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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 1401~1500件・15 / 19ページ

  1. 後編4-No.1399 島津家久譜

    島津家久の男子光久の誕生を知った琉球中山王が、海路遠隔のため遅れながらも祝書と祝物を送ったことを記す記事。

  2. 後編4-No.1400 中山王書状

    中山王が島津家久家の繁栄を祝い、遠路のため祝儀が遅れたことを詫び、佐敷王子の上国に際して琉球の政務指導を願い、別紙記載の祝物を贈った書状。

  3. 後編4-No.1401 島津義弘譜

    佐敷王子・与那城王子が加治木へ来訪し、年頭礼・孫光久の誕生祝・質人赦免の謝礼として芭蕉布・焼酎・金銀器・白銀などを義弘へ贈ったことを記す島津義弘譜の記事。

  4. 後編4-No.1402 島津家久譜

    島津家久が東照大権現を拝するため江戸から日光山へ赴き、本多正純から夜着・蚊帳・乗馬などを贈られ、道中の景色を和歌に詠んだことを記す島津家久譜の記事。

  5. 後編4-No.1403 島津家久書状

    島津家久が日光参詣を控えた旅程や帰国の見通し、近況を伝え、関係者への伝言と家中の健康への配慮を求めた書状。

  6. 後編4-No.1404 伊勢貞昌書状

    伊勢貞昌が家久の京都出立、将軍の日光参詣と江戸還御、家久の江戸滞在・上洛予定を伝え、義弘の病気平癒を祈る愛宕百味の奉納品を進上した書状。

  7. 後編4-No.1405 西洞院時直書状

    西洞院時直が度々の厚遇に謝し、天候と家久の江戸での首尾を祝し、上洛時の対面を望んだ書状。

  8. 後編4-No.1406 鬼塚某外二名請取状

    高百石に対する七分出銀七十目を皆済として、鬼塚甚五左衛門ら三名が受け取ったことを証する請取状。

  9. 後編4-No.1407 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が端午の祝儀として島津家久から帷子・単物数十が届いたことを喜び、詳しくは本多正純から伝えるとした御内書。

  10. 後編4-No.1408 本多正純書状

    本多正純が島津家久の日光登山に際して馬・夜着・蚊帳を贈り、その返礼使に謝意を述べ、家久の帰路に伺候すると伝えた書状。

  11. 後編4-No.1409 本多正純書状

    本多正純が、島津家久から将軍へ進上した端午祝儀の帷子に対する徳川秀忠の御内書を、家久へ送付したことを伝えた書状。

  12. 後編4-No.1410 島津家久譜

    島津家久が将軍秀忠に拝謁して饗応と懇命を受け、正宗の脇差・行平の太刀・馬二疋を拝領し、老中へ礼を述べた後、父義弘へ報告して江戸から木曽路を経て伏見へ向かった経緯を記す島津家久譜の記事。

