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旧記雑録拾遺 著作史料集2の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全866件中 1~100件・1 / 9ページ

  1. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 1 平塞録

    島原・天草一揆鎮圧の経過を記す『平塞録』。細川妙解公が黒田・上使らに、兵糧を断ち塀垣で包囲して急攻を避け、異国船の鉄砲で城を崩して投降を促す策を主張したこと、諸大名との評議を経て総攻撃に至ったことを記す。

  2. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 無番号_0001 秩父家牒 全

    桓武平氏秩父将恒の後裔を称する秩父氏(伊地知氏)について、系図と歴代記事を合わせ、親族関係・婚姻・養子・任官・所領・軍功・奉公・家督継承・没年を叙述する。島原の乱など各代の軍役、家督や官職をめぐる訴訟・処分も載せ、伊地知季安の補筆・異説批判・史料校勘と、伊地知季彬の編纂識語までを収める。

  3. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 2 藤掛集書

    敵城を昼夜取り巻き、大筒・小筒・石火矢と鉄砲で攻撃し、長崎からオランダ船一艘・日本船三艘を呼び寄せて海上砲撃した経過を記す。城内の策で唐人二人が撃ち落とされ、唐人らを長崎へ戻したという。

  4. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 無番号_0002 新納忠元勲功記

    新納忠元の出自・初陣から島津貴久・義久らへの奉公を年代順に記し、大口・飯野などでの伊東氏等との戦闘、九州各地の攻略・守城・調略・軍議、豊臣政権下の上洛と朝鮮出兵に伴う出陣・輸送・籠城・撤兵、帰国後の領地・家政・寺社・家督、八十三歳での死去と妻子・子孫を叙述する。和歌・書状・起請文等を挟み、末尾に伊地…

  5. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 無番号_0003 琉球御掛衆愚按之覚全

    伊地知季安が琉球掛の由緒・職掌・任免と家筋を整理し、歴代の辞令・覚書・書状・帳簿・役所図を引用して、琉球の名称・起源・島々・言語・王統、薩摩支配と日本・明清への進貢、使節接待、渡海・船舶・漂着・海賊、交易・服制を考証する。異説や後世の付会を史料に照らして批判し、後半では鳩目銭・加治木銭等の由来、鋳造…

  6. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-1 伊地知季安記事

    伊地知季安が、島津久賀・喜入忠政率いる薩兵二千の出動と上津浦での肥後衆との交替を記す。伊地知重政ら普請奉行、村尾重候・相良頼屋の島原渡海、薩兵七千九百・出水屯兵三千三百六十八人と兵糧不足時の減員案までを具体的に記録する。

  7. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-2 小川監物日記

    小川監物日記の抜粋。正月二十六日に上津浦へ着船し、在番の肥後衆と御分国衆が交替したこと、肥後衆は五十艘に乗って海上で待機し、焼き払われた陣屋の跡に御分国衆が新たな陣屋を作ったことを記す。

  8. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-3 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が山田民部少輔らへ、正月二十六日四ツ時前に上津浦へ着船し、越中守配下の清田石見守から番所を受け取ったことを報告する。二千人ほどを率いて陣屋建設を命じ、残る人数は北郷佐渡守・入来院石見守のもと「かうね」に留めて山狩を相談中であるため、川野監物・鮫島民部左衛門尉を使者とした連署書状。

  9. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-4 島津久賀・喜入忠政連署達

    島津久賀・喜入忠政が三原左衛門佐らへ、上津浦の番所を受け取り、二千人ほどが同地へ越し、残る人数を「かうね」の山狩に残したことなどを箇条書で伝える。黄門の松平主税助・伊東大和守宛書状、御袖判条書案への意見、在郷の扱い、渡海衆からの段階的帰還と人数過多の見込みについて返答を求める連署達。

  10. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-5 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が川上左将監へ、天草上津浦の番所を清田石見守から受け取り、周辺の山狩と部隊集結を野州老・石州老・佐州老らと協議した経過を報告する。有馬方面では石火矢で塀・二之丸まで損壊し、籠城側が薪不足に陥って落人が出たため近日落着すると見込む。また、兵糧と配置を検討し、渡海七千九百人・出水残留三…

  11. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-6 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が川上左近将監へ、野州老から、馬場三郎左衛門尉の話として薩州様が下向するとの知らせを受けたと伝える。これほど喜ばしいことはないとして、川上にもすでに届いているであろうこの報について、祝意を申し上げるよう頼む連署書状。

  12. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-7 伊地知季安記事

    伊地知季安が小川監物の上津浦日記を考証し、二月二日時分に世子公下向の報を聞いたとみる。正月二十六日から七日後のことで、内々の未確定情報のため大将らにはまだ広められていなかった可能性を示す一方、川上久国がすでに祝儀を申し上げ、公の機嫌も伺っている点を次文書へつなぐ記事。

