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本藩人物誌の目録
人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。
全2,174件中 801~900件・9 / 22ページ
HP-0805 色紙仲兵衛
色紙仲兵衛は義弘の食事役を務め、元和五年、加治木の実窓寺川原で義弘に殉死した。
HP-0806 色紙志摩長光
色紙志摩長光は善三郎とも称した。色紙氏の子孫、吉長の初名、御納戸勤めに関する系譜記事を伴う。
HP-0807 色紙六左衛門長秀
色紙六左衛門長秀は長道の猶子で、実父は主水左衛門長智。島津家久に奉仕したと読める。
HP-0808 色紙孫六左衛門長道
色紙孫六左衛門長道は長光の子で、孫二郎とも称し、九州入りで軍功を挙げた。
HP-0809 井尻神力坊宗憲
日新公の命で日本国を巡歴し、天正元年に帰国して公へ殉死したと記す法印。帰国年と没年は区別する。巻一宗憲の別掲載記事。
HP-0810 新納下野入道
下野入道として載る新納氏。直下の安芸守忠氏の注記との人物対応は未確定。
HP-0811 新納久永
久治の子。父の違命殉死により知行没収・寺入りとなった後、切米15石を拝領。伊勢貞昌の世話で御目見し、普請奉行・屋久島奉行を務め、屋久島で47歳没。
HP-0812 新納久治
忠朝の子。義弘没後、制止の使者に応じず大乗院川原で33歳で殉死。福昌寺の墓と妙円寺の石塔、子の亀三郎への遺言書に載る二首を記す。
HP-0813 新納久親
忠秀の子。家久・光久に奉公し、久章への遠島命令受諾を説得。久章の家来を清泉寺へ連行中に襲われ、討ち返して帰宅したが傷で44歳没。
HP-0814 新納久徳
忠充の遺志を継ぎ本家へ帰参。泗川・庄内に参戦し、庄内で射た相手から和議後に矢を返された逸話を持つ。義久・義弘・家久への奉公と弓法書等の進上を記す。
HP-0815 新納久有
久永の子。中納言の側仕えと綱久への奉仕を記す。殉死を約束したが禁令により行わず、綱久没後は弟忠丘へ家督を譲って奉公を退き、病死した。
HP-0816 新納久連
忠増の二男で、大隅山田地頭。元和7年の高は373石と記し、慶安3年7月28日に大口で没した。
HP-0817 新納休閑斎
出家して長住と称し、遊行上人に従い巡歴したのち還俗して旅庵と改名。義弘の家老・地頭を務め、関ヶ原後に捕縛、慶長7年に大坂で病没した。
HP-0818 新納康久
本文では忠良の家老。川辺攻略で神殿村を賜り、荒兵衛との縁組の約束を用いて加世田攻略を進めた。加世田・市来地頭を務めた。
HP-0819 新納忠影
忠真の後を継いだ新納氏の人物。実父は島津忠清。知行1,250石を領し、犬追物の射手として馬と小刀を拝領した。25歳で没した。
HP-0820 新納忠尭
忠元の嫡子。松山陣・高城と肥後宝之河内城で働き、川上忠堅と有馬救援に渡海して深江で戦死した。泉徳寺の墓・位牌と菩提所の由緒を記す。
HP-0821 新納忠元
大口地頭として国境を守り、諸戦・和平交渉で働いた新納祐久の嫡子。秀吉に降って子と上京し、晩年も庄内の陣に参加。和歌でも近衛竜山公・細川幽斎と交流した。
HP-0822 新納忠光
忠堯の嫡子、忠元の孫。肥後八代で義久の加冠により元服し、京都で人質として暮らしたのち帰国。慶長8年に早世し、妻子の細注がある。
HP-0823 新納忠佐
忠元の弟。五郎左衛門尉・次郎五郎と称し、文禄3年春、兄の上京により暇を得て帰国したと記す。子孫は大口郷士。
HP-0824 新納忠氏
恒吉城主。新納氏に背いて本田氏に属し、のち省釣に従ったと記される。下野入道との人物対応は要確認。
HP-0825 新納忠秀(刑部大輔)
忠清の嫡子。家久の加冠で元服し、慶安3年に琉球で病死、清泰寺に葬られた。勘当中の家来を含む三人の殉死を記す。
HP-0826 新納忠秀(四郎左衛門)
康久の三男・忠貞養子。忠元に付属し、野尻守備、肥後偵察、豊後への潜入使節・撤退時の殿軍を務めた。朝鮮出兵後は納殿役。
