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後編4の目録

旧記雑録 慶長10年~寛永2年の文書・記事です。

全1,899件中 301~400件・4 / 19ページ

  1. 後編4-No.301 犬追物覚書

    慶長十一年十一月二十八日、犬追物に際して守るべき作法と心得を列挙した覚書。馬の立替え、序破急、縄際での射方、弓・鏑の扱い、犬や他の射手への配慮、検見・相談、借用品の返却などを細かく定める。

  2. 後編4-No.302 島津家久譜

    犬追物の式日に北郷次郎忠能が進退の礼を時宜にかなって行い、佳例を整えたため、島津家久がその志を深く感じて賞したことを記す。

  3. 後編4-No.303 島津家久書下

    慶長十一年十一月晦日、犬追物をめぐる佐多又太郎と新納近江守の申分について、いったん和解した両名が手組の際に再び角を立てたため退けた事情を述べ、私意なく後進の模範となるよう北郷忠能に命じた書下。

  4. 後編4-No.304 北郷忠能譜

    島津家久が催した犬追物で佐多又太郎と新納近江守が手組をめぐり不和となった際、北郷忠能が双方を和解させたため、家久から感状を与えられたことを記す。

  5. 後編4-No.305 島津歳久譜

    慶長十一年十一月一日、島津歳久のため石塔を建立した記事。これに先立つ同年三月に一寺を建立して心岳寺と称し、法印龍伯と惟新が同寺へ赴いた際に詠歌があったことも記す。

  6. 後編4-No.306 島津竜伯外三名詠草

    平松心岳寺で詠まれた四首の詠草。岩木、雪、月、霰、松葉などの景物を用い、寺の建立と仏法への祈りを詠み込む。

  7. 後編4-No.307 島津家久譜

    島津忠恒が江戸で新年を迎える意向を示したのに対し、冬季の遠海航行は困難であるとして、徳川家康・秀忠側から参府時期について指示があり、本多正純・土井利勝がその旨を伝えた経緯を記す。

  8. 後編4-No.308 土井利勝・本多正純連署状

    慶長十一年十二月六日、島津家久に対し、この冬は上方に滞在し、春になってから江戸へ下向するよう伝えた連署状。京都での宿所や取次、進物の扱いについても指示する。

  9. 後編4-No.309 福島正則書状

    慶長十一年十二月十五日、福島正則が島津家久から贈られた黒貂の毛皮二百枚への礼を述べ、来春の対面を喜ぶ旨を伝えた書状。駿河での普請や石船の差配、今後の連絡についても触れる。

  10. 後編4-No.310 新納忠元知行坪付

    慶長十一年十二月二十二日、新納忠元が大口の大田市兵衛尉に与えた知行坪付。篠原千束町・合田島の田地について、面積、分米、高、納入分および永代買得分を列記する。

  11. 後編4-No.311 島津家久公帖案

    慶長十一年十二月二十二日付の島津家久公帖案。本文はNo.245の文書と同文であるため省略された旨を記す。

  12. 後編4-No.312 島津家久判物

    慶長十一年十二月二十四日、入津した南蛮船の生糸について、京都・大坂の商人を呼び寄せ、割付後に残った糸も商人へ売るよう島津家久が命じた判物。価格の相談と売却に油断のないよう両名に指示する。

  13. 後編4-No.313 島津竜伯願文

    慶長十一年十二月二十六日、島津龍伯が清水千手観音に法華経普門品一万巻の讃誦を誓った願文。国家安全、武運長久、子孫繁栄、息災安穏、諸人快楽を祈願する。

  14. 後編4-No.314 得能氏記録

    得能氏の記録による慶長十一年の諸事記事。徳川家康の伊達政宗邸訪問と贈答、江戸城普請・入城、諸大名の参勤・任官、島津忠恒の動向、禁裏四面の石垣普請などを月日順に記す。

