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本藩人物誌の目録

人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。

全2,174件中 2001~2100件・21 / 22ページ

  1. HP-2016 天野弥十郎

    天野弥十郎は寛永十三年十一月三日、黄門公の病気平癒を願う立願に際し、流鏑馬の射手十二騎の一人に選ばれたと記される。本文は儀礼的な騎射奉仕だけを伝える短い記事で、黄門公の人物比定、出自、役職、知行、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  2. HP-2017 町田久時

    町田神兵衛久時は三郎五郎久守とも称し、町田久泰の子。田代地頭を務め、朝鮮へ渡海した。

  3. HP-2018 町田忠成

    町田周防守忠成は、初め石谷幡守成と称したと読め、三郎四郎・民部左衛門・町田左門などの名も掲げる。町田家本家十四世梅久の二男で、島津貴久の命により左馬頭忠将の家老となった。

  4. HP-2019 町田久興

    町田弥兵衛久興は、三郎五郎忠光から三代に当たる八郎左衛門忠親の四男、山伏如意坊の嫡子とされる。朝鮮へ供奉し、『高麗入御屏風』には甚五郎久興として見えるという。

  5. HP-2020 町田忠玄

    町田新助忠玄は町田家本家の系統に属する人物として記される。慶長十四年六月十四日、庄内の山田で戦死した。

  6. HP-2021 前田弥次郎

    前田弥次郎は島津義弘(惟新公)の朝鮮出兵に供奉した人物。乗船した番船が破損して南海島へ上陸した五百人の一人と記される。

  7. HP-2022 松下源四郎

    松下源四郎の記事には子孫として松下弥五郎と久四郎久清が掲げられる。久清は十五歳で夭折し、その死を母が嘆いたこと、追号・供養に関する記事が続く。

  8. HP-2023 松下治右衛門

    松下治右衛門は、『古老物語』によれば慶長六年に蒲生へ召し移された人数の一人と記される。本文は典拠、年次、移住先だけを伝える短い記事で、出自、主君、役職、知行、軍役、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  9. HP-2024 松元源六

    松元源六は、直前の松元源兵衛と「右同断」とされ、関ヶ原合戦後の島津勢退却に供奉した人物と整理できる。本文は軍役だけを伝える短い記事で、出自、実名、主君、役職、知行、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  10. HP-2025 松山久右衛門

    松山久右衛門は島津忠恒(家久)に供奉して朝鮮へ渡海した人物。本文は主君と海外軍役だけを伝える短い記事で、出自、実名、役職、知行、具体的な戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  11. HP-2026 益山八右衛門

    益山八右衛門は、直前の松山久右衛門と「右同」と記され、島津忠恒(家久)に供奉して朝鮮へ渡海した人物と整理できる。本文はこの軍役だけを伝え、出自、実名、役職、知行、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  12. HP-2027 松元佐渡

    松元佐渡は、天正年間に唐船頭を務めたと記される人物。本文は活動年代と船舶関係の役目だけを伝える短い記事で、実名、主君、知行、航海や軍役の具体的内容、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  13. HP-2028 福屋日向守

    福屋日向守は永禄年間頃にある場所へ移り住んだと記される。子孫の記事には、天正年間に八代へ在住した福屋助左衛門の名が見える。

  14. HP-2029 二渡伝右衛門尉

    二渡伝右衛門尉の家は、東郷太郎左衛門氏重の七男・八郎が一村を領して二渡氏を称したことに始まるという。子孫は代々東郷家に随身し、伝右衛門の代の天正年間に初めて島津家へ召し出された。

  15. HP-2030 福崎主八

    福崎主八は加治木に居住した。慶長四年、朝鮮での軍功により出水二千石が与えられた際、御条書を広める役として鬼塚主税と二人で出水へ派遣されたという。

  16. HP-2031 福崎助兵衛

    福崎助兵衛は横川衆。天正年間、花山落城後に敵四、五百人が周辺へ侵入した際、地頭伊集院久治に従ってこれを撃破し、軍功は衆人に優れたとして松齢公の褒賞を受けた。

  17. HP-2032 吉笠刑部少輔

    吉笠刑部少輔は高山の人物で、天正年間の軍談合人数五十四人の一人。天正六年、大友方が新納院高城を占領した際、足軽数人を率いて城へ入ろうとしたが果たせず、戦死した。

  18. HP-2033 福山半太夫

    福山半太夫は『本藩人物誌』に名だけが掲げられる人物。本文には出自、実名、主君、役職、知行、奉公・軍役、家族関係、生没年、法名、墓所に関する記載がなく、人物名以外の経歴は確認できない。