HP-0827 新納忠勝
志布志を本拠とした新納氏の領主。伊東・北郷勢などと戦い、貴久への救援要請後、天文7年に次男忠常と飫肥へ退いた。犬追物・和歌の事績も伝わる。
HP-0828 新納忠澄
入道魚隠斎。島津忠良の母方親族で、伊作・田布施へ随行し、幼い忠良の後見と海蔵院での学問の手配を担った。永禄2年、田布施で病没。
HP-0829 新納忠清
忠増の嫡子、忠光の婿養子。高奉行・本城地頭を経て大口地頭となり、島原へ大口勢を率いて出陣した。琉球への御書差遣に関する通知と詠歌も記す。
HP-0830 新納忠誠
忠堯の子、久顕の後裔。忠誠の代から貴久に奉仕したと記す。永禄6年9月3日、鹿児島で54歳で没。法名称阿。
HP-0831 新納忠増
忠元の二男。豊後攻略、上京人質、朝鮮出兵、大垣への供奉を経験。関ヶ原では盛淳の呼び掛けに応じ馬を返したと記す。大隅山田地頭。
HP-0832 新納忠朝
紀伊守久景の養子。19歳で義久への後世のお供を約束したと記され、遺骸に付き従って鹿児島へ移り、茶毘の際に福昌寺門前で46歳で殉死。
HP-0833 新納忠雄
川上久辰の二男から新納旅庵の婿養子となり、御用人役・高城地頭を務めた。忠朗付きで加治木へ移り、延宝4年に同地で没した。
HP-0834 新納忠躬
実久の命で島津忠房と市来へ出兵。市来地頭となって籠城したが、降伏して出水へ帰った。
HP-0835 新納又八郎
新納康久の嫡子。永禄4年7月12日に戦死。本文は戦地を「廻并原山」と記し、右馬頭忠将と同所だったと注記する。
HP-0836 新納祐久
新納忠祐の子で、加賀守・次郎四郎・刑部大輔と称した。忠茂の志布志没落時に兄弟で守護方へ移り、叔父忠澄の尽力で近侍した。
HP-0837 森岡久助
森岡久助は義弘の豊後陣で、中野助八とともに重代の腰物を預かったが、酒に酔って失ったと記される。
HP-0838 森岡弥兵衛
森岡弥兵衛は姫君の松平隠岐守への婚姻に伴い、その屋敷で奥家老を務めた。百石を与えられ、伊予松山で没した。
HP-0839 森讃岐守
森讃岐守は島津忠長の家臣。天正十二年、肥前島原で戦死したと記される。
HP-0840 森助左衛門
森助左衛門は天正六年、北郷久盛とともに高城で戦死したと記される。
HP-0841 森乗助
森乗助は肥後で戦死したと記される人物。
HP-0842 森与左衛門
森与左衛門は慶長五年、豊後で戦死した三十八人の一人と記される。詳細地名には判読保留がある。
HP-0843 深栖左衛門
深栖左衛門は大友氏の牢人で、家久公の代に召し抱えられ、知行を与えられた。父を七左衛門といい、子孫として深栖嘉右衛門を挙げる。
HP-0844 神宮司加賀守
神宮司加賀守は忠平公に供奉し、飯野へ召し移された六十人の一人。
HP-0845 神宮司筑前守
神宮司筑前守は元は伊集院の人とされ、存喬または康国とする名の注記がある。
HP-0846 神崎甚作
神崎甚作は蒲生衆。川上忠兄に付属し、朝鮮へ渡海したと記される。
HP-0847 神崎早右衛門
神崎早右衛門。朝鮮に供奉した。
HP-0848 石神重永
鉄砲鍛冶。寛永11年8月吉日の銘を持つ重永作の刀が子孫に伝わる。子は彦左衛門重則。子孫名の異同は注記を参照。
HP-0849 神田藤兵衛
神田藤兵衛。本田親商の家来で朝鮮・関ヶ原に従い、主君の死後、島津義弘の制止を退けて殉死した。
HP-0850 仁礼頼景
別府頼延の子。朝鮮・大坂に出陣し、御使役や地頭、琉球在番を務めた。正保三年に江戸で六十七歳没。仁礼改姓に関する相論記事もある。
HP-0851 諏訪金右衛門兼利
光久・綱久に仕え、琉球渡海、綱久の守役・諫議職、家老を務めた。和歌と禅を学び、道中記・帰郷記や男山物語を残した。
HP-0852 諏訪仲右衛門尉兼安
諏訪兼安は上井兼政の嫡子。稲津一揆で功があり、江戸桜田屋敷の普請奉行を務めた。寛永十四年、小林で病死した。
HP-0853 須山宝音坊長盛
須山宝音坊長盛は、惟新公の御看経坊を務め、高麗への供をしたと記される。
