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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 2201~2300件・23 / 27ページ

  1. 前編1-No.2154 重久篤兼譜

    暦応五年八月、谷山の賊徒討伐を決め、重久篤兼らへ四日以前の参陣を命じ、五日に島津方が自ら兵を率いて谷山を攻撃したことを記す譜中記事。

  2. 前編1-No.2155 島津貞久書下

    薩摩国凶徒退治のため、背後を催促して四日以前に発向し、期限に遅れれば後悔することになると警告した島津貞久書下。

  3. 前編1-No.2156 肝付兼重伝

    暦応五年八月、島津方が谷山・佐々野木原・平城などで肝付方と戦い、伊集院勢の援助を受けて攻撃を進めた経過を記す肝付兼重伝の記事。

  4. 前編1-No.2157 和泉保末軍忠状

    和泉保末が八月四日に伊集院内自在原へ発向し、六日に谷山郡佐々野木原、七日以降の各合戦へ参加した戦功を列挙して証判を求めた軍忠状。

  5. 前編1-No.2158 祢寝重種軍忠状

    祢寝重種が薩摩国凶徒退治のため谷山郡へ発向し、五月五日・七日・十三日などの合戦で助三郎忠国以下の凶徒と戦った経過を述べ、証判を求めた軍忠状。

  6. 前編1-No.2159 祢寝清増軍忠状

    祢寝清増が薩摩国凶徒退治のため谷山郡へ発向し、五月五日・七日・十三日の合戦で凶徒を追討し、楯籠平城を攻めた忠節について証判を求めた軍忠状。

  7. 前編1-No.2160 祢寝清種軍忠状

    祢寝清種が薩摩国凶徒退治のため谷山郡へ発向し、五月五日・七日・十三日の合戦で助三郎忠国以下と戦い、楯籠平城を攻めた忠節について証判を求めた軍忠状。

  8. 前編1-No.2161 尼ねんほう譲状

    尼ねんほうが、大隅国祢寝南俣村内の浜田・西谷などの所領を譲り、譲受人の知行を妨げないこと、後日の違乱を禁ずることを仮名書きで定めた譲状。

  9. 前編1-No.2162 島津貞久書下

    在国司四郎入道を凶徒として誅伐するため、急ぎ馳せ参じて軍忠を尽くすよう大平左衛門三郎へ命じた島津貞久書下。

  10. 前編1-No.2163 篠原国道軍忠状

    篠原国道が、鹿児島城への発向、伊集院・阿多郡・加世田別符・谷山などの合戦へ参陣した経過と戦功を月日順に述べ、軍忠の証判を求めた軍忠状。

  11. 前編1-No.2164 島津道鑑書状

    土橋城からの使者と福崎入道の下人が到着したことを受け、敵方の撤退・城内の情勢、援軍や警固の手配、捕虜・人員の処置について内々に指示した島津道鑑の仮名書状。

  12. 前編1-No.2165 島津貞久書下

    伊集院土橋城の警固で二番衆の遅参により難儀しているため、定められた日限以前に早く馳せ越すよう命じた島津貞久書下。

  13. 前編1-No.2166 島津貞久書下

    No.2165と同文であるため本文を省略した、満家院一族宛の島津貞久書下。土橋城警固への期限内参陣を命じる。

  14. 前編1-No.2167 足利直義御教書

    薩摩国凶徒誅伐のため、日を置かず発向して軍忠を尽くすよう島津左京進入道へ命じた足利直義御教書。

  15. 前編1-No.2168 某書下

    薩摩国河辺郡内の黒嶋・硫黄郡司職など二か所を亀松丸へ給付し、両所の年貢を先例に従って取り沙汰するよう命じた書下。

  16. 前編1-No.2169 渋谷定円譲状

    渋谷定円が子息平次五郎重勝へ、相模国吉田庄内の在家・屋敷田畠、薩摩国入来院内清色北方、筑前国柏原、筑後国長淵の屋敷地頭職などを譲り、子孫への相伝と違乱停止を定めた譲状。

