HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
鎌田昌良
異名・検索語:鎌田昌良/鎌田弥右衛門尉昌良/弥右衛門尉/昌良
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:没年は原冊の寛永二年を採り、旧説明の寛永十一年を訂正する。享年六十五歳は原文値だが、永禄四年と読める奉公年の記述と整合しない。年数や生年を推測で補正しない。/奉公記事の細字と永福寺和尚名、系譜の代数は追加校合を要する。太守公をこの抜粋だけで実名に置換しない。/法号は月仙常円居士と仮読するが中間の字形に留保を残す。谷山掛橋は討取り場所、没地ではない。刀の天文十六年は作年。
DESCRIPTION
本文内容説明
鎌田弥右衛門尉昌良は、和泉守将連の子と注記される。祖先の四郎右衛門将永が永福寺の和尚に召し付けられ、代官職となった家系に属する。昌良は太守公に奉仕し、弟の新兵衛将通が父の代官職を継いだ。谷山掛橋で伊集院方の家来・東条万左衛門を討ち取ったと伝える。その時の刀には薩州住宗俊・天文十六年八月作の銘があり、子孫の家に所蔵されたと付記する。寛永二年十月十六日、六十五歳で没したと記すが、奉公年の記載とは年齢の整合に疑問が残る。没地は明記されない。
系譜・人物関係
和泉守将連の子の注。祖先四郎右衛門将永が永福寺和尚に召し付けられ代官職。弟新兵衛将通が父の職を継ぐ。和尚名と代数細字留保。
奉公・役職
太守公に奉仕。奉公記事の永禄四年と読める年次は享年と不整合のため留保。
軍役・事績
谷山掛橋で伊集院方家来東条万左衛門を討取。刀に薩州住宗俊・天文十六年八月作の銘、子孫家蔵と付記。
生没・法名等
寛永二年十月十六日卒、六十五歳と記す。奉公年との不整合留保、没地明記なし。法号月仙常円居士は中間字形仮読。
- 統合人物ID
- HP-0248
- 原人物ID群
- 05-085-03
- 氏・分類
- 鎌田
- 掲載巻頁
- 巻5:85
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 和泉守将連の子の注。祖先四郎右衛門将永が永福寺和尚に召し付けられ代官職。弟新兵衛将通が父の職を継ぐ。和尚名と代数細字留保。
- 検索キーワード
- 永禄/子/父/孫/家系・役職・奉公
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊85頁上段・拡大・修復候補全頁確認済。
- 公開判定根拠
- 討取り場所と刀の伝来を具体化。没年を訂正し、奉公年と享年の不整合を注記して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合・境界修復
- 本文境界判定
- 冊子85頁上段一鎌田弥右衛門尉昌良から同段の死去・享年・法号注まで。同一段を2矩形に分けたPDFで、第1頁末於谷山掛橋から第2頁伊集院方家来へ接続する。第2頁の左右を190.5~238.5ptへ広げ伊集院と刀の付記の朱注標識を保持。第1頁不変。次の一鎌田豊前守加治木町奉行は別条。新規IDなし。
- 判読保留
- 没年は原冊の寛永二年を採り、旧説明の寛永十一年を訂正する。享年六十五歳は原文値だが、永禄四年と読める奉公年の記述と整合しない。年数や生年を推測で補正しない。/奉公記事の細字と永福寺和尚名、系譜の代数は追加校合を要する。太守公をこの抜粋だけで実名に置換しない。/法号は月仙常円居士と仮読するが中間の字形に留保を残す。谷山掛橋は討取り場所、没地ではない。刀の天文十六年は作年。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』