  13. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-8 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が川上左近将監へ、黄門様の気色がなお回復しないと聞き、近ごろは食事も取れないのではないかと深く案じて早打を出したため、しかるべく取り次ぐよう求めた連署書状。

  14. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 3-9 喜入忠政書状

    喜入忠政が喜入久右衛門尉ら四名へ、急用の使者として加世田衆一人を差し上せ、自分の夫を付けて届けたので、帰路には宿送夫一人を付けるよう求める。また、出水から小船で天草上津浦へ着けるための取り成しと、先便で頼んだ杉原・中紙の早急な送付を依頼する書状。

  15. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 4 川上久国書状

    川上久国が喜入摂津守へ、島原町人で以前から加世田に住む者たちは問題がないため帰すよう、松倉殿家老衆から野州老・左衛門佐へ申し入れがあり、手形の裏書も届いたので帰宅手形を整えて渡すと伝える書状。多忙のため現地への慰労状を出せなかったとも詫びる。

  16. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 5 川上久国書状

    川上久国が岩切六右衛門尉らへ、有馬・天草への渡海衆以外の三千三百六十八人が米之津に残る件について、長陣では兵糧が続かないため帰すのがよいが、必要人数は陣と協議して定めるよう指示する。米二百八十石の配分、楯板の早急な送付、天草の兵糧切れへの対応、有馬宛書状の早送も求める。

  17. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 6-1 島原軍衆人数差出留

    『島原軍衆人数差出留』の正月二十六日条。上津浦の土持左馬権頭以下、船廻りなどで各地へ到着した者の主従・人鉢・忰者夫丸を列挙する。鹿児島衆は計四百四十三人(人鉢四十人、御道具衆四十九人、忰者夫丸三百五十四人)。喜入舎人を米之津から帰したため除き、三口の合計を千八百四十六人(人鉢百六十六人、道具衆四十九…

  18. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 6-2 伊地知季安記事

    伊地知季安が、軍衆人数差出留の「三口合」は正月十三日・十四日・二十六日の三回の集計だと説明する。七日・八日以前に出立した衆も多かったが、賦方の村田郷左衛門経乗・猪俣為右衛門則康が十三日に米之津へ着いて人数差出を取り揃えたため、帳簿は十三日から二十六日までとなったと推定し、その後の人数増減を記す別帳が…

  19. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 7 時任氏日記

    島津久賀の従兵時任氏の日記。正月二十六日に上津浦へ着船し、肥後衆の清田石見守と番手を交替したこと、二月十七日まで上津浦に滞在し、そのうち二日は有馬との往来に費やしたことを記す。伊地知季安は、米之津・天草の法度、鹿児島からの条書、御袖判、城中への矢文などは各日付の箇所へ収めたと注記する。

  20. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 8 時任氏日記

    時任氏日記の「貴理師旦一揆之事」。寛永十四年十月二十一日の島原での蜂起が天草へ伝わり、上津浦・本戸・大島子・小島子・亀之川の衆が家を焼いて上津浦へ集結した経過を記す。寺沢勢四百五十人との戦闘、本戸・亀川・富岡への転戦と損害、四郎方の有馬方面への退却を述べ、出船に乗り遅れた三百人のうち百五十人は大小六…

  21. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 9 牧野成純外二名連署書状

    松平甚五郎徳恒・林丹後守吉政・牧野伝蔵成純が松平大隅守(島津家久)へ、病状を案じて静養を勧めるとともに、陣前の仕寄・築山は半ば以上完成しており急ぐ必要はないと伝える。出水まで領内の軍勢を進めていることを承知し、諸事は島津下野と相談するよう述べ、帰国予定の三原左衛門が現地の詳細を報告するとする連署書状…

  22. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 10 川上久国書状

    川上久国が喜入摂津守へ、去る二十一日付書状を読み、島原町人で以前から加世田に住む者たちは問題がないため帰すよう、松倉殿家老衆から野州老・左衛門佐へ申し入れがあり、手形の裏書も届いたので帰宅手形を整えて渡すと伝える。多忙のため現地への慰労状を出せなかったとも詫びる書状。

  23. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 11 川上久国書状

    川上久国が岩切六右衛門尉らへ、有馬・天草への渡海衆以外の三千三百六十八人が米之津に残る件について、長陣では兵糧が続かないため帰すのがよいが、必要人数は陣と協議して定めるよう指示する。上使十人へ米二百八十石を進める件、楯板の早急な送付、天草の兵糧切れへの対応、有馬宛書状の早送も求める。

  24. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 12 川上久国書状

    川上久国が三原左衛門佐らへ、兵糧不足を見越して米之津に留めた二番立衆を帰すか、再動員の難しさを考えて残すかは陣中協議で決めるよう述べる。天草番手は五、六千人との指示に対し江戸からは二、三千人案もあり、無用な加勢による狼藉を避けて富岡の松平主税助・伊東大和守とも相談するよう求める。上使十人への米二百八…

