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前編1の目録

旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。

全2,673件中 701~800件・8 / 27ページ

  1. 前編1-No.665 関東御教書

    魔嶋中務次郎康邦が薩摩国魔嶋郡司・弁済使両職を訴えた件について、先の命令に従って所労者を交替させ、代官を進めて沙汰を執行するよう命じた関東御教書。

  2. 前編1-No.666 某書下

    鹿児島郡司・弁済使両職をめぐる康友と忠重の相論について、両方を召し出して文書の理非を調べ、裁許を待たずに忠重が行った庄内での処置を停止して沙汰するよう命じた某書下。

  3. 前編1-No.667 島津忠時挙状

    島津忠時が、魔嶋太郎康村が上司へ見参することを望んでいる旨を後藤左衛門尉へ取り次ぎ、面会を許すよう求めた挙状。

  4. 前編1-No.668 比丘尼西阿寄進状

    比丘尼西阿弥陀仏が亡夫の遺跡に属する水田二段を臺明寺本堂阿弥陀如来へ寄進した状。仏事・追善供養に充て、子孫が押領・違乱しないこと、寺家が永代に知行することを定める。

  5. 前編1-No.669 僧宰慶寄進状

    僧宰慶が、小さな結縁も大きな仏縁になるとして、阿弥陀如来の仏性料を臺明寺へ寄進した短い状。弘長三年十一月十九日付で、本文は既出文書と同文のため省略される。

  6. 前編1-No.670 正八幡宮領内台明寺料田等号

    正八幡宮領内臺明寺の料田・証文を列記した記事。恒次名内下河津留田五段、僧安覚の山王御宝楽田申状、国免状、承久・安貞・文永年間の譲状・免状・抄帳、覚山王御宝前燈油田寄進状など、料田の由緒を示す文書名・通数・年月を整理する。

  7. 前編1-No.671 島津国史

    『島津国史』が、文永元年前後の島津氏の家督・守護職・所領相続を詳述した記事。忠時・久経らの系統、薩摩・大隅・日向三州の支配、薩摩郡市来院・山田院・日置南郷・宮里郷・阿久根十二島などの所領、幕府・将軍家への奉公、親族間の譲与と訴訟を年代順に記す。蒙古襲来期の軍事奉仕や寺社との関係も含み、島津家の継承根…

  8. 前編1-No.672 島津道仏覆勘状

    島津道仏が京都大番役六箇月の勤仕を終えた者について、任務終了後は帰国を許し、本人の意向に任せることを確認した覆勘状。

  9. 前編1-No.673 島津道仏覆勘状

    島津道仏が、比志嶋太郎の京都大番役六箇月の勤仕終了を確認し、帰国を認めた覆勘状。

  10. 前編1-No.674 島津道忍寄進状

    島津久経の譜記事中に掲げられた寄進記録。大日社・修善寺関係の仏供・田地として、九反井・小苗代などの地名・反別と寄進先を列挙する。

  11. 前編1-No.675 将軍家政所下文

    将軍家政所が平氏字姫夜叉に、薩摩国山門院の郡司職と名田・島・山野・河海を安堵した下文。父平弘忍の譲状に基づく次女子への分与を認め、名田・公事・所役を含む所領を知行させ、親族や第三者の違乱を禁じる。

  12. 前編1-No.676 沙弥見仏譲状

    沙弥見仏が嫡子三郎へ所領を譲った仮名譲状。薩摩郡内の延時名、村・屋敷・田畠など複数の譲与地を列挙し、嫡子が知行・相伝すること、兄弟・親族が違乱しないこと、後日の争いは譲状に従って処理することを定める。

  13. 前編1-No.677 台明寺文書目録

    臺明寺に伝来した文書を種別・通数・年月・関係地別に列挙した長大な文書目録。念仏田、給主状、寄進状、彼岸田、太府宣のほか、臺明寺領各地の免状・停止状・売券・譲状・国司庁宣・守護下知状・雑掌訴状などを多数収録する。田名・面積、地頭・給主・僧侶名、在外題・花押の有無も記し、寺領の権利証文群の構成と伝来状況…