HP-0854 須山宝音坊
道釈伝に宝音坊の名を掲げる人物。上段の医師一卜とは別項目。
HP-0855 須田伝吉(綱□)
須田伝吉は須田家西の三男。義弘に仕え、関ヶ原からの帰国に供をして感状と百石を受けた。後に白坂氏の養子となり、墓は不断光院にある。
HP-0856 図師喜兵衛公長
図師喜兵衛公長。渋谷公倫の子で島津義久・義弘に仕え、朝鮮役・庄内の乱で功を立て、羽月地頭となった。
HP-0857 図師太郎兵衛定清
図師太郎兵衛定清。島津図書頭忠長の家臣で、主君に従って朝鮮へ渡った。
HP-0858 図師与八左衛門
図師与八左衛門。求摩合戦で戦死し、図師氏を渋谷上総公時の子孫とする伝承を伴う。
HP-0859 杉山右京
杉山右京は、附録に並記される五人の一人で、芸者として中納言様に召し抱えられたと記される。
HP-0860 瀬戸口金右衛門重勝
瀬戸口金右衛門重勝は、弥十郎・小左衛門と並んで高麗への供をしたと記される。
HP-0861 瀬戸口藤兵衛重為
瀬戸口重為は天文二十三年の岩剣出陣で義久の旗指役を務め、ほかの出陣にも供をした。
HP-0862 瀬戸口安房介重治
瀬戸口重治は武勇を評され、天正十二年に唐船噯を務め、朝鮮へ供をした。嫡家の許しで兄弟とも東郷姓に改めたという。
HP-0863 瀬戸口八郎右衛門尉重勝
瀬戸口重勝は木崎原合戦で竹下又左衛門とともに長峰弥四郎を討ち取った。豊後・朝鮮への供奉記事もある。
HP-0864 何某(姓判読保留・旧登録名「瀬戸何某」)
梅北城の人物群の末尾に載る何某。姓は原字との照合が必要。
HP-0865 瀬戸口弥十郎
瀬戸口弥十郎は金右衛門・小左衛門とともに高麗への供をした。子孫として東郷十左衛門が記される。
HP-0866 瀬戸口弥八左衛門
瀬戸口弥八左衛門は重為の嫡子で、肝付攻めの際に垂水で戦死した。養子に三左衛門重照を迎えたと記す。
HP-0868 是枝忠存坊快永
快順の子。坊泊地頭を務め、寛永二年には大嶋代官であったと記される。
HP-0870 是枝大善坊快順
快秀の嫡子。義久に召され宝泉坊住持となり、富隈町・曽於郡の地頭や使者を務めた。
HP-0871 是枝周防坊快心
快秀の子。巻八には是枝氏の名字の由緒と阿多での居住を記す。
HP-0872 是枝仁助
是枝仁助は田布施の者で、加治木で鑓作りの技を示したため召し寄せられ、鑓を作らせたと記される。本文は前条の二木利助と同一人物ではないかとの考証を付す。
HP-0873 是枝存力坊
義久の豊後入りに騎馬で供奉し、地頭職を命じられた。慶長十八年に加治木へ移り物奉行を務めた。
HP-0874 是枝長左衛門
是枝長左衛門は是枝存力坊の子。寛永十一年、知行百三十四石で又八郎忠朗に召し抱えられたと記される。
HP-0875 是枝伴左衛門
是枝伴左衛門は高麗出兵に供奉した人物。本文は朝鮮出兵への従軍だけを伝える一行の記事で、主君、役職、知行、個別の戦功、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。
HP-0876 是枝三右衛門快温
是枝三右衛門快温は周防坊快心の子。光久公の命で召し出され、江戸・大坂へたびたび供奉した。
HP-0877 是枝大善坊快秀
是枝大善坊快秀は是枝周防坊快心の嫡子。惟新公の意向により阿多から加世田へ移り、さらに日置へ移った。
HP-0878 成合城之介
成合城之介。島津歳久に仕え、追兵の動きを報告した後、主君に殉死した二十七人の一人となった。
HP-0879 星山仲次
高麗から惟新公に召し連れられた陶工。帖佐で奉公し、上方で御用細工を務め、加治木から家久公代に鹿児島へ移った。
HP-0880 清松源太左衛門
清松源太左衛門は朝鮮役に供奉した人物。本文は姓名と『高麗御供』の一事だけを一行で伝え、奉公した主君、渡海年、役職、知行高、具体的戦功、家族関係、出生・没年、法名・墓所は記載しない。
HP-0881 清松三右衛門
清松三右衛門は関ヶ原合戦後の退却に供奉し、感状と五十石を与えられた人物。子孫は大口に居住したと記される。
