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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1201~1300件・13 / 19ページ

  1. 後編4-No.1199 大野治長書状

    使者を通じて大坂籠城の事情を伝え、秀頼へ忠節を尽くして加勢するよう促す。城内で必要な兵糧・薬種などの供給や恩賞を約束した大野治長書状。

  2. 後編4-No.1200 諏訪兼安・三原重貞連署起請文

    振舞方の見回り役を入念に勤め、どのような計策も隠さず報告し、自分たちに不届きがあれば処罰を受けることを神々に誓う、諏訪兼安・三原重貞連署起請文。

  3. 後編4-No.1201 海老原為重起請文

    膳配の奉公を入念に勤め、計策があれば隠さず報告し、不届きがあれば処罰を受けることを神々に誓う海老原為重の起請文。

  4. 後編4-No.1202 留守中之日日記

    島津家久の留守中に記録された日々の日記。上洛船・使者の出入り、港や街道の警固、各地からの書状、物資・銀子の受け渡し、悪天候による船の遅延など、大坂出陣期の国元実務を日付順に記す。

  5. 後編4-No.1203 島津家久書状

    島津家久が「しん太」に宛て、船がまだ到着せず時期は定まらないが長くはかからないこと、上方へ急ぎ上った際には直ちに人を下すことを知らせる。小袖を姉へ送ったこと、前日に薬師へ参り焼酎を一杯飲んで寒さを忘れたこと、風雪の中で相手の寒さを気遣うこと、上方から暇ができて下るのを待つよう求め、下してほしい品を書…

  6. 後編4-No.1204 松平定勝書状

    大坂から重ねて使者が来た件と、本多正純へ派遣した使者の口上を了承したと伝える。大坂では先手の軍勢が間近に攻め寄せているため、家久にも早急に上方へ到着するよう促す。

  7. 後編4-No.1205 板倉勝重書状

    大坂方の別心により徳川家康・秀忠が出陣し、諸軍勢が大坂を包囲していると知らせる。島津家にも陣触れが出ているため、寒天ではあるが急ぎ上方へ参陣するよう求める。

  8. 後編4-No.1206 北郷忠能譜

    慶長十九年、北郷忠能が暇を与えられて帰国する際、本多正純から忠能へ書状が贈られたことを記し、その正文が次に続くとする北郷忠能譜の記事。

  9. 後編4-No.1207 本多正純書状

    北郷忠能の希望を本多正信が家康・秀忠へ申し上げ、帰国の暇が許されたことを祝う。長年の奉公をねぎらい、雪で道中が遅れるなか、その日のうちに船で出立するよう勧める本多正純書状。

  10. 後編4-No.1208 北郷忠能譜

    諸士の采地献上に際し、北郷忠能が高城・勝岡・山之口を島津家久へ献上したことを記す。同年十二月、家久が大坂へ出陣すると、忠能もその旗のもとに従軍したとする北郷忠能譜の記事。

  11. 後編4-No.1209 島津家久書状

    大坂出陣に向け、港の番船・出船、逃亡者や城下の混乱への処置、米穀の給付、各地の兵員招集を指示する。悪天候でも出船を急ぎ、遅参や命令不履行を厳しく取り締まるよう求めた家久書状。

  12. 後編4-No.1210 伊勢貞昌書状

    上洛中に用いる十文字の紋を早急に用意し、少しも油断しないよう指示する。事情を確かめるため、誰か一人を派遣して相談するよう求めた伊勢貞昌書状。

  13. 後編4-No.1211 島津家久書状抜書

    家久から義弘への十二月十五日付書状の抜書。大坂城内では米一石が銀百二十目となり、籠城した町人・百姓らが困窮して後悔しているとの情報を伝える。

  14. 後編4-No.1212 山口直友・本多正純連署状

    本多正純・山口直友が島津家久に宛て、大坂の件が無事に決着したため、船がどこまで進んでいても早急に帰国せよとの「御意」を伝え、その旨を心得て国元へ下るよう命じた連署状。追而書では、同封した書状を確認し、それぞれ関係者へ送るよう求める。