  14. 前編1-No.678 関東御教書

    薩摩国名主らが京都大番夫・雑事を拒んだ件について、泉庄名主保通の陳状を踏まえ、本人が在番役を勤める場合の夫雑事負担、守護・地頭が徴収できる所当公事の範囲を調査し、不当な賦課を停止するよう命じた関東御教書。

  15. 前編1-No.679 島津道仏譲状

    島津道仏が修理亮久時へ所領を譲った仮名譲状。薩摩国・大隅国の村・名田・屋敷など複数の譲与地を列挙し、久時の知行と相伝を認め、親族・第三者の違乱を禁じる。

  16. 前編1-No.680 越前島津忠景譜

    文永二年六月廿三日、将軍家が最明寺亭へ入御した際、島津忠景が騎馬二十人の供奉者に加わったことを記す。

  17. 前編1-No.681 越前島津忠景譜

    文永二年七月十六日、将軍家が左京兆小町亭へ入御した際、島津忠景が供奉二十七人の一人として列したことを記す。

  18. 前編1-No.682 越前島津重賢譜

    文永二年八月十三日、将軍家が最明寺亭へ入御した際、島津重賢が歩行二十八人の供奉者に加わったことを記す。

  19. 前編1-No.683 渋谷善心譲状

    渋谷善心が平四郎有重へ所領を譲った状。吉田上庄内清太入道西在家一宇、美作国河辺郡内下森の所領などを列挙し、有重の知行・相伝を認める。

  20. 前編1-No.684 島津道仏譲状

    島津道仏が嫡子太郎忠真へ所領を譲った仮名譲状。忠真を正嫡として所領・権利を相伝させ、後日の違乱を禁じる。

  21. 前編1-No.685 関東下知状

    関東が大秦元兼に、亡父国元から相伝した薩摩国牛屎郡司職と十二箇里名主職の知行を認めた下知状。譲状がない事情を考慮し、父子相伝と先例を根拠に両職を安堵し、異論なく領掌させる。

  22. 前編1-No.686 島津国史

    島津道忍(初名久時、のち久経)の事績を中心に、文永年間の北条政村・時宗と鎌倉政権、将軍惟康親王、薩摩国の動向を年代順に記す。蒙古襲来に際し、北条政村が阿多北方地頭へ命じて代官を派遣し、城郭・兵糧を整え警固したこと、道忍が鎮西に下向して薩摩国守護所へ赴いたこと、後宇多天皇践祚、道忍の没年・葬所、子孫や…

  23. 前編1-No.687 島津道忍寄進状

    大口小苗代薬師文書。本文は『本書第六六七号文書ト同文ニツキ省略ス』との注記のみで、No.667と同文であることを示す。

  24. 前編1-No.688 島津道仏譲状

    島津道仏が、亡父の文永二年九月二十日付譲状に基づき、薩摩国牛屎院地頭職を相違なく知行することを認めた譲状。後代まで違乱なく領掌すべき旨を命じる。

  25. 前編1-No.689 沙弥行日譲状

    沙弥行日が、相模国大井庄内吉田嶋と薩摩国阿多郡北方の二所を、関係する調度文書を添えて女房寔也へ譲渡し、他者の妨げを禁じた譲状。

  26. 前編1-No.690 沙弥行日譲状

    沙弥行日が、西御門入奥地と濱倉半分、その倉納物の相分半分を女房へ譲り、沙汰人・地主に毎年妨げなく領掌させるよう求めた譲状。

  27. 前編1-No.691 藤原行久東大寺功

    『左兵衛尉藤原行久 功 東大寺 元亨元年十二月廿九日』と記す短い記載。本文からは藤原行久と東大寺、元亨元年十二月二十九日の関係が確認できるが、具体的な功績や所領譲渡の内容は記されない。

  28. 前編1-No.692 越前島津忠景譜

    『東鑑』の記事。文永三年七月三日、甲冑の軍士が旗を掲げて東西から馳せ集まり、相州門外・政所南大路などで軍勢が動いた際、将軍家が執権亭へ入り、忠景が警固・供奉に加わった経過を記す。少卿入道心蓮・信濃判官入道行一らの名も見える。

