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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 1601~1700件・17 / 27ページ

  1. 前編1-No.1557 渋谷元祐請文

    諸三郎丸が山田・上別符両村地頭職の安堵を求めた件について、関係者へ触れ知らせるよう命じられた渋谷元祐が、請文を提出して従うと答えた文書。

  2. 前編1-No.1558 源兼義譲状

    源兼義が蒲生土山内の水田・畠地、寺屋敷などを譲り渡した仮名書きの譲状。正文を添え、受領者が永代に知行し、後日の妨げがないよう定める。

  3. 前編1-No.1559 鹿屋院雑掌兼信申状

    鹿屋院雑掌兼信が、惣地頭代官による院田・水田・山野の押領と年貢済物抑留を訴えた申状。内検を妨げ、三十余町の水田を押作したこと、長年の未進を挙げ、領家御年貢の回復と違乱停止を求める。

  4. 前編1-No.1560 鹿屋院惣地頭代押領田在家山野注文

    鹿屋院惣地頭代が押領・抑留したとされる院田・在家・山野を五頁にわたり列挙した大部の注文。押作田三十二町五段余をはじめ、各村・小字ごとの反別、年貢米・銭、除地・寺社領・名主得分、地頭代官・百姓名を対応させ、康元以来の押領経過と収取額を詳細に示す。

  5. 前編1-No.1561 新田宮雑掌道海重申状

    八幡新田宮雑掌道海が、延時又三郎入道が度々の御下知に背き、当宮の御神拝内壁石・御供米を抑留していると訴え、先に提出した御教書案などを踏まえ、定法に従って裁許するよう求めた重申状。

  6. 前編1-No.1562 和泉忠氏系図

    和泉忠氏(初名実忠)を島津忠宗の二男とし、三郎兵衛尉・左兵衛尉・豊後守・下野守などの称を掲げる系図。建武年間、高越後守師泰・斎藤弥四郎左衛門尉利泰ら三人が鎮西成敗職として博多に在ったことも記す。

  7. 前編1-No.1563 和泉忠氏譜

    元徳二年以前、実忠が新田宮領を所領しながら御供米を納めなかったため雑掌道海が訴え、実忠が非を認めたのち、同年十月廿五日に鎮西探題北条英時が弁済を命じる文書を出した経緯を記す和泉忠氏の譜記事。

  8. 前編1-No.1564 鎮西下知状

    八幡新田宮雑掌道海と島津三郎兵衛尉実忠との、宮免田御供米をめぐる相論を裁いた下知状。実忠が元亨三年以後も御供米を抑留したこと、召文への返答を怠ったことを確認し、毎年の御供米を弁済するよう命じる。

  9. 前編1-No.1565 鎮西御教書

    新田宮雑掌が段米以下の件を重ねて訴えたため、先に催促したにもかかわらず返答しない大隅新三郎へ、来月十五日以前に事情を明らかにするよう命じた鎮西御教書。

  10. 前編1-No.1566 渋谷覚禅施行状

    八幡新田宮雑掌の訴えに基づき、御神拝に関わる神馬・御供米などについて、早く弁明を提出するよう延時又三郎入道へ伝えた渋谷覚禅の施行状。

  11. 前編1-No.1567 鎮西下知状

    八幡新田宮雑掌道海が、正月七日の若菜御供米を給黎院所役の地から徴収すべきだと訴えた件を裁く。道慶は他名所役地とするが証拠を示さず、禅意は給黎院三郎忠世の召文などを提出したため、禅意の知行を認め、忠世に給黎院一分地頭として若菜御供米を催促させる。

  12. 前編1-No.1568 鎮西下知状

    伊集院土橋名一分の警固用途をめぐる禅意と道慶の相論。禅意は道慶が警固用途を催促したと訴え、道慶は土橋名内の別知行地の負担だと反論した。双方の召文・申状と支配関係を検討し、当該地が禅意の所役であるとして道慶の違乱停止を命じる。

  13. 前編1-No.1569 延時名交名注文

    薩摩郡延時名に属する者を列記した交名注文。吉富又太郎入道、延時孫三郎入道、延時又三郎入道、東郷入道、東郷六郎入道、同妹中左、同大夫房、在国司入道、白浜五郎入道、山田九郎入道などを掲げる。

