HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
肝付兼続
異名・検索語:肝付兼続/肝付河内守兼続/河内守/兼続/省釣
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:志布志合戦に弘治二年六月二日等の訂正注、竹原山合戦日に十二/十三等の注記がある。軍役の日付は一律に確定しない。/本文は永禄四年の対立経緯を述べるが、末尾には天文元年西俣城攻取・永禄三年から守護方に反抗とも記す追記がある。開始時期を単一化しない。/伴氏・兼行・兼貞・兼重・秋兼・兼久らの系譜と軍歴を兼続本人の事績としない。廻城の良兼代領有に関する末尾追記は本人の経歴と区別する。
DESCRIPTION
本文内容説明
肝付兼続は兵部少輔兼興の子。河内守、入道省釣と称し、高山に居城した。日新公の長女を妻とし、妹は貴久の妻となったが早世したという。天文八年に貴久の市来攻めへ加勢し、その後、平房・安楽・大崎・市成・大姶良などへ領地を広げ、豊州家・北郷氏と戦った。永禄四年、鹿児島で貴久が旅宿に設けた宴で不快なことがあり、帰国して参じなくなったと記す。日新公が自ら訪れて説得しても従わず、廻城を奪い、禰寝氏の援兵と守った。竹原山では島津右馬頭忠将を討ち、伊東氏と飫肥にも侵攻した。永禄九年十一月十五日、志布志で五十六歳で没したと記す。墓は志布志大慈寺門前という。合戦年月日には本文と訂正注の異同がある。
系譜・人物関係
父兵部少輔兼興。日新公長女を妻とし、妹は貴久の妻となり早世したと記す。伴氏以来の系譜は祖先の由緒。
奉公・役職
高山を居城とする領主。河内守、入道省釣。貴久の市来攻めに加勢したのち島津方と対立。
軍役・事績
平房・安楽・大崎・市成・大姶良等を領有。豊州家・北郷氏と交戦。廻城奪取と守備、竹原山で忠将を討つ。伊東氏と飫肥侵攻。
生没・法名等
永禄九年十一月十五日、志布志に卒す、五十六歳と本文に記す。墓は志布志大慈寺門前。入道省釣。
- 統合人物ID
- HP-0259
- 原人物ID群
- 13-239-27
- 氏・分類
- 肝付
- 掲載巻頁
- 巻13:239~240
- 主題・活動
- 高山領主・領地拡大・島津方との対立・廻城守備・竹原山合戦
- 人物関係要約
- 父兵部少輔兼興。日新公長女を妻とし、妹は貴久の妻となり早世したと記す。伴氏以来の系譜は祖先の由緒。
- 検索キーワード
- 肝付兼続/河内守/省釣/兼興/日新公/貴久/高山/市来/平房/安楽/大崎/市成/大姶良/豊州家/北郷/廻城/禰寝/竹原山/忠将/伊東/飫肥/志布志/大慈寺/西俣城
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全3頁・原冊239~240頁を追加照合済。祖先事績と追記を区別。
- 公開判定根拠
- 領主としての軍歴・親族関係・没年没地を具体化し、合戦日付と対立開始時期の異記を注記して検索公開を維持。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 全3頁。冊子239頁下段左の兼続見出し・父兼興・伴氏以来の系譜から、240頁上下段の本人軍歴・没年墓所と追記まで。冒頭の祖先記事を本人の事績に転用しない。末尾の西俣城・守護方への反抗時期・良兼代の廻城は関連追記で新人物見出しではない。次の肝付左馬頭良兼見出しは含まれない。通常AI各全3頁変更不要。
- 判読保留
- 志布志合戦に弘治二年六月二日等の訂正注、竹原山合戦日に十二/十三等の注記がある。軍役の日付は一律に確定しない。/本文は永禄四年の対立経緯を述べるが、末尾には天文元年西俣城攻取・永禄三年から守護方に反抗とも記す追記がある。開始時期を単一化しない。/伴氏・兼行・兼貞・兼重・秋兼・兼久らの系譜と軍歴を兼続本人の事績としない。廻城の良兼代領有に関する末尾追記は本人の経歴と区別する。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』