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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 2401~2500件・25 / 27ページ

  1. 前編1-No.2354 足利直冬感状

    足利直冬が比志島彦太郎へ、馳せ参じたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。

  2. 前編1-No.2355 足利直冬下文

    足利直冬が島津山田諸三郎忠経へ、薩摩国谷山郡山田・上別府両村地頭職を、関東・鎮西の度々の下知と父道慶の譲状に任せて領掌させた下文。

  3. 前編1-No.2356 足利直冬下文

    足利直冬が島津式部孫三郎友久へ、薩摩国谷山郡山田・上別府両村地頭職を、関東・鎮西の下知と父道慶・兄忠経の譲状に任せて領掌させた下文。

  4. 前編1-No.2357 足利直冬下文

    足利直冬が武光三郎重兼へ、薩摩国宮里郷清水寺免田・蘭山野・正岡内田地屋敷、筑前国七隈郷・比伊郷の田地屋敷などを、鎮西下知と御外題に任せて領掌させた下文。

  5. 前編1-No.2358 某下文

    向島西方の講免園・道領などについて、惣領・百姓の公事負担、所領支配、女性相続人の扱い、売買・質入れの制限を定める。妨げる者を処罰し、二か所の所領を安堵した安養院文書。

  6. 前編1-No.2359 加世田合戦手負注文

    加世田合戦で負傷した得丸六郎五郎良世方の者について、四月十五日と五月三日夜の合戦ごとに、孫七良世、新平、彦三郎らの切疵・負傷箇所を列記した手負注文。

  7. 前編1-No.2360 某下文

    河原越前守が御内・御方人や同心の成阿弥陀仏を島へ引き入れ、悪党行為に及んだ件を処分する。関係者を罰し、年貢納入と所領安堵、違乱者への対応を命じた安養院文書。

  8. 前編1-No.2361 足利直冬書下

    足利直冬が島津大隅左京進入道へ、薩摩国伊作日置庄領家職を兵粮料所として預け、先例を守って支配し年貢を進納するよう命じた書下。

  9. 前編1-No.2362 惟宗時友請文

    惟宗時友が、新田宮前執印友雄代の申立てに対し、市比野村内原田一町三段・府宿園一所は押領ではなく自己の所領であると主張する。亡父重基法師の譲状などを根拠に、先の沙汰どおり安堵を求めた請文。

  10. 前編1-No.2363 足利直冬書下

    足利直冬が島津左京進入道へ、大隅・薩摩両国の凶徒を退治するため急ぎ出陣し、忠節を尽くすよう命じた書下。

  11. 前編1-No.2364 足利直冬軍勢催促状

    足利直冬が山田氏へ、大隅・薩摩両国の凶徒を退治するため急ぎ出陣し、忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。

  12. 前編1-No.2365 足利直冬下文

    足利直冬が渋谷平次五郎重勝へ、美作国河会郷下村、薩摩国入来院清色郷の五分二、筑前国下長尾の田畠屋敷地頭職を、亡父母の譲状に任せて領知させた下文。

  13. 前編1-No.2366 祢寝清種軍忠状

    祢寝清種が、建武三年以来、大隅・日向・薩摩で御方に属して戦った軍忠を月日順に詳記する。肝付郡加世田城、大姶良城、鹿屋院高熊城、庄内・日州方面の攻防、同行した一族・従者、落城・退治、負傷・討死者を列挙し、証判を求めた軍忠状。

