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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 2001~2100件・21 / 27ページ

  1. 前編1-No.1954 川上頼久譜

    建武四年八月の市来院・赤崎合戦で、延時忠能、宮里九郎、石塚平太郎、小河小太郎らが参戦し、夜戦で赤崎の敵を斬ったことを記す川上頼久譜の記事。

  2. 前編1-No.1955 延時法仏軍忠状

    延時又三郎入道法仏が市来院での合戦に参加した軍忠状。八月十日に市来院へ赴き、十四日の赤崎合戦で宮里九郎入道・石塚平太郎・小河小太郎らと戦い、夜戦で敵を斬ったこと、同月十日の城攻めで弟彦五郎忠範が代官として参戦したことを述べ、証判を求める。

  3. 前編1-No.1956 莫祢成助軍忠状

    莫祢平次郎成助が、市来院赤崎合戦で小河小太郎・武光伴三郎らと戦い、十四日夜の合戦で軍忠を尽くしたことを申告し、披露・証判を求めた軍忠状。

  4. 前編1-No.1957 権執印俊正軍忠状

    権執印三郎次郎俊正が、八月十四日夜の市来院赤崎合戦で頴娃地頭小河小太郎・同小三郎らと戦い軍忠を尽くしたとして、見知・証判を求めた軍忠状。

  5. 前編1-No.1958 川上頼久書下

    No.1953と同文で、市来院の凶徒が籠る城への攻撃を命じた川上頼久書下。本文は省略される。

  6. 前編1-No.1959 足利直義御教書

    吉野の凶徒追討について院宣が下ったため、島津上総入道貞久と相談し、早く軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  7. 前編1-No.1960 島津貞久施行状

    足利直義の八月九日付御教書を受け、吉野の凶徒追討へ早く発向し、軍忠を尽くすよう命じた島津貞久施行状。

  8. 前編1-No.1961 島津貞久施行状

    No.1960と同趣旨で、足利直義の御教書を受け、吉野の凶徒追討へ早く発向するよう命じた島津貞久施行状案。

  9. 前編1-No.1962 北郷資忠譜

    北郷氏元祖資忠が足利尊氏から越中国安部郷を与えられ、領知したことを記す北郷資忠譜の記事。

  10. 前編1-No.1963 足利尊氏感状

    比志島彦一丸の軍忠を、島津上総入道の注進により神妙と賞し、抽賞する旨を伝えた足利尊氏感状。

  11. 前編1-No.1964 島津道鑑安堵状

    親父比志島義範が討死して忠節を尽くした恩賞として、比志島彦二に薩摩国満家院内油須木四町を先例に従い本領として安堵した島津道鑑安堵状。

  12. 前編1-No.1965 畠山直顕挙状

    日向国土持新兵衛尉宣栄の軍忠申状について相違がなく、忠節の次第を神妙として賞すべきことを上申した畠山直顕挙状。

  13. 前編1-No.1966 兵庫助書下

    宇都宮の凶徒追討のため早く発向し、軍忠を尽くすよう豊田大進阿闍梨へ命じた兵庫助書下。

  14. 前編1-No.1967 兵庫助書下

    No.1966と同文のため本文を省略した、宇都宮の凶徒追討と軍勢進発を命じる兵庫助書下。

  15. 前編1-No.1968 島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が九月十七日の丹生寺方面への発向に従い、弟十郎忠範を山田へ派遣し、翌日から凶徒追討に軍忠を尽くしたとして証判を求めた軍忠状。

  16. 前編1-No.1969 川上頼久伝

    建武四年九月以降の川上頼久らの軍事行動を記す伝記記事。市来城へ進み、水塞・薄大門を攻め、高野中務丞頼久・高野淡路房宗栄らを救援し、白加木城・吉田方面でも戦った経過、島津忠国・延時忠能・大隅助七・上原中務丞らの参戦、負傷・討死、京都への注進を編年で記す。

  17. 前編1-No.1970 沙弥誓念奉書

    大隅助七・井上原中務丞らを所預として配置し、軍忠者を進め、状況を注進するよう比志島彦二へ命じた沙弥誓念奉書。

  18. 前編1-No.1971 川上頼久書状

    兄孫三郎範経以下の打死について、急いで京都へ注進するよう求めた川上頼久書状。

  19. 前編1-No.1972 指宿成栄代宗栄軍忠状

    指宿彦次郎入道成栄代の高野淡路房宗栄が、市来城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。九月十七日から市来へ進み、翌夜の合戦、同十九日の市来・平城攻め、吉田又次郎らとの合戦、手負・討死を列挙し、守護代官酒匂兵衛二郎らの見知と証判を求める。

