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旧記雑録拾遺 著作史料集2の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 590 島津久慶外二名連署廻状
諸浦浜町で既に船奉行が割り付けた加子に加え、外浦浜町・在郷の御蔵入・給地を問わず、船に乗れる15歳から70歳までを調べ、書状を添えて直ちに久見崎船奉行へ送り、札帳と照合するよう命じる。隠匿・遅延は処罰し、賃銀は通常より増額する。国中の船を総動員する天下事で加子が大幅に不足するとして、庄屋・浦役人にも…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 591 高所達
長崎への南蛮船来航に伴い、出水地頭山田民部少輔へ軍衆を賦課する。高30~99石、100~199石、200~299石、300石以上の各層で主従人数を定めた50人と、高29石以下の51人を合わせ人躰101人とし、29石以下には4人ごとに御蔵入から夫丸を出す。武具は鉄炮32丁・弓10丁・鑓10本。出立日は…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 592 喜入吉兵衛・相良頼員連署覚
喜入宗方・相良頼員は、長崎の南蛮船に対して人数を派遣するため、必要な諸物を不足なく調えるよう命じる。問い合わせていては時刻が移るので現地の判断で処置し、後日の責任は差出側が負うとして、御奉公に少しも支障を生じさせないよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 593-1 相良頼員・喜入吉兵衛連署覚
出水衆138人について、衆中4人ごとに夫丸1人の割合で割り付けて渡すよう命じる。端数の扱いは本文に明記されないため、夫丸総数は算出しない。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 593-2 出水軍衆人数賦
前文書への張紙として、竹元・六月田・福之江・今釜・野田・庄・米之津・平松などの人数を一番衆・二番衆に分け、山田主計助、井尻三郎右衛門、指宿内蔵助、加兵衛、大炊助、玄宅らの与や相中夫へ割り付ける。目録年月日は空欄のため維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 594 大井実弘書状
大井実弘は、高奉行衆の廻文を受け、急用の米を向田へ送るため、前日に続いて船1艘ずつでも差し出すよう御曖衆に求める。船が整えば米を少量ずつでも向田へ回送すると述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 595 某達
出水の軍衆について、高別の主従役による50人と高29石以下の51人を定める。張紙で、高100石持は主従3人でもよいが御賦分を超える随行を認めず、51人には御物御兵具を持たせるため無足衆から適任者を選ぶよう指示する。武具は鉄炮31丁・弓10丁・鑓10本とし、今朝の人数賦をこの書物に差し替える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 596 某書状
差出人不詳の書状で、長崎へ立つ衆の飯米と、随行する夫丸の出所を記した書物2通を調えて送る。地頭は翌三日に当地を出立する予定で、詳細は直接指示されているため省略すると伝える。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 597 相良頼員・喜入吉兵衛連署廻状
南蛮船の件で、荒木嘉左衛門その他、長崎から鹿児島へ御用で通行する者を宿次で滞りなく送り届け、少しも遅延しないよう命じる。各宿の通過時刻・印を記した廻状として出水まで送達する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 598 島津久慶外二名連署廻状
長崎への黒船来航により、隠岐守・馬場三郎左衛門・高木摂津守・日根野織部からの連絡次第で人数を差し出すため、遠方の南潟衆を来る五日に向田へ集合させるよう命じる。山田民部少輔は出水へ赴き、高奉行から人数賦書立が届くので各人を見分して受け取るよう付記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 599 相良頼元廻状
長崎への外国船来航で多数の加子が必要なため、賦付の書物を持参する加子追立衆に従って早急に加子を立て、一刻も早く久見崎御船手へ送るよう命じる。遅延には後日厳しい処分があるとし、各所で判を据えて鹿児島へ返送させる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 600 東郷重方・川越重昌連署廻状
