ARCHIVE DIRECTORY
前編1の目録
旧記雑録 長久2年~延文元年の文書・記事です。
全2,673件中 1801~1900件・19 / 27ページ
前編1-No.1755 日向記
建武二年十二月、日向国の内乱で伊東祐広・祐重・祐持・祐広ら一族が挙兵し、国富庄・梶籠城・土持氏領・穆佐院などで戦った経過を記す『日向記』。河越勢の旗宿所襲撃、放火・殺害、島津庄穆佐院政所への攻撃、祐広親類の敗走・追落し、田地所職の譲与と代官占領まで具体的に述べる。
前編1-No.1756 沙弥真証譲状
薩摩国和泉庄久成名内御厩田壱町弐段と久光名内南部横枕壱町井口所開天三段を三郎五郎保音に譲る沙弥真証譲状。伝領した所領を代官牛上洛の間に預けた経緯を述べ、他の者へ譲らず保音の嫡子へ相伝させ、違反者は公事者へ追放する旨を定める。
前編1-No.1757 祐心・宝日連署状
寺別当職について先例に従って寺役を勤めさせるよう命じた、祐心・宝日連署状。
前編1-No.1758 伴忠重伝
大宰少弐頼尚が、新田義貞追討のため杉左衛門次郎保有に軍勢催促を行い、一族を率いて参会するよう命じた教書とその施行を記す伴忠重伝。
前編1-No.1759 少弐頼尚施行状
新田右衛門佐義貞追討のため、一族以下の軍勢を率いて日を置かず参会するよう杉左衛門次郎入道に命じた少弐頼尚施行状。
前編1-No.1760 記事建武二年
建武二年十二月廿六日、大宰少弐から富光九郎道貞に、新田義貞追討の教書を施行したことを記す記事。
前編1-No.1761 少弐頼尚施行状
新田右衛門佐義貞追討のため、一族以下の軍勢を率いて日を置かず参会するよう富光九郎道貞に命じた少弐頼尚施行状。
前編1-No.1762 島津国史
建武三年から延元期の島津氏軍歴を『国史』・諸譜・古文書で編年した記事。足利尊氏の京都敗退・九州下向、多々良浜合戦、上洛後の京都・摂津・河内等の戦闘を軸に、島津道慶・貞久、本田左衛門尉、伊集院久兼らの軍功、負傷・戦死、綸旨・軍忠状、所領宛行・守護補任を多数掲げる。
前編1-No.1763 島津道鑑譜
建武二年末から三年にかけ、大智院宮・弾正尹宮らが尊氏・直義追討軍を率い、尊氏が京都から丹波・摂津を経て九州へ退き、多々良浜で菊池勢を破って再び東上した経過を記す島津道鑑譜。島津道鑑・貞久らの従軍と戦功も記す。
前編1-No.1764 島津道鑑譜
建武三年正月の京都合戦で尊氏方が不利となり丹波・摂津へ退いた後、九州へ渡って菊池武敏らを多々良浜で破り、諸将を従えて再進攻する経過を記す島津道鑑譜。新田義貞・楠木正成・細川氏らの動向と、島津・伊集院・本田氏らの軍功を挙げる。
前編1-No.1765 建部清成外連署契状
世上の騒乱に際し、一門が一身同心となり、どのような事態でも聊かも隔心を持たないことを誓った建部清成らの連署契状。違背した場合は日本国中の大小神祇の冥罰を蒙るとする起請文形式で、清能・清種・清武・頼純・応恵らが連署する。
前編1-No.1766 日向記
建武三年正月、肝付八郎兼重・弟息金童丸らが日向国宮崎池内城へ入り、伊東方の浮田城・猪見城・高浮田城等を攻めた経過を記す『日向記』。土持宣栄・矢野小次郎らの攻防、放火、追撃、城郭占拠、浮田庄新兵衛尉の抵抗と敗退を具体的に述べる。
前編1-No.1767 肝付兼重譜
建武三年正月、肝付兼重・兼重子金童丸・萩原太郎兵衛尉兼重らが佐城・慈円城・池内城周辺で伊東方と戦った経過を記す肝付兼重譜。宣栄の攻撃、城郭慈円・猪見城の焼討ち、敵の追落し、池内城への帰陣までを日付順に記す。
前編1-No.1768 良尊請文
伊東藤内左衛門尉・肝付八郎以下が濫妨した重事について、最前に御方から追放された領内既存分を申告し、今後の沙汰を公方に従うとした良尊請文。
前編1-No.1769 円観請文
伊東藤内左衛門尉・肝付八郎以下を打ち入り、重事人を追放した件について、処置は御方の命令に従うと申し出た円観請文。
前編1-No.1770 肝付兼重譜
肝付兼重らが祐広城・猪野見城を攻め、島津庄惣政所の軍勢や土持宣栄方と交戦した経過を記す肝付兼重譜。敵城への攻入、焼払・追落し、祐広善拒の敗走、左兵衛尉秀信の救援、少弐頼尚方への帰陣と廣武又次郎入道らの参戦までを述べる。
