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前編1の目録
旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。
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前編1-No.92 玉海
「玉海」文治元年十一月二十三日条。頼朝の沙汰、宮家との関係、洛中や北陸の情勢などについて聞書を記す。
前編1-No.93 島津庄領家下文
島津庄領家が庄官らへ、鎌倉御下文に従って惟宗忠久を下司職として受け入れるよう命じた下文。忠久の指示に従い、庄内の所務・年貢沙汰を執行させ、補任を妨げないよう求める。
前編1-No.94 伊地知季安考
伊地知季安がNo.93の領家下文について、文書の年月・領家大夫三位家・近衛家との関係、島津御庄下司職成立の事情を諸史料で考証した。
前編1-No.95 島津国史
「島津国史」所収記事。島津御庄の成立・領域、近衛家領との関係、惟宗忠久の下司職補任と三州支配の由来を諸説・古記録により論じる。
前編1-No.96 西藩野史
『西藩野史』の島津忠久伝。平氏追討後に忠久が頼朝へ奉公し、島津荘下司職、信濃国塩田荘地頭職、薩摩・大隅・日向三州の守護職を得たとする由緒を叙述する。忠久の元服・婚姻、鎌倉での奉公、義経追討期の頼朝方の動き、所職の継承に関する記事を諸説とともに載せる。
前編1-No.97 源頼朝下文
源頼朝が惟宗忠久を信濃国塩田庄地頭職に補任した下文。庄内の所務を執行し、御年貢以下の公事を先例どおり納め、地頭として現地支配を行うよう命じる。源頼朝下文に関する当事者の行為、対象となる所領・権利、実施条件とその後の取扱いまで記す。
前編1-No.98 島津譜
「島津譜」。文治二年正月八日の下文による地頭職補任、忠久の島津庄・塩田庄などでの支配と所職の由来を記す。
前編1-No.99 山田聖栄自記
山田聖栄の自記として、忠久が頼朝から薩摩・大隅・日向三国の守護職に補任されたとする伝承を記す。
前編1-No.100 東鑑
「東鑑」文治二年正月以降の記事。朝廷からの命令、京都・鎌倉間の使者、御家人や所領をめぐる沙汰と違乱停止を記す。
前編1-No.101 島津忠久譜
島津忠久譜。諸家系譜を引きながら忠久の名乗り・系統、薩州山門院への入国、三州との関係について説を記す。
前編1-No.102 源頼朝下文
源頼朝が島津御庄の濫行を停止した下文。地頭惟宗忠久の下知に従わせ、庄民への押領・追捕を止め、年貢以下を忠久の沙汰で納めるよう庄官・住民へ命じる。
前編1-No.103 源頼朝下文
No.102と同文として本文を省略した重出。島津御庄での押領・追捕などの濫行を停止し、地頭惟宗忠久の下知に従って庄民を安堵し、年貢以下を納めさせる源頼朝下文である。
前編1-No.104 東鑑
「東鑑」文治二年四月十三日条。北条時政の京都からの帰着、摂政家領をめぐる訴えと処理、院庁・政所の沙汰などを記す。
前編1-No.105 源頼朝下文
源頼朝が、島津御庄で千葉介常胤の代官紀太清遠らが行った押領・狼藉を停止した下文。庄内の地頭・庄民への非法を止め、忠久の所務を回復し、国司・本家への年貢と公役を正しく勤めさせる。
前編1-No.106 島津家譜増補
『御家譜増補』所収記事群の総見出し。山田聖栄系図目安、聖栄自記、安国寺申状、島津忠久御記を続け、忠久の出生時に産神稲荷を島津の地へ勧請した伝承や、忠久の薩隅日三州入国・家臣配置を異なる史料から示す。
