ARCHIVE DIRECTORY
前編1の目録
旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。
全2,673件中 201~300件・3 / 27ページ
前編1-No.170 藤井正弘薗田借文
藤井正弘が稲荷一所と少田を借り受けた借文。借用地を他人へ処分せず、庄務の事情が整い次第、本主の沙汰に従って返付・弁済することを約束し、後日の証拠とする。
前編1-No.171-1 名勝考
名勝考。郡本村の稲荷大明神の鎮座、祝吉御所跡、山門院からの遷座や寺院創建に関する地誌・由緒を記す。
前編1-No.171-2 伊地知季安考
伊地知季安による稲荷社・寺院由緒の考証。祝吉御所跡からの遷座、郡本村と島津院の地名関係、開山僧・寺領寄進・造営年代を複数の旧記で比較する。安養院・阿弥陀仏、稲荷神体や社壇の由来、史料間の年紀・伝承の相違も指摘する。
前編1-No.172 延喜式
延喜式兵部省の諸国器仗・駅馬条。大隅国・薩摩国の駅馬、伝馬と各駅・郡ごとの定数を列記する。
前編1-No.173 無名抄
無名抄。筑紫から南の大隅・薩摩を詠んだ歌と、四月・五月をめぐる語句の解釈を伝える歌論記事。
前編1-No.174 前右大将家政所下文
前右大将家政所が惟宗忠久に、薩摩・大隅両国の家人を内裏大番役へ動員するよう命じた下文。忠久を奉行人として大番勤仕を統括させ、家人の怠慢・狼藉を停止し、内裏守護を果たさせる。
前編1-No.175 内裏大番役支配注文
薩摩国御家人へ内裏大番役を割り当てた支配注文。川辺平二郎、伊作三四郎、薩摩太郎、鹿児島郡司、頴娃平太らを列挙し、各家人が分担に従って参勤するよう命じる。
前編1-No.176 内裏大番役支配注文
薩摩国の郡司・院司・在国司らに内裏大番役を配分した注文。知覧郡司・山門郡司・市来郡司・魔嶋郡司、河辺平次郎・伊作平四郎・薩摩太郎ら多数の名を掲げ、役の勤仕を命じる。
前編1-No.177 内裏大番役支配注文
内裏大番役の追加支配注文。大村市来郡司・別府五郎・魔嶋郡司・河辺平次郎・伊作平四郎・薩摩太郎・和泉小太夫らを列挙し、明春三月中の参洛と所定役の勤仕を求める。
前編1-No.178 大隅国御家人交名
大隅国の国方・郡司・院司ら御家人を列挙した交名。税所篤用、曽野郡司篤守、加治木郡司吉平、帖佐郡司高助、肝付郡内内浦柏原別府、祢寝郡司らを地域・職ごとに配置し、大隅国内の在地勢力を示す。
前編1-No.179 関東御教書
大隅国宮内の社家に関する関東御教書。鹿屋弁済使名田、真幸院・満家院・穂佐院の郡司名田、南郷弁済使名田、宮里郡司名田などを列記し、島津左衛門尉に早く知行させるよう命じる。
前編1-No.180 関東御教書
前号に続き、家人名簿を確認し、役負担と命令の履行を島津左衛門尉へ指示した関東御教書。
前編1-No.181 豊津友安奉免状
城新郡司豊津友安が、八幡新田宮の燈油料田九段・十代を奉免した譲状。高城郡谷口の田地を掲げ、本領主時吉の灯油料田として寄進された由緒と、随国免の扱い、永年の奉免を確認する。
前編1-No.182 関東御教書
右大将家の命を島津左衛門尉へ伝え、国中の家人に所定の勤仕をさせ、違背を停止するよう命じた御教書。
前編1-No.183 源頼朝譜
頼朝公譜中の記事。建久十年の改元・死去、法師新造の橋、供養や所領記事、和歌を収める。
前編1-No.184 若狭島津系図
若狭島津系図。島津忠久一族の系譜、忠季らの兄弟関係、所領継承と守護代の由緒を記す。
前編1-No.185 東鑑