京泊・西方・阿久根・出水の御曖衆に、管内の三枚帆から八反帆までの船を差し出し、昼夜を問わず至急久見崎御船手へ送るよう命じる。廻状を順次下へ回し、通過時刻を付けて差出地へ返送させる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 601 島津久慶外三名連署廻状
六月二十九日付の高木摂津守・日根野織部正・馬場三郎左衛門の指示を受け、長崎に黒船2艘が着岸して隣国勢が参集しても、領内から人数は召し寄せず、浦々・島々の番手を整えるよう命じる。甑島には鉄炮衆を置き、京泊ほか最寄りの浦の船を揃え、情勢変化に備えつつ騒ぎを起こさないよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 602 東郷重方・川越重昌連署覚
東郷重方・川越重昌は、長崎へ多数の船が集まり水手が大量に必要なため、出水御曖衆に管内の雇水手を調べ、確認できた人数を速やかに久見崎御船手へ送るよう命じる。特別の急用なので遅延を禁じる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 603 山田有栄書状
山田有栄は、長崎への黒船来航により出水衆138人を選び、4人ごとに夫丸1人を御蔵入から出すよう命じる。飯米は福之江の蔵衆から渡し、物主は山田主計助とする。五日・六日の間に出立し、かせだうで乗船できるよう遅滞なく準備させる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 604 壱岐秀晴書状
壱岐秀晴は、切通番衆からの報告として、水俣に割り当てられた水主が前日酉刻に出発して松橋に集まり、船奉行が加子70人を召し連れ、佐敷からも70人が来ると聞いた旨を御曖衆へ伝える。変化があれば追って知らせるとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 605-1 東郷重方・川越重昌連署廻状
東郷重方・川越重昌は、長崎への船派遣で水手が大量に必要なため、年齢を問わず櫓取ができる者を当日中に久見崎御船手へ集めるよう命じる。さらに三枚帆以上で長崎まで渡れる船を調べて確保し、艘数を書き立て、廻状を走飛脚で回して各所の通過時刻を記すよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 605-2 東郷重方・川越重昌連署添状
前文書の急状を京泊以下の諸所へ送るため、走飛脚で時刻を移さず届け、各所で通過時刻を付すよう命じる添状。本文の『川越真左衛門』にはママ注があるため、目録標題の川越重昌と本文表記を区別する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 606-1 島津久慶外三名連署廻状
長崎奉行は薩摩の人数を召し寄せる意向であったが、島々・浦々で不慮の事態があり得るため派遣せず、各地で最寄りの浦を固めるよう命じる。この時点では人数を出立させる必要はないとし、出水・高尾野・阿久根などを継飛脚で回覧する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 606-2 島津久慶外二名連署添状
前文書を阿久根へ急送するため、所次で通過時刻を付け、速やかに届けるよう命じる添状。目録年月日は『七月日』のまま維持し、本文の七月二日とは区別する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 607 弟子丸宗方書状
弟子丸宗方は、瀬之浦に到着し、長崎への南蛮船来航のため急行していると伝える。翌晩に会って相談する意向を述べ、奉行所から届いた条書を閲覧後に返送するよう山田主計助・伊藤壱岐入道へ求める。目録年月日は『七月日』を維持し、本文の七月三日とは区別する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 608-1 豊田重時・坂元源太左衛門連署書状
三舟浦の長崎商船から得た報告として、南蛮船2艘が番船に包囲され、江戸へ注進したものの上意は未到着であること、御政所衆2人が借用船で検分したことを伝える。各船は石火矢60丁を構え、1丁に3人を配し、積荷は玉薬のみという。出船時の召捕り、周辺国の大勢による有馬陣立同様の包囲、長崎町浜人が糧物を山へ運んだ…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 608-2 豊田重時・坂元源太左衛門連署添状
長崎の情勢を記した前文書を所次で送り、山田土佐守へ届けるよう中馬兵部左衛門・清田右京亮・木原兵左衛門に命じる添状。目録年月日は『七月日』を維持し、本文の七月三日とは区別する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 609 平田監物・鎌田大炊助連署覚