前編1-No.107-1 山田聖栄系図目安
山田聖栄系図目安として、忠久が文治二年秋ごろ三州に関わったとする短い伝承を記す。
前編1-No.107-2 山田聖栄自記
山田聖栄自記として、忠久誕生時に産神の稲荷を島津の守護神として祝ったとする伝承と、秘事に関する記述を載せる。
前編1-No.107-3 酒勾安国寺申状
酒勾安国寺申状として、忠季・民部大夫らの系統、島津に居住した経緯、後代への所職・由緒の伝承を記す。
前編1-No.107-4 島津忠久記
島津忠久記として、忠久が西国の末に日向・大隅・薩摩の地を領し、関東からの支配権を持ったとする伝承を記す。
前編1-No.108 島津家譜増補
「御家譜増補中」。薩摩・大隅・日向三州の領知、島津御庄と三国の関係、忠久の所領・職掌の由来を記す。
前編1-No.109 島津家譜増補
「御家譜増補中」。弘安七年七月一日の平朝臣下知状を引き、島津庄三箇国と日向・大隅・薩摩の呼称・支配関係を記す。
前編1-No.110 島津家譜増補
「御家譜増補中」。康安二年六月の島津上総入道道鑑の文言を引き、三箇国が島津庄内の国々であることを示す。
前編1-No.111 島津家譜増補
「御家譜増補中」。忠久が関東から三州の支配を譲られた由緒と、その後代々相続してきた島津氏の所領・職掌を叙述する。
前編1-No.112 北条時政下文
北条時政が安楽寺所司・神人の所領庄園を安堵した下文。武士による寺領への狼藉や他社の支配を停止し、天満天神の神事、寺家の仏事・修造を妨げず、寺領を従来どおり知行させるよう命じる。
前編1-No.113 島津国史
「島津国史」。北条時政下文と島津氏関係史料を引用し、三州守護・所領支配の成立時期や史料上の異同を考証する。
前編1-No.114 僧覚源田地売券
座主僧覚源が、薩摩国伊作郡内の清水薬師寺領田地を売却した売券。字花牟礼田など田地の所在・坪付と面積を記し、代価を受領したうえで、将来の妨げがあれば売主側が弁済すると保証する。
前編1-No.115 平重澄寄進状
平重澄が先祖相伝の薩摩国内伊作・日置北郷などの所領を清水薬師寺へ寄進し、寺役・年貢と領知の条件を定めた寄進状。
前編1-No.116-1 桧前篤平去渡状
桧前篤平が田地・所職を去渡し、譲与の範囲、相伝、後日の違乱を停止する旨を記した去渡状。文末に平重澄の署判を伴う。
前編1-No.116-2 伊地知季安考
伊地知季安が桧前氏の系譜・名乗り、文書の年次、後漢霊帝四世孫阿智王の伝承などを考証した。
前編1-No.116-3 伊地知季安考
伊地知季安が桧前舎人連・笛吹連などの祖先伝承、火明命十四世孫に関わる系譜と地名由来を考証した。
前編1-No.117 源頼朝下文
源頼朝が薩摩国牛屎院を惟宗忠久の所領として安堵した下文。小城八郎重道らによる押妨・押領を停止し、忠久側の由緒と旧来の知行を認めて院内の所務を回復させる。
前編1-No.118-1 文治三年
文治三年、牛屎院をめぐる基光・元能の訴訟と鎌倉公事奉行の処置、違鎮西守護使平藤内遠景の書状を記す。
前編1-No.118-2 源頼朝御教書
牛屎院を惟宗忠久の所領として安堵する件について、源頼朝の意向を伊豆藤内殿へ伝えた御教書。
前編1-No.118-3 源頼朝下文
No.117と同文として本文を省略した重出。薩摩国牛屎院について小城八郎重道らの押妨を停止し、惟宗忠久の旧来の知行と所務を回復・安堵するよう命じた源頼朝下文である。
