ARCHIVE DIRECTORY
前編1の目録
旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。
全2,673件中 2301~2400件・24 / 27ページ
前編1-No.2254 河西道現軍忠状
河西道現が、六月五日に渋谷下総六郎太郎の手に属して東福寺城を攻め、翌六日に熊野海賊以下数千人と海陸で合戦し、敵を追い散らした軍功を申す。舎弟河西七郎義清の負傷や一族の働きを記し、後日の証拠として御判を求めた軍忠状。
前編1-No.2255 渋谷重輿軍忠状
渋谷九郎重興が、五月十九日夜の東福寺城合戦、六月三日の熊野海賊数千人との海陸戦、親類藤四郎の負傷と戦死者、翌日の追撃を述べ、軍忠の証拠となる御判を求めた軍忠状。
前編1-No.2256 永成奉書
一乗院領鴨津庄日向方飫肥北郷の収納使・弁済使代官職をめぐり、水間栄證法眼父子が武家御教書・畠山直顕奉書を根拠に所務している件について、飯尾左衛門大夫らに証文を探索し、権利の由緒を報告するよう命じた永成奉書。
前編1-No.2257 一乗院大僧正御教書
一乗院大僧正が、春日社祓当門跡領の鴨津庄日向方飫肥北郷における収納使・弁済使職について、琳乗法眼の副状を受け、鶴一丸代久幸の所務を認めて遵行するよう命じた御教書。
前編1-No.2258 一乗院僧琳乗奉書
琳乗が、鴨津庄日向方飫肥北郷の収納使・弁済使代官職について、忠政以下の悪党が地下を押領狼藉していると報告し、春日社御供饌料足地から年貢を収納できるよう、厳重に執務を進めることを求めた奉書。
前編1-No.2259 某施行状
某が、たびたび命じた出仕に今なお応じない理由を問い、今年七月六日付の重ねての御教書に従って事情を申し開き、直ちに出仕するよう御前検校法橋へ命じた施行状。
前編1-No.2260 賢永請文
賢永が、先月六日付御教書を承ったが、持病の再発で長居が難しく、近年の疲労もあると述べる。師弟と相談して奉仕し、期日に背かないこと、重ねて召されれば参勤することを回答した請文。
前編1-No.2261 殉国名薮
伊作三郎左衛門尉久氏が、貞和三年九月十二日の天王寺合戦で戦死したことを簡潔に記す殉国者記事。
前編1-No.2262 島津久氏譜
島津久氏が足利尊氏の近習として父宗久を師とし、楠正行討伐に出陣して天王寺で戦死した経過を記す。梅花の絵に和歌を添えて尊氏へ献じ扇を賜った逸話、戦死時に家臣が殉死したこと、遺族が薩摩へ移り伊作氏を継いだことも伝える譜記事。
前編1-No.2263 伊作氏後胤信州書
伊作三郎左衛門尉久氏が京都で将軍の御代官を務め、天王寺合戦で京方が敗れた後も退かず、皇居を遥拝して辞世の和歌を書き、切腹したとする後胤伝承。家臣三名の殉死、遺族の薩摩移住、伊作に居住して系統を継いだことまで記す。
前編1-No.2264 足利直義御教書
足利直義が島津三郎左衛門尉へ、南方凶徒を対治するため山名伊豆前司時氏を派遣したので、早急に発向して軍事に加わるよう命じた御教書。
前編1-No.2265 足利直義御教書
足利直義が島津上総入道へ、薩摩国凶徒誅伐のため子息を一色範氏へ合力させる件が進んでいないと指摘する。畠山修理亮や中村彦五郎入道寛純と相談し、凶徒方と戦って忠節を尽くすよう命じた御教書。
前編1-No.2266 記事正平三年
北朝貞和四年・南朝正平三年正月、和田・楠方が高師直と四条畷で戦い、楠正行・正時らが戦死したことを記す記事。
前編1-No.2267 一色範氏軍勢催促状
一色範氏が島津左京進入道へ、薩摩国の凶徒が近ごろ特に蜂起しているため、早急に軍勢を率いて参陣し、軍忠を尽くすよう催促した文書。
前編1-No.2268 比志島貞範契約状
比志島名の相続をめぐり、上原殿と義範後家の計らいで名内の水田・山野三分の一を貞範へ分与する。建武三年の譲状に従って知行し、比志島彦一殿・一族・後家が同心して、子孫まで違背しないことを定めた仮名書きの契約状。
