月十三日、薩摩国伊作中里村・中原村内の名原門・小原門など合計六十石を伊集院氏へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた町田久幸ら四名連署の知行目録。

  15. 後編4-No.1114 島津家久譜

    慶長十九年、山口駿河守直友が長崎で耶蘇教徒の取締りに当たり家久へ報告したため、家久が三原重種を遣わして労をねぎらい、現地の状況に対応させたことを記す家久譜。

  16. 後編4-No.1115 喜入忠続譜

    慶長十九年、長崎・有馬のキリシタン宗旨を退治するため山口駿河守が下向した際、喜入忠続が多数の兵を率いて現地へ赴き、その指揮下に入ったことを記す喜入忠続譜。

  17. 後編4-No.1116 島津家久書状案

    慶長十九年七月十五日、山口駿河守の現地到着を知った島津家久が、三原重種を先に派遣したことを伝え、有馬方面の情勢を尋ね、必要な人数は注進次第で差し向けるとした書状案。

  18. 後編4-No.1117 徳川秀忠御内書

    慶長十九年七月十七日、徳川秀忠が島津家久から届いた帷子二百のうち単物百を喜び、遠路の配慮に謝し、詳細は本多佐渡守から伝えるとした御内書。

  19. 後編4-No.1118 町田久幸外三名連署知行目録

    慶長十九年七月二十三日、薩摩国入来院浦名内の下大根田門・平ノ門など高三十石と二十八石余を肝付氏へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた町田久幸ら四名連署の知行目録。

  20. 後編4-No.1119 町田久幸外三名連署知行目録

    大隅国肝付郡串良岡崎村内の浮免を日光神の神領として寄附し、公役・寺役を免じて永く相勤めるよう定めた四名連署寄進状。

  21. 後編4-No.1120 上之御諏方神領寄附状(串良岡崎村浮免)

    慶長十九年七月廿三日、隈州肝付郡串良岡崎村内の浮免二石三斗四升二合を上之御諏方の神領として寄附し、同社に領知させ、今後の神事・公役を怠りなく勤めるよう命じた連署寄附状。

  22. 後編4-No.1121 町田久幸外三名連署寄進状

    大隅国肝付郡串良岡崎村内の浮免五石を下之御諏方へ宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた四名連署宛行状。

  23. 後編4-No.1122 比志島国貞外三名連署宛行状

    高山盛光寺の社家領について、所領を知行として宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた四名連署知行目録。

  24. 後編4-No.1123 町田久幸外三名連署知行目録

    大隅国肝付郡高山新留村内の土地二十石を盛光寺へ知行として宛行い、公役・寺役を滞りなく勤めるよう命じた連署目録。

  25. 後編4-No.1124 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国八代南俣村内の浮免十七石余を瑞光寺へ宛行い、寺役を勤めるよう命じた四名連署宛行状。

  26. 後編4-No.1125 町田久幸外三名連署宛行状

    高岡光孝寺の知行を宛行い、寺役を滞りなく勤めるよう命じた四名連署知行目録。

  27. 後編4-No.1126-1 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国八代南俣村内の浮免十斛七升七合を光孝寺へ知行として宛行い、今後は公役・寺役を課さないよう命じた四名連署知行目録。

  28. 後編4-No.1126-2 長福寺差出

    長福寺に宛行われた寺領について、元和六年の外城寺社高削減時に本高の三分の二を召し上げ、残る十六石を付け置いた経緯を記した差出。

  29. 後編4-No.1127 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国諸県郡内山村内の寺領を稲荷寺へ知行として宛行い、公役・寺役を滞りなく勤めるよう命じた四名連署知行目録。

  30. 後編4-No.1128 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国諸県郡深歳村内の土地五石を法華嶽寺へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた四名連署知行目録。

  31. 後編4-No.1129 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国諸県郡深歳村内の土地について、複数の石高を掲げて寺社領として宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた連署知行目録。

