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旧記雑録拾遺 著作史料集2の目録
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旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 70 島原出陣諸賦頭書
島原出陣に伴う諸役の賦課・準備をまとめた頭書。二月朔日条で十文字幕・段子幕の調達を新納右衛門佐久詮へ申し渡し、出立衆の送状、阿久根・西方・向田・市来湊・宮之城・蒲生での宿泊・昼休と賄いを定める。続いて殿役・船・普請・町・高・蔵・兵具・馬屋など、出陣時に編成すべき奉行・役衆を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 71 志布志東下町太兵衛願書
志布志東下町太兵衛の名字付願書に見える記事。平田藤右衛門宗則が島原へ出陣した際、大垣太郎右衛門も十八歳で旧例により供をしたが、島原落城の報を受けて一行が中途から引き返したため、ともに帰ったという。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 72 某覚
島原方面への出陣準備をまとめた覚。御殿東之丸、旗・馬験・持筒・持弓などの配備を定め、有馬三千余・天草四千九百余・出水三千三百余・船頭水手二千余、合計一万三千余の出陣人数を記す。薩州様の獅子島・長島間からの渡海、仮屋・陣屋・船・兵糧の準備を指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 73 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が仁礼蔵人頼景へ、薩州様の着船が近いと見込み、急なことで諸事が整いにくいため、細島から高岡までの振舞や送りを油断なく準備するよう命じた連署書状。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 74 某廻状
差出人不詳の廻状。有川右近が差し合いで日向へ行かないため、薩州様が急に通行しても送迎の夫馬を滞りなく調えること、道橋を念入りに普請すること、福山で順風が得られず陸路を通る場合にも備えることを、吉野以下二十か所の地頭・噯衆へ命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 75 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久元・山田有栄へ、田布施浜で唐人の木屋が自火により全焼し荷物も失われたことを報告する。有馬・天草への兵員・兵糧輸送と薩州様の獅子島渡海で船が不足するため、末次平蔵に長崎から迎船を出させ、事件が国の不利益とならぬよう早急に協議することを求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 76 寛明日記
『寛明日記』二日条。松平伊豆守の指示で長崎からオランダ船一艘・日本船三艘を呼び、海上から原城へ大筒を放ったところ、城内の鉄砲で唐人二人が討たれたため、残る唐人を長崎へ帰した。日本丸と黒田・細川の番船は従来どおり砲撃を続けた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 77-1 平塞録
『平塞録』二日条。上使の宮城越前守・石川弥左衛門が諸大名へ、板倉内膳正重昌の討死を踏まえ、城を静かに包囲して兵糧攻めとし、味方の損害を避けて邪宗門を断絶するよう幕府の意向を伝えた。個人の抜駆け・高名争いを禁じ、諸大名は判形して承諾した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 77-2 牧野成純覚
牧野伝蔵成純が諸大名へ渡した覚。城から仕寄を付ける距離、火矢、弓を射る者の人数、玉薬の置場、築山について回答・検討を求める五項目を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 78 小川監物日記
小川監物日記の二日条。殿様が江戸から下向し、有馬へ直行するとも国元へ着いてから向かうとも聞いたと記す。外城軍衆の三分の一を帰すとのことで無足衆を分けて出立させたが、ほどなく再び留められた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 79 北郷久加世別記
『北郷久加世別記』。二月二日に富岡へ着き、家久公の意向として、富岡番手奉行の労をねぎらい、大隅守の病状悪化で有馬へ渡れないこと、松平伊豆守の命により上津浦へ物頭・番手人数を送ったことを主税介・大和守の両所へ伝えた。両所は取次を介して返答した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 80 島津久元書状