  14. 前編1-No.2367 建部清増軍忠状

    建部清増が、樺井四郎頼仲らとともに大姶良城・鹿屋院高熊城などを攻め、一族・従者が死傷した軍事行動を記し、後日の証拠として御判を求めた軍忠状。

  15. 前編1-No.2368 後村上天皇綸旨

    後村上天皇が渋谷美濃守へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

  16. 前編1-No.2369 後村上天皇綸旨

    後村上天皇が大隅左京進入道へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

  17. 前編1-No.2370 後村上天皇綸旨

    後村上天皇が渋谷九郎左衛門尉へ、御方へ参る意向を聞き届けたとして、征西将軍宮に属して軍忠を尽くし、殊功があれば恩賞を与えると伝えた綸旨。

  18. 前編1-No.2371 足利尊氏御教書

    足利尊氏が島津上総入道へ、凶徒方から御方へ参って忠節を尽くす者については、本領を相違なく安堵すると伝えた御教書。

  19. 前編1-No.2372 足利尊氏下文

    足利尊氏が島津上総入道へ、大隅国寄郡内の下大隅郡、大禰寝院、鹿屋院、串良院、西俣村、当小川村などを軍功の賞として宛行い、先例どおり沙汰するよう命じた下文。

  20. 前編1-No.2373 権執印由氏渥譲状

    権執印由氏渥が子息三郎次郎俊正へ、薩摩国八幡新田宮領拝五大院内の田島免田などと権執印職を永代譲与する。所領・役職、公事勤仕、売買禁止、男子・孫への相続、無男子時の女子相続、違乱者の排除を詳細に定めた譲状。

  21. 前編1-No.2374 尾張義冬書下

    尾張義冬が、大隅・薩摩両国の凶徒退治のため出陣するので、急ぎ一族を催して忠節を尽くすよう命じた書下。

  22. 前編1-No.2375 殉国名薮

    九月二十八日の金隈合戦で伊地知弾正忠季随が討死したことを記し、異説の日付にも触れた殉国名藪の記事。

  23. 前編1-No.2376 北郷資忠譜

    北郷資忠が観応二年九月二十八日の金隈合戦で島津氏久に従軍し軍忠を尽くしたこと、足利尊氏から北郷三百町を恩賞として与えられ、北郷へ入部して名字を改めた経緯を記す系譜記事。

  24. 前編1-No.2377 島津氏久軍忠状

    島津氏久が、前年九月二十八日の金隈合戦で先懸けし左股を射られたことを申す。一族・従者の射傷・切疵・討死、各人の戦功を列挙し、一見状を副えて後日の証拠となる証判を求めた軍忠状。

  25. 前編1-No.2378 尾張義冬書下

    尾張義冬が、大隅・薩摩両国の凶徒退治について先月二十一日の命令を重ね、急ぎ一族を催して忠節を尽くすよう命じた書下。

  26. 前編1-No.2379 記事観応二年

    北朝観応二年十月、足利尊氏が足利直義を討つため南朝へ降伏し、和睦した政治過程を簡潔に記した記事。

  27. 前編1-No.2380 足利尊氏感状

    足利尊氏が島津周防与二次郎へ、播磨・摂津両国での忠節を神妙と賞し、急ぎ京都へ馳せ参じるよう命じた感状。

  28. 前編1-No.2381 後村上天皇綸旨

    後村上天皇が島津上総入道へ、朝命に背いて没落した足利直義を早く追討し、軍忠を尽くす者には抜群の恩賞を与える旨を伝えた綸旨案。

  29. 前編1-No.2382 和泉忠氏譜

    和泉忠氏が丹後国田辺庄・肥前国早湊村の地頭職に補任された由緒を記す。吉野方との和睦後に足利直義追討の綸旨を受け、一族を催して忠節を尽くすよう命じられた経緯も掲げる譜記事。

