HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
樺山善久
異名・検索語:樺山善久/樺山安芸守善久 入道玄佐・初久千代
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:大中公との姻戚関係を示す御姉/御姫の字形は留保し、旧説明の『島津忠良の婿』を確定事項として採らない。所領名の一部と和歌本文の細字は追加校合を要する。/生年は永正十年と確認。玄佐日記の天正五年六十五歳と整合する。嫡子の負傷死を善久本人の死と混同しない。近衛名は本文表記の植家を保持する。
DESCRIPTION
本文内容説明
樺山安芸守善久、入道玄佐は広久の子、母は木田因幡守兼親の娘。永正十年生まれ。武勇と和歌に優れ、近衛植家から古今伝授、飛鳥井雅綱から蹴鞠を学んだ。湯田口合戦では小野左近を討って負傷し、褒賞として太刀を受けた。生別府の城番を務め、本田親清を追撃した際には、敵の残した歌に返歌を作り矢に結んで射送った。平泉・宮木の番や横川への知行替えの記事もある。天正十一年、義久の病気に際し法華嶽寺で七日参籠、和歌百首を奉納。文禄元年には老齢で義弘の朝鮮渡海に供奉できない思いを歌に託した。没年・没地は本文に記されない。
系譜・人物関係
父は樺山広久。母は木田因幡守兼親の娘。大中公との姻戚関係は本文の御姉/御姫の字形を留保。正宮の上洛・嫡子の蒲生負傷死を本人の行動や死亡と区別する。
奉公・役職
生別府・平泉・宮木などの城番。横川への知行替え。島津忠良・貴久・義久との奉公記事。文禄元年の義弘朝鮮渡海には老齢で供奉できない歌を詠む。
軍役・事績
湯田口で小野左近を討ち負傷、太刀を褒賞として受ける。生別府城番、本田親清を追い返歌を矢に結んで射送る。古今伝授・蹴鞠、天正十一年義久病気に法華嶽寺七日参籠し和歌百首奉納。
生没・法名等
永正十年生。玄佐日記に天正五年五月二十八日六十五歳と記す。入道号玄佐。文禄元年の歌は老齢で朝鮮供奉できない思い。没年月・没地・墓所の記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0216
- 原人物ID群
- 05-077-01
- 氏・分類
- 樺山
- 掲載巻頁
- 巻5:77~78
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 父は樺山広久。母は木田因幡守兼親の娘。大中公との姻戚関係は本文の御姉/御姫の字形を留保。正宮の上洛・嫡子の蒲生負傷死を本人の行動や死亡と区別する。
- 検索キーワード
- 天文/弘治/永禄/天正/文禄/家臣/出陣/合戦/戦死/渡海/朝鮮/清水/加治木/子/父/母/女/歳/軍役・家督・系譜
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全3頁再読・修復通常AI各3頁確認・原冊照合済。
- 公開判定根拠
- 生年・母方系譜・湯田口負傷褒賞・返歌を具体化。隣人文字片を除去し本人の末尾歌を保持。姻戚字形等は注記して検索公開。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 第3頁左境界を旧位置から6pt右へ移動。通常AI各3頁全頁目視、隣の忠卿条の文字片を除去し、文禄元年の歌末尾まで保持。途中の正宮上洛と嫡子負傷死は家族に関する付記。天正十一年・文禄元年の〇は玄佐本人の続話であり分割しない。新番号不要。
- 判読保留
- 大中公との姻戚関係を示す御姉/御姫の字形は留保し、旧説明の『島津忠良の婿』を確定事項として採らない。所領名の一部と和歌本文の細字は追加校合を要する。/生年は永正十年と確認。玄佐日記の天正五年六十五歳と整合する。嫡子の負傷死を善久本人の死と混同しない。近衛名は本文表記の植家を保持する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』