  17. 前編1-No.2170 足利直義御教書

    薩摩国凶徒追討のため軍忠を尽くすよう島津上総入道へ命じ、神妙な働きを期待した足利直義御教書。

  18. 前編1-No.2171 島津貞久書下

    越中国田中保の惣領分と、同国横江三郎入道跡の替所を充て行い、先例に従って早く領知するよう命じた島津貞久書下。

  19. 前編1-No.2172 島津貞久書下

    薩摩国加世田別符の相模六郎跡半分について、同年三月二十六日付下文に基づき、島津大隅左京進入道へ沙汰付けて所務を行わせるよう命じた島津貞久書下。

  20. 前編1-No.2173 足利直義御教書

    軍忠を尽くすよう渋谷孫次郎へ命じた足利直義御教書。短い命令本文と宛所・判形を掲げる。

  21. 前編1-No.2174 高師直施行状

    足利直義の命令を受け、軍忠を尽くすよう智覚四郎へ伝達した高師直施行状。

  22. 前編1-No.2175 足利尊氏下文

    度々の合戦で忠節を尽くしたことを賞し、今後もさらに軍忠を励むよう智覚四郎へ命じた足利尊氏下文。

  23. 前編1-No.2176 肝付兼重伝

    肝付兼重方との催馬楽城攻防に従軍した辺牟木又太郎頼秀が、九月十二日以後の戦闘で戦死したことを記す肝付兼重伝の記事。

  24. 前編1-No.2177 殉国名薮

    島津方の比志島彦二・範平らが催馬楽城を包囲し、城将高純が夜に城を棄てて逃走した経過と、比志島氏らの軍忠を記す殉国名薮の記事。

  25. 前編1-No.2178 権執印俊正軍忠状

    権執印俊正が、市来城、阿多郡池辺城、観音寺、鹿児島、伊集院平城、谷山城などへ発向し、城の警固・攻撃・退治に従事した戦功を複数年の日付順に列挙して証判を求めた軍忠状。

  26. 前編1-No.2179 国衙定使定盛請取状

    国衙定使定盛が、佐多村内の女子分などに係る年貢米二升二合八夕を代官きう五郎から受け取ったことを記した請取状。

  27. 前編1-No.2180 権執印俊正軍忠状

    権執印俊正が九月十二日から催馬楽城を包囲・攻撃し、十月十二日夜の落城まで戦った忠節を述べ、島津貞久の証判を求めた軍忠状。

  28. 前編1-No.2181 覚恵田地沽却状

    覚恵が大隅国祢寝南俣の田地を代銭と引き換えに売却し、田地の所在・境界、永代知行、売主側の違乱停止と後日の保証を仮名書きで定めた沽却状。

  29. 前編1-No.2182 比志島彦一丸軍忠状

    比志島彦一丸が九月十二日から催馬楽城攻略に参加し、翌一月七日夜の攻防まで忠節を尽くしたことを述べ、証判を求めた軍忠状。

  30. 前編1-No.2183 櫛間院領家下文

    日向国櫛間院で、仏神事を式目どおり勤行すること、土民の農業を段歩漏れなく行わせること、恒例・臨時の課役を沙汰することの三箇条を命じた櫛間院領家下文。

  31. 前編1-No.2184 渋谷重棟譲状

    渋谷重棟が女子平氏と孫子重興らへ、薩摩国入来院内の所領、肥前国佐嘉下領・三根西郷、筑前国の屋敷田畠などを配分し、子孫への相伝、奉公、違乱停止を定めた譲状。

  32. 前編1-No.2185 渋谷重棟譲状

    渋谷重棟が孫子九郎重興を養子として、筑前国驛家村内光清名地頭職と肥前国三根西郷内東津・泉空閑三分一を永代譲与し、奉公と子孫相伝を定めた譲状。

  33. 前編1-No.2186 足利幕府奉行人連署奉書

    紀伊国冷水浦住人後藤三等が、航海中に船荷を奪い取られた事件を訴えたことを受け、小河小太郎・弥次郎ら関係者を召し出して事情を糾明し、押収物を処理するよう命じた幕府奉行人連署奉書。