前編1-No.2269 重久篤兼譜
貞和四年六月、樺井四郎頼仲が志布志城に拠ると島津貞久が攻撃し、畠山修理亮直顕も兵を向け、十月十八日に大隅国への発向を命じた経過を記す重久篤兼譜の記事。
前編1-No.2270 島津貞久書下
島津貞久が重久一族へ、樺井四郎頼仲が志布志城に拠り島津修理亮が向かったとの報を伝え、道鑑が大隅国へ発向する十八日より前に守護所へ馳せ参じるよう命じた書下。
前編1-No.2271 室町幕府御教書
幕府が重久孫八へ、譲位御用途の女房装束料として、甲斐国波賀利本庄分などを合わせた七十三貫九百八十七文を調進するよう命じた御教書。武田兵庫助・島津大夫判官の請分と各負担額も記す。
前編1-No.2272 一色直氏軍勢催促状
一色直氏が渋谷九郎へ、凶徒が池辺城へ来襲するとの情報を受け、先度の命令どおり急いで同城へ馳せ向かい、凶徒を討つよう催促した軍勢催促状。
前編1-No.2273 足利直義御教書
足利直義が渋谷九郎へ、樺井四郎頼仲以下の凶徒を速やかに退治するよう命じる。不参の平山左近将監らについて交名と所領分限を注進して処罰し、これまでの軍忠を踏まえて今後も厳密に沙汰するよう指示した御教書。
前編1-No.2274 足利直義御教書
足利直義が島津上総入道へ、薩摩国凶徒退治のため派遣された者が上洛したのは不届きであるとし、守護人と相談して厳密に沙汰するよう命じた御教書。
前編1-No.2275 一色範氏書下
一色範氏が渋谷九郎へ、薩摩国の凶徒が近ごろ特に蜂起しているため、厳密に軍忠を尽くし、池辺城へ合力するよう命じた書下。
前編1-No.2276 島津貞久施行状
島津貞久が比志島孫太郎へ、八月十九日付御教書に基づく樺井四郎頼仲退治のため、九月八日以前に指定地へ馳せ寄り、軍忠を尽くすよう命じた施行状。
前編1-No.2277 重久篤兼譜
貞和四年、幕府が樺井頼仲討伐の教書を下し、島津貞久が十一月二十八日に大隅国へ発向するため、重久篤兼・野田又太郎らへ参会を命じた経過を記す。篤兼には一族を率いて大隅守護所へ先着するよう求めた譜記事。
前編1-No.2278 島津貞久施行状
島津貞久が重久孫八へ、八月十九日付御教書に基づく樺井四郎頼仲退治のため、九月八日以前に一族と相談して大隅守護所へ馳せ寄るよう命じた施行状。
前編1-No.2279 島津貞久施行状
島津貞久が満家院一族へ、元弘以来の新恩地以下の年貢について八月五日付御奉書と注文を施行する。院内名主分の年貢を速やかに進済し、来月十日以前に散状を提出して結果を報告するよう命じた施行状。
前編1-No.2280 島津貞久書下
島津貞久が比志島彦一へ、薩摩国合戦について御教書に基づき度々催促したのに参陣しない理由を問い、来月十日以前に一族と相談して馳せ参じるよう命じた書下。
前編1-No.2281 島津道義奉書
領家が、当宮の安居僧供・社家の大営と遷返の役に充てるため、当庄分三十五貫文を課す。六月十五日以前に京都へ届け、在庄中の使者の衣裳・旅費にも配慮するよう命じた島津道義奉書。
前編1-No.2282 栗原時朝奉書
栗原時朝が新田宮の所司・神官・沙汰人・百姓中へ、前年の女房装束料の未進分二貫文を、下郡藤五郎・伴吉四郎の給物として沙汰するよう命じた奉書。
前編1-No.2283 渋谷重勝譲状
渋谷重勝が、肥前国佐嘉下御領吉松内の田地二町と屋敷一所を、祖父宗直・母室尼宗女から相伝した所領として子息虎松丸へ永代譲与し、後日の違乱を禁じた譲状。
前編1-No.2284 渋谷重勝譲状
渋谷重勝が、虎松丸と虎一丸に相伝所領を分け与え、四至・本証文を付して知行させる。任本証文・可致沙汰とし、異論・違乱を禁じ、子孫への相続と公事勤仕を定めた譲状。
前編1-No.2285 渋谷重成譲状
渋谷重成が子息松葉丸へ、薩摩国入来院清色南方、美作国河会庄本郷下村西方、相模国渋谷庄藤意田在家立野三町・屋敷荒野、筑前国比伊郷の比丘尼跡などを譲る。母堂と父重勝からの相伝所領で、証文を添え永代知行と違乱禁止を定めた譲状。
