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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1501~1600件・16 / 19ページ

  1. 後編4-No.1499 島津義弘書状

    島津義弘が、病気のため押判を用いたことを断り、自身は高齢なので今後の相談は島津家久にするよう伝え、朝鮮産の寒鱈三尾の贈答に謝意を述べた書状。

  2. 後編4-No.1500 本多正純書状

    本多正純が、二月中旬に島津義弘が急に筋気を患ったと聞いて心配し、老病であるため島津家久が十分に療養させ、早い回復を図るよう求めた書状。

  3. 後編4-No.1501 島津義弘書状

    島津義弘が、改年の祝意を述べ、祝儀として使札・太刀一腰・馬代銀三枚・大樽三荷を贈られたことへの謝意を伝えた書状。

  4. 後編4-No.1502 島津義弘書状

    島津義弘が、病気を気遣う度々の書状と清兵衛尉の派遣に感謝し、中風で手足と舌が不自由だが、養生を重ねて回復を目指していると報じた書状。

  5. 後編4-No.1503 島津義弘書状

    島津義弘が年頭の祝詞と長期の江戸在勤をねぎらい、将軍徳川秀忠の機嫌と鷹狩の様子を尋ね、自身の中風は大きな変化なく療養中であると伝えた書状。

  6. 後編4-No.1504 本田親存・比志島国詮連署状

    本田親存・比志島国詮が、島津義弘が急に中風を患って手足が不自由となり押判を用いていること、越州から見舞いの使者が派遣されたことなどを報じた連署状。

  7. 後編4-No.1505 島津家久書状

    島津家久が、琉球からの年頭祝詞、宰相任官への使者による祝賀、遠路の方物を受け取り、その厚意に謝した書状。

  8. 後編4-No.1506 島津家久譜

    二月中旬以来、島津義弘の病が手足の不調に及んだことが将軍徳川秀忠に伝わり、秀忠が閏三月二十五日に島津家久へ御内書を与え、療養を怠らないよう命じたことを記す島津家久譜の記事。

  9. 後編4-No.1507 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、惟新こと島津義弘の病気を心配し、十分な養生が肝要であると島津家久に命じ、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  10. 後編4-No.1508 徳川秀忠御内書写

    徳川秀忠が島津義弘の病を案じ、十分に療養させるよう島津家久へ命じた御内書の写。

  11. 後編4-No.1509 島津義弘書状

    島津義弘が、二月中旬からの中風で手足が利かず病床にあること、養生の効果がないこと、家久が見捨てられず江戸参勤を延期したことを報じた書状。

  12. 後編4-No.1510 島津家久譜

    島津家久が、老父島津義弘の持病により旅行が困難であるため当年の参勤を延期する旨を本多正純へ書状で伝え、ほかの老中からも返書を受けたことを記す島津家久譜の記事。

  13. 後編4-No.1511 本多正純書状

    本多正純が、老齢で大病の島津義弘を家久が見捨てられず参勤できない事情はもっともだとし、回復まで在国して十分に療養させるよう伝えた書状。

  14. 後編4-No.1512 時任某三名連署請取状

    銀・赤米・米の数量と銀換算額を列記し、鹿児島への上納分を受け取ったことを証した三名連署の請取状。

  15. 後編4-No.1513 酒井忠世書状

    酒井忠世が、将軍徳川秀忠へ薩摩国の硫黄五百斤、赤貝形の品一壺、灰入・そことり・焙烙を献上したところ、将軍が大いに喜んだと報じた書状。

  16. 後編4-No.1514 正阿弥宗喜書状

    正阿弥宗喜が、惟新こと島津義弘の病気を心配し、早い回復を祈るとともに、面会の際に主人の前で取り次いでくれるよう頼んだ書状。

  17. 後編4-No.1515 島津義弘譜

    元和四年四月二十一日、病床の島津義弘が雨中に加治木へ到着した上使篠原七兵衛尉と対面して台書を頂戴し、家久を亭主として饗応し、翌日請書と白銀二十枚を献じたことを記す島津義弘譜の記事。

