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前編1の目録
旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。
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前編1-No.1 太政官符
太政官が、国の規模に応じて公廨稲から国儲へ割り置く額を定め、その用途を朝集使・税帳大帳貢調等使の粮料などに限定した官符。国司の公廨配分は官等によらず使務に応じて扱い、違反して私用した者は官物横領と同様に処罰するとした。年紀は玉里島津久光旧蔵本による補記。
前編1-No.2 続日本紀
神亀元年三月甲申、七道諸国に国の大小に応じて正税稲四万束以上二十万束以下を割り取り、毎年出挙して得た利息を、朝集使の在京費用や臨時の差使、運調庸以外の上京担夫の粮料に充てさせた記事。
前編1-No.3 続日本紀
天平宝字元年十一月乙卯、国司交替時に公廨をめぐる争いが続いたため、太政官が公廨の処分順序を定めた記事。まず官物の未納を補い、次に国の備蓄分を割き、残額を長官六分・次官四分・判官三分・主典二分・史生一分などの割合で配分し、同月丁卯には国の大小に応じた論定数も制定した。
前編1-No.4 大隅国司庁宣
大隅国司庁が郡司に対し、臺明寺山辺の雑木を伐り運ぶ者を制止し、違反者を捕らえて進上するよう命じた庁宣。御願寺として法華三昧を修する同寺は大風で堂舎が倒壊し、再建用材として山内の雑木を確保しようとしていたが、里辺の者が禁制に従わず伐採していた。
前編1-No.5 大隅国符
大隅国司が郡司に対し、先の符に従って臺明寺の傍示内にある山野での狩猟を改めて禁じた国符。同寺の僧侶が鎮護国家を祈る一方、禁制を恐れず狩猟する者がいたため、違反者を捕らえて進上し糺決するよう命じた。
前編1-No.6 続日本後紀
『続日本後紀』巻十一。承和八年二月、天平勝宝四年の勅符を引き、寺辺の殺生禁制が年月とともに弛緩し、勢家豪民が寺内で馬を走らせ仏前で鳥獣を屠り、国司・講師も取り締まらない状況を問題視する。「釣して網せず、弋して宿を射ず」と仁慈の趣旨を説き、五畿内七道諸国司に寺辺一里以内の殺生を厳禁。違反者は六位以下を…
前編1-No.7 大隅国符
大隅国司が郡司に対し、臺明寺の傍示内にある山野で狩猟する者を禁じた国符。同寺の住僧の訴えを受け、寺域での殺生は仏法興隆と国家鎮護を妨げるとして、違反者を強盗・窃盗に準じて捕らえ進上するよう命じた。
前編1-No.8 調所恒範譜
天喜二年、高麗の賊が辺境を侵したため、朝廷が諸社へ奉幣して鎮護を祈った経緯を記す。大宰府の源朝臣資通の命により、大隅国の官人が国内諸郡の大小神名を神位記に付して一巻に写し、神司であった調所恒範へ渡したが、原本は長年月を経て一部の郡が欠けたという。
前編1-No.9 大宰府符
『調所氏文書』所収の大宰府符。天喜二年二月二十七日、大宰府が大隅国に対し、祭祀は興国の基で敬神を怠るべきでないとして、長徳三年の例により管内の大小諸神を一級ずつ増爵するよう命じた。付載の神位記は、肝属・馭謨・熊毛など各郡の神々を従二位・従三位・正四位下・従五位上等の位階別に掲げ、中宮国玉・下津宮・武…
前編1-No.10 大隅国司庁宣
大隅国司庁が郡司に対し、歴代の庁宣に従って臺明寺山の四至内での狩猟を永久に停止するよう重ねて命じた庁宣。禁制に背いて狩猟する者は捕らえて進上し、姓名と事情を報告して現世の処罰を加えるとした。
前編1-No.11 橘成友起請文