  13. 後編4-No.1411 本多正純書状

    本多正純が、家久が将軍前で厚遇され、正宗の脇差・行平の太刀・馬二疋を拝領したことを祝し、諸老中への礼参も適切であると伝えた書状。

  14. 後編4-No.1412 加藤重正書状

    加藤重正が島津家久拝領の馬『八塚』を預かっていることを伝え、癖がなく口向きもよい秘蔵の良馬であると、その性質と来歴を説明した書状。

  15. 後編4-No.1413 島津家久書状

    島津家久が将軍から暇を与えられ、行平の太刀・正宗の脇差・八塚を含む馬二疋を拝領した厚遇を報告し、木曽路を通って上洛する予定を伝えた書状。

  16. 後編4-No.1414 島津家久書状

    島津家久が六月八日に江戸を発って上洛すること、将軍から名物の太刀・脇差・逸物の馬二疋を拝領したことを報じ、又四郎の到着と長千代の帰国方針も伝えた書状。

  17. 後編4-No.1415 北郷翁久譜

    北郷翁久が登城して徳川秀忠に拝謁し、太刀・馬代を献上して単物・帷子・太刀・馬・羽織を拝領し、翌月暇を得て帰国したことを記す北郷翁久譜の記事。

  18. 後編4-No.1416 吉松内小野寺知行名寄帳

    吉松内小野寺に関係する加久藤西郷村内の天満屋敷について、知行名寄を記した帳面。

  19. 後編4-No.1417 吉松内小野寺知行名寄帳

    吉松内小野寺に関係する中津川吉松の吉松門について、知行名寄を記した帳面。

  20. 後編4-No.1418 吉松内小野寺知行名寄帳

    吉松中津川村内の松蘭屋敷について、知行名寄を記した帳面。

  21. 後編4-No.1419 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が家久から届けられた珍しい二種の品を賞翫し、海辺からの生鮮の贈物に感謝し、後日の対面で謝意を述べると伝えた書状。

  22. 後編4-No.1420 島津家久書状

    島津家久が上方の平穏、公方の参内予定、伏見での拝謁、東丸姫や義弘の病気平癒、串湊の唐船破船、江戸の親族、国元政務などを父義弘へ詳しく報告した書状。

  23. 後編4-No.1421 島津家久譜

    伏見城で猿楽能が催され、家久を含む大名が台命により観覧し、その際に示された法度条書を家久が父義弘へ送り、国中へ周知したことを記す島津家久譜の記事。

  24. 後編4-No.1422 島津家久書状

    島津家久が伏見での能見物と大名への法度条書、京都市中への諸命令を父義弘へ伝え、その条書を進上し、詳細は大學坊に託した書状。

  25. 後編4-No.1423 宿次在番所日帳抄

    隅州様の聖之宮参詣に備え、新上橋から小野村境までの危険箇所修繕と道路普請を沿道各村へ割り当てた記録で、後世の写しには祭日を孔子の祭礼と推定する注記もある。

  26. 後編4-No.1424 島津家久条書

    島津家久が太平下の武家社会の華美化、江戸屋形・参府・上洛費用と借銀増大を指摘し、出物未進者は身分を問わず知行を召し上げるとして、家中に倹約・納付・耕作を徹底させる条書。

  27. 後編4-No.1425 島津家久譜

    板倉勝重が島津家久へ、将軍秀忠の参内が七月二十一日に決まったことを知らせた経緯を記す島津家久譜の記事。

  28. 後編4-No.1426 本多正純書状

    本多正純が家久の病気平癒を祝い、上使への礼として翌日登城することを認め、将軍参内が七月二十一日であるため供奉するよう知らせた書状。

  29. 後編4-No.1427 板倉勝重書状

    板倉勝重が家久の病気を気遣い療養後の出仕を勧め、将軍参内が七月二十一日に確定したため心得るよう伝えた書状。

  30. 後編4-No.1428 島津家久譜

    島津家久が登城して徳川秀忠に拝謁し、宰相権中将への任官と吉光の宝刀を賜り、家久も名刀・品物を献じて謝意を表したことを記す記事。

  31. 後編4-No.1429 蔵人頭広橋兼賢奉口宣案

    日野新大納言を上卿として、左近衛権中将藤原家久朝臣を参議に任ずる旨を、蔵人頭右大弁広橋兼賢が奉じた口宣案。

  32. 後編4-No.1430 速水菜・同某連署状

    島津家久が宰相に任ぜられたことを報じ、口宣を調えるため氏と名乗を書き付けて送るよう求めるとともに、参内は将軍参内後の一、二日中が適当との意向を伝えた連署状。

  33. 後編4-No.1431 福島正則書状

    福島正則が、島津家久が登城の際に上意によって直ちに宰相へ任ぜられることとなった栄誉を祝い、明後日の用意が整ったかを尋ねた書状。

  34. 後編4-No.1432 飛鳥井雅胤書状

    飛鳥井雅胤が、公卿としての作法の手引きは用意がないだろうと見込み、指南となる書物を島津家久へ進上した書状。

  35. 後編4-No.1433 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が島津家久の昇進を祝し、帰京後の疲労で返事が遅れたことを詫び、翌日の参内と装束の手配について、宗善方へ出向くと聞き残念に思う旨を伝えた書状。