  25. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 13 平塞録

    『平塞録』の記事。二十七日に松平右衛門佐が島原へ着陣したことを記す。

  26. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 14-1 伊地知季安記事

    普請奉行伊地知杢右衛門重政が大将島津久賀・喜入忠政へ、相役の村尾重候・相良頼屋がすでに島原へ赴いているとして、自身も行って任務を共にしたいと願い出る。久賀・忠政は島原の島津久元らへ照会しつつ、上津浦には軍衆を指揮し諸侯陣屋への使者も務められる熟練者が少ないため、重政を手元に留めたとする伊地知季安の記…

  27. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 14-2 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が三原左衛門佐らへ、石火矢で城の屏・土手が崩れ、落人も出て近日落去が見込まれると報告する。上津浦では陣屋を建て始めたが周辺に百姓や海人もなく不便で、兵糧不足を踏まえて不要な人数を早く帰し、出水の三千三百六十八人も帰還させるよう協議を求める。また、島原行きを願う普請奉行伊地知杢右衛門…

  28. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 15 小川監物日記

    加世田士小川監物の日記。正月二十七日、巣元・嶋子から来た百姓に天草の在所数を尋ね、全三十八か所のうち十一村はキリシタンで一揆勢に加わり有馬城へ籠もり、残りには住民がいて総高はおよそ一万石だと聞き取る。仁礼右京亮・愛徳四郎兵衛を曖衆代、本民部右・市伴介・鮫民部左・小川を諸事賦衆と定め、人数の増減が激し…

  29. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 16 伊地知季安記事

    伊地知季安の記事。細川越中守忠利が島津下野守久元の陣所を見舞い、同夜、川野監物が島原への使いから上津浦へ戻ったことを記す。舟奉行平田宗直は甲根から上津浦へ交替する四、五千人の輸送を指揮しながら、私に四艘を率いて有馬へ抜け駆けしたため、島津久賀らが一時ほかの者を舟奉行に据えたとする。

  30. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 17 川上久国書状

    川上久国が島津久元らへ、黄門様は脈がやや和らいだものの、横になれず、物にもたれると息を引き、強い発作時には顔が畳につくほどで難儀していると詳報する。伊豆守が野州老・左衛門佐へ帰宅を命じたことを伝え、天草の騒動終結後の軍勢帰還と番手・大将の体制を協議するよう求める。琢庵の書状を届け、越中守・飛騨守・玄…

  31. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 18 某袖判条書

    鹿児島から島津久賀の従兵時任氏へ伝えられた御袖判の軍中条書。軍衆の祈念のため札を配布したので承知すること、他手に番付された者は後日糺明して処置すること、独断の抜け駆けを禁じること、昼夜に騒動があれば大将のいる所へ集合して下知に従うことを命じる。さらに木屋場の火の始末と野への放火を厳戒し、他国人との不…

  32. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 19 島津久賀・喜入忠政連署手形

    島津久賀(豊後守)・喜入忠政(摂津守)が連署し、大嶋子之清左衛門尉は当地の案内者であるため、薩摩の軍衆は少しも乱妨してはならないと命じた手形。肥後天草の永野九郎兵衛輝澄家に伝来したもの。

  33. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 20 細川忠利書状

    細川忠利が松平大隅守(島津家久)へ、将軍の機嫌がよいことを伝えて家久の病状回復の知らせを求める。自身は正月十二日に暇を得て昼夜を継ぎ、二十六日に島原へ着いたため道中から書状を出せなかったと説明する。キリシタン方に変化はなく、各陣が仕寄を築き、自陣は城壁まで二十間ほどに迫って総手の進捗を待っていると報…

  34. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 21 寛明日記

    『寛明日記』の記事。同頁の日次見出し「二十八日壬辰」のもと、二十八日に上使の石川弥左衛門・宮城越前守が有馬へ到着したと記す。

  35. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 22 平塞録

    『平塞録』の記事。二十八日、鍋島信濃守が島原へ着陣したと記す。

  36. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 23-1 伊地知季安記事

    伊地知季安の記事。島津久賀・喜入忠政が上津浦から、甲根に駐屯する北郷久加・入来院重国へ書状を送り、甲根および亀之川に在陣する兵へ御袖判の軍令を触れ渡させたと記す。

  37. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 23-2 島津久賀・喜入忠政連署書状

    島津久賀・喜入忠政が入来院重国・北郷久加へ、正月二十六日に上津浦の番手を受け取ったこと、使者川野監物が有馬から帰ったことを報告する。島津久元の意向として北郷久加一人を富岡城への使者に急がせ、山狩が済み次第、当地と亀之川の兵を上津浦へ移すよう船奉行と協議することを求める。長島からの兵糧船二艘が遅れてい…