  34. 前編1-No.2187 ゆた六郎忠経質券

    ゆた六郎忠経が、薩摩国光富名内の知行分と新田宮へ納める米を担保として、代銭の返済期限と不履行時の引渡しを仮名書きで定めた質券。

  35. 前編1-No.2188 島津道鑑書下

    加羅寿丸を大隅国守護代として差し副え、先例を守って所務を執行するよう命じた島津道鑑書下。

  36. 前編1-No.2189 一乗院政所下文

    一乗院政所が藤原鶴一丸を島津庄日向方飫肥北郷の弁済使代官職に補任した下文。給主の処置、年貢抑留の禁止、所務、恒例・臨時課役、違背時の弁済などを定め、庄家へ承知・執行を命じる。

  37. 前編1-No.2190 一乗院僧琳乗宛行状

    一乗院領の上座・寺主・都維那・権専当・勾当などの僧職を列記し、各職を関係僧へ宛て行った琳乗の宛行状。

  38. 前編1-No.2191 一乗院僧琳乗宛行状

    一乗院僧琳乗が、島津庄日向方飫肥北郷の弁済使代官・収納使職を藤原鶴壹丸へ宛て行い、毎年の年貢弁進、残分の処理、代官得分と職務継承を定めた宛行状。

  39. 前編1-No.2192 一乗院僧琳乗申状

    一乗院僧琳乗が、飫肥北郷弁済使代官の所務をめぐり、門跡領での押領・狼籍、年貢収納の妨害について関係者を召し出し、厳密な沙汰を行うよう求めた申状。

  40. 前編1-No.2193 政位請取状

    佐多村内の女子二人分に関して、池端から八十四文を受け取ったことを仮名書きで記した政位請取状。

  41. 前編1-No.2194 高師直奉書

    三条御所が当朝に炎上したため、大隅・薩摩両国の地頭御家人は馳せ参じないよう国中へ触れることを島津貞久に命じた高師直奉書。

  42. 前編1-No.2195 足利尊氏御教書

    薩摩国凶徒誅伐について、渋谷石見権守重棟を使節とし、事書の趣旨に従って相談のうえ厳密に沙汰するよう島津貞久へ命じた足利尊氏御教書。

  43. 前編1-No.2196 貴船宮大宮司職補任状

    島津庄聴政所が、貴船宮大宮司職をめぐる尼妙覚・左衛門太郎邦兼らの多年の訴陳を踏まえ、従来の知行を検討して藤原義栄を同職へ補任し、子孫への継承と職務執行を命じた補任状。

