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HP-0291巻1:14注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

岩切信朗

異名・検索語:岩切信朗/岩切雅楽介信朗 入道可楽斉/雅楽介/信朗/可楽斉/日下部信朗

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

姓名脇の小字に六右衛門尉・三河守等と見えるが、冒頭字と本文姓名との関係は未確定。別人・父祖または別名と断定しない。蒲生美濃守の諱は本条に記載がなく補わない。

DESCRIPTION

本文内容説明

雅楽介を称し、日下部姓を記す岩切信朗。入道号は可楽斉。日新公(島津忠良)の代に御申口役と軍配御役者を務め、兵道の達者で神妙不思議の働きがあったと評される。弘治三年四月、蒲生美濃守が防御の術を失うと、家臣の西俣出羽・矢上大膳が信朗に降参を申し入れ、蒲生美濃守は祁答院へ退去したという。没年は不詳で七月七日没、法名は覚宗大禅伯。知行・没地・墓所は本文に記されない。

系譜・人物関係

見出しに日下部姓を記す。雅楽介、入道可楽斉。父祖の明記はなく、姓名脇小字は関係未確定。

奉公・役職

日新公御代御申口役并軍配御役者。旧説明の軍役・警固関係を原語へ具体化。

軍役・事績

兵道の達者・神妙不思議の由と記す。弘治三年四月、蒲生美濃守家臣西俣出羽・矢上大膳が信朗へ降参を申入れ、蒲生美濃守は祁答院へ退去。

生没・法名等

年号不知七月七日卒、覚宗大禅伯。没地・墓所・年齢の記載なし。

統合人物ID
HP-0291
原人物ID群
01-014-01
氏・分類
岩切
掲載巻頁
巻1:14
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
見出しに日下部姓を記す。雅楽介、入道可楽斉。父祖の明記はなく、姓名脇小字は関係未確定。
検索キーワード
弘治/家臣/卒/軍配・軍役・兵法/御申口役/軍配御役者/日下部/蒲生/祁答院
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
AI全1頁・原冊14頁・姓名小注と役職部分の拡大を再照合済み。
公開判定根拠
本文の役職・兵道・降参申入れ・没日を具体化し、姓名小字の疑義を明示して検索案内を可能とする。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
本文境界判定
AI全1頁の一岩切雅楽介日下部信朗見出し、脇小字、御申口役・軍配御役者、蒲生降参、七月七日卒・覚宗大禅伯までを確認。次○岩切三河守善信の独立見出しは含まれず、欠落・混入なし。新番号・PDF修復不要。
判読保留
姓名脇の小字に六右衛門尉・三河守等と見えるが、冒頭字と本文姓名との関係は未確定。別人・父祖または別名と断定しない。蒲生美濃守の諱は本条に記載がなく補わない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』