福之江の出物蔵衆に、出水出物米から真米20石・赤米20石を瀬之浦の下代衆へ至急渡し、同地の番手衆の飯米とするよう命じる。出水御曖衆に廻船を手配させ、手形は後日送るとし、下代衆の追加請求にも応じて確実な受取を残すよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 610 寺師宗俊外二名連署書状
大口の宮原乗泰ら3人は、今朝寅刻に長崎行きを命じられたと伝え、帰宅していると思われる山田民部少輔へ諸事を伺うよう廻文で指示されたため使者を下し、詳細な返答を求める。追而書で、新納加賀守が鹿児島へ参上して当地を留守にしていることも知らせる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 611 東郷重方・川越重昌連署廻状
前日の命令にもかかわらず水手の久見崎集合が遅れているため、年齢を問わず櫓取ができる者を追い立てて送るよう重ねて命じる。長崎へ向かう人数は既に向田へ着いており、水手が参集しなければ御用に支障を来して各担当者の落度になると警告する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 612-1 東郷重方・川越重昌連署廻状
鹿児島から、長崎へ送る人数・船を当面召し置くとの指示が届いたため、各御曖管内の船と加子を差し留めるよう宿次で知らせる廻状。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 612-2 川越重昌・東郷重方連署添状
前文書1通を宿次で速やかに送り、少しも遅延しないよう命じる添状。京泊・西方・網津・阿久根・野田などの通過時刻を記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 613 島津久慶外三名連署廻状
坊津・泊・久志・秋目の諸浦にある三枚帆以上の船を残らず、吉田新右衛門尉・津留助允両名の帳面に基づいて留め置くよう命じる。地下役人に帳面の写しを作らせ、次飛脚で鹿児島の野村大学助へ届けるよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 614 谷山民部左衛門尉・野村新兵衛連署覚
長崎への黒船着岸により蒲生衆士161人が出立するに当たり、主取5人に相談して軍役を滞りなく整えるよう求める。想定外の事項は5人から日記に記して地頭へ報告し、急用時に遅れぬ配置とし、召し連れる者が狼藉しないよう主人から厳命させる。地頭留守中のため野村新兵衛・谷山民部左衛門尉がこの趣旨を申し渡す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 615 谷口助右衛門外四名連署差出
蒲生衆の身躰161人を、高100石以上1人、高30石以上16人、高30石以下144人に分け、下人18人と夫丸36人を加えて合人数215人とする差出。武具は鉄炮152挺、鑓7本、弓1張、長刀1振で、下人は4人間に1人の賄夫として御蔵入から山元勘左衛門へ渡す。与頭は谷口宮内左衛門。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 616 某覚
黒船の楷木が厚さ4尺余と聞くため、南蛮人が矢頃に見える時に弓・鉄炮を一斉に放つよう申し合わせる。石火矢を受けて人が海へ落ちた場合は類船・転間・本船を寄せて救助し、小船で焼草を用いる方法も相談する。曖衆の命令に従い、猟船主取や舟完成後も陸にいる者の責任を問い、曖衆以外に下知する者の名を書き出させる。編…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 617 島津久憲外二名連署覚
蒲生衆8人に、石火矢を撃つ時機を見定めて指示し、石火矢船へ乗せるよう命じる。久見崎にいる三原大蔵・伊東早馬介と相談するよう求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 618 島津久慶・川上久国連署覚
浦々の夜番人数を一度ごとに記録し、遠い嶋崎・洲崎などには番小屋を設けるよう命じる。人数不足の所は近隣奉行と相談して補い、横目の巡回に備え、遠方から人を寄せる必要がある所は人数を申請して早く報告する。猟船は昼に沖見を行い、船影を認めた時や自然発生でない外城の異変は直ちに報告させる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 619-1 加治木新納氏由緒抜書