  29. 前編1-No.693 越前島津忠景譜

    『東鑑』の記事。文永三年七月四日、将軍家が越後入道勝円の佐介亭へ入御し、供奉の武士十九人のうちに忠景がいたことを記す。

  30. 前編1-No.694 記事文永三・四・五年

    文永三年から五年にかける臺明寺関係記事。成寿房朗弁の寄進、主丸名主紀吉久・嫡子紀重吉による主丸名内一町・竹原田六段の臺明寺料田・地蔵講田への設定、備前房慶明から弟子直性房明秀への坊地・園の譲与、明秀の辞状、八幡宮命婦綾氏女の置状、蓮花王院領肥前国長嶋庄をめぐる水利権執行などを年代順に収める。

  31. 前編1-No.695 僧覚意寄進状

    僧覚意が、曾野郡智能名字副柳一町のうち東五段を、亡き先師朗弁の忌日料として臺明寺衆集院へ寄進した文書。米丸往古の経田とすること、臨時の公役は免れないこと、年貢沙汰や念仏・読経などの供養、後世の修正条件を定める。

  32. 前編1-No.696 関東下知状

    長宗と莒宗の相論について、長宗側が旧領・本役を主張して狼藉を働いたことを退け、先の裁許に従って莒宗の所務を妨げず執行するよう命じた関東下知状。訴陳・証文を踏まえ、重ねて違背しないよう沙汰する。

  33. 前編1-No.697 奉行人藤原某奉書

    長宗と莒宗の相論について、長宗が狼藉を理由に訴えた件はすでに御下知があるため、起請文を作成し、被申者の上書を添えて先例どおり執達するよう命じた奉行人藤原某の奉書。

  34. 前編1-No.698 沙弥見仏譲状

    沙弥見仏が、所領の一部を嫡子とする三郎種忠かへ譲る仮名書きの譲状。名田・屋敷などの譲渡対象を列記し、文永元年十月頃の譲与経緯、見仏一代の処分、後日の異論・違乱を避けるための相続条件を述べる。判読に迷う固有名・地名があるため人物比定は確定しない。

  35. 前編1-No.699 関東下知状

    薩摩国入来院清色郷の内、吉田庄内清太入道西在家壱宇、藤意村内立野伍町、美作国河会郷内下森・白山宮西などの所領について、有重の知行を認めた関東下知状。亡父明重法師の譲状を根拠に安堵し、異論なく領掌させる。

  36. 前編1-No.700 関東下知状

    釈童丸について、亡父明重法師の弘長三年正月二十三日付譲状に任せ、美作国河会郷内の大足村・東木屋を相違なく領知させる関東下知状。

  37. 前編1-No.701 執印重兼相博状

    執印重兼と左衛門尉友員が所領を交換した相博状。重兼側から、佐多門殿古郷、津野丸給田屋敷、河原田の田地などを示し、相互に譲り合う所領の範囲と、以後の相論・違乱を禁ずることを仮名書きで定める。

  38. 前編1-No.702 左衛門尉友員相博状

    左衛門尉友員側から作成したNo.701と対になる相博状。四郎殿、九郎の薗、三郎太郎の屋敷など交換対象を列挙し、双方が所領を交換して相論・妨害を行わないこと、子孫へ伝えることを仮名書きで確認する。

  39. 前編1-No.703 新田宮権執印永慶重申状

    新田宮権執印僧永慶が、坊地・薗をめぐる違乱について重ねて裁許を求めた申状。備前房慶明の譲跡、慶明抄帳、法性殿譲状、羅睺羅院の証文、山門の旧規などを根拠に、明秀の主張を退け、旧来の坊地支配を回復するよう訴える。

  40. 前編1-No.704 主丸名主紀吉久奉免状

    主丸名主紀吉久が、臺明寺の祈田・地蔵講田一町と竹原田六段について、両三方の公事などを免除した奉免状。寺院の祈禱・講運営に用いる田地を名主負担から外し、寺領として保障する。

  41. 前編1-No.705 島津道仏譲状

    島津道仏が太田庄内の所領を子孫へ譲った仮名書きの譲状。太田庄内の薗・屋敷・給田、河原田、桑代、山野などの譲渡対象を列挙し、嫡子・女子らへの配分、先祖以来の知行、後日の相論を禁ずる条件を定める。