  36. 後編4-No.1434 島津家久譜

    元和三年七月二十一日、将軍徳川秀忠が参内し、島津家久がこれに扈従したことを記す島津家久譜の記事。

  37. 後編4-No.1435 西洞院時直書状

    西洞院時直が前日の参内が無事に済んだことと島津家久の宰相任官を祝い、着二色と諸白三荷を祝儀として贈り、後日参上すると伝えた書状。

  38. 後編4-No.1436 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が、伏見へ出向いていたため島津家久の訪問時に面会できなかったことを詫び、太刀一腰と馬一匹の贈答に礼を述べ、改めて対面したいと伝えた書状。

  39. 後編4-No.1437 松平定綱書状

    松平定綱が島津家久の宰相任官を重ねて祝い、近く参上して面談したいと伝えた書状。

  40. 後編4-No.1438 町田久幸外三名連署知行目録

    薩摩国加世田内山田村の田頭屋敷について、定高十五石七升七合と浮免二石九斗五升三合、合計十八石三升を公役負担の知行として前田隼人佑へ宛行った連署知行目録。

  41. 後編4-No.1439 島津家久譜

    元和三年七月二十七日、島津家久が勅使西洞院時直を通じて後陽成院の宸翰と掛物一幅を拝領し、百拝して謝し家宝としたことを記す島津家久譜の記事。

  42. 後編4-No.1440 島津家久添書

    島津家久が、後陽成院の宸翰である掛物を西洞院時直が勅使となって拝領した旨を書き付けた添書。

  43. 後編4-No.1441 西洞院時直書状

    西洞院時直が島津家久に対し、七日の昼に茶を差し上げたいとして、仙洞御所への見舞いの折に必ず立ち寄るよう招いた書状。

  44. 後編4-No.1442 島津家久譜

    元和三年八月七日、島津家久が病気の後陽成院を仙洞御所に見舞い、帰路に西洞院時直の茶亭へ招かれたこと、在京中は日々見舞いと進献を重ね、叡感を得たことを記す島津家久譜の記事。

  45. 後編4-No.1443 西洞院時直書状

    西洞院時直が、島津家久の使者と見舞いを後陽成院へ披露したことを伝え、夜中より病状が改善し、意識や食事も回復したとして安心するよう知らせた書状。

  46. 後編4-No.1444 西洞院時直書状

    西洞院時直が、後陽成院の病状と脈が今朝は一段と良いことを報じ、島津家久の度重なる見舞いを披露して感謝されたこと、贈られた二色の品も進上すると伝えた書状。

  47. 後編4-No.1445 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が、後陽成院は会話や食事ができるまで回復し、腫物から膿が出て治療も進んでいること、島津家久の毎日の見舞いを喜んでいることを詳しく報じた書状。

  48. 後編4-No.1446 西洞院時直書状

    西洞院時直が、後陽成院の病状は一段と良いので安心するよう伝え、文字への賛の件について島津家久の都合に合わせて来訪を待つと知らせた書状。

  49. 後編4-No.1447 西洞院時直書状

    西洞院時直が、後陽成院の病状は引き続き良好であると報じ、夕方に都合がよければ前夜の続きの用を行いたいとして返事を求めた書状。

  50. 後編4-No.1448 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が、後陽成院は脈が落ち着き、腫物も小さくなり、灸治と鍼で出た膿血の色も良く、肩も軽くなったと報じ、安心するよう伝えた書状。