  15. 後編4-No.315 関東供衆盛

    慶長十二年正月三日、関東へ供奉する者に支給する一日分の食料・飼料などの基準と総量を記した積算。人数、飯米、野菜、藁、馬の飼料、銀子等を列挙する。

  16. 後編4-No.316 某覚書

    卯月二十七日付で、湯田村・西方村・白路村・大川村・牛之浜村・西目四ヶ村などの村高を列挙し、合計高を示した覚書。

  17. 後編4-No.317 島津家久書状

    慶長十二年正月十一日、島津家久が北郷忠能から届いた年賀の書状を喜び、祝意を倍して述べた返書。旧例にかなう慶事として今後も励むよう伝える。

  18. 後編4-No.318 新納忠元譜

    慶長十二年丁未、二月四日に新納忠元の子安満加が元服し、次郎四郎忠清と改名したことを記す。忠清は十三歳であった。

  19. 後編4-No.319 新納拙斎書状

    新納拙斎(忠元)が、安満(安満加)の元服を翌月四日の丁酉に行い、出立日は二十九日が吉日であると伝え、肥後仲右衛門尉・当木将右衛門尉へも知らせるよう求めた書状。銀子の拠出期限や調達・立替えについて相談し、先に出立した際の内方に関する用件への返答を求める。追而書では、火の用心や馬の飼育などについて指示す…

  20. 後編4-No.320 島津家久譜

    慶長十二年二月晦日、島津家久の母堂が死去し、法号を賢窓芳貞大姉とした記事。家久は深く哀傷し、三日間水穀を断ったという。

  21. 後編4-No.321 某書状

    慶長十二年二月十三日付の書状案。本文はNo.266の文書と同文であるため省略された旨を記す。

  22. 後編4-No.322 島津義久追悼和歌

    慶長十二年二月十五日、島津義久が病没した実窓正真大姉を悼んで霊前に手向けた追悼和歌。実窓正真大姉は病床に伏し、治療や験のある僧による祈祷も及ばず早世したため、人々の嘆きに促されて義久が「御仏の跡したひてや盛りなる 花の散り行く二月の空」と詠んだことを記す。

  23. 後編4-No.323 徳川秀康書状

    慶長十二年二月二十一日、徳川秀康が鉄砲の調達を山口駿河守直友を通じて依頼し、段子五巻・染付茶碗などの贈物に謝した書状。自身の病状や国元への帰国希望についても述べる。

  24. 後編4-No.324 島津竜伯書状

    慶長十二年二月二十六日、島津龍伯が本多上野守に使者を送り、太刀一腰、馬一疋、段子五十端を進上した書状。先の上洛時に十分な挨拶ができなかったことに触れ、披露を依頼する。

  25. 後編4-No.325 山口直友書状

    慶長十二年三月二日、山口直友が島津家久母堂の死去に弔意を述べ、家久の上洛予定を尋ねた書状。近く上洛する場合は使者に早く知らせるよう求める。

  26. 後編4-No.326 豊臣秀頼書状

    慶長十二年三月十二日、豊臣秀頼が年頭の祝儀として島津家久から届いた太刀一腰、馬一疋、段子二十端に謝し、遠国からの厚意を喜んだ書状。詳細は片桐市正に伝えさせる。

  27. 後編4-No.327 島津家久譜

    片桐貞隆が慶長十二年三月十六日付の書状で、清須下野守忠吉が同月六日に江戸で死去したことを島津家久へ知らせた、と記す譜記事。

  28. 後編4-No.328 片桐貞隆書状

    慶長十二年三月十六日、片桐貞隆が清須下野守忠吉の江戸での死去を知らせ、弔問使者を送るべきか島津家久に相談した書状。徳川家康の小田原・駿河方面への移動や畿内の平穏にも触れる。

  29. 後編4-No.329 片桐貞隆書状

    慶長十二年三月十七日、片桐貞隆が前日に続き、清須下野守忠吉の死去に際して江戸へ弔使を下すことや近隣諸国への通知について島津家久に助言した書状。

  30. 後編4-No.330 島津竜伯書状

    慶長十二年三月二十六日、島津龍伯が先に約束した馬追の見物について、当所の馬追や福山の馬追を見物するよう又八郎に勧め、参加者を交えて相談する旨を伝えた書状。

  31. 後編4-No.331 新納忠元勲功記

    新納忠元が若年期に高崎伊豆守能乘から和歌を贈られたことや、武功・奉公の経歴を記す勲功記事。七十八歳の忠元が唐津城主寺沢志摩守正成を訪ね、旧交や贈答、忠元の働きを回想する。

