← 史料目録へ

ARCHIVE DIRECTORY

本藩人物誌の目録

人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。

全2,174件中 301~400件・4 / 22ページ

  1. HP-0304 鬼塚吉内左衛門

    天文二十三年、岩剣に供奉。黒木兵衛と城内をうかがい、敵に遭遇して戦死した。

  2. HP-0305 鬼塚三蔵

    久保公に殉死した。法号は伝慎空禅定門。

  3. HP-0306 鬼塚助八

    宮路紀伊介と兄弟の契約を結び、木崎原合戦で忠平公の危急に敵中へ斬り込んで戦死。子の奉公記事も載せる。

  4. HP-0307 鬼塚兵部左衛門

    鬼塚助八の弟。天正十四年、野津で戦死した。

  5. HP-0308 亀沢甚右衛門

    亀沢甚右衛門。前項と同じく島津家久に従って朝鮮へ供奉した。

  6. HP-0309 義岡久延

    喜入季久の二男で、島津忠俊の養子。義岡氏を称し、義久の初上洛に供奉した。文禄四年、伏見で三十五歳で病没。島津久延と同一人物。

  7. HP-0310 義岡久達

    義岡久達(宮内少輔)。久延の子で文書奉行を務め、知行回復の記事を残す。

  8. HP-0311 義岡久良

    義岡久良(仲四郎)。久達の嫡子で島原陣に従い、吉利久在の養子となって飯野・山崎地頭を務めた。

  9. HP-0312 吉井佐渡守

    吉井佐渡守(入道嘉卜、初源七左衛門)。生涯に敵三百五十人ほどを討ったとされ、大口堂崎で島津義弘を救った。

  10. HP-0313 恒吉次兵衛

    恒吉次兵衛。島津豊久の家臣で、関ヶ原合戦で戦死し、佐土原の天昌寺に葬られた。

  11. HP-0314 吉田為清

    吉田為清(次郎兵衛)。康清の子で島津家久の加冠を受け、犬追物の射手を務めた。

  12. HP-0315 吉田吉左衛門

    吉田吉左衛門。十二月二十九日に加世田城で戦死した。

  13. HP-0316 吉田玉林坊

    道釈伝に吉田玉林坊の名を掲げる。具体的な経歴の説明はない。

  14. HP-0317 吉田康清

    吉田康清(次郎兵衛、初長四郎)。清久の養子で、日当山・福山地頭を務め、日光社参に供奉した。

  15. HP-0318 吉田清長

    吉田清長(六郎右衛門、半雪)。豊後陣・朝鮮・関ヶ原で軍功を重ね、日向の諸地頭を務めた。

  16. HP-0319 吉田信親

    吉田信親(若狭守、七郎次郎)。吉田位清の二男で、天正年間に帖佐山田地頭を務めた。

  17. HP-0320 吉田清久

    大田周防の二男で、吉田清孝の養子。二十二歳で関ヶ原に供奉し、五十石を受けた。別掲の大田久千と同一人物。

  18. HP-0321 吉田清正

    吉田清正(備前守)。島津義久の代、祁答院長野で戦死し、忠節を賞され二十七石を受けた。

  19. HP-0322 吉田清盛

    吉田清盛(大蔵)。朝鮮で戦い、破船時には釜山へ救援船を求め、庄内の乱で財部に戦死した。

  20. HP-0323 吉田清縄

    吉田清縄(刑部左衛門)。日野氏出身で、島津義久に仕えたのち吉田氏を称した。

  21. HP-0324 吉田清良

    祁答院良重の一族・家臣の欄に載る出雲守。

  22. HP-0325 吉田朝清

    吉田朝清(若狭守)。二郎四郎宗清の嫡子で、高越地頭を務めた。

  23. HP-0326 吉田洞庵

    道釈伝に吉田洞庵の名を掲げる。具体的な経歴の説明はない。

  24. HP-0327 吉富大蔵

    吉富大蔵。桂太郎兵衛忠詮の死に殉じた。

  25. HP-0328 吉富忠基

    吉富忠基(肥前守)。頴娃氏から続く吉富氏の系譜と、飯野移住・朝鮮・関ヶ原で働いた子孫を伝える人物。

  26. HP-0329 吉利久金

    吉利久金(山城守)。吉利忠将の二男で、日向倉岡地頭を務め、元和二年に八十七歳で没した。

  27. HP-0330 吉利久在

    吉利久在(山城守)。忠張の子で、江戸勤仕と島原陣に従い、市来で二十四歳没。

  28. HP-0331 吉利久盛

    吉利久盛(三郎五郎)。久金の二男で、肥後水俣で戦死した。

  29. HP-0332 吉利久良

    吉利久良(狩野介)。久在の後嗣で、実父は義岡久達。四十五歳で没した。

  30. HP-0333 吉利忠澄