  19. HP-2034 福永備後守

    福永藤十郎・福永備後守・福永伊豆守の三人は、上井覚兼の日記に諸所で名が見えると一括して記される。本文は三人の史料上の所在だけを伝え、それぞれの実名、主君、役職、知行、具体的な奉公・軍役、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  20. HP-2035 深水金右衛門

    深水金右衛門は東甚六の家来。慶長五年の伏見城攻めで甚六が鉄砲に当たり死亡すると、その遺骸を引き立て、城の石垣に寄せ掛けて置いたという。

  21. HP-2036 深山賢真坊

    深山賢真坊は高麗出兵に供奉した人物。本文は朝鮮出兵への従軍だけを伝える一行の記事で、主君、僧籍・身分、役職、知行、個別の戦功、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  22. HP-2037 藤山藤右衛門

    藤山藤右衛門は高麗出兵に供奉した人物。本文は朝鮮出兵への従軍だけを伝える一行の記事で、主君、役職、知行、個別の戦功、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  23. HP-2038 深野掃部兵衛重張

    深野掃部兵衛重張は、高麗出兵の際に泗川の赤城へ供奉した人物と読まれる。記事には、長崎六郎左衛門直前が壱岐島で切腹した件は別項にあるとの参照も付される。

  24. HP-2039 深野清六重房

    深野清六重房は深野掃部兵衛の子で、清七重政とともに高麗へ渡ったと記される。続く『西藩野史』の記事も両人を掃部兵衛の子とし、家が貧しかったことや朝鮮出兵に際する選定事情を伝える。

  25. HP-2040 深野清七重政

    深野清七重政は深野掃部兵衛の子で、清六重房とともに高麗へ渡ったと記される。続く『西藩野史』の記事も両人を掃部兵衛の子とし、家が貧しかったことや朝鮮出兵に際する選定事情を伝える。

  26. HP-2041 渕辺弥兵衛元継

    渕辺弥兵衛元継は初め久次と称した。渕辺家の系譜に関する注記とともに、元亀二年の木崎原合戦で戦死した人物として記される。

  27. HP-2042 五代正助友義

    五代正助友義は五代舎人佐友安の子。文禄三年に生まれ、母は中山兵部左衛門の娘と記される。

  28. HP-2043 児玉三水利貞

    児玉三水利貞は児玉備前守の子。朝鮮出兵に供奉したと伝え、龍伯公に奉公して国分に居住した。

  29. HP-2044 江夏筑前一閑

    江夏筑前一閑は江夏友賢の子。本文は父子関係と「筑前」「一閑」の名乗りだけを一行で伝える。

  30. HP-2045 江夏自徳

    江夏自徳は二閑の子。本文は父子関係だけを一行で伝える短い記事で、奉公先、役職、知行、学問・技能、軍役、具体的事績、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  31. HP-2046 河野与左衛門

    河野与左衛門は朝鮮出兵に供奉した人物。本文は朝鮮渡海だけを一行で伝え、奉公先、役職、知行、朝鮮での個別の戦功、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  32. HP-2047 河野与三左衛門

    河野与三左衛門について、前条の河野与左衛門と同一人物かとする注記を伴う短い記事。本人固有の奉公先、役職、知行、軍役、具体的事績、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  33. HP-2048 河野但馬

    河野但馬について、河野氏の祖先から七代後の子孫に当たるとする系譜を掲げ、後裔の河野治右衛門が朝鮮で戦死したと記す。本文の中心は家系と後裔の戦死記事で、但馬本人の奉公先、役職、知行、軍役、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  34. HP-2049 河野大炊介