前編1-No.118-4 伊地知季安考
伊地知季安が牛屎院文書の由来、忠久の所領、行脚僧雑録の注記などを考証した。
前編1-No.119 源頼朝御教書
島津庄官の訴申を受け、幸府背先例の押取・濫妨を停止し、庄家の下事に従って所務を執行するよう命じた御教書。
前編1-No.120 大蔵種章解状
大蔵種章が薩摩国山田村の所領・田畠をめぐり、先祖相伝の理を述べ、違乱の停止と安堵を求めた解状。
前編1-No.121 源頼朝下文
源頼朝が藤内民部遠景の使人らによる島津庄への押領・追捕・住民拘束を停止した下文。遠景側の使者を庄内から退け、惟宗忠久の地頭支配と庄民の生活を妨げないよう命じる。
前編1-No.122 東鑑
『東鑑』文治三年九月九日条。比企尼が南庭に咲いた白菊を重陽の節供に献じ、頼朝は一品・御台所らとこれを賞した。宿老を供に酒宴を終日催し、余った献物も分け与えたと記す。
前編1-No.123 僧寿覚田地去渡状
僧寿覚が田地を自坊成円房から譲り受けた由緒を述べ、相副本主等の証文とともに宮主僧へ去渡したことを記す去渡状。
前編1-No.124 伴三子田地譲状
伴三子が薩摩国若松名内の複数の田畠・屋敷を列挙し、妹女へ譲渡して将来の知行を認めた譲状。
前編1-No.125 公文所下文
公文所が僧永耀を田所職に補任した下文。永耀に所務を先例どおり勤めさせ、関係者へ補任を承知して妨げないよう命じる。
前編1-No.126 薩摩伊作荘立券状
薩摩国伊作郡内の新御庄について庄域を確定した立券状。東は谷山境、西は海、南北は河川・山野などを四至として掲げ、伊作郡加外小野を含む境界地名を列挙して庄園の範囲を明示する。
前編1-No.127 管窺愚考
「管窺愚考」。文治四年の伊作荘立券状を引用し、薩摩国寄郡内殿下新御庄の四至、伊作家文書、関係寺社・地名を考証する。
前編1-No.128 島津家譜頼朝譜
『島津家譜』頼朝譜の奥州征伐記事。文治五年、頼朝が伊達次郎泰衡追討のため鎌倉を発し、諸将を率いて奥州へ進軍する。阿津賀志山方面の城郭・陣地を攻め、泰衡・国衡らを追撃し、降人の処置、将兵の死傷、諸将の軍功と恩賞、平定後の帰還までを記す。
前編1-No.129 島津国史
「島津国史」。文治年間の奥州征伐と泰衡追討、頼朝軍諸将の動向、忠久の従軍・軍功と三州守護の由緒を記す。
前編1-No.130 島津家譜増補
『御家譜増補』所収記事群の総見出し。旧譜・譜略を引き、源頼朝の奥州征伐、惟宗忠久の従軍と戦功、伊達次郎泰衡追討など、忠久の東国での軍歴を示す記事をまとめる。
前編1-No.130-1 旧譜
旧譜として、奥州の伊達三郎泰衡の反逆に対して頼朝が征討を命じ、忠久が従軍して軍功を挙げ、所領を受けたとする記事。
前編1-No.130-2 譜略
譜略として、文治五年二月の伊達泰衡追討と、忠久が兵士として忠勤した由緒を簡記する。
前編1-No.131 源義経伝
源義経の最期を記す記事。文治五年閏四月三十日、藤原泰衡方が奥州衣川館を攻め、義経は持仏堂に入り、妻子とともに自害した経過を記す。
前編1-No.132 源頼朝伝
源頼朝の奥州征伐記事。文治五年七月十九日に鎌倉を発し、多数の軍勢を率いて伊達次郎泰衡・西木戸太郎国衡らを追討する。奥州平定後、十月二十四日に鎌倉へ帰着するまでを記す。
前編1-No.133 島津忠久譜
島津忠久譜の記事。No.131-1と同文のため本文を省略し、頼朝の奥州征伐に忠久が従軍して先鋒を務め、伊達次郎泰衡追討に加わった伝承の重出として掲げる。