前編1-No.2286 渋谷重成譲状
渋谷重成が子息虎松丸へ、入来院市比野名主職、清色南方本村北方、肥前国佐嘉下御領吉松内の田地二町・屋敷などを譲り、各地の屋敷・田地の配分と相伝を定めた譲状。
前編1-No.2287 渋谷重勝置文
渋谷重勝が、虎松丸と虎一丸の所領を証文どおり分け、公事を先例どおり勤めること、一方が無子で死ねば他方が継ぐことを定める。女子・養子への配分、親族間の争論禁止、違乱時の処置も規定した置文。
前編1-No.2288 渋谷重勝譲状
渋谷重勝が虎松丸へ、薩摩国入来院清色北方、筑前国柏原の水田・屋敷などを、四至と本証文を添えて譲る。弟虎一丸との分割、子孫への相続、女子・無子の場合の処置、違乱者の排除まで細かく定めた譲状。
前編1-No.2289 渋谷重勝譲状
渋谷重勝が虎松丸へ、美作国河会庄下森上山、後家分金子村、薩摩国入来院内二野・河床などを譲る。父重知の譲状と相副文書に従って知行させ、親父定円の所領や重勝後家分も含め、虎一丸との分割と永代相続を定めた譲状。
前編1-No.2290 足利尊氏下文
足利尊氏が島津周防三郎左衛門尉忠兼へ、播磨国布施郷地頭職の跡を宛行い、先例を守って所務するよう命じた下文。
前編1-No.2291 上杉左馬助奉書
上杉左馬助が島津周防三郎左衛門尉へ、来る十二日に高倉殿で行われる弓場始に射手として参勤するよう命じた奉書。
前編1-No.2292 平重射寄進状
平重射が薩摩国高城郡内の田地五段を新田八幡宮御宝前へ寄進する。慈悲万行の名構、朝家無双の霊神と讃え、金輪聖主の宝祚延長と国土泰平を祈願した寄進状。
前編1-No.2293 島津元久譜
島津元久について、高師直・師泰兄弟の専横と足利直義方との対立、京都での政変・軍事行動のなかで島津氏一族が従軍した経過を記す。元久が伯父久親らと尊氏方に属し、諸将と行動したことを掲げる譜記事。
前編1-No.2294 新納時久譜
新納時久が新納院没落後に薩摩国高江、さらに日向国救仁院へ移ったことを記す。足利直義と高師直兄弟の政争では師直方を支持し、尊氏の近習として軍事に従い、師直兄弟救援のため上洛・参戦した経過を詳述する譜記事。
前編1-No.2295 和泉忠直譜
和泉忠直(初名忠頼、又八郎右衛門兵衛尉)が、足利尊氏方として高師直兄弟と行動し、軍事奉公に忠信を尽くした由緒を記す。中務兵寮力因を経て和泉右衛門兵衛尉を称し、島津一門に列したとする譜記事。
前編1-No.2296 上杉左馬助奉書
後掲No.2391と同文であるため本文を省略し、『南山巡狩録追加』所載であることだけを掲げた文書。
前編1-No.2297 肝付兼重伝
北朝貞和五年・南朝正平四年、石井中務丞が兵を率いて大隅へ下り陣を構えたため、肝付兼重が軍勢を率いて石井勢と戦った経過を記す肝付兼重伝。
前編1-No.2298 島津道鑑書状
島津道鑑が比志島一族へ、石井中務丞が大隅国取向城へ寄せ、肝付兼重以下の凶徒が城を包囲したため合戦が難航していると伝える。遅参すれば公私の怨みとなるとして、直ちに一族を率いて馳せ参じるよう求めた書状。
前編1-No.2299 某感状
島津貞久が、島津長門入道道忍と合戦した野田左衛門次郎について、道忍が凶徒に属すなか御方へ参陣したことを神妙と賞し、忠賞を与えるとした感状。
前編1-No.2300 高師直書状
高師直が島津上総入道へ、兵衛佐殿が九州へ下向したとの情報を受け、将軍自筆の御書案を送る。必要な場合は法に従い処置し、関東から上洛した後に改めて命令すると伝えた書状。
前編1-No.2301 一色直氏施行状
一色直氏が島津上総入道へ、十月十一日付将軍家御教書の趣旨に従って早急に参陣し、大隅・薩摩両国の地頭御家人へ触れ知らせるよう命じた施行状。
前編1-No.2302 足利直冬書下