島津久元が三原重庸・川上久国へ、薩州様の大坂着・日向筋下向・鹿児島逗留・獅子島渡海の予定と、有馬出張の要否を報告する。久元が松平伊豆守に直談判したところ、当地には人数が十分で薩州様の出張は不要との意向を得たため、出水・獅子島で待機して改めて内意を聞く案を伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 81 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が仁礼蔵人頼景へ、薩州様着船の知らせを尋ねる。三日続きの大雨で日州に洪水が起きることを懸念し、渡船への注意を求めるとともに、黄門様の病状が軽くなり、薩州様の到着でさらに快復することを願う。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 82 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢兵部少輔貞昌へ、薩州様の船は細島へ着く頃と思うが、三日間の大雨で日州の川が洪水になることを案じ、早い到着を待つと伝える。黄門様はこの三日ほど病状が軽く、脈も和らぎ食事も平常どおりと琢庵が述べたことを報じる。追而書では、出陣に伴う供衆・道具の手配等を申し添える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 83 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久元・山田有栄へ、鬼塚源太左衛門を介した去る二十九日付書状の内容を了承し、黄門様の病状が軽くなったことを報じる。薩州様の到着遅延と大雨による日州洪水を案じ、出陣の供衆・道具、天草渡海、兵糧、馬、石火矢事故、黒田勢の出陣、永井監物の披露状について連絡する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 84 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が米之津の市来八左衛門宗友へ、有馬から届いた文箱を同地へ送り返すこと、黄門様の快方、薩州様の着船遅延を伝える。薩州様出陣に備えて外城衆を長島に待機させ、供衆・船・兵糧・台所調物を川上彦左衛門、岩切六右衛門、松山六兵衛らと調整するよう指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 85-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。三日、島津久賀・喜入忠政が上津浦から、島原の薩将島津久元・山田有栄へ返書したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 85-2 島津久賀・喜入忠政連署書状
島津久賀・喜入忠政が島津久元・山田有栄へ、薩州様が日向筋から鹿児島・出水・獅子島を経て渡海する予定と、御陸衆を留める指示を了承したと返答する。伊地知杢右衛門らの参着、外城衆の人数調整、帰還者と船の配分、兵糧消費を報じ、不要な人衆を早く帰すことと船の処置について下知を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 85-3 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。御船奉行土持平右衛門綱辰が長島から上津浦へ到着したことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 86 北郷久加世別記
『北郷久加世別記』の記事。同月三日、上津浦へ帰陣したことを記す。傍記の『上六日在』『下九日在』は別記中の所在を示す注記として扱い、目録年月日欄は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 87 川上久国・三原重庸連署書状
目録は二月三日付の川上久国・三原重庸連署書状とするが、本文は『八八号文書ト同一文書ニツキ省略ス』との編者注のみである。内容は88号文書を参照する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 88 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が山田有栄・島津久元へ、黄門様の快方と薩州様の着船遅延を報じる。天草番手・兵糧の措置、富岡で没収された物資の扱い、百石につき三人の軍役、鍋島・飛騨守からの書状、山川から来た琉球船の米二百六十石・上布・焼酎を出水へ回す手配を伝える。追而書では阿久根の宿泊・休息割を指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 89 石谷貞清書状
石谷十蔵忠成が松平大隅守家久へ、書状を拝見し、近ごろ病状が一段と悪いと聞いて案じ、養生を第一にするよう申し送る。当地方の様子は島津下野介久元から詳しく報告すると伝える。本文署名の忠成と傍注・目録の貞清の異同を保持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 90 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が米津の市来八左衛門宗友へ、黄門様の快方と薩州様の着船遅延を報じる。出水へ向かう道筋は祁答院筋より宿泊・休息所を確保しやすい川内筋がよいとの相談、道・宿・船・兵糧・台所の準備、御供衆が一万四、五千人ほどになる場合の米の確保について協議を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 91 川上久国・三原重庸連署書状
目録は二月三日付の川上久国・三原重庸連署書状とするが、本文は『八八号文書ト同一文書ニツキ省略ス、但シ尚々書ナシ』との編者注のみである。後続する『四日戊戌』は次の日次見出しで、91号の日付ではない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 92 寛明日記