東鑑の記事。正治元年十月廿八日、結城朝光の発言をめぐる訴えと梶原景時の讒言、御家人の連署・処分を記す。
前編1-No.186 島津忠久譜
島津忠久譜。正治二年二月廿六日、忠久が将軍頼家の鶴岡八幡宮参詣に供奉したことを記す。
前編1-No.187 若狭島津忠季譜
若狭島津忠季譜。正治二年二月廿六日、忠季が将軍頼家の鶴岡八幡宮参詣に供奉したことを記す。
前編1-No.188 島津国史
島津国史。忠久の系譜と守護・地頭職、頼家政権下の動向、島津氏の所領と諸家の由緒を考証する。
前編1-No.189 関東下知状
水引執印氏文書。薩摩国御家人魔嶋中務次郎康邦と矢上左衛門尉盛澄の後家との相論について、関東が双方の主張・証文を踏まえて裁許を示した下知状。
前編1-No.190 島津忠時譜
島津忠時譜。忠時の生年・母系・兄弟、忠久からの家督継承、守護職と子孫の系譜を記す。
前編1-No.191 西藩野史
『西藩野史』の記事。建仁二年、島津忠久が比企能員を将軍頼家と議して討とうとしたとの疑いを受け、頼家から廃絶を命じられたという伝承を記す。忠久が当時国元にいて事件を知らなかったことにも触れる。
前編1-No.192 蔵人所下文
大隅国臺明寺の寺領・住僧に関する訴えについて、先例と証文を調べ、妨害を停止するよう命じた蔵人所下文。
前編1-No.193 蔵人所下文
臺明寺の僧・所領をめぐる争いについて、在庁官人らに調査と裁許を命じ、違乱を止めさせた蔵人所下文。
前編1-No.194 権大進藤原某書状
臺明寺の訴訟・寺領処理について、関係者へ先例に従うよう伝えた権大進藤原某の書状。
前編1-No.195 薩摩郡司平忠直譲状
薩摩郡司平忠直が七男亀童丸へ所領・職掌を譲った譲状。薩摩郡内の四至を東の田畔、南の河、西山際、北の湯谷などで示し、寺社奉仕と所務を亀童丸および子孫へ継承させ、他の子孫による綺いを禁じる。
前編1-No.196 関東下文
大隅国祢寝南俣院地頭職をめぐる関東下文。地頭の死去後に所務を争う者を退け、先代からの相伝と現知行を証拠に地頭職を安堵し、左右からの妨害を止めて沙汰させる。
前編1-No.197 北条時政書状
北条時政が島津左衛門尉へ、大隅国祢寝郡司入道に御下文を与えて帰国させたので、その趣旨を心得るよう伝えた書状。
前編1-No.198 島津忠久譜
『島津忠久譜』と『東鑑』の記事。建仁三年、比企能員の変に連座して、忠久が日向国守護職などを没収された経緯を記す。忠久は遠国にいて能員の謀反に関与しなかったとし、のちに薩摩国守護職を回復したこと、所領没収後の処遇を述べる。
前編1-No.199 島津忠久願文
島津忠久の願文。衆集院本堂一宇(三間四面)の造立を発願し、上洛中の無事、天下泰平、家門安穏を祈る。堂宇建立を速やかに進めるよう述べ、所職・散在名田島などの知行を確認する。
前編1-No.200 島津家譜略
『島津家譜略』の記事。建仁三年九月四日、外伯父比企能員の罪により島津忠久の日向・大隅・薩摩三国の所領・守護職が没収されたこと、『東鑑』では忠久が遠国にいて事件に関与しなかったとされ、薩摩国の所職を回復した経緯を記す。
前編1-No.201 東鑑
東鑑の記事。建仁三年九月四日、比企能員の変に関連して忠久の所領・守護職が処分され、その後の沙汰が行われたことを記す。
前編1-No.202 北条時政下文
北条時政が惟宗康友を薩摩国新田宮の執印職および五大院主職に補任した下文。康友に神社・院の所務を先例どおり勤めさせ、関係者に補任を承知して妨げないよう命じる。