橘成友が、臺明寺山の殺生禁断の境界とされた山内で、今後狩猟しないことを誓った起請文。寺僧から境界内での狩猟停止を命じられ、その制止に従う旨を記している。
前編1-No.12 大隅国司庁宣
大隅国司庁が郡司に対し、臺明寺山内で遊猟し生類を殺す者を制止するよう命じた庁宣。禁制後も違反があれば事情を報告し、その身を捕らえて進上するよう求めた。
前編1-No.13 大隅国司庁宣
大隅国司庁が郡司に対し、歴代の庁宣に従って臺明寺山四至内の狩猟を永久に停止するよう命じた庁宣。違反者は捕らえて進上し、姓名と事情を報告して処罰するよう重ねて指示した。
前編1-No.14 百錬抄
延久元年二月廿三日、寛徳年間以後に新設された荘園を停止し、それ以前の荘園でも立券が不明確で国務を妨げるものは停止するとの宣旨が下された記事。閏二月十一日には記録荘園券契所を設け、寄人を任命して荘園券契の審査を開始した。
前編1-No.15 正八幡宮権惣検校職補任状
『権執印文書』所収。応徳四年二月八日、正八幡宮が永遍大徳を権惣検校職に補任した文書。惣検校法師大和尚位と執印兼講師伝燈大法師位の判を掲げ、権惣検校・祝部検校・主神検校・宮主僧に加え、御供所・修行所・御馬所・御前の各検校、辨印、検校、別当、執当、権座主ら多数の関係者を列記する。補任の承認者と、供御・修…
前編1-No.16 宗岡重武田地売券
宗岡重武が、必要な代価を得るため、曽於郡二条二里廿七坪にある一町の相伝所領田を成心房へ永年売り渡した売券。後日の証拠として沽券を作成し、旧本領主らの確認・加署を伴う。
前編1-No.17 正八幡宮執印行賢寄進状
正八幡宮執印僧行賢が、臺明寺で毎年九月中旬に三日三夜修する不断念仏の燈油・仏聖・僧供料として、水田などを寄進した文書。往生のため西方念仏を修し、念仏僧の供料を永続させる趣旨を述べ、関係文書五通を副進した。
前編1-No.18 宮永社役支配状
加治木郡内宮永の社役・武内宮御修理役を配分した支配状。中津河・山田・是国・小濱・妙篦・大田・竹内・久楽・秋次・友永・恒久など多数の名・地名を並べ、記載面積や課役区分に応じて米を斗・升・合・勺等の単位で細かく割り当てる。表は段別米・棟別米など複数の課目ごとに各名の負担を示し、別表では配賦額をさらに分単…
前編1-No.19 宮永社役支配状
宮永の御修理役を郷・里・段ごとに定めた支配状。加治木郷内宮永・桑西郷・中津河・山田田・与楽などの名を掲げ、一寸・一分・二文などの単位で各所の負担を割り当て、保延元年二月二日付で配分を確定する。
前編1-No.20 宮永社役支配状
宮永に関係する両社の参間御修理役を配分した支配状。桑東郷・中津河・山田田・与楽・是国・秋次・妙蓮など多数の郷里・段を並べ、七尺五寸六分、三寸七分など寸法単位で負担額を個別に示す。
前編1-No.21 正八幡宮検校厳禅田地売券
正八幡宮御前検校僧厳禅が、曽於郡二条二里廿七坪字墓町の田一町を、必要な代価を得て財田稲富へ永年売り渡した売券。本領主宗岡重武の旧沽券を副進し、国判による領掌を前提としている。
前編1-No.22 財田稲富解
財田稲富が国司に対し、曽於郡二条二里廿七坪字墓町の田一町について、前主厳禅と本領主宗岡重武の売券に基づく国判を受け、正式に領掌させるよう申請した解。厳禅の沽文と重武の旧沽券を添えている。
前編1-No.23 院主石清水権寺主大法師某下文
院主石清水権寺主大法師が政所正信に対し、寺領田畠を無断耕作して負担を逃れる者を調査し、耕作者を確定して政所の沙汰に従わせるよう命じた下文。特に入来郡では公験がある田地でも長く沙汰が行われなかったことを問題としている。
前編1-No.24 正八幡宮執印行賢寄進状