『寛明日記』四日条。松平伊豆守信綱が正月中頃から城内へたびたび矢文を射入れ、捕らえた天草四郎の母・妹を通じ、非宗門者と降参者の助命・田畠耕作を提案した。四郎は城内に非宗門者はおらず、宗門の者は死して昇天すると覚悟しているため降参しないと返答し、従う者もなかった。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 93-1 平塞録
『平塞録』四日条。松平伊豆守信綱が諸大名へ、籠城側の突撃・夜襲に備えて柵を二重にし堀を深くし、鉄砲・番小屋・外張・貝の合図・火矢への水備えを整え、下知なく柵外へ出ないよう命じた。寺沢・松倉には島原・天草両郡の残存百姓を調べ、耕作を続けさせるよう指示した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 93-2 松倉勝家覚
二月四日に渡された松倉勝家の覚。二重柵と九尺間の堀、鉄砲の配置、小屋詰めの者への指示、貝の合図、城兵が出ても柵外へ出ないこと、火矢への備え、高来・天草の耕作という七項目を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 94 天草説書
『天草説書』。松平伊豆守信綱が城内へ矢文を射入れ、捕らえた天草四郎の母・妹を介して、非宗門者や降参者の助命と従前どおりの耕作を二度提案した。四郎は全員が宗門で死後の昇天を覚悟しているとして拒み、妹は肥後へ帰された。妹が城から持ち出した新しい饅頭にも触れる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 95 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。この夜亥刻、島津久元らの島原からの書簡が上津浦へ届き、平田民部少輔宗直と出水・阿久根の衆を島原へ召すことになった。千五百人を編成する計画を立て、まず四百人を出発させた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 96 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。この日、川上久国が鹿児島から島津久賀・喜入忠政・北郷久加世・入来院重国へ返書したことを記し、内容は六日条に見えるとする。目録年月日欄は空欄のため、六日をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 97 某覚書
前後を欠く某覚書。蒲生士十人が正月十五日に蒲生を出発し、十六日に出水へ着き、市来八左衛門宗友の下知で二十一日に兵具船へ乗り、二十二日に島原へ着船して八日間勤務し、二月四日に蒲生へ帰った経過を記す。十九日分の飯米として赤米九斗五升、下人九人分として赤米八斗五升五合を出水六月田御蔵から受け取った。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 98 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久元・山田有栄へ、天草への兵糧輸送が船不足で滞ること、薩州様の渡海と参陣判断、陣屋道具の搬入を伝える。長期在陣者の帰陣、とくに病身の山田有栄について幕府上使に伺った経過、黄門様の咳と食事不振、薩州様の細島未入津、獅子島渡海後に松平伊豆守へ参陣の要否を尋ねる手順を報じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 99 川上久国・三原重庸連署覚
川上久国・三原重庸が島津久賀・喜入忠政へ、鬼塚源太左衛門の上津浦到着と条書への返答を受けたこと、黄門様の病状、薩州様の細島未着を報じる。有馬渡海衆の扱い、天草番手の必要人数確定後の余員帰陣、米之津へ向かう兵糧米七百石の船が未着であるため出水からも順次送ることを回答する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 100 某書状
差出人不詳の人物が山田民部少輔有栄へ、北郷式部太輔が御供に加わっていることを知らせる。薩州様の出陣に伴う宿泊その他の軍務について、相談のうえ条書ごとに返答を書き、詳細は使者の口上に託したと伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 101 川上久国・三原重庸連署覚
川上久国・三原重庸が山田有栄の問いに答え、薩州様の通路二筋の道作りと宿泊準備、出水泊・米之津出船または米之津泊の選択を有栄の判断に委ねる。獅子島仮屋の修理、獅子島・米之津の畳数と畳表・縁・糸、御寝畳二枚の手配を指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 102 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢兵部少輔貞昌へ、阿久根での宿泊に備えて地頭・衆の退去を相談するよう追伸し、出水までの昼休み予定を別紙で送る。本状では薩州様の着船を案じ、黄門様の咳・脈・食事不振と日増しの衰弱を報告する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 103 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が仁礼蔵人頼景へ、有馬表では肥後・肥前衆の仕寄が城の塀際から五間・十間ほどまで迫ったが、城攻めの沙汰はないと知らせる。薩州様の着船後の報知と、この文箱を細島へ早く送ることを求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 104 川上久国・三原重庸連署廻状