正保四年夏、長崎に黒船が来着したため久見崎へ派遣された軍勢の編成を、加治木新納仲右衛門が記す。一番備は大筒頭東郷肥前守・伊集院長右衛門・上井勘兵衛・新納仲左衛門、二番備は弓頭平田大監物・上原小十郎・相良土佐守・東郷長左衛門、三番備は新納加賀守・川上左近将監、四番備は島津大膳太輔とし、各組に多数の士衆…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 619-2 異国船警固陣立賦
異国船警固の陣立を、大筒・壱番・弓頭・二番・三番・四番などの組別に示し、各組の主取・役職者・士衆を横組みの一覧で列記する。原本479~482頁に続く前半で、目録619の2一項目を作業上619-2・619-3に連続分割したうちの前半。目録年月日は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 619-3 異国船警固陣立賦
異国船警固陣立賦の続きとして、組別の役職者・士衆を横組みの一覧で列記する。原本482頁下段~483頁に当たり、目録619の2一項目を作業上619-2・619-3に連続分割したうちの後半。目録年月日は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 620-1 井上筑後守政重口上書
井上政重が、将軍の機嫌、八重山島番手の江戸報告、オランダ船・南蛮人・唐人と宗門への警戒、長崎での過去の処置、外国船への備えを口上する。諸港の警固、使者・宗門人の取扱い、船・鉄炮・石火矢の用意などを論じ、黒船来航時は高力摂津守・日根織部に相談して速やかに現地へ赴くよう伝える。編者は『旧記雑録追録一』1…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 620-2 馬場二郎左衛門尉利重口上書
馬場利重が、将軍の機嫌と長崎に異変がないことを伝え、領内南方諸浦から甑島まで巡見して港の様子を絵図で報告したことを評価する。黒船来航時は幕府の奉書に従い、広く荒波の港から船を出させない備えをし、外国船に水を求められた場合は状況に応じ、浦人が不用意に近づいて捕らえられぬようあらかじめ厳命することを求め…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 620-3 山崎権八郎正信口上書
山崎正信が、将軍の機嫌と長崎に異変がないことを伝え、炎天下に領内の浦々を巡見し港の絵図を提出したことを評価する。外国船には幕府奉書どおり対処し、荒波で港口が広い湊への懸念は井上筑後守から詳しく伝えられるとし、関係者が相互に相談するよう求める。外国船の取水を許して支障がないかという問題にも触れる。編者…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 621 正保四年長崎南蛮船来着記事
正保四年、南蛮船二艘が肥前長崎へ来着し、幕府から松平隠岐守・井上筑後守らが下向したため、江戸在府中の島津光久が家老島津図書久通・新納右衛門久詮を通じ、久加と相良権兵衛を長崎へ派遣して上使の用務を承らせた経過を記す。両名は七月二十七日の使札を受け、長崎で諸上使に光久の意向を伝え、八月六日に南蛮船二艘が…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 622 山田主計助有真書状
山田有真が、鹿児島の家老衆から長岡式部少輔へ文箱を送るため遠竹大炊頭・鈴木主馬首が派遣されたことを知らせる。こちらには賦銀がないので受取側で用意し、往来五日分の賦銀を渡すこと、使者が鹿児島へ戻る時に渡す案もあるが急用のため即刻渡すよう相談してほしいと求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 623-1 向田表諸所軍役人数賦
向田表へ出す物頭・地頭衆・兵具奉行・軍役奉行・兵道役者・普請奉行・船奉行・御使番・兵粮渡手・石火矢射手・弓射手・大矢射手・金瘡医者・本道医者・筆者を掲げ、諸所の人数を水引96人、高城120人、隈之城140人、百次36人、清敷160人、中郷32人、大口320人(うち40人は当分京泊で地頭に同心)、高江…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 623-2 給地高衆軍役賦
琉球高を除く給地総高を39万3,181石とし、三人軍役なら11,495人、二人半役なら9,830人と算定する。その内、鹿児島の高30万6,528石について、三人軍役9,396人、二人半軍役7,663人と記す。目録年月日は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 623-3 諸外城衆軍役賦
諸外城の合人数を11,562人(知行持衆8,228人、一ヶ所衆3,119人、寺社家215人)とし、別掲の合人数を1,283人(知行持衆1,204人、一ヶ所衆143人、寺社家36人)、惣合を12,845人と記す。別掲内訳の算術合計は1,383人で記載合計と100人違うため原記載のまま留保する。続いて出…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 623-4 筑前守長崎出船前帰着人数覚