  32. 後編4-No.332 島津家久譜

    島津家久が大元明王の法を篤く信仰し、理性院観助和尚に堂宇再興を願った記事。祈祷の符文と錫杖を贈られたため謝礼したことも記す。

  33. 後編4-No.333 島津家久書状案

    慶長十二年三月二十七日、島津家久が祈祷の御礼と錫杖を受け取ったことに謝し、理性院の堂宇再興を急いで進めたい旨を伝えた書状案。

  34. 後編4-No.334 新納為舟忠元加増坪付

    慶長十二年四月一日、新納忠元が与えた加増坪付。複数の田地について所在地、面積、分米と旧担当者を列記し、新納利兵衛尉に宛てる。

  35. 後編4-No.335 新納為舟加増坪付

    慶長十二年四月一日、新納為舟(忠元)が湯田新右衛門尉に宛てた加増坪付。山野村内の中田一段六歩ほか、石高一石四斗二升八合、および由畠三段二畝十八歩・分米三石一斗五升六合などの田畠を記す。途中は「外数行略」として省略され、濱田将兵衛・大蔵の名も見える。

  36. 後編4-No.336 新納為舟坪付

    慶長十二年四月十四日、新納忠元が合田島一町五段八歩、分米十五石余の田地を湯田新右衛門尉に与えた坪付。

  37. 後編4-No.337 新納為舟坪付

    慶長十二年四月十四日、新納忠元が木崎村内かた牧之門の田地を加右衛門尉に与えた坪付。下田・中道などの面積と分米を列記し、田島屋敷を付す。

  38. 後編4-No.338 本多正純書状

    慶長十二年四月十八日、本多正純が島津家久から大御所徳川家康への年頭祝儀を受け取り、披露して取り次ぐ旨を伝えた書状。

  39. 後編4-No.339 徳川家康御内書

    慶長十二年四月十八日、徳川家康が島津家久から改年の祝儀として届いた太刀一腰、馬一疋、金子一枚、段子五巻、朱欒五巻を喜んだ御内書。

  40. 後編4-No.340 徳川秀忠御内書

    慶長十二年四月二十日、徳川秀忠が島津家久から陽春の祝儀として届いた太刀一腰、馬一疋、段子十巻を喜び、詳細は本多佐渡守正純に述べさせるとした御内書。

  41. 後編4-No.341 市来某・本田某連署達書

    慶長十二年四月二十四日、関東往還に出る主従十二人・騎馬一疋の編成と、往還日数・宿賃・飯米・馬飼料・雇賃などの支給額を列挙した達書。

  42. 後編4-No.342 市来某・本田某連署達書

    慶長十二年四月二十四日、関東往還の二か月分として主従十二人に支給する飯米三石六斗を定め、出米の扱いを指示した連署達書。

  43. 後編4-No.343 某覚書

    慶長十二年四月二十四日、関東往還に供奉する主従十二人・騎馬一疋について、銀子、木賃、宿賃、飯米、馬代、草鞋、雇賃などの支給内訳と合計を記した覚書。

  44. 後編4-No.344 国分友次起請文

    慶長十二年四月二十六日、国分友次(平蔵)が別府舎人佐に提出した起請文。長年懇望していた弓箭に関する相伝を受けるにあたり、伝授された秘事を決して他言しないことを誓う。違反した場合は、梵天・帝釈・四大天王をはじめ、日本六十余州の神祇、新田八幡・開聞・大隅正八幡宮・霧島・白鳥・妻万五社・諏訪・稲荷・春日・…

  45. 後編4-No.345 大久保忠隣書状

    慶長十二年閏四月十七日、大久保忠隣が尾州薩摩守の死去に際して島津家久から弔使が派遣されたことを謝し、本多正純と相談して上聞に達した旨を伝えた書状。

  46. 後編4-No.346 島津家久譜

    松平忠吉の死去を受け、島津家久が駿府へ使者を送り両御所を慰問した記事。本多正純の返書を引用し、朝鮮国使節の江戸下向と徳川家康がこの年上洛しないことにも触れる。

  47. 後編4-No.347 本多正純書状

    慶長十二年閏四月二十二日、本多正純が島津家久の弔使と進物を受け、両御所へ披露すると返答した書状。朝鮮国使節の到着・江戸下向と、徳川家康が当年は上洛しない見込みも伝える。

  48. 後編4-No.348 島津惟新願文

    慶長十二年閏四月二十四日、島津惟新(義弘)が木裏大山神に立てた願文。神舞を立てること、七湊の塩井、御宮造営、知行五石の寄進を立願し、巣鷹を得たなら、これらを速やかに成就すると誓った。