  14. 前編1-No.1570 谷山覚信代教信重申状

    谷山郡山田・上別府両村惣地頭職をめぐり、谷山五郎入道覚信の代教信が道慶方へ反論した重申状。覚信は祖父信忠以来の譲状・安堵と先例を示し、関東御下知による所職帯有を主張する。道慶の和与・地頭名子・所務配分などの主張を条ごとに退け、両村地頭職の安堵と違乱停止を求める。

  15. 前編1-No.1571 鎮西御教書

    上野平九郎入道禅意が、道慶に農具等を抑留されたと訴えた件について、論物を保全し、道慶を召し出して対決のうえ沙汰するよう山口平四郎へ命じた鎮西御教書。

  16. 前編1-No.1572 鎮西下知状

    伊作庄坂本村の井面田・壺町伍段・屋形・香六薗・市場在家等をめぐる澄円と道慶の相論。澄円は北方内の領家雑掌承信からの譲与を、道慶は先祖以来の地頭職知行を主張した。関係下知状、譲状、和与状を検討し、澄円方の訴えを退けて道慶の知行を認める。

  17. 前編1-No.1573 日置伊作庄文書請取状

    日置伊作庄関係文書の請取状。正応五年十一月の州日伊作庄三ヶ名和与状、同六年正月の御下知状、伊作日置下地中分正文、日置北郷内吉利名御下知、伊作庄坂本刑部房澄円申公事用途御下知、比志嶋孫太郎入道佛念検断和与状などの通数を列記する。

  18. 前編1-No.1574 鎮西御教書

    八幡新田宮雑掌道海が、免田壺町の御供米について重ねて訴えたため、相手方へ任先下知状の趣旨に従って弁済し、なお異論があれば陳状を提出するよう命じた鎮西御教書。

  19. 前編1-No.1575 和泉忠氏譜

    元徳三年五月、実忠が命に従わず新田宮の遺租を納めなかったため、雑掌道海が再訴し、鎮西探題北条英時が実忠へ改めて弁済を命じたことを記す和泉忠氏の譜記事。

  20. 前編1-No.1576 新田宮雑掌道海重申状

    八幡新田宮雑掌道海が、島津三郎兵衛尉実忠による免田一町の御供米抑留を重ねて訴えた申状。前年十一月廿五日の下知、預御下知・御教書などを示し、実忠がなお年々の御供米を納めないとして、先の裁許どおり弁済させるよう求める。

  21. 前編1-No.1577-1 和泉実忠譜

    元徳三年六月になっても実忠が免田の遺租を納めず、新田宮雑掌道海が再訴したことを記す和泉実忠の譜記事。

  22. 前編1-No.1577-2 新田宮雑掌道海重申状

    八幡新田宮雑掌道海が、島津下野三郎兵衛尉実忠による宮免田壺町の御供米抑留を訴えた重申状。度重なる裁許にもかかわらず前年分を弁済しないとして、追って下知し、今後の抑留を停止させるよう求める。

  23. 前編1-No.1578 和泉実忠譜

    元徳三年七月になっても実忠が免田遺租を納めず、雑掌道海が再び催促したため、鎮西探題北条英時が実忠へ履行を命じたことを記す和泉実忠の譜記事。

  24. 前編1-No.1579 鎮西御教書

    八幡新田宮雑掌が免田御供米について重ねて訴えたため、先の裁許後も履行しない島津下野三郎兵衛尉実忠へ、御供米を弁済し、なお異論があれば陳状を提出するよう命じた鎮西御教書。

  25. 前編1-No.1580 武光日妙譲状

    武光氏日妙が三郎重兼へ、薩摩国高城郡吉枝名惣領、同郡本方徳名内田薗、国富里郷の権二郎名惣領、清水寺別当職・免田薗山野、国太田庄南郷の在庁職などを譲る。重代相伝として子息重兼へ永代譲与し、兄弟・後代の違乱を禁じる。