  20. 前編1-No.1973 大平成助軍忠状

    大平平次郎成助が市来城攻めに参加した軍忠状。九月十七日に市来へ向かい、夜の合戦で軍忠を尽くし、同十九日の攻城にも参加したとして、守護代官酒匂兵衛二郎らの見知と証判を求める。

  21. 前編1-No.1974 本田久兼軍忠状

    本田次郎左衛門尉久兼が凶徒蜂起に際して味曽路越へ登り、大和国二上城と越中国東條城の合戦で軍忠を尽くしたとして証判を求めた軍忠状。

  22. 前編1-No.1975 本田久兼軍忠状

    No.1974と同文のため本文を省略した本田久兼軍忠状。

  23. 前編1-No.1976 沙弥誓念書状

    加木県城に残る凶徒の追討を比志島彦次郎らへ命じた沙弥誓念書状。十月十八日に軍勢を率いて発向し、北村諸三郎範清の親類右衛門六郎が射られた夜戦、同十九日の城攻め、軍奉行下の軍勢配置を記し、退散した敵を追って軍忠を尽くし後日の恩賞に備えるよう促す。

  24. 前編1-No.1977 肝属兼重譜

    肝付兼重らが草牟田・清水城方面で戦った経過を記す肝属兼重譜の記事。大隅忠国・谷山隆信・矢上高純・平忠世らが入曽於郡して戦い、橋木城での交戦にも及んだことを記す。

  25. 前編1-No.1978 比志島頼秀軍忠状

    比志島彦一丸代頼秀が凶徒蜂起に際し、親類右衛門六郎らと軍勢を率いて市来へ向かい、城攻めで軍忠を尽くしたことを述べた軍忠状。

  26. 前編1-No.1979 延時法仏軍忠状

    延時又三郎入道法仏が市来院城郭の合戦で軍忠を尽くした軍忠状。十月十八日夜の合戦、同十九日の平城攻め、十一月十七日の再出兵、同十八日の平城・市来城攻撃などを列挙し、島津忠国、宮里九郎入道、重久将監らの見知と証判を求める。

  27. 前編1-No.1980 宮里種正軍忠状

    宮里正永三郎次郎種正が市来城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。七月十七日に市来城へ発向し、十九日の水手攻め、八月一日の合戦、十四日の切塞薩摩山での警固、十一月九日の自方城攻撃などに参加し、伊集院郡司四郎らの見知を得て証判を求める。

  28. 前編1-No.1981 宮里種正軍忠状

    No.1980と同文のため本文を省略した宮里種正軍忠状。

  29. 前編1-No.1982 権執印代俊正軍忠状

    権執印良遍代の子息三郎次郎俊正が、市来城・赤崎などの合戦で軍忠を尽くした軍忠状。七月十五日の市来発向、八月十四日夜の赤崎合戦、九月十七日の市来城攻め、同十九日の平城攻め、十一月の再攻撃を列挙し、宮里九郎入道らの見知と証判を求める。

  30. 前編1-No.1983 大隅亀三郎丸軍忠状

    大隅式部亀三郎丸が一族を率いて市来院内横中原城郭を攻めた軍忠状。六月十一日の合戦で若党左衛門次郎友久が左腰を射られ、次いで阿多郡高橋・松原口でも戦い、九月の市来院城攻めにも参加したとして見知と証判を求める。

  31. 前編1-No.1984 大隅亀三郎丸軍忠状

    大隅式部亀三郎丸が市来院城郭で軍忠を尽くした軍忠状。九月十九日の合戦で大隅国小浜十郎を負傷させ、隠岐七郎行貞・遠矢次郎太郎らと進戦し、十月一日に阿多郡高橋松原口で合戦、若党左衛門次郎友久が右股を射られたことを述べる。

  32. 前編1-No.1985 山田友久系図

    山田氏支流の友久について、亀三郎丸・式部孫三郎・掃部助・常陸守の名乗りと系統を掲げる系図記事。

  33. 前編1-No.1986 伊作親忠譜

    伊作家三代の親忠について、初名宗四郎、左衛門少尉、下野守などの名乗り・官途を記す系譜記事。

  34. 前編1-No.1987 島津愛寿丸軍忠状

    島津大隅愛寿丸が市来院城郭で軍忠を尽くした軍忠状。九月十九日の合戦で愛寿丸の若党七尚元以下が軍忠を励み、隠岐七郎行貞・知覧院三郎久直らの見知を得たとして、恩賞のため証判を求める。