  18. 後編4-No.1516 島津惟新書状

    島津惟新が、自身の病気について将軍から御内書を受け、急な中風で前後不覚となった身に対する上意を生前の面目として深く感謝した書状。

  19. 後編4-No.1517 島津家久覚書

    島津家久が、役人同士の関係を整えること、酒を過ごさないこと、子供たちが悪い方向へ進まないよう心得ることを命じた覚書。

  20. 後編4-No.1518 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、端午の節句の贈り物として島津家久から帷子・単物数十領を贈られたことを喜び、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  21. 後編4-No.1519 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、音信として島津家久から馬衣十領を贈られたことに謝し、委細は土井利勝から伝えるとした御内書。

  22. 後編4-No.1520 島津義弘譜

    元和四年五月五日、福島正則の使者野瀬伴三郎が、島津義弘の病状を見舞うため加治木へ到着したことを記す島津義弘譜の記事。

  23. 後編4-No.1521 土井利勝書状

    土井利勝が、島津義弘の中風により家久が参勤を延期した事情を了承し、将軍も心配しているので、油断なく義弘を療養させるよう伝えた書状。

  24. 後編4-No.1522 比志島国貞外三名連署手形

    船一艘の船頭・水手・上乗と人数、竹・角柱・琉球筵・鉄・黒木などの積荷を列挙し、相模守の役人が江戸へ回送するため異状なく通行させるよう命じた連署手形。

  25. 後編4-No.1523 島津家久書状

    島津家久が、島津義弘の見舞い使者と、南都の諸白五樽ほか一種の贈り物に謝意を述べ、義弘の病気以外には特段の問題がないと伝えた書状。

  26. 後編4-No.1524 島津家久譜

    島津義弘の病が快方に向かわないため、島津家久が京都所司代板倉伊賀守勝重へ使者と書状を送ったことを記す島津家久譜の記事。

  27. 後編4-No.1525 近衛信尋書状

    近衛信尋が、兵庫頭の病状がまだ回復していないことを案じ、病中のため直接慰問状を出すのを控えつつ、適切に見舞いを伝えるよう頼んだ書状。

  28. 後編4-No.1526 西洞院時直書状

    西洞院時直が、兵庫頭の長期の病気を案じ、養生を第一にするよう勧め、近くにいれば詳しく見舞いたいと伝えた書状。

  29. 後編4-No.1527 飛鳥井雅胤書状

    飛鳥井雅胤が蝋一顆を見舞いに贈り、兵庫頭入道の病気のため島津家久が在国するのはもっともだとし、自身の江戸往来と西丸・禁中での蹴鞠の近況を伝えた書状。

  30. 後編4-No.1528 島津義弘譜

    元和四年五月十二日、中山王の使者具志川が加治木へ来て、書簡一通・唐墨十挺・菓子などを献じ、使者自身も蕉布・焼酒等を進上したことを記す島津義弘譜の記事。

  31. 後編4-No.1529 中山王書状

    中山王が、島津家久から世子相続について使者と書状を受けたことを喜び、佐敷の早い帰国への配慮に謝意を述べ、唐盆十枚を贈った書状。

  32. 後編4-No.1530 島津義弘譜

    元和四年六月、伊勢貞昌を江戸へ遣わして上使への謝礼と品物を将軍家・土井利勝・本多正純へ進上し、同月二十一日には義弘の病を診るため京都の医師寿徳庵が加治木に到着したことを記す。

  33. 後編4-No.1531 本多正純書状

    本多正純が、島津義弘の病がなお全快していないことを案じて養生を勧め、近日伊勢貞昌を通じて申し上げる件を承知し、必要な用向きには尽力すると伝えた書状。

  34. 後編4-No.1532 島津久元外三名連署達書

    寺役として預けられた御勘気の者を隠したまま歩行させたり宿に置いたりすることを重い違反とし、以後は預かる趣旨を本人に十分申し渡して拘束し、怠慢があれば寺主の責任とするよう命じた連署達書。

  35. 後編4-No.1533 飯野長善寺棟札

    元和三年の大風で倒壊した日向国真幸院飯野村長善寺の客殿について、領主から日七十貫の助銭を受け、元和四年二月に着工して十一月十五日に再建を終えた経緯と関係者を記す棟札。