前編1-No.203 島津庄政所下文
島津庄政所が庄内各院・郡へ弁済使得分米を配分した下文。下大隅郡、鹿屋院、串良院、小原別府、祢寝院、肝付郡、柏原別府などごとに得分米を定め、以前の例に従って収納・運上するよう命じる。
前編1-No.204 島津庄政所下文
原資料は「二〇三号文書ト同文」として本文を省略する。No.203に相当する島津庄政所下文の重出。
前編1-No.205 薩摩国図田帳抄
建久八年の薩摩国図田帳の抜書とされる記録。牛屎院・鹿屋院などの田地、名主、給分を列記する。
前編1-No.206 薩摩国分寺由緒
薩摩国高城郡国分寺の寺地、天満宮・村上天皇勅願など、創建と寺領の由緒を記す。
前編1-No.207 北条時政下文
島津左衛門尉忠久の訴えを受け、在地役人の不法を停止し、先例に従って所務を行わせるよう命じた北条時政下文。
前編1-No.208 北条時政下文
島津庄山門院の住人に対し、先例と由緒に基づく職掌・所務を認め、違乱を停止するよう命じた北条時政下文。
前編1-No.209 島津国史
島津国史。建仁年間の忠久の処遇、守護職と所領の変動、比企氏・北条氏との関係を諸史料から考証する。
前編1-No.210 島津庄政所下文
島津庄内の所領・神田と役負担について、当知行を認め、先例どおり所務を行わせるよう命じた政所下文。
前編1-No.211 大隅正八幡宮公文所下文
大隅正八幡宮領内の所職・所領争いについて、関係者の訴えを調べ、先例と道理に従って処理するよう命じた公文所下文。
前編1-No.212 紀正家寄進状
宮里郷地頭紀正家が志奈男社へ修理料田を寄進した文書。字井□の田三段と長島一所を掲げ、荒野化した社領の再興、郷の鎮守としての神威、息災祈祷と社殿修造を目的に寄進し、社家へ永く知行させる。
前編1-No.213 殉国名藪
『殉国名藪』の記事。元久二年六月二十一日、本田左衛門尉貞親が武州二俣川で畠山重忠の難に従い、力戦して死亡したと記す。畠山重忠に従った人物の最期を伝える短い戦死記事。
前編1-No.214 中原師顕挙状
臺明寺衆徒らの訴えと狼藉・寺領問題について奏聞し、事情を調査して処置するよう求めた中原師顕挙状。
前編1-No.215 伏見天皇綸旨
臺明寺衆徒の訴えについて、天皇の意向を伝え、関係者へ事実確認と処置を命じた綸旨。
前編1-No.216 左衛門尉経清奉巻数請取状
祈祷の巻数を受け取ったことを認め、引き続き祈祷を勤めるよう伝えた左衛門尉経清奉の請取状。
前編1-No.217 修理亮某巻数請取状
臺明寺衆徒が奉った祈祷巻数を受領したことを認め、祈願を継続するよう伝えた修理亮某の請取状。
前編1-No.218 僧印西田地売券
目録標題は「僧印西田地売券」だが、本文は「譲状」と記す。曽於郡内、字花牟礼の田地一段半について、先年、法華経三部読誦の布施として鏡能房から伝得した由緒を示す。僧印西は要用が生じたため、関係証文を添えて僧弁へ譲り、この処分に問題が生じた場合は自ら沙汰すると約した。さらに後日の証拠となる券状を詳しく書き…
前編1-No.219 地頭所下文
地頭所が南郷沙汰人へ、安堵女房千世松母堂の居屋敷を安堵した下文。証文と相伝の由緒を認め、沙汰人や周辺住民に妨害せず知行させるよう命じ、屋敷支配を保障する。
前編1-No.220 平氏田蘭田地売券
平氏が田地を代価と引き換えに売り渡し、買主の永代知行と将来の違乱停止を仮名書きで誓約した売券。
前編1-No.221 藤原篤満田地売券