    吉利忠澄(下総守)。幼少で家督を継ぎ、西保・水俣・島原・岩屋・豊後など島津氏の主要戦役で軍功を重ねた。

  31. HP-0334 吉利忠張

    小田原・朝鮮・泗川・庄内などに従軍した吉利忠澄の子。市来・恒吉・飯野地頭や年寄・組頭を務め、鉄炮を得意とした。

  32. HP-0335 久木田新助

    久木田新助は朝鮮役に供奉したと記される。本文は渡海軍役だけを伝える短い記事で、主君、所属、具体的な戦闘、役職、知行、家族関係、生没年・法名・墓所は記載しない。

  33. HP-0336 久道

    加久藤不動寺七世住持。元亀三年、袖に鉄砲を隠して伊東軍の武将を射落としたと伝える。

  34. HP-0337 久富休斎

    久富休斎は伏見城の松ノ丸口を攻め破った人数の一人として記される。役職や生没年などは不明。

  35. HP-0338 久富軍兵衛

    久富軍兵衛には木崎原戦死の傍記がある。馬越城攻めで軍功のあった軍兵衛と同人か、と本文が問いを残す。

  36. HP-0339 久富善兵衛

    久富善兵衛は朝鮮への供奉者として名が記された人物。渡海年、具体的軍功や生没年は記されていない。

  37. HP-0340 久富半五左衛門尉

    久富半五左衛門尉は武勇で知られ、牛根・木崎原などの戦功を載せる人物。琉球軍役も記されるが、別条の同名者との対応には検討を要する。

  38. HP-0341 久富木伊予守

    久富木の領主と記される人物。

  39. HP-0342 久富木佐吉

    久富木佐吉は、朝鮮役で番船が破られた際に戦死したと記される。本文は海外軍役での最期だけを伝える短い記事で、主君、所属、具体的な戦闘経過、没日、法名・墓所は記載しない。

  40. HP-0343 久富木重全

    祁答院良重の家老で、久富木城主と記される。

  41. HP-0344 久富木摂津介

    久富木摂津介は上原長門守尚常の弟。筑前国岩屋城攻めで負傷し、その後の退却時には伊勢貞昌と同じく敵一人を討ち取ったと記される。

  42. HP-0345 久保安高

    久保平次郎安高。子孫の五次兵衛安次に至る久保氏の系譜と、安高の戦死を伝える。

  43. HP-0346 久保紀之重

    久保筑前紀之重。入道して舟懐と号し、新納忠元の付衆として大口に居住して諸戦で武功を立てた。

  44. HP-0347 久保行久

    久保伊豆守行久。久保氏の由緒を負い、島津義弘の飯野移住に従って軍談役を務め、諸戦で功を立てた。

  45. HP-0348 久保行経

    久保伊予守行経。行久の子で、久保公に供奉して朝鮮へ渡り、城攻めで戦死した。

  46. HP-0349 久保行政

    久保平内左衛門行政。兄の戦死後に家督を継ぎ、幼少の島津忠恒を養育し、朝鮮役では兵糧運送に勤めた。

  47. HP-0350 久保盛左衛門

    久保盛左衛門。朝鮮役に供奉したことだけを伝える短い記事である。

  48. HP-0351 久保田利助

    久保田利助の記事は「同」とだけ記され、直前の樫犬隈右衛門と同じく朝鮮役への供奉を指すと考えられる。独立した人物見出しとして扱うが、具体的な主君、所属、戦闘、役職、知行、家族関係、生没年・法名・墓所は記載しない。

  49. HP-0352 久保之昌

    久保平内左衛門之昌。之盛の子で、島津家久から光久まで仕え、島原に出陣し、儒学と示現流を修めた。

  50. HP-0353 久保之盛

    久保七兵衛尉之盛。十六歳で朝鮮へ渡り軍功を重ね、関ヶ原退却や庄内の乱にも従い、家久没後の殉死を願った。

  51. HP-0354 久木山新左衛門

    久木山新左衛門は、御軍談合人数五十四人の一人で、『蒲生』にその名があると記される。島津方の軍議参加者として蒲生関係史料に見える人物である。

  52. HP-0355 久木山二兵衛

    久木山二兵衛は飯野衆。朝鮮で追討が行われた際、晋州川と読める川を騎馬で渡り、対岸で敵を討ち取ったと記される。

  53. HP-0356 久木山兵衛

    久木山兵衛は朝鮮役に供奉したと記される。本文は渡海軍役だけを伝える短い記事で、主君、所属、具体的な戦闘、役職、知行、家族関係、生没年・法名・墓所は記載しない。

  54. HP-0357 久留大掃部介康辰

    久留大掃部介康辰は小林の人で、天正年間の御軍談合人数五十四人の一人とされる。天正六年二月二十一日、島津忠平の下知により赤塚真重らとともに霧島座主秀証と読める人物のもとへ向かった記事を載せる。