  36. 後編4-No.1534 島津家久譜

    島津家久が伊勢貞昌を江戸へ遣わして御内書への謝礼品を献じ、父義弘の病が癒えず参勤を延引する旨を重ねて本多正純に告げたところ、両御所から父の側で十分に孝養するよう命じられたことを記す。

  37. 後編4-No.1535 寺沢広高書状

    寺沢広高が重陽の祝儀として小袖一重を贈り、江戸の御前や屋敷が無事であることを知らせ、島津義弘の病が快方に向かったとの便りを喜んだ書状。

  38. 後編4-No.1536 島津義弘譜

    元和四年八月十六日、帰京する医師寿徳庵へ銀子百枚を与え、小姓以下にも銀子を与えたこと、同月二十六日には義弘の病のため富野山蓮金院が扇子・杉原紙・護摩巻数を携えて到着したことを記す。

  39. 後編4-No.1537 島津久元外三名連署覚書

    翌正月の上洛、豊見城到来時の注進、前年同様の石高一石につき銀子八分の出物、大島で柳屋が境衆二人を連行した件の糾明、他国人の手形と絹の取締りを命じた連署覚書。

  40. 後編4-No.1538 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久から重陽の祝儀として贈られた小袖五領への喜びを伝え、委細は本多正純が述べるとした御内書。

  41. 後編4-No.1539 藤堂高虎書状

    藤堂高虎が、島津義弘の病によって家久が上洛しないことをもっともとしつつ、来春は病状にかかわらず上洛するのがよいと伝え、太刀・馬代銀三十枚・琉球酒一壺への謝意を述べた書状。

  42. 後編4-No.1540 島津光久譜

    島津光久の家族関係として忠朗・久直・女子を掲げ、女子は元和四年九月十三日に忠朗と同腹の母から生まれ、寛永十四年三月二十四日に二十歳で早世したと記す譜記事。

  43. 後編4-No.1541 島津家久譜

    寿徳庵の治療で島津義弘の病がかなり回復したため、家久が謝礼の品物と金銀を与え、護送使を付けて八月十六日に帰京させ、京都所司代板倉勝重へ書状を送り、その返書もあったことを記す。

  44. 後編4-No.1542 板倉勝重書状

    板倉勝重が家久の書状を受け、義弘の病が快方に向かったことを喜び、寿徳庵を京都まで丁重に送り届けた配慮に謝意を述べ、来春の江戸参府時に面談すると伝えた書状。

  45. 後編4-No.1543 松平定綱書状

    松平定綱が義弘の病を案じ、御内書への礼使として下向した伊勢貞昌が本多正純の披露で将軍に召し出され、懇意な上意を受けたことを報告し、太刀・馬代銀三十枚・琉球酒一壺への謝意を述べた書状。

  46. 後編4-No.1544 本多正純書状

    本多正純が、板倉勝重の手配で寿徳庵が薩摩へ赴き、治療によって義弘が快方に向かったとの報を喜び、江戸に異変はなく必要な用向きには応じるとして、委細を伊勢貞昌に託した書状。

  47. 後編4-No.1545 飛鳥井雅庸書状

    飛鳥井雅庸が先の礼拝と厚意に謝し、蜈蚣一顆を見せるために送り、適当な品であれば再び進上すると述べ、調合した黒方も献じ、家久の来春早々の上洛を待つと伝えた書状。

  48. 後編4-No.1546 島津家久書状

    島津家久が中山王に宛て、前年秋に琉球へ唐船が着岸したとの風聞を受けて船を差し下し、必要な用件を伝達するよう命じたことを知らせる。また、宇治茶一壺と炭二箱を進上し、書信のしるしとした書状。

  49. 後編4-No.1547 島津家久書状

    島津家久が佐敷王子へ、久しく音信がないことに触れ、その地へ唐船が着津したとの風聞を受けて船を差し下したこと、様子は老名衆から伝えることを述べ、宇治茶一壺と炭二箱を贈った書状。

  50. 後編4-No.1548 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、鷹野見廻りとして島津家久から贈られた小袖五領を喜び、委細は本多正純が述べるとした御内書。