正八幡宮執印僧行賢が、臺明寺衆集院阿弥陀堂の毎日の仏聖料として、贈於郡一条三里九坪にある万得領田九段を寄進した文書。日々の勤行や彼岸の法会を支え、寄進田を永く寺領として妨げないよう求めた。
前編1-No.25 薩摩国司庁宣
薩摩国司庁が留守所に対し、官府の施行と先の庁宣に従って僧永修の妨害を停止し、国分寺を旧例どおり安楽寺領として、本寺使の指示により国分寺の沙汰を行うよう命じた庁宣。永修が官宣に背き、府使・寺家使を追い払ったとの訴えを受けた措置である。
前編1-No.26 入来院弁済使別当伴信房解
入来院弁済使別当伴信房が御庄政所に対し、度重なる下文に基づいて薩摩郡山田村の地頭職を認め、重ねて外題を与えるよう申請した解。信房は訴えのため京都へ赴き、車内での決裁と先例に従う証文を得たとして、相違なく地頭職を安堵するよう求めた。
前編1-No.27 源家系図
源義朝を中心に、義賢・義憲ら近親と、義平・朝長・頼朝・希義・範頼・全成・円成・義経ら子女の系統を枝分かれで示す源氏系図。通称、官職、位階、母系を付し、頼朝は久安三年四月八日生、母を熱田大宮司藤原季範の女、征夷大将軍・権大納言・正二位・右大将と記す。頼仲兄弟五人が舟岡山で誅されたこと、為朝を鎮西八郎と…
前編1-No.28 源莱下文
源氏の発給者が下本田郷住人らに対し、藤原兼綱を郷司職に補任した下文。住人に兼綱へ従って年貢・課役を納め、命令に違反しないよう求めている。
前編1-No.29 島津家譜義朝伝
『御譜中 義朝伝』。保元元年、新院方の謀反に備えて東三条へ武士を集め、源義朝と源義康を内裏警護に配した経過を記す。七月十一日の院御所攻撃は夜半から暁まで決着せず、義朝は火攻めを提案。風下の法勝寺焼失を懸念する意見に対し、勝利後は再建できるとの勅許を得て放火し、西風による延焼で新院・左大臣方を敗走させ…
前編1-No.30 竹内兄弟四人由緒書上
竹内十郎行実が朝廷への忠節によって鹿児島・谷山などの所領、合計百二十五町を与えられ、三年に一度進上物を納めることになった由緒を記す。あわせて竹内兄弟四人と谷山・伊作などへ続く系統を掲げる。
前編1-No.31 菱刈氏由緒書上
菱刈氏の由緒として、九州の所領七百余町に関する伝承と、崇徳院方に属した悪左府、平清盛らとの関係を記した書上。遠国の所領と朝廷・藤原家の政治的関係を述べる。
前編1-No.32 大隅国留守所移
大隅国留守所が臺明寺に対し、蔵人所召物使の解状に従って御用の青葉竹を沙汰し、使者へ引き渡すよう命じた移。召物使の解状一通を添え、遅滞なく調進するよう求めた。
前編1-No.33 義朝伝
源義朝が平治元年十二月に藤原信頼とともに謀反を起こし、翌年正月三日、尾張国野間内海で長田忠致に殺害され、三十八歳で没したことを記す。
前編1-No.34 島津家譜義朝伝
『御譜中 義朝伝』。平治元年十二月一日、藤原信頼の挙兵に源義朝が加わり、内裏を固め、三条殿を焼いて信西入道の一類を退治したと記す。恩賞として義朝は播磨守、鎌田正清は兵衛尉となり政家と改名。平清盛が密かに上皇・天皇を六波羅へ移したため形勢が逆転し、十七日の六波羅攻撃で義朝軍は敗走する。龍華越で負傷し歩…
前編1-No.35 島津家譜義朝伝
『御譜中 義朝伝』。永暦元年正月三日、長田忠宗が湯殿で源義朝を沐浴させ、金王丸が湯衣を取りに出た隙に勇士三人が侵入して義朝を刺殺したと記す。義朝三十八歳。金王丸は戻って三人を討つ。一方、忠宗に招かれ酒席にいた鎌田兵衛尉政家は変事を聞いて立とうとし、勇士から刀を奪って二度刺すが、忠宗の長男に首を斬られ…
前編1-No.36 島津家譜頼朝伝