  15. 後編4-No.1213 本多正純書状

    大坂の件が無事に決着したため、船がどこまで進んでいても早々に帰国するよう幕府の意向を伝える。国元へ戻る船の手配と安全な帰途を案じた本多正純書状。

  16. 後編4-No.1214 北郷忠能譜

    元和元年正月、大坂が平定され諸軍が帰還した後、北郷忠能の領地が多いことを検地で確認し、三千石を加増して本高を四万四千四百余石とした北郷忠能譜の記事。

  17. 後編4-No.1215 北郷久加譜

    元和元年、十二歳の北郷久加が元服し、島津家久が加冠して又次郎と名乗らせ、宝刀を与えた。島津義弘も銭二千疋を贈り、祝歌を添えたことを記す北郷久加譜の記事。

  18. 後編4-No.1216 島津義弘吉書

    北郷久加の元服を祝って、天福と地徳が満ち、君の代が久しく続くことを願った島津義弘の祝歌。

  19. 後編4-No.1217 島津家久書状

    大坂の件が無事に決着し、帰途についたことを報告する。肥後からの船、使者の派遣、兵の移動や道中の手配について関係者と相談し、帰国を円滑に進めるよう求めた家久書状。

  20. 後編4-No.1218 本多正信書状

    琉球から中国へ派遣された船が帰朝し、家久が早々に報告して砂糖百斤・焼酎など三種を進上したことに謝す。献上品を披露し、将軍が喜んだ旨を伝える本多正信書状。

  21. 後編4-No.1219 町田久幸外三名連署知行目録

    日向国の村々にある複数の土地、合計百四十三石余を知行として宛行い、公役を免除する四名連署知行目録。今後の検地で石高を改め、永く無役地とする旨を記す。

  22. 後編4-No.1220 比志島国貞・伊勢貞昌連署状

    白鳥山の知行地は従来どおり諸公役を免除し、検地の竿入れから除外するよう命じる。除外分は鹿児島の石高へ加えるとした比志島国貞・伊勢貞昌連署状。

  23. 後編4-No.1221 島津惟新書状

    前年、五左衛門尉が細工修業のため上方へ赴いた際、正阿弥彦左衛門から鑢など刀工の技術を多数教えられたことに謝す。国元の重宝となる技術伝授への礼として品を贈った義弘書状。

  24. 後編4-No.1222 島津家久書状

    幕府の法度に反する者がいるとの情報を受け、関係者を召し出して詳しく調査するよう求める。違反の程度と人数を確認し、重い者には相応の処置を行うよう指示した家久書状。

  25. 後編4-No.1223 町田久幸外三名連署知行目録

    隅州・日州の複数村にある土地と京枡加増分、合計八百六十四石余を霧島山座主坊へ宛行う四名連署知行目録。検地の結果に従い石高を確定する旨を記す。

  26. 後編4-No.1224 本多正純書状

    当春の駿府・江戸下向は当面見合わせ、適切な時期を改めて知らせるので内々に用意して待つよう指示する。それまでに出船しても早々に国元へ戻るよう求めた本多正純書状。

  27. 後編4-No.1225 比志島国貞外二名連署知行目録

    複数の土地、合計百七石余を島津陸奥守へ知行として宛行う三名連署知行目録。

  28. 後編4-No.1226 鹿児島御支配所知行名寄帳

    鹿児島御支配所の知行名寄帳。大口小木原村などの屋敷・田畠について、名請人、面積、石高、給付先を列記し、合計高と知行割付を示す。

  29. 後編4-No.1227 早水某申状

    肥後湯之浦の地頭職・知行をめぐる経緯を詳述した早水某の申状。太閤下向時以来の奉公、役替え、知行移転、石高加増などを挙げ、自身への処置と知行の回復・裁許を求める。

  30. 後編4-No.1228 島津家久譜

    宇喜多秀家の旧臣本郷義則が、秀家の八丈島配流後に薩摩へ来て島津家久の師範となった経緯を記す。本郷義則が元和元年三月二十五日に病死し、家久が深く哀惜したとする家久譜の記事。