  44. 前編1-No.2197 一乗院留守所下文

    一乗院留守所が、増淵・石永薗の田畠、水田二町と薗二か所などを長谷場十郎兵衛尉幸純へ給付し、御供米の負担、先例に従う所務、子孫への勤仕を定めた下文。

  45. 前編1-No.2198 一乗院留守所下文

    一乗院留守所が、長谷場兵庫允久純に島津庄日向方南郷門貫末弘名の田畠・薗などの当知行を安堵し、子孫まで相違なく知行させるよう命じた下文。

  46. 前編1-No.2199 大宰府料物請取状

    大宰府関係の料物三百五十四文について内訳を示し、祢寝院南俣内池縁殿代草五郎から受け取ったことを記した請取状。

  47. 前編1-No.2200 島津道鑑書下

    入佐八郎の降参を受け入れ、以後は軍忠を尽くすよう命じた島津道鑑書下。短い命令本文と所蔵注記を掲げる。

  48. 前編1-No.2201 島津道鑑書下

    正文が渋谷知兵衛重増に伝来することを示す所蔵注記のみを掲げた島津道鑑書下の項目。本文は収録されていない。

  49. 前編1-No.2202 惟宗友重譲状

    惟宗友重が松士与丸へ、臺園一所内光富名半分、弁済原田一町中間三段などの重代相伝の所職・田畠を譲り、子孫の知行と違乱停止を定めた譲状。

  50. 前編1-No.2203 家貞証状

    家貞が、山門院東方高小野里内小長田の田地五反・畠を道恵から市来崎彦七郎へ給付したことを確認し、後日の証拠として知行を保証した証状。

  51. 前編1-No.2204 道恵譲状

    道恵が、市来崎彦七郎の忠節に報いて、山門院東方高小野里内小長田の田地五反・畠を永代譲与した仮名書譲状。国衙年貢・公事の負担、子孫相続、他の子らによる違乱禁止を定める。

  52. 前編1-No.2205 島津忠宗譜

    『太平記』巻二十四の天龍寺供養記事を引き、尊氏・直義、導師、供奉三十二騎などの行列を記す一方、島津忠宗の没年との間に二十年の齟齬があるとして国史の年次を考証した島津忠宗譜の記事。

  53. 前編1-No.2206 渋谷重興軍忠状

    渋谷九郎重興が八月二十七・二十八日の薩摩国鹿児島谷峰城合戦で尽くした軍忠を述べ、後日の訴訟の証拠とするため見参・証判を求めた軍忠状。

  54. 前編1-No.2207 栄快寄進状

    栄快が、相伝してきた正八幡宮経田のうち符田五段を霊明寺衆集院阿弥陀院の如来御祈田として寄進した文書。父母・師長・六親眷属および自他の極楽往生を願う趣旨と、永代の仏事勤修を記す。

  55. 前編1-No.2208 たうきん譲状

    たうきんが、伊集院福方・宮里内成里などにある薗二か所を重代相伝の所領として譲り、子孫の永代知行、国衙年貢・公事の負担、他の一族による違乱禁止を仮名書きで定めた譲状。

  56. 前編1-No.2209 島津国史

    南朝正平元年・北朝貞和二年を中心に、伊集院道忍の再蜂起、野崎・若松・高城・東福寺城などの攻防、日置北郷・河北・河南の占拠、山川港・河辺郡方面の軍事行動を編年で記す。幕府・足利直義・島津貞久の御教書、援軍催促、比志島氏・渋谷氏・肝付氏らの動向も月日順に掲げる国史記事。

  57. 前編1-No.2210 肝付兼重伝

    肝付兼重と中院法印らが河辺郡高城付近に要害を築いて敵路を断ち、山川港から水軍を発したこと、南方勢が高城へ集結して暗夜に東福寺城を襲おうとしたため、鹿児島へ急報して比志島氏らの援軍を催した経過を記す伝記記事。

  58. 前編1-No.2211 島津道鑑書状

    中院法印・肝付兼重以下の凶徒が兵船と要害を利用して軍路を塞ごうとしているとの山河津からの報告を伝え、比志島一族に軍勢を整え、到来時には直ちに馳せ参じるよう命じた島津道鑑書状。

  59. 前編1-No.2212 平家高譲状

    平家高が薩摩国山門院三百五十町を山門六郎へ限永代譲与し、末代まで子孫が相違なく知行するよう定めた譲状。

  60. 前編1-No.2213 島津道鑑書状

    南方凶徒が暗夜に東福寺城を襲う計画であるとの伊集院助三郎・市来入道方の報告を受け、一族を寄せ合わせて軍勢を整え、敵の集結時には直ちに馳せ参じるよう比志島彦一へ命じた島津道鑑書状。