  30. 前編1-No.2383 足利尊氏下文

    足利尊氏が島津上総三郎師久へ、島津下野守忠氏跡の所領を軍功の賞として宛行い、先例どおり支配するよう命じた下文。

  31. 前編1-No.2384 越前島津範忠譜

    越前島津氏九代範忠について、兄忠親が子なく没したため、範忠が家統を継承したことを記した譜記事。

  32. 前編1-No.2385 足利義詮感状

    足利義詮が、播磨・摂津両国で軍忠を尽くしたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた感状。

  33. 前編1-No.2386 足利尊氏御教書

    将軍宮の意向により御方へ馳せ参じ、軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏御教書。

  34. 前編1-No.2387 足利尊氏御教書

    足利尊氏方が大隅左京進入道へ、御方として各所で合戦したことを神妙と賞し、今後も忠節を尽くすよう命じた御教書。

  35. 前編1-No.2388 足利義詮官途挙状

    足利義詮が、官途「尉」への任官希望を公家へ取り次いだので、その旨を承知するよう伝えた官途挙状。

  36. 前編1-No.2389 征西将軍宮令旨

    征西将軍宮方が、吉野との和睦を受けて足利直義追討の綸旨が下ったとして、直義党類を追って関東へ下向し、一族を催して官軍への忠節を尽くすよう命じた令旨。

  37. 前編1-No.2390 足利直義下文

    足利直義が伊作田兵部大夫道材へ、薩摩国日置の弥勒寺名若松三十町と作田村惣地頭職を軍功の賞として宛行い、先例どおり支配するよう命じた下文。

  38. 前編1-No.2391 渋谷重輿軍忠状

    渋谷九郎左衛門尉重興が、当月五日に大将の目前で合戦して忠節を尽くしたことについて、幕府への注進と後日の証拠となる一見状を求めた軍忠状。

  39. 前編1-No.2392 島津道鑑書状

    島津道鑑が年始を祝うとともに、三十六日間連日合戦が続き、南方凶徒数百人が谷山城へ集結して御方の城を攻めようとしていると伝える。味方勢が帰宅して陣中の人数が少ないため、早急な援軍を求めた書状。

  40. 前編1-No.2393 足利尊氏下文

    足利尊氏が島津周防守へ、相模国山内庄内岩瀬郷を軍功の賞として宛行い、先例どおり支配するよう命じた下文。

  41. 前編1-No.2394 畠山直顕禁制

    畠山直顕が宝満寺と河井山野について、殺生、樹木伐採、濫妨、運命者の出入り、漁猟、罪科人の逃亡・匿置などを条々で禁じる。寺内・山野の秩序と権利を保護し、違反者を処罰するよう命じた禁制。

  42. 前編1-No.2395 ひのかわ後家譲状

    ひのかわ後家尼が、向島上山名の所領や山寺・田畠を上山の孫六五郎方へ譲る。自身の存命中は知行を保ち、没後に相続させること、兄弟・親族の介入、扶養、所領の処分を仮名書きで定めた譲状。

  43. 前編1-No.2396 記事正平七年

    南朝正平七年・北朝文和元年の閏二月に、南朝と足利尊氏との和睦関係が断絶したことを短く記した記事。

  44. 前編1-No.2397 島津道鑑書状

    島津道鑑が、中院法印・肝付兼重以下の凶徒が兵船を用いて要害と海路を押さえ、博多宿郡山・河津へ着いたとの報を伝える。状を受けた者は時を移さず馳せ参じるよう求めた書状。

  45. 前編1-No.2398 一色範氏書下

    一色範氏が、足利直冬・少弐頼尚以下の凶徒を退治するため、綸旨・御教書に基づいて出陣するので、直ちに馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた書下。

  46. 前編1-No.2399 足利尊氏官途挙状

    足利尊氏が、周防守への任官希望を公家へ取り次いだので、その旨を承知するよう伝えた官途挙状。

  47. 前編1-No.2400 足利尊氏官途挙状

    足利尊氏が、靭負尉への任官希望を公家へ取り次いだので、その旨を承知するよう伝えた官途挙状。

  48. 前編1-No.2401 尾張義冬書下

    尾張義冬が、菱刈平良彦太郎重任らが島津上総入道と同心したとして、前年の命令どおり重任を討伐するよう命じた書下。

  49. 前編1-No.2402 一色範氏書下

    一色範氏が、足利直冬・少弐頼尚以下の凶徒を退治するため、綸旨・御教書に基づいて出陣するので、直ちに馳せ参じ忠節を尽くすよう命じた書下。

  50. 前編1-No.2403 足利尊氏感状

    足利尊氏が島津又三郎へ、前年九月二十八日の筑前国金隈合戦で若党らが討死し、自身も負傷したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  51. 前編1-No.2404 足利尊氏感状