  26. 前編1-No.1581 武光日妙譲状

    No.1580と同文であるため本文を省略した武光日妙譲状。元徳三年七月十三日付で、三郎重兼への高城郡吉枝名ほか所領・所職の譲与を示す。

  27. 前編1-No.1582 島津道鑑譲状

    島津道鑑が宗久の生松丸へ、薩摩国高城郡吉枝名、国富里郷、国太田庄南郷などの田畠・屋敷・所職を譲った仮名書きの譲状。生松丸を嫡子として一期分を与え、弟や子孫への相伝を認める一方、後家・女子への永代譲与を禁じ、違反時は他の子へ譲ると定める。

  28. 前編1-No.1583 和泉実忠譜

    元徳三年、比志島彦太郎実忠の地頭任所について幕府命令が出され、前年の訴訟・補任を踏まえて支配が定まったことを記す和泉実忠の譜記事。

  29. 前編1-No.1584 沙弥津性書状

    比志島地頭所務について和泉殿の御書下を受け、その案文を進上するので内容を了承されたいと、比志島彦太郎入道へ伝えた沙弥津性の書状。

  30. 前編1-No.1585 沙弥きやうにん田地売券

    沙弥きやうにんが、薩摩国高城郡吉枝名内の亡父きゃうゑんから譲られた田地を銭十五貫文で売却した仮名書きの売券。売買対象と代銭を明記し、買主の知行を保証する。

  31. 前編1-No.1586 鎮西御教書

    島津下野前司入道の義女藤原氏代が、質券田地の代米を裁許されたのに、肥前国士黒吉岡四郎入道寂念が催促に従わないと訴えた件について、相手方を召して事情を明らかにし、裁許を執行するよう命じた鎮西御教書。

  32. 前編1-No.1587 調所敦恒伝

    調所敦恒が主神司世承として堂薗一所を重代相伝し、元徳三年八月、守護代盛光から補任を受けたことを記す家伝記事。

  33. 前編1-No.1588 大隅国守護代盛光書下

    大隅国守護私領正枝頭内の堂薗一所について、主神司の重代相伝所職であり遠藤新左衛門尉の補任状もあることを確認し、寂意方との重複を退けて調所敦恒を補任した大隅国守護代盛光の書下。

  34. 前編1-No.1589 島津道鑑譲状

    No.1582と同文であるため本文を省略した島津道鑑譲状。元徳三年八月九日付で、宗久の生松丸への所領・所職の譲与と相伝条件を示す。

  35. 前編1-No.1590 沙弥津性書状

    No.1584と同文であるため本文を省略した沙弥津性書状。元徳三年八月廿日付で、比志島地頭所務に関する和泉殿の書下案文を比志島彦太郎入道へ進上した連絡を示す。

  36. 前編1-No.1591 渋谷定円譲状

    渋谷定円が寿松寿丸へ、薩摩国入来院清敷北方内の所領を譲った譲状。東は河床下渡瀬上小谷河、西は大野田、南は厚木野、北は大道・宿河など四至を示し、幼少の養子へ重代相伝所領を永代譲与すると定める。