  32. 後編4-No.1130 町田久幸外三名連署宛行状

    日向国諸県郡内山村内の土地四十二石余を龍福寺へ宛行い、公役・寺役を勤めるよう命じた四名連署宛行状。

  33. 後編4-No.1131 高岡支配所名寄帳抄

    高岡支配所の名寄帳から、龍福寺など寺社の所領を抄出したもの。古名寄写として寺名・村名・石高を掲げ、高岡支配下の寺社領を示す。

  34. 後編4-No.1132 伊勢貞昌外三名連署宛行状

    日向国諸県郡内山村内の土地七石四斗余を大日寺へ宛行い、公役・寺役を勤めるよう命じた四名連署宛行状。

  35. 後編4-No.1133 高岡支配所名寄帳抄

    高岡支配所名寄帳から、花見村内打手之門など龍福寺・大日寺に関係する寺社領四十二石余を抄出したもの。

  36. 後編4-No.1134 比志島国貞外三名連署知行目録

    大隅国栗野の木場村内、有村屋敷など十八石余を知行として宛行い、その高に応じて公役を勤めるよう命じた四名連署知行目録。

  37. 後編4-No.1135 町田久幸外三名連署知行目録

    大隅国肝付郡串良岡崎村内の浮免九斗を稲荷大明神の神領として寄附し、公役を免じた四名連署知行目録。

  38. 後編4-No.1136 町田久幸外三名連署知行目録

    大隅国肝付郡高山西方村内の長野屋敷など十六石余を昌林寺の御稲荷領として宛行い、公役・寺役を免じた連署知行目録。

  39. 後編4-No.1137 町田久幸外三名連署知行目録

    昌林寺由緒帳に収める知行目録。大隅国曽於郡財部北俣名内の浮免八斗余を神領として宛行い、公役・社役を免じた。

  40. 後編4-No.1138 日光神社名寄帳

    日光神社の名寄帳。日光神村内の大宮司・神職らの屋敷・田畠・浮免について、石高、所在地、歩数などを列挙し、神社領の構成を記録する。

  41. 後編4-No.1139 日光神社名寄帳

    日光神社領の名寄目録。村内の田畠・屋敷・浮免を名請人や所在地ごとに掲げ、各石高と合計を記した帳簿。

  42. 後編4-No.1140 島津家久息女譜

    島津家久の三女で、家臣島津弾正久慶の室となった女性の譜。慶長十九年八月五日の出生、生母、慶安元年正月九日に三十五歳で没したことと法号を記す。

  43. 後編4-No.1141 町田久幸外三名連署知行目録

    薩摩国指宿郡成河村内の登瀬之門・山川之門・浮免などを村・門別に列挙し、合計百八石八斗余を児玉氏へ知行として宛行い、公役を勤めるよう命じた連署知行目録。

  44. 後編4-No.1142 児玉利貞譜

    児玉利貞譜。慶長十九年、島津家久が正龍寺へ揖宿郡内の寺領百八石八斗余を与え、四国老が目録を作成して授けたことを記す。

  45. 後編4-No.1143 町田久幸外三名連署知行目録

    大隅国曽於郡重久村内の入木門と浮免、合計百石を念佛寺へ知行として宛行った四名連署知行目録。

  46. 後編4-No.1144 町田久幸外三名連署寄進状

    大隅国曽於郡重久村内の浮免三十五石余を止上神社の神領として寄附し、諸役を免じた四名連署寄進状。

  47. 後編4-No.1145 島津家久書状

    長く他国に滞在して勤めた相手の帰宅を喜び、任務が無事に済んだことをねぎらい、自身も帰国の途につくので後日の対面を期すと伝えた書状。

  48. 後編4-No.1146 島津家久書状案

    上意を受けて稲葉彦六と相良左兵衛佐が現地へ赴く件について、諸事を入念に取り計らうよう求め、太刀一腰・馬一疋・銀子十枚を贈った書状案。

  49. 後編4-No.1147 島津家久書状案

    有馬左衛門佐の入部を知った島津家久が使札を送り、現地での勤務と諸事の処置を依頼し、今後の連絡を求めた書状案。

  50. 後編4-No.1148 山口直友書状

    現地での取扱いを見届けた上で採用・改定すること、宗教・政務上の処置を慎重に進めることを述べ、長谷川忠兵衛・茶屋四郎次郎らの動向にも触れて報告を求めた山口直友の書状。

  51. 後編4-No.1149 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国飯野名内の原田村・榎原之門・小蘭屋敷および加久藤西郷川北村内の浮免を列挙し、合計九十石余を宛行った連署知行目録。

  52. 後編4-No.1150 島津義弘書状

    島津義弘が、他所との銭・米の取引や相渡し、紀州・陸奥守との相談、長谷川忠兵衛・茶屋四郎次郎らの仲介について内々に論じ、共同の書付を差し出すよう求めた書状。

  53. 後編4-No.1151 町田久幸外三名連署宛行状

    大隅国始羅郡帖佐平松村内の複数の知行地を列挙し、合計十九石七斗余を岩下与兵衛へ宛行い、軍役を勤めるよう命じた四名連署宛行状。

  54. 後編4-No.1152 慶長十九年御日記抄(八月七日~十月朔日)