    足利尊氏方が、島津氏が大隅・薩摩両国で忠節を尽くし、氏久らを筑前国金隈合戦へ派遣して戦功を挙げ、宮方凶徒が籠る八幡山を包囲・退治していることを賞した感状。

  52. 前編1-No.2405 足利義詮御教書

    足利義詮が島津上総入道へ、大隅・薩摩両国で忠節を尽くしたことを神妙と賞し、今後もいっそう戦功を挙げるよう求めた御教書。

  53. 前編1-No.2406 渋谷重勝避状

    渋谷重勝が、筑前国早良郡比伊郷下永尾について、亡父存円の時に安堵を受けた十町分のうち六町を、定門・願心の譲状に任せて譲り渡した避状。

  54. 前編1-No.2407 一色範氏宛行状

    樺山家所蔵文書が、樺山家元祖資久譜中に収録されていることだけを記した注記。

  55. 前編1-No.2408 足利尊氏感状

    足利尊氏が、前年九月八日の筑前国金隈合戦で父本田左衛門尉次郎入道道意が討死したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  56. 前編1-No.2409 足利尊氏感状

    足利尊氏が本田熊鬼丸へ、前年九月八日の筑前国金隈合戦で父伊集院彦五郎入道道迎が討死したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  57. 前編1-No.2410 足利尊氏感状

    足利尊氏が伊集院又五郎へ、前年九月八日の筑前国金隈合戦で父中條六郎が討死したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  58. 前編1-No.2411 足利尊氏感状

    足利尊氏が池上弥四郎へ、前年九月八日の筑前国金隈合戦で父池上四郎兵衛尉光久が討死したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  59. 前編1-No.2412 山田聖栄自記

    山田聖栄が、島津氏久幼少時の名代として肥後へ赴いた人物が各地の合戦で負傷し、金隈合戦で討死した由緒と、その忠節・子孫について記した自記。

  60. 前編1-No.2413 足利尊氏感状

    足利尊氏が伊地知彦七へ、前年九月八日の筑前国金隈合戦で父伊地知弾正忠季随が討死したことを神妙と賞し、今後も戦功を挙げるよう求めた感状。

  61. 前編1-No.2414 島津道鑑譜

    島津道鑑が鎮西の凶徒を退け静謐を回復した後、長く獄舎に置かれた伊地知氏の赦免を将軍へ訴えた経緯を記す。伊地知氏は氏久幼少時の名代として肥後へ上り、金隈合戦で討死した忠臣で凶悪な党類ではないと弁じ、赦免を得た譜記事。

  62. 前編1-No.2415 島津道鑑譜

    島津氏が、北条時政以来の鎮西守護・探題職、遠江守平英の鎮西成敗、筑前・豊後などの所領支配を根拠として、九州での権限と奉公を述べる。高時存生時の九州探題職、筑前州今津・本岡・比加里・上妻などの領地、守護軍勢と城郭配置にも触れた譜記事。

  63. 前編1-No.2416 島津道鑑譜

    谷山郡司平忠高追討に際し、鹿児島近辺の兵粮を確保して波平へ布陣し、弟祐玄らを指揮して敵軍に備えた島津道鑑の軍事行動を記す。

  64. 前編1-No.2417 島津道鑑譜

    在洛中の島津道鑑が帰国を願い、百余騎を率いて下向したところ松原で待伏せを受けたが、これを撃破し、関係者を処罰した経緯を記す。

  65. 前編1-No.2418 島津道鑑譜

    濃国大田庄に関わり、諏訪大明神へ祈願し、鷹島の風切羽を用いた神事を行ったことを伝える。

  66. 前編1-No.2419 和泉忠直譜

    和泉忠直が谷山郡司平忠高追討のため波平へ進み、鹿児島の兵粮・通路・警固を整えたのち、青屋松原で敵と交戦した経過を詳述する。忠直方は松原で待伏せを受けながら速やかに隊列を整えて勝利し、敗走する敵を追撃した。