  38. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 24 伊地知季安記事

    伊地知季安の考証。山々の狩は薩州らに命じられ、在郷改は二月四日に寺沢・松倉両家へ、領内の百姓竈を調べ、邪宗に陥った人数と残留者の内訳を詳しく報告するよう命じられ、同十日・十二日に報告されたと述べる。また、細川忠利が正月二十六日に有馬へ着いたことから、同日か翌二十七日に島津久元の陣所を見舞い、それを川…

  39. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 25-1 伊地知季安記事

    伊地知季安の記事。島津久元らが島原から本田帯刀長親秋を鹿児島へ帰し、公の機嫌を伺わせ、その返答を川上久国が寄せたとして、次の書状へ接続する。

  40. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 25-2 川上久国書状

    川上久国が三原重庸・山田有栄・島津久元へ、本田帯刀長親秋が黄門様の見舞いに来て、児玉筑後守を介して披露されたと報告する。黄門様は二十一日に痰血を出して危急の容体だったが、前日から少し楽になったこと、詳しくは本田が述べるため書状では省くことを伝える返書。

  41. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 26 伊地知季安記事

    伊地知季安の記事。この日午刻、鬼塚源太左衛門が鹿児島から上津浦へ到着し、川上久国の返書によって伺いへの回答を伝えた。大将の下知に従わず勝手に有馬へ抜ける者には、飯米と往来の船を自弁させ、後日あらためて処置するとの意向が示されたため、島津久賀らは上津浦の兵へ申し渡した。鬼塚は直ちに有馬へ渡って島津久元…

  42. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 27-1 某覚書

    差出人未詳の覚書断片。瀬戸之浦・片浦・坊津について先行条項と同様の措置を掲げ、鹿児島の知行取衆が何人役を負うかと無足衆の割当、外城衆について同様の割当、外城衆のうち兵具を携行すべき人数を定めるための項目を列記する。

  43. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 27-2 某覚書

    差出人未詳の覚書。甑島へ配置すべき人数とその配分を定めること、京泊・阿久根についても同様にすることを列記する。

  44. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 28 川上久国覚

    川上久国の覚。伊豆守の命により島津久元と三原重庸を帰陣させる件について、到着時は黄門様が重体だったため久元の帰宅を東郷肥前守らと相談したが、前日から容体と脈がやや回復したので、誰を陣に残すかは現地で協議し一人を帰すよう求める。仁礼主計助が下向した際の条書に関連し、獅子島へ出した人数を途中で引き取った…

  45. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 29 川上久国書状

    川上久国が島津久賀ら四名へ、二十四日付書状を受け取ったと応じる。黄門様は二十一日以来ひどく重かったが前日から少し楽になり、なお非常に疲れているものの琢庵の薬がよく合っていると報告する。黄門様から松平主税助・伊東大和守へ出した書状を稲留軍介が受け取らなかったという件は出水へ照会するよう求める。兵糧不足…

  46. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 30 川上久国書状

    川上久国が市来八左衛門尉宗友へ、岩切六右衛門・川上彦左衛門にも心得て軍勢を徴するよう急ぎ伝える。後立の三千人が当地に滞留しているため、帰陣について三老と十分相談し、陣へ向かう本田帯刀長にも伝えるよう求める。軍衆への兵糧支給を確認させ、天草から兵糧が来ないとの報告や、粗末な楯板を早く送る件を扱い、遅延…

  47. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 31 川上久国書状

    川上久国が市来八左衛門尉宗友へ、薩州様が下向するとの情報を陣場から聞き、島原への加勢を担当することになるだろうと推量する。その場合は後立の衆を先に帰し、本文にいう船元の衆を帰還させるのがよく、近在の衆は必要時に再び急参できると述べる。詳細は本田帯刀長親秋に託した書状。

  48. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 32 川上久国書状

    川上久国が島津久元・山田有栄へ、黄門様の機嫌を見舞うため使者を差し上げた件は、東郷肥前守を介して披露したと報告する。遠方から様子を尋ねたことに黄門様が満足したと伝え、詳しくは追って知らせるとする書状。

  49. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 33 川上久国書状

    川上久国が島津久元・山田有栄へ、このところ上使衆へ書状を出してから少し間が空いているため、現地で手早く文案を整え、本田帯刀長親秋を軽い使者として差し出してはどうかと提案する。そのための判紙を本田に持たせた書状。

  50. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 34 川上久国書状

    川上久国が勝部助左衛門尉へ、肥後八代の家老衆の一色杢□に宛てた書状を、そちらの軽衆に持たせて早急に届けるよう命じる。返事が来たら次の飛脚で久国のもとへ届け、油断しないよう求める書状。

