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本藩人物誌の目録
人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。
全2,174件中 201~300件・3 / 22ページ
HP-0203 梶原右衛門兵衛
梶原右衛門兵衛。帖佐の人で、天正年間の軍談人数五十四人の一人。
HP-0204 梶原景高
梶原景高(主水、初弥次郎)。梶原主計孝純の家系に属し、父を勘解由景信とする。
HP-0205 梶原新兵衛
梶原新兵衛。天文二十三年、島津貴久の御旗の役として岩剣へ供奉した。
HP-0206 梶原藤七兵衛
梶原藤七兵衛。永禄二年、飫肥への加勢に従い、奈良原長門守らと現地で戦死した。
HP-0207 梶原氏の由緒
日置から谷山字宿村へ移り、鎌倉から持参した妙見を祀った梶原家の由緒。子孫の平左衛門が光久に召し出されて士となった。
HP-0208 樺山学愛
樺山学愛(常陸坊)。山伏で、加久藤城の番手となり、元亀三年の伊東勢襲撃時に父子で防戦して戦死した。
HP-0209 樺山忠副
樺山忠副(助太郎、初亀代丸)。善久の嫡子で、岩剣城攻めに従い、弘治三年の菱刈陣で負傷して二十歳で没した。
HP-0210 樺山規久
忠助の嫡子。高城番を務め、穆佐高城へ一族と移った。肥後・島原・豊後などに従軍し、文禄二年、高麗唐島で三十七歳で病死した。
HP-0211 樺山久高
樺山久高(美濃守)。久保の家老、出水・伊作地頭。九州・朝鮮で戦い、琉球征役の大将を務めた。
HP-0212 樺山久守
樺山久守(安芸守、初弥太郎)。久高の子で、大坂出陣時の家中人数・石高・軍馬割付と和歌が伝わる。
HP-0213 樺山休兵衛
樺山休兵衛。樺山久高の家臣で、朝鮮撤退時の難戦に敵将『得功』を討ち取ったとされる。
HP-0214 樺山広久
小浜生別府を居城とし日新公と誓約。勝久公には嫡子太郎(善久)を出頭させ、自身は出仕しなかった。日新公の姫君が生別府へ密かに移った記事を伝える。
HP-0215 樺山浄慶坊
道釈伝に名を掲げる人物。具体的な経歴は記されない。
HP-0216 樺山善久
樺山善久(安芸守、玄佐)。生別府などの城番を務め、湯田口で負傷。本田親清追撃時の返歌や義久病気平癒の百首奉納が記される。
HP-0217 樺山忠助
各地の軍役に従った穆佐地頭。犬追物の射手を務め、父から歌道を学び和歌と自記を残す。高城番は病気の本人に代わる子規久の記事。出水で病死した。
HP-0218 樺山忠正
樺山忠正(太郎三郎)。朝鮮撤退時に南海島へ孤立した五百余人を救うため釜山へ赴き、救援船を得た。
HP-0219 樺山鶴丸
樺山鶴丸。規久の嫡子で、豊臣政権への人質として上洛する途中、豊後丹生島で八歳で病没した。
HP-0220 蒲生為清
範清の子。天正十五年、密かな訴訟をしたとの噂が伝わり、義久から国分鳩脇坂で自害を命じられた。
HP-0221 蒲生清綱
充清の実子。茂清に憎まれて入来へ逃れた後、貴久に奉公して蒲生氏の家督を認められた。子信清の救出記事も伝える。
HP-0222 蒲生清宣
蒲生清宣(宮内少輔、熊千代)。蒲生信清の養子で、普請奉行・納殿役を務め、島津家久から三十六石を加増された。
HP-0223 蒲生範清
蒲生家十七世。島津貴久に抗戦し、弘治三年に城を明け渡した。祁答院・入来院氏を頼り、下青木門で没した。
HP-0224 蒲地越中
蒲地越中。木崎原合戦で戦死した。
HP-0225 蒲地五郎左衛門
蒲地五郎左衛門。加世田間之瀬川で戦死し、子孫は島津貴久に仕えた。
HP-0226 蒲地兵部少輔
蒲地兵部少輔。高山の人で、天正年間の軍談人数五十四人の一人。
HP-0227 鎌田加賀守
川辺高城の城主。加世田への援軍は成果を得られず、翌天文八年三月、妻を人質として降伏した。
HP-0228 鎌田兼政
鎌田兼政(源左衛門)。上井薫兼の五男で兄覚兼に従い、宮崎衆を率いて有馬・堅志田・岩屋を転戦した。
