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本藩人物誌の目録
人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。
全2,174件中 1201~1300件・13 / 22ページ
HP-1207 長崎六郎左衛門通常
長崎六郎左衛門通常。渋谷勢を撃退した武将で、朝鮮役では船奉行を務めたが、軍勢を残して帰った責任で知行を没収された。
HP-1208 長野隠岐守
長野隠岐守。天正十五年の豊後撤退時、病中の島津歳久に代わって府内へ報告に向かい、その後消息不明となった。
HP-1209 長野仲左衛門祐為
長野仲左衛門祐為。永禄七年に島津義弘に従って飯野へ移った六十人の一人で、羽月で敵と組み合い戦死した。
HP-1210 長野勘左衛門祐円
長野勘左衛門祐円。祐為の次男で、出水への移住奉行を務め、関ヶ原では敵勢を八万と見積もり決戦を進言した。
HP-1211 長野織部祐豊
長野織部祐豊。島津義弘の納殿衆十四人の一人で、朝鮮出兵に従軍した。
HP-1212 鳥丸重統
六右衛門、初め兵部少輔。朝鮮・伏見・関ケ原に供奉。泗川への撤退時に敵騎馬武者を射落とし、押川公近に救われたと記す。
HP-1213 鳥丸重利
越後守重躬の子。島津家に召し出され、天正初め頃に中郷地頭となった。引用された射撃の逸話は本人か子かに疑義がある。
HP-1214 鳥原宗安
鳥原宗安。明人茅渭浜の送還に随行し、慶長四年に山川から福州を経て北京へ渡った。紅糸・白糸・巻物等を贈られ、帰国後に進上した。
HP-1215 津曲但馬守兼口
津曲但馬守兼口。肝付氏から分かれた津曲氏の人物で、天正年間に島津義久の庖丁人を務めた。
HP-1216 津田将監
東郷氏の水引地頭。弘治三年、阿久根方面の戦いで戦死した。
HP-1217 津留多吉
津留多吉。島津歳久に召し抱えられ、敵と組み討ちして戦死した二十七人の一人と伝わる。
HP-1218 津留九兵衛忠公
津留九兵衛忠公。島津家久に従って朝鮮出兵に参加した。
HP-1219 草道万助盛
草道万助盛は御台所の庖丁人を務め、朝鮮役に供奉したと記される。料理・賄方に関係する職掌と海外従軍を併記する点が特徴である。
HP-1220 辻助六
辻助六。朝鮮出兵に従軍し、慶長二年十月十八日付長崎六郎左衛門書状に急死が報じられた。
HP-1221 辻大蔵右衛門
辻大蔵右衛門。永禄十年の馬越城攻めで城塀へ先登し、のち馬越堂崎で戦死した。
HP-1222 辻兵右衛門
辻兵右衛門。島津軍の朝鮮出兵に従軍し、赤糸威の武具に関する記録を残す。
HP-1223 腕岡左近
草道村の地頭。阿久根で戦死したと記される。
HP-1224 鶴田左馬介
鶴田の領主と記される人物。
HP-1225 鶴田重次
祁答院良重の一族・家臣の欄に載る長門守。
HP-1226 鶴田市右衛門貞明
北郷忠虎に随行して朝鮮へ渡り、病没した主君の遺骸を都城へ送り帰った。忠節により50石と感状を受け、主君の葬送時に殉死した。
HP-1227 村岡城之介
村岡城之介。天正年間、島津家の軍談合人数五十四人の一人に数えられ、吉田に関係した。
HP-1228 弟子丸越中守宗光
弟子丸越中守宗光は弟子丸播磨守の二男。家久公に仕えた人物として記される。
HP-1229 弟子丸九郎次郎
弟子丸九郎次郎は弟子丸源次の養子で、実父は敷根備中守頼愛、同人の二男とされる。弘治三年、戦陣で戦死した。
HP-1230 弟子丸越後守宗益
弟子丸越後守宗益は、幼くして父母を失い、敷根頼愛の家で成長したという。天正十五年、島津歳久が豊後から退く際には右京亮と称し、諸勢を指揮して殿軍を務めた。
HP-1231 弟子丸藤左衛門宗辰
