HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
樺山久高
異名・検索語:樺山久高/樺山美濃守久高 入道玄屑/美濃守/久高/玄屑
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
未確定事項:入道号の末字は未確定。旧説明の玄佐を確読扱いせず、異読留保を保持する。
DESCRIPTION
本文内容説明
樺山久高(美濃守)は忠知(紹剣)の二男。永禄三年生まれ、母は村田越前守の女。大野忠宗の婿養子となり、のち樺山へ復姓。久保の家老を務め、九州各地や朝鮮で戦った。泗川合戦では組討ちで危機に陥ったが、家来田妻三之丞の援助で敵の首を取った。海戦では漂流後に南海島へ上陸し帰朝。甥忠征の死後に後嗣となり、出水地頭を務めた。慶長十四年、琉球征役の大将として中山を平定し、琉球王を捕らえたと記す。寛永五年に伊作地頭となり、同十一年三月四日、伊作で七十五歳で病死。法名は正森忠栄庵主、墓は伊作多宝寺。末尾に和歌三首を載せる。
系譜・人物関係
忠知(紹剣)の二男。母は村田越前守の女。大野忠宗の婿養子となり、のち樺山へ復姓。甥忠征の死後に後嗣となる。
奉公・役職
久保・義弘に従って朝鮮へ渡る。久保の御家老役。慶長十二年出水地頭、寛永五年伊作地頭。家久から美濃守の名を与えられる。
軍役・事績
九州各地・朝鮮の軍役。泗川での敵討取りは家来の援助を含めて叙述する。番船の戦闘と漂流から帰朝。慶長十四年琉球征役大将として中山を平定し琉球王を捕らえたと記す。
生没・法名等
永禄三年生。寛永十一年三月四日、伊作で七十五歳病死。法名正森忠栄庵主、墓は伊作多宝寺。
- 統合人物ID
- HP-0211
- 原人物ID群
- 05-079-03
- 氏・分類
- 樺山
- 掲載巻頁
- 巻5:79~80
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 忠知(紹剣)の二男。母は村田越前守の女。大野忠宗の婿養子となり、のち樺山へ復姓。甥忠征の死後に後嗣となる。
- 検索キーワード
- 永禄/天正/文禄/慶長/家老/地頭/渡海/朝鮮/琉球/豊後/肥後/島原/岩屋/二男/父/母/女/法名/歳/軍役・家督・系譜
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 2026-10-13:AI全3頁追加精読・原冊79~80頁照合済。入道号末字は留保。
- 公開判定根拠
- 母方・家老役・伊作地頭歴・泗川戦の家来援助を具体化。本文にない琉球王の固有名を補わない。入道号の留保を注記して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- AI全3頁は久高の記事に対応。最後の御垣葺の歌の後に○樺山安芸守久守の新見出し。原冊の慈眼寺橋落葉の歌は久守の記事内であり、久高PDFの欠落ではない。新しい人物境界・番号の追加不要。
- 判読保留
- 入道号の末字は未確定。旧説明の玄佐を確読扱いせず、異読留保を保持する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』