川上久国・三原重庸が各地の普請方へ、薩州様の出陣に伴い通行する可能性があるため、道・橋の普請を怠りなく急いで整えるよう命じた廻状。宛所には吉野・吉田・蒲生・飯牟礼・久留木・宮之城・祁答院・伊集院・市来・串木野・隈之城・水引・高城・阿久根・高尾野・出水などを列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 105 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が蒲生衆へ、薩州様が通行する場合の昼休み所となる宿を用意するよう命じる。蒲生方面を通るか川内筋を通るかは未決定だが、用心のため先に知らせたもの。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 106 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢兵部少輔貞昌へ、黄門様から薩州様への書状を持たせるので披露するよう求める。黄門様は気色が軽く食事も進み、薩州様の下向を喜んで到着を待っていると報じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 107 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が市来八左衛門宗友へ、薩州様の到着・獅子島渡海・米之津または出水への着船と通路の相談、鎌田平右衛門の有馬行きの船手配を求める。琉球から山川へ来た三艘の船と南蛮人の道具を有馬へ送ること、御供衆約一万人ほか多数の兵糧を確保することを指示し、有馬へ渡海する場合は三万人ほど必要との見通しを…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 108 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久賀・喜入忠政へ、加世田内記が持参した御状・条書への返答を伝える。薩州様が大勢を率いて出張するなら態勢が変わるが、松平伊豆守信綱から参陣不要と指示された場合は番手だけを残して帰陣するため、まず確認するよう求める。北郷久加・入来院重国にも知らせ、村田郷左衛門・猪俣為右衛門と筆者…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 109 川上久国・三原重庸連署廻状
川上久国・三原重庸が各筋の継所へ、次飛脚の付状を物奉行衆の用務の際には物奉行衆から出すので、遅滞なく次へ渡すよう命じた廻状。高岡筋・加世田筋・出水筋・祁答院筋ごとに鹿児島から各地を経る継送経路を列記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 110 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が喜入忠政へ、去る二十九日付書状を受け取ったと伝える。番所までで人数を帰す場合も病身のため帰宅しないとの意向を了承しつつ、薩州様が確実に下向するかをまず確認するよう求めた。鎌田平右衛門が持参した返書。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 111 某書状
差出人不詳の人物が山田有栄・島津久元へ、琉球から山川へ来た三艘の船を米之津へ回し、米・焼酎・莚類や南蛮人の荷物を送る手配を報告する。南蛮人への対応、銀子の扱い、薩州様の到着前の人数差配と兵糧、若輩衆の配置、川内筋・祁答院筋の道橋と宿泊、物奉行衆への用意指示について相談・回答する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 112 平塞録
『平塞録』五日条。妙解公が上使の営で、夜中に一揆が突出した際の合図を貝にすると誤報で全軍が騒ぐおそれがあるため、大櫓の釣鐘を鳴らす案を述べた。松平伊豆守信綱が採用し、諸手の家老から鐘を借りて一軍に一つずつ配り、大櫓へ掛けることになった。林丹波守から松井佐渡守への書状は七日条に載ると注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 113-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。賦方の村田郷左衛門経乗・福崎新兵衛らが、軍衆減少について上津浦から島原へ使者として向かった。朔日以来順風がなく、この日に渡海した。目録年月日欄は空欄のため、本文の日次をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 113-2 島津久賀外二名連署書状
北郷久加・喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、出水衆を残らず戻す件を回答する。亀之川から荷物だけを船で、人は陸路で移し、三百人を渡す迎船を求める。平田宗直の衆は千五百人のうち四百人が帰り約千百人が残るため、大船十艘ほどを要望し、悪風で五日間滞留して米がさらに必要なこと、薩州様供立ての関船・荷船…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 113-3 島津久賀外二名連署書状