  42. 前編1-No.706 関東下知状

    大炊助長久に和泉国上條郷五箇里ほかの領知を認める下知状。旧御番所二番箱所蔵の譲状・置文類の一通として伝わる。

  43. 前編1-No.707 建部清綱譲状

    建部清綱が子息へ所領を譲る文書。水田・薗・屋敷・山野などを郷・村・地名ごとに列挙し、東限・西限・北限・南限などの境界、段別の面積、親類への分与分を示して相伝させる。

  44. 前編1-No.708 江口信阿弥陀仏譲状

    江口信阿弥陀仏が、父新大夫正持入道から相伝した上古仏田一町を譲る文書。相伝の由緒を述べ、今後の領主も妨げなく知行・給付すべきことを定める。

  45. 前編1-No.709 櫛間院年貢弁進状

    櫛間院の年貢弁進状。定田三百二十七町一段四丈、半分御免残分、得田、分面付田、桑代、色革などの項目ごとに面積・貫文・数量を記し、東方・西方の負担や段別の内訳を示す。

  46. 前編1-No.710 野辺盛仁所領目録

    野辺盛仁らの当知行分を国・郡・院ごとに列挙した所領目録。日向国櫛間院一円、飫肥院酒谷之城・南郷、大隅国加江田郷、深川院内二十町、隅田上半分、限屋河内などを掲げ、親類越中入道分との相違を問題とする。

  47. 前編1-No.711 野辺氏系図

    重盛内大臣を起点とし、有盛・宗平・盛忠・盛久・盛行・盛綱らへ続く野辺氏の系譜図。備中守・丹後侍従・左衛門尉・刑部大輔などの官途を添える。

  48. 前編1-No.712 小袖帷布袍目記

    臺明寺関係者に配る衣料の数量目録。静意御房、眞暁、成暁、雑人四人、十郎次郎らについて、衣・小袖・袍・布・綿の寸法と数量を個別に記し、法衣・衣料の支給内容を示す。

  49. 前編1-No.713 僧明秀申状

    僧明秀が臺明寺の坊地・薗をめぐる争いについて裁許を求めた申状。師匠備前房慶明の遺跡、法性殿譲状、慶明抄帳、羅睺羅院の証文、山門の旧規を挙げ、旧来の住侶支配を主張し、相手方の違乱停止と所務回復を求める。

  50. 前編1-No.714 明豪書状

    明豪が、御文を承知し臺明寺の訴えを蒙仰候へ取り次ぐこと、六月三日頃からの経過を確認した上で、使者が到来した際には申入れを行うよう伝えた書状。

  51. 前編1-No.715 正八幡宮命婦綾氏女寄進状

    正八幡宮命婦綾氏女が、臺明寺修寿院の忌日祈田として宗肖蘭田三段を寄進した文書。経田として覚明から譲られた由緒を述べ、命婦の死後は速やかに臺明寺阿弥陀如来へ進め、後世の違乱を禁ずる。

  52. 前編1-No.716 町田光俊譜

    町田光俊譜の記事。文永六年三月、僧慶西と嫡子紀時道が伊集院郡司の一族として有していた権現御敷地、温穴、石谷・岩井谷・瀬戸口・多尾などの所領・社寺修造関係を記し、地域支配と町田氏系譜の由緒を示す。

  53. 前編1-No.717 僧慶西所領譲状

    僧慶西が山田七郎右衛門へ所領を譲った仮名書きの譲状。田壱町内の穴牟の前、桑田、五反田、築地などを列挙し、検見・公事負担、年貢や作人の扱い、他人の妨げを排して子孫へ相伝する条件を定める。

  54. 前編1-No.718-1 熊野権現米由記

    熊野神が石谷総社となった由来を記す記事。文永六年は大祖公の時代から遠くないとして、僧慶西・紀時道の証状、石谷総社の来由、町田大概記、石谷江古の地にある宮所、古い棟札などを根拠に由緒を考証する。

  55. 前編1-No.718-2 熊野権現米由記

    忠久公が初めて薩摩へ下向した際、船中で風波に遭い、熊野三所権現へ無事の着岸を祈願したという記事。伊集院に到着後、熊野社の建立・勧請を進め、熊野三所権現の鎮座と伊集院支配の由緒を結びつける。