  61. 前編1-No.2214 島津元久譜

    島津元久が又三郎・陸奥守を称し、貞治二年癸卯五月廿日に大始良で生まれ、母が伊集院長門守忠国の娘であることを記す譜記事。

  62. 前編1-No.2215 近世略系図元久譜

    『近世略系図』により、元久の初名を孝久、通称を又三郎、官途を陸奥守とし、誕生年月日と母を伊集院長門守忠国の娘とする系譜関係を掲げた記事。

  63. 前編1-No.2216 島津貞久書下

    本文の所蔵先を比志島相良家とし、島津元久の母が長門守忠国入道道忍の娘であること、法名などの異説を注記した系譜記事。

  64. 前編1-No.2217 足利尊氏下文

    島津周防三郎左衛門尉忠兼の勲功を賞し、播磨国布施郷公文職を宛て行い、先例を守って所務を行うよう命じた足利尊氏下文。

  65. 前編1-No.2218 治部権大輔某書状

    中納言法印に薩摩国を知行させるよう簡潔に申し送った、治部権大輔某の本文一行の書状。

  66. 前編1-No.2219 伊作庄名主等起請文

    伊作庄の名主・直人らが、以前に宮方へ参じた経緯を踏まえ、伊作殿代官かちへ左衛門入道に二心を抱かず、他人の誘引に応じず忠節を尽くすことを誓った連署起請文。違反時には日本六十余州の神罰を受けると記す。

  67. 前編1-No.2220 伊作庄名主等連署注進状

    伊作庄河北の名主・直人らが、田尻・坂本・今田の三城を攻略した経過、伊集院道忍による日置北郷・河北・河南の占拠、道恵代官と名主らの中山城籠城、領家方への忠節を報告した連署注進状。

  68. 前編1-No.2221 肝付兼重譜

    肝付兼重譜に、伊作庄河北の田尻・坂本・今田三城や中山城をめぐる攻防、伊集院忠国の官軍復帰、若松城攻略と夜間落城、周辺勢力の進退を諸注進状に基づいて記した記事。

  69. 前編1-No.2222 島津道恵等連署注進状

    島津道恵・紀伊権守行仲らが、伊集院道忍による若松城攻撃と八月二十七日夜の落城、日置所領の押領・路次遮断、野崎村の要害から淀谷一族が退去した状況を報告し、各城・諸勢へ救援教書を急ぎ下すよう求めた連署注進状。

  70. 前編1-No.2223 かくけん書状

    かくけんが、伊集院助三郎入道が敵となり二、三日中に伊作庄河北へ侵入するとの情報を伝え、庄を固守して領家年貢を確保し、かちへ左衛門入道方へ忠節を尽くすよう求めた仮名書状。

  71. 前編1-No.2224 伊作庄名主等連署注進状

    No.2220の伊作庄河北名主等連署注進状と同文であるため本文を省略した別本。

  72. 前編1-No.2225 沙弥某書下

    満家郡山城を敵方が誘い取ろうとしているため、油断せず猶予なく警戒・用心するよう郡山弥五郎へ命じた沙弥某書下。

  73. 前編1-No.2226 沙弥道阿契約状

    沙弥道阿らが、飫肥北郷山西弁済使職の宛行を前提として、互いに身命を捨て無二の軍忠を尽くし、公私に助け合い、敵鎮静後は年貢を怠らず納めることを日本国中の神祇冥道に誓った契約状。

  74. 前編1-No.2227 足利尊氏書状

    足利尊氏が、島津左京進入道・隠岐入道の子らの忠節を賞し、尾張国羽豆崎庄の陥落、越中普門蔵人の降参、新田方の捕縛・斬首などの戦況を伝え、さらに軍忠を尽くすよう求めた書状。

  75. 前編1-No.2228 一乗院領諸士契約状

    一乗院領の諸士が、他人に所領を競望された契約衆へ即時に集合し、兵粮を持って命懸けで援助すること、互いの知行を望まないこと、所務紛争には合力し、不和・違反を衆議で処理することを春日大明神に誓った契約状。

