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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 1901~2000件・20 / 27ページ

  1. 前編1-No.1855 柿木原政家軍忠状

    柿木原平右衛門政家が、肝付兼重以下の凶徒追討で加瀬田城等へ参陣し、合戦に軍忠を尽くしたことを述べ、御方への披露と証判を求めた軍忠状。

  2. 前編1-No.1856 山田忠能軍忠状

    大隅式部諸三郎忠能が御教書を受けて下国し、島津左京進入道道恵を大手大将として加世田城を攻めた軍忠状。五月六日から六月十日まで日夜合戦し、捨身命で戦ったことを述べ、注進・披露と恩賞を求める。

  3. 前編1-No.1857 延時法仏軍忠状

    肝付兼重以下の凶徒追討に関する、延時法仏の軍忠状。財部延時氏所蔵の正文として掲げられるが、本文は省略される。

  4. 前編1-No.1858 郡山頼平軍忠状

    郡山弥五郎頼平が肝付兼重与党追討のため御教書を受け、五月六日から六月十日まで加瀬田城で日夜合戦した軍忠状。若党・親類を率い、先懸・射疵・討死を重ね、渡河責戦の際に親類助太郎左衛門尉義清が射疵を負うなどの軍忠を列挙し、恩賞を求める。

  5. 前編1-No.1859 牛屎国道軍忠状

    薩摩国牛屎院の篠原孫六国道が、肝付兼重以下の凶徒追討で五月六日から六月十日まで加世田城に馳向し、日夜合戦・軍忠を尽くしたことを述べ、注進・披露と恩賞を求めた軍忠状。

  6. 前編1-No.1860 和泉道悟軍忠状

    薩摩国御家人和泉杉三郎入道道悟が、五月七日の大隅国肝付郡加世田城大手城戸口合戦で相具した子息らと先懸し、子息弥三郎保有が射疵を負うなどの軍忠を報告した軍忠状。注進・披露と恩賞を求める。

  7. 前編1-No.1861 祢寝清種軍忠状

    大隅国祢寝弥次郎清種が、祢寝内見和村名主職の安堵を求めた申状。見和村は養父佐多孫四郎親政の重代相伝地で、譲与・手継状と島津判官忠久の施行を根拠に知行してきたと述べる。越尾張左近大夫代肥後次郎入道浄心らによる関東権威を背景とした押領を訴え、所領回復と厳密な裁許を求める。

  8. 前編1-No.1862 権執印俊正軍忠状

    新田宮権執印良遍の子息三郎次郎俊正が、肝付兼重与党追討で五月六日から六月十日まで前野頭・加世田城等に参陣し、焼払・合戦・追撃に軍忠を尽くしたことを述べ、注進・披露と恩賞を求めた軍忠状。

  9. 前編1-No.1863 権執印俊正軍忠状

    No.1862と同案で、前文書の欠落部分を補う水引権執印家所蔵の権執印俊正軍忠状。

  10. 前編1-No.1864-1 越前島津八郎譜

    島津忠兼の系統として、忠兼・八郎・五郎三郎・三郎左衛門尉・周防守らの名を掲げ、軍功・恩賞と子孫関係を示す越前島津八郎譜の記事。

  11. 前編1-No.1864-2 足利尊氏軍勢催促状

    赤松城の凶徒追討に際し、周防八郎に軍忠を尽くすよう命じ、抽賞する旨を伝えた足利尊氏軍勢催促状。

  12. 前編1-No.1865 祢寝清忠軍忠状

    祢寝清忠が、肝付兼重以下の凶徒追討に参加した軍忠状。五月六日から六月十日まで加瀬田城・野崎村・崎馳等で日夜合戦し、水手で先懸し、親類・子息と軍功を挙げたことを述べ、島津道鑑の証判と恩賞を求める。

  13. 前編1-No.1866 祢寝清忠軍忠状

    No.1865と同文であるため本文を省略した、小根占池端氏所蔵の祢寝清忠軍忠状。

  14. 前編1-No.1867 島津道鑑寄進状

    大隅国板越村を正八幡宮へ寄進し、社司に所務を行わせる旨の島津道鑑寄進状をもとにした中津河板越村寄進状案。

  15. 前編1-No.1868 足利尊氏感状

    周防五郎三郎忠兼の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた足利尊氏感状。

  16. 前編1-No.1869 島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が、五月の将軍家御上洛時に赤松城で軍忠を尽くし、六月六日の尼崎神崎宿河原・山崎合戦でも先懸したことを報告した軍忠状。非違を見知した者の証判を得て後鑑とし、披露を求める。