前編1-No.134 源頼朝下文
源頼朝が島津庄地頭忠久へ、庄官らを召集し、足軽・武器を整えて参陣するよう命じた下文。帯兵杖の者を率い、七月十日以前に関東へ到着して奥州追討の忠節を尽くすよう求める。
前編1-No.135 源頼朝御教書
島津庄官らに対し、地頭忠久の下知に違背せず、庄内の役務・所務を履行するよう命じた源頼朝御教書。
前編1-No.136-1 島津家譜
島津家譜増補中の記事。文治五年秋、頼朝が奥州征伐に際して忠久を先陣の将に任じたこと、忠久の幼少期・軍装・諸将との関係を旧記により叙述する。
前編1-No.136-2 源頼朝御教書
源頼朝が奥州征伐に関して忠久へ軍勢の催促・先陣の勤仕を命じた御教書。家譜記事中に引用され、八月十五日付を持つ。
前編1-No.137-1 島津家譜増補
『島津家譜増補』の記事。大玄公旧譜や頼朝の御書注解などを引き、文治五年秋の奥州征伐で忠久が先陣・副将を務めたとする伝承を検討する。忠久の年齢、軍勢編成、同行した同族・従者、御教書の書式と伝来、家譜諸本の文言差を詳しく記す。
前編1-No.137-2 伊地知季安考
伊地知季安が大玄公旧譜などを引き、忠久の奥州従軍、先陣任命、軍勢編成の記事と史料の年代・文言を考証した。
前編1-No.137-3 伊地知季安考
伊地知季安が御教書・家譜諸本の異同、忠久の年齢・名乗り・行程、史料中の語句や人名の妥当性を追加考証した。
前編1-No.137-4 島津綱貴譜
『島津綱貴譜』所収の記事。元禄十三年、林大学頭信篤が島津忠久を頼朝の庶長子とする説は碑説で確証が明らかでないと指摘したため、綱貴が家蔵史料を調査させた経緯を記す。文治五年の奥州征伐で、先鋒畠山重忠の求めにより忠久が副将となったとする頼朝教書の古雅な文辞を解釈し、旧記・御秘書などを照合。忠久の随兵と軍…
前編1-No.138-1 島津綱貴譜
『島津綱貴譜』所収、林大学頭藤原信篤が元禄十四年三月に記した源頼朝手書の跋文。積善の家には余慶があるとの故事を引き、忠久を頼朝の長庶子とし、文治五年の奥州征伐では幼少の忠久が諸軍を督し、畠山重忠が監護して頼朝の手書を取り次いだと述べる。手書が島津家に伝来し、綱貴が装潢して家宝とし句解を付したこと、島…
前編1-No.138-2 島津綱貴譜
島津綱貴譜の関連記事。忠久の奥州先陣伝承をまとめ、後世の家譜・旧記における記載と文書伝来を補足する。
前編1-No.139 譜略
譜略の記事。忠久の奥州従軍・先陣勤仕、頼朝の御教書と軍功、家譜・写本の伝来および諸説をまとめる。
前編1-No.140 源頼朝書状
源頼朝が庄司次郎殿へ、奥州征伐の軍勢・出陣と勤仕について仮名書きで指示した書状。
前編1-No.141 東鑑
「東鑑」所収記事。文治五年八月の奥州征討軍の進発、諸将の配置・戦闘と軍勢の動向を記す。
前編1-No.142 島津忠久譜
島津忠久譜。忠久が奥州征討から帰還したこと、恩賞・所領、従軍中の軍功や同行した諸将について記す。
前編1-No.143 酒勾安国寺申状
酒勾安国寺申状。忠久の奥州従軍、守護代・家臣の軍功、敵方との戦闘と所領由緒を申述べる。
前編1-No.144 山田聖栄自記
山田聖栄自記。忠久の奥州征討参加と軍功、祖先黒かわ一文二たけに関する由緒、越前国を経た伝承を記す。
前編1-No.145 源頼朝御教書
北郷弥太郎兼秀の訴える弁済使職について、解状を提出させ、相違なく安堵・処理するよう命じた源頼朝御教書。
前編1-No.146 惟宗忠久下文
