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本藩人物誌の目録

人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。

全2,174件中 1601~1700件・17 / 22ページ

  1. HP-1613 米良寿庵

    隼人と読める人物の外祖父とする系譜注記がある。権之介とともに事業不詳とされ、具体的な奉公・軍役は記されない。

  2. HP-1614 米良重盛

    米良三学坊重盛は、惟新公島津義弘の高麗御供を務めたと記される一行記事である。朝鮮での具体的な役目や軍功、家系、知行、生没年、法名、墓所は載せない。

  3. HP-1615 米良重隆

    石見守の嫡子。弟重供と千人で庄内に加勢し、家久から奉公を命じられた。

  4. HP-1616 米良重供

    石見守の二男。兄と庄内へ加勢し、五百石を付属された。元和九年の江戸芝邸普請奉行を務めたと注記される。

  5. HP-1617 米良石見守

    菊池一族で米良を領した。伊東家から島津方へ移り、木崎原合戦・大友勢の日向侵攻に際して加勢した。

  6. HP-1618 米良千助

    惟新公に従い高麗へ渡ったと記される。

  7. HP-1619 米良大蔵

    米良縫殿重供の二男。米良へ召し寄せられて寒川を領し、石見守の隠居跡も付属された。御当地と寒川を往来して居住した。

  8. HP-1620 米良長重

    重慶の子で惟新公に奉仕。朱注は、慶長八年に蒲生へ召し移された米良伊予守と同人としている。

  9. HP-1621 米良豊前兵衛

    高岡外城が設けられた際、同地へ召し移された。

  10. HP-1622 米良本之允

    谷山五ヶ別府村長谷の有司役。大永七年、虎寿丸の小野村から田布施への移動を、園田清左衛門の依頼で案内したと記される。

  11. HP-1623 別府忠房

    隠岐忠興の子、別府治部忠房(久三郎)。日新公に仕え、日置・伊集院で功があり、岩剣で戦死した。

  12. HP-1624 別府甚五左衛門

    木崎原で戦死した。本文には戦死の年月日や軍役の詳細は記されない。

  13. HP-1625 別府頼延

    隼人佐。子頼景の代に仁礼氏となる。項内に忠平・忠恒への奉公と天正十五年根白坂戦死の記事があるが、後裔系譜との主語対応は留保。

  14. HP-1626 辺川忠直

    帖佐地頭。辺川村を領して辺川を称した。実久方として挙兵し、日新公に本城・新城を攻め落とされた。

  15. HP-1627 辺牟木国時

    比志島家の庶流とされる辺牟木氏の助四郎国時。川内で戦死。本文には国信・国次・国家・国明へ続く子孫の軍役も記される。

  16. HP-1628 辺牟木佐吉

    慈眼公の朝鮮渡海に供奉した。渡海年月や現地での役目・戦功は本文に記されない。

  17. HP-1629 法元右近

    忠恒公の供として朝鮮へ渡海した。「泗川紺威」の朱記があるが、具体的な戦功は断定しない。

  18. HP-1630 法元仁右衛門

    琉球国王降参時、久留伴五左衛門・梅北照存坊と下城を拒む貴族らを追撃し、照存坊とともに負傷した。

  19. HP-1631 法元大炊左衛門

    加治木在住。関ヶ原後の忠恒上洛に際し、惟新の命で白坂大学坊と上方の取沙汰を問い合わせるため派遣。

  20. HP-1632 芳仲

    高麗から召し連れられた焼物職人。帖佐(朱記は加治木)に置かれ、「ダツモンジ」の祖であろうと記される。

  21. HP-1633 北郷翁久

    忠能の嫡子。幼少から家久の人質として駿府・江戸へ赴き、家康・秀忠に拝謁。家久の第二姫と結婚した翌年、鹿児島で19歳で病没した。

  22. HP-1634 北郷久加

    天草で番手・使者・切支丹改めに従事。旅家老・金山惣監司を経て光久家老、異国方・宗門方、城代を務めた。和歌7首を載せる。

  23. HP-1635 北郷久家

    敏久三男・右馬助正久の子。大永2年4月28日、梶山で討死。忠茂の養父。

  24. HP-1636 北郷久尭

    駿河守武重の二男で久清養子。吉山田に入り、慶長9年8月20日、祁答院で没した。久兼・久吉の父。

  25. HP-1637 北郷久剛

    持久の三男・民部少輔久定の子。享禄元年5月1日、都城城ヶ尾で討死。三郎四郎は別名ではなく息子。

  26. HP-1638 北郷久次

    用棟の二男で、摂津介、忠敏ともいう。享禄元年5月1日、梅北横尾で討死。次郎右衛門久利の父。

