HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE
鎌田政年
異名・検索語:鎌田政年/鎌田尾張守政年 入道寛栖/尾張守/政年/寛栖
この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。
未確定事項:没年月日・享年は本文の天正十一年七月八日七十歳と朱注の十五年七月十日七十四歳を併記し、一方に確定しない。初読メモの十二年は拡大照合で撤回。/入道名の細字は追加校合を要するため、今回の説明では省略。二川喜翁院は墓所であり没地を示すとは限らない。/永正十一年生の本条人物と、文明十七年戦死と記される鎌田政盛の父政年を同一人物として結び付けない。
DESCRIPTION
本文内容説明
鎌田尾張守政年は永正十一年生。忠平公の使役を務め、帖佐・牛根の地頭となった。天文九年十一月二十三日に犬追物の射手を務め、元亀三年の木崎原合戦で軍労があったと記す。牛根二川村の地を与えられて菩提寺の海山喜翁院を創建。天正四年の高原城攻めでは鎮守ヶ尾陣の軍配者を命じられ、敵が三之山から退去した後は番役として守った。同九年の水俣、同十年の八代にも出陣した。没年は本文に天正十一年七月八日・七十歳とあり、朱注には十五年七月十日・七十四歳の異説を載せる。法名は喜翁勝観庵主。墓は二川喜翁院と記すが、没地は明記されない。
系譜・人物関係
尾張守政年、永正十一年生。文明十七年戦死の同名政年とは区別する。入道名細字留保。
奉公・役職
忠平公御使役。帖佐・牛根地頭、犬追物射手。三之山の番役。
軍役・事績
木崎原合戦の軍労、牛根二川の菩提寺海山喜翁院創建。高原攻め鎮守ヶ尾陣の軍配者、敵退去後の三之山守備。水俣・八代出陣。
生没・法名等
本文は天正十一年七月八日卒七十歳、朱注に十五年七月十日卒七十四歳。法名喜翁勝観庵主。墓は二川喜翁院、没地記載なし。
- 統合人物ID
- HP-0243
- 原人物ID群
- 05-083-03
- 氏・分類
- 鎌田
- 掲載巻頁
- 巻5:83
- 主題・活動
- 系譜・奉公・役職・軍役・生没
- 人物関係要約
- 尾張守政年、永正十一年生。文明十七年戦死の同名政年とは区別する。入道名細字留保。
- 検索キーワード
- 天正/地頭/御使役/使役/木崎原/八代/卒/法名/墓/歳/家系・役職・奉公
- 公開区分
- 注記付き公開可
- 精読・確認状況
- 通常AI各全2頁・原冊83頁上下段・拡大確認済。
- 公開判定根拠
- 軍配者と法名を訂正し、没年異説・墓所と没地・同名人物を区別して公開する。
- 説明作成区分
- AI用PDF全頁追加精読・原冊照合
- 本文境界判定
- 冊子83頁上段〇鎌田尾張守政年から同頁下段右端の没年異説末尾十四、法名、墓所小注まで通常AI各全2頁。本文末の七十歳と朱注十五年七月十日卒年七が下段の十四へ接続。次の〇鎌田刑部左衛門尉政広は独立条。没年朱注は政年の異説で別人物ではない。PDF変更・新規IDなし。
- 判読保留
- 没年月日・享年は本文の天正十一年七月八日七十歳と朱注の十五年七月十日七十四歳を併記し、一方に確定しない。初読メモの十二年は拡大照合で撤回。/入道名の細字は追加校合を要するため、今回の説明では省略。二川喜翁院は墓所であり没地を示すとは限らない。/永正十一年生の本条人物と、文明十七年戦死と記される鎌田政盛の父政年を同一人物として結び付けない。
出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』