弟子丸藤左衛門宗辰は越後守宗益の子で、治介とも称した。真幸・吉田の地頭を務め、朝鮮出兵に供奉した。
HP-1232 弟子丸藤左衛門宗貞
弟子丸藤左衛門宗貞は宗辰の子。父に続いて真幸・吉田の地頭を務めた。
HP-1233 弟子丸右京宗茂
弟子丸右京宗茂は弥八郎とも称した。元和六年十二月五日生。
HP-1234 弟子丸播磨守清水
弟子丸播磨守清水は、弟子丸氏の系譜記事に載る人物。備前守の猶子とされ、実家・父祖や曽於郡の弟子丸名に関する由緒が記される。
HP-1235 釘元重信
釘元正左衛門重信は、加治木から朝鮮役に供奉したと記される。居住・所属地と海外軍役を伝える短い記事で、渡海中の具体的な戦闘、役職、知行、家族関係、生没年・法名・墓所は記載しない。
HP-1236 天室和尚
伊東氏出身の高岡竜福寺開山。慶長五年の稲津の乱で東長寺への移陣を勧め、鉈で敵と戦ったと伝える。
HP-1237 田中国賢
田中国賢(珍阿弥)。等琳の二男で島津家久の同朋を務め、示現流稽古の際に近侍し、人の師範も務めた。
HP-1238 田原勘右衛門
都城内の人物群に載る。氏名の末字「門」が次列に続く。
HP-1239 田原鎮忠
田原鎮忠(兵庫頭・山鹿越右衛門)。肥後山鹿城主から島津家臣となり、関ヶ原で戦死した。
HP-1240 田上助左衛門
陸戦で名を得た人物。滝ヶ水で銃弾を受けて死んだと記される。
HP-1241 田上内記
田上内記(筑前守)。島津義弘に従って飯野・栗野方面に移り、子孫は佐土原で仕えた。
HP-1242 田上二之助
助左衛門の弟。下大隅の警固を指揮し、強弓を使い、船での戦いに熟練していたという。
HP-1243 田上利兵衛
田上利兵衛。朝鮮役帰途の難船で生還し、流失した鉄砲などの回収に奔走した。
HP-1244 田尻種長
田尻種長(次右衛門、幼名大吉)。田尻種春の養子で、実父は本田内膳親友。
HP-1245 田尻荒兵衛
田尻荒兵衛。百姓から武勇で召し出され、加世田城攻略、日当山・姫木の戦いで功を立てたが、梅北一揆に加担して処刑された。
HP-1246 田尻種春
田尻種春(弥三右衛門)。川尻種時の次男で、島津家久に殉死し三十歳で没した。
HP-1247 田尻但馬
伊作田尻村の百姓から日新公に士へ取り立てられ、のち梅北国兼に加担した。
HP-1248 田尻統種
田尻統種(嘉兵衛、初名平次)。龍造寺勢との籠城・人質を経験し、豊後を経て島津義弘に帰参、三百石を与えられた。
HP-1249 田代清実
田代清実(新兵衛)。島津貴久に仕え、蒲生へ移った田代家の人物で、後裔に医師安積清信を出した。
HP-1250 田代清秀
田代清秀(刑部少輔、助六)。田代氏の系譜を継ぎ、島津義弘に従って肥後佐敷・三船方面で奉公した。
HP-1251 田代清貞
田代清貞(助左衛門)。喜入忠続に仕え、主君に殉死した二人の一人。
HP-1252 田中三右衛門
田中三右衛門。島津久保の小者で、久保に殉死した三人の一人。
HP-1253 田中清太
初め出家していたが、還俗して伊集院幸侃に仕えた。
HP-1254 田中珍阿
田中珍阿(掃部兵衛)。日野国光の子孫とされ、島津義弘の同朋を務め、弘治元年に平松で戦死した。
HP-1255 田中伊豆
田中伊豆。佐々木氏の支族で、慶長年間に島津家から書を賜って田中氏へ改めた家の人物。
HP-1256 田島重行
田島重行(仲兵衛、初名早助)。伊地知久頼の次男で、朝鮮役に供奉した川島氏の系譜を継ぐ。
HP-1257 田畑甚兵衛
田畑甚兵衛。細川陣で軍功があった。
HP-1258 二渡重利
二渡次兵衛重利は伝右衛門の養子で、実父は伊地知伯耆守重秀。朝鮮出兵前、五百石分の軍役で渡海すれば帰国後に五百石を与えると約されたが、出陣前に二百五十石を受け、帰陣後も二渡氏が渋谷家の系統であったことから加増されなかったという。