  49. 後編4-No.349 島津惟新願文

    木裏大山神の祭神と由緒を記し、島津義弘が神舞、塩井、社殿造営、知行寄進を願った立願文を収録した記事。神社への崇敬と巣鷹に関する立願を伝える。

  50. 後編4-No.350 川上忠兄・伊勢貞成連署知行目録

    慶長十二年閏四月二十八日、川上忠兄と伊勢貞成が薩州阿多新山村内の御祓田之門、高六十石余を蒔絵屋彦七に与えた連署知行目録。

  51. 後編4-No.351 新納為舟書状

    閏四月二十九日、新納忠元が寺沢氏との会合、馬追、招待客や随行者、宿泊・馬の手配などを岩城吉左衛門尉に相談した書状。関係者への連絡と準備を求める。

  52. 後編4-No.352 本多正純書状

    慶長十二年五月一日、本多正純が島津家久から大御所徳川家康へ端午の祝儀として帷子・単物・染物などが届き、披露したことを伝えた書状。家臣の進退や知行処置についても助言する。

  53. 後編4-No.353 徳川秀忠御内書

    慶長十二年五月一日、徳川秀忠が島津家久から端午の祝儀として単物十領を受け取り喜び、詳細は本多佐渡守正純に述べさせるとした御内書。

  54. 後編4-No.354 島津惟新書状

    慶長十二年五月十三日、島津惟新が京都・江戸方面の政務や家臣の奉公・召し置きについて情報を求め、伊勢兵部少輔に詳細な報告と物資手配を依頼した書状。

  55. 後編4-No.355 山田理安外二名連署寺領目録

    慶長十二年五月十七日、隅州桑原郡内の寺領として、見次村内の皮籠屋敷一か所、高二十石を定めた三名連署寺領目録。

  56. 後編4-No.356 徳川家康御内書

    慶長十二年五月二十三日、徳川家康が島津家久から端午の祝儀として帷子十領を受け取り喜んだ御内書。

  57. 後編4-No.357 大久保忠隣書状

    五月二十五日、大久保忠隣が島津家久の書状を受け、江戸へ下向する際の用件と大御所への取次について返答した書状。詳細は本多正純から説明すると伝える。

  58. 後編4-No.358 福島正則書状

    慶長十二年五月二十七日、福島正則が島津家久から贈られた国産の茶、茶入、銀子、薫袋、染織品などに謝した書状。使者・進物の扱い、町場や天候、今後の往来についても詳しく相談する。

  59. 後編4-No.359 島津家久譜

    日向国諸県郡大崎郷内の飯熊山別当が、近年欠けていた先達職を旧規どおり勤めたいと願ったため、島津家久がその趣旨を聖護院雑務坊へ書状で伝えた記事。

  60. 後編4-No.360 島津家久書状

    慶長十二年五月二十八日、島津家久が日向国飯熊山の別当について、途絶していた先達役を当年から旧規どおり勤めさせたいとして、聖護院雑務坊に取成しを依頼した書状。

  61. 後編4-No.361 懐旧連歌

    慶長十二年六月十八日、平松真岳寺で催された懐旧連歌。夏から秋・冬へ移る季節、月、風、雲、旅、故郷などを題材に、龍伯・義久をはじめ多数が付句を重ねる。

  62. 後編4-No.362 懐旧連歌

    慶長十二年六月十八日の懐旧連歌を別資料から収録したもの。発句『露はたゝさなから玉のはちす哉』以下の連歌と参加者を記す。

  63. 後編4-No.363 島津家久譜

    懐旧連歌における各参加者の句数を集計した記事。龍伯十二句、常久八句など、人物ごとの担当句数を列挙する。

  64. 後編4-No.364 島津惟新書状

    慶長十二年六月二十七日、島津惟新が祁答院で杉を検分し、新田宮再興のため伐採許可を得るよう島津家久に求めた書状。京都への書状や用材搬出の手配も相談する。

  65. 後編4-No.365 喜入久供外八名連署起請文

    慶長十二年六月吉日、喜入久供ほか八名が別府舎人佑・高崎弥六に提出した連署起請文。弓箭の伝授を受けたことを身に余ることとしてありがたく受け止め、相弟子であっても重位の秘事を他言せず、日夜油断なく弓の修練に励み、指南者の中に別心の者がいれば知り次第言上することを誓う。違反時には、梵天・帝釈・四大天王以下…