  56. 前編1-No.719 島津貞久母方系図

    島津貞久の母方系譜記事。文永六年四月八日に貞久が誕生し、母は三池本助入道道智の女で、婚姻時に廉中大友因幡守親時入道道徳の女を添えたことを記す。

  57. 前編1-No.720 島津貞久譜

    島津貞久譜の記事。高崎次郎忠能を大友殿側、小田原弾正忠を島津家側の家臣として対置し、両人が当家に仕えた系譜上の関係を記す。

  58. 前編1-No.721 関東下知状

    惟宗久時に薩摩国魔嶋郡地頭職を知行させる関東下知状。亡父大隅守忠時法師道仏の文永二年十二月二十三日付譲状に任せ、鎌倉殿の仰せにより領掌を認める。

  59. 前編1-No.722 肝付実兼譜

    肝付実兼譜の記事。文永七年八月の預所下文により、兼世を罷めて実兼を鹿屋院弁済使職へ補任したこと、父祖以来の職であることを記し、肝付氏と鹿屋院支配の関係を示す。

  60. 前編1-No.723 島津庄預所下文

    島津庄大隅方の預所が左馬允伴実兼を鹿屋院弁済使職へ補任した下文。兼賢相伝の職を子息中から補うべきところ、兼世が不忠であったため停止し、実兼を補任して在家事・都不及沙汰などの職務を命じ、土民へ遵守を求める。

  61. 前編1-No.724 渋谷公重和与状

    渋谷公重が親族間の所領争いを和解させた仮名書きの和与状。係争する所領を三分して配分し、各人の持分・知行を定め、幕府への訴えを取り下げて以後相論しないこと、違反時の扱いなどを取り決める。

  62. 前編1-No.725 台明寺雑掌申状

    臺明寺雑掌が、右大将家の時以来の先例と天福・仁治年間の御教書を根拠に、守護使の寺内入部停止を求めた申状。守護使が介入できるのは謀叛・殺害・刃傷・夜討・強盗の五箇条に限るとして、寺内への濫入、被害、関東御祈禱の妨げを訴え、従来どおり寺家裁判とするよう請う。

  63. 前編1-No.726 関東御教書

    蒙古人襲来の報を受け、所下の家人らを早急に鎮西へ差し下し、薩摩国阿多北方の守護人と協力して異国防禦に当たらせ、管領内の怠慢・悪党を取り締まるよう命じた関東御教書。

  64. 前編1-No.727 島津道仏誠状

    島津道仏が子孫へ遺した仮名書きの誠状。所領の分配と親族間の扶持、軍役・警固への参加、将来の訴訟や相論を避ける心得を述べ、子孫が互いに協力して家領を守るよう申し置く。忠宗公御譜中所収。

  65. 前編1-No.728 藤原恒久譲状

    藤原恒久が嫡子祐恒へ、大隅国主神司職、調所政所書生の両職などを譲った譲状。恒久重代相伝の職であることを述べ、嫡子に職掌・証文を渡し、他者の異議なく相伝させる。

  66. 前編1-No.729 名越時章書下

    大隅国臺明寺への守護使入部について、天福元年七月十七日付御下知状に従い沙汰を行うよう命じた名越時章の書下。

  67. 前編1-No.730 大隅国守護代施行状

    大隅国臺明寺への守護使入部について、九月二十七日付御下知を受け、天福元年七月十七日付下知状の趣旨に従って沙汰するよう命じた大隅国守護代施行状。

  68. 前編1-No.731 大隅国守護代施行状

    姫木藤七大夫篤季の申立てにより、大隅国守護所具官調所得分と屋舗一箇所の押領を停止し、訴状・具書を子細に調査して先例どおり沙汰するよう命じた守護代施行状。

  69. 前編1-No.732 関東下知状

    島津忠時法師道仏の文永八年九月十五日付譲状に基づき、久時へ譲った所領の除分を久時に付し、道仏分の所領を子孫へ譲ることを認めた関東下知状。父の譲状どおり領知させ、違背を禁じる。