『島津家譜』所収の頼朝伝。平治元年十二月二十七日、十三歳の頼朝が敗走中、江州勢多で一行とはぐれ、森林の庵で源内兵衛尉真弘らに襲われるが、太刀髭切で真弘の顔を割り、別の襲撃者の籠手を切って脱出する。鎌田政家と合流後、不破関を避け雪中の小関方面をさまよい、落人を六波羅へ差し出そうとする村人から逃れ、老尼…
前編1-No.37 僧兼賢解
若宮不断経衆の僧兼賢が御庄政所に対し、師快賢大徳の遺言によって相続した田畠を肥後殿らに押妨されたとして裁許を求めた解。遺言時の証人や耕作の経緯を示し、師から譲られた田地を安堵するよう申請した。
前編1-No.38 大隅国牒
大隅国司が臺明寺に対し、府宣に従って住僧らを国庁へ参上させ、係争事項の事情を陳述するよう命じた牒。寺側の解状を検討したうえで、国庁の沙汰に応じることを求めている。
前編1-No.39 僧真寂田畠譲状
僧真寂が子の不動丸へ、桑東郷などにある田地六段と畠を譲った譲状。先祖相伝の私領として譲与する一方、本役・公事は本名に留め、母を扶養しない場合は母の沙汰として領知させる条件を付した。
前編1-No.40 台明寺住僧等解
臺明寺の住僧らが大宰府に対し、正八幡宮執印行賢の寄進状と歴代国判に反して、当郡住人篤房が寺領の半分や燈油田を押し取ろうとしていると訴えた解。従来の寺領支配と証文を確認し、篤房の非理な沙汰を停止するよう求めた。
前編1-No.41 大宰府政所下文
大宰府政所が、臺明寺住僧らの訴えを裁決した下文。寺側は、篤房の祖父篤定らの田地を買得し、本券・寄進状とともに彼岸会の勤行、燈油祈祷、常行三昧の料所として七十余年間支配し、歴代国司の免判も受けたと主張する。これに対し篤房は、郡司職を継承していないのに阿多平権守を称し、武威を背景に「新開」を名目として寺…
前編1-No.42 台明寺大衆等解
臺明寺大衆が国司に対し、府宣に従う国判を与え、蔵人所召物使による非理な竹の徴収を永久に停止するよう求めた解。山内は仏法興隆の霊地であり、御用竹の伐採が寺域と神祭を損なうとして訴えた。
前編1-No.43 新田宮前執印桑田信包請文
新田宮前執印桑田信包が、市比野浦の公験を携えて上洛したものの沙汰がなく、留守御房へ預けて帰国した経緯を述べた請文。公験を本家から取り戻し、改めて新田宮へ進上すると約した。
前編1-No.44 七十八薬師
永万元年春、二十八歳の源為朝が南島へ流され、その地の者が皆服従したと記す短い記事。
前編1-No.45-1 西生寺仁王像内板銘
仁安三年三月二日に像を造立したことと、大施主として散位平朝臣兼高らの名を記した、西生寺仁王像内から見つかった板銘。
前編1-No.45-2 伊地知季安板銘考
西生寺の仁王像内から発見された板銘について、仁安三年の銘文、造立年代、寺社の由来を検討した伊地知季安の考証。年紀や文字に疑問があるものの、古い板銘として珍重すべきだと評している。
前編1-No.46 台明寺住僧等解
臺明寺住僧らが国司に対し、二季彼岸の勤行と燈油料に充てる田二町六段について、検田使の入部・勘徴を永久に免除するよう求めた解。仏聖料・祈祷料の寺領として歴代国判の保護を受けてきたと主張した。
前編1-No.47 入道西念穣状
入道西念が、薩摩国満家院内の四至で示した所領を大蔵義平へ永代譲与した譲状。関係証文を整え、他人の妨げなく領知し、子息らも処分帳に従って支配するよう定めた。
前編1-No.48 台明寺住僧等解
臺明寺住僧らが国司に対し、二季彼岸の法会と燈油に充てる田地へ検田使が立ち入って勘徴する非理を停止するよう求めた解。古来の仏法興隆の霊地であり、歴代国判により免除されてきたとして保護を願った。
前編1-No.49 僧兼賢置文