  67. 前編1-No.2420 和泉忠直譜

    和泉忠直がのちに征西将軍宮方に属し、豊後国で没したことを記す。

  68. 前編1-No.2421 足利義詮軍勢催促状

    足利義詮が、御台所領日向国穆佐院島津庄で伊東八郎以下の凶徒が城郭を構えて濫妨するため、一色少輔太郎入道の退治軍へ合力するよう島津氏に命じた軍勢催促状。

  69. 前編1-No.2422 足利直冬下文

    足利直冬が、軍功の賞として大隅国河村の十一町、野辺野五政式および国郡田村小地頭職二十町を宛行い、先例に従って知行するよう命じた下文。

  70. 前編1-No.2423 足利尊氏御教書

    足利尊氏が、当月十一日夜に八幡の凶徒を追い落とした旨を九州の輩へ触れ知らせるよう一色少輔太郎入道に命じた御教書。

  71. 前編1-No.2424 一色範氏施行状

    一色範氏施行状。本文はNo.2430と同文であるため省略されている。

  72. 前編1-No.2425 島津道鑑書状

    島津道鑑が、伊集院助三郎・市来方から東福寺城の凶徒による夜討の企てを聞き、内通・合力の風聞もあるとして警戒を促した書状。

  73. 前編1-No.2426 島津道鑑宛行状

    島津道鑑が伊地知彦七に鹿児島郡田上村半分の代官職を給分として宛行い、先例に従い公事を勤めるよう命じた宛行状。

  74. 前編1-No.2427 島津道鑑書状

    島津道鑑書状。本文はNo.2310と同文であるため省略されている。

  75. 前編1-No.2428 足利義詮軍勢催促状

    足利義詮軍勢催促状。本文はNo.2310と同文であるため省略されている。

  76. 前編1-No.2429 足利義詮軍勢催促状

    足利義詮が、御台所領日向国穆佐院島津庄で伊東八郎以下の直冬方凶徒が城郭を構えて濫妨するため、一色少輔太郎入道の退治軍に合力するよう命じた軍勢催促状。

  77. 前編1-No.2430 一色範氏施行状

    一色範氏が、八幡山の凶徒が没落したことを受け、先月二十三日付の御教書案を送り、分国の地頭・御家人らへ内容を触れ知らせ、引き続き執達するよう求めた施行状。

  78. 前編1-No.2431 畠山直顕書下

    畠山直顕が島津上総入道に、肥後宮の令旨を受け、薩摩国凶徒が籠る大隅国限本城・栗野北里城を追討して軍忠を尽くすよう命じた書下。

  79. 前編1-No.2432 和泉忠氏譜

    和泉忠氏の初名・官途・法名を列記する譜記事。初名忠二郎、兵衛尉・左兵衛尉・豊後守・下野守を称し、法名を観翁とした。

  80. 前編1-No.2433 調所敦恒譜

    調所敦恒が、足利直冬方の肥後宮懐良親王の命を受けて薩摩へ侵攻した兵を退治し、畠山直顕から書状を受けたこと、姫木氏の祖となったことを記す譜記事。

  81. 前編1-No.2434 畠山直顕書下

    畠山直顕が調所彦三郎に、肥後宮の令旨を受け、薩摩国凶徒が籠る大隅国限本城・栗野北里城を追討し、軍忠を尽くすよう命じた書下。

  82. 前編1-No.2435 畠山直顕書下

    畠山直顕が姫木五郎四郎に、肥後宮の令旨を受け、薩摩国凶徒が籠る大隅国限本城・栗野北里城を追討し軍忠を尽くすよう命じた書下。

  83. 前編1-No.2436 畠山直顕書下

    畠山直顕が姫木十郎に、肥後宮の令旨を受け、薩摩国凶徒が籠る大隅国限本城・栗野北里城を追討し軍忠を尽くすよう命じた書下。

  84. 前編1-No.2437 肝属秋兼譜

    肝付秋兼が畠山直顕・民部太輔重隆らと日向・大隅の兵を率い、大隅の巨族税所介らと連日戦った経過を記す。十二月三日の検井頼仲による城奪取、四日の直顕による栗野本藤への出陣、十九日以降の園国見城・大手・搦手での攻防と戦死者を挙げる。