北郷久加・喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、『かう袮』で牛を切った一人を成敗したと報告する。首を村役人の陰山二右衛門へ渡す予定だったが、有馬兵庫頭の用で不在のため庄屋へ預け、兵庫頭の役人へ伝えるよう求める。季安は森元宗節家に伝承があるため後日調べると注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 114-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。永左近允蘇右衛門直純・竹内備前守実らは崎之津で舟番を務めていた。北郷久加・入来院重国が番を解いて上津浦へ来るよう命じても来なかったため、島津久賀・喜入忠政が再度召し、近隣の二島を狩るよう命じた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 114-2 島津久賀・喜入忠政連署書状
島津久賀・喜入忠政が永左近允蘇右衛門直純・竹内備前守へ、崎之津の舟番は不要となったので上津浦側へ帰るよう重ねて命じる。崎之津近くの二島を先の指示どおり狩り、早く来るよう求める。『かう袮』の佐州老・石州老からも帰還命令の書状が出たと伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 115-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。島津久賀らが『甲禰の四将』へ檄を送り、兵を上津浦へ徴集した。目録年月日欄は空欄のため、日次をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 115-2 島津久賀外二名連署書状
北郷久加・喜入忠政・島津久賀が島津久頼・肝付兼屋・東郷昌重・吉利忠張へ、全員が急いで渡るよう命じる。荷物は船、人は徒歩とし、陣屋道具を余計に積まないこと、渡り終えるまで吉利忠張・東郷昌重が残ることを指示する。山狩奉行の長谷場兵右衛門・肥後内蔵助には狩りの結果を報告させ、有馬へ伝えるため早く来るよう求…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 116-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。富岡城を警固する伊東大和守祐久が上津浦の薩摩三将へ書状で音問したため、島津久賀ら三将が飫肥侯家老の渡邊半右衛門尉へ返書して謝意を伝えた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 116-2 島津久賀外二名連署書状
北郷久加・喜入忠政・島津久賀が渡邊半右衛門尉へ、先日の使者としての来訪と伊東大和守祐久の書状を謝す。上津浦番所を大隅守が命じられたため自分たちが当地へ来たこと、近所なので今後も連絡し、異変があれば早く知らせるよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 116-3 島津久賀外三名連署書状
入来院重国・北郷久加・喜入忠政・島津久賀が米舟上乗衆へ、『かうつら』軍衆の兵糧を積んだ船六艘を柳之瀬戸へ繋いでおき、誰から命じられても四人へ申し来て下知を受けるまでは、どこへも移動させないよう命じた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 117-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。この日酉刻、川上久国の書簡が到来し、世子が島原へ直接着陣するとの知らせであれば軍衆を一人も帰してはならないと伝えた。季安は正月二十九日戌刻に出した書簡であろうと注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 117-2 島津久賀外二名連署書状
北郷久加・喜入忠政・島津久賀が山田有栄・島津久元へ、酉刻に届いた川上久国の書状を早船で送る。薩州様が直接当地へ渡るため軍衆を一人も帰さないよう命じられたこと、十二端帆の米舟一艘が来たが、当地にも大人数がいて兵糧がないため船を残したことを伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 118 小川監物日記
『加世田士小川日記』五日条。仁礼佐渡守が着船し、去る二十日の祭礼の花殻をはじめ、皆々の宿元から贈物が届いたと記す。目録年月日欄は空欄のため、五日や引用された去る二十日をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 119 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌の御道具衆二人へ、黄門様から薩州様宛の書状を持たせるので披露するよう頼む。有馬から、松平伊豆守信綱が薩州様の出陣は不要と命じたとの報告があり、有馬からの書状も次飛脚に持たせたと伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 120 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が諸外城へ、去る四日付の有馬書状により、上使衆が薩州様の有馬行きは不要と命じたと知らせる。