HP-0882 清誉上人
京都不断光院の僧で歌道に通じ、近衛家の使者として薩摩へ往来。貴久が建立した不断光院に迎えられた。
HP-0883 西俣出羽守
代々蒲生家の家老を務め、八幡宮の大検校を勤めたという。
HP-0884 西俣盛家
帖佐の岩剣城を守り、天文二十三年十月二日、岩剣城下で戦死した。
HP-0885 青木左近
青木左近は朝鮮へ渡海した人物。本文は姓名と『高麗渡海』の一事だけを一行で伝え、奉公した主君、渡海年、所属部隊、役職、知行高、具体的な軍功、家族関係、出生・没年、法名・墓所は記載しない。
HP-0886 税所助十郎
税所助十郎は越前守篤好の三男。天文七年十二月二十九日夜、加世田で戦死した。
HP-0887 税所助兵衛
税所助兵衛は慶長十一年、江戸へ石材木を進上した際、国分・帖佐から集める作業の主取を命じられ、上乗として駿河および江戸へ派遣された。本文はこの役務だけを記し、実名、系譜、知行、生没年、法名、墓所は載せない。
HP-0888 税所篤澄
税所篤澄は篤辰の二男。横川で戦死し、十六歳だった。
HP-0889 税所篤清
税所但馬篤清は、越前守篤好との系譜関係に諸説がある。島津義久の御使役を務め、国分から召し移された。
HP-0890 税所篤貞
税所次郎右衛門篤貞は篤長の子。寛永六年十二月二十三日に没し、法号は宗山居士と記される。
HP-0891 税所篤則
税所小兵衛篤則は仲右衛門とも称し、篤清の子と記される。本文は通称と父子関係だけを載せ、役職、知行、奉公・軍役、生没年、法名、墓所は記さない。
HP-0892 税所篤辰
税所越前守篤辰は入道休心。税所氏の由緒・系譜を記し、地頭職に就いた。
HP-0893 税所篤長
税所次郎右衛門篤長は篤和の子。高麗御供として朝鮮役に従った。
HP-0894 税所敦載
税所純賀斎敦載は敦朝の二男。兄内膳が早世したため家督を継ぎ、龍伯公(島津義久)および島津家久に奉仕した。
HP-0895 税所敦秀
税所与助敦秀は入道一和。笛に通じ、天正二年の降信合戦で功があった。
HP-0896 税所敦朝
税所河内守敦朝は敦豊の二男。兄敦秀が高城で戦死したため家督を継いだ。
HP-0897 税所敦豊
税所与助敦豊は一和(税所敦秀)の嫡子。笛を好まなかったため、一和は笛の伝書などを二男の佐渡入道恰和へ譲った。
HP-0898 税所与右衛門
税所与右衛門は、惟新公(島津義弘)の道具衆を務め、関ヶ原からの退却に供奉した。本文はこの役務と行動だけを記し、実名、系譜、知行、具体的な退却経路、生没年、法名、墓所は載せない。
HP-0899 石原佐渡
上方に住み、庖丁の芸道で中納言様に召し抱えられ御庖丁役となった石原佐渡。子孫がその技を伝え、石原次郎左衛門の名を挙げる。
HP-0900 石原助兵衛尉
帖佐に住み、寛永2年に加治木で山伏陽春坊を討った。褒賞を受け鹿児島へ移り、物奉行として江戸に詰め、のち光久公の御伽衆となる。
HP-0901 石坂久武
北郷家臣の石坂大和守久武。永禄元年3月19日、肝付宮之原で戦死し、子の右衛門忠陳も同じ戦場で戦死したと記される。
HP-0902 石谷忠栄
伊集院石谷の領主。実久に属したが、天文五年十二月七日に日新公へ降参した。
HP-0903 石谷梅久
石谷伊賀守梅久、入道伝心。大中公の命で石谷へ帰る際、島津実久に襲われ戦没したと墓誌が伝える。十二世孫町田久視が墓誌を記す。
HP-0904 赤崎銀右衛門
赤崎銀右衛門は朝鮮役に供奉した人物。本文は姓名と『高麗御供』の一事だけを一行で伝え、奉公した主君、役職、知行高、家族関係、具体的な戦功、出生・没年、法名・墓所は記載しない。
HP-0905 赤崎丹後守
赤崎丹後守は惟新公に仕え、諸所で高名を挙げた武士。岩屋城攻めでは真っ先に城内へ駆け入り、朝鮮役でも名誉の働きをした。
HP-0906 赤崎仁蔵兼信
赤崎仁蔵兼信は惟新公の庖丁人を務め、朝鮮役に供奉した人物。本文は姓名、主君、職掌と高麗御供だけを一行で伝え、家族関係、出生・没年、知行高、具体的な軍功、法名・墓所は記載しない。