    慶長十九年八月七日から十月朔日までの御日記抄。島津義弘(惟新)からの伝言をはじめ、島津家久(奥州様)の川内通過と長崎出立、村尾源左衛門尉入道・新納次郎四郎らの長崎出立および出立人数の編成、奥州様への茶の進上、鎌田左京亮による使節と焼葉壺三つの進上、小城権現座主職への善乗院任命、本田伊豆守の鹿児島への…

  55. 後編4-No.1153 長谷川藤広書状

    有馬辺の様子を案じて本田伊賀守を現地に置く意向への返書。急に軍勢を入れる必要はないと見込み、必要時は山口直友・三原諸右衛門尉と相談して報告するため、本田をひとまず帰宅させるよう述べる。

  56. 後編4-No.1154 島津家久書状案

    軍勢は急には必要でない様子だが、注進があり次第いつでも差し向けるので安心するよう伝える。近在ながら時節柄たびたび参会できないことを詫び、見舞いの使者を送った家久の書状案。

  57. 後編4-No.1155 山口直友書状

    本田伊賀守らが見回りのため当地へ派遣されたことを報告する。先便のとおり当面は軍勢を必要とせず、本田にはひとまず帰るよう伝え、必要になれば遅滞なく要請すると回答する。

  58. 後編4-No.1156 島津家久書状

    琉球国王からの書状二通に謝し、中国へ渡った使者が無事帰着したことを祝う。航海の平穏を喜び、和扇三十握などの品を贈り、詳しくは使者に口上させるとする。

  59. 後編4-No.1157 島津家久譜

    家久の妹千鶴姫が前年夏から島津家の人質として江戸に赴き、旅寓の苦労を重ねたことを記す。家久は国のため身を委ねた働きを賞し、二千余石の采地を与え、その目録が後に続くとする。

  60. 後編4-No.1158 島津家久書状

    江戸で人質生活を送る妹千鶴姫に対し、国のための奉公を心に掛け、明るく振る舞って故郷や親を忘れない姿勢を賞する。今後も大切にすると伝えた、家久の仮名書きの書状。

  61. 後編4-No.1159 島津家久判物

    日向国諸県郡志布志のうち槻野村二千二百四十石を千鶴姫に与える島津家久の判物。別紙に所領目録があることを付記する。

  62. 後編4-No.1160 島津家久書状

    当地の馬を望んでいると聞き、栗毛の四歳馬と青毛の五歳馬の二疋を送る。いずれも若馬で現在は十分に乗りこなせないかもしれないが、成長すれば役立つとし、詳細を使者に託す。

  63. 後編4-No.1161 島津家久起請文提出記事

    慶長十九年九月、島津家久が二心のない忠誠を示すため、本多佐渡守正信・酒井雅楽頭忠世を介して、徳川家康および将軍徳川秀忠へ神裁を誓う起請文を提出したことを記す、続くNo.1162の起請文本文への導入記事。

  64. 後編4-No.1162 島津家久起請文案(本多正信・酒井忠世宛)

    島津家久が本多佐渡守正信・酒井雅楽頭忠世に宛て、両御所(徳川家康・秀忠)へ別心や表裏を持たないこと、上意に背く相談を一切しないこと、法度に毛頭違背しないことを誓約した起請文案。違反時には梵天・帝釈・四大天王以下の諸神から神罰・冥罰を受け、現世では重病、来世では無間地獄に堕ちることを誓う。

  65. 後編4-No.1163 町田久幸外三名連署知行目録

    庄内加治山富吉村内の中本吉之門三十七石余と同村内の浮免二十二石余、合計六十石を彦山政所坊へ宛行う四名連署知行目録。知行の儀を守り、祈念に励むよう命じる。

  66. 後編4-No.1164 昭高院如雪書状

    大峯で採灯護摩二座の祈祷を行い巻数を送ったことに触れ、相手の上洛を待っていると伝える。当月の祈念は故障が続いて翌日まで延引し、今回は巻数を送れないため、対面時に詳しく述べるとする。

  67. 後編4-No.1165 伊尻祐存書状

    伊尻祐存が島津義久・義弘への奉公を願い出た書状。兄弟六人が朝鮮・京都で戦死して後ろ盾がないことを訴え、自身を召し抱え、長刀を帯びて奉公することを許すよう三原らに取り成しを求める。