  55. HP-0358 宮原伊賀守

    惟新公に仕えて御使衆を務めた。天正二年十一月、忠平公に供奉して八代に在陣した。

  56. HP-0359 宮原越中守

    宮原越中守は、仁礼作右衛門とみられる人物を介した系譜を記し、子孫へ続く家の由緒を載せる。天正十年十二月の記事では、延命院常覚坊ら両使僧が境目へ派遣された際の働きと、切越・川井・西田付近での出来事を伝える。

  57. HP-0360 宮原景為

    長島衆。寛永十五年二月二十八日の島原合戦で軍功があり、岡左近亮の証文が伝わった。

  58. HP-0361 宮原景衡

    秋扇の子。十四歳で朝鮮出兵に供奉し、琉球・道之島検地の奉行となった。帰航中の破船で三十六歳没。

  59. HP-0362 宮原景次

    蒲生氏出身で景種の婿養子。菱刈の乱の際、平泉で戦死した。

  60. HP-0363 宮原景種

    貴久代から奉公。曽木城守備、戸神尾の伏兵、高原城攻めで働き、須木・佐敷等の地頭を務めた。肥後隈庄で戦死。

  61. HP-0364 宮原景親

    景有の子。惟新公に仕え、庄内で軍功を立てた。江戸・駿河への使者を務め、家康・秀忠に関わる奉公を記す。

  62. HP-0365 宮原景晴

    惟新公の家老代。岩屋城で槍傷を負い、心岳寺建立や高尾野の外城再建に携わった。高尾野で病死。

  63. HP-0366 宮原隼人(諱末字保留)

    日新公の加世田間之瀬川での危難に際し、名代となって戦死したという伝承を載せる。

  64. HP-0367 宮原景房

    宮原主計助景親の子、五兵衛。御普請奉行を務めた。

  65. HP-0368 宮原景有

    太郎左衛門の子。飫肥で六町の知行を与えられ、後に鹿児島で御船奉行を務めた。

  66. HP-0369 宮原景頼

    三原重貞の嫡子で景衡の婿養子。長島・高尾野地頭を務め、島原で軍功を立てた。犬追物の射手としても記される。

  67. HP-0370 宮原盛喜

    宮原右兵衛盛喜は、高麗御供から引き陣く際、押川公近・島津丸重持とともに新寨を出て敵と戦い、泗川で功を立てたと記される。

  68. HP-0371 宮原掃部助

    宮原掃部助は、天文十七年(1548)、姫木で北原氏の番兵を討ち取った際に功があったと記される。

  69. HP-0372 宮原太郎左衛門

    宮原隼人の子。飫肥在城中、伊東勢に対する加勢へ遣わされ、戦死したと記す。

  70. HP-0373 宮原藤兵衛

    宮原藤兵衛は加世田衆の一人で、弘治元年(1555)二月二十七日、帖佐で戦死したと記される。

  71. HP-0374 宮竹休兵衛

    宮竹休兵衛は新納忠元への殉死者二人の一人。法名は鏡阿弥陀仏で、墓は忠元の墓の脇にある。

  72. HP-0375 宮内喜兵衛

    先祖に関わる討死者と金鍔の刀、武勇を称えて祭ったという家伝に名が見える。本人の軍役や没年は記されない。

  73. HP-0376 宮内宗繁

    宮内家の跡目を継いだ次郎左衛門。合志加賀一党討伐、水俣陣、関ヶ原退去に働いた。本文に蒲生死去、脇注に戦死の異記がある。

  74. HP-0377 宮内弁助

    庄内で伊地知某と働き、家久から賞されて弁助の名を与えられたという。のちに朱左衛門に殺害されたと記す。

  75. HP-0378 宮内茂右衛門

    宮内茂右衛門は、惟新公島津義弘の御道具衆として仕え、関ヶ原敗戦後の退却に供奉したと記される。

  76. HP-0379 宮之原才兵衛

    宮之原才兵衛は右馬頭征久の家臣で、文禄・慶長の役に朝鮮へ従軍したと記される。

  77. HP-0380 宮之原助左衛門

    宮之原助左衛門は、川上大和守昌久に殉死した五人のうちの一人と記される。

  78. HP-0381 宮之原六兵衛

    宮之原六兵衛条は、子孫の長兵衛が一代の間、島津家久の忌日ごとに御城へ出て御霊膳方を務めたという家伝を載せる。理由は不詳。

  79. HP-0382 宮牟礼二郎

    宮牟礼二郎条は、子孫が関ヶ原からの退却に供奉し、感状と知行三十石を与えられたと記す。

