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HP-0239巻5:81~82注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

鎌田政盛

異名・検索語:鎌田政盛/鎌田筑前守政盛/筑前守/大外記/政盛

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:初称の小字は判読留保。従来索引の大外記と初読の大炊記を確定せず、本文説明では省いた。/祖先系譜中の奉公・薩摩下向・戦死を政盛本人の事績に転記しない。文明十七年の戦死者は父政年であり、褒賞を受けたのが政盛。/政年戦死の合戦地の細字は追加校合を要する。政盛本人の没年・没地は本条に記載なし。

DESCRIPTION

本文内容説明

鎌田筑前守政盛は尾張守政年の子。本文は鎌田氏の祖先系譜を掲げ、政年が忠国の三男・伊作久逸の家老を務めたと記す。文明十七年、日州での合戦で久逸が危急に陥ると、政年は伊作河内守と名乗って戦死した。その賞として政盛は伊作荘永谷名を与えられた。大永七年八月十一日、虎寿丸(後の貴久)が清水城を忍び出て、小野から伊作へ帰った際の供奉の士十七人の一人であった。祖先の源氏への奉公や薩摩下向は政盛自身の事績とは区別される。本人の没年・没地はこの記事には記されない。

系譜・人物関係

筑前守政盛、父は尾張守政年。前半は鎌田氏祖先系譜。初称小字は留保。

奉公・役職

大永七年八月十一日、虎寿丸(小注に後に貴久公)が清水城を忍び出て小野から伊作へ帰った際の供奉士十七人の一人。

軍役・事績

父政年は伊作久逸の家老。文明十七年の合戦で久逸危急に際して伊作河内守と名乗って戦死し、その賞として政盛が伊作荘永谷名を拝領。

生没・法名等

政盛本人の没年・没地は本条に記載なし。文明十七年戦死は父政年。

統合人物ID
HP-0239
原人物ID群
05-081-04
氏・分類
鎌田
掲載巻頁
巻5:81~82
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
筑前守政盛、父は尾張守政年。前半は鎌田氏祖先系譜。初称小字は留保。
検索キーワード
家老/合戦/戦死/三男/子/孫/養子/軍役・家督・系譜
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊81~82頁・拡大・修復候補全頁確認済。
公開判定根拠
父の戦死と本人への褒賞を区別し、供奉相手・月・人数を原冊で訂正。初称等の細字を留保して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊子81頁下段の一鎌田筑前守政盛から82頁上段の御供士十七人ノ内也まで全2頁。祖先系譜が頁をまたいで清成・政経・政年へ続き、本人の拝領・供奉へ接続。次の〇鎌田筑前守政心は独立条で、その軍役は混ぜない。第2頁左端410.179503から412.5ptへ調整し隣条字片を除去。本人末尾を保持、第1頁不変、新規IDなし。
判読保留
初称の小字は判読留保。従来索引の大外記と初読の大炊記を確定せず、本文説明では省いた。/祖先系譜中の奉公・薩摩下向・戦死を政盛本人の事績に転記しない。文明十七年の戦死者は父政年であり、褒賞を受けたのが政盛。/政年戦死の合戦地の細字は追加校合を要する。政盛本人の没年・没地は本条に記載なし。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』