藤原篤満が相伝してきた田地四段を売り渡した売券。田地の坪付と三反・一反などの内訳を記し、代価を受領して買主へ永代相伝させ、将来の違乱があれば売主側で処理すると定める。
前編1-No.222 肝属譜
肝属譜。肝付氏の祖先から兼俊・兼経・兼益らへ至る系譜、婚姻、所領継承を系図形式で示す。
前編1-No.223 島津庄預所下文
島津庄預所が兼廣を鹿屋院弁済使職に補任した下文。兼廣の家の旧来の奉仕を踏まえて鹿屋院の収納・弁済を担当させ、院内の住民へ補任を承知し所務に従うよう命じる。
前編1-No.224 島津庄預所下文
No.223と同日・同趣旨の鹿屋院弁済使補任下文。島津庄預所が兼廣を弁済使職に定め、百姓らに補任を承知させ、年貢・公事の収納と院内所務を違失なく勤めさせる。
前編1-No.225 台明寺衆僧起請文
台明寺衆僧二十二人が連署した起請文。年行事・義問答の勤仕給や祈田をめぐる濫行を戒め、給付を私物化せず寺内の定めに従うこと、違反者には処罰・給分停止を行うことを神仏に誓う。
前編1-No.226 官宣旨
大宰府官人らに対し、官符に従って所定の手続きを行うよう命じた官宣旨。
前編1-No.227 大隅国司庁宣
大隅国司庁が府官・留守所へ、新制雑事十一箇条について、件の雑事を早く施行するよう命じた庁宣。
前編1-No.228 大府宣
大宰府が大隅国司へ、官符と新制に基づく処置を速やかに行うよう伝えた大府宣。国内の府官・使者の運用や雑事の負担を定め、留守所へ宣下して違反なく実施させる。
前編1-No.229 僧智恵申状
僧智恵の申状。南郷内門貫山寺の寺領について、開基僧の子孫と称する者が地頭代へ訴え、寺僧の所領を押領したと述べる。忠久が地頭在任時に相伝を安堵した由緒、講衆成覚房・禅房大徳の継承、地頭代の非法を挙げ、寺領回復と裁許を求める。
前編1-No.230 島津忠久譜
建暦三年の和漢記事可読申請と内忠久有之の注記を載せる島津忠久伝記記事。
前編1-No.231 島津忠久譜
島津忠久譜の和田合戦記事。建暦三年五月三日の和田義盛挙兵に際し、忠久が幕府方として戦って戦功を挙げ、五月七日に甲斐国波加利新庄を恩賞として与えられた経過を記す。
前編1-No.232 島津忠久譜略
『島津忠久譜略』の記事。和田義盛の乱で忠久が幕府方として戦い、義盛軍の営を破って戦功を挙げ、甲斐国波加利新庄を恩賞として与えられたことを日付とともに略記する。
前編1-No.233 殉国名藪
和田義盛の乱における忠久と祝所次郎の戦功・戦死を記す記事。
前編1-No.234 将軍家政所下文
将軍家政所が惟宗忠久を島津庄内薩摩方住人の地頭職に補任した下文。和田合戦などでの忠久の奉公を賞し、現地の所務・年貢沙汰を先例どおり執行させ、住民にその支配を承知させる。
前編1-No.235 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。建暦三年八月二十六日、将軍家の御手廣元朝臣宅への移徙に際し、供奉五十五人のうち島津忠久が御後に随従したことを記す。
前編1-No.236 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。建保二年七月十七日、大倉大慈寺供養の将軍家御出に際し、供奉十八騎の中に島津忠久が加わったことを記す。
前編1-No.237 島津忠久譜
『吾妻鏡』の記事。建保四年七月十九日、小河法師忠快が相模川で六字阿臨法を修し、将軍家御出の供奉者に島津忠久が加わったことを記す。
前編1-No.238 武蔵国留守所下文