足利直冬が島津上総入道へ、両殿の意向を奉じて出陣するので、急いで馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた書下。
前編1-No.2303 足利直冬書下
足利直冬が出水三郎入道へ、両殿の意向を奉じて出陣するので、急いで馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた書下。
前編1-No.2304 島津道鑑書状
島津道鑑が、九月二十八日付の御書が十一月二十一日に到着したことを伝え、詳細は御使へ申し入れたので取り計らうよう求めた書状。
前編1-No.2305 島津道鑑請文
島津道鑑が廣津藤三郎へ、牛屎一族に御書が下されたことは先例のない新たな沙汰で面目を失ったと述べる。詳細は対面時に説明するので、取り次いで披露するよう求めた請文。
前編1-No.2306 小野盛忠譲状
小野盛忠が子息愛寿丸へ、武蔵国榛沢郡野辺郷の地頭職、日向国櫛間院地頭職などを譲る。次恩賞・建武以来の軍忠による所付分、証文・別紙も残さず添え、代々相伝するよう定めた譲状。
前編1-No.2307 記事貞和五年
貞和五年、足利直冬が中国探題として九州へ下向し、足利直義方の勢力を広げた経過を記す。尊氏が島津左京進宗久入道恵へ、陰謀が露見した直冬を討つよう命じる御教書を与えたことも掲げる記事。
前編1-No.2308 足利尊氏御教書
足利尊氏が島津左京進宗久入道恵へ、足利直冬の陰謀が露見したので、直ちに所在へ赴いて討伐するよう命じた御教書。
前編1-No.2309 足利直義書下
足利直義が入山五郎三郎へ、大隅国菱刈院入山村の薬師田八町二反を無公役とし、代々相伝して公役を免除することを認めた書下。
前編1-No.2310 肝付兼重伝
南朝正平五年・北朝観応元年、足利直冬の九州進出に肝付兼重らが呼応し、島津貞久方との対立・挙兵を進めたが、兼重が病没した経過を記す肝付兼重伝。
前編1-No.2311 石塔頼房書状
石塔頼房が島津上総入道へ、十六日の入洛後、高師直以下が丹波路へ没落し、十九日に木崎へ向かった政変の経過を伝える。領知・管領すべき所を保全し、申候所を御手人中へ命じるよう求めた書状。
前編1-No.2312 長谷場純阿譲状
長谷場純阿が兵庫允久純へ、薩摩国鹿児島郡の水田一町内、坂本名長谷場五段、甘子木村内比牟田五段、長谷場園二か所などを、阿妙・阿実の譲状に基づいて譲与した譲状。
前編1-No.2313 長谷場純阿置文
長谷場純阿が、国衙領家年貢を水田分限に応じ兄弟で弁償し、地頭米を毎年納め、公方所役を怠らないことを定める。兄弟相互扶助、所領売買禁止、無子の場合の相続、違乱者の排除も規定した置文。
前編1-No.2314 足利直冬書下
足利直冬が河上平次郎へ、両殿の意向を奉じて出陣するので、急いで馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた書下。
前編1-No.2315 重久篤兼譜
島津貞久が、樺井頼仲・肝付兼重らが大隅国を侵したとの報を受け、四月から討伐を準備し、五月十一日に重久篤兼へ兵を集めて参会するよう書状を与えた経過を記す譜記事。
前編1-No.2316 島津貞久書下
島津貞久が重久孫八へ、樺井四郎頼仲・肝付八郎兼重ら凶徒が大隅国へ来襲するとの諸方の報告を伝え、直ちに指定地へ馳せ寄って合戦するよう命じた書下。
前編1-No.2317 畠山直顕軍勢催促状
畠山直顕が満家西俣弥平三へ、大隅国の野心を抱く者を誅伐するため出陣するので、急いで参陣し格別の軍忠を尽くすよう催促した文書。
前編1-No.2318 征西将軍宮令旨
征西将軍宮が山門彦七郎へ、御方へ馳せ参じて軍忠を尽くし、忠功があれば早く恩賞を与えると伝えた令旨。
前編1-No.2319 孫二郎証状
孫二郎が、薩摩国山門院東方高小野里内の小長田五段・小山田八段について、祖父道恵の手から市来崎彦七郎へ永代相伝された土地であることを証明した証状。