前編1-No.1771 少弐貞経軍勢催促状
新田右衛門佐義貞の謀叛に関する前年の関東御教書を受け、肝付八郎兼重以下が日向国各所で挙旗したため、守護代・島津庄惣政所の申請により羽月四郎右衛門尉元貞を派遣したことを述べ、廣武又次郎入道に一族を催して急ぎ現地へ馳向するよう命じた少弐貞経軍勢催促状。
前編1-No.1772 殉国名藪
建武三年初頭の多々良浜合戦などで戦死した鎌田右衛門大夫清春・前田又四郎範茂らの名、戦死日、戦場を記した『殉国名藪』の記事。
前編1-No.1773 足利尊氏軍勢催促状
周防五郎三郎忠兼に一族を率いて日を置かず播磨国へ馳参し、軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1774 肝付兼重譜
建武三年正月末から二月、土持宣栄・富光九郎道貞らが祐広城・猪野見城・慈円城等を攻めた連日の戦闘を記す肝付兼重譜。島津庄惣政所の軍勢、肝付兼重方と伊東祐広方の合戦、放火・追落し・城郭占拠、負傷・戦死者、軍忠の注進までを日付順に記す。
前編1-No.1775 大前道貞軍忠状
大前道貞が、建武三年正月廿九日の祐広城攻めをはじめ、胡麻崎城・猪野見城等で肝付兼重方と伊東方の合戦に参加し、城攻め・追撃・焼討ちに軍忠を尽くしたことを日付順に報告した軍忠状。負傷・戦死者と同道した軍勢を挙げ、守護所の証判を求める。
前編1-No.1776 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が、建武二年末から三年二月に日向国大田原村・祐広城・慈円城・猪野見城等で行った合戦を列挙した軍忠状。伊東祐広方への攻撃、敵城の焼払・追落し、身方の負傷・戦死、同意一族・若党の働きを日付順に述べ、左兵衛尉秀信の証判を受ける。
前編1-No.1777 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が、伊東藤内左衛門尉祐広以下の凶徒との合戦で、祐広城・慈円城・猪野見城等を攻め、敵を追落し、身方の負傷・戦死が出た経過を報告した軍忠状。宣栄の一族・若党の働きを挙げ、左兵衛尉秀信の証判を受ける。
前編1-No.1778 土持宣栄軍忠状
土持宣栄が、正月廿九日の祐広城攻め、二月一日・三日・四日の合戦で一族とともに戦い、若党らが負傷・戦死した経過を述べた軍忠状。小串弥四郎らの働きを挙げ、左兵衛尉秀信の証判を受ける。
前編1-No.1779 島津貞久下文
大隅国始良西俣地頭代官職を、軍功の賞として下野六郎資久に宛て行い、先例を守って領知するよう命じた島津貞久下文。
前編1-No.1780 重久篤兼譜
建武三年初頭、足利尊氏・新田義貞の対立を背景に、肝付兼重・伊東氏・島津方が日向国胡麻崎城・志布志城などで戦った経過を記す重久篤兼譜。正月廿八日の胡麻崎城攻め、城郭の奪取、追撃、戦死者、家人重久大和房向経の働きなどを述べる。
前編1-No.1781 重久篤兼軍忠状
重久篤兼が、建武三年正月廿八日の国富二郷胡麻崎城合戦、二月廿八日の志布志城攻め等で、親類・次郎祐任らと軍忠を尽くしたことを報告した軍忠状。敵を追落し、種牟田相家らを討死させた戦果を記し、証判を求める。
前編1-No.1782 島津庄大隅方寄郡田数注文抄
旧記から抄出した島津庄大隅方寄郡の田数注文。寄郡田数を七百十五町八段三丈とし、その内訳として横川院三十九町五段三丈が安楽寺天満宮御寄附であることを記す。
前編1-No.1783 肝付兼重譜
建武三年三月二日、菊池武俊・菊池武敏以下の凶徒と足利尊氏方が多々良浜で戦ったこと、九州豪族が尊氏に応じ、肝付兼重の姪婿伊藤祐広らが従軍したことを記す肝付兼重譜。
前編1-No.1784 足利尊氏軍勢催促状
菊池武敏以下の凶徒追討のため、土持新兵衛尉に一族を率いて馳参し、軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1785 足利尊氏軍勢催促状