  85. 前編1-No.2438 肝属秋兼譜

    検井頼仲らが大手城戸口・江寄・外曲輪で戦い、同日・翌日にも攻防を重ねたこと、頼仲らの戦死・負傷を日付順に記す合戦記事。

  86. 前編1-No.2439 宇都宮蓮智奉書

    宇都宮蓮智が、豊後国井田郷地頭職をめぐる伊地知氏の申状を受け、濫妨人を退けて早く所職を執行させるよう沙弥正全に命じた奉書。

  87. 前編1-No.2440 宝満寺水田寄進状

    宝満寺西園へ寄進された水田について、二斗代・一斗代など坪ごとの反別、作人名を列記した水田坪付。

  88. 前編1-No.2441 島津道鑑書状

    島津道鑑が、石井中務丞が大隅へ下向して巻狭城を奪取したが難儀しているとして、軍勢を催し、本人・一族とも直ちに馳せ参じるよう求めた書状。

  89. 前編1-No.2442 島津道鑑書状

    島津道鑑書状。本文はNo.2333と同文であるため省略されている。

  90. 前編1-No.2443 島津道鑑書状

    島津道鑑書状。本文はNo.2333と同文であるため省略されている。

  91. 前編1-No.2444 沙弥正全打渡状

    沙弥正全が、豊後国井田郷地頭職について前年七月二十七日付御奉書の旨に従い、島津上総入道へ引き渡し、沙汰付けを済ませた打渡状。

  92. 前編1-No.2445 足利義詮御教書

    足利義詮が島津又三郎に、父島津上総入道の勢力が衰えたため、分国の地頭・御家人と同心して直冬以下の凶徒を討つよう命じた御教書。

  93. 前編1-No.2446 足利義詮御教書

    足利義詮方が島津判官に、父上総入道の勢力が衰えたので分国の地頭・御家人と同心し、直冬以下の凶徒を討つよう命じた御教書。凶徒退治・軍勢催促について補任・安堵・裁許または執行を命じ、判断の根拠と現地で守るべき条件を示す。

  94. 前編1-No.2447 一色範氏書状

    一色範氏が、将軍家から凶徒退治の御教書が下った旨を伝え、関係者へ披露するよう求めた書状。

  95. 前編1-No.2448 一色範氏施行状

    一色範氏が、大隅・日向両国の凶徒退治について注進状を受け、沙汰を進めるため奉書を送った施行状。将軍家に関する当事者の行為、対象となる所領・権利、実施条件とその後の取扱いまで記す。島津氏ほかと九州ほかを結び、誰が何を対象に、どの権利・義務・処置を実行したかを具体化する。

  96. 前編1-No.2449 足利尊氏感状

    足利尊氏が島津又三郎に、大隅・薩摩両国の凶徒退治について六月二十一日付注進状を披見し、その軍忠を神妙と賞した感状。島津氏に関する当事者の行為、対象となる所領・権利、実施条件とその後の取扱いまで記す。島津又三郎ほかと九州ほかを結び、誰が何を対象に、どの権利・義務・処置を実行したかを具体化する。

  97. 前編1-No.2450 足利尊氏感状

    足利尊氏方が、大隅・薩摩両国の凶徒退治について六月二十七日付注進状を披見し、老体・病気でありながら氏久が両国で籌策した働きを賞した感状。島津氏・負傷に関する当事者の行為、対象となる所領・権利、実施条件とその後の取扱いまで記す。

  98. 前編1-No.2451 足利尊氏感状

    島津師久関係の感状で、道鑑公御譜中にも収録される旨を記した注記。

  99. 前編1-No.2452 沙弥某施行状

    沙弥某が、大隅国寄郡地頭職を前年八月十五日付御下文に基づき、島津上総入道へ沙汰付けするよう命じた施行状。

  100. 前編1-No.2453 執印友身避状

    執印友身が、新田宮領内の故日置跡について新規の入部・細工を避け、社役を勤める者を妨げず、違乱しないことを約した避状。