HP-0229 鎌田政英
鎌田政英(右兵衛尉、源三郎)。関ヶ原退却に供奉し、感状と五十石を受けた。
HP-0230 鎌田政近
諸地頭と家老を務めた島津家臣。関ヶ原後、諸家臣と家の存続を協議し、上洛して徳川方と交渉した。忠恒の上洛にも供奉し、伏見で病死。
HP-0231 鎌田政金
鎌田政金(囚獄)。島津歳久の家臣で、根白坂敗戦と秀吉への使者を経験し、赦免後に歳久へ殉死した。
HP-0232 鎌田政虎
鎌田政虎(左京亮、初七郎)。花山城の加番として阿蘇方の急襲を防ぎ、西門で重傷を負って二十三歳で戦死。
HP-0233 鎌田政広
志布志地頭・使役。義久の返書を携えて文之和尚と上洛し、秀吉から九州の国分け案と出兵予告を聞いて帰国した。
HP-0234 鎌田政勝
鎌田政勝(図書頭、入道清鏡斎、初七郎)。新城地頭を務め、犬追物の射手となり、天正十三年に七十三歳で没した。
HP-0235 鎌田政商
鎌田政商(大炊介)。鎌田政年の二男で、元亀三年の木崎原合戦に十五歳で戦死した。
HP-0236 鎌田政常
鎌田政常(杢介)。政広の子で、文禄四年に二十八歳で没した。
HP-0237 鎌田政心
鎌田政心(筑前守、初外記)。肝付征伐で軍功を立て、百次・財部の地頭を務め、天正十四年の筑紫城攻めで戦死。
HP-0238 鎌田政真
実久方から帰参して貴久に奉仕。主君の病気を機に出家し、諸国へ法華経を奉納して六百八十日目に帰国したと伝える。花と和歌の伝承も残る。
HP-0239 鎌田政盛
父政年の戦死に対する賞として伊作荘永谷名を拝領。大永七年、清水城から伊作へ帰る虎寿丸(後の貴久)に供奉した十七人の一人。
HP-0240 鎌田政辰
鎌田政辰(刑部左衛門尉)。鎌田政明の子で、日新斎の帖佐城攻めで二十九歳で戦死した。
HP-0241 鎌田政朝
政広の四男、政常の養子。十七歳で関ヶ原退却に供奉して感状と百石を受け、清水地頭を務めた。犬追物の射手としても記録される。
HP-0242 鎌田政統
鎌田政統(治部少輔、初政弘・次郎丸)。印西派弓術を相伝し、指宿・蒲生地頭と家老を務めた。
HP-0243 鎌田政年
忠平公の使役、帖佐・牛根地頭。木崎原などに従軍し、高原城攻めでは軍配者と三之山の番を務めた。二川の喜翁院を創建。没年には異説がある。
HP-0244 鎌田政富
鎌田政富(蔵人頭、初五郎)。指宿地頭として朝鮮に渡り、順天の五将を見舞う使者を務め、帰路に遭難死した。
HP-0245 鎌田政有
鎌田政有(源左衛門)。清水ほか諸地頭・家老を歴任し、明暦江戸大火で藩主家族を警護した。
HP-0246 鎌田政良
鎌田政良(次郎五郎)。政心の養子となったが病身で奉公できず、家督と系図を同族の政近へ譲った。
HP-0247 鎌田正真
道釈伝は、鎌田正真を加賀守政真のことと明記する。
HP-0248 鎌田昌良
太守公に奉仕し、谷山掛橋で伊集院方の東条万左衛門を討ち取った人物。使用した刀の銘と子孫への伝来が記される。
HP-0249 肝付越前守
元亀三年、廻・市成の境で戦死した人物。諱は記されない。
HP-0250 肝付兼演
加治木の領主。島津実久に応じて貴久に背いたが、天文十八年の火攻め後に降伏し、翌年に加治木を安堵された。
HP-0251 肝付兼屋
肝付伴左衛門兼屋は兼武の子。元和五年十一月十四日生まれ、母は渋谷四郎左衛門重持の娘。
HP-0252 肝付兼寛
兼盛の嫡子で日新公の外孫。義久に従って各地を転戦し、堅志田城攻めでは上井覚兼と先登した。天正十八年、三十三歳で没。
HP-0253 肝付兼吉
加賀入道文安の孫で、天文年間の恒吉地頭。祖父文安は応仁頃の肝付代官と記される。
HP-0254 肝付兼堅
武蔵介。弘治二年から鹿屋地頭を務めたと記される。
HP-0255 肝付兼幸
肝付伴十郎兼幸は兼道の子で、母は税所助十郎の娘。父の死後、旧領を回復できなかったため堪忍分として百石を与えられた。
HP-0256 肝付兼清
伊勢守。天文年間に姶良地頭を務めたと記される。