  27. HP-1639 北郷久紹

    敏久四男久隆の子。野々美谷地頭。父久隆の初名・安永地頭職は本人と区別。

  28. HP-1640 北郷久村

    幼少の長千代丸の名代として5年間在京。義久に直接仕え、計5000石を領知したが、忠能との不和と出米滞納を経て3000石を没収された。

  29. HP-1641 北郷久直

    家久の子で忠亮の養嗣子。北郷家を継ぎ、飫肥境界交渉・人質参府・国内政務に関わった。鹿児島で25歳で没し、興国寺に葬られた。

  30. HP-1642 北郷久文

    右京亮久尋の嫡子、三郎左衛門。天正12年5月に志和池地頭となった。祖先義知の討死記事とは区別する。

  31. HP-1643 北郷久友

    右京亮久尋の二男、遠江守。山之口地頭を務めた。子の四郎兵衛久猶も山之口地頭。

  32. HP-1644 北郷敦久

    右京亮久尋の三男、兵部少輔。永禄元年3月19日、恒吉宮ヶ原で討死した。

  33. HP-1645 北郷久廈

    第8代忠相の三男。蔵人、初め又五郎。永禄元年、恒吉宮ヶ原で討死。没月・法号の一部は判読留保。

  34. HP-1646 北郷三久

    幼い甥忠能の家督代。平佐へ所替えとなり、南原・泗川・庄内で戦った。大坂御陣には268名を伴う。墓は平佐梁月寺。

  35. HP-1647 北郷時久

    庄内を領し、伊東・肝付・大友勢と戦った北郷氏当主。幽斎・近衛信尹と文芸を交わし、所替で宮之城へ移住、同地で病没。

  36. HP-1648 北郷尚久

    常久の子。野々美谷地頭を務め、大永3年11月8日に野々美谷で討死。久信の父。

  37. HP-1649 北郷相久

    北郷時久の嫡子。高城合戦で側面攻撃の軍功を挙げたが、父との不和で安永金石城にて切腹。没後は都城で神として祀られたと記す。

  38. HP-1650 北郷忠虎

    岩屋城攻めで先登し助広の太刀を賜る。秀吉に大仏殿用柱材を献上し、朝鮮で金化・唐島城を守る。再渡海後に病没、遺骸は都城で葬送された。

  39. HP-1651 北郷忠孝

    第8代忠相の次男。永禄元年11月4日、飫肥新山で討死。法号は晩塵。

  40. HP-1652 北郷忠真

    左京亮則久の子。享禄3年、曽於の都城で討死した。子又六郎は早世し、その妹に縁づいた久幸が家督を継ぐ。

  41. HP-1654 北郷忠相

    都城・安永を拠点に諸氏と戦い、高城へ移ってからも勢力を拡大。貴久の守護職承認を諸家に働きかけ、義久の元服で加冠役を務めた。本文では永禄3年、高城で病没。

  42. HP-1655 北郷忠総

    持久の四男・辰久の後嗣。実父は忠徳で、その二男。中尾口地頭を務め、北郷三久に従って平佐へ移った。

  43. HP-1656 北郷忠直

    忠良の婿養子、実は久利の弟。天文16年12月13日、飫肥南郷で討死。

  44. HP-1657 北郷忠能

    幼少で父祖を失った北郷氏当主。庄内戦後に旧領を回復して都城へ戻り、弓術を修めた。江戸参勤、大坂への出陣、都城の新宅・屋敷整備を記す。

  45. HP-1658 北郷忠頼

    時久の五男。天正16年6月に人質として上京し、17歳で早世。法号は桂室栄昌で、没日は正月21日と伝えるが、没年・没地は不明。

  46. HP-1659 北郷忠亮

    忠能の二男。若年で家督を継ぎ、肥後国替に907人・二番大将の軍役を割り当てられた。太守の人質として参府し、江戸で21歳で病没。

  47. HP-1660 北郷兵右衛門

    都城内の人物群に載る。「兵」を「与」とする異注がある。

  48. HP-1661 北原伊勢介

    横川地頭。落城の際、嫡子新助とともに自殺したと記される。

  49. HP-1662 北原掃部介

    関ヶ原へ出陣して捕らえられたが、斬首を前に天吹を吹き、聞いた者を感心させて助命されたという人物。その天吹は「助命器」として子孫に伝わった。

  50. HP-1663 北原兼孝

    兼守の叔父。兼守が没した時に伊東義祐に殺されたとされ、民部塚の所在も記される。

  51. HP-1664 北原兼守

    三ノ山を居城とした北原家十二世。伊東氏と結んで北郷氏らと戦い、永禄五年に嗣子なく没した。没後は家督への伊東氏の介入で家中が分裂した。

  52. HP-1665 北原兼親

    北原又五郎兼親は、北原氏没落後の永禄五年に島津方へ出仕し、北原家を継いだと記される。ところが永禄七年、父北原左兵衛が吉松城で再び相良方と通じたため、城を収公された。