  31. 後編4-No.1229 島津家久追悼和歌

    弓の師として頼んだ本郷義則の死を悼み、朝夕の思い出、春の花、秋の月、雁の声などに託して哀惜を詠んだ島津家久の追悼和歌群。

  32. 後編4-No.1230 日置某外二名連署書下

    愛岩領内の土地高百七石余について、納成を宝泉坊へ相渡すよう命じた日置吉兵衛ら三名連署書下。

  33. 後編4-No.1231 佐多忠増外二名連署書下

    出陣時の軍役として、石高に応じた十人の兵員と、乗馬・馬取・鉄砲・弓・槍・草履取などの装備・役割を用意するよう命じた三名連署書下。二か月分の費用を自弁することも定める。

  34. 後編4-No.1232 佐多忠増外二名連署書下

    知行高に応じ、出陣時に用意すべき軍役人数九人と、騎馬・馬取・具足・鉄砲・弓・鑓などの構成を定め、二か月分の自弁を命じた三名連署の書下。

  35. 後編4-No.1233 市来家繁書下

    知行高に応じ、出陣時の軍役人数九人と騎馬・馬取・具足・弓・鑓などの装備構成を示し、遺漏なく準備するよう命じた市来家繁の書下。

  36. 後編4-No.1234 佐多忠増・本田親正連署書下

    知行高に応じ、出陣時の軍役人数十四人と、騎馬二疋を含む具足・鉄砲・弓・鑓などの装備構成を定め、周到な準備を命じた連署書下。

  37. 後編4-No.1235 本多正純書状

    大坂で種々の風聞があるため、中国・西国の人数や武具・屋敷等の備えを整え、上洛して協議・奉公に当たるよう促した本多正純の書状。

  38. 後編4-No.1236 本多正純書状

    大坂方面の風聞を踏まえ、中国・西国勢の人数や配置を整えて上洛し、関係者と相談のうえ迅速に対処するよう求めた書状。

  39. 後編4-No.1237 細川忠興書状

    大坂情勢をめぐる急報を受け、上洛・伏見方面への移動と諸勢の動向を知らせ、先の申入れに従い慎重かつ速やかに備えるよう促した細川忠興の書状。

  40. 後編4-No.1238 喜入忠政書状

    鹿児島諏訪の願掛けに関わる人物一人とその従者の派遣について願い出て、鹿籠方面への指示と許可・返答を求めた喜入忠政の書状。

  41. 後編4-No.1239 山口直友書状

    大坂への出陣が急となったため、召集・派遣する人数や先手の配置を協議し、遅滞なく準備して上洛するよう求めた山口直友の書状。

  42. 後編4-No.1240 本多正純書状

    大御所の入洛を受け、将軍の今月二十三・二十四日ごろの伏見到着を見込み、大坂方の人数召集・出陣・配置を整えて上洛するよう命じた本多正純の書状。

  43. 後編4-No.1241 山口直友書状

    福崎新兵衛ら国衆の派遣に自方の者も一人添えることを伝え、大坂への出立を急ぎ、遅延なく諸般の手配を進めるよう求めた山口直友の書状。

  44. 後編4-No.1242 道正庵某書状

    大御所が十八日夜に上洛し、将軍も二十三日ごろ上洛する見込みであるため、人数・装備を整え、遅滞なく大坂方面へ出陣するよう急かした書状。

  45. 後編4-No.1243 道正庵某書状

    大坂出陣を急ぐ一方、船の準備が整わないことや大御所の上洛、島津陸奥守の上洛予定などを知らせ、至急の参陣を重ねて求めた書状。

  46. 後編4-No.1244 島津家久息女譜

    島津家久の四女が元和元年四月二十日に生まれ、母は鎌田政重の娘で、寛永二十年四月二十三日に二十九歳で没し、法名を妙国としたことを記す系譜記事。

  47. 後編4-No.1245 島津家久譜

    慶長十九年末からの大坂方の動向について、信濃景親が大坂からもたらした情報や本多正純・山口直友の指示、真田氏ら大坂勢の状況を記した島津家久譜の記事。

  48. 後編4-No.1246 飛鳥井雅庸書状

    大坂への出馬が目前であるとして、京都への到着を急ぎ、参会して指示を受けるよう求めた飛鳥井雅庸の書状。