  17. 前編1-No.1870 後醍醐天皇綸旨

    大隅国新納院・同国救仁郷などで肝付兼重以下が濫妨している件について、忠顕朝臣の申状を添えて、子細を調べ、早急に追出して雑掌へ沙汰するよう式部少輔に命じた後醍醐天皇綸旨。

  18. 前編1-No.1871 足利尊氏感状

    渋谷平次五郎重勝の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた足利尊氏感状。

  19. 前編1-No.1872 一色範氏裏書証判

    No.1871の足利尊氏感状の裏に、一色範氏が渋谷重勝の軍忠・恩賞を証判した裏書。京都で長途の怖畏を校正した旨を記す。

  20. 前編1-No.1873 島津道鑑宛行状

    薩摩国河辺郡宮村を川上孫三郎の恩給所として宛て行い、公事等は先例に従って沙汰するよう命じた島津道鑑宛行状。

  21. 前編1-No.1874 足利尊氏感状

    渋谷九郎重興の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた足利尊氏感状。

  22. 前編1-No.1875 島津道鑑書下

    薩摩郡田中村本名重富内の福原・平寒水の名主職について、申請どおり知行させ、公事・課役等を勤めさせるよう命じた島津道鑑書下。妨げる者があれば沙汰することも定める。

  23. 前編1-No.1876 上原久基申状

    薩摩国満家院上原三郎久基が、国守護代官としての職務と所領沙汰を述べた申状。狼渡新左衛門尉秀雄の子大丸らが久基所領の神隠村へ乱入し苅田狼藉を行ったとして、関係者の証文・公事勤仕を根拠に、狼藉停止、身柄拘束、代官職・所領の保全を求める。

  24. 前編1-No.1877 比志島貞範等連署文書請取状

    前年に京都で大番役の際に給付された文書を受け取ったことを記す仮名書きの請取状。綸旨案、内裏関係の状、すこ方の文書など三通を列挙し、比志島貞範・頼秀らが連署して受領を確認する。

  25. 前編1-No.1878 越前島津氏譜

    越前島津氏の系譜として、忠政・左衛門三郎・三代行景・左衛門三郎法名道智の名を掲げる記事。

  26. 前編1-No.1879 下揖保忠政軍忠状

    下揖保左衛門三郎忠政が、播磨国丹生寺合戦で忠節を尽くし、左手に射疵を負いながら合戦したことを報告した軍忠状。疵の実検・見知を示し、披露と証判を求める。

  27. 前編1-No.1880 越前島津忠兼軍忠状

    島津周防五郎三郎忠兼が、播磨国下揖保・丹生寺等の合戦で軍忠を尽くしたことを日付順に報告した軍忠状。敵城への攻撃、先懸、敵の射取り、味方の負傷・討死を列挙し、見知者の実検と証判を求める。

  28. 前編1-No.1881 肝付兼重伝

    光明天皇の時、島山修理亮直顕が日向国大田城に駐兵し、伊東藤内左衛門尉祐広・祢寝清種らが諸城の攻防に参加した経過を記す肝付兼重伝。櫛間城・高城・大田城等の城郭支配と軍勢移動、肝付方との合戦を述べる。

  29. 前編1-No.1882 建部重種着到状

    大隅国弥寝孫四郎重種が、伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎兼重以下の凶徒追討のため日向国へ参陣した着到状。大田城・宮崎城・南郷等で味方と合戦し、家人の被疵・討死を伴いながら軍忠を尽くしたとして、披露・証判を求める。

  30. 前編1-No.1883 光厳上皇院宣

    日向国方々の知行について、全管領者を対象に院宣のとおり沙汰し、相違なく管領させるよう命じた光厳上皇院宣。

  31. 前編1-No.1884 重久篤兼譜

    建武三年十一月、島山修理亮直顕が日向国大田城に駐兵し、伊東祐広らを集めて肝付兼重方追討に備えたことを記す重久篤兼譜。

  32. 前編1-No.1885 島津直顕下文

    伊東藤内左衛門尉祐広に、肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、命令のとおり馳参し忠節を尽くすよう命じた島津直顕下文。