  68. 後編4-No.1166 島津家久譜

    豊臣秀吉没後の朝鮮からの帰陣、徳川家康の台頭、石田三成の挙兵と関ヶ原合戦、島津勢の退却、家久の情報収集と対応を記す家譜記事。島津義弘・豊久らの動向や諸将との書状往復を含む。

  69. 後編4-No.1167 加治木御日記

    加治木御日記の十月十四日条。相良清兵衛の使者長介が来訪し、島津義弘が以前から所望していた槍の柄三本を進上したこと、返書や使者への銭百疋の贈与、宮原主計助の相伴を記す。

  70. 後編4-No.1168 豊臣秀頼書状

    豊臣秀頼から島津家久への書状。同文の別号文書があるため本文を省略した旨を記す。

  71. 後編4-No.1169 大野治長書状

    大野治長から島津家久への書状。同文の別号文書があるため本文を省略した旨を記す。

  72. 後編4-No.1170 豊臣秀頼書状

    豊臣秀頼から島津家久への書状。同文の別号文書があるため本文を省略した旨を記す。

  73. 後編4-No.1171 豊臣秀頼書状

    大仏供養をめぐって徳川家康の機嫌が悪化し、大坂城明け渡しなどの条件が持ち出された情勢を伝える。片桐且元が駿河へ使者として派遣されたことを述べ、家久にも使者を差し向けて協議し、急ぎ対応するよう求める秀頼書状。

  74. 後編4-No.1172 豊臣秀頼書状

    先の書状に重ね、高屋七郎兵衛を使者として派遣するので、重大な情勢について十分に分別し、早急に返答するよう求める豊臣秀頼の書状。

  75. 後編4-No.1173 大野治長書状

    秀頼の書状を高屋七郎兵衛に持たせたことを知らせ、大坂城をめぐる急迫した交渉について家久の判断と援助を求める大野治長の添状。使者から詳しく聞くよう伝える。

  76. 後編4-No.1174 大野治房書状

    秀頼が高屋七郎兵衛を使者として派遣したため書状を送るとし、委細は使者に託す。急な上洛と援助を求め、秘密を守るよう念を押した大野治房書状。

  77. 後編4-No.1175 牧某書状

    島津家久の咳気を案じ、その快復を願う。使者を介して伝えられた女性に関する案件について、自分たちの分別で処理せず、家久の意向に従うと回答した書状。

  78. 後編4-No.1176 山口直友書状

    前日に船が出帆したことを報告し、まず安心するよう伝える。現地の仕置は長谷川左兵衛と相談して進め、委細は使者に託すとした山口直友書状。

  79. 後編4-No.1177 島津家久書状

    佐敷渡での餞別として唐盆十枚を贈る。国の政道を怠らず、民を安堵させ、長久の計を専らにし、悪党を速やかに処罰するよう求め、諸民の安心を重んじた家久書状。

  80. 後編4-No.1178 細川忠興書状

    方広寺大仏鐘の銘文が徳川家康の意に入らず、家康が激怒したとの大坂の風聞を伝える。鐘銘の作者や大坂方の事情、使者往来などを知らせ、続報も伝えるとする細川忠興書状。

  81. 後編4-No.1179 山口直友書状

    肥後方面からの使者往来と当地の状況を報告し、伊集院半右衛門を見回りの使者として差し越すことなどについて家久の指示を求める山口直友書状。

  82. 後編4-No.1180 島津惟新書状

    長年奥方で奉公する江田藤右衛門の老齢と辛労をねぎらい、大窪備前守を交代要員として上らせたので、到着後は帰国してよいと伝える。大坂情勢も熟談して報告するよう求める義弘書状。

  83. 後編4-No.1181 島津家久書状

    秀頼から召し出しがあったことに触れ、関ヶ原後も島津家が奉公を続けてきた経緯を述べる。家臣配置や軍勢の準備、忠誠に関する疑念を晴らし、情勢に応じて協議・返答するよう大野治長に求める家久書状。

  84. 後編4-No.1182 島津家久書状

    豊臣秀頼の使者高屋七郎兵衛が持参した書状を披見したと伝える。今回、秀頼方の意向に従えない事情を使者へ詳しく返答したため、適切に取り成してほしいと大野治長に求める家久書状。