武蔵国留守所が二宮神官・百姓らへ、御下文に基づき惟宗忠久を地頭職として受け入れるよう命じた下文。忠久の使者に所務を執行させ、社領・年貢沙汰を妨げないよう求める。
前編1-No.239 若狭島津忠季譜
『若狭島津氏忠季譜』の記事。建保二年七月二十七日、大倉大慈寺御堂供養に忠季が将軍家の供奉人十三人の一人として随従したことを記す。
前編1-No.240 関東御教書
北条義時が島津忠久へ、薩摩国御家人らの訴えを受けて沙汰するよう命じた関東御教書。御家人の対捍・役負担をただし、鎌倉殿の下知に従って国内の争いを処理するよう求める。
前編1-No.241 島津忠久書状
薩摩国の状況や京都への連絡、所領・軍事上の諸事を述べた忠久の書状。
前編1-No.242 西藩野史
『西藩野史』の記事。承元・建保年間の和田義盛の挙兵と敗死を叙し、島津忠久が幕府方として戦功を挙げた経過を記す。義盛一族の蜂起、北条義時方との戦闘、討死者、忠久への甲斐国波加利新庄の恩賞、その後の忠久の奉公・上洛・薩摩への寺院建立伝承までをまとめる。
前編1-No.243 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。建保四年七月十九日、小河法印忠快が相模川で六字阿臨法を修した際、将軍家御出の供奉六十二人の一人として島津忠久が加わったことを記す。
前編1-No.244 平秀忠譲状
平秀忠が薩摩国山門院針原村の田畠・荒野・屋敷を子孫へ譲った譲状。秀忠の父から譲られた所領を子五人・孫へ分け、勘当された者や後に不孝となった者の相続扱いも定める。
前編1-No.245 平秀忠名簿
平秀忠が主君へ提出した名簿。姓名を記して奉公・服属を誓い、建保五年五月二十九日付で島津左衛門尉忠久へ進上した。
前編1-No.246 山門院地頭所務和与状
山門院地頭所務をめぐる和与状。山門院の地頭将倉の開発地について、止雨方と開発方を分け、地頭役・在家役・年貢などの負担を双方で配分する。土地境界、百姓の所属、収取方法を定め、以後の相論を止める。
前編1-No.247 源宗久愁状
源宗久が山門院の所務和与をめぐる濫行を訴えた愁状。宗久妻の父祖相伝所領であることを述べ、地頭側が和与条件を破り代官を逃亡させたとして、幕府の裁許と所務回復を求める。
前編1-No.248 島津庄政所施行状
島津庄政所が山門院の地頭所務争いに裁許を施行した文書。源宗久側と相手方の和与・証文を踏まえ、山田村名頭職などの所務を分け、庄内で裁定どおり実行するよう命じる。
前編1-No.249 講衆僧覚仁譲状
講衆僧覚仁が字浄妙房得分事として、阿弥陀経講一町・田地三段を弟子へ譲った譲状。譲与地のうち本券を手次の状と合わせ、証文・房の許可・後日の沙汰を条件に知行させ、異議を禁じる。
前編1-No.250 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。建保六年六月十七日、将軍家が大将御間で御拝賀を行い、参鶴岡宮給の供奉十九人の中に島津忠久が加わったことを記す。
前編1-No.251 若狭島津忠季譜
『若狭島津氏忠季譜』の記事。建保六年六月十七日、将軍家の大将御間での御拝賀・鶴岡宮参詣に際し、供奉十九人の一人として島津忠季が随従したことを記す。
前編1-No.252 若狭島津忠季譜
『若狭島津忠季譜』の記事。建保六年九月十三日、明月の営中和歌御会に島津忠季らが御使として出席し、若狭左衛門尉忠季が披講、鶴岡宮臨動に奉仕したことを記す。