  35. 前編1-No.1988 足利直義御教書

    薩摩国での合戦における島津式部三郎の軍忠を賞し、今後も忠節を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  36. 前編1-No.1989 散位某奉書

    税所介敦直代忠直が、祖父正恵の遺領である薩摩国満家院郡司職を申請した件について、申状と具書を踏まえ、早く知行させるよう命じた散位某奉書。

  37. 前編1-No.1990 島津貞久書下

    薩摩国阿多北方の銭百五拾貫文について、先の奉書どおり急いで比志島孫太郎へ引き渡すよう命じた島津貞久書下。

  38. 前編1-No.1991 河田慶喜軍忠状

    河田智門房慶喜が市来城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。七月十五日の市来発向、八月一日の攻城での負傷、同四日の伊集院石谷での戦闘、九月十九日の再攻城で親類河田弥三郎家弘が討死したこと、城内への追拂いを列挙し、大隅式部三郎らの見知と証判を求める。

  39. 前編1-No.1992 足利直義御教書

    西阿の凶徒追討を始めるため、島津大夫判官宗久に一族と薩摩・大隅両国の軍勢を催して発向し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  40. 前編1-No.1993 足利尊氏下文

    島津大夫判官宗久に信濃国太田庄内大蔵郷の地頭職を与え、早く領知して沙汰するよう命じた足利尊氏下文。

  41. 前編1-No.1994 島津国史

    建武五年(延元三年)を中心に、島津貞久らの動向と南北朝争乱を編年で記す島津国史の記事。足利尊氏・直義方と南朝方の対立、薩摩・大隅・日向・肥前・越前などでの城攻めと軍勢催促、肝付兼重・新納氏・川上氏・本田氏らの軍功、負傷・討死、所領安堵・恩賞・守護職を、関係文書の日付と発給者を示しながら三頁にわたり詳…

  42. 前編1-No.1995 南山巡狩録

    千葉貞胤が鎮西将軍として九州へ下向し、肥前国を知行して余勢を率いたこと、のちに越前府へ帰陣したことを記す南山巡狩録の記事。

  43. 前編1-No.1996 足利尊氏下文

    島津大夫判官宗久に信濃国太田庄内大蔵郷の地頭職を与え、早く領知して沙汰するよう命じた足利尊氏下文。No.1993の異本。

  44. 前編1-No.1997 川上頼久伝

    建武五年正月、足利尊氏が川上頼久の勲功を賞し、大隅国桑東郷を与えたことを記す川上頼久伝の記事。

  45. 前編1-No.1998 足利尊氏下文

    島津三郎左衛門尉頼久の勲功を賞し、大隅国桑東郷西を所領として早く知行するよう命じた足利尊氏下文。

  46. 前編1-No.1999 肝付兼重伝

    延元三年正月以降、指宿成栄が秦季師に属し、戦闘で子次郎忠泰ら多数が死傷したことを記す肝付兼重伝の記事。

  47. 前編1-No.2000 指宿成栄軍忠状

    指宿彦次郎入道成栄が過去の軍忠を述べた軍忠状。前年三月十七日に薩州大将の御下向へ馳参じ、数十度の合戦で敵を追い、鑑・一族大隅五郎兵衛・嫡子彦次郎らの軍功と打死を挙げ、証判と恩賞を求める。

  48. 前編1-No.2001 赤松円心請文

    播磨国下揖保庄東方地頭職について、白旗城軍勢への馳参を賞し、彼の軍勢に属して今後も合戦を継続することを条件に安堵する命令を受け、赤松円心が履行を請け負った請文。

  49. 前編1-No.2002 細々要記

    建武三年三月十五日、官軍が赤松方の籠る白旗城を包囲して攻撃したことを記す細々要記の記事。

  50. 前編1-No.2003 大日本史

    延元元年三月、新田義貞が京師を発し、赤松則村の籠る白旗城を遺右衛門佐脇屋義助らに攻めさせたことを記す大日本史の記事。

  51. 前編1-No.2004 島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が播磨国山之城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。二月十三日の攻撃で弟十郎忠範が右乳上を射られたことを挙げ、見知・証判を求める。