菊池武敏以下の凶徒追討のため、土持新兵衛尉に一族を率いて馳参するよう重ねて命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1786 山田忠能着到状
島津式部三郎忠能が御方へ馳参し軍忠を尽くすため着到したことを届け、披露を求めた山田忠能着到状。
前編1-No.1787 島津道鑑挙状
式部三郎忠能が宮崎合戦で軍忠を尽くし、異子細がないことを証して披露を求めた島津道鑑挙状。
前編1-No.1788 足利尊氏軍勢催促状
No.1785と同文であるため本文を省略した、土持新兵衛尉宛の足利尊氏軍勢催促状。菊池武敏以下の凶徒追討と一族の馳参を命じる。
前編1-No.1789 本田久兼譜
本田久兼が賀茂河原合戦・神楽岡下の合戦で軍忠を尽くし、太守島津道鑑から感状を受け、将軍尊氏の預かりとなったことを記す本田久兼譜。
前編1-No.1790 本田久兼軍忠状
本田左衛門尉久兼が、正月廿七日の賀茂河原合戦で島津上総前司入道道鑑の手に属し、神楽岡下などで先懸して戦い、敵二人を打ち取った軍忠を報告した軍忠状。披露と証判を求める。
前編1-No.1791 高師直奉書
薩摩国闕所・京進年貢等について、荘園ごとの基準を平均に定めて沙汰・進納し、不調の大荘園は嶋津上総入道に沙汰させるよう命じた高師直奉書。寄事於寺社領を禁じ、命令に違背すれば厳密に処置するとする。
前編1-No.1792 石橋和義軍勢催促状
新田義貞党類追討のため、島津忠兼に一族を率いて近日中に京都へ発向し、合戦の忠を尽くすよう命じた石橋和義軍勢催促状。
前編1-No.1793 島津忠兼軍忠状
島津忠兼が播磨国下揖保庄地頭として、建武三年正月以降の鶴宿・楽々山北嶺等の合戦に参加し、珍海刑部三郎・旗差源二郎らの討死を伴いながら軍忠を尽くしたことを報告した軍忠状。各戦場の働きを列挙し、証判・恩賞を求める。
前編1-No.1794 足利直義感状
筑前国宮崎合戦で大平平次郎が忠功を尽くし、手負・討死があったことを賞し、神妙であるとして抽賞を約した足利直義感状。
前編1-No.1795 足利尊氏下文
軍功の賞として島津上総入道に薩摩国河辺郡と大隅国本庄を宛て行い、先例どおり領掌させるよう命じた足利尊氏下文。
前編1-No.1796 足利尊氏奉行人連署奉書
神崎三郎重吉が筑前国多々良浜の三月二日合戦で敵を分捕った件について、見知した者に実否を問い、起請文を付けて速やかに注進するよう命じた足利尊氏奉行人連署奉書。
前編1-No.1797 足利尊氏奉行人連署奉書
河田智門房慶喜が筑前国多々良浜の三月二日合戦で敵二人を打ち取った件について、見知者に実否を問い、起請文を付けて速やかに注進するよう隠岐紀伊権守らに命じた足利尊氏奉行人連署奉書。
前編1-No.1798 山田道慶軍忠状
島津式部孫五郎入道道慶が京都合戦で供奉した軍忠について、披露を求めた山田道慶軍忠状。
前編1-No.1799 山田道慶軍忠状
島津式部孫五郎入道道慶が、正月廿七日の鴨河原合戦で軍忠を尽くしたことを述べ、以後も軍忠に励むとして、披露・御評判と恩賞を求めた軍忠状。
前編1-No.1800 山田忠能重申状
No.1733と同文であるため本文を省略した、山田忠能の重申状。山田・上別符両村地頭職が父道慶以来の重代相伝地であるとして、谷山覚信方の押妨停止と知行回復を求める。
前編1-No.1801 島津道鑑挙状
島津式部孫五郎入道道慶の京都合戦での供奉・軍忠に相違がないことを証し、披露を求めた島津道鑑挙状。
前編1-No.1802 大窪明賢陳状
伊集院大窪の温穴前田地三段をめぐり、大窪大弐房明賢が山田道慶方へ反論した陳状。本主時綱の寛喜三年置文、慶西譲状、大隅五郎太郎入道と智息女以来の相伝・知行を根拠に、道慶の父道西の代にも訴訟が退けられたと述べ、道慶の押領・非法な支状を退けて当知行を認めるよう求める。
前編1-No.1803 重久篤兼譜
建武三年三月二日の多々良浜合戦で、足利尊氏・直義方が菊池武俊軍を破り、尊氏が重久篤兼の軍功を賞したことを記す重久篤兼譜。
前編1-No.1804 足利尊氏軍勢催促状