各地の人数の出発は再度の指示を待つこと、江戸の命令と有馬の上使衆の談合が変わったためであることを廻文八通で伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 121 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が江田市右衛門尉へ、御用のため参上するよう昨日物奉行から伝えたのに未着であるとして、必ず今晩到着し、渋谷与左衛門尉と物奉行衆に会うよう急命する。遅延を禁じ、次飛脚で送った。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 122 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌へ、松平伊豆守信綱が島津久元へ薩州様の有馬行きは不要と伝えたことを知らせる。黄門様は東郷肥前守を通じ、有馬へ行かないなら日向路を急いだり夜通し通行したりせず、ゆっくり下向するよう薩州様へ申し伝えることを命じた。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 123 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久元へ、去る四日付書状への返答を多条で伝える。薩州様の有馬行きと陣場は不要で、渡海しても天草見廻りと黄門様の看病を優先すること、天候・着船・宿所の手配、黄門様の病状改善、上使衆が松平信綱の前で敵城絵図や仕寄の様子を示した件などを報告・照会する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 124 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が市来宗友へ、昨日の書状への返答として、有馬文箱の受領、薩州様の有馬渡海不要、日向への連絡、在陣・帰還衆の書立と後続衆の出発見合わせを伝える。兵糧配分、琉球米船五艘のうち三艘を山川から回す手配、船着・宿所、黄門様の病状改善、薩州様未着も報告し、文箱を有馬へ届けるよう追伸する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 125 某書状
差出人不詳の人物が島津久元・山田有栄へ、去る二日付書状への返答を多条で伝える。薩州様の大坂出船後の日向・鹿児島・紫尾越・出水・獅子島への行程と仮屋・宿所、松平信綱への内意、有馬渡海の要否を述べる。在陣衆七百八十人、天草衆千六百二十四人の帰還と加子約二千人を別々に挙げて兵糧不足を懸念し、船・陣屋材・大…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 126 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が仁礼頼景・伊地知重賢・大野久武・伊地知重順へ、去る四日付の有馬書状が今朝届き、松平伊豆守信綱から島津久元へ薩州様の有馬行きは不要と伝えられたと知らせる。その地の兵を出発させるかは、当地の兵少老と相談するよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 127 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌へ、黄門様はこの十日ほどで最も気色が軽く、食事・脈も良いと医者衆が述べ、薩州様下向の知らせで心持ちも改善したと報告する。有馬表に変化はなく、同地から届いた書状を一覧のため添送する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 128 三原重庸・川上久国連署書状
三原重庸・川上久国が三原次郎左衛門尉・猿渡加左衛門尉へ、去る四日付の有馬書状が届き、松平信綱から島津久元へ薩州様の有馬行きは不要と伝えられたため写しを送ると知らせる。黄門様は食事・脈ともこの十日ほどで最も良いと医者衆が述べたとして、適宜披露を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 129 三原重庸・川上久国連署書状
三原重庸・川上久国が国分衆中へ、当地で明日から祈祷を行うため、存久坊・本林坊・大鏡坊を明日中に必ず参着させ、遅延させないよう命じる。末尾の『六日庚子』は次の日次見出しで本文外。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 130-1 寛明日記
『寛明日記』六日条。城中の会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐が有馬左衛門佐へ内通して謀反を企てたが、返矢文が別の番所へ射込まれて発覚した。会津・坂部は同夜成敗され、山田は拘束されて落城時に小笠原右近大夫へ生捕られたと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 130-2 正月下旬山田右衛門佐矢文
山田右衛門佐が諸大将の被官へ披露を求めた孟春下旬の矢文。四郎時貞らを成敗して乱を鎮めるため、切支丹方へ強制的に加わった百姓八百人を説得済みであるとし、城攻めの際に防戦を装って放火し、味方へ合流して小船で四郎を捕える計画を示して赦免を願う。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 131 藤掛集書