  52. 前編1-No.2005 本田久兼軍忠状

    本田次郎左衛門尉久兼が八幡・天王寺方面の合戦で軍忠を尽くした軍忠状。三月十三日の八幡合戦に大隅助次郎入道・東郷小三郎らと参加し、同十六日の天王寺合戦で高橋中務丞が見知したとして証判を求める。

  53. 前編1-No.2006 肝付兼重伝

    建武五年三月十三日、畠山直顕が凶徒追討のため日向国河北へ進み、士持宣栄へ書状を出したことを記す肝付兼重伝の記事。

  54. 前編1-No.2007 畠山直顕書下

    凶徒退治のため早く日向国富庄河北へ進発し、軍勢を率いて忠節を尽くすよう士持新兵衛尉へ命じた畠山直顕書下。

  55. 前編1-No.2008 肝付兼重伝

    建武五年三月以降、肝付兼重・野辺盛忠らが姫木城、平山式部少輔城、岩田城、清道城、日当山城などを攻めた経過を記す肝付兼重伝。園築瀬左衛門太郎宅の焼討ち、諸軍勢の救援、城兵の退却、二月末から三月の連戦を編年で記す。

  56. 前編1-No.2009 重久篤兼譜

    重久篤兼らの合戦経過を記す系譜記事。前年十二月から肝付兼重・野辺孫七盛忠・大隅助三郎忠国らが向城・橋木城を攻め、二月・三月に吉水・清水寺・鼻連山・日当山城へ転戦し、夜襲、焼討ち、敵の討取り、諸将の戦功を記す。

  57. 前編1-No.2010 重久篤兼軍忠状

    重久孫八藤原篤兼が肝付八郎兼重・野辺孫七盛忠らと凶徒追討に従事した軍忠状。前年十二月廿九日から向城・押寄橋木・出逢水・清水寺・鼻連山を攻め、三月十四日夜の合戦、同十五日の城攻め、同十八日の連山攻撃などを列挙し、死傷・軍勢配置を示して証判を求める。

  58. 前編1-No.2011 うは太郎母証文

    うは太郎母が子の扶養・給付をめぐる取り決めを仮名書きで記した証文。生後九年まで米二百文を年々与えること、わが身の事情で給付を怠らないこと、九月中に履行すること、相手方との約束を破らないことなどを具体的に誓約する。

  59. 前編1-No.2012 足利直義感状

    日向国の凶徒追討でたびたび軍忠を尽くした土持新兵衛尉を賞し、今後も忠勤を励むよう命じた足利直義感状。

  60. 前編1-No.2013 執印友雄契状

    勢方名内の僧膳米・武石棚斗をめぐり、道服へ入置した雑掌の用途質券を清算し、残る請文一通を渡すこと、翌年の取扱いを定めた執印友雄契状。

  61. 前編1-No.2014 本田久兼軍忠状

    本田次郎左衛門尉久兼が兵庫警固と湊河城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。四月十七日に警固へ赴き、六月二日の湊河城合戦、同三日の前城攻撃に加藤式部丞らと参加したとして、見知と証判を求める。

  62. 前編1-No.2015 本田久兼軍忠状

    No.2014と同文のため本文を省略した本田久兼軍忠状。

  63. 前編1-No.2016 島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が丹生寺の凶徒追討で軍忠を尽くした軍忠状。四月九日に生田前で合戦し、若党荒木又五郎が右足を射られ、六月には再度丹生寺へ向かったとして見知と証判を求める。

  64. 前編1-No.2017 本田久兼軍忠状

    本田次郎左衛門尉久兼が八幡城攻めで軍忠を尽くした軍忠状。六月廿七日に楯籠へ向かい、九日に洞塔下で合戦、城郭を押し寄せて自南手から攻撃し、小笠原孫六・愛甲九郎らと同所で戦ったことを述べ、見知と証判を求める。