  66. 後編4-No.366 白濱重昌起請文

    慶長十二年六月吉祥日、白濱重昌が弓箭の古儀を守り、同僚を重んじ、秘密を漏らさず、上意に忠実であることを諸神に誓った起請文。

  67. 後編4-No.367 島津義久書状案

    慶長十二年六月二十四日、島津義久が道正休甫へ送った書状案。久々の書状と仮名注を付した『二十四孝』一冊を受け取ったことを喜び、谷与兵衛尉の子らの能を称賛し、常安父子の謡を懐かしむ。近年は病気で腰が立たず、長座もできず、歯もほとんど欠けて発語が不自由になったと述べながら、再度上洛して将軍の厚恩に礼を申し…

  68. 後編4-No.368 島津家久譜

    結城秀康の死去後、島津家久が六月二十七日に駿府から京都へ赴く途中、弔問使者を両御所へ派遣したことを記す記事。大久保忠隣の返書と使節取次に触れる。

  69. 後編4-No.369 大久保忠隣書状

    慶長十二年六月晦日、大久保忠隣が結城秀康死去に伴う越前中納言家の取次と、島津家久の使者について返答した書状。詳細は本多正純から伝えるとする。

  70. 後編4-No.370 島津義久書状案

    慶長十二年七月二日、島津義久が五月三日付の書状を受け、互いの無事を喜び、病状、家臣・知行、銀子、年々の用務などについて近況と意向を伝えた書状案。

  71. 後編4-No.371 島津竜伯書状

    慶長十二年七月四日、島津龍伯が島津家久の祈祷のため仁王経千部の読誦を命じ、祈祷札を送った書状。家久の無事と奉公成就を願う。

  72. 後編4-No.372 島津家久譜

    島津家久が大坂へ船で到着したことを記す譜記事。到着日の詳細は伝わらない。

  73. 後編4-No.373 本多正純書状

    慶長十二年七月七日、本多正純が結城秀康死去に際する島津家久の使者・弔意を受け、披露したことを伝えた書状。遠路海上を越えた使者をねぎらい、大久保忠隣とも相談して取り次ぐ。

  74. 後編4-No.374 本多正純書状

    慶長十二年七月十一日、本多正純が前年歳暮の服と当年端午の帷子の進上について、徳川家康の御内書二通を整えて送った書状。

  75. 後編4-No.375 天海書状

    天海が島津龍伯の意向により、地蔵堂前の田二反を打ち替え、地蔵堂から福昌寺に至る範囲のために設定した書状。

  76. 後編4-No.376 葺板受取状

    福昌寺が僧堂用の葺板千四百二十枚を受け取ったことを記す受取状。

  77. 後編4-No.377 大麟置文

    慶長十二年七月十六日、大麟が祠堂の物定を置文として定めたもの。米俵の配分と、霊屋を掃除する僧一人二口の扶助を毎年確実に支給するよう命じる。

  78. 後編4-No.378 近衛竜山前久書状

    慶長十二年七月十七日、近衛前久が病気で予定どおり進めず在京した事情を述べ、上洛時の面談や東国下向後の様子、今後の仕合せを尋ねた書状。

  79. 後編4-No.379 本多正純書状

    慶長十二年七月二十三日、本多正純が島津家久の書状と使者・進物を受け、披露と御用の取次について返答した書状。駿府での相談と今後の処置にも触れる。

  80. 後編4-No.380 飛鳥井雅庸書状

    慶長十二年七月二十七日、飛鳥井雅庸が名所和歌の抜書と歌枕二冊を島津家久に贈り、上洛の折に家久の名所詠を拝見したいと伝えた書状。

  81. 後編4-No.381 島津竜伯書状

    慶長十二年七月二十九日、島津義久が羽柴陸奥守(島津家久)へ、熊倉の申出に関連して唐布を送り、用途を見定めるよう依頼した書状。犬追物の用具や検見の馬縄についても工夫を求める。