  51. 後編4-No.1449 西洞院時直書状

    西洞院時直が、後陽成院の病状が良好であると報じ、前日の酒への礼を述べるとともに、夕刻の島津家久の来訪を待つと伝えた書状。

  52. 後編4-No.1450 理性院観助書状

    理性院観助が、島津家久の来訪が延期となったことを承知し、都合のよい折の来訪を待つ旨を伝えた書状。

  53. 後編4-No.1451 西洞院時慶書状

    西洞院時慶が、後陽成院が葛汁と赤小豆を口にし、気分と脈が良好で、腫物には鍼と灸の治療を施したことを詳報し、島津家久の度重なる配慮に謝した書状。

  54. 後編4-No.1452 島津家久書状

    島津家久が女房衆への伝言を頼み、近況や贈り物に触れて親しく消息を伝えた仮名書きの書状。

  55. 後編4-No.1453 島津家久譜

    元和三年八月二十六日に後陽成院が崩御したため、島津家久が将軍徳川秀忠へ慰問すべきかを本多正純に尋ね、正純の返書を得たことを記す島津家久譜の記事。

  56. 後編4-No.1454 本多正純書状

    本多正純が、後陽成院崩御に際する将軍への伺いについて、他の大名衆の動向が分かるまで差し控え、追って知らせるよう島津家久へ助言した書状。

  57. 後編4-No.1455 島津家久書状

    島津家久が唐墨十挺の贈答に謝し、惟新こと島津義弘が春から中風を患い、なお全快していない老病であることを伝え、遠路の見舞いに感謝した書状。

  58. 後編4-No.1456 那須某書状

    那須某が、上方の品を下向させることができるとして、子息の身上について今後も変わらぬ取り計らいを願った書状。

  59. 後編4-No.1457 島津家久譜

    元和三年九月一日、島津家久が徳川秀忠から松平の称号を与えられて薩摩守に任ぜられ、貞宗の脇差を拝領し、返礼として宝刀と品物を献じたことを記す島津家久譜の記事。

  60. 後編4-No.1458 細川忠利書状

    細川忠利が、島津家久の松平称号と薩摩守任官を祝い、刀剣の拝領や贈答品に触れ、祝儀と謝意を伝えた書状。

  61. 後編4-No.1459 安藤重信書状

    安藤重信が、島津家久の松平称号と薩摩守任官を祝い、祝儀として太刀一腰と馬代銀三十枚を受けたことへの謝意を伝えた書状。

  62. 後編4-No.1460 島津家久伝

    元和三年九月一日、島津家久が徳川秀忠から松平の称号を賜り、薩摩守に任ぜられたことを記す島津家久伝の記事。

  63. 後編4-No.1461 島津久元外三名連署状

    当年の出銀を高一石につき銀一匁四分と定め、銀・銭・米による換算と納入先、翌年正月の上洛までの納期限を示し、米蔵の修理を在郷衆に相談させるよう命じた連署状。

  64. 後編4-No.1462 米津田政書状

    米津田政が、将軍の上洛に伴う島津家久の京都滞留を承知し、当地に変事がないと報じ、約束の茶碗を口切に用いて満足したことを伝えた書状。

  65. 後編4-No.1463 島津家久譜

    元和三年九月五日、徳川秀忠が薩摩・大隅および日向国諸県郡内百六十四村など、合計六十万五千六百七石余の領知判物を島津家久に与え、家久がこれを頂戴したことを記す島津家久譜の記事。

  66. 後編4-No.1464 徳川秀忠判物写

    徳川秀忠が島津家久に対し、薩摩国三十一万四千八百五石余、大隅国十七万八百三十三石余、日向国諸県郡十一万九千九百六十七石余、合計六十万五千六百七石余の領知を安堵した判物写。