  37. 前編1-No.1592 預所光然奉書

    栗野若宮政所職について、正宮田所検校御房の申付けであることを踏まえ、別儀を申し立てる者がいても先例どおり沙汰し、職務を執行させるよう命じた預所光然の奉書。

  38. 前編1-No.1593 薩摩国守護代本性奉書

    召人姫太郎男を預かっている件について、他へ渡してはならず、奉書の指示どおり処置するよう比志島彦太郎へ命じた薩摩国守護代本性の奉書。

  39. 前編1-No.1594 比志島義氏召人請取状

    召人姫太郎男について守護代奉書を受け、当面は預かっておくので、請取りを求める状を示されたいと返答した比志島義氏の請取状。

  40. 前編1-No.1595 紀俊正着到状

    京都騒動に際し、薩摩国御家人宮里郷一分領主権執印良遍の子息三郎二郎が馳参し、十月十七日に津へ到着したことを記し、軍忠の披露を求めた紀俊正の着到状。

  41. 前編1-No.1596 河上導乗着到状

    京都騒乱の知らせを受け、薩摩国市来院の河上又次郎入道導乗が博多へ馳参し、十月十九日に津へ着到したことを記して軍忠の披露を求めた着到状。

  42. 前編1-No.1597 仲原尚友着到状

    京都騒動に際し、薩摩国御家人日置一方領主上原弥次郎らが馳参して十月十九日に着到したことを記し、仲原尚友が軍忠の披露を求めた着到状。

  43. 前編1-No.1598 建部別当丸着到状

    京都騒乱に際し、大隅国御家人祢寝弥次郎清種の病気により、子息別当丸が代わって馳参し、十月廿日に津へ着到したことを記して軍忠の披露を求めた建部別当丸の着到状。

  44. 前編1-No.1599 薩摩国守護代本性書下

    京都騒乱への馳参を注進した比志島彦太郎に対し、今度の軍忠を公方へ披露したので了承するよう伝えた薩摩国守護代本性の書下。

  45. 前編1-No.1600 源資清寄進状

    源資清が志布志宝満寺八幡宮の御供田として、堀内のうち根野屋敷・久内二郎屋敷・針取屋敷・田地などを寄進した仮名書きの寄進状。田地ごとの面積・代米を列挙し、寺の供僧が知行することを定める。

  46. 前編1-No.1601 常円・快賀・範郷連署状

    救仁院志布志内宝満寺地主八幡宮の御供祈所・屋敷について、前領主源太資清の寄進内容を承認し、寺家の所領として執行するよう命じた常円・快賀・範郷の連署状。

  47. 前編1-No.1602 祢寝清種代清成申状

    大隅国御家人祢寝弥次郎清種の代清成が、同国佐多弥七親経が京都騒動時の御教書に応じて参陣せず、谷山五郎左衛門入道の照会にも回答しなかったと訴え、佐多村の田地・屋敷等について先例どおりの裁許を求めた申状。

  48. 前編1-No.1603 犬王丸裏封証文

    提出された状に正文が添えられていなかったため、案文を作成して裏を封じ、正文に準じて扱うよう記した犬王丸関係の裏封証文。

  49. 前編1-No.1604 島津国史

    元弘元年前後の政治・軍事情勢と島津氏の動向を諸記録から考証した島津国史の記事。後醍醐天皇方の京都騒動、北条高時の警固、島津道恵・久兼らの出陣、筑紫探題・博多での戦闘、島津氏の系譜や所領関係を年代順に掲げ、諸説の異同も注記する。

  50. 前編1-No.1605 記事元弘二年

    元弘二年、北条高時が後醍醐天皇を廃して隠岐へ流したことから倒幕へ至る経過を記す記事。大塔宮護良親王・楠木正成・赤松円心・足利高氏・新田義貞らの挙兵、六波羅・鎌倉の攻略と北条氏滅亡を述べ、島津氏関係者の軍事行動にも触れる。

  51. 前編1-No.1606 沙弥道源みやくにのりやう成物注文

    国分宮内沢のみやくに納める御米について、正月から十月まで月別に、白米・延分米・小麦・大豆・井上村御年貢などの数量と代米を列記した沙弥道源の成物注文。各月の負担額を示し、年間の収納内訳を明らかにする。

  52. 前編1-No.1607 沙弥某書下

    祢寝弥二郎清種が申す大隅国佐多村内の田薗等について、前年十二月廿一日の御教書と重申状を示し、相手方へ早く弁明を提出させるよう命じた沙弥道源の書下。

  53. 前編1-No.1608 高城郡弁済使兼快契状

    薩摩国高城郡本万徳名内の田薗・屋敷・原野を項目別に列挙し、弁済使兼供の給分と年貢負担を定めた契状。本万徳名、柏木井、松木、藏町、野本、世戸口など各所の面積を示し、毎年三月中に年貢米・銭を納め、未納なら所務を停止すると定める。

  54. 前編1-No.1609 新田宮雑掌道海申状

    八幡新田宮雑掌道海が、薩摩郡光富又次郎入道頼円らによる免田伍段の毎年一石二斗伍升の御供米抑留を訴えた申状。長期間の祈祷料を押領されたとして、抑留停止と所務回復を求める。