前編1-No.2320 島津道鑑書状
島津道鑑が比志島一族へ、敵が上山城を奪おうとして夜陰に大勢で谷峯城へ集まったと伝える。城を失えば合戦の前途が危ういとして、直ちに軍勢を集め、時を移さず馳せ向かうよう命じた書状。
前編1-No.2321 島津庄大隅方寄郡田数注文
島津庄大隅方寄郡の田数合計七百十五町八段三丈について、下大隅郡・串良院・鹿屋院・西俣村・百引村・菱刈院・肝付郡などの寺社領・荘園別内訳を列挙する。各所の町段数、除田・寄附分、地頭加徴米を記した田数注文。
前編1-No.2322 島津道鑑書状
島津道鑑が比志島一族へ、西俣井郡山城に東俣方から凶徒来襲の報があり、田上凶徒らが大勢で攻めていると伝える。御城を堅固に守り、時を移さず軍勢を集めて合戦するよう命じた書状。
前編1-No.2323 大蔵頼平軍忠状
大蔵頼平が、八月十八日の薩摩国郡山城合戦で大隅助三郎入道以下の凶徒と戦った軍忠を申す。親類小山田彦五郎の射傷、左衛門次郎・森五郎三郎らの負傷や討死、比志島孫太郎らとの合戦経過を列挙し、後日の証拠として御判を求めた軍忠状。
前編1-No.2324 猿渡氏系図
猿渡氏の藤三郎について、郡山で高名を挙げたことが一見状で明白であり、橘木野で官方と合戦して討死したことを記した系図記事。
前編1-No.2325 島津道鑑書状
島津道鑑が比志島一族へ、東俣の城へ敵が寄せたとの知らせを受け、御城を堅固に守り人員を集めて当たるよう求める。翌日には土橋城から使者が到来し、敵の退去を喜びつつ、重ねて城の警固と合力を命じた仮名書状。
前編1-No.2326 島津道鑑書状
島津道鑑が比志島孫太郎へ、土橋城付近で敵と合戦し、福崎から同時に使者が到来したこと、敵が退いた後も情勢が定まらないことを伝える。今夜から明日にかけて油断なく備え、重ねて報告するよう求めた仮名書状。
前編1-No.2327 高師泰書下
高師泰が、長門国有光五郎左衛門尉跡を島津三郎右衛門尉資久へ沙汰付け、現地から請取状を提出させるよう命じた書下。
前編1-No.2328 足利直冬軍勢催促状
足利直冬が山田諸三郎へ、両殿の意向を奉じて出陣するので、急いで馳せ参じ忠節を尽くすよう催促した軍勢催促状。
前編1-No.2329 伊作庄収納使永覚外三名連署申状
伊作庄収納使永覚ら四名が、御事書を寺社・地下へ触れた際の回答をまとめる。七月朔日と八月十二日の大風被害、公役免除、田所上洛、未進年貢、庄家・水田庄をめぐる争い、孫四郎入道跡の扱いなどを列挙し、領家の裁許を求めた連署申状。
前編1-No.2330 足利直義御教書
足利直義が島津左京進入道へ、高師直・師泰の謀反を討つため、早急に御方へ馳せ参じ軍忠を尽くすよう命じた御教書。
前編1-No.2331 足利直冬軍勢催促状
足利直冬が渋谷九郎へ、両殿の意を安んじ奉るため出陣するので、急ぎ馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。
前編1-No.2332 足利直冬軍勢催促状
足利直冬が渋谷孫三郎へ、両殿の意を安んじ奉るため出陣するので、急ぎ馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。
前編1-No.2333 足利直冬感状
足利直冬が満家院西俣殿へ、国中で忠節を尽くしたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。
前編1-No.2334 足利尊氏下文
足利尊氏が島津周防三郎左衛門尉忠兼へ、江石見左衛門大夫跡と播磨国布施郷下職などを軍功の賞として宛行い、先例を守って支配するよう命じた下文。
前編1-No.2335 島津国史
南朝正平六年・北朝観応二年を中心に、尊氏・直義・直冬の対立が九州へ波及した情勢を月日順に詳記する。島津貞久・氏久・師久、肝付兼重、祢寝清種・清増らが大姶良城・樺山・福山・志布志城などで戦った経過、幕府・征西方の教書、軍忠・恩賞、討死・負傷、諸氏の離合集散を多数の文書と系譜記事から集成した島津国史。