  49. 後編4-No.1247 山口直友書状

    五月五日に両御所が出馬し、七日に先手が大坂へ攻め入り本丸天守が焼け、八日に秀頼が切腹したと報じ、人数を残して自身は速やかに上洛するよう求めた書状。

  50. 後編4-No.1248 北郷忠能譜

    島津家久が五月五日に鹿児島を出陣し、手廻人数一万三千八百人を率いて進軍中、大坂落城の報を受けたことを記す北郷忠能譜の記事。

  51. 後編4-No.1249 島津義弘書状

    上方の戦いが決着したとの報を伝え、島津陸奥守が十五日に出船したことを知らせるとともに、北郷讃岐守にも庄内を発って一刻も早く上洛するよう求めた島津義弘の書状。

  52. 後編4-No.1250 北郷忠能譜

    同年八月、命令により旧城を去って新しい居所へ移ったことを簡潔に記す北郷忠能譜の記事。

  53. 後編4-No.1251 板倉勝重書状

    五月六・七日の合戦で大坂方が敗れ、秀頼・母・大野治長らが本丸で敗軍し八日に死去したこと、上方が静謐となったことを伝え、早い上洛を望んだ板倉勝重の書状。

  54. 後編4-No.1252 山口直友書状

    大坂落人の処置について土井利勝・酒井忠世から指示があったことを知らせ、関係者の捜索・処置を行い、早々に上洛するよう求めた山口直友の書状。

  55. 後編4-No.1253 有川貞政書状

    大坂落城後の移動に伴い、伊集院伴右衛門尉らの乗馬・出船や馬の手配が滞っている事情を知らせ、必要な対応を求めた有川貞政の書状。

  56. 後編4-No.1254 島津惟新書状

    海路の無事と堀弥右衛門尉の口上・山口直友の書状を受け、大坂の戦いが大野治長の策に端を発して決着した事情を述べ、戦後処理と上洛について伝えた島津惟新の書状。

  57. 後編4-No.1255 島津惟新書状

    家久が尼崎に到着したと聞いて長旅の労苦をねぎらい、大坂の戦いが速やかに決着し情勢が静まったことを伝え、早い上洛を望んだ島津惟新の書状。

  58. 後編4-No.1256 本多正信書状

    島津家久が尼崎まで上着したと聞いて遠路の苦労をねぎらい、早々に京都へ上洛するよう勧めた本多正信の書状。

  59. 後編4-No.1257 本多正信書状

    前日に到着したとの報を受け、父子ともに無事であることを喜び、山口直友との面談・相談を踏まえて早く上洛するよう求めた本多正信の書状。

  60. 後編4-No.1258 渡辺茂書状

    大坂方が敗れて真田氏・後藤又兵衛・木村重成・薄田隼人らが討死し、上方が泰平となったことを伝え、京都での滞在・上洛を祝した渡辺茂の書状。

  61. 後編4-No.1259 本多正純書状

    島津陸奥守が将軍に拝謁して馬を拝領したことを祝し、伏見への到着・滞在や今後の進退について連絡した本多正純の書状。

  62. 後編4-No.1260 本多正勝書状

    将軍への拝謁と馬の拝領を祝賀し、何事も満足に進んだことを喜び、今後も参上・奉公するよう伝えた本多正勝の書状。

  63. 後編4-No.1261 長谷川藤広書状

    将軍への拝謁と馬拝領を祝し、山口直友から聞いた事情を踏まえ、伏見周辺の町割・居所などの措置に応じて今後の奉公を進めるよう伝えた長谷川藤広の書状。

  64. 後編4-No.1262 本多正信書状

    咳気から回復し将軍への奉公を果たしたことを喜び、養生を勧めるとともに慰めの馬を進上した本多正信の書状。

  65. 後編4-No.1263 大阪夏之陣巨細条書

    大坂夏の陣の戦況を記した文書。五月六日に後藤又兵衛らが討死し、伊達勢と眞田左衛門(真田信繁・幸村)が戦ったこと、翌七日に大坂城が落ち、秀頼・淀殿らが自害したことなどを詳述する。なかでも眞田を『眞田日本一之兵、いにしえよりの物語にも無之由』と評し、古今に例のない勇将として高く評価している。戦後の城内・…