惟宗忠久が島津御庄政所へ、日置兼秀を北郷弁済使職に補任した下文。兼秀の奉公を評価して収納・弁済の所務を担当させ、庄官らに補任を承知して違失なく従うよう命じる。
前編1-No.147 源頼朝御教書
源頼朝が藤内康友へ奥州への供奉・軍役を終えたことを認め、暇を与え、今後も所務に励むよう伝えた御教書。
前編1-No.148 古今戦記
『古今戦記』所収の頼朝周辺の逸話。頼朝が寵愛する女性と子女へ玉・装束などを贈り、所領や家人を付ける場面、北条政子の嫉妬を避けて居所を移す経緯、側近を介した贈答・奉仕を物語的に記す。頼朝の家族関係と、贈物・所領給付が結びつく点が特徴である。
前編1-No.149 島津家譜中頼朝伝
『島津氏譜』所収の頼朝公譜。建久年間の頼朝の入洛・参内、諸院や寺社への参詣、朝廷行事、狩猟、官職叙任を日次で記す。随行した御家人・公卿、各地の所領や地頭職の処置、恩賞・贈答も列挙し、鎌倉政権初期の儀礼・人事・所領支配をまとめる。
前編1-No.150 島津国史
『島津国史』の記事。島津忠久の出自・系譜と、頼朝から受けた島津庄・三州の所領・職掌の由緒を諸史料で考証する。近衛家領・二院領との関係、郡郷名、寺社領、地頭職、頼朝下文の年代や伝来を照合し、後代の島津氏支配へつながる根拠を整理する。
前編1-No.151 関東下知状
薩摩国阿多郡の地頭職などに関する関東下知状。原資料は「一六二号文書ト同文」として本文を省略する。
前編1-No.152 島津忠久下文
島津忠久が鮫島宗家へ所務を命じる下文の重出。原資料は「一六三号文書ト同文」として本文を省略する。
前編1-No.153 源頼朝御教書
宗兵衛尉へ頼朝の仰せを伝える御教書。御譜中に写しがあり、五月九日、盛時奉と記す。
前編1-No.154 梶原景時書状
梶原景時が新宮豊前守へ、頼朝の御教書を受領して門人らが喜んだかと問い、先年の瀬多での忠節の恩賞として江州三郡一荘を知行すべき旨が仰せ出されたことを伝える。さらに実秀が薩摩へ下向して公私とも満足であり、一族末代の功勲であると述べる。署名部分には「頼朝歟」とする注記があり、編者も本文書の真偽を疑いながら…
前編1-No.155 源頼朝下文
源頼朝が島津庄住人に対し、忠久の下知に従わないとの風聞は不当であるとして、忠久の命令に従うよう命じた下文。あわせて、僧を殺害した故二院平八成直の行為を敵対行為とし、その所知を忠久の沙汰とするよう定める。前書には『島津譜』が頼朝から忠久へ故二院を賜ったと記す旨、後注には御文庫三番箱中の文書を写した旨が…
前編1-No.156 島津家譜頼朝譜
島津氏家譜中の頼朝譜。建久三年七月十二日に頼朝が征夷大将軍へ任じられたことと、参列・供奉した公卿らを記す。
前編1-No.157 頼朝譜
頼朝譜。建久四年四月二日の下野国那須野での狩猟、鎌倉への帰還、後継や家臣に関する逸話を記す。
前編1-No.158 関東御教書
関東が鮫島前司四郎宗家の所領を安堵した下知状。薩摩国阿多郡地頭職に加え、谷山三百町・伊作二百町・日置南北郷・新御領など八箇所の名主職を掲げ、他者の押妨を停止して知行を保障する。
前編1-No.159 将軍家政所下文
薩摩国山門院の住人・所領をめぐる支配と所務について命じた将軍家政所下文。建久四年九月四日付で、複数の政所職員の署判を伴う。
前編1-No.160 島津家譜
『島津氏譜』の記事。建久四年、後白河法皇の崩御を記したのち、明進士判官重妙が大隅国菱刈院を与えられた由緒を述べる。九州を遠国とする当時の認識、重妙の父祖と崇徳院方との関係、国司初任の事情にも触れる。