芦谷喜左衛門が、筑前守の付衆として高城衆中約40人、相良杢之助の付衆として隈之城衆中約10人、諏訪杢右衛門の付衆として中郷衆中約10人、猿渡大炊介の付衆として水引衆中約10人、高江衆中約5人を挙げ、計約75人が筑前守の長崎出船三日前に帰着したと記す。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 624-1 島津久慶・川上久国連署覚
浦々の夜番人数を一度ごとに記録し、遠い嶋崎・洲崎などには番小屋を設けるよう命じる。人数不足の所は近隣奉行と相談して補い、横目の巡回に備え、遠方から人を寄せる必要がある所は人数を申請して早く報告する。猟船は昼に沖見を行い、船影を認めた時や自然発生でない外城の異変は直ちに報告させる。編者は『旧記雑録追録…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 624-2 鎌田大炊助政慶廻状
鎌田政慶が、召し置いた人数の名書には主取の名と派遣先を記し、この状を確認後に順次回送するよう命じる。郡山以下十三か所の御曖衆中を回覧先とし、十四日未刻に大口へ次渡したとの追記がある。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 624-3 高尾野より出水御曖衆宛廻状送付覚
高尾野から出水の御曖衆へ、瀬之浦から届いた廻状を送る。相手方では用件が済んでいると思われるが、所次で回って来たため、確認のためそのまま次送すると述べる。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 625 島津久慶・川上久国連署廻状
島津久慶・川上久国が、今月三日に長崎政所の命で浦々へ急に張番を命じたところ、各地が速やかに参集し行儀よく勤めたことを評価する。北郷佐渡が長崎から帰り、長崎奉行も帰国し、黒船も続く北東風で遠くへ帰帆したとの熟練船頭の判断を受け、夜番を引き揚げて早く帰るよう市来以下の夜番衆へ命じる。編者は『旧記雑録追録…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 626-1 寛明日記慶安二年四月八日記事
『寛明日記』は慶安二年四月八日、松平伊豆守信綱・阿部豊後守忠秋が連署状で在江戸の西国大名に家来一人ずつを阿部邸へ出させ、耶蘇宗門の者が日本で商いを望み当夏長崎へ来着する可能性を告げたと記す。来航時は事情により船人を帰す場合も、乗船者を残らず処断する場合もあり、在江戸の大名も松平阿波守の指図があれば家…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 626-2 新納久詮・伊勢貞昌・島津久通連署書状
新納久詮・伊勢貞昌・島津久通が、八月十四日にオランダ船が長崎へ入津し、沖でパードレ二人を乗せた南蛮船に遭遇したとの幕府情報を伝える。南蛮船はゴアへ商売に行くと称したが日本を目指す偽りの可能性もあるため、津浦の番手を油断なく置き、来着しても南蛮人を上陸させないよう命じる。後記は丑年十月十八日に有馬左近…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 626-3 山田有栄・北郷久加・島津久頼連署廻状
山田有栄・北郷久加・島津久頼が、八月十四日に長崎へ入津したオランダ船が洋中でパードレ二人を乗せた南蛮船に遭遇したとの江戸命令を伝える。津々浦々の番衆に従来の定めを堅く守らせ、南蛮人を上陸させず、南蛮船らしい船を発見した時は直ちに鹿児島へ報告するよう、山川から秋目までの御曖衆へ命じる。編者は『旧記雑録…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 626-4 馬場利重・山崎正信連署書状
馬場利重・山崎正信が、外国船が順次帰帆しているため、浦々で船へ飛び乗る者や船中に残る者がないよう厳命する。悪風で船が陸へ近づいた時は従来どおり番船を付け、天候を見て出船させるよう島津光久の家老へ求める。後記は慶安二年十月十八日に有馬左近の廻状時に写したとする。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 626-5 相良頼元外三名連署書状
相良頼元ら四名が、伴天連・キリシタン宗旨の禁制を受け、浦々で船上・陸上を問わず不審者が来た時は計略で捕らえ、鹿児島へ直ちに報告するよう命じる。船で来た者には鉄炮を撃たず、策略で上陸させて捕縛することを浦役人へ厳命し、状を確認した旨の返報を求める。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-1 寛明日記承応二年六月廿四日記事