新田義貞の与党追討について院宣を受け、肝付八郎兼重以下の凶徒が横城郭に籠るため島津上総入道道鑑を派遣したとして、重久篤兼に軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1805 伴氏譜
建武三年三月廿六日、足利尊氏が禰寝郡司と別府女子代へ、肝付兼重以下の凶徒追討に関する軍勢催促状を各一通与えたことを記す伴氏譜の記事。
前編1-No.1806 足利尊氏軍勢催促状
新田義貞与党追討の院宣を受け、肝付兼重以下の凶徒が横城郭に籠るため島津道鑑を派遣したとして、称寝郡司一族に軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1807 足利尊氏軍勢催促状
新田義貞与党追討の院宣を受け、肝付兼重以下の凶徒が横城郭に籠るため島津道鑑を派遣したとして、別府女子代に軍忠を尽くすよう命じた足利尊氏軍勢催促状。
前編1-No.1808 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従い参陣し、軍忠を尽くすよう大隅左京進入道宗久に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1809 肝付兼重伝
建武三年三月廿八日、足利尊氏が大隅左京進入道道恵、本田左衛門尉久兼、杉三郎入道道悟らへ、肝付兼重以下の凶徒追討を命じる御教書を各一通与えたことを記す肝付兼重伝。
前編1-No.1810 足利尊氏御教書
No.1808と同文であるため本文を省略した足利尊氏御教書。大隅左京進入道に、肝付兼重以下の凶徒追討へ参陣し軍忠を尽くすよう命じる。
前編1-No.1811 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍忠を尽くすよう本田左衛門尉に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1812 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍忠を尽くすよう杉三郎入道に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1813 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍功を挙げるよう大平平太郎に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1814 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、島山修理亮七郎を差し遣わしたことを伝え、守護の催促に従って参陣し軍忠を尽くすよう莫祢兵衛五郎入道に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1815 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍忠を尽くすよう土持新兵衛尉に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1816 足利尊氏奉行人連署奉書
大隅式部三郎忠能が多々良浜合戦で敵の首を取った軍功について、実否を見知者に問い、起請文を付して注進させるよう命じた足利尊氏奉行人連署奉書。
前編1-No.1817 足利尊氏奉行人連署奉書
財部孫四郎入道の多々良浜合戦での軍忠について、見知者に実否を問い、起請文を付して注進させるよう命じた足利尊氏奉行人連署奉書。
前編1-No.1818 大日本史
延元元年三月二日、菊池武敏が多々良浜で足利尊氏を攻めて敗れ、阿蘇大宮司宇治惟直・備前守秋月某らが戦死したこと、その後の追討・敗走を記す『大日本史』後醍醐天皇紀の記事。
前編1-No.1819 太平記