前編1-No.161 島津家譜
『島津氏譜』の記事。建久五年正月十二日、重妙が菱刈郡太良院に居を定め、本城・馬越・湯尾・曽木・大口・入山・羽月・平泉・山野などを領し、菱刈を氏とした由緒を記す。重妙を宇治悪左府頼長の曾孫とする系譜を付す。
前編1-No.162 関東下知状
鮫島前司四郎宗家に薩摩国阿多郡地頭職と八箇所の名主職を安堵した関東下知状。谷山三百町、伊作二百町、日置南郷・北郷、新御領などの所領を列記し、先例どおり知行して妨げを受けないよう命じる。
前編1-No.163 島津忠久下文
島津忠久が鮫島宗家の申請を受け、阿多郡を中心とする所領・所務について仮名書きで下知した文書。宗家に知行・勤仕を命じ、在地の支配関係を確認する。
前編1-No.164 新田八幡宮所司等申状
新田八幡宮所司らが、焼失した御宝殿の再建を国司へ求めた申状。歴代国司が造営を引き延ばし、四十五年を経ても再建されない経過を述べ、神慮への畏れ、人民安穏のための造営、立用田の措置、国司・在庁側の押妨停止を訴える。
前編1-No.165 島津家譜頼朝譜
『島津家譜』所収の頼朝公譜。建久六年、源頼朝が上洛し、東大寺供養への参列、南都での宿泊・寺社参詣、僧への供養、入洛後の朝廷・公家との応接を日次で記す。釈迦像の造立・開眼、法皇の勅命、従者や供奉人、鎌倉への帰着までを列挙する。
前編1-No.166-1 島津家譜
島津家譜。建久七年に鹿児島で浄光明寺を創建し、鎌倉から宣阿上人を迎えて寺主とした由緒を記す。
前編1-No.166-2 島津氏系図
島津氏系図。建久七年八月、忠久が薩摩へ下向する途次に京都で近衛殿へ謁し、藤原氏との婚姻・系譜に関する伝承を記す。
前編1-No.166-3 島津家譜略
『島津譜略』の記事。建久年間、源頼朝が島津忠久へ源家重代の膝丸太刀を与え、忠久が珍蔵して子孫へ伝えたとする由緒を記す。刀の寸法・銘や来歴に関する注記を伴う。
前編1-No.167-1 浄光明寺由緒記
浄光明寺由緒記。建久七年の寺院創建、稲荷社との関係、鎌倉から宣阿上人を迎えた経緯を記す。
前編1-No.167-2 山田聖栄自記
『聖栄自記』の記事。島津忠久が念仏宗・時宗を信仰し、法名を道阿弥陀仏として朝夕に看経したこと、鎧の裏に経文を納めていたという伝承を記す。
前編1-No.167-3 島津忠久系図
島津忠久の系図伝承。建久七年、忠久が薩摩へ下向する途中に京都で近衛殿へ参り、藤原氏との系譜関係を語ったこと、承久年間の記録を根拠に藤原姓とする説を記す。
前編1-No.167-4 酒勾安国寺申状
酒勾安国寺申状。忠久の出自と頼朝の取り立て、所領付与、子孫の継承に関する由緒を申し立てる。
前編1-No.167-5 島津家譜略
原資料は「一六六の三号記事ト同文」として本文を省略する。No.166-3に相当する島津家譜略の記事の重出。
前編1-No.167-6 山田聖栄自記
山田聖栄自記。島津氏一族の系譜、所領、鹿児島での居住と家臣団の由緒を列挙する。
前編1-No.168 菱刈重種所写旧記
菱刈重種所写の旧記。源頼政一族に連なる小松宗実らが平家方との戦いで討死し、遺児が母と山林へ隠れたのち源頼朝に見出されたという由緒を記す。頼朝による平家追討と恩賞、薩摩国羽月周辺への居住・館構築、子孫の所領継承へ至る経過を述べる。
前編1-No.169 菱刈重種所写旧記
菱刈重種所写旧記。京都の兵乱、牛山・赤田一族の戦闘、頼朝への奉公と鎌倉への移住・所領伝承を記す。