HP-0257 肝付兼盛
肝付弾正忠兼盛(三郎五郎)は兼演の嫡子。天文二年生まれ、母は廻兵部少輔の娘。
HP-0258 肝付兼則
省釣(兼続)の四男で、三郎五郎と称した人物。本文にはそれ以外の経歴は記されない。
HP-0259 肝付兼続
高山を本拠とした肝付氏の領主。日新公の娘婿で、貴久に加勢したのち対立し、廻城・竹原山などで戦った。志布志で五十六歳没と記す。
HP-0260 岸良兼直
蔵人佐。永禄年間に大姶良地頭を務めた。
HP-0261 肝付兼定
省釣(兼続)の二男。天正元年正月六日、末吉住吉原で戦死した。
HP-0262 肝付兼道
肝付兼続(省釣)の三男で、良兼の婿養子。島津義久に降って阿多内十二町を領し、高原へ三百余人を率いて従軍。関ヶ原で戦死した。
HP-0263 肝付兼篤
兼盛の二男で兼寛の後嗣。庄内陣に従軍し、慶長十四年の琉球出兵では軍役八十四人を率いた。同年六月に没した。
HP-0264 肝付兼武
肝付弾正少弼兼武は兼篤の子。慶長六年生まれ、母は岩切喜信入道可春の娘。
HP-0265 肝付兼輔
兼続の三男。兄良兼の娘を妻にして家督を継ぎ、島津に降参した。阿多での内紛を経て領地を失い、関ヶ原の役で戦死したという。
HP-0266 肝付兼名
兼吉の弟。廻城の夜襲を進言して省釣から佩刀を与えられ、三百余人で城を奪い、その守備に就いた。
HP-0267 肝付左兵衛尉
天正元年正月六日、末吉住吉原で戦死した肝付一族・家臣の一人。
HP-0268 肝付竹友
三河入道竹友。天正元年正月六日に住吉原で戦死し、本文はその地に墓があると記す。
HP-0270 肝付良兼
省釣の嫡子で、伊東義祐の娘を妻とした人物。伊東氏と飫肥・福島を攻めたが、本文の後年の軍歴と系図注の没年は一致しない。
HP-0271 関右京亮
関右京亮の条は、天正十四年の豊後出陣に先立ち、上井覚兼の指示で豊後へ調伏の矢を射込んだ役目を記す。本文中には左京亮とある。
HP-0272 関屋清右衛門
関屋清右衛門は山田理安に付属し、山田有栄が人質に出された際に付き従った。欄外注はこの出来事を天正十五年の高城開城時とする。
HP-0273 関氏
否笠氏・有屋田氏と神殿塁を守り、天文五年十一月二十九日にそろって降伏した。
HP-0274 関治部少輔
関治部少輔は宮崎衆の一人で、岩屋城で戦死したと記される。
HP-0275 関主水介
関主水介は寛永年間、馬別当として忠朗に付属した。高麗への供をしたとも記される。
HP-0276 関主重左衛門(仮読)
関主重左衛門と読める人物は、高麗への供をしたと記される。見出しの正確な表記は保留している。
HP-0277 関主殿介
関主殿介は上井覚兼に付属し、日向宮崎にいて朝鮮へ従軍した。子は兵具奉行を務め、寛永六年に大島代官として渡海した。
HP-0278 丸山忠純
丸山弥七左衛門忠純は初名助一郎、式部左衛門忠友の子。伊集院頼久の長男徳久から続く家系で、祖先久国は島津友久に仕え、田布施の丸田十五町を領したため丸田を家号としたという。
HP-0279 丸田左近将監
丸田左近将監は宮崎衆。岩屋城攻めの際、上井覚兼の側を離れず軍功を挙げたと記される。
HP-0280 丸田山之允
丸田山之允は上井覚兼の供者で、岩屋城攻めに参加して戦死したと記される。本文は主従関係、戦場、戦死だけを伝える一行記事で、実名、役職、知行、家族関係、戦死年月日、法名、墓所は記載しない。
HP-0281 丸田氏房
丸田備後守藤原氏房(入道宗興)は刀鍛冶。天正年間に温州関へ差し遣わされ、若狭守氏房の養子になったと読める。
HP-0282 丸田実延
丸田弥左衛門実延は三右衛門肥後の子で、鹿児島へ召し移されたと記される。本文は父子関係と移住だけを伝える短い記事で、主君、役職、知行、軍役、移住年、生没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0283 丸田乗祐