  55. 前編1-No.1610 渋谷重頼等連署紛失証状

    阿波国大野新庄内北方田島の在家・山海・荒野等に関する文保二年の正文を焼失したため、渋谷重頼らが先祖以来の知行と譲与を確認し、願證・定意・定秀・定阿・重頼の連署で証明した紛失証状。

  56. 前編1-No.1611 沙弥恵仏譲状

    沙弥恵仏が嫡子太郎高元へ、薩摩国牛屎院惣領郡司職、永松名・木崎名の田畠在家、荒野・山野・狩倉等を譲った譲状。重代相伝の所領として高元の知行を認め、親子の志に背く者や他人への譲渡を禁じ、子孫へ相伝する条件を定める。

  57. 前編1-No.1612 将軍家政所下文

    島津上総介貞久法師道鑑を、勲功の賞として周防国楊井庄領家職に補任し、先例に従って所務を行うよう命じた将軍家政所下文。

  58. 前編1-No.1613 将軍家政所下文

    No.1612と同文であるため本文を省略した将軍家政所下文。正慶元年十二月一日付で、島津貞久への周防国楊井庄領家職の補任を示す。

  59. 前編1-No.1614 鎮西下知状

    谷山郡山田・上別府両村の地頭職をめぐる、谷山五郎資忠法師覚信と道慶子息諸三郎丸の相論を裁いた下知状。覚信方の譲状・安堵と重代相伝、道慶方の所務・和与・契約、地頭得分の配分、抑留物を条別に審理し、山田・上別府地頭職を覚信方へ安堵して違乱を停止する。

  60. 前編1-No.1615 鎮西下知状

    祢寝弥二郎清種が申す大隅国祢寝院佐多村の田地七段・薗一所について、田薗の本主・親政相副関東建長五年下文、買得、親経の知行と抑留を審理した下知状。親経の返答・証文提出が不十分として、清種方の権利を認める。

  61. 前編1-No.1616 鎮西下知状

    谷山郡山田・上別府両村地頭所務をめぐる道慶と覚信の相論。正中二年の和与後、道慶が地頭得分米銭を抑留したとの覚信の訴えと、覚信が契約分を渡さないとの道慶の反訴を審理し、契約・御教書に従って得分を引き渡すよう裁定する。

  62. 前編1-No.1617 鎮西御教書

    山田・上別府両村の地頭所務について、鎮西下知状に基づき、大隅式部孫五郎入道道慶と谷山五郎入道覚信が裁許を守り、速やかに所務を執行するよう命じた鎮西御教書。

  63. 前編1-No.1618 鎮西御教書

    No.1617と同趣旨で、山田・上別府両村の地頭所務について、道慶と覚信に裁許を守り、速やかに沙汰を付けるよう命じた鎮西御教書。

  64. 前編1-No.1619 鎮西御教書

    祢寝弥二郎清種が申す大隅国佐多村内の田薗について、鎮西下知状の裁許を守り、谷山五郎左衛門入道らが速やかに所務を清種方へ付すよう命じた鎮西御教書。

  65. 前編1-No.1620 鎮西御教書

    山田・上別府両村の地頭所務について、大隅式部孫五郎入道道慶の重申状を受け、先の裁許にもかかわらず履行されていないため、速やかに所務を執行するよう命じた鎮西御教書。

  66. 前編1-No.1621 後醍醐天皇綸旨

    日向国守護職について、島津上総前司入道道鑑を任用し、先例に従って沙汰させるよう命じた後醍醐天皇の綸旨。

  67. 前編1-No.1622 沙弥覚念譲状

    沙弥覚念が子息平忠村へ、薩摩国の所領・田地・屋敷などを仮名書きで譲った譲状。先の下文に従って重代相伝の所領を渡し、年貢・公事を勤めること、兄弟間で争わず子孫へ伝えることを定める。