  65. 前編1-No.2018 本田久兼軍忠状

    No.2017と同文のため本文を省略した本田久兼軍忠状。

  66. 前編1-No.2019 足利直義感状

    土持新兵衛尉の軍忠を、日向国大将軍島津上野修理亮七郎の注進により賞し、今後も忠節を尽くすよう命じた足利直義感状。

  67. 前編1-No.2020 沙弥某連署奉書

    藤馬左衛門入道自聴が申す島津院東方内石寺の田畠について、所詮・差遣代官を調べ、自聴へ渡付けるよう林輔房へ命じた沙弥某連署奉書。

  68. 前編1-No.2021 畠山直顕施行状

    肝付兼重以下の凶徒追討のため、寺尾善右衛門らに三俣院へ発向して軍忠を尽くすよう命じ、先に出された御教書を履行するよう求めた畠山直顕施行状。

  69. 前編1-No.2022 畠山直顕施行状

    No.2021と同文のため本文を省略した畠山直顕施行状。

  70. 前編1-No.2023 島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が丹生寺・加蘭坂・明石城などで軍忠を尽くした軍忠状。六月廿六日に丹生寺凶徒と戦い、翌日加蘭坂で合戦して馬を射られ、夜襲で明石城へ寄せ、若党山田左衛門次郎が討死するなどの損害を挙げ、見知と証判を求める。

  71. 前編1-No.2024 足利尊氏御教書

    寺社・本所・武家領を問わず所領を守り、当国分来月中に厳密に施行すること、違反して租返しを怠る者は任置せず処罰することを薩摩国守護へ命じた足利尊氏御教書。

  72. 前編1-No.2025 島津道鑑施行状

    足利尊氏御教書を受け、諸国守護の軍事・治安規律を薩摩国で施行するよう命じた島津道鑑施行状。国無益者の任用、寺社本所領・管領所地頭職への干渉、恩賞地の押妨、軍士の宿泊強要、引付奉書の不履行、政道の違乱などを列挙し、違反者を厳密に処罰するよう定める。

  73. 前編1-No.2026 赤松円心挙状

    播磨国白旗城軍勢と下揖保庄西方地頭島津周防五郎三郎忠兼の勲功を上申し、安堵・恩賞の沙汰を求めた赤松円心挙状。

  74. 前編1-No.2027 赤松円心書下

    白旗城での島津忠兼の勲功を賞し、播磨国下揖保庄西方地頭職を先例どおり支配するよう命じた赤松円心書下。

  75. 前編1-No.2028 畠山直顕書下

    日向国の凶徒肝付八郎兼重追討のため、土持新兵衛尉に国富庄名主・庄官らを背催して早く諸県北郷へ向かい、軍勢を率いて軍忠を尽くすよう命じた畠山直顕書下。

  76. 前編1-No.2029 酒勾久景打渡状

    寺社・本所・武家所領について閏七月廿九日付御教書を施行し、厳密に打ち渡すよう薩摩国地頭御家人へ命じた酒勾久景打渡状。

  77. 前編1-No.2030 足利直義御教書

    薩摩国泰平寺の塔婆を六十六基の一つとして建立し、存続させるよう泰平寺長老へ命じた足利直義御教書。

  78. 前編1-No.2031 肝付兼重伝

    国富庄の軍勢に通達が届かず参陣しなかったため、雀尾へ移陣させるよう命じたことを記す肝付兼重伝の記事。

  79. 前編1-No.2032 畠山直顕書下

    肝付八郎兼重追討のため、国富庄名主・庄官らに急いで雀尾へ参陣するよう命じた畠山直顕書下。

  80. 前編1-No.2033 赤松円心書下

    島津忠兼の白旗城での軍功を賞し、播磨国下揖保庄東方地頭職を先例どおり支配するよう命じた赤松円心書下。

  81. 前編1-No.2034 新田宮執印友雄重申状

    新田宮執印友雄が一宮八幡新田宮の社領・神用米をめぐる押領と違乱を重ねて訴えた重申状。阿多郡北方領主隠岐三郎左衛門入道行存・周防五郎三郎らによる所役米の押領、御教書・御事書への違背、神人・僧侶への狼藉、社殿修理の妨害などを列挙し、先例と御教書に従う厳密な裁許を求める。

  82. 前編1-No.2035 足利尊氏下文

    島津安芸守の勲功を賞し、所領を与えて先例どおり沙汰するよう命じた足利尊氏下文。

  83. 前編1-No.2036 足利尊氏下文

    No.2035と同文のため本文を省略した足利尊氏下文。

  84. 前編1-No.2037 高師直奉書

    島津安芸守への勲功賞と所領沙汰を伝達した高師直奉書。本文は前号と重複するため一部省略される。

  85. 前編1-No.2038 肝付兼重伝

    暦応二年正月以降、財部城・大和田城をめぐる合戦で猪俣新左衛門尉らが奮戦した経過を記す肝付兼重伝。新左衛門尉が数十戦で傷を負い、二月・四月の攻防で諸将が戦死・負傷したことを記す。