  76. 前編1-No.2229 野辺氏系図

    野辺六郎左衛門久盛・孫七盛忠から、盛政・政範・盛秀・泰盛・鶴寿丸・女子五人へ続く系統を、異名・官途の注記とともに図示した野辺氏系図。

  77. 前編1-No.2230 すけよし請取状

    すけよしが、一切経そうせん米八合を北野村内の池端殿分と女子二人跡分から受け取ったことを仮名書きで記した請取状。

  78. 前編1-No.2231 高師直施行状

    建武三年三月十七日付下文に基づき、薩摩国河辺郡と大隅国本庄を島津上総入道の代官へ沙汰付けるよう命じた高師直施行状。

  79. 前編1-No.2232 足利直義軍勢催促状

    足利直義が、薩摩国合戦で大隅助三郎入道道忍・鮫島彦次郎入道蓮道らが凶徒に与同し、淀谷一族らが陣を捨て帰宅したことを問題として、不参者の所帯没収を含む厳重な催促・討伐を島津上総入道へ命じ、一色範氏の指揮に従わせた軍勢催促状。

  80. 前編1-No.2233 足利直義御教書

    薩摩国合戦の注進を受け、大隅助三郎入道道忍ら凶徒方を守護人と相談して速やかに討伐するよう島津左京進入道へ命じた足利直義御教書。

  81. 前編1-No.2234 渋谷定円譲状

    渋谷定円が平次五郎重勝へ、相模国吉田庄・上野国大類田島・美作国河会郷・筑前国長淵庄・薩摩国入来院清色郷などの相伝所領を証文とともに永代譲与し、公事勤仕と子孫相続を定めた譲状。

  82. 前編1-No.2235 渋谷定円置文

    渋谷定円が、父静円から相伝した相模・上野・美作・薩摩各国の屋敷・田畠・山野について、惣領長徳丸の死後に舎弟定重が押領し、定重死後に回復した経緯を述べ、平次五郎重勝へ譲って代々の相続と公事勤仕を定めた置文。

  83. 前編1-No.2236 鎮西沙汰事書并足利直義御教書

    鎮西の統治について、寺社興行、所務相論・検断、異賊防禦、年貢・地頭職、恩賞地の没収、所領売買・質入れ、押領、悪党・海賊の追捕、訴訟・越訴、守護人・使節の権限などを条々に定める。地頭・領家間の裁断、守護職の補任・年貢、訴訟人の濫妨、狼藉人の処罰等を細かく規定し、宮内少輔殿に沙汰の遵行を命じた事書と御教…

  84. 前編1-No.2237 肝付兼重伝

    南朝正平二年・北朝貞和三年、南方勢の隆信城入城に対し、比志島彦一範平が谷山城へ援兵を送り、公師泰らが正月から六月にかけて東福寺城・濱崎城などを攻めた経過を記す。熊野海賊数千人の来襲、海陸からの攻撃、河西七郎義清らの捕縛・追却を月日順に列挙した肝付兼重伝。

  85. 前編1-No.2238 島津道鑑書状

    島津道鑑が比志島一族へ新春を賀し、南方凶徒数百人が谷山城に集結したとの報を伝える。御方城の堅固な防備と、時刻を移さず谷山へ馳せ寄って合戦することを求め、既所・難儀の場合も忠節を尽くすよう促した書状。

  86. 前編1-No.2239 島津貞久書状

    島津道鑑が比志島一族へ宛て、前掲書状の趣旨に従って軍事行動に当たるよう伝え、「恐々謹言」と結んだ正月七日付の短い添状。

  87. 前編1-No.2240 島津貞久書下

    島津貞久が比志島一族へ、南方凶徒数百騎が谷山城に入ったとの内通人の告申を伝え、今明日にも近所へ進出する見込みなので、猶予なく馳せ寄って合戦するよう命じた書下。

  88. 前編1-No.2241 重久篤兼譜

    幕府の教書を受けた島津貞久が、伊集院道忍・鮫島蓮道らの追討のため重久篤兼に軍勢催促を命じたことを掲げる重久篤兼譜の記事。

  89. 前編1-No.2242 島津貞久書下

    島津貞久が重久孫八へ、前年十一月二十一日付御教書に基づく薩摩国凶徒誅伐への参陣が遅れていると叱責する。一族を催して今月中に陣へ来なければ所帯を処分するとし、急ぎ用意して参陣するよう命じた書下。