    河野大炊介は河野紹仙の嫡子。祖父河野但馬の跡目を命じられ、百石を与えられた。

  35. HP-2050 河野又九郎

    河野又九郎は天文二十三年の帖佐合戦で功を立てた人物。河野筑後守通泰と同一人物かとの注記がある。

  36. HP-2051 頴娃左馬介久政

    頴娃左馬介久政は長左衛門尉とも称し、頴娃久秀の後を継いだ。実父は鎌田雲州敷近の四男で、天正十二年三月二十九日生、母は土佐某氏の女。

  37. HP-2052 江川三官

    江川三官は唐人の医師と伝えられ、薩摩へ来住した。光久公が若年時に足を患った際、江戸へ召し連れられて側近くに詰め、治療して次第に快復させたという。

  38. HP-2053 寺山出羽守直久

    寺山出羽守直久は又二郎とも称した。祖先の島津国久は同氏淡路守の三男とされ、天文八年の谷山神前城和睦時、九歳で貴久公へ人質に出たという。

  39. HP-2054 弟子丸源次

    弟子丸源次は弟子丸播磨守清水の子。蒲生で戦死したと記される。

  40. HP-2055 有川大炊左衛門貞春

    有川大炊左衛門貞春は、永禄年間、忠平公に供奉して飯野へ移った六十人の一人。天正十四年の豊後出陣では、三月に鷲ケ台城を守備した際の戦功が記される。

  41. HP-2056 阿多加賀守

    阿多加賀守の記事は、元久公の家老阿多加賀守時成の系統を伝える。子孫とされる阿多喜左衛門は日新公の家臣で、大永六年十一月六日、貴久公と勝久公の養子契約に伴う対面・鹿児島からの帰館に供奉し、勝久公から日新公へ贈られた太刀を持ったという。

  42. HP-2057 阿多連四郎

    阿多連四郎は阿多加賀守の嫡子。隅州廻で戦死したと記される。

  43. HP-2058 阿多掃部介忠辰

    阿多掃部介忠辰は、阿多加賀守の子孫とみられる。天正年間に納殿役・御使役を務め、川辺・加世田・栗野などの地頭を歴任した。

  44. HP-2059 有馬次右衛門純陸

    有馬次右衛門純陸は有馬丹波守重純の養子で、実父は伊勢内記貞朝、同人の二男とされる。御納戸奉行を務め、羽月地頭となった。

  45. HP-2060 有馬茂右衛門純成

    有馬茂右衛門純成は伊勢千代とも称し、有馬藤七兵衛純房の嫡子。没年月は不詳で、法号は風山常金居士。

  46. HP-2061 赤塚平左衛門重位

    赤塚平左衛門重位は赤塚三右衛門重政の子。寛永八年、江戸で遊興し川遊びをしたことを理由に所領を没収された。

  47. HP-2062 赤塚源助重直

    赤塚源助重直は義弘公に仕え、諸所の軍役に従った人物。天正十四年七月十八日の岩屋城攻めで戦死した。

  48. HP-2063 赤崎左近

    赤崎左近は慶長十一年、江戸への献上品を運ぶ漕船の船頭役として派遣された。航行先で水主たちが他国の者と喧嘩を起こしたが、左近の働きが良かったため、切腹を命じられずに済んだという。

  49. HP-2064 荒田助三郎武尚

    荒田助三郎武尚は後に助右衛門と称した。朝鮮役に供奉し、関ヶ原合戦後の退却にも従って感状と五十石を与えられた。

  50. HP-2065 清松与三

    清松与三は伊勢貞昌に従って朝鮮へ渡海した人物。記事は清松源太左衛門条の左に引用形で『一清松与三』と独立見出しを掲げるため、別人物として分離した。

  51. HP-2066 佐多久江

    佐多勝左衛門久江は、加賀守久於の子と記される。系譜には佐渡守忠久らの名も見える。

  52. HP-2067 相良長秀

    相良丹後守長秀は入道隣松。稲留丹後守長常の二男とされ、相良氏を称した。

  53. HP-2068 酒瀬川彦松

    酒瀬川彦松は高麗御供、すなわち朝鮮役への供奉者として名を載せる。本文はこの一行だけで、父母・系譜、主君、役職、知行、渡海年、具体的な軍功、生没年、法名、墓所は記さない。