  66. 後編4-No.1264 大阪夏の陣城攻絵図

    大坂城を中心に東西南北の諸口と徳川方・豊臣方諸将の陣所・攻撃方向を配置した、大坂夏の陣の城攻め絵図。

  67. 後編4-No.1265 土井利勝書状

    島津陸奥守のもとへ使者として参上したことを伝え、本人の意向と次の行動を確認したうえで、苦労をねぎらい早い対応を求めた土井利勝の書状。

  68. 後編4-No.1266 児玉利昌譜

    慶長二十年、児玉利昌が島津家久に従って五月五日に出陣し、肥後・平戸方面を経て大坂落城の報を受け、七月二十九日に大坂へ至るまでを記した譜伝記事。

  69. 後編4-No.1267 島津家久書状

    南部酒二樽を贈り、将軍への奉公に際しての配慮と助言に謝意を示し、今後も家久を見放さず導くよう求めた島津家久の書状。

  70. 後編4-No.1268 昭高院如雪書状

    上洛が遅れて心許なく思っていたところ、大坂での戦いが速やかに決着したことを喜び、将軍の内意や今後の進退について相談を求めた昭高院如雪の書状。

  71. 後編4-No.1269 酒井忠世外二名連署状

    大坂の落人を捕らえて改めること、妻子の処置や親類への引渡しを慎重に行うこと、詳しい結果を早々に報告することを命じた三名連署状。

  72. 後編4-No.1270 藤堂高虎書状

    藤堂高虎が島津家久に宛て、前日に徳川家康が参内し、自身も供奉したこと、家康が機嫌よく安堵してよいことを伝える。徳川秀忠への目見えがまだ実現しないのは軽い咳気のためだろうと推察し、家久の出京を待って近日中に十分に語り合いたいこと、小姓衆による能興行を予定していること、詳細は対面で伝える旨を記した書状。

  73. 後編4-No.1271 琉球王子朝昌起請文

    琉球王子朝昌が、人質として薩摩にある間も琉球国の法度と島津氏への忠誠を守り、惟新・家久への逆心者があれば親類縁者でも直ちに申し出ることなどを神仏に誓った起請文。

  74. 後編4-No.1272 島津家久書状

    近況を知らせ、心許ばかりの贈物として帷子二つを進上し、今後も音信を交わすことを望んだ島津家久の書状。

  75. 後編4-No.1273 近衛信尹書状

    到着を重ねて喜び、炎暑の時節の労をねぎらって近年の交誼を深めることを望み、二種の双樽を贈った近衛信尹の書状。

  76. 後編4-No.1274 島津惟新書状

    長雨による帰国の遅れを案じつつ、幕府への奉公、領国内の人馬・軍役、大坂落人の捜索、琉球の銀納・進貢、国元の統治と諸国情勢など多数の案件を条項別に指示・報告した島津惟新の長文書状。