  33. 前編1-No.1886 建部清種着到状

    大隅国祢寝弥次郎清種が、伊東祐広・肝付兼重以下の凶徒追討のため参陣したことを届け、軍忠の披露を求めた着到状。

  34. 前編1-No.1887 島津直顕軍勢催促状

    祢寝八郎に、肝付兼重与党追討のため参陣して忠節を尽くすよう命じ、所存があれば三俣院へ早く馳参するよう求めた島津直顕軍勢催促状。

  35. 前編1-No.1888 島津直顕軍勢催促状

    No.1887と同趣旨で、祢寝八郎に肝付兼重与党追討への早期参陣・忠節を命じた島津直顕軍勢催促状。

  36. 前編1-No.1889 宗像氏純着到状

    稲本十郎氏純が、肝付八郎兼重以下の凶徒追討のため参候したことを届け、軍忠の披露を求めた宗像氏純着到状。

  37. 前編1-No.1890 川上頼久伝

    北条高時滅亡後の足利尊氏・新田義貞の対立から、越前国金崎城攻めに至る川上氏の軍歴を記す川上頼久伝。尊氏の使者高師泰の金崎城攻撃、足利直義による本田次郎左衛門尉久兼・比志島彦三らへの恩賞・宛行、敦賀郡での軍勢活動と子孫系譜を述べる。

  38. 前編1-No.1891 足利直義下文

    大隅国内の所領について、軍勢催促に応じて忠節を尽くすことを条件に安堵する旨を伝えた足利直義下文。

  39. 前編1-No.1892 足利直義下文

    所領を安堵し、軍勢催促に従って忠節を励むよう命じた足利直義下文。

  40. 前編1-No.1893 島津国史

    建武四年(延元二年)における島津貞久・忠兼らの動向をまとめた島津国史の記事。筑前・播磨・摂津・越前などでの足利方の戦況と九州への帰還、大隅・薩摩での肝付兼重ら南朝方との攻防、加瀬田城・高城・大隅城等の戦闘、諸将への軍勢催促・所領安堵・恩賞、負傷・討死を、文書の日付と発給者を挙げながら編年で記す。

  41. 前編1-No.1894 山田忠能申状

    島津大隅守貞久の被官山田弥次郎忠能が、郡内山田・上別符両村の地頭職は父祖代々の所職で現に知行しているとして、手継安堵以下の証文を添え、先例に任せた安堵の御下文を求めた申状。系図・関東御下文案・忠貞譲状案・道慶譲状などの副進文書を列挙する。

  42. 前編1-No.1895 肝付兼重伝

    肝付兼重が石井山城・高城を拠点に島津方と戦い、清敷・祢寝氏らの攻撃を受けつつ城郭を防いだ経過を記す肝付兼重伝。兼重の出自、攻防の日付、加勢した一族・被官、後醍醐天皇方としての活動を掲げる。

  43. 前編1-No.1896 肝属氏旧記

    肝付氏の家蔵旧記から、元弘二年に大塔宮の御旗を賜ったこと、旗の寸法・意匠を記した記事。

  44. 前編1-No.1897 建部清種軍忠状

    肝付八郎兼重が前年十二月五日から大隅国城郭に籠り、島津貞久らの攻撃に抗した軍忠状。十二月十八日の大手合戦、正月十日の矢疵、同十八日の被疵、城戸口への追入れなどを列挙し、軍忠の証明を求める。

  45. 前編1-No.1898 川上頼久伝

    川上頼久が本田資兼・莫禰重貞・貞国・宮里彦七・東条七郎らと進戦し、二月十二日の資兼進撃、十六日の東条合戦、三月二日の負傷などの軍功を重ねたことを記す川上頼久伝。

  46. 前編1-No.1899 足利直義軍勢催促状

    牛屎郡司らに対し、凶徒追討のため忠節ある者を率いて参陣し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義軍勢催促状。

  47. 前編1-No.1900 足利直義軍勢催促状

    牛屎郡司宛に、凶徒追討へ馳せ向かい忠節を尽くすよう命じた軍勢催促状。

  48. 前編1-No.1901 足利直義軍勢催促状

    武光三郎に対し、凶徒追討のため参陣して合戦し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義軍勢催促状。

