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HP-0248巻5:85注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

鎌田昌良

異名・検索語:鎌田昌良/鎌田弥右衛門尉昌良/弥右衛門尉/昌良

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:没年は原冊の寛永二年を採り、旧説明の寛永十一年を訂正する。享年六十五歳は原文値だが、永禄四年と読める奉公年の記述と整合しない。年数や生年を推測で補正しない。/奉公記事の細字と永福寺和尚名、系譜の代数は追加校合を要する。太守公をこの抜粋だけで実名に置換しない。/法号は月仙常円居士と仮読するが中間の字形に留保を残す。谷山掛橋は討取り場所、没地ではない。刀の天文十六年は作年。

DESCRIPTION

本文内容説明

鎌田弥右衛門尉昌良は、和泉守将連の子と注記される。祖先の四郎右衛門将永が永福寺の和尚に召し付けられ、代官職となった家系に属する。昌良は太守公に奉仕し、弟の新兵衛将通が父の代官職を継いだ。谷山掛橋で伊集院方の家来・東条万左衛門を討ち取ったと伝える。その時の刀には薩州住宗俊・天文十六年八月作の銘があり、子孫の家に所蔵されたと付記する。寛永二年十月十六日、六十五歳で没したと記すが、奉公年の記載とは年齢の整合に疑問が残る。没地は明記されない。

系譜・人物関係

和泉守将連の子の注。祖先四郎右衛門将永が永福寺和尚に召し付けられ代官職。弟新兵衛将通が父の職を継ぐ。和尚名と代数細字留保。

奉公・役職

太守公に奉仕。奉公記事の永禄四年と読める年次は享年と不整合のため留保。

軍役・事績

谷山掛橋で伊集院方家来東条万左衛門を討取。刀に薩州住宗俊・天文十六年八月作の銘、子孫家蔵と付記。

生没・法名等

寛永二年十月十六日卒、六十五歳と記す。奉公年との不整合留保、没地明記なし。法号月仙常円居士は中間字形仮読。

統合人物ID
HP-0248
原人物ID群
05-085-03
氏・分類
鎌田
掲載巻頁
巻5:85
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
和泉守将連の子の注。祖先四郎右衛門将永が永福寺和尚に召し付けられ代官職。弟新兵衛将通が父の職を継ぐ。和尚名と代数細字留保。
検索キーワード
永禄/子/父/孫/家系・役職・奉公
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
通常AI各全2頁・原冊85頁上段・拡大・修復候補全頁確認済。
公開判定根拠
討取り場所と刀の伝来を具体化。没年を訂正し、奉公年と享年の不整合を注記して公開する。
説明作成区分
AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
本文境界判定
冊子85頁上段一鎌田弥右衛門尉昌良から同段の死去・享年・法号注まで。同一段を2矩形に分けたPDFで、第1頁末於谷山掛橋から第2頁伊集院方家来へ接続する。第2頁の左右を190.5~238.5ptへ広げ伊集院と刀の付記の朱注標識を保持。第1頁不変。次の一鎌田豊前守加治木町奉行は別条。新規IDなし。
判読保留
没年は原冊の寛永二年を採り、旧説明の寛永十一年を訂正する。享年六十五歳は原文値だが、永禄四年と読める奉公年の記述と整合しない。年数や生年を推測で補正しない。/奉公記事の細字と永福寺和尚名、系譜の代数は追加校合を要する。太守公をこの抜粋だけで実名に置換しない。/法号は月仙常円居士と仮読するが中間の字形に留保を残す。谷山掛橋は討取り場所、没地ではない。刀の天文十六年は作年。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』