  82. 後編4-No.382 島津惟新書状

    慶長十二年八月一日付の島津惟新書状。本文はNo.385と同文のため省略され、日付だけが八月一日であることを注記する。

  83. 後編4-No.383 児玉筑後譜

    慶長十二年、島津義久が帖佐で病んだため、国分にいた島津家久が心配し、療治を促すとともに実相を見舞いに遣わした記事。使者は犬追物の件も伝え、八月一日に復命した。

  84. 後編4-No.384-1 島津惟新寄進状

    慶長十二年八月五日、島津惟新が伊作八幡社の大汝八幡大菩薩宝前へ御戸帳三流を寄進した文書。

  85. 後編4-No.384-2 島津惟新寄進状

    慶長十二年八月五日、島津惟新が大汝八幡大菩薩宝前へ戸帳三流を奉納し、子孫繁昌・息災延命・武運長久・国家安全・諸願成就を祈願した寄進状。

  86. 後編4-No.385 島津惟新書状

    慶長十二年八月八日、島津惟新が島津義久へ、犬追物実施日の聞き違いを照会し、自身の養生と服薬、体調の回復、犬追物検見の段取り、先に贈った葉茶壺・小壺などについて報告した書状。

  87. 後編4-No.386 島津紹益外二名連署宛行状

    慶長十二年八月八日、在京・在江戸で長く奉公した功に対する恩賞として、田中伊豆守へ知行五十石を宛行った連署状。田畠の所在地・字名などは別紙による。

  88. 後編4-No.387 島津家久書状

    八月十九日、島津家久が小長門守へ、船で届いた鹿を受け取ったことを伝え、京での用にもなるよう、亭主への対応を含めてよく取り計らうよう求めた書状。

  89. 後編4-No.388 島津家久譜

    慶長十二年八月二十六日、朝鮮使者が伏見の営中へ参上し、島津家久も同日の朝に営中へ出仕したことを記す系譜記事。

  90. 後編4-No.389 松平定行書状

    慶長十二年八月二十五日、松平定行が島津家久へ、翌日の朝鮮人との対面に出席するよう知らせ、装束を自邸で整えること、藤森への宿替え、道中の作法を確認して早朝に来訪することなどを指示した書状。

  91. 後編4-No.390 犬追物手組

    慶長十二年八月二十七日に行う犬追物について、出場者を組分けし、各人の割当てを列記した手組。

  92. 後編4-No.391 本多正信書状

    慶長十二年九月二日、本多正信が島津家久(羽柴陸奥守)へ、重陽の祝儀として贈られた呉服五つを披露したことを伝え、自身にも呉服三品を贈られた厚意に謝した書状。

  93. 後編4-No.392 徳川秀忠御内書

    慶長十二年九月七日、徳川秀忠が島津家久(羽柴陸奥守)へ、年頭祝賀の使者とともに太刀一腰・馬一疋・紅糸五十斤が届いたことを喜び、謝意を示した御内書。

  94. 後編4-No.393 徳川家康御内書

    慶長十二年九月九日、徳川家康が島津家久へ、重陽の祝儀として贈られた小袖五領などの到来を喜んだ御内書。

  95. 後編4-No.394 島津家久譜

    島津家久が初めて江戸へ赴いて将軍徳川秀忠に拝謁したことを記す系譜記事。伏見から江戸への到着日は伝わらず、江戸滞在中は真福寺を旅館とした。

  96. 後編4-No.395 土井利勝書状

    慶長十二年九月十八日、土井利勝が島津家久へ、犬追物を拝見したことや家久の下向・使札に謝し、贈られた種子島鉄砲二挺などを喜んだ書状。

  97. 後編4-No.396 島津竜伯書状

    慶長十二年九月二十二日、島津義久が吉田美作守へ、前日の茶湯が誠に祝着で、老体ながら一段と面白く過ごしたと礼を述べた書状。

  98. 後編4-No.397 本多正信書状

    本多正信が島津家久に、今度の面拝で厚意を受けたことへの敬意を述べ、帰国の儀や披露・日取り・御暇、召喚の多さ、惟新の参会時期などについて伝えた書状。

  99. 後編4-No.398 島津家久譜

    慶長十二年十月九日申刻、駿府城二丸で火災が起こり、松平定勝の家臣水野甚左衛門が伊勢兵部少輔貞昌へ書状で知らせたことを記す系譜記事。

  100. 後編4-No.399 水野某書状

    慶長十二年十月十日、水野甚左衛門が伊勢兵部少輔へ、前日夕刻に駿府城二丸で火災が発生し、松平定勝が夜中に駆け付けたこと、本丸は無事であることを報告し、奥州様へ伝えるよう求めた書状。