HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
岩切信朗
異名・検索語:岩切信朗/岩切雅楽介信朗 入道可楽斉/雅楽介/信朗/可楽斉/日下部信朗
試験導入中の史料別人物解説です
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
注記付き公開可
姓名脇の小字に六右衛門尉・三河守等と見えるが、冒頭字と本文姓名との関係は未確定。別人・父祖または別名と断定しない。蒲生美濃守の諱は本条に記載がなく補わない。
DESCRIPTION
本文内容説明
雅楽介を称し、日下部姓を記す岩切信朗。入道号は可楽斉。日新公(島津忠良)の代に御申口役と軍配御役者を務め、兵道の達者で神妙不思議の働きがあったと評される。弘治三年四月、蒲生美濃守が防御の術を失うと、家臣の西俣出羽・矢上大膳が信朗に降参を申し入れ、蒲生美濃守は祁答院へ退去したという。没年は不詳で七月七日没、法名は覚宗大禅伯。知行・没地・墓所は本文に記されない。
系譜・人物関係
見出しに日下部姓を記す。雅楽介、入道可楽斉。父祖の明記はなく、姓名脇小字は関係未確定。
奉公・役職
日新公御代御申口役并軍配御役者。旧説明の軍役・警固関係を原語へ具体化。
軍役・事績
兵道の達者・神妙不思議の由と記す。弘治三年四月、蒲生美濃守家臣西俣出羽・矢上大膳が信朗へ降参を申入れ、蒲生美濃守は祁答院へ退去。
生没・法名等
年号不知七月七日卒、覚宗大禅伯。没地・墓所・年齢の記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0291
- 原人物ID群
- 01-014-01
- 氏・分類
- 岩切
- 掲載巻頁
- 巻1:14
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 見出しに日下部姓を記す。雅楽介、入道可楽斉。父祖の明記はなく、姓名脇小字は関係未確定。
- 検索キーワード
- 弘治/家臣/卒/軍配・軍役・兵法/御申口役/軍配御役者/日下部/蒲生/祁答院
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- AI全1頁・原冊14頁・姓名小注と役職部分の拡大を再照合済み。
- 公開判定根拠
- 本文の役職・兵道・降参申入れ・没日を具体化し、姓名小字の疑義を明示して検索案内を可能とする。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- AI全1頁の一岩切雅楽介日下部信朗見出し、脇小字、御申口役・軍配御役者、蒲生降参、七月七日卒・覚宗大禅伯までを確認。次○岩切三河守善信の独立見出しは含まれず、欠落・混入なし。新番号・PDF修復不要。
- 判読保留
- 姓名脇の小字に六右衛門尉・三河守等と見えるが、冒頭字と本文姓名との関係は未確定。別人・父祖または別名と断定しない。蒲生美濃守の諱は本条に記載がなく補わない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』