延元元年、菊池掃部助武俊が大軍を率いて多々良浜へ寄せ、足利尊氏方と戦った経過を記す『太平記』巻十六の記事。江田行義・大館氏明・赤松則村らの軍勢配置と、尊氏方の勝利・菊池勢の敗走を述べる。
前編1-No.1820 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍忠を尽くすよう新田宮執印又三郎に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1821 足利尊氏御教書
肝付八郎兼重以下の凶徒追討について、守護の催促に従って参陣し、軍忠を尽くすよう水引権執印に命じた足利尊氏御教書。
前編1-No.1822 山田道恵申状
島津道恵が、英時誅伐時の恩賞綸旨により筑後国小家庄を拝領したとして、正式な下文と知行安堵を求めた申状。建武元年十一月廿六日の綸旨、雑訴決断所への申立て、洞院左衛門督家候人志田三郎左衛門尉季久跡の扱い、旧主との相論経過を挙げ、御下文と相伝知行を願う。
前編1-No.1823 小川季久軍忠状
小川小太郎季久が、建武三年二月廿八日の筑前国有智山合戦で軍忠を尽くし、若党伊与房らが被疵・討死したことを報告した軍忠状。自身の被疵、若党の射疵・討死を記し、証人の請文に基づく御注進と証判を求める。
前編1-No.1824 山田忠能申状
島津式部三郎忠能が、筑前国多々良浜などで軍忠を尽くしたとして忠賞を求めた申状。上洛・合戦への参加と働きを述べ、太宰少弐の承了・証判を得て披露を願う。
前編1-No.1825 高師直施行状
日向国新納院地頭職について、建武二年十二月十一日の将軍家御下文に従い、島津下野四郎時久へ現地を沙汰付けするよう命じた高師直施行状。代官派遣による執行を求め、軍忠のため上洛中である時久の知行を保護する。
前編1-No.1826 足利尊氏下文
軍功の賞として筑前国三根西郷地頭職を渋谷河内入道に宛て行い、先例どおり領掌させるよう命じた足利尊氏下文。
前編1-No.1827 高師直書状
日向国新納院地頭職は島津四郎時久が拝領したにもかかわらず濫妨があるとして、その忠節に報いるため速やかに無為に沙汰付けするよう求めた高師直書状。
前編1-No.1828 高師直書状
島津四郎時久が申す日向国新納院について、先例どおり煩いなく沙汰し、軍忠に励んで公事を勤めるよう伝えた高師直書状。
前編1-No.1829 沙弥明眼書状
日向国新納院内宮頸村の島津四郎時久所領が仁秩更代の間に違乱された件について、承知して沙汰するので、上洛して細部を申し述べるよう促した沙弥明眼書状。速やかな入洛を求める。
前編1-No.1830 調所敦恒伝
後醍醐天皇方の新田義貞が鎌倉を攻めた後、足利尊氏・直義が筑紫へ下り菊池勢を破り、島津道鑑らを薩摩・大隅の新田党追討へ派遣した経過を記す調所敦恒伝。島山修理亮直顕らを日向にも派遣したこと、筑紫からの帰国過程を述べる。
前編1-No.1831 足利直義軍勢催促状
新田右衛門佐義貞与党以下の凶徒追討について院宣があり、調所彦三郎に一族を率いて軍忠を尽くすよう命じた足利直義軍勢催促状。
前編1-No.1832 島津道鑑下文
大隅国筒羽野村半分の地頭代官職について、東条藤次郎入道を補任し、当村半分で先例どおり所務を沙汰するよう命じた島津道鑑下文。
前編1-No.1833 足利直義感状
凶徒追討の軍忠を賞し、今後も忠節を尽くすよう牛屎左近将監(牛屎彦太郎兼隆)に命じた足利直義感状。
前編1-No.1834 肝付兼重伝
肝付兼重方の軍勢と足利尊氏方の戦いを記す伝。牛屎彦太郎兼隆が兵を率いて加世田城を攻め、公師兵を入れて肝付勢を隔て、条原孫六・大隅助三郎・冨光九郎らを派遣して加世田城・姫木城等を攻略した経過と、軍勢催促・恩賞を述べる。
前編1-No.1835 大前道貞着到状
大前道貞が軍忠を尽くすため参候し、御方へ馳参したことを届けて披露を求めた着到状。
前編1-No.1836 重久篤兼譜
建武三年三月廿九日以降、尊氏方が牛屎彦太郎兼隆らを加世田城へ向け、四月十四日に島津貞久が重久篤兼へ薩摩・大隅の警固と悪党鎮圧を命じた経過を記す重久篤兼譜。篤兼が軍勢を派遣し、尊氏から恩賞・感状を受けたことを述べる。