  53. HP-1666 北原兼茂

    北原治部左衛門兼茂は兼親の養子で、実家は比志島氏とされる。慶長四年、実兄義興が伏見で病死すると、比志島右衛門国家とともに家臣を率いて伏見城・関ヶ原の役に従った。

  54. HP-1667 北原兼雄

    祁答院良重の一族・家臣の欄に載る安芸守。

  55. HP-1668 北原狩野介

    真幸の兵を率いて姫木の本山刑部を守った。天文十七年、和を求めて従兵三十余人と真幸院へ帰った。

  56. HP-1669 北原周防介

    真幸吉田の地頭。天文十一年、湯尾・栗野・横川の兵を率いて加治木で肝付以安と戦い、敗れた。

  57. HP-1670 北原八郎右衛門尉

    真幸徳満城の地頭。兼守没後に又太郎兼親に属して守護方へ降ったとするが、戦死年の記載と整合しない。

  58. HP-1671 北原八郎左衛門尉

    天文十一年、加治木で戦死した北原氏。諱は記されない。

  59. HP-1672 北村国家

    北村三左衛門国家は惟新公島津義弘に従って朝鮮へ渡海した。のち伏見城で松之丸の門を破って進入した者の一人と記される。

  60. HP-1673 牧山吉右衛門

    牧山吉右衛門は関ヶ原合戦後の島津勢退却に供奉した人物と記される。本文は軍役だけを伝える一行記事で、出自、実名、主君、役職、知行、具体的な退却行動、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  61. HP-1674 牧清信

    牧利兵衛清信は松齢公の朝鮮出兵に供奉した人物。本文は主君の公称と海外軍役だけを伝える一行記事で、出自、役職、知行、具体的な戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  62. HP-1675 牧田助之丞

    牧田助之丞は、本文で「右両人」とまとめられた二人の一人として、島津義弘(惟新公)に供奉して朝鮮へ渡海したと記される。出自、役職、知行、個別の戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  63. HP-1676 牧野則信

    牧野次郎兵衛則信は松齢公の朝鮮出兵に供奉した人物。本文は主君の公称と海外軍役だけを伝える一行記事で、出自、役職、知行、具体的な戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  64. HP-1677 牧野対馬介