  49. 前編1-No.1902 藤原兼政軍忠状

    藤原兼政が菱刈郡柿木原孫七兼政らを率い、曾於院御発向の間に大隅菱刈郡柿木原で合戦し、左腰を射られながら軍忠を尽くしたことを申告して証判を求めた軍忠状。

  50. 前編1-No.1903 延時信忠軍忠状

    延時信忠が薩摩国から入道法佛の使者として参着したことを証し、守護代沙弥栄定が見知した旨を記した軍忠状。

  51. 前編1-No.1904 足利尊氏御教書

    島津上総入道道鑑に対し、越前国金崎城の凶徒を速やかに追討するよう命じた足利尊氏御教書。

  52. 前編1-No.1905 島津道鑑施行状

    大隅国守護代道鑑が、越前国金崎城の凶徒追討について、今月六日の御教書に従って早く攻めるよう触国中の地頭・御家人らへ命じた施行状。

  53. 前編1-No.1906 山田忠能申状

    山田忠能が薩摩国伊集院内の土橋村・嶋廻田一町・道魔本領などをめぐり、伊集院地頭代官の押領と違法な処分を条々に訴えた申状。依頼国一同法による決断所御牒・国宣守護施行、年貢加徴米、田畠返付、神領への混入、用水・公事等の争点を列挙し、押領停止と本来の知行回復を求める。

  54. 前編1-No.1907 山田忠能申状

    山田忠能が伊集院内福山村などの所領をめぐり、地頭方による年貢・公事の違乱、名田の押領、古江薗・福崎などへの干渉を訴えた申状。先例・証文に基づく知行を主張し、非法の停止と返付を求める。

  55. 前編1-No.1908 福王寺真重着到状

    福王寺真重が肝付八郎兼重以下の凶徒追討のため、前年十二月五日に大将軍の三俣院発向へ供奉したことを届け、軍忠の披露を求めた着到状。

  56. 前編1-No.1909 土持重綱書下

    石山城攻めで、兼重城の大手において自身が右肘を射られた祢寝弥次郎の軍忠を確認し、今後も忠節を尽くすよう命じた土持重綱書下。

  57. 前編1-No.1910 殉国名藪

    比志島孫三郎範経が市来氏等を率いて戦い、九月晦日に討死したこと、莫禰孫五郎貞友も同所で戦死したことを諸記録から考証する殉国名藪の記事。

  58. 前編1-No.1911 沙弥導乗着到状

    河上又次郎が凶徒退治のため大将軍の薩摩国発向に先立って参陣したことを、沙弥導乗が確認し披露を求めた着到状。

  59. 前編1-No.1912 道恵書状

    道恵が山田三郎へ、津野殿の脚力が二月三日の状を三月十一日に届けたことを報じ、時宜に応じて国へ戻すこと、孫二郎殿の上洛と用向き、入道殿への申入れ、京都へ注進する件、馬代用途や状の受渡しなどをかな書きで細かく指示した書状。

  60. 前編1-No.1913 源忠経着到状

    比志島孫三郎忠経が、大隅助三郎忠国以下の凶徒追討に際し、前年十二月二日に寄来守護町へ参陣したことを届け、軍忠の披露を求めた着到状。

  61. 前編1-No.1914 紀俊正軍忠状

    新田宮権執印良遍代の子息三郎次郎俊正が、大隅助三郎以下の凶徒追討で山口合戦に参加し、三月二日の大手城攻め、同十四日の夜襲、同十五日の城内突入などで軍忠を尽くしたと申告した軍忠状。石・矢による負傷者や被射者、追落した敵、証人を挙げ、実検・証判を求める。

  62. 前編1-No.1915 足利直義感状

    鎮西加瀬田城で軍忠を尽くした稲本十郎を賞し、抽賞する旨を伝えた足利直義感状。

  63. 前編1-No.1916 本田兼久軍忠状

    本田次郎左衛門尉久兼が越前国敦賀城合戦で軍忠を尽くした軍忠状。正月十八日の大手攻め、二月十六日の大勢寄来時の懸合、三月二日の攻寄、同十四日の夜襲、同十五日の入城での負傷・討死者を列挙し、見知と証判を求める。

  64. 前編1-No.1917 和泉道悟軍忠状

    和泉杉三郎入道道悟が、大隅国加世田城・野崎城の合戦で軍忠を尽くしたことを申告した軍忠状。二月二日の野崎合戦で旗差・子息が射傷を負い、三月二日の大手攻めで弟が射られ、同十四日の夜襲、同十五日の城内突入にも参加したとして、証人・負傷者を挙げて見知と披露を求める。