  86. 前編1-No.2039 畠山直顕挙状

    日向国土持新兵衛尉宣栄が長年にわたり軍忠を尽くし、多度の負傷を受けたことを上申し、恩賞を求めた畠山直顕挙状。

  87. 前編1-No.2040 畠山直顕感状

    肝付八郎兼重らの凶徒追討と姫籠大岩田城攻略で忠功を尽くした祢寝弥次郎を賞し、恩賞に与える旨を伝えた畠山直顕感状。

  88. 前編1-No.2041 豊後国守護代正全請文

    豊後国井田郷について御教書を受け、戸次豊前太郎代へ引き渡して以後は守護代が関与しない旨を請け負った豊後国守護代正全請文。

  89. 前編1-No.2042 妙義譲状

    薩摩国山門院内城入道屋敷と西桃木田五段を嫡子二郎太郎へ譲り、証文どおり永代相伝させ、他の者が違乱してはならないと定めた妙義譲状。

  90. 前編1-No.2043 秀貞譲状

    薩摩国山門院古城薗の屋敷、宮郷田五反、高小野名内太郎丸作四至、田屋敷などを熊松へ譲り、相違なく領知させるよう定めた秀貞譲状。

  91. 前編1-No.2044 秀貞譲状

    山門院高小野名内の田畠などを熊松へ譲り、相違なく領知させるよう定めた秀貞譲状。前号に連なる所領譲与文書。

  92. 前編1-No.2045 肝付兼重伝

    暦応二年六月以降の碇山城・淡河城周辺の攻防を記す肝付兼重伝。秦季使・南方衆・和泉保末らの兵が碇山城を攻略し、押寄せ・退却・追撃を繰り返したこと、淡河城で村田如厳・東郷彦三郎・島津忠国らが戦い、六月朔日から廿九日にわたって城郭を攻めたことを記す。

  93. 前編1-No.2046 道顕・久景連署施行状

    宮里六郎次郎の碇山城での軍忠を賞し、関所地行候と母・子細の扱いを先例どおり沙汰するよう命じた道顕・酒勾久景連署施行状。

  94. 前編1-No.2047 和泉実忠譜

    暦応二年正月以降の和泉実忠らの軍事行動を記す系譜記事。島津忠国の指揮で和泉庄を守り、淡河城・橋木城・湊川・碇山城などへ転戦し、敵城の攻略、退却、攻温田城、諸将の軍功を時系列で記す。

  95. 前編1-No.2048 村田如厳軍忠状

    村田輔阿闍梨如厳が島津図書助忠国に属して淡河城・碇山城などで軍忠を尽くした軍忠状。六月一日の淡河城攻め、同二日の城郭突入、同十三日の再合戦、東郷彦三郎・和泉保末らとの戦闘、敵の討取り・追散しを列挙して証判を求める。

  96. 前編1-No.2049 雑訴決断所牒

    薩摩国衙内山田・上別府両村の地頭所務と得分物をめぐり、件両村所務以下を任谷山五郎入道覚信代教信の請文に従って処置し、理由を報告するよう命じた雑訴決断所牒。

  97. 前編1-No.2050 酒勾久景預ケ状

    軍忠を賞し、薩摩郡薩摩郡竹内平八跡の田地、青木田壱町、井竹内薗壱所などを竹内平八へ預け置いた酒勾久景預ケ状。

  98. 前編1-No.2051 酒勾久景書状

    比志島氏の還住を喜び、京都の静謐を報じ、国奉行の処置や近く下向する用事について連絡した酒勾久景書状。

  99. 前編1-No.2052 比志島範平代椎原惟種軍忠状

    比志島彦一丸代椎原次郎惟種が守護御方に属して軍忠を尽くした軍忠状。前年六月から淡河城・湊川・碇山城などへ転戦し、同国入来院の戦闘、七月の攻城、島津図書助忠国らとの合戦を列挙して参刻・証判を求める。

  100. 前編1-No.2053 和泉保末軍忠状

    和泉保末が高尾野・山城方面で軍忠を尽くした軍忠状。六月廿日に敵城へ攻め寄せ、退却時に左手を負傷し、同廿九日の合戦でも軍忠を尽くしたとして、見知と証判を求める。