  54. HP-2069 酒瀬川与左衛門

    酒瀬川与左衛門は日当山衆の一人。弘治元年三月二十七日、帖佐で戦死した。

  55. HP-2070 坂元越後守

    坂元越後守は肝付衆中の人物で、敵の大勢の中で働いたのち長島へ召し移されたかと記される。日州の名城攻めでは、図書忠長が負傷し味方が敗軍となるなか、敵と斬り合い、太刀初めとなる働きをしたという。

  56. HP-2071 坂元助五郎

    坂元助五郎は田布施の士。慶長四年の庄内の陣で、十六歳ながら自力で百日在番を勤めた。

  57. HP-2072 皿良貞資

    皿良善助貞資は元亀三年生まれ。貞行の弟であり養子となり、兄の戦死後に家督を継いだ。

  58. HP-2073 篠川小四郎

    篠川小四郎は種子島時尭の家臣。天文十二年八月二十五日、種子島へ南蛮船が漂着して鉄砲が初めて伝わった際、鉄砲の射法を伝授され、火薬に用いる塩硝の調合なども習ったと記される。

  59. HP-2074 坂之上南右衛門

    坂之上南右衛門は、天正年間の御軍談合衆五十四人の一人で、大口の人物と記される。本文はこの一行だけで、実名、父母・系譜、主君、役職、知行、参加した合戦、具体的な軍功、生没年、法名、墓所は載せない。