  51. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 35 川上久国書状

    川上久国が島津久元・山田有栄らへ、二十六日付書状と現地の様子を記した条書を受け取ったと応じる。馬場三郎左衛門尉から薩州様が下向すると聞いたことを黄門様も喜んでおり、変化があれば知らせるよう求める。黄門様の病状は大きく変わらず、前日は食事を残し、夜に二度痰が上がったが、薬・粥・茶・焼飯を少量取ると治ま…

  52. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 36 川上久国書状

    川上久国が大野久武・伊地知重順へ、有馬の件で薩州様が下向するとの知らせが上陣からあり、越中守・立花殿らには今月十二日に暇が出たため、薩州様も間もなく着船するだろうと伝える。大野と縫殿助は少人数を率いて細島まで迎えに出て、道普請と迎えの夫馬を怠りなく手配するよう命じる書状。

  53. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 37 川上久国書状

    川上久国が大野久武へ、薩州様を迎える夫馬の割当は伊地知四郎兵衛に当地で申し渡したので、相談して調達するよう命じる。久国方から有川右近が高岡まで出向くため、同人とも相談し、油断なく進めるよう求める書状。

  54. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 38 川上久国書状

    川上久国が三原重庸・山田有栄・島津久元らへ、以前江川弥左衛門尉を長崎へ借銀に遣わした際、有馬屋休庵へ二十貫目の借状を出したので、その写しを借銀帳に添え、帰宅時に帳面へ記すよう求める。琉球から唐糸船が来ないため消息を聞く小船を出す予定で、相良権兵衛尉は御物銀百貫目または五十貫目ほどを下すよう申し上げた…

  55. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 39-1 伊地知季安記事

    伊地知季安が、二十九日、三原重庸が島原から暇を得て帰国し、未刻に鹿児島へ着いたと記す。松平信綱は重庸に公の病気を尋ねる伝言を託しており、重庸が児玉利昌を介してその内容を上聞すると、公はひときわ満足したという。詳細は案文にあるとする記事。

  56. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 39-2 川上久国・三原重庸連署書状

    三原重庸・川上久国が島津久元・山田有栄らへ、重庸が八ツ時分に帰宅し、松平信綱から託された黄門様の病気・養生への見舞いを児玉利昌を介して申し上げたところ、黄門様が大いに満足したと報じる。黄門様は日増しに衰え、喉の内外が腫れて狭まり、胸痛と摂食困難があり、前日の三度の膳も半分ほどしか取れず、服薬も進まな…

  57. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 39-3 川上久国・三原重庸連署書状

    三原重庸・川上久国が天草の北郷久加・上入来院重国・喜入忠政・島津久賀へ、江戸にいる園田清左衛門尉を早々に出立させるよう児玉利昌を介して命令が出たため、急いで帰国するよう命じることを求める。薩州様は大坂から下向し近日到着する見込みだが、黄門様は二十一日以来食事が取れず日々衰弱していると知らせる。現地の…

  58. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 39-4 島津久賀・喜入忠政連署書状

    喜入忠政・島津久賀が市来宗友へ、その地での逗留をねぎらい、兵糧不足のため余分に召し置いた軍勢を順次帰すよう将州老から命じられたので、両人の人衆の一部を帰したと報じる。当地へ渡った人数は本文に「都合七千九萬」とあるが、季安は「七千九百之誤也」と注し、このうち三千余は有馬へ渡り、残りは当地にいるという。…

  59. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 40-1 伊地知季安記事

    伊地知季安が、島津久賀・喜入忠政が加世田内記を鹿児島へ帰し、川上久国・三原重庸へ書状を送ったと記す記事。

  60. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 40-2 島津久賀・喜入忠政連署書状

    喜入忠政・島津久賀が三原重庸・川上久国へ、上津浦の番手を受け取ったことを報告する使者を出し、鬼塚源太左衛門尉から条書への返答を受領したと伝える。条書は、命令なく有馬へ渡る者には自船・自飯米を負担させ、後日処分もあり得るという内容で、当地の諸軍勢へ周知するとする。一方、「かうね」から当地へ人衆を繰り渡…

  61. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 41-1 伊地知季安記事

    伊地知季安が、この日、島津久賀らが御袖判の条書に檄を添え、甲禰と亀の川で物頭を務める者たちへ触れ渡したと記す。任意に有馬へ行く者には自ら飯米を用意させ、往来にも自船を使わせ、さらに後日処分する場合があるとの命令も通達されたという記事。

  62. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 41-2 島津久賀・喜入忠政連署書状

    喜入忠政・島津久賀が、「かう祢」にいる上入来院重国・北郷久加へ、有馬から届いた御袖判の条書を当地の軍勢には申し渡したので、両名のもとにいる者たちにも早急に伝えるよう求める。鹿児島との往復で得た返答から要点三か条を書き写し、任意に有馬へ渡海する者は自船・自飯米とする命令を周知しなければ、さらに無断渡海…