  85. 後編4-No.1183 島津家久袖判覚書

    大坂で謀叛が起き、世情がどのように変化しても、島津家は関東へ一筋に奉公すると定める。徳川方から受けた多年の厚恩を忘れず、家中の者にも忠節を徹底させることを記した家久袖判覚書。

  86. 後編4-No.1184 山口直友書状

    大坂情勢に関する家久の指示を受け、使者の進路や長崎での上方情報の聴取、琉球方面との連絡などについて報告する。道中と使者派遣の扱いを確認し、さらに指示を求めた山口直友書状。

  87. 後編4-No.1185 細川忠興覚書

    細川忠興が島津家久に宛て、大坂から家久に申し越された件への返答を詳しく聞き満足したこと、自身の覚悟は先日大学坊へ述べたとおりで「東より御詫次第」と考えること、隣国・東方の情勢、大坂から忠興への連絡の有無と大坂の様子、長崎の件について、面談で申し入れ・応答した内容を七か条にまとめた覚書。

  88. 後編4-No.1186 島津家久書状

    駿府・江戸へ送った急用の使者が相手方へ到着したかを尋ねる。大坂の動静や関東からの命令、遠国である薩摩への情報伝達について、把握していることを知らせてほしいと頼む家久書状。

  89. 後編4-No.1187 板倉勝重外三名連署状

    大坂の事態が急迫し、徳川家康が京都へ到着したため、兵を率いて早々に大坂表へ出陣するよう命じた四名連署状。関東側の仕置は整っているので、数日中の着陣を求める。

  90. 後編4-No.1188 佐多忠増外二名連署書下

    佐多忠増ら三名による連署書下。折紙のため署名者相互の配置が分からず、同文の別号文書があるとして本文を省略した旨を記す。

  91. 後編4-No.1189 慶長十九年日記

    島津義弘の大坂出陣を協議し、軍中法度の条々を定めた日記。流言の禁止、陣所の警固、戦闘時の統制、鉄砲使用、略奪や私闘の禁止、他国人・船舶・宿主への対応などを詳細に定める。

  92. 後編4-No.1190 右同日記

    十一月十二日の日記。播州へ向かう者、上方衆の宿泊・酒肴、伊地知民部少輔への職の給付、使者や贈答など、大坂出陣準備期の家中の動きを列記する。

  93. 後編4-No.1191 大阪之陣事書

    大坂冬の陣に際する島津家の動員・出陣経過をまとめた日記雑抄。籠城情報を受けた軍議、国境・港・街道の警固、兵船と兵の召集、使者往来、義弘らの行程と大坂着陣までを記す。

  94. 後編4-No.1192 島津家久書状

    片桐且元の退去と関東勢の上方派遣を受け、島津家にも大坂へ上るよう求められた件への返答。以前伝えた事情から出兵要請には応じられず、使者に詳しい理由を説明させるとする家久書状。

  95. 後編4-No.1193 島津家久書状

    秀頼の母からの書状を拝領した礼を述べる。秀頼への返答は詳しく申し上げたとし、残る事情は川北勝左衛門尉から聞くよう伝えた家久書状。

  96. 後編4-No.1194 島津家久書状

    大坂へ参上するよう重ねて求められたことへの返書。関ヶ原で義弘が豊臣方に尽力した後、徳川家康が島津家の遺恨を捨てて所領を安堵した厚恩を挙げ、徳川方に背いて大坂へ加勢できない事情を説明する。

  97. 後編4-No.1195 山口直友書状

    伊勢兵部少輔が見回りに来たことを喜び、諸事を相談したと報告する。上方から将軍出馬が確実との知らせがあり、詳細は伊勢兵部少輔に伝えたため、家久へ申し上げてもらうとする。

  98. 後編4-No.1196 佐多忠増外二名連署書下

    田代刑部少輔から差し出された土地の高と年貢・道具負担を示し、左右の順に耕作を進め、油断なく用意するよう命じた三名連署書下。

  99. 後編4-No.1197 豊臣秀頼書状

    大坂籠城の事情は織田有楽・大野治長から説明させるとし、豊臣秀吉以来の恩を忘れないなら一途に忠節を尽くすよう求める。島津陸奥守・又四郎にも同じ趣旨を伝えるよう命じた秀頼書状。

  100. 後編4-No.1198 織田有楽長益書状

    武井理兵衛を使者として下し、大坂籠城の事情を知らせる。秀頼へ一筋に忠節を尽くして速やかに着岸すれば、知行などの恩賞を与えると勧誘した織田有楽書状。