『藤掛集書』。会津刑部・坂部源八・山田右衛門佐らの有馬方への内通計画が返矢文の誤射で露見し、会津・坂部が殺害され山田が拘束・生捕りとなった経緯を記す。山田の妻子の処刑、宗門による一揆勢の結束、二月に松平信綱が強攻を望んだ一方、江戸上使が兵の損耗回避を命じたことも述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 132 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。北郷久加・入来院重国が上津浦へ移り、島津久元が平田宗直を島原へ召したため土持綱辰を船奉行として渡海させたことを記す。また鹿児島から去る四日付の川上久国・三原重庸書状が届き、薩州様の進路変更時の軍勢対応を指示したこと、村田経乗・猪俣則康の召集状況を述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 133 某覚書
姶良衆中宛の覚。前田分右衛門尉以下、天草へ逗留する者を各人の石高とともに列記する。本文の人数・石高明細には難読箇所があるため、概要では確実に読める主要人名に限定した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 134 国分友知書状
国分友知が野間口彦左衛門尉へ、琉球船の件を承知したと答える。薩州様が東目筋を下ると聞いて庄内へ出たが島原へ直行するため戻ったこと、八日に出立するので当衆中を八・九日に参着させること、三人につき日用夫一人を立てる手配などを命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 135 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が島津久元・山田有栄へ、上之関の伊勢貞昌から薩州様が当地へ直接下るとの急報が届いたと知らせる。日向路を前提とした準備を急に変更し、道具は後送すると述べ、黄門様は三日来食事が進み脈も穏やかであるとの琢庵の診立ても報告する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 136 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌へ、薩州様の帰国を知った黄門様が喜び、食事量・脈とも改善したとの琢庵の診立てを伝える。追伸では、日向路へ迎えに出た役人が急な進路変更で戻らず、貞昌方への参着が遅れることを案じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 137 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌へ、去る朔日付書状で薩州様が有馬へ直行すると知り、日向路前提の軍役・装備手配を改める。旗二本・馬印・具足・弓・鉄砲等と馬二疋を先送し、幟百本・鉄砲三百挺・弓二百張・鑓二百本などを後送するとともに、兵員・衣類・陣道具・兵糧・琉球米船の手配を列挙する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 138 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が市来宗友へ、馬乗十騎・御陸衆五十人・本文に『御番道具七百人』とある員数、馬二疋、持道具・陣屋道具を送るので船を用意するよう命じる。日向から薩州様が上之関より有馬へ直行するとの急報が入り、諸道具を不足なく昼夜準備するよう重ねて指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 139-1 平塞録
『平塞録』五日条に詳述した事件について、七日条に次の記事があるとする引用導入。目録年月日欄は空欄であり、本文中の五日・七日をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 139-2 林勝正書状
林丹波守克政が長岡佐渡守興長へ、国元から持参した鐘一口について、前夜に松平信綱から松平右衛門佐忠之へ貸し渡すよう命じられたため、興長の了承後に引き渡すよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 140 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。七日、立花飛騨守が島原へ着陣したと記す。目録年月日欄は空欄のため、本文の日付をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 141-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。この日、島津久賀ら上津浦番手の四将が川上久国らへ書状を送り、去る四日付書状へ返答したと記す。目録年月日欄は空欄のため、去四日をB列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 141-2 島津久賀外三名連署書状
入来院重国・北郷久加・喜入忠政・島津久賀が三原重庸・川上久国へ、去る四日付書状への返答を多条で伝える。薩州様の有馬直行の有無に応じた番手・人数の扱い、船不足による軍衆の滞留、兵糧船・在陣人数・一日当たり兵糧などを報告し、兵糧蔵の引渡し等を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 142-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。鶴田地頭東郷昌重が、世子の紫尾山通行に備え、率いてきた鶴田衆を帰して道を普請したいと上津浦四将へ願った。四将は出陣中の人衆帰還は禁制として許さず、任所三村の庄屋に道普請をさせるよう指示した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 142-2 島津久賀外三名連署書状