  68. 前編1-No.1623 鎮西御教書

    山田・上別府両村の地頭得分物について、道慶の重申状を受け、谷山五郎入道覚信らに実否を早く調査し、詳細を記して注進するよう命じた鎮西御教書。

  69. 前編1-No.1624 鎮西御教書

    No.1623と同趣旨で、山田・上別府両村の地頭所務について、先の下知状を守り、実否を調査して注進するよう命じた鎮西御教書。

  70. 前編1-No.1625 妙願寄進状

    大隅国曽於郡重富名内折橋田七段を阿弥陀堂へ寄進し、法界衆生の平等利益を祈るとともに、調度・証文を相副えて永代に伝えるよう定めた比丘尼妙願の寄進状。

  71. 前編1-No.1626 ひくにせうあん売券

    比丘尼せうあんが、薩摩国油須木村内の田地を銭二十貫文で売却した仮名書きの売券。正月一日から十一月晦日までの用途・年貢負担を示し、七段の田地を買主へ永代に渡し、後日の異議を禁じる。

  72. 前編1-No.1627 島津道鑑所領安堵状

    島津道鑑が本田二郎親兼入道道観へ、本田宮内左衛門入道道観分として久富六町、光成二町、桃木田六段などの田地を給恩として安堵し、知行を認めた所領安堵状。

  73. 前編1-No.1628 島津道鑑譜

    元弘三年春、足利高氏の丹波篠村での挙兵、六波羅攻撃、京都陥落、赤松氏・千種忠顕らの戦闘、九州探題北条英時の博多での自害を記す島津道鑑の譜記事。島津氏が九州で軍勢を催し、鎮西情勢に対応した動向も述べる。

  74. 前編1-No.1629 鎮西御教書

    九州の武士に対し、国守護人の催促に従って凶徒追討へ参陣し、違背者は処罰するので、軍忠を尽くすよう命じた鎮西御教書。

  75. 前編1-No.1630 島津貞久施行状

    鎮西御教書を受け、九州の武士へ各国守護人の催促に従って軍勢を出し、警固役所の指示どおり凶徒追討に参加するよう伝えた島津貞久の施行状。

  76. 前編1-No.1631 桜田師頼軍勢催促状

    先帝方の凶徒を討つため、関東御教書に従い、大隅国地頭御家人へ軍勢を催し、四月廿七日までに参陣するよう祢寝弥次郎らへ命じた桜田師頼の軍勢催促状。

  77. 前編1-No.1632-1 越前島津忠兼系図

    越前島津氏七代忠兼を掲げ、その子息五郎三郎が左衛門尉・周防守を称したことを記す簡略な系図記事。

  78. 前編1-No.1632-2 足利高氏書下

    足利高氏が周防五郎三郎へ、伯耆国からの出陣命令に応じ、一族を率いて合力するよう求めた書下。

  79. 前編1-No.1633 後醍醐天皇綸旨

    大隅国守護職について、先例に従って沙汰するよう命じた後醍醐天皇の綸旨。足利高氏が奉じた旨を付記する。

  80. 前編1-No.1634 足利高氏書状

    足利高氏が島津上総前司入道道鑑へ、伯耆国からの軍勢参加命令を伝え、一族を相催して合力するよう求めた書状。

  81. 前編1-No.1635 記事元弘三年

    元弘三年五月、北条高時が誅せられ、六波羅および九州探題が相次いで滅亡したことを、北条氏執権九世・凡二百十五年の終焉として記す記事。

  82. 前編1-No.1636 島津道鑑書下

    武蔵修理亮北条英時誅伐の際、指宿左近兵衛忠貞が分取一人・被疵の軍功を挙げたため、その功を認めて沙汰を進めると伝えた島津道鑑の書下。

  83. 前編1-No.1637 二階堂行久申状

    二階堂三左衛門尉行久が、鎮西での合戦軍忠を申告した申状。薩摩国守護方の御手に属し、武蔵修理亮北条英時が籠る博多宿北門を攻め、合戦で生捕・討取を挙げたことを示し、急速な恩賞を求める。