『寛明日記』は承応二年六月二十四日、上野で赦免者の処置が命じられ、保科肥後守預かりの松倉右近重利らを今度は預かり大名へ下し、国元で召し使わせたと記す。京極丹後守預かりの者も同様とする。目録年月日は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-2 切支丹禁制
累年のキリシタン禁制を代替わり後も徹底し、不審者を届け出させる。訴人への褒美を伴天連300枚、イルマン200枚、同宿その他の宗徒50枚または30枚と増額し、隠匿して他所から露見した場合は五人組まで処罰すると定める。編者は『旧記雑録追録一』491号と同一文書と注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-3 島津光久切支丹禁制制札
島津光久が、代替わりに伴う幕府の符案を受け、従前から禁じるキリシタン宗門を改め、諸士・百姓以下まで御書出の賞罰を違えず守るよう制札を出す。この制札を分国内の諸外城まで立てたと記す。編者は『旧記雑録追録一』491号と同一文書と注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-4 寛明日記明暦三年十一月七日記事
『寛明日記』は明暦三年十一月七日、大村因幡守領のキリシタン兵助が長崎の姉婿に入信を勧めたところ、姉婿が奉行所へ訴え、長崎から大村へ通報した結果、同類約90人が発覚し、大村方で入牢・取調べを受けたと記す。事は秘密扱いだったという。目録年月日は空欄を維持する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-5 伴天連・切支丹渡海取締条々
外国から伴天連・キリシタンが密航する可能性や、海外へ追放した南蛮人の子を伴天連に仕立て、日本船・日本人を装って渡海させる企てを警告する。来航船の船頭・水主・浦人に常時監視と奉行所への通報を命じ、宗徒本人でも申告すれば赦免・褒美と船荷物を与える一方、隠匿者は厳罰とする。編者は『旧記雑録追録一』637号…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 627-6 島津光久切支丹禁制副札
島津光久が、幕府の符案を受け、伴天連・キリシタン宗門を改めるため、国内の者に御書出を守り、油断なく見聞して通報し、賞罰を違えないよう命じる副札。編者は『旧記雑録追録一』638号と同一文書と注記する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 628-1 萩原三郎右衛門書状
萩原三郎右衛門が、大村領矢次村の兵作が長崎酒屋町の利左衛門にキリシタン信仰を勧め、訴えによって大村で多数が捕縛された事件を詳報する。薩摩側から使者を出すべきかを関係者と相談し、海路遠方のため借船で阿久根まで書状を送り、宿次で国元へ届けるよう手配した。編者は『旧記雑録追録一』758号と同一文書と注記す…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 628-2 永吉一郎右衛門書状
永吉一郎右衛門が、十月十四日夜に大村から来たキリシタン二人が当地の親類へ相談し、その親類が直ちに政所へ届けたため二人を入牢させ、大村へ通報して取調べを進めていると報告する。これまでに子供を含む約70~80人を捕らえ、頭立つ者約56人を明日呼び寄せる予定とし、国元から使者を出すべきか問う。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 628-3 黒川与兵衛書状
黒川与兵衛が、大村領のキリシタンについて当地の者の申告を受け留守居衆へ知らせた結果、家持22人と成人した子を合わせ36~37人を捕縛したと報告する。その後は同類の申告がないとし、早急な連絡を了承する。
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 629-1 百姓徒党・強訴取締幕府触書
幕府が、遠国の百姓が願いを掲げて寄合・廻状で大勢を集め、村役人や遺恨ある者の家屋・道具を破壊して強訴・狼藉に及ぶ事例を挙げる。領主には百姓を憐れみつつも徒党・強訴を弱腰で扱わず、首謀者・強打破壊者を捕らえ、領主間で協力して迅速に鎮圧・取調べ・処罰するよう命じる。万石以下の知行所にも準用する。編者は『…
旧記雑録拾遺 著作史料集2-文書ID 629-2 島津久金達
島津久金が幕府触書を受け、万石以上の大名へ周知し、万石以下の知行所で百姓騒動が起きた場合も触書に準じて最寄りの領主が早急に取調べ、協議して処置するよう命じる。地頭・領主・役人へ通達し、御側方・御勝手方へ写しを送るよう指示する。明和六年四月朔日に赤松甚右衛門の取次で申し渡された。