  77. 後編4-No.1275 酒井忠世外二名連署状

    幕府の煙草禁令を領内に徹底し、煙草の吸用だけでなく売買・栽培も停止させるよう命じた三名連署状。

  78. 後編4-No.1276 福島正則書状

    上洛と大坂の早い落着を祝し、遠路からの使札と贈物への謝意を示して、今後も変わらぬ交誼を望んだ福島正則の書状。

  79. 後編4-No.1277 伊勢貞昌書状

    山口直友との面談や佐州方面への使者・軍勢の指示、関係者の病気と書状の伝達など、上洛後の諸案件について詳しく報告した伊勢貞昌の書状。

  80. 後編4-No.1278 島津家久書状

    酒樽一荷を贈り、書信を交わして無事を知らせ、今後も別府舎人助に諸事を依頼した書状。索引表題は島津家久書状だが、本文署名は伊勢兵部少輔貞昌。

  81. 後編4-No.1279 伊勢貞昌書状

    鹿児島から戻った使者が御書を届けたことを報じ、上洛後の指示・国元の奉公・惟新への伝達などを迅速に進めるよう求めた伊勢貞昌の書状。

  82. 後編4-No.1280 酒井忠世外二名連署状

    領国内では居城一城だけを残し、それ以外の城をすべて破却して、実施結果を幕府へ報告するよう命じた一国一城令の三名連署状。

  83. 後編4-No.1281 島津家久書状

    六月二十六日付の書状を七月十五日に受け、大坂落人と領内諸島での捜索・処置、城破却、幕府への奉公、琉球から帰る船と国元への連絡などを条項別に報じた島津家久の書状。

  84. 後編4-No.1282 島津惟新書状

    六月十六日付書状への返答として、洛中・領内の居所と人員配置、大坂落人の捜索、国元の兵・物資・商売、惟新の留守中の統治など多数の案件を条項別に指示した書状。

  85. 後編4-No.1283 本多正純書状

    翌日朔日に二条城で能が催されるため、少し早めに登城するよう案内した本多正純の書状。

  86. 後編4-No.1284 島津家久譜

    家久が洛中に滞在し、日々舞楽・能などを見物して、両御所から深い恩遇を受けたことを記す島津家久譜の記事。

  87. 後編4-No.1285 願成寺鐘名

    隅州願成寺の梵鐘鋳造に際し、寺の由緒、仏法興隆、鐘声による衆生教化と島津氏の繁栄を願って刻まれた長文の鐘銘。

  88. 後編4-No.1286 良恕親王書状

    上洛を重ねて喜び、参上の機会を待つことを伝えるとともに、帷子五重を贈った良恕親王の書状。

  89. 後編4-No.1287 徳川秀忠御内書

    上洛を喜び、すぐには対面の時間が取れないため、まず書状を送って今後の参会を伝えた徳川秀忠の御内書。

  90. 後編4-No.1288 西洞院時直書状

    諸白一荷を贈られたことへの謝意を述べ、礼が遅れたことを詫び、今後も厚意を願った西洞院時直の書状。

  91. 後編4-No.1289 本多正信書状

    二条城・伏見での能見物や帰国予定を知らせ、大坂平定の祝儀として太刀一腰・馬代銀子五十枚・紅糸二十斤を受けたことに謝意を示し、落人処置などを相談した本多正信の書状。

  92. 後編4-No.1290 島津家久書状

    島津家久が島津義弘に宛て、用事に備えて留め置いた大学坊を、特別の案件がないため先に帰国させること、掛川方面からも特段の知らせがなく、当地の情勢も変わらないことを伝える。さらに、七日に伏見で能見物のため諸大名が伺候した際、「御法度条々」が発布され、その条書を義弘へ送ったこと、京都でも種々の命令が出され…

  93. 後編4-No.1291 島津家久譜

    慶長二十年七月十三日、今上天皇の代に年号が慶長から元和へ改められたことを記す島津家久譜の記事。

  94. 後編4-No.1292 殉国名藪

    元和元年七月十八日、吉富大蔵が主君の跡を追って四十二歳で殉死したことを記す『殉国名藪』の記事。

  95. 後編4-No.1293 桂忠昉譜

    元和元年七月十八日、桂忠昉が隅州高山で病死し、享年五十八、法号を龍泉道活としたことを記す譜伝記事。

  96. 後編4-No.1294 西洞院時直書状

    前日に心静かに物語を交わしたことを喜び、旧交を忘れず今後も折々に訪ねてほしいと述べた西洞院時直の書状。

  97. 後編4-No.1295 徳川家康御内書

    遠路から三十種と菓子四壺が届いたことを喜び、贈答への謝意を示した徳川家康の御内書。

  98. 後編4-No.1296 本多正純外三名連署状

    大坂古参の者の扱いと新たな召抱えについて、旧大坂方の者をむやみに雇用せず、身元と前歴を吟味するよう命じた四名連署状。

  99. 後編4-No.1297 某書状

    差出人未詳の人物が川崎大膳ら四名に宛て、修理殿が先月二十九日に上方を出船して帰国したこと、公方が今月四日に当地へ到着し、当地の情勢が無事であることを報告する。さらに、諸大名に当地滞在が申し渡されたことを踏まえ、修理殿の上洛に際しては準備の遅延を避け、少人数で早く上り、必要な者や道具は後船で順次送るこ…

  100. 後編4-No.1298 中山王尚童書状

    上方での用務を終えて帰国するにあたり、島津家久の厚い取り計らいと琉球使節への配慮に感謝し、遠隔の海路から礼物を進上した中山王尚寧の書状。