  51. 後編4-No.1549 島津義弘書状

    島津義弘が、恒例の祈祷巻数を受け取ったことに礼を述べ、今後も神前でいっそう懇ろに祈祷するよう頼み、詳しくは使僧から聞くとした書状。

  52. 後編4-No.1550 島津久元外四名連署達書

    高野山谷上の蓮金院を島津家の宿坊とし、銀四十貫目余で買い取った寺地・紀伊国安良見村三十五石に薩摩国出水郡百石を加えて計百三十五石を永代寄進し、当家の祈念・先祖位牌・寺中修営を怠らないよう定めた連署達書。

  53. 後編4-No.1551 島津家久寄進状

    島津家久が、高野山蓮金院を当家の宿坊として興隆するため、先に買得した寺領三十五石に薩摩国の知行百石を加えて寄進し、先祖の位牌供養と寺中修造を永代怠らないよう命じた寄進状。

  54. 後編4-No.1552 児玉氏譜

    元和四年十一月、島津家久が山川へ遊び、児玉利昌ら同族が従った際、久元ら家臣に時の風景を題として和歌を詠ませ、文臣も席に陪して七言絶句一首を作ったことを記す。

  55. 後編4-No.1553 児玉利政外八名詠草

    島津家久の山川遊覧に際し、児玉利政ら九名が、川・紅葉・瀬・冬の夜・山風など山川の景物を題材に詠んだ和歌を集めた詠草。

  56. 後編4-No.1554 島津家久詠草

    島津家久が、旅衣と花、隔たる潮路と春の月、別れの袖と青柳、心の花と春の夢、花盛りに帰る雁などを題材に詠んだ五首の和歌。

  57. 後編4-No.1555 小森某外二名連署請取状

    小森新右衛門・鮫島宮内左衛門・西郷十左衛門が、真米・赤米など計十三石八斗四升余と、その算定額を含む受払いがすべて済んだことを脇元権介へ証した連署請取状。

  58. 後編4-No.1556 島津義弘譜

    元和四年十二月二日、松平河内守康長の妻が前月八日に死去したとの知らせを、父松平隠岐守康親の書状を携えた三人の飛脚が伊勢国桑名から届けたことを記す。

  59. 後編4-No.1557 島津義弘書状

    島津義弘が松平隠岐守康親へ、河内守康長の妻が病気のため急逝したことを聞き、自身も深く愁傷しているとして弔意を伝えた書状。

  60. 後編4-No.1558 島津義弘書状

    島津義弘が松平河内守康長へ、妻が前月八日に死去したとの知らせに弔意を述べ、香奠として銀子三十枚を贈った書状。

  61. 後編4-No.1559 島津義弘書状

    島津義弘が松平隠岐守康親へ、河内守康長の妻の死去に重ねて弔意を述べ、使者新納越後守が心情を口上で伝えるとした書状。

  62. 後編4-No.1560 島津義弘書状

    島津義弘が五島淡路守へ、病気見舞いの使札と太刀一腰・馬一疋・諸白一荷・肴一折を遠路から贈られた厚意に謝し、委細は使者から述べるとした書状。

  63. 後編4-No.1561 島津義弘書状

    島津義弘が右馬允へ、帰路に見舞いの使札を受けたことを喜び、筋気の症状は変わらず寒中の歩行が不自由であること、東国と当地の屋敷が無事との報を喜んだことを伝えた書状。

  64. 後編4-No.1562 島津義弘書状

    島津義弘が寺沢広高へ、見舞いの使札と鷹の雁・酒三荷・肴二種への謝意を述べ、病状は変わらないこと、評判の天草某の薬について尋ねつつ、寿徳庵の薬を服用中であることを伝えた書状。

  65. 後編4-No.1563 松平定勝書状

    松平定勝が義弘へ、遠路の病気を案じて見舞い、症状に効くと聞く天草某について尋ね、寿徳庵の薬の服用や各種の養生を勧めた書状。

  66. 後編4-No.1564 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、歳暮の祝儀として島津家久から贈られた小袖十領を喜び、委細は酒井忠世が述べるとした御内書。

  67. 後編4-No.1565 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、音信として島津家久から贈られた蜜柑十籠を喜び、委細は本多正純が述べるとした御内書。