  65. 前編1-No.1918 某書下

    島津五郎三郎代右衛門太郎の軍忠を神妙と賞し、恩賞を与える旨を伝えた某書下。

  66. 前編1-No.1919 藤原兼政軍忠状

    大隅国守護代森三郎次郎行重が、藤原兼政の軍忠を実検して証判した軍忠状。

  67. 前編1-No.1920 足利直義御教書

    薩摩国の凶徒追討のため、島津孫三郎らに国内の地頭・御家人を催促し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  68. 前編1-No.1921 祢寝清種軍忠状

    祢寝弥次郎清種が肝付八郎兼重以下の凶徒追討で軍忠を尽くした軍忠状。前年十二月二日の富庄大田城攻め、同九日の新宮城合戦、正月十日の楯籠兼重与党攻撃、同月から四月までの攻落などを列挙し、城戸口で右腰を射られたこと、伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎兼重らとの戦闘を記して証判を求める。

  69. 前編1-No.1922 祢寝清道軍忠状

    祢寝弥次郎清道が伊東藤内左衛門尉祐広・肝付八郎兼重以下の凶徒追討で、前年十二月二日の富庄大田城攻め、同九日の新宮城合戦、正月十日の楯籠兼重与党攻撃に参加し、四月まで軍忠を尽くしたとして披露を求めた軍忠状。

  70. 前編1-No.1923 川上頼久譜

    川上頼久が足利直義に従って京都へ上り、薩摩・大隅両国の地頭御家人を催促する御教書二通を持ち帰ったことを記す川上頼久譜の記事。大隅助三郎忠国・谷山五郎隆信・鮫島彦次郎らとの関係も掲げる。

  71. 前編1-No.1924 足利直義御教書

    薩摩国の凶徒追討のため、国内の地頭御家人らに軍勢を催し忠節を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  72. 前編1-No.1925 足利直義御教書

    肝付兼重以下の凶徒追討のため、大隅左京進入道に国内の地頭御家人を催促し、軍忠を尽くさせるよう命じた足利直義御教書。

  73. 前編1-No.1926 足利尊氏軍勢催促状

    薩摩国で凶徒が蜂起したため、渋谷一族に軍勢を催して忠節を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。

  74. 前編1-No.1927 長谷場久純軍忠状

    長谷場六郎久純が前年十二月十一日に三俣院兼重城へ向かい、二月十九日の北野頴での合戦で左足を射られたことを申告した軍忠状。軍忠の実検を受け、預置した軍御奉行の書下と証判を求める。

  75. 前編1-No.1928 北郷資忠譜

    北郷氏元祖資忠について、左衛門尉への補任を記す北郷資忠譜の記事。

  76. 前編1-No.1929 川上頼久伝

    川上頼久が大隅式部三郎・大寺弥六・大田六郎次郎らと軍功を立て、足利直義から御教書二通と賞を受けたことを記す川上頼久伝の記事。

  77. 前編1-No.1930 島津道恵証状

    薩摩国伊作庄内上湯浦について、河南者から異議を申し立ててはならず、従来どおり沙汰するよう認めた島津道恵証状。

  78. 前編1-No.1931 僧善恵去状

    伊作庄内上湯浦について、誤って給付された安堵下文を根拠とする河南者の異議を認めず、従来どおり沙汰する旨を示した僧善恵去状。

  79. 前編1-No.1932 足利直義感状

    薩摩国での凶徒蜂起に際して合戦に参加し軍忠を尽くした宮里名主を賞し、抽賞する旨を伝えた足利直義感状。

  80. 前編1-No.1933 足利直義御教書

    渋谷平次郎に、薩摩・大隅両国の凶徒追討のため島津孫三郎・大隅左京進入道らと協力し、早く発向して軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  81. 前編1-No.1934 足利直義御教書

    島津三郎左衛門尉・大隅左京進入道らに、薩摩・大隅両国の凶徒追討のため早く京都を進発し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  82. 前編1-No.1935 足利直義御教書

    大田六郎次郎に、島津三郎左衛門尉らとともに薩摩・大隅両国の凶徒追討へ早く発向し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  83. 前編1-No.1936 足利直義御教書

    大隅式部三郎に、島津三郎左衛門尉らとともに薩摩・大隅両国の凶徒追討へ早く発向し、軍忠を尽くすよう命じた足利直義御教書。

  84. 前編1-No.1937 足利直義感状

    敦賀城の凶徒追討で知覧院式部三郎が尽くした軍忠を、島津三郎左衛門尉の注進により賞し、抽賞する旨を伝えた足利直義感状。

  85. 前編1-No.1938 足利直義感状

    敦賀城の凶徒追討で井手籠孫次郎が尽くした軍忠を、島津三郎左衛門尉の注進により賞し、抽賞する旨を伝えた足利直義感状。

  86. 前編1-No.1939 肝属兼重伝

    建武四年五月以降の肝付兼重らの動向を記す伝記記事。泰季が守護領を分封したこと、上聞のため使者を遣わしたこと、六月四日に高家命で河上家久入道導乗らを権領河上名へ派遣したこと、益山四郎・大隅式部三郎らによる市来・松原口等の合戦、負傷・戦死、諸将の入道・任官を記す。