  63. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 41-3 島津久賀・喜入忠政連署書状

    喜入忠政・島津久賀が亀之河の島津久頼・肝付兼屋・東郷昌重・吉利忠張へ、鹿児島へ照会した条書への返答を知らせる。任意に有馬へ渡る者は自ら飯米と船を用意し、後日処分を受ける場合もあるとの命令なので、条書の写しを送り、当地から直接任意に渡ろうとする者も含め、配下の全員へ漏れなく申し渡すよう求める書状。

  64. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 42-1 伊地知季安記事

    伊地知季安が、島津久賀・喜入忠政は前日、鬼塚源太左衛門尉を島原へ派遣し、島津久元・山田有栄へ相談したい事柄を伝えたが返報がなかったため、この日さらに今井市兵衛を派遣したと記す記事。

  65. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 42-2 島津久賀・喜入忠政連署書状

    喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、前日に鬼塚源太左衛門尉が渡海した際に書状を出しており、さらに事情を伝えるため今井市兵衛を派遣したので、返答と口頭説明を聞くよう求める。「かう袮」の衆は、小舟による繰り越しを手配しにくいため、まだ当地へ来ていないと報告する書状。

  66. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 42-3 島津久賀・喜入忠政連署覚

    喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、平田民部少輔が当地へ来ておらず、そちらへ渡ったとの風聞が事実なら当地へ送るよう求める。「かう袮」の衆も船の配分不調により未着で、当地ではすでに四か所へ陣替えしたのに船奉行が不在だと訴え、山田にも暇ができ次第の来着を求める。また、命令なく有馬へ渡った者には兵糧…

  67. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 42-4 島津久賀・喜入忠政連署手形

    喜入忠政・島津久賀が薩摩番所へ、本砥での用務のため使者二人を派遣するので、異議なく通行させるよう命じる手形。

  68. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 43 伊地知季安記事

    伊地知季安が、鹿児島から島原の陣所へ、世子は日州筋から下り、鹿児島に一夜逗留した後、紫尾山を越えて獅子島へ渡り、情勢次第で有馬へ渡海するとの注進があったと記す。陸上の軍勢は世子を待って出陣に従い、普請奉行の伊地知重政・長谷場純正らは急行して陣屋などを整え、賦方の村田経乗・福崎新兵衛らも来る予定だと、…

  69. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 44 伊地知季安記事

    伊地知季安が、この夜戌刻、世子がわずかな小隊で夜を日に継ぎ、路程を急いで島原へ直行するとの知らせが鹿児島へ届いたと記す。川上久国・三原重庸はただちに諸方へ檄を飛ばし、上使の命令で人数削減により帰郷していた者も、当初の手形で割り当てられた通り急行し、世子の到着に間に合わせて全員従軍するよう触れたため、…

  70. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 45-1 川上久国・三原重庸連署廻状

    川上久国・三原重庸が吉田・蒲生など諸外城の衆へ、薩州様が江戸から島原へ直行するため、先日の割当通り早急に出立するよう命じる。以前、上使から人数不要との命令を受けて途中から帰った者にも、江戸からの新命令に従い再出立を求める。少身の者は三人につき夫丸一人を付け、御蔵入地の者は出水の船元まで、持合地の者は…

  71. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 45-2 島原出陣諸賦頭書

    寛永十五年正月二十九日の島原出陣に備え、武器・軍勢・奉行・輸送・兵糧などの割当を列挙した頭書。御備は昇100本、外城衆の鉄砲300挺・弓200張、御道具衆の鑓200本、馬乗衆50騎(分限役の馬は別)、陸衆150人(外城衆は別)、召立乗馬50騎とする。有馬には3,262人中782人が帰り2,480人、…

  72. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 45-3 島津龍伯・同惟新・同忠恒連署錠書

    慶長六年八月七日、島津忠恒・惟新・龍伯が連署して諸士・外城衆・百姓らに示した掟。命令への異議、武具の油断を禁じ、100石につき具足1領を用意させ、出陣時は25石取以上を自飯、25石未満でも門屋敷持を自夫とする。殿役不勤は門1つにつき領主知行1石を召し上げ、番・普請・狩の懈怠が3度に及べば所領を没収す…

  73. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 46 北郷久加世別記

    『北郷久加世別記』は、富岡で松平主税介・伊東大和守が番を務めるため、太守島津家久が北郷久加を御使者として派遣するよう命じ、久加が有馬から島津下野守久元の書状でこれを承知して、正月二十九日に「かう祢」から出船したと記す。本文には正月二十九日があるが、目録年月日は空欄のため年月日欄は空欄を維持する。