僧兼賢が、病人の治療・看護に関わる中で譲与を受けた小田について、その経緯と証人、文書の書き改めを記した置文。病人の死後に兼賢が領知する旨と、後日の争いを避けるための証拠を残した。
前編1-No.50 島津荘政所下文
島津荘政所が百引村住人らに対し、僧安兼を弁済使職に任命した下文。安兼の指示に従って荘園の課役・年貢を勤め、命令に違反しないよう住人へ命じた。
前編1-No.51-1 右近衛府牒
右近衛府が薩摩国衙へ、元光の死後に庄家が職を奪い重綱らを補任した措置を止め、元光の功労と相伝を認めるよう命じた牒。元光の子孫・相伝者は証文に任せて安堵し、無証文の者や尼の死後に名を詐称する者は認めないとする。
前編1-No.51-2 伊地知季安考
No.51-1の右近衛府牒について、元光とその子孫、在京・在国の関係、近衛府領としての支配経緯を諸記録と照合し、文書の成立事情と系譜を考証した。
前編1-No.52 右近衛府政所下文
右近衛府政所が薩摩国衙へ、元光の先祖相伝の職をめぐる押妨を停止するよう命じた下文。家道・重綱らの濫行と元光の貢節を対比し、郡内の親疎をただして相伝者を安堵し、偽りの訴えを退けるよう求める。
前編1-No.53 島津荘政所下文
島津荘政所が百引村に、僧安兼を弁済使職として派遣した下文。安兼を補任したうえで、村内の住民に用途・課役を承知させ、政所の命令どおり収納・弁済の実務を執行するよう命じる。
前編1-No.54-1 右近衛府牒
No.51-1と同文として本文を省略した重出。右近衛府が薩摩国衙へ、元光死後の庄家側による職の付替えを停止し、証文を持つ元光の子孫・相伝者を安堵し、名を詐称する無証文者を排除するよう命じた牒である。
前編1-No.54-2 右近衛府政所下文
No.52と同文として本文を省略した重出。右近衛府政所が、元光の先祖相伝職をめぐる家道・重綱らの濫行を停止し、元光の功労と証文を根拠に正当な相伝者を安堵するよう薩摩国衙へ命じた下文である。
前編1-No.54-3 源頼朝下文
No.226と同文として本文を省略した源頼朝下文の重出。島津荘に関する頼朝の処分を示す文書として番号を立て、本文は参照先に譲るという『旧記雑録』の重出処理が分かる。
前編1-No.54-4 伊地知季安書状
伊地知季安が古文書を拝見できたことへ謝意を述べ、浅学のため訓点は難しいと断った書状。原文を真文字で清書し、誤りと思う箇所には標注を付け、訓点と自身の考えを別紙に記して返すので再検討してほしいと頼む。
前編1-No.55 日向国守某下文
日向国守某が島津御庄の百疋村弁済使職を補任し、相伝文書の理に任せて職掌を勤め、庄役を承知して違失しないよう命じた下文。
前編1-No.56 藤原篤持・同篤道連署起請文
藤原篤持・篤道が、台明寺四至内では狩猟をしないと連署した起請文。鳥獣を捕ることを禁じ、違反すれば神罰を受けると誓い、寺域を殺生禁断の場として守ることを約束する。
前編1-No.57 治承元年
治承元年、鹿ヶ谷事件に連座した平判官康頼・丹波少将成経・僧都俊寛が鬼界島へ流されたことを記す記事。三人を同じ流刑事件の関係者として挙げ、後の島津氏関係記事へ続く年代上の出来事を示す。
前編1-No.58 新田宮所課染絹請取状
新田宮の所課として納められた染絹の請取状。中星文一段と矢波絹文一段を検納し、散位藤原の御判を据えて、治承元年十一月五日に二種類の絹を確かに受領したことを証明する。
前編1-No.59 新田宮検校僧静秀去状
検校僧静秀が森木次郎貫首殿へ伝え、他人の妨げを排して後日の相違を防ぐことなどを述べた去状。
前編1-No.60 島津家譜頼朝伝