  80. HP-0383 宮路紀伊守

    宮路紀伊守は加治木衆で、元亀三年(1572)の木崎原合戦で戦死した。

  81. HP-0384 宮路三之允

    宮路三之允は紀伊守の子。九州出陣に供奉し、天正十四年の平佐城普請では鬼塚主悦と兵糧渡方を務めた。

  82. HP-0385 宮路筑前守

    宮路筑前守は、忠平公島津義弘に供奉して飯野へ移った六十一人の一人。

  83. HP-0386 弓削等薩

    弓削等薩は絵師で、子孫は加治木に住んだ。元亀年間に入唐し、唐の絵師に学んだほか、のち防州で周徳にも画を学んだという。

  84. HP-0387 救仁郷仙光坊

    飯熊山の別当職を務め、各地に従軍した。寛永十三年には川上将監と志布志で宗門の事をただしたと記される。

  85. HP-0388 救仁郷天神坊

    救仁郷天神坊は、飯隈山別当伝朝と読める人物の弟。ある藩主の代から勤め、当地へ召し移された後、江戸へもしばしば供奉した。

  86. HP-0389 橋口安張

    石見守、入道寿庵。谷山波平の刀工系譜に属し、義弘に従って朝鮮でも作刀。困難な渡海・参陣を賞する知行五石の書状を載せる。

  87. HP-0390 橋口泰重

    上野氏出身。義弘の中間として軍役に従い、泗川で忠恒を橋の崩落から救った功により橋口対馬と改名したと伝える。

  88. HP-0391 二橋城之介

    二橋城之介。伊集院氏一族の大和守忠光から続く家系に属し、使者として名が見える。

  89. HP-0392 郷田吉右衛門

    郷田吉右衛門は朝鮮出兵に供奉した人物。本文は朝鮮渡海だけを一行で伝え、奉公先、役職、知行、朝鮮での個別の戦功、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  90. HP-0393 西郷壱岐守

    西郷壱岐守は琉球入りの軍役に参加し、十四人に別動または追加の三十一人を合わせた四十五人で渡海したと記される。本文はこの人数と渡海記事だけで、実名、父母・系譜、主君、役職の具体的内容、知行、渡海年、現地での行動、生没年、法名、墓所は載せない。

  91. HP-0394 曲田伯耆守

    曲田伯耆守は飫肥の人で、天正年間の軍談合人数五十四人の一人に数えられたと記される。本文は出身地と軍議への参加だけを伝え、実名、主君、役職の具体的内容、知行、軍役の詳細、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  92. HP-0395 曲田八郎左衛門

    曲田八郎左衛門は関ヶ原合戦後の島津勢退却に供奉した人物と記される。本文は軍役だけを伝える一行記事で、出自、実名、主君、役職、知行、具体的な退却行動、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  93. HP-0396 桐野九郎左衛門

    入来の行司。山道に詳しく、平田増宗討伐の際に押川強兵衛の案内役となった。討伐後に銀子を拝領し、御里内への召移と切米十石の給付を受けた。

  94. HP-0397 桐野掃部介

    桐野掃部介は関ヶ原からの退却に従った。子孫は出水上隈之城に住み、その後、出水へ移されたと記される。

  95. HP-0398 桐野利儀

    桐野治部左衛門利儀は、元和五年八月十三日、福昌寺で新納式部少輔・藤井九介らとともに松齢公島津義弘へ殉死した。子孫に桐野左平太がいる。

  96. HP-0399 金田三河守

    金田三河守。島津義弘が飯野へ移した六十人の一人。

  97. HP-0400 熊木善兵衛

    熊木善兵衛は、琉球入りの軍役五人の一人と記される。琉球方面への軍事派遣に選ばれた少人数の構成員であったことを示す短い記事である。

  98. HP-0401 栗野越前

    祁答院重武の役人。天文四年、谷山で戦死した。

  99. HP-0402 桑波田孫六

    南郷城主。忠良に属した後、実久方へ転じた。狩猟中に城を攻め取られ、自身は逃れた。

  100. HP-0403 軍為右衛門

    軍為右衛門。肥後浪人から島津義弘に仕え、使者や関ヶ原退却供奉を務めた武富家の祖。