  84. 前編1-No.1638 太平記

    北条高時が鎌倉で滅亡し、京都の六波羅も没落したのち、長門探題遠江守時直が宮方へ降参したことなど、元弘三年の幕府崩壊を『太平記』から引いた記事。

  85. 前編1-No.1639 後醍醐天皇綸旨

    八幡新田宮の所司・神官らが申す初任神拝・聴宣について、国司の到着を待つ必要はなく、先例どおり執行するよう命じた後醍醐天皇の綸旨。

  86. 前編1-No.1640 大友具簡書下

    武蔵修理亮北条英時誅伐時の軍忠を記した申状を受理し、その内容に従って沙汰すると島津式部孫五郎入道道慶へ伝えた大友具簡の書下。

  87. 前編1-No.1641 足利高氏書状

    鎮西合戦の経過を承知したので、早急に静謐を図ることは喜ばしく、今後の軍忠を注進するよう島津上総入道へ伝えた足利高氏の書状。

  88. 前編1-No.1642 後醍醐天皇綸旨

    日向国守護職について、島津上総入道道鑑を任用したので、その知行を妨げる者があれば処罰するよう命じた後醍醐天皇の綸旨。

  89. 前編1-No.1643 山田道慶置文

    山田道慶が、山田・上別府両村の所務をめぐる正安二年・正慶元年の下知正文、和与状など計九通の証文を列挙した置文。道慶から子孫へ所領関係を伝え、後日の相論に備えて正文・写しの所在と譲渡関係を明確にする。

  90. 前編1-No.1644 新田宮権執印良遍着到状

    新田宮権執印良遍が、国内動乱に際して京都へ馳参・在京した勤仕を届け出て、その事実と軍忠の披露を求めた着到状。

  91. 前編1-No.1645 後醍醐天皇綸旨

    新田宮権執印良遍の在京勤仕について、奉行所へ進上し、その功を披露するよう命じた後醍醐天皇の綸旨。

  92. 前編1-No.1646 重久篤兼譜

    元弘三年春、後醍醐天皇が北条高時追討を命じ、足利高氏が六波羅、新田義貞が鎌倉、楠木正成・赤松円心らが各地で戦った経過を記す重久篤兼の譜記事。七月、篤兼が軍忠のため馳参し、恩賞の披露を求めたことを述べる。

  93. 前編1-No.1647 重久篤兼着到状

    大隅国御家人重久篤兼が軍忠のため馳参したことを届け、功績を披露するよう求めた着到状。

  94. 前編1-No.1648 山田忠能・同亀三郎丸連署申状

    山田忠能と舎弟亀三郎丸が、薩摩国谷山郡山田・上別府両村地頭職について連署した申状。北条英時誅伐時に忠能父子・一族が軍忠を尽くしたと述べ、恩賞として所領安堵を求め、将来の亀鏡とするよう願う。

  95. 前編1-No.1649 山田道慶申状

    山田道慶が、北条英時誅伐の合戦で子息諸三郎忠能ら一族が馳向し、忠能が生虜・負傷などの軍功を挙げたと申告した申状。五月廿五日の誅伐後も合戦を続け、先度の注進に基づいて恩賞を受けられるよう奏聞を求める。

  96. 前編1-No.1650 後醍醐天皇綸旨

    No.1645と同文であるため本文を省略した後醍醐天皇綸旨。水引執印の在京勤仕を奉行所へ進上し、その功を披露するよう命じる。

  97. 前編1-No.1651 後醍醐天皇綸旨

    No.1639と同文であるため本文を省略した後醍醐天皇綸旨。水引執印に関し、新田宮の初任神拝・聴宣を国司の到着を待たず先例どおり執行するよう命じる。

  98. 前編1-No.1652 後醍醐天皇綸旨

    新田宮神官らの二箇条の訴えについて、国衙方などによる妨害を停止し、神拝に関する知行を訴えどおり取り計らうよう命じた後醍醐天皇の綸旨。

  99. 前編1-No.1653 山田道慶着到状

    島津式部孫五郎入道道慶が、乱事鎮定のため自薩摩州を出て参陣したことを届け、軍忠の披露を求めた着到状。

  100. 前編1-No.1654 指宿成栄着到状

    薩摩国指宿郡司彦次郎入道成栄が、命に応じて軍忠のため参陣したことを届け、左少将へ披露するよう求めた着到状。