島津家譜の頼朝伝。伊豆配流中の頼朝と北条政子、丹後局らの関係、治承四年の挙兵と平氏追討、島津忠久誕生に関わる伝承を叙述する。
前編1-No.61-1 山田聖栄自記
山田聖栄の自記として、島津忠久の出自を頼朝と丹後局に関わる伝承によって記し、丹後局の養父八文字民部大輔の説などを載せる。
前編1-No.61-2 伊地知季安考
伊地知季安が山田聖栄の姓氏・通称・事績とその自記を検討し、酒勾氏・山城守・伊集院氏などの系譜関係を考証した。
前編1-No.62 大成武鑑
「大成武鑑」所収の島津忠久記事。頼朝と丹後局の子とする出自、薩摩・大隅・日向三国の守護職、嘉禄元年の没年などを記す。
前編1-No.63-1 酒勾安国寺申状
酒勾安国寺が幼少時からの経歴、出家して安国寺に住した事情、鎌倉との関係、家督・所職をめぐる経緯を述べ、比企氏へ取り立てと安堵を願った申状。
前編1-No.63-2 伊地知季安考
伊地知季安が安国寺の本姓を酒勾氏、通称を次郎・右馬助とし、薩州安国寺との関係や治承年間の記載などを考証した。
前編1-No.64 比企氏系図
比企掃部允遠宗から能員・朝宗らへ続く比企氏の系譜を掲げ、頼朝と丹後局、島津忠久に関わる婚姻・親族伝承を図示する。
前編1-No.65 島津忠久正統系図
島津忠久を頼朝と丹後局の子とする正統系図。比企氏との関係、住吉での出生伝承、三国守護補任などを系譜記事とともに記す。
前編1-No.66 島津国史
「島津国史」所収記事。忠久の出自、丹後局、頼朝への奉仕、三国守護・島津荘下司職などの由来を諸説・史料によって論じる。
前編1-No.67 西藩野史
『西藩野史』巻三の島津忠久伝。記事は忠久を源頼朝の長子、母を比企能員の妹・丹後局とし、北条政子の嫉妬を避けて伊豆から播磨国住吉へ逃れた局が、治承三年、宿泊を拒まれた末に住吉明神社傍の石上で忠久を産んだと伝える。大雨の夜に狐火が母子を照らしたため稲荷神を氏神としたとの由来、頼朝が児を三郎と名づけたこと…
前編1-No.68 治承三・四・五年
島津忠久の出生伝承と源頼朝の挙兵をつなぐ記事。忠久は治承三年に丹後局から頼朝へ引き渡されたとし、頼朝の伊豆での挙兵、石橋山・鎌倉入りを経て、治承五年には清盛没後の情勢へ至る経過を年次順に記す。
前編1-No.69 佐多西方仲次郎系図抄
佐多西方仲次郎家の系図抄。内大臣平重盛から小松殿、維盛、六代殿維清へ続く平家の系統を掲げ、清重・小松七郎ら佐多西方家につながる人物を配置して同家の出自を示す。
前編1-No.70 島津忠久譜
島津忠久譜の記事。平氏勢力の伊勢・志摩での動向、反平氏勢力との戦闘、頼朝側の軍勢や諸将の進退を記す。
前編1-No.71 東鑑
「東鑑」の治承五年記事。頼朝の御台所、比企能員の乳母・養育関係、伊豆配流期から鎌倉入りまでの由緒を記す。
前編1-No.72 東鑑
『公卿補任』を出典とする短い記事。丹後局と比企能員の乳母・養育関係に関する記載を掲げ、前後の頼朝・島津忠久出自伝承を補う。
前編1-No.73 源頼家系図
源頼家の系図・略伝。左衛門督・従二位征夷大将軍の官位、寿永元年八月十二日の出生、幼名万寿、母が北条遠江守時政の娘であることを記す。
前編1-No.74 島津庄別当伴信明解
島津庄別当伴信明が、先祖相伝の所領・職掌について押領や妨害を受けたとして、その停止と本来の支配・権利の回復を求めた解状。
前編1-No.75 地頭大前某下文
地頭大前某が東谷山主職に僧を補任し、山内の住僧らに対して従来の先例・仏事勤行に従い、所領の供料を支給して職務を行わせるよう命じた下文。
前編1-No.76 島津家譜頼朝伝