HP-1259 渡辺隠岐守
松山地頭。隠岐守と称した渡辺氏。
HP-1260 土屋七左衛門宗武
土屋七左衛門宗武。北郷忠能の家臣で、寛永八年二月十七日に主君へ殉死した。
HP-1261 土橋勘解由左衛門尉
実久の命で伊集院長崎塁を守った。天文五年十一月二十八日、日新公の攻撃に際して降伏を願い、塁を焼いて降参した。
HP-1262 土持盈信
土持盈信(左馬権頭)。久綱の三男で島津義弘に近侍し、千石を領して大崎・高江などの地頭を務めた。
HP-1263 土持外記
土持外記。島津義弘(惟新公)の内衆として近侍した。
HP-1264 土持興綱
摂津介。永禄5年の末吉地頭として記される。頼綱の討死記事とは別の人物。
HP-1265 土持綱家
土持綱家(大膳)。海江田氏から土持家の養子となり、のち変節したと伝わる。
HP-1266 土持綱辰
土持綱辰(平左衛門)。馬関田・大根占などの地頭を務めた。
HP-1267 土持綱慶
土持綱慶(半右衛門)。土持久綱の三男で、大膳家の養子となり、兵具奉行を務めた。
HP-1268 土持若狭守
土持若狭守。三歳で父を失い島津忠良に召し出されて養育され、のち泊地頭となった。
HP-1269 土持親成
土持右馬頭親成。天正五年に島津義久へ味方し、翌年大友軍と抗戦。豊後の浦辺へ移った後、敵の攻撃で打死したと記される。
HP-1270 土持政綱
土持政綱(伊豆守、入道弓伴)。島津勝久の家老で、虎寿丸を逃した責めを負い自邸で切腹した。
HP-1271 土持大膳正田部綱家
土持大膳正田部綱家。出自は不詳で、子孫の十右衛門が天正期に志布志に住んだ。
HP-1272 土持久綱
土持久綱(弾正忠・左馬権頭)。親成の養子で、県城落城後も島津義久に従い、朝鮮役に出陣した。
HP-1273 土持因幡守
土持因幡守。永禄頃、島津義弘に従って飯野へ移った六十余人の一人。
HP-1274 土持綱家
土持綱家(平右衛門)。山川地頭を務めた。
HP-1275 唐仁原藤七兵衛
唐仁原藤七兵衛。宮崎衆中で地頭上井覚兼に属し、岩屋城攻めで一番に取り付いて戦死。
HP-1276 鳥井惟貞
鳥井惟貞(与八郎)。惟新公の小姓として高麗へ渡る。「番船破」の際の戦死と関ヶ原戦死の二説がある。
HP-1277 島原勘助
島原勘助は島津忠隣の家来で、天正十五年に白坂で戦死したと読める。
HP-1278 島津安久
迫水家三世。出水で実久に属し、辺川忠直の援軍として帖佐で戦い、岩本寿斉に討たれたと伝える。
HP-1279 島津以久
忠将の子。各地の軍役と犬追物の射手を務め、父を弔う大安寺を創建。種子島・垂水を経て佐土原三万石を拝領し、篠山城普請の役で上洛中、伏見で没した。
HP-1280 島津家久
貴久の四男、初名又七郎。島原・戸次川の戦いで勝利し、日向口の大将を務めた。天正十五年に佐土原で没、四十一歳。
HP-1281 島津義虎
実久の子で出水を本拠とする薩州家当主。東郷氏との抗争、長島攻略、菱刈・水俣方面の軍役に従った。本文は天正十三年没と記し、翌年の出陣記事の帰属を疑う。
HP-1283 島津久賀
朝久の嫡子、義弘の外孫。朝鮮の南原・泗川で戦い、船戦で負傷して義弘の治療を受けた。帖佐地頭、島原一揆の大将役を務め、のち豊前守と称した。
HP-1284 島津久基
島津久賀の嫡子。母は川上忠辰の娘。藤次郎と称し、寛永七年四月五日に二十六歳で早世した。
HP-1285 島津久慶
常久の嫡子。家久の家老、異国方・宗門方を務め、日置・東郷に11900石余を領した。
HP-1286 島津久憲
久慶の養子で、実父は喜入忠高。養父の死後にその野心を申し立てたと本文に記される。喜入姓となり栗野地頭を務め、後に種子島へ遣わされ、同島で没した。
