HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
肝付兼道
異名・検索語:肝付兼道/肝付左馬頭伴兼道/左馬頭/伴兼道/兼成/兼輔/兼亮
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:別名末尾は兼盛と読め、旧整理の兼当は再確認を要する。系譜段は省釣を祖父と呼ぶが、冒頭には実父と明記されるため養系と実系を混同しない。天正元年の降参と同四年二月以後の召上げ記事を区別。夫婦不和末尾の伊藤は本文表記。中世各代名、寄進地名等に難読箇所が残る。/天正四年十月の出兵を命じられた新納安芸守は忠氏(入道泳斉)と読む。旧説明の忠元を訂正し、救援した左馬頭以久を兼道本人と混同しない。/兼道と巻十三の兼輔(HP-0265)の同一人物性は本版で統合確定していない。巻ごとの表記・降参年の違いを残す。
DESCRIPTION
本文内容説明
肝付左馬頭兼道は、兼続入道省釣の三男で、良兼の婿養子。良兼には男子がなく、その後を継いだ。天正元年、伊地知・禰寝両氏の降参後、肝付郡を進上して島津義久に降り、薩摩阿多内十二町を拝領した。別項には肝付郡・志布志・福島などの召上げを天正四年二月以後とする記述がある。同年八月の高原出陣には三百余人を率いて従軍。飫肥・南郷の伊東氏との戦いでは新納忠氏らに兵を率いさせ、福島城救援に関する記事も載る。肥後在番中に夫婦不和となり、龍伯が阿多へ戻ろうとする兼道を留め、妻にも申し聞かせた。その後、妻は伊藤方へ引き取られたと記す。慶長五年、関ヶ原で戦死。享年・法名・墓所は記載されていない。
系譜・人物関係
兼続入道省釣の三男。男子のなかった良兼の婿養子。冒頭の子孫欄に兼幸と読める名を記す。
奉公・役職
降参後、薩州阿多内十二町を拝領。肥後在番を務めた。
軍役・事績
天正四年八月、高原出陣に三百余人で従軍。飫肥・南郷では新納忠氏らに肝付兵を率いさせた。福島城救援記事を収録。慶長五年、関ヶ原で戦死。
生没・法名等
慶長五年、関ヶ原で戦死。享年・法名・墓所は記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0262
- 原人物ID群
- 09-170-01
- 氏・分類
- 肝付
- 掲載巻頁
- 巻9:170~171
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 兼続入道省釣の三男。男子のなかった良兼の婿養子。冒頭の子孫欄に兼幸と読める名を記す。
- 検索キーワード
- 肝付兼道/肝付左馬頭伴兼道/左馬頭/伴兼道/兼成/兼輔/兼亮/肝付良兼/肝付兼続/省釣/島津貴久/島津義久/龍伯公/阿多/高原/飫肥/南郷/福島城/肥後在番/慶長五年/関ヶ原/戦死
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 現行AI全5頁追加再読済。原冊照合は従来記録参照。
- 公開判定根拠
- 軍役記事の新納忠元を新納忠氏へ訂正。本人と指揮下・救援の武将を分け、年次と系譜異同の留保を維持。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 現行AI全5頁を再目視。系譜・降参・高原出陣・伊東戦・寄進・夫婦不和・関ヶ原戦死は兼道伝内の項目。〇は記事内区切りで新人物見出しではない。新納忠氏や以久の行為を兼道本人の行為と区別する。既存の5頁統合境界を維持、新番号不要。
- 判読保留
- 別名末尾は兼盛と読め、旧整理の兼当は再確認を要する。系譜段は省釣を祖父と呼ぶが、冒頭には実父と明記されるため養系と実系を混同しない。天正元年の降参と同四年二月以後の召上げ記事を区別。夫婦不和末尾の伊藤は本文表記。中世各代名、寄進地名等に難読箇所が残る。/天正四年十月の出兵を命じられた新納安芸守は忠氏(入道泳斉)と読む。旧説明の忠元を訂正し、救援した左馬頭以久を兼道本人と混同しない。/兼道と巻十三の兼輔(HP-0265)の同一人物性は本版で統合確定していない。巻ごとの表記・降参年の違いを残す。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』