    牧野対馬介の家は藤原姓を祖先とするという。子孫が幼少の時、母に伴われて豊後国へ移ったこと、中納言様の代に御庖丁役を務めたことが記される。

  65. HP-1678 堀興親

    龍伯の使者で朝鮮へ渡航、家久の使者で駿府へ。久志地頭・御船奉行・納殿役。

  66. HP-1679 堀忠金

    新助。伏見城攻めで功を立て、関ヶ原で戦死。祖父忠貫・父忠親の移住奉公記事と本人の戦功を区別。

  67. HP-1680 堀之内久規

    日限坊、俗名民部左衛門。平山忠統と久保供養の山伏巡国を行い、六十余州へ法華経を納めた。帰国年に異注。

  68. HP-1681 堀之内久親

    道釈伝に「堀之内日限坊久親」と独立して名を掲げる。本条には具体的な経歴の説明がない。

  69. HP-1682 堀四郎左衛門

    足軽大将・宮崎境目番。太閤西征後、大姶良・獅子村上田原・大崎永吉へ移住。寛永3年5月23日没。

  70. HP-1683 本郷義則

    秀家旧臣の弓馬の達人。島津家臣となり家久に射法を指南。墓は興国寺。貞則との同人説は本文の推定。

  71. HP-1684 本田家親

    本田家親(伴兵衛)は親賛の養子、因幡守親治の二男。兵具奉行・川辺地頭を務め、朝鮮で久保公の危急を救い、鎧を拝領したという。

  72. HP-1685 本田九郎

    本田九郎(入道笑閑)は日新公に仕え、島津政雅の誅伐に供奉。永禄九年、軍功の褒美に伊作入来の原園と水田・畠地を拝領した。

  73. HP-1686 本田薫親

    本田薫親は清水領主の紀伊守。貴久方と対立して庄内へ退去したが、後に義久から天辰の地と山田地頭職を受け、軍役や犬追物に参加した。

  74. HP-1687 本田公親

    本田公親は親兼の嫡子、与左衛門尉・又二郎、入道玄叱。義久の富隈居住時に家老を務め、曽於郡地頭となった。

  75. HP-1688 本田三郎五郎

    本田三郎五郎は因幡守親治の弟。天正六年、高城で兄が戦死した際、自身も深手を負った。

  76. HP-1689 本田四郎左衛門尉

    本田四郎左衛門尉は、新納忠元の指図で九尾に伏せ、太閤秀吉の空輿へ六筋の矢を射たと伝えられる。天正二十年、滝ヶ水で歳久に殉死した。

  77. HP-1690 本田治部少輔

    本田治部少輔は永禄九年十月二十六日、三ツノ山で戦死した。親豊の子かとする小注がある。

  78. HP-1691 本田親紀

    本田親紀(半兵衛)は家親の子。義久公の加冠を受け、東郷重位に学び、高麗・庄内・関ヶ原・島原で軍功を挙げた。兵具奉行・普請奉行を務めた。

  79. HP-1692 本田親兼

    本田親兼は薫親の嫡子、従四位下・大炊大夫。義久に仕え、耳川・肥後八代の軍役と天正十五年の上洛に供奉した。

  80. HP-1693 本田親光

    本田親光は正親の子、助左衛門尉。朝鮮で軍功を挙げ、加世田地頭となった。泗川では手の甲を斬られながら鉄砲で戦った。

  81. HP-1694 本田親孝

    本田親孝は親兼の二男で、三省の養子。加世田竹田村に住み、高城和睦時に人質となった。後に朝鮮へ供奉し軍功があった。

  82. HP-1695 本田親歳

    本田親歳(弾正忠・入道嘉辰斎)は貴久公の御申口役。伊集院・湯之尾などの地頭を務め、馬越下手村の領地に住んだ。天正七年十月二十九日、七十三歳で没した。

  83. HP-1696 本田親正(伊賀守)

    本田伊賀守親正(親政とも)、入道一葉。朝鮮・庄内・関ヶ原に供奉し、琉球渡海、帖佐・甑島地頭、高奉行を務めた。

  84. HP-1697 本田親賛

    本田親賛(与四郎)は親純の子で、牛根で戦死したと記される。

  85. HP-1698 本田親治

    本田親治は親知の子、因幡守・御申口役。高原の陣に従い人質受取に遣わされ、天正六年に新納院高城城下で戦死した。

  86. HP-1699 本田親純(吉蔵)

    本田吉蔵親純は惟新公の小姓。十六歳で関ヶ原に供奉して五十石と感状を与えられ、島原では三原左衛門重庸の配下として出陣した。

  87. HP-1700 本田親純(丹波守)

    本田親純は丹波守。重恒の子・民部親次の子孫で、薫親父子の謀反後に本田家の家督を命じられた。

  88. HP-1701 本田親商

    本田親商は義弘の御使役・家老、蒲生地頭。関ヶ原退却時に身代わりとなる覚悟で剃髪し、百石の感状を受けた。

  89. HP-1702 本田親肖

    本田親肖は下野守。日新公に仕え、伊集院地頭を務めた。天文八年の貴久による市来攻めに供奉したと記される。

  90. HP-1703 本田親正(伊予守)

    本田伊予守親正。惟新公から大坪流の馬書六冊を相伝され、犬追物・流鏑馬の射手を務めた。琉球・大坂に従軍し、曽木・福山等の地頭となった。

  91. HP-1704 本田親正(助之丞)

    助之丞・勝次郎。天正十三年生。兄親明の早世により家督を継いだ。子親長の鹿児島移住記事が続く。

  92. HP-1705 本田親存(源右衛門)

    本田親存(源右衛門)は親商の嫡子。朝鮮・関ヶ原に従い五十石と感状を受け、蒲生地頭を務めた。

  93. HP-1706 本田親存(淡路守)

    本田淡路守親存は、慶長五年、高岡外城の地頭相談役として召し移された。

  94. HP-1707 本田親知

    本田親知は刑部少輔、親貞の嫡子。姫木城を守り、天文十七年に薫親と対立して貴久方の城取得に関わった。

  95. HP-1708 本田親貞

    本田親貞は親尚の二男。義久の太刀役、家老、吉田・加世田地頭、西目八ケ外城惣押を務め、豊後・根白坂などの軍役に従った。

  96. HP-1709 本田親貞(出雲守)

    本田出雲守親貞は伊賀守入道道伯の子。高麗へ渡海し、慶長四年に庄内安永で戦死、五十七歳。子の親盛も父とともに戦死した。

  97. HP-1710 本田親貞

    脇元清元の子で本田親歳の養子。関ヶ原後の和睦使者を務め、二百石を加増され、唐船奉行となった。慶長十三年に四十六歳で没し、法名とともに帖佐総禅寺が記される。

  98. HP-1711 本田親武

    六左衛門、初名親昌。川内高城・福山地頭、御用人、犬追物射手。泰清公の江戸御供と、弥六・親方への家督継承事情を伝える。

  99. HP-1712 本田親豊(若狭守)

    本田親豊(若狭守)は御使役。子の戦死後、老齢の自身と幼い孫のため土地を願い、所領二反を与える旨の上意を得た。

  100. HP-1713 本田親豊(内蔵介)

    本田親豊は内蔵介。親幸条によれば、北郷忠徳の四男・親幸を養子とした。