  87. 前編1-No.1940 三条泰季御教書

    薩摩国揖宿郡内秋益名について、三条侍従殿の仰せにより、裁許が確定するまで濫妨を停止するよう命じた三条泰季御教書。

  88. 前編1-No.1941 三条泰季御教書

    薩摩国市来院内河上名地頭職について、忠実に上裁を待つ所領であるとして、濫妨を止め、先例どおり沙汰するよう命じた三条泰季御教書。

  89. 前編1-No.1942 沙弥恵仏申状

    沙弥恵仏が、薩摩国牛屎院惣領職と永松・木崎両名の田畠・在家・山野・狩倉以下を、重病のため嫡子高元へ譲与したとして安堵を求めた申状。高元が将軍家御教書に従い、凶徒追討など諸事の警役を勤めたことを安堵の根拠に掲げる。

  90. 前編1-No.1943 川上頼久伝

    川上頼久が京都へ上り、越前敦賀合戦で大隅前司久長入道道恵・大隅式部亀三郎友久・隠岐七郎行貞らと戦ったこと、益山十郎彦六らを抜いて軍功を挙げたことを記す川上頼久伝の記事。

  91. 前編1-No.1944 川上頼久書下

    大隅助三郎・谷山五郎・鮫島彦次郎入道らの凶徒を速やかに追討し、軍勢を発向させるよう命じた川上頼久書下。

  92. 前編1-No.1945 祢寝清種申状

    祢寝弥次郎清種が和泉一族中へ申し入れた申状。養父佐多孫四郎親政重代相伝地の越尾張左近大夫代肥後次郎入道浄心による押領を訴え、関東権威を称した支配を否定し、将軍家御下文・守護島津判官忠久施行以下の証文に基づく祢寝内見和村名主職の返付と安堵を求める。

  93. 前編1-No.1946 高師直施行状

    渋谷河内入道宗重の肥前国三根西郷地頭職について、将軍家御下文に従って沙汰するよう命じた高師直施行状。

  94. 前編1-No.1947 島津直顕安堵状

    大隅国多祢島内現和村名主職を祢寝清種へ安堵し、帯する文書・証文に相違があれば改める旨を示した島津直顕安堵状。

  95. 前編1-No.1948 島津直顕打渡状

    大隅国多祢島現和村名主職を祢寝弥次郎清種へ打ち渡し、領所を半分清種へ付けて管領させるよう命じた島津直顕打渡状案。

  96. 前編1-No.1949 川上頼久伝

    建武四年七月以降、川上頼久が島津宗久・友久、鮫島彦次郎家藤、伊集院忠国、谷山五郎隆信らと参戦した経過を記す川上頼久伝。市来・高橋・松原口・阿多郡高橋などでの合戦、敵の討取り、味方の矢疵・討死を日付順に記し、八月三日の手負注文へつなぐ。

  97. 前編1-No.1950 島津道恵合戦手負注文

    阿多郡高橋松原口などでの合戦について、島津道恵方の参戦者・負傷者・戦死者を列記した合戦手負注文。上原中務丞尚経、鎌田孫次郎長平、右馬七郎、山田彦太郎、大田孫三郎、石堂彦次郎、益山新次郎らの矢疵・射傷を掲げ、島津宗久・友久、莫禰次郎成時らの見知と証判を記す。

  98. 前編1-No.1951 足利直義感状

    鎮西の凶徒追討で長谷場十郎兵衛尉が尽くした軍忠を、島津修理亮七郎の注進により賞し、抽賞する旨を伝えた足利直義感状。

  99. 前編1-No.1952 足利直義感状

    No.1951と同趣旨で、鎮西の凶徒追討に軍忠を尽くした土持新兵衛尉を賞した足利直義感状。本文は同案のため省略される。

  100. 前編1-No.1953 川上頼久書下

    市来院の凶徒が籠る城を攻め、合戦を遂行するよう河田智門らへ命じた川上頼久書下。