  68. 後編4-No.1566 島津家久譜

    元和五年正月、島津家久が使節を遣わし、旧例どおり年頭の賀寿を申し上げて幣物を献じたことを記す譜記事。

  69. 後編4-No.1567 徳川家光直書

    徳川家光が、新年の祝賀使者とともに島津家久から贈られた太刀一腰・馬代黄金二十両を喜び、委細は酒井忠世が述べるとした直書。

  70. 後編4-No.1568 島津家久書状

    島津家久が、馬を次の上洛時に又八郎へ進めるので大切にするよう伝え、腫れ物は小さくなり、喉の具合はなお同じだが次第に回復する見込みで、ほかに変わりはないと加治木から知らせた書状。

  71. 後編4-No.1569 島津家久書状

    島津家久が中山王へ、新年の慶賀を述べ、ささやかな方物を数々進献し、今後も長く吉祥が続くことを願った書状。

  72. 後編4-No.1570 島津家久譜

    徳川秀忠の上洛命令を受け、島津家久が十五歳の次男又八郎忠平を伴い、元和五年二月上旬に鹿児島を発って京都へ向かい、島津久元・町田久幸が随行したことを記す。

  73. 後編4-No.1571 島津久元譜

    島津久元が元和五年二月に薩摩を発って島津家久の上洛に随行し、翌元和六年十月に帰国したことを記す譜記事。

  74. 後編4-No.1572 島津惟新書状

    島津義弘が中山王へ、春の賀詞に答え、天下泰平を喜び、家久の使者による嗣王選定は国家長久の計であるとして、才能ある親族を選び、忠孝・仁義・国政・信仰を重んじて国を治めるよう長文で戒めた書状。

  75. 後編4-No.1573 島津義弘武功略記

    島津氏の祖忠久から家久まで約二十代の継承を述べ、義弘が歴代の教えを守って忠節を尽くし、国内の戦いや朝鮮出兵で功を立て、天下泰平に至った自身の武功の概略を記したもの。

  76. 後編4-No.1574 肥後盛次外二百二十一名連署起請文

    前書を欠くため誓約の具体的内容は不明だが、天照大神以下多数の神仏を勧請し、違反すれば重い神罰を受けると誓い、肥後盛次ら二百二十二名が連署した大規模な起請文。

  77. 後編4-No.1575 島津家久書下

    島津家久が、飯隈山地蔵院に薩摩・大隅・日向諸県郡の年行事職を認め、聖護院門跡の許可書を受けた以上は毎年大峯修行を怠らず、島津家の祈念に誠を尽くすよう命じた書下。

  78. 後編4-No.1576 島津家久譜

    島津家久が本多正純・土井利勝と面会し、将軍還御後の江戸越年、病が回復した次男又八郎忠平を翌年江戸へ出して島津家の質とすることなどを相談し、逐一許可を得て伊勢貞昌を江戸へ遣わしたことを記す。

  79. 後編4-No.1577 本多正純・土井利勝連署状

    本多正純・土井利勝が家久へ、将軍還御時に諸大名が暇を得る場合でも家久は当年江戸に下って越年すること、近日中の出立、在府衆への訴状、姫君の件などについて回答し、詳しくは伊勢貞昌へ伝えるとした連署状。

  80. 後編4-No.1578 島津忠朗譜

    島津忠朗が元和五年二月二十一日、質人として父家久に従い、六月朔日に二条城で徳川秀忠へ拝謁し、その後江戸へ赴いたことを記す譜記事。

  81. 後編4-No.1579 島津家久譜

    元和五年三月二十四日夕、島津家久と又八郎忠平が穏やかな海を渡って大坂へ着岸し、翌日、家久が伊勢貞昌へ書状を送り、事情を詳しく伝えたことを記す。

  82. 後編4-No.1580 島津家久書状

    島津家久が伊勢貞昌へ、三月二十四日に大坂へ無事着船したことを報告し、愛宕祈念への謝意、秀忠が四月二十日頃に上洛するとの情報、江戸での用件を本多正純・土井利勝へ取り成すことなどを頼んだ書状。