前編1-No.253 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。薩摩国満家院厚智山花尾権現の創建由緒を述べ、夫薩摩州満家院の夫婦・丹後局の縁、権化僧永金阿闍梨、社殿造営・神鏡奉納、神体仏像の祭祀などを記す。
前編1-No.254 北条義時書状
北条義時が島津忠久へ、薩摩郡内山田村本領主大蔵氏の訴えを折紙で伝え、相伝所領に対する押領を停止し、早く道理に任せて処置するよう命じた書状。
前編1-No.255 島津忠久安堵状
島津忠久が大蔵氏女に薩摩郡内山田村の名頭職を安堵した文書。大蔵氏女が所持する相伝証文を確認し、外題・安堵状を与えて村の所務を認め、親族や地頭側の妨害を禁じる。
前編1-No.256 阿弥陀仏光背銘
承久元年正月吉日、上品上生阿弥陀仏一体を奉安置した光背銘。無量寿尊への帰依と九品往生の願いを記し、施主・造像者が子孫の繁栄、国家泰平、怨敵退散を祈願する。
前編1-No.257 若狭島津忠季譜
『若狭島津氏忠季譜』の記事。承久元年正月二十七日、将軍家の鶴岡八幡宮参詣で島津忠季が供奉し、夜陰神拝後に退出する際、右大臣家の別当として随従したことを記す。
前編1-No.258 島津国史
『島津国史』の記事。承久元年前後の朝廷・鎌倉の動向を記し、北条義時の執権、藤原頼経の鎌倉下向、後鳥羽院方との緊張、島津忠久・忠季らの奉仕を年次で叙述する。
前編1-No.259 島津忠久譜
『島津忠久譜』所収の承久の乱後の記事。後堀河天皇への代替わり、九条頼経の鎌倉下向を述べ、忠久が越前国守護人・地頭職などを安堵され、藤原姓を称するに至った経緯を記す。
前編1-No.260 阿弥陀仏光背銘由緒記
串木野冠嶽山鎮国寺頂峯院の本尊阿弥陀仏に関する由緒。承久元年正月吉日、四十一歳の時安置した旨の光背銘を引き、護持篤信、怨敵退散、子孫繁栄を願ったことを記す。
前編1-No.261 島津光久関係記事
寛陽公が霊仏であることを聞き、住僧全有法印に命じて府城の看経所へ安置させたとし、現在の本尊はその際に賜ったものだと伝える記事。
前編1-No.262 山田聖栄日記
山田聖栄の自記。承久年間の京都・関東の兵乱に際し、島津忠久が関東方に属し、弟忠季らも従軍したことを述べる。道仏公が敵五人を斬り二人を生け捕ったことなど、島津一族の戦功を伝える。
前編1-No.263 島津忠久譜
『島津忠久譜』の記事。承久三年六月、島津忠久が惟宗氏を改めて藤原氏を称したことを記し、後世の説明として近衛家との関係に触れる。
前編1-No.264 島津家譜略
『島津家譜略』の記事。忠久出生の由緒と近衛家の加恩に触れ、承久三年六月、忠久を契子としたため惟宗氏を去って藤原姓を称し、桐・牡丹の紋を用いたと記す。
前編1-No.265 酒勾安国寺申状
安国寺申状の記事。判官職を渡す際に藤原姓を用いるべきかが問題となり、宗家の系図を求めて確認したこと、師久が判官となった時の宣旨に「藤原師久」とある明証を見いだした経緯を述べる。
前編1-No.266 島津家譜略
『島津家譜略』の記事。承久二年七月、島津忠久が越前国守護に補任され、その後、越前の所領を二男忠綱へ譲ったことを記す。
前編1-No.267 平忠道寄進状
平忠道が薩摩国薩摩郡串木野村内の私領を冠嶽の霊山寺へ寄進した文書。四至を示し、寺領として長く維持して仏事を勤め、後世に妨げないことを定める。
前編1-No.268 智徳去文
智徳が源太子から伝領した田地を大覚房一町および阿弥陀経各二十巻の布施所として配分した去文。生前・死後の管理と読誦供養の継続を定め、他国移住や違背を禁じる。