  90. 前編1-No.2243 重久篤兼譜

    四国・中国の海賊船三十余艘が日向国飫肥南郷内目井浦から肝付郡内浦崎へ入り、凶徒に加勢する恐れがあるとの報を受け、野辺孫七盛忠が追伐のため急行した経過を記す重久家蔵文書の記事。

  91. 前編1-No.2244 島津貞久書下

    島津貞久が、四国・中国の海賊船三十余艘が飫肥南郷内目井浦から肝付郡内へ来航し、凶徒に加勢する恐れがあるとの報を受けて発した緊急軍令。野辺孫七盛忠を使者として通報したので、時を移さず当陣へ馳せ参じ、海賊勢と合戦するよう重久氏関係者に命じる。

  92. 前編1-No.2245 島津貞久書下

    島津貞久が比志島一族へ、野心を企てる凶徒誅伐に際して比志島彦太郎以下の一族が同心参陣した軍忠を神妙と賞し、今後も戦功に励むよう命じた書下。

  93. 前編1-No.2246 島津伊久系図

    島津伊久について、上総介・大夫判官を称し、貞和三年二月朔日に薩州七代太守島津師久の長子として生まれたことを記す系図記事。

  94. 前編1-No.2247 渋谷定円外二名連署譲状

    渋谷定円ら三名が、筑前国早良郡下長尾の水田二町と染鉄同刑部次郎屋敷を、弘安合戦の勲功で相伝した所領として養子若王丸へ譲る。諸公事を先例どおり勤仕させ、将来の違乱を禁じた連署譲状。

  95. 前編1-No.2248 足利尊氏下文

    No.2227所収の足利尊氏書状と同文であるため本文を省略した伊作家文書の別本。掲出年紀の康永六年三月二十六日は、康永二年の誤りであろうとの校訂注を付す。

  96. 前編1-No.2249 足利尊氏書状

    足利尊氏が伊作家へ、長く庄に籠もる苦労をねぎらい、度重なる帰国願いに応じられない事情を説明する。東国にも軍勢を要するため三郎左衛門を帰せず、在京者も不足しているとして辛抱を求め、三郎左衛門には奉公を続けさせ、機会をみて帰国を許す意向を伝えた仮名書状。

  97. 前編1-No.2250 国衙正税物請取状

    二郎判官末元が、北野村内の池端殿分および女子十八分跡分から、国衙正税物百六十六文と「てうかく米」二升三合八夕を受け取ったことを記す仮名書きの請取状。

  98. 前編1-No.2251 島津道鑑書状

    島津道鑑が市来崎六郎次郎へ、中村彦五郎入道道純が凶徒を濱崎城に引き入れ、四国・中国の海賊も谷山方へ加わったため合戦が難しくなったと伝える。最前から馳せ寄った忠節を賞し、さらに神妙を尽くして参陣するよう求めた書状。

  99. 前編1-No.2252 渋谷重名軍忠状

    渋谷弥四郎重名が、五月十九日夜に薩州鹿児島院方の敵が東福寺城へ来襲した際の合戦、六月三日に熊野海賊以下数千人が海陸から攻め寄せた際の防戦、同六日の追撃を列挙し、子細を後日の証拠とするため御判を求めた軍忠状。

  100. 前編1-No.2253 和泉実忠譜

    島津道鑑が弟の島津師久らに命じ、肝付兼重・中村弾正忠秀純らの拠る東福寺城・濱崎城を攻め、両城を陥落させた経過を記す。熊野水軍の来襲、海陸での激戦、渋谷氏・河西氏らの戦功も掲げる和泉実忠譜の記事。