島津家譜の頼朝伝。寿永三年、頼朝が範頼・義経らに平氏追討を命じ、西海へ進軍して各地で戦った経過と諸将の軍功を叙述する。
前編1-No.77 源頼朝下文
源頼朝が平氏追討の軍勢に対し、諸将を統率して軍功を励み、独断や濫行を避け、命令に従って進退するよう指示した下文。
前編1-No.78 源頼朝書状
源頼朝が遠江四郎に、書状二巻を額田判官代へ届けるよう命じた書状。額田判官代が京都へ送るべき用件を申しているため、先度の指示に違わず至急持参し、使者の往来を滞らせないよう求める。
前編1-No.79 源頼朝書状
僧観覚が申す河内国古市郡内の竜井・壺通法寺敷地と浮免等について、解状・証文を添えて処置を求めた源頼朝書状。原資料に年次未詳・本文疑義の注記がある。
前編1-No.80-1 山田聖栄系図目安
山田聖栄の系図目安。島津庄司次郎忠久の名乗り、頼朝との親子伝承、丹後局・比企氏との関係、御家人としての由緒を記す。
前編1-No.80-2 伊地知季安考
伊地知季安が前項の系図目安について、忠久の年齢・治承年間の記述・名乗りなどを検討し、伝承上の誤りや不審点を考証した。
前編1-No.80-3 古今戦記
「古今戦記」所収記事。頼朝の婚姻・家族関係、女性たちとの逸話、鎌倉からの移動や難を避けた経緯などを物語的に叙述する。
前編1-No.81 元暦元・二年
元暦元・二年の平氏追討記事。頼朝が範頼を東海道から九州へ、義経を海路から西国へ進ませ、長門・赤間関・壇浦で平氏を追い詰める。安徳天皇・二位尼らの入水と平家滅亡、残党処分までを記す。
前編1-No.82 島津家譜頼朝譜
『島津家譜』頼朝公譜の元暦二年記事。平家が京都を退いて西海へ逃れた後、範頼・義経らが追討し、壇浦で安徳天皇・二位尼らが入水して平家が滅亡する経過を記す。さらに頼朝による諸将の軍功評価と官職・所領の処置、鎌倉方の人事、寺社・供養に関する動向を多数の人物名とともに載せる。
前編1-No.83 島津譜略
「島津譜略」。元暦二年、七歳の忠久が頼朝の命に応じて鎌倉へ赴き、元服・加冠、婚姻、島津庄下司職や三州の支配に関わる由緒を記す。
前編1-No.84 雑抄
『雑抄』元暦二年三月十四日条。源頼朝が平家を長門赤間関・壇浦まで追討したことを簡記する。
前編1-No.85 島津忠久譜
島津忠久譜の元暦二年記事。平氏とその党類の敗走・逃亡、各地の武士の動向、源氏方の追討と戦後処置を記す。
前編1-No.86 源頼朝下文
源頼朝が、平信兼の謀反により没収した伊勢国波出御厨を惟宗忠久へ与え、地頭職に補任した下文。忠久に先例どおり所務を執行させ、御年貢・公役を怠りなく勤めるよう命じる。
前編1-No.87 源頼朝下文
No.86と同趣旨の下文。平信兼旧領の伊勢国波出御厨について、惟宗忠久を地頭職に補任し、領内の所務を担当させるとともに、先例に従った御年貢・公役の勤仕を命じる。
前編1-No.88 東鑑
「東鑑」元暦二年八月十六日条。平信兼と子息らの追討・捕縛をめぐり、源廷尉の飛脚到着や京都での沙汰を記す。
前編1-No.89 源頼朝下文
源頼朝が惟宗忠久を島津御庄下司職に補任した下文。庄官・住民に補任を承知させ、領家下文と先例に従って庄務・年貢収納を執行し、違失なく下司職を勤めるよう命じる。
前編1-No.90 源頼朝寄進状
源頼朝が、院から与えられた平家没官領の若狭国玉置領を三井寺へ寄進した文書。仏法興隆のため寺領として知行させ、寺領を妨げないよう命じる。
前編1-No.91 源頼朝下文
No.89と同文として本文を省略した島津御庄下司職補任下文の重出。惟宗忠久を下司職に補任し、領家下文に従って庄務と年貢収納を行わせる内容で、季安の注記を添える。