  83. 後編4-No.1581 飛鳥井雅胤書状

    飛鳥井雅胤が家久の上洛を喜び、早く参上したいが禁裏の能の用務が続くため、まず使者を遣わしたこと、仕舞の稽古を整え、近日中に参上すると伝えた書状。

  84. 後編4-No.1582 島津家久譜

    難波兼勝が家久へ禁裏で猿楽を奏する勅命を伝え、家久が小幡長門守に命じて四月二十七日・二十八日の両日に禁裏で猿楽を演じさせたことを記す。

  85. 後編4-No.1583 難波兼勝書状

    難波兼勝が家久へ、禁中の能を小幡長門守に申し付けて進上するよう求め、家久が理性院へ赴いたことを喜び、院主も満足するだろうと伝えた書状。

  86. 後編4-No.1584 島津家久譜

    薩摩西方の諸島では支配者不在のため他国からの逃亡者や商人が集まり、農漁業・魚塩交易が広がっていたことから、家久が島々の住民・土地・産物などを調査し、明細帳を作るよう命じた経緯を記す。

  87. 後編4-No.1585 島津久元・伊勢貞昌連署状

    島津久元・伊勢貞昌が、島々で旅人や無主の者が集まり私的支配が生じることを防ぐため、奉行の常置、住民・耕地・船・家畜等の調査、指定者の移転、明細帳の提出など島嶼統治の措置を伝えた連署状。

  88. 後編4-No.1586 島津惟新書状

    島津義弘が家久へ、島々には奉行や管理者を常置し、住民・土地・田畠・山野・船・家畜・産物を詳しく調査して明細帳を作り、無許可の移住者や犯罪者を取り締まり、年貢・役務を定めるよう助言した書状。

  89. 後編4-No.1587 興意入道親王書状

    興意入道親王が、前日の礼と書状を喜び、贈られた品を大切にすると述べ、後日あらためて面談して詳しく話すと伝えた書状。

  90. 後編4-No.1588 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、端午の祝儀として島津家久から贈られた帷子・単物数十領を喜び、委細は本多正純が述べるとした御内書。

  91. 後編4-No.1589 島津家久譜

    福島正則の城郭修築が幕府の糾問を受け、いったん弁明が認められたものの疑念が残り、家久が伊勢貞昌を通じて本多正純へ事情を伝え、その後秀忠が正則を改易して出羽へ移した経緯を記す。

  92. 後編4-No.1590 板倉勝重書状

    板倉勝重が家久の使者を受けたことに礼を述べ、自身の体調不良を詫び、福島正則の件と江戸への報告・対応について伝えた書状。

  93. 後編4-No.1591 島津家久譜

    元和五年五月三日、八条智仁親王が島津家久を邸へ招いて和歌会を催し、公卿と家久ら十四人のほか連歌師里村昌琢が列席し、菓子・酒肴等が供されたことを記す。

  94. 後編4-No.1592 八条智仁親王張行和歌及会席図

    八条智仁親王邸の歌会で詠まれた「寄道祝」を題とする親王・島津家久・公卿らの和歌と、十四人の着座位置を示す会席図。

  95. 後編4-No.1593 興意入道親王書状

    興意入道親王が、八条親王邸の歌会への列席を喜び、会席での詠歌と遊興を聞いたことを述べ、芭蕉布五端を贈って今後も懇意にするよう伝えた書状。

  96. 後編4-No.1594 後醍院宗重軍忠覚書

    後醍院宗重が、相良氏との戦い、岩屋城・耳川・高麗など各地の合戦での先陣・太刀打ち・負傷・討取り等、自身と一族の軍忠を列挙し、証明を求めた長文の覚書。

  97. 後編4-No.1595 島津久元・町田久幸連署状

    島津久元・町田久幸が、徳川秀忠の上洛出立予定、禁裏での催事や関係者の動向など、京都周辺の情勢を家久へ報告した連署状。

  98. 後編4-No.1596 土井利勝書状

    土井利勝が家久へ、契書の件と病後の事情に触れ、急な問題は生じない見込みであること、関係者への取次ぎを行うことなどを伝えた書状。

  99. 後編4-No.1597 伊勢貞知書状

    伊勢貞知が家久へ、家中で用いる房号や左衛門・右衛門などの官途名について照会を受け、留守居衆への取次ぎを含めて回答した書状。

  100. 後編4-No.1598 理性院観助書状

    理性院観助が家久へ、久しく面会できないことを詫び、当月の祈念として太元明王の護摩を懇ろに修し、その巻数札を送ったので受け取るよう伝えた書状。