前編1-No.2336 足利尊氏下文
足利尊氏が島津下野三郎右衛門尉資久へ、大隅国桑郷などの所領・別府半分地頭職を軍功の賞として宛行い、先例を守って沙汰するよう命じた下文。
前編1-No.2337 越前島津忠親譜
越前島津氏八代忠親について、系譜上の続柄と名乗りを掲げ、軍忠と恩賞に関する文書を以下に収録すると説明した忠親譜の記事。
前編1-No.2338 足利尊氏下文
足利尊氏が島津周防次郎忠親へ、甲斐国花崎郷の依田将監跡を軍功の賞として宛行い、先例どおり領知するよう命じた下文。
前編1-No.2339 武光重兼譲状
武光重兼が小三郎兼者へ所領を譲り、相続させることを定めた短い譲状。
前編1-No.2340 二階堂行存譲状
二階堂行存が八郎行春へ、相馬国有木田方内の池辺村・八郎行春所領などを譲る。田畠・屋敷・公事配分を定め、将来ほかの妨げなく知行させ、子孫へ相伝すること、違乱時の処置を仮名書きで細かく規定した譲状。
前編1-No.2341 肝属秋兼譜
肝付秋兼について、足利直冬の九州下向と畠山直顕らの動向を背景に、秋兼・兼重、祢寝清種・清増らが大姶良城・加世田城・高熊城などで戦った経過を詳記する。各城の攻防、討死・負傷、領地回復、一族の軍忠を月日順に記した系譜記事。
前編1-No.2342 山田忠経申状
山田忠経が、薩摩国谷山郡内山田・上別府両村地頭職について、関東・鎮西の下知、父宗久の譲状、綸旨、決断所下知、御教書など五通の証文を列挙し、代々の知行と安堵を求めた申状。
前編1-No.2343 豊田長寿丸代中木庭貞清着到状
薩摩国入来院倉野地頭豊田長寿丸の代官中木庭五郎次郎貞清が、大宰府へ馳せ参じ宿直警固を勤めたことについて、着到の証判を求めた着到状。
前編1-No.2344 渋谷重輿着到状
渋谷重興が大宰府へ馳せ参じ、宿直警固を勤めたことについて、着到の確認と証判を求めた着到状。
前編1-No.2345 平忠資補任状
領内の平穏と忠資ならびに子孫の繁昌を祈る役を丁寧に勤めるよう命じ、平忠資を所職へ補任した補任状。
前編1-No.2346 畠山直顕書下
畠山直顕が、武蔵守師直以下が前年二月二十六日に誅伐され天下が静謐に属した一方、大隅・日向の凶徒がなお十余城に籠ると伝える。肥後の一族らを催し、急ぎ出陣して忠節を尽くすよう命じた書下。
前編1-No.2347 島津道鑑書下
島津道鑑が、惟宗氏代義継の申立てに基づき、薩摩国山門院久富名内の郡山田地・河原田八段四丈、子保二段二十、平地園一所などの所職を沙汰する。譲状・相伝文書を踏まえ、所領の知行と後日の違乱禁止を命じた書下。
前編1-No.2348 比志島範平着到状
比志島範平が御方へ参着したことを届け、着到の確認と証判を求めた着到状。
前編1-No.2349 足利直冬感状
足利直冬が渋谷九郎へ、国中で忠節を尽くしたうえ馳せ参じたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。
前編1-No.2350 足利直冬感状
足利直冬が受給者へ、国中で忠節を尽くしたうえ馳せ参じたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。
前編1-No.2351 足利直冬感状
佐次右衛門家所蔵文書で、No.2350と同文のため本文を省略した足利直冬感状。
前編1-No.2352 足利直冬感状
足利直冬が武光三郎へ、馳せ参じたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。
前編1-No.2353 足利直冬感状
足利直冬が河上平次郎へ、馳せ参じたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。