HP-1287 島津久元
忠長の二男で、兄忠倍の没後に宮之城家を継いだ。家久の家老となり、大坂・島原に出陣。光久の家督継承にも関わった。
HP-1288 島津久通
久元の嫡子。家久・光久に仕え、家老・伊集院地頭を務めた。国絵図・史書の編集、製紙・植林、長野山中の金掘りに関わった。
HP-1289 島津久定
吉利家の忠将の子、秀久の孫。吉利を領し伊集院地頭を務め、伊集院・加世田・大口などで軍功を挙げた。弓の名手で犬追物の射手も務めた。生没年・享年は本文内に疑義がある。
HP-1290 島津久雄
藩主家久(忠恒)の九男。福寿丸と称し、忠栄の跡へ養子に入り永吉を領した。寛文七年、四十六歳で没した。
HP-1291 島津久頼
敷根立頼の二男。家久の娘と婚姻し、光久の即位慶賀使として上洛。島津氏と「久」の字を受け、のち家老となり役料千石を与えられた。
HP-1292 島津歳久
貴久の三男。伊地知氏攻めの大将を務め、宮之城などを領した。病身で豊後から撤退。梅北国兼の反乱後に秀吉の追討を受け、文禄元年に竜ヶ水で戦死した。
HP-1293 島津実久
出水を本領とした薩州家の実久。勝久・忠良・貴久と対立し、紫原で敗れた。天文二十二年、上洛後に出水で死去。
HP-1294 島津尚久
忠良(日新斎)の三男。幼少から貴久の軍陣に伴われ、南方勢を率いて加治木・帖佐などで戦った。弓の達人とされ、鹿籠を領した。
HP-1295 島津彰久
以久の嫡子。父の人質として義久の上洛に従い、清水城を継ぐ。忠恒の朝鮮渡海に供奉し、文禄四年七月五日に巨済島の陣中で病没した。
HP-1296 島津昌久
帖佐地頭。実久方に転じ、加治木の伊地知と反乱を起こしたが、大永七年五月七日に誅された。
HP-1297 島津常久
忠隣の子、歳久の外孫。六歳で祖母・母と宮之城に籠ったのち下城し、日置などを領した。駿府・江戸使務と上之山城預かりを務め、慶長十九年に二十八歳で没した。
HP-1298 島津信久
彰久の嫡子で垂水に在城。祖父以久の没後、佐土原相続を願ったが、その後、垂水を守って島津宗家に奉公したいとして辞退した。
HP-1299 島津忠俊
喜入家の忠誉の子。貴久方となり神前城・市来で戦功を挙げ、佐多半閑斎と本田氏との和平に携わった。天文十八年、四十二歳で没した。
HP-1300 島津忠栄
義虎の四男。兄忠辰の人質として小倉に滞在し、忠辰改易後は佐土原で豊久の姉を妻とした。豊久戦死後に義久を頼り、母御平様の跡目を継いだ。牛屎で六十八歳で没した。
HP-1301 島津忠吉
島津季久の孫で、備前守安久の二男。八郎三郎と称し、大永三年に串良で戦死した。
HP-1302 島津忠隅
左馬介久盈の子。忠広の代に家老を務め、軍労を重ねた。忠親の代、無礼を理由にしばらく配流され、赦免後は蟄居したと記される。
HP-1303 島津忠広
忠朝の嫡子。穆佐救援の火柱合戦で敗れ、飫肥をめぐって伊東氏と抗争。北郷忠相と貴久擁立を協議し、賀久の早世後に忠親を養子として家督を譲った。
HP-1304 島津忠衡
伯耆守、入道ト波。義岡氏の系譜に掲げられ、家督継承の記事を持つが命令者名と年代には疑義がある。天文七年八月十五日没、八十六歳。
HP-1305 島津忠実
島津十郎三郎忠実は忠衡の子。天文三年に三十八歳で没した。法名は梅林香公居士。
HP-1306 島津忠俊
忠実の子で、母は鮫島氏。伊地知氏との戦いで下大隅海潟に戦死した。二十一歳。義岡久延の後継由緒に関わる人物。
HP-1307 島津忠将
忠良(日新斎)の二男。加世田・市来・加治木・帖佐などで戦い、伏兵や誘引策を用いた。廻城包囲中に竹原山へ急行し、途中の伏兵との戦いで戦死した。