前編1-No.1837 島津貞久書下
薩摩・大隅両国の警固に関し、加瀬田城に悪党が蜂起したため、将軍家御教書に従って重久篤兼に急ぎ現地へ馳せ向かい対治するよう命じた島津貞久書下。
前編1-No.1838 足利直義軍勢催促状
肝付八郎兼重以下の凶徒追討のため、牛屎左近将監に一族を率い、時刻を移さず馳向して軍忠を尽くすよう命じた足利直義軍勢催促状。
前編1-No.1839 野田道玄着到状
肝付八郎兼重以下の凶徒追討に際し、薩摩国御家人野田孫四郎入道道玄が参陣したことを届け、披露を求めた着到状。
前編1-No.1840 紀俊正着到状
肝付八郎兼重与党以下の凶徒追討について、新田宮権執印良運の子息三郎次郎俊正が参候したことを届け、披露を求めた紀俊正着到状。
前編1-No.1841 延時法仏着到状
肝付八郎兼重与党の凶徒追討のため、薩摩国御家人延時又三郎入道法仏が参候したことを届け、披露を求めた着到状。
前編1-No.1842 指宿成栄着到状
肝付八郎兼重与党の凶徒追討のため、薩摩国御家人指宿郡司入道成栄が参候したことを届け、披露を求めた着到状。
前編1-No.1843 比志島貞範着到状
肝付八郎兼重与党の凶徒追討のため、薩摩国満家院比志島孫太郎貞範が軍忠を尽くすべく参候したことを届け、披露を求めた着到状。
前編1-No.1844 執印友雄着到状
肝付八郎兼重与党の凶徒追討のため、薩摩国二宮新田宮執印又三郎友雄が参候したことを届け、披露を求めた着到状。
前編1-No.1845 肝付兼重伝
肝付兼重方と尊氏・島津方の建武三年五月以降の戦闘を記す伝。加世田城・姫木城・岩戸原・石城等で、島津貞久、条原孫六国道、莫祢次郎太郎政長、伊集院・平田・祢寝・石河内氏らが攻城・救援・追撃を重ね、被疵・戦死・城郭奪取に至った経過を日付順に述べる。
前編1-No.1846 莫祢円也申状
莫祢次郎太郎入道円也が、肝付兼重の拠る加瀬田城および越前国敦賀城などで軍忠を尽くしたとして、恩賞を求めた申状。五通の御教書・御感状を挙げ、岩戸原彦尾等の合戦で凶徒追討に参加し、負傷者を出しながら戦ったことを披露する。
前編1-No.1847 莫祢政貞申状
莫祢政貞が、肝付八郎兼重追討の御教書を受け、加瀬田城・岩戸原彦尾・水手周辺などで一族を率いて戦った軍忠を報告した申状。敵首の分捕り、城郭攻撃、家人の被疵・討死を日付順に挙げ、見知者の証明を得て恩賞を求める。
前編1-No.1848 畠山直顕感状
新田右衛門佐与同の益戸弥四郎行政・同四郎兵衛尉秀名・石河内弁済使らとの新納院岩戸原彦尾合戦で、土持新兵衛尉が忠節を尽くしたことを賞した畠山直顕感状。
前編1-No.1849 畠山直顕軍勢催促状
新田義貞与同の益戸弥四郎行政以下が楯籠る石城を追討するため、土持新兵衛尉に一族を率い、早く馳せ向かうよう命じた畠山直顕軍勢催促状。
前編1-No.1850 惟宗忠兼軍忠状
島津周防五郎三郎忠兼が、建武三年の諸合戦での軍忠を日付順に述べた軍忠状。中細尾合戦で赤松雅楽助方に属し、城中で敵の手を射て討ち取ったこと、各戦場での先懸・負傷・討死を挙げ、見知者の証明と証判を求める。
前編1-No.1851 肝付兼重伝
時盛らが水塞を破った軍功により、百引村地頭代官職へ補任され、官職・恩賞を受けたことを記す肝付兼重伝の記事。
前編1-No.1852 島津道鑑宛行状
大隅国肝付郡加世田城の水手を夜討ちで先駆けて攻め落とした軍功を賞し、野上田伊与房を百引村地頭代官職に補任して、先例どおり沙汰するよう命じた島津道鑑宛行状。
前編1-No.1853 重久篤兼譜
重久篤兼が建武三年五月以降、式部小三郎ら諸将と王子城・加瀬田城を攻めた経過を記す重久篤兼譜。五月五日の軍勢派遣、六日の渡河・先登、九日の王子城攻撃、本田久兼・大隅入道らの参戦、篤兼の軍功を述べる。
前編1-No.1854 重久篤兼軍忠状
重久篤兼が、王子城・加瀬田城等での合戦を日付順に報告した軍忠状。五月五日の進軍、六日の渡河先登、九日の王子城攻撃、六月の合戦で、大隅入道・大手大将・掬手勢らと軍忠を尽くし、一族・若党の被疵・討死を記して証判を求める。