入来院重国ら四将が東郷昌重へ、薩州様の紫尾山通行に伴う道普請のため鶴田衆を帰したいとの願いに答える。出陣中の人衆帰還は法度で認められないため、道は所持の三村の庄屋に命じて整えるよう指示した。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 143-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。正月十三日に島津家久の袖判で軍中法度が出されていたが、この日、島津久元ら大将が島原城下の在陣衆へ改めて軍令を触れ渡したと記す。目録年月日欄は空欄。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 143-2 島津久元等覚
島津久元ら大将衆が島原在陣衆へ示した軍令の覚。家久袖判の軍中法度を守り、松平信綱出陣下で勝手な行動を慎むこと、備を崩さず無下知で軍場・敵城へ入らないこと、他国衆との争論や陣中騒擾を禁じ、大将の下知に従うことを命じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 144 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が伊勢貞昌・市来宗友へ、有馬在陣中の四本六左衛門尉のため当地から夫丸一人を差し越すので、船便があり次第その地から渡すよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-1 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。普請奉行伊地知重政が世子の有馬参陣説により島津久元から陣営設営のため召され、風潮不順で待機後、五日頃に上津浦から渡海した経緯を考証する。八日に供衆の多くを帰した記録などから、時期・人数には詳らかでない点を残す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-2 小原織部取払留
小原織部の取払留。天草内の上津浦で、伊地知重政の主従三十一人分として真米三斗一升と赤米三斗一升を請け取ったことを記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-3 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。前条二行には日付がないと指摘し、正月十八日に米之津で二十日分の兵糧を受け二月六日までに当たるため、次の飯米支給は二月七日頃であろうと推定する。主従三十一人は次条の人数とみなすが、目録年月日欄は空欄。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-4 某覚書
伊地知杢右衛門重政に属する西田七左衛門・江平宇左衛門以下、家中・付衆を含む計三十一人を列記した覚。傍注による所属・別名を含むため、本文呼称と注記を区別して扱う。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-5 伊地知季安記事
伊地知季安の記事。前条の三十一人に三人を加え、正月十七日晩に米之津へ着いた時は三十五人と記されること、四百六十石余に対する軍役人数を考証する。二十一日に米之津から帰した三人を内蔵右衛門・助六・拾郎兵衛とするが、目録年月日欄は空欄。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 145-6 小原織部取払留
小原織部の取払帳。上津浦で伊地知重政付衆七人へ振舞った白米一升七合五勺、米之津・上津浦で買った塩四俵・鯛・さうち魚の代米を品目別に記す。末尾の『下文ハ二月十一日に載す』は参照注で、B列へ補入しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 146 国分賦所日記
『国分賦所日記』。御道具持ちとして国分から鹿児島へ出立した十七人を列記し、宮内からの夫四人と出水までの送夫二人を付記する。また喜入久右衛門を迎えるため出水方面へ出た衆中と送夫を記す。本文は二月七日条だが目録年月日欄は空欄。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 147 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が市来宗友へ、薩州様が小倉から筑後榎津へ陸行し有馬へ渡る見込みのため十四端の御座船を急送するよう命じる。陣道具・楯板・賄料を追送し、有馬加勢不要との松平信綱の意向を踏まえつつ、必要時は全人数を渡す準備などを指示する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 148 川上久国・三原重庸連署書状
川上久国・三原重庸が川上彦左衛門尉らへ、引付を持たない者には船を渡さないよう追伸し、薩州様の有馬直行、米之津・獅子島の仮屋、紫尾・川内筋の帰路を相談する。琉球船は先着三艘、続いて二艘、さらに十四・五艘を見込み、山川から直送させ、加勢人数と船の配分決定を求める。