  70. 前編1-No.733 関東下知状

    藤原久時に、父大隅守忠時法師道仏の文永九年九月十五日付譲状に基づき、伊賀国長田庄を領掌させることを認めた関東下知状。

  71. 前編1-No.734 大隅国守護代施行状

    姫木藤七大夫篤季の申状に基づき、大隅国守護所具官調所得分と屋舗・薗一箇所の押領・違乱を停止し、先例に従って速やかに沙汰するよう命じた守護代施行状。

  72. 前編1-No.735 平忠俊・同忠恒連署譲状

    平忠俊・平忠恒が太郎へ所領を譲る仮名書きの連署譲状。田畠・薗・狩倉などの家領を対象とし、親族・兄弟の扶持、訴訟を避けること、幕府・国衙の役に応じて家領を守ること、後日の違乱を禁ずる条件を申し置く。

  73. 前編1-No.736 島津道仏譲状

    島津道仏が薩摩国谷山郡の所領を孫へ譲った仮名書きの譲状。谷山の田畠・屋敷などを相伝させ、祖父から孫への譲与を証して後日の違乱を禁ずる。

  74. 前編1-No.737 島津忠時譜

    島津忠時について、文永九年四月十日に七十一歳で没し、法名を道仏、号を仁阿弥陀仏浄光明寺殿としたことを記す系譜記事。

  75. 前編1-No.738 島津世家

    島津世家の記事。忠時は忠久の嫡長子で、初名忠義、三郎兵衛尉・修理亮・大隅守を称したとし、嘉禄三年の忠久死後に家督を継承した経緯を記す。承久の乱後の鎌倉政権、北条泰時の上洛、京兵・公家勢力への対応、伊賀長田郷地頭職などの恩賞、鎮西での警固・軍役、北条氏との関係、家村ら子孫や縁戚の動向を年代順にまとめる…

  76. 前編1-No.739 西藩野史

    島津久経の事績を『西藩野史』から抄録する。久経が父忠時の後を継ぎ、弘安四年の蒙古襲来では西州の軍勢を率いて箱崎津を警固し、壱岐・対馬を経て筑前へ進んだ経過、元軍との海陸戦、暴風による退去を記す。さらに幕府が恩賞不足への不満を戒めたこと、久経の系譜・官歴・没年、子孫への継承を述べる。

  77. 前編1-No.740 覚恵博多津番役請取状

    関東御教書により、異国警固のため博多津番役に勤仕するよう命じた文書。文永九年四月十七日付の上府命令を受け、延時氏側に同年五月十六日から番役を勤めさせることを伝える。

  78. 前編1-No.741 島津庄鹿屋院預所下文

    島津御庄大隅方鹿屋院で、右馬允伴実包を弁済使職に補任した下文。恒例・臨時の御公事を怠らず勤仕し、非法や懈怠があれば改替する旨を条件として、所仰のとおり沙汰するよう命じる。

  79. 前編1-No.742 六波羅御教書

    女子・代官らによる非法な領知について訴えがあったため、申状の子細を究明し、不当な領知を停止させるよう鎮西へ命じた六波羅御教書。

  80. 前編1-No.743 関東裁許状

    大隅国曽於郡の重枝・重富名、桑東郷松永名などをめぐる正八幡宮雑掌法橋永円と御家人税所介義祐らの相論を裁許する。神領仁祐の代官・太子丸が将軍家御祈所の田畠を押妨したとの訴えについて、旧来の文書と当事者の主張を検討し、神領の進止を妨げないよう命じる。

  81. 前編1-No.744 平たゝなか譲状

    平ただなかが所領を二郎へ譲る仮名書きの譲状。受領者が兄弟と和合して所領を守ること、手継の文書を備えること、譲り渡した土地を他人に処分せず子孫へ相伝することを申し置く。

  82. 前編1-No.745 島津久時書状

    薩摩国御家人延時三郎種忠の訴えを受け、押領所領について沙汰を求めた文書。若松四郎忠重が謀殺を告げ、所領由緒を示す証文を提出していないこと、相手方の陳状があれば一覧のうえ裁許すべきことを述べる。

  83. 前編1-No.746 大隅国守護代書下

    台明寺仏性祈田の上に新平太検校が住居を構え、田畠を占拠した件につき、七郎殿の入道孝養時の寄進であり、将軍家御祈所として外題も明白であると主張する。先師永祐の置文と関東御祈所の権威を根拠に、祈田への妨げをやめさせるよう求める。