  67. 後編4-No.1465 島津惟新書状

    島津惟新が、元和三年九月一日に島津家久へ松平の称号が与えられ薩摩守に任ぜられたことに関し、知らせの到着時期や家中の男子誕生記事について注記した書状。

  68. 後編4-No.1466 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、重陽の祝儀として島津家久から小袖五領を贈られたことを喜び、詳しくは本多正純から伝えるとした御内書。

  69. 後編4-No.1467 那須祐増・同祐実連署状

    那須祐実・祐増が伊勢平左衛門尉に宛て、近隣の高橋家種が那須氏の山領を奪おうとし、今月八日に山内へ出兵したため、防戦する覚悟であると伝える。天下静謐の時に弓箭を起こした高橋方の非を訴え、山内を防備するため分国の足軽衆による加勢を求めるとともに、この件を島津家へ披露・取次ぎするよう依頼した連署状。

  70. 後編4-No.1468 福島正則書状

    福島正則が、京都で暇乞いできなかったことを詫び、鷹目と硫黄五百斤の贈答に謝し、島津家久の拝領と松平称号・薩摩守任官を重ねて祝った書状。

  71. 後編4-No.1469 島津家久譜

    島津家久が暇を賜って本国へ赴いた時期は記録がなく明確でないものの、元和三年九月中旬から下旬頃と考えられる旨を記す島津家久譜の記事。

  72. 後編4-No.1470 松平定綱書状

    松平定綱が、島津家久の立ち寄りと懇談に感謝し、船旅の無事を気遣い、九州の諸事について挨拶を託した書状。

  73. 後編4-No.1471 島津久元外三名連署状

    江戸普請、翌春の上洛、借銀返済などの費用増大を理由に、当秋の出銀を高一石につき一匁四分から二匁へ増額し、翌正月までに皆済させるよう命じた連署状。

  74. 後編4-No.1472 町田久幸外三名連署状

    聖護院の裁定に従い、飯隈山蓮光院に薩摩・大隅両国の在行職を認め、永く大峯本山で修行に励むよう命じた連署状。

  75. 後編4-No.1473 島津家久書状

    島津家久が、代替わりに伴う領知判物の下賜を知らせ、家老衆から事情を聞き、琉球国役を怠らないよう命じ、質人・渡唐使節・方物贈答への対応を伝えた書状。

  76. 後編4-No.1474 島津家久書状

    島津家久が、在洛のため夏の渡唐時に面会できなかったことを惜しみ、関東・京都での用事を終えて帰国したことを報じ、国王への使札を使者と相談して確実に届けるよう命じ、薫袋と杉原紙を贈った書状。

  77. 後編4-No.1475 由緒書

    天下の秘事とされる武芸の道が先徳から代々一人にのみ伝えられてきた由緒を述べ、島津家久の望みによりその秘伝を授けたことを記す由緒書。

  78. 後編4-No.1476 町田久幸外三名連署知行目録

    薩摩国湯豊宿郡十二町名などの屋敷・浮免を合わせ、高六十二石四升八合七勺八才の知行を寺院へ寄附した連署知行目録。

  79. 後編4-No.1477 島津家久譜

    同年十二月下旬、島津家久が使節をもって謝意を表し、花氈と硫黄二、三百斤を献上したため、徳川秀忠の内書が出されたことを記す島津家久譜の記事。

  80. 後編4-No.1478 島津光久譜

    島津光久譜に、光久・忠朗・久直・岩松丸・又十郎・式部大輔の名を掲げ、元和三年十一月二十六日の出生、北郷忠亮の養子となったこと、寛永十八年十一月六日に二十五歳で死去したことを記す記事。

  81. 後編4-No.1479 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、島津家久の帰国に際して派遣された使者と、花毛氈十枚・硫黄三百斤の贈答を喜び、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  82. 後編4-No.1480 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、音信として贈られた蜜柑一籠と野雁の羽を喜び、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  83. 後編4-No.1481 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、歳暮の祝詞として島津家久から贈られた小袖十領を喜び、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  84. 後編4-No.1482 島津義弘書状