丸田休右衛門乗祐(入道元心)は大口衆で、新納忠元に属した。天正五年、十六歳で初めて敵を討ち、生涯に三十六人を討ち取ったと記される。
HP-0284 丸田頼宗
丸田正右衛門頼宗は島津義久(新納公)の近習役を務め、朝鮮役に供奉した。のち加治木に住み、子孫は大口にいたと記される。
HP-0285 丸目五右衛門
丸目五右衛門は、その子孫が加治木にいたと記される。本文は子孫の所在地だけを伝える短い記事で、出自、実名、主君、役職、知行、軍役、家族の具体名、生没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0286 万膳頼貞
万膳源左衛門頼貞は、島津義弘(惟新公)に供奉して朝鮮へ渡海した三人の一人と記される。本文は海外軍役だけを伝え、出自、役職、知行、個別の戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0287 岸良将監
元亀三年正月十九日、隅州小村で戦死した。
HP-0288 岩山直朝
半兵衛。姉於佐井と光久の縁により、寛永15年に江戸で召し抱えられ、三百石・十人賦を受け小番を務めた。
HP-0289 岩切国信
慶長十四年の琉球征伐で家久の使者を務め、軍勢への酒三十樽と久高宛書翰・軍令を取り扱った。14頁・22頁に再録がある。
HP-0290 岩切信房
雅楽介、善信の子。水俣陣の近習役で、上洛・朝鮮渡海・関ヶ原帰国に供奉し、感状と二百石を受けた。五月十三日没。
HP-0291 岩切信朗
日新公の御申口役・軍配御役者。兵道に通じ、弘治三年の蒲生美濃守降参の申入れを受けた。入道可楽斉、七月七日没。
HP-0292 岩切善信
可楽斉の子、三河守・入道可春。兵術を受け継ぎ、水俣・豊後で義弘の御役者を務めた。本文は八月七日没と記す。
HP-0293 喜入季久
喜入摂津介季久(入道休宅)は忠俊の子で、天文元年生まれ、母は樺山美濃守広久の娘。弘治元年の帖佐岩坂、永禄五年の横川合戦で軍功を立て、同十二年に島津義久の家老となり菱刈院花北村を加増された。
HP-0294 喜入久正
川上久光の長子で喜入忠道の後を継いだ。財部地頭・義久の老中を務め、庄内陣では家康に城図と兵糧事情を説明した。家久に古今集・伊勢物語を伝授。寛永九年に八十三歳で没し、墓は国分竜昌寺と記す。
HP-0295 喜入久続
喜入小四郎久続は喜入家四代忠俊の三男で、天文十八年生まれ。母は樺山氏と読める。
HP-0296 喜入久道
喜入刑部大輔久道(三郎四郎)は季久の嫡子。永禄二年生まれ、母は佐多伯耆守忠将の娘で、喜入・鹿籠五千百四十八石を領した。
HP-0297 喜入忠高
喜入美作守忠高は喜入忠続の二男。島津豊久の後嗣を継いだと記され、慶長十一年生まれ、母は伊集院久治の娘である。
HP-0298 喜入忠続
幼少に出家し十九歳で還俗。兄久道の養子となり、朝鮮・関ヶ原に従軍。家久家老、駿河・江戸への使者を務めた。道澄親王の門人で能書。
HP-0299 喜入忠道
喜入図書介忠道は喜入家四世忠俊の二男で、天文十六年生まれ。天正二年正月十九日、隅州根占で弟の久続とともに戦死し、二十八歳だった。
HP-0300 貴島源四郎
貴島源四郎は島津家に仕え、白山城と読める場所で戦死したと記される。本文は奉公先と戦死だけの短い記事で、戦闘の年月・経過、家系、知行、役職、享年、法名、墓所は載せない。
HP-0301 貴島十佐
一瓢公・日新公に奉仕した貴島氏の人物。子玄蕃から続く系譜に、横川・日向高城での戦死者や朝鮮・関ヶ原への供奉者を載せる。
HP-0302 貴島典介
貴島典介は天正六年十月十一日、新納院高城で戦死したと記される。本文は没年月日と戦死地のみの一行記事で、主君、家系、知行、役職、戦闘の経過、享年、法名、墓所は載せない。
HP-0303 貴島肥前守
貴島肥前守は、寛永年間に『中納殿役』として忠朗に召し付けられたと記される。本文はこの奉公記事のみで、諱、家系、知行、具体的職務、軍役、生没年、法名、墓所は載せない。