  60. HP-2075 喜入久供

    喜入久右衛門久供は久正の子。幼名千代万十郎、のち吉兵衛・大炊助を称した。

  61. HP-2076 喜入久親

    喜入掃部助久親は小四郎とも称し、喜入家五代季久の三男。母は佐多氏である。

  62. HP-2077 肝付兼義

    肝付九兵衛兼義は三郎九郎・加賀守と称し、初め窪内丞を名乗ったと読める。肝付兼演の二男で、辺田地頭となって主君に仕え、庄内で戦死した。

  63. HP-2078 肝付伴九郎

    肝付弥五助伴九郎は朝鮮で戦死した人物。子孫または関係者として好次右衛門と読める名を付記する。

  64. HP-2079 木脇祐利

    越前守、のち刑部左衛門。刑部左衛門祐頼の嫡流とされ、本文に伊東氏との系譜と貴久代の島津家への出仕由緒を載せる。

  65. HP-2080 木脇祐春

    木脇民部丞祐春は正徹(木脇祐定)の三男。金吾島津歳久に召し付けられ、歳久に殉死した。

  66. HP-2081 木上惟高

    大友氏没落後、新納忠元を頼って大口に住んだ小笠原流の伝承者。小笠原氏の推薦で家久に召され、有職故実・弓術を教えた。和泉守、初め掃部介、のち又泉。

  67. HP-2082 貴島柳右衛門

    貴島柳右衛門は関ヶ原へ出陣したとだけ記される一行記事である。従軍中の働きや帰還の有無、主君、家系、知行、役職、生没年、法名、墓所は載せない。

  68. HP-2083 湯木禅門

    湯木禅門は木崎原で戦死したとだけ記される一行記事である。合戦の具体的経過、主君、実名、家系、知行、役職、戦死年月、享年、法名、墓所は載せない。

  69. HP-2084 米良再慶法印

    薩摩坊九代の嫡孫とされる寺院の先達。惟新公に奉仕し軍功があったと記される。

  70. HP-2085 宮内勝兵衛

    宮内勝兵衛は、天正十五年(1587)、豊後高城へ加勢に入った人数の一人と記される。

  71. HP-2086 右松祐盛

    右松安右衛門祐盛は伊東家から薩摩へ来て惟新公に仕え、関ヶ原後の忠節により感状と百石を受けた。元和七年没。

  72. HP-2087 宮里正親

    宮里壱岐守正親は式部正宗の子で、島津家久の代に福昌寺門前に住んだ。禁中の巴の琴の写しと琴献上に関する記事を載せる。

  73. HP-2088 下島甚左衛門

    下島甚左衛門は飯野衆で、自力で朝鮮出兵に供奉した。

  74. HP-2089 四位某

    四位某は称名が欠ける四位氏の人物で、御軍談合人数五十四人の一人。

  75. HP-2090 四位大蔵行盛

    四位大蔵行盛は武功が多い人物とされ、朝鮮出兵に供奉した。

  76. HP-2091 執印河内守

    執印河内守は天正年間に新田祠司となった。

  77. HP-2092 椎原与右衛門国林

    椎原与右衛門国林は元和五年、鹿児島で島津義弘に殉死し、人徳寺に墓がある。

  78. HP-2093 島田右近親宗

    島田右近親宗は島津歳久に殉死し、法名を江雲道照禅定門という。

  79. HP-2094 篠原与右衛門

    篠原与右衛門は朝鮮出兵に供奉した。

  80. HP-2095 平田民部左衛門宗位

    平田民部左衛門宗位は作助とも称し、宗祇の二男として家督を継いだ。琉球入りの軍役十一人の一人。

  81. HP-2096 平田三五郎宗次

    平田三五郎宗次は庄内の財部合戦で、戦死した吉田清盛を悼んだ後、再び敵中へ駆け入り十五歳で討死したと伝える。

  82. HP-2097 平田大次介

    平田大次介は関ヶ原後、北条善左衛門と大坂で祗役を務め、帰国したと記される。

  83. HP-2098 平田覚介

    平田覚介は平田甚右衛門とともに朝鮮へ供奉したと記される。

  84. HP-2099 平田甚右衛門

    平田甚右衛門は平田覚介と同じ記事に列記され、朝鮮へ供奉したことが伝わる。

  85. HP-2100 平田次介

    平田次介は琉球入りに関する記事に登場し、軍役人数が十人と記される。

  86. HP-2101 比志島左近国重

    比志島左近国重は国詮の嫡子で、加治木家臣と記される。

  87. HP-2102 平山作右衛門尉忠続

    平山作右衛門尉忠続は久保の小田原・朝鮮出陣に従い、没後は一忠坊と改めて菩提を弔う旅をした。慶長五年、関ヶ原で戦死した。

  88. HP-2103 肥田早左衛門

    肥田早左衛門は、同姓のもう一人とともに朝鮮へ供奉したと記される人物。渡海年や主君・具体的軍功は示されない。

  89. HP-2104 肥後掃部左衛門(加治木戦功者)

    肥後掃部左衛門は天文十七年九月五日、加治木で北原氏の番兵を追討して功を挙げた。加世田で戦死した同名者とは別人と記される。

  90. HP-2105 森久八郎重明

    森久八郎重明の記事は、家重・甫家から続く家系と梅岳君への奉公・戦功を記す。後段の外記重憲との関係は保留する。

  91. HP-2106 本村筑前守(本文は淡路守)

    本村筑前守は、本文では淡路守と記される。天正十年冬、筑後の田尻氏への加勢人数に含まれていた。

  92. HP-2107 瀬戸口小左衛門

    瀬戸口小左衛門は、弥十郎・金右衛門とともに高麗への供をしたと記される人物。

  93. HP-2108 関備後

    関備後は慈眼公に仕え、加治木の納殿役を務めたと記される。

  94. HP-2109 俊長坊

    天正八年、肥後熊本への派遣に伴い各地で利害を説き、宗運らの降参を促したと記される僧。

  95. HP-2110 一卜

    元和六年の高帳に御医師とある旨が記される人物。

  96. HP-2111 頼乗坊

    天正八年の久保田千町放火の際に軍功があり、後に高麗へ供奉したと記す。

  97. HP-2112 密乗坊

    相良氏。元和六年の鹿府高帳に載ると記される。

  98. HP-2113 日秀上人

    真言宗の僧。国分正八幡宮再興の勧化を担い、三光院での入定伝承を残す。

  99. HP-2114 僧慶呑

    朝鮮への供奉を記す僧。主君・年次・具体的な役務は記されない。

  100. HP-2115 松本寺僧

    個人名不詳の松本寺の僧。直前の慶呑条と同じく、朝鮮への供奉を記す。