  74. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 47 某書状

    正月二十九日、差出人不明の人物が市来八左衛門尉に、有馬宛ての書状を届けるよう求めた書状。薩州様が大坂から近日下着する見込みで、御蔵元から申し下した船も公儀の命令を受け、日向筋で迎え次第遣わすと伝える。薩州様が島原表へ直接下着する様子なら、逐次注進するよう求める。傍注は市来八左衛門尉を「宗友」とする。

  75. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 48 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国・三原重庸が天草の北郷佐渡守・入来院石見守・喜入摂津守・豊後守へ送った連署書状。児玉筑後守を介して、江戸にいる園田清左衛門尉を早々に出立させるよう命令が出たため、急ぎ帰らせるよう指示する。薩州様が大坂から下向し日中に到着する見込みを伝える一方、黄門様は先日以来食事が進まず衰弱し…

  76. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 49 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国と本文署名「宗庸」が川上彦左衛門尉・市来八左衛門尉・岩切六右衛門尉へ送った連署書状。薩州様が十三日に暇を得て十七日に駿河へ着き、直ちに有馬へ向かうとの命令を受けたため、この書状を早船で陣へ送り、陣道具も順次急送するよう求める。公儀用の楯板を当地の用にも転用できるとし、後発人数が…

  77. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 50 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国と本文署名「宗庸」が志ふし衆中へ送った連署書状。有馬の陣立衆が上使に召し留められたため、後発衆はいったん出水から召し帰されたが、薩州様が有馬陣へ直接着陣することになったので、当初割り当てた人衆を早々に出立させ、昼夜を問わず出水へ差し越すよう命じる。追而書でも、今回帰還した衆は追…

  78. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 51 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国・三原重庸が野州様と山田民部少の人々へ送った連署書状。左衛門佐が八つ時頃に帰宅したこと、黄門様の養生方針を伊豆守から聞き児玉筑後守を介して申し上げたところ満足されたことを報告する。一方、黄門様は日ごとに衰弱し、喉の内外が腫れて狭くなり、胸痛があり、膳は半分ほど、茶も一日一服を取…

  79. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 52 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国・三原重庸が山田民部少と野州様へ送った連署書状。薩州様が島原へ直接下向するとの情報を今晩六つ時頃に聞き、十七日には駿河へ着いたと兵部少輔から伝えられたため、急行して天下から船を給され、ほどなく着陣する見込みだと報じる。昼夜を問わず陣場を整え、天草の人衆を順次渡海させるよう求め、…

  80. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 53 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国・三原重庸が北郷佐渡守・渋谷石見守・喜入摂津守・豊後守へ送った連署書状。薩州様が有馬へ直接下向するとの、駿河発・十七日付の書状が今晩届き、早々に着陣する見込みだと報じる。天草の人衆も渡海させるため、野州様へ知らせ、下知に従って順次渡すよう求める。右飛脚に持たせた旨を付記する。本…

  81. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 54 川上久国・三原重庸連署書状

    正月二十九日、川上久国・三原重庸が川越三右衛門尉の宿所へ送った連署書状。薩州様が暇を得て有馬へ直接下向するとの知らせを今晩受けたため、兵糧と船の手配を万事油断なく進めるよう命じる。出水・米之津へは差出側から連絡するので、受取側からも両所へ申し通し、少しも遅延しないよう求める。右飛脚による送達である。

  82. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 55 島原出陣諸賦頭書

    寛永十五年正月二十九日の島原出陣に際する御備・軍勢・奉行・輸送・兵糧等の割当帳。冒頭に「正文在文庫」「二重除之」とある。御備は昇100本、外城衆の鉄砲300挺・弓200張、御兵具衆の鑓200本、馬乗衆50騎、御陸衆150人、召立乗馬50騎とする。有馬3,262人のうち782人、天草5,201人のうち…

  83. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 56 平塞録

    『平塞録』は、晦日に公儀から島原の諸大名へ、試しの具足20領と鉄楯5枚ずつが貸与されたと記す。本文は諸大名側の『拝借』として表現する。

  84. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 57-1 伊地知季安記事

    伊地知季安は、同日、山城新介が有馬から帰り、島津忠政らへ復命したと記す。

  85. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 57-2 有馬康純・同直純連署錠書

    有馬直純・康純が連署して定めた軍中法度。軍法と大将・物頭の下知への服従、隊列維持、独断行動・油断・無届の鉄砲発砲・馬の放置を禁じ、使番・物見・近習頭・騎馬・足軽・弓・長柄の者の任務、武器の備え、旗の統制を規定する。さらに陣屋での喧嘩・狼藉・押買・濫伐、火の不始末を禁じ、陣屋の清掃、逃亡者の捕縛・届出…

  86. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 58 姶良士森田家格護桁図

    姶良士森田此右衛門家に伝わった、四方3寸5分の枡の図と由来。平日に用いられていた枡が珍品として保存され、児玉筑後守利昌の子・四郎兵衛尉利実に属して出陣した者が亀ノ川番手で兵糧を量るために使い、帰陣時に持ち帰ったものと季安は推測する。季安が利昌の位牌が姶良の含粒寺にあることを見いだして子孫の隠居可睡利…