  84. 前編1-No.747 紀梅房証状

    故新大夫入道の持房に関する譲渡について、証文を取り寄せて内容を確認するよう求めた短い権執印文書。

  85. 前編1-No.748 六波羅御教書

    薩摩国御家人見仏後家尼持性の代・乗心が、同御家人種忠の郎従らが弓箭・兵杖を帯びて住宅へ乱入し、瓦田村の田畠等を押領しようとしたと訴えたため、事実を糺明して注進するよう命じた六波羅御教書。

  86. 前編1-No.749 阿仏譲状

    沙弥阿仏が次男左近将監兼基へ、肝付郡岸良村の弁済使職と田畠・山野・狩倉等を譲る。所領の東西南北の境界を列挙し、御佃・用作・公事、甘葛煎壺、在家・移花、饌除など村内の諸権益を含め、書載せた譲状を守って支配するよう定める。

  87. 前編1-No.750 薩摩国守護代書下

    薩摩郡平礼石寺内の所領について、故大隅入道殿の免除状に従い、諸方の使者による濫妨を停止して土民らを安堵させるよう命じた守護代書下。

  88. 前編1-No.751 古戦記

    『古戦記』の記載を引き、文永九年に没した故大隅入道殿を島津忠時に比定する短い考証記事。

  89. 前編1-No.752 山田忠実譲状

    山田忠実が谷山の所領を二郎・三郎へ譲る仮名書き譲状。大隅入道殿から給わった本領を二人へ配分し、兄弟が互いに助け合って所領を守り、後日の争いを避けるよう申し置く。

  90. 前編1-No.753 山田忠真譲状

    山田忠実が二郎へ所領を譲る仮名書き譲状。譲渡した所領を確実に領掌し、将来も相伝するよう定める。

  91. 前編1-No.754 定福寺鐘銘

    島津庄三俣院定福寺の鐘一口を鋳造した際の銘。大願主僧鏡玄が天長地久・御願円満・別信心・大法主僧現世安穏・後生善処を祈り、文永十二年三月十八日に奉納したことを記す。

  92. 前編1-No.755 源佐範申状

    比志島郷内の北限小山・西限久木山田尻・南限井尻田端・東限河など四至を示し、収納使法橋の申状に基づき、年貢を免除して給付の外題を与えるよう求めた文書。

  93. 前編1-No.756 源佐範申状

    比志島郷の堀内薗などについて、地頭代が地利物や公事を課して進入したため、申状を受理して早く免除するよう命じる。境界として北限小山・西限久木山田尻・南限井尻田端・東限河を掲げる。

  94. 前編1-No.757 島津久経譜

    建治元年、将軍惟康親王の命により島津久経が筑前筥崎で異賊を防禦したことを記す久経公譜の記事。

  95. 前編1-No.758 平氏女譲状

    平氏女が山門院内の所領を太郎丸・用熊丸ら子どもへ譲る仮名書き譲状。田畠・屋敷などを配分し、互いに助け合って親の供養を行い、所領を他人へ譲らず子孫へ相伝するよう定める。

  96. 前編1-No.759 勘解由次官経頼書状

    安楽寺別宮天満宮と薩摩国分寺の造営に関する申状が進上されたため、被仰下の内容に従って沙汰を行うよう参河前司へ求めた勘解由次官経頼の書状。

  97. 前編1-No.760 亀山上皇院宣

    天満宮・薩摩国分寺の造営について寺家から申請があったため、院の意向に従って申状を給付し、速やかに沙汰するよう参河前司へ命じた亀山上皇院宣。

  98. 前編1-No.761 某御教書

    薩摩国天満宮・国分寺の造営料所について、帯宣旨のうえ国司の任国支配に属するため、国司が自由に領知すべきであるとして、早く院宣に従い処理するよう命じた国分寺文書。

  99. 前編1-No.762 薩摩国国宣

    薩摩国の天満宮・国分寺等の造営について、院宣と国宣を重ねて下し、先例および神事として申請どおり早く処理するよう命じた国宣。

  100. 前編1-No.763 前参河守奉書

    薩摩国在庁官人に対し、国宣に従って造営案件を速やかに執達するよう命じた前参河守奉書。