    島津義弘が、歳暮の使者・書状・銀切への謝意を述べ、筋気の病状を気遣う書面に感謝し、近頃は快方に向かっているので安心するよう伝えた書状。

  85. 後編4-No.1483 島津家久譜

    元和四年正月、島津家久が新年祝賀の使者を遣わし、徳川秀忠へ太刀一腰と馬代黄金二十両、徳川家光へ太刀一腰と馬一匹を献上し、それぞれ御内書を受けたことを記す島津家久譜の記事。

  86. 後編4-No.1484 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、改年の祝儀として島津家久から贈られた太刀一腰と馬代黄金二十両を喜び、委細は本多正純から伝えるとした御内書。

  87. 後編4-No.1485 徳川家光直書

    徳川家光が、年頭の祝儀として島津家久から使者を通じて贈られた太刀一腰と馬一匹を喜び、酒井備後守と青山伯耆守から詳しく伝えるとした直書。

  88. 後編4-No.1486 島津義弘譜

    元和四年正月、上洛を企てる島津家久に対し、島津義弘が合力として白銀十貫目を有川興左衛門に持たせ、翌日には南郷内匠を通じて布袋の掛物を贈ったことを記す島津義弘譜の記事。

  89. 後編4-No.1487 島津義弘書状

    島津義弘が、遠国ゆえ長く無音となったことを詫び、近辺で捕らえた大鷹を贈り、先方に世話になっている娘への変わらぬ指導と配慮を頼んだ書状。

  90. 後編4-No.1488 島津義弘書状

    島津義弘が、長く無音であったことを詫び、江戸に長期滞在する娘親子に対する厚い配慮に謝し、今後も退屈させず万事指導するよう頼んだ書状。

  91. 後編4-No.1489 島津義弘書状

    島津義弘が、相手の長期にわたる江戸滞在の苦労をねぎらい、退屈せず諸事に念を入れて過失がないよう家中へ申し付けることが肝要だと伝えた書状。

  92. 後編4-No.1490 島津義弘書状

    島津義弘が改年の祝意を述べ、その祝儀として太刀一腰と馬一匹を贈り、今後の吉報を願った書状。

  93. 後編4-No.1491 徳川秀忠御内書

    徳川秀忠が、惟新こと島津義弘の病気を心配し、十分に養生することが肝要であると伝え、委細は本多正純に申し付けた御内書。

  94. 後編4-No.1492 雑抄

    元和四年二月中旬頃に島津義弘の中風が再発したため、同月中に鹿児島を発って江戸へ向かう予定であった島津家久の出発が延期されたことを記す雑抄。

  95. 後編4-No.1493 雑抄

    元和四年四月二十一日、上使篠原七兵衛尉が加治木へ到着したことを記す雑抄。

  96. 後編4-No.1494 雑抄

    元和四年五月五日、福島正則の使者野瀬伴三郎が加治木へ到着したことを記す雑抄。

  97. 後編4-No.1495 雑抄

    本文は既出記事の一部と同文であるため省略すると注記した雑抄。

  98. 後編4-No.1496 島津義弘譜

    元和四年二月二日、西丸で男子の名を岩松丸とすることに伴い、島津義弘が岩松殿から白銀十枚を受け、返礼として宝刀大小を進上したことを記す島津義弘譜の記事。

  99. 後編4-No.1497 伊勢貞知書状

    伊勢貞知が、改年の祝意を述べ、島津義弘の前年の病気と回復を喜び、引目下緒一筋を進上して取り次ぎを頼み、左衛門尉への引き立てを求めた書状。

  100. 後編4-No.1498 島津義弘書状

    島津義弘が、病気のため押判を用いたことを断り、朝鮮使節の来朝で多忙な中、年始の使札と太刀一腰・馬一匹・人参三斤を贈られたことに謝意を述べた書状。