  87. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 59 三原重庸・川上久国連署書状

    三原重庸・川上久国が仁礼蔵人頼景に、薩州様の下向に伴って各所から迎えの者が参るため、船元まで他領を通行できるよう通手形を発給するよう求める。

  88. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 60 川上久国・三原重庸連署書状

    川上久国・三原重庸が市来八左衛門尉宗友に、薩州様が東目を下向し、去る二十三日に大坂を出船したとの早打が来たこと、鹿児島に一日滞在して獅子島へ渡海し、松平伊豆守を訪ねた後、有馬へ渡る予定であることを知らせる。獅子島に小規模な仮屋を建てるため、楯板を作っている大工から7、8人を早急に派遣し、紫尾越えで市…

  89. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 61 川上久国・三原重庸連署書状

    川上久国・三原重庸が島津久元(野州様)に、薩州様が去る二十三日に大坂へ着き、その晩から日向筋を下向し、鹿児島に一日滞在して獅子島へ渡海した後、松平伊豆守を訪ね、有馬へ出張する予定であると知らせ、心得るよう求める。

  90. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 62 川上久国・三原重庸連署書状

    川上久国・三原重庸が島津久元(野州様)に、薩州様から松平伊豆守への文箱を早急に持参して返事を受け取り、持ち帰るよう求める。伊豆守から出陣を命じられ、人数の繰り渡しなどを指示される可能性があるためで、薩州様は三日以内に当地へ到着する予定だと知らせる。

  91. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 63 川上久国・三原重庸連署書状

    川上久国・三原重庸が市来八左衛門尉宗友に、薩州様から松平伊豆守への書状を早船で有馬へ送るよう命じる。あわせて、薩州様が日向筋を通って三日以内に当地へ来て、出水へ向かう予定であるため、油断しないよう求める。

  92. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 64 川上久国・三原重庸連署書状

    川上久国・三原重庸が伊勢兵部少輔に、薩州様が去る二十三日に大坂へ着き、その晩に出船するとの報せを喜ぶ。黄門様は気色が軽くなり、御正木を寄せて腰を掛け、旗・馬験などを見て納戸衆も驚嘆するほど回復し、御殿も東之丸に定められたと伝える。両名は途中まで伺候を申し出たが、陣の準備を整えるよう命じられたため実現…

  93. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 65 寛明日記

    『寛明日記』は、二月朔日に上使の酒井因幡守と駒木根長次郎が下着し、有馬玄蕃頭豊氏と同兵部少輔忠重も同日有馬へ到着したこと、その人数が合計8,300人であったことを記す。

  94. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 66 平塞録

    『平塞録』は、二月朔日に江戸上使の酒井因幡守・駒木根長三郎が島原へ着陣し、一揆の大将益田四郎太夫が書付で一揆中へ持口の不用心を申し渡したと記す。上使到着時、公儀から先手の大名衆へ炮烙火箭70挺・楯100枚を貸し下げ、大名が有馬へ着陣して大軍となった。攻め手が籠城側を偵察し、四郎太夫が城中へ厳しい書付…

  95. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 67-1 伊地知季安記事

    伊地知季安は、同日、蒲生衆28人が出発し、まず鹿児島へ赴いたと記す。

  96. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 67-2 某覚書

    二月朔日に鹿児島へ参る衆28人の覚。四位与四郎以下、北原吉左衛門尉までを列挙する。文書67-1が出発を記す蒲生衆28人に対応する。

  97. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 68-1 伊地知季安記事

    伊地知季安は、同日、北郷佐渡守久加が富岡城の警固と伊東大和守らへの使者勤めを終え、上津浦へ帰還したと記す。

  98. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 68-2 薩本島原軍記

    『薩本島原軍記』は、天草富岡を守る松平主税助・伊東大和守に対し、中納言の使者である北郷佐渡守久加が番手の労をねぎらったと記す。さらに、松平伊豆守が薩摩へ命じた天草上津浦番手の物頭として、島津豊後守・喜入摂津守・入来院石見守・北郷佐渡守を置いているので用を命じてほしいと申し入れ、相手方は用件は相談して…

  99. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 69-1 伊地知季安記事

    伊地知季安は、同日、日高十兵衛正盛が御陸衆として出発したと記す。

  100. 旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 69-2 島原立重人数賦帳

    寛永十五年二月朔日の島原出陣に際する人員賦帳。乗馬衆13人と御陸衆49人を石高付きで列記し、定衆6人、御中間8人、諸役人32人、大工5人、茶湯坊主3人を合わせて惣計116人とする。別に詰夫丸21人を記す。日高十兵衛は御陸衆に含まれる。