← 『本藩人物誌』人物検索へ戻る
HP-0265巻13:241注記付き公開可

HONPAN JINBUTSUSHI · SOURCE ARTICLE

肝付兼輔

異名・検索語:肝付兼輔/肝付左馬頭兼輔 一郎四郎 或兼亮・兼道/左馬頭/一郎四郎/兼輔/兼亮/兼道

試験導入中の史料別人物解説です

この解説は『本藩人物誌』の記事内容を整理したもので、一般的な人物伝や他史料を含む史実認定とは区別してください。今後の精読・原画像照合により更新される場合があります。

注記付き公開可

未確定事項:天正二年という年は降参に付され、父兄がともに同年没したという意味にしない。高山没収年の二年と四年を併記。関ヶ原の役という記載から戦死地点を関ヶ原本戦の場所に限定しない。 兼輔と巻九の兼道(HP-0262)は関係する記述を持つが、本版では同一IDに統合していない。

DESCRIPTION

本文内容説明

左馬頭、一郎四郎。兼亮・兼道ともいう。省釣(兼続)の三男で、兄良兼に嗣子がなかったため、その娘を娶って家督を継いだ。天正二年、父兄を失って孤立し、領地を献じて竜伯公に降参。高山を収められ、薩摩の阿多十二町を与えられたが、高山没収を天正四年とする注もある。その後、夫婦が不和となり、兼輔の肥後在番中、嫡孫である妻の側につく者が多く内乱となった。阿多も収められ、妻は伊東氏へ移り、肝付氏は領土を失ったと記す。関ヶ原の役で戦死したというが、具体的な没地・享年は示されない。

系譜・人物関係

父は省釣(兼続)。良兼の弟・女婿。妻は良兼と伊東義祐の娘との間に生まれた女子で、義祐の孫娘。

奉公・役職

兄の娘を娶って家督を継ぐ。島津降参後、阿多十二町を与えられ、肥後国に在番。

軍役・事績

天正二年に領地を献じて竜伯公へ降参と記す。高山没収は天正四年という異説注。夫婦不和に伴う内乱後に阿多も失う。関ヶ原の役で戦死。

生没・法名等

関ヶ原の役で戦死と記す。没地・享年の明記なし。

統合人物ID
HP-0265
原人物ID群
13-241-02
氏・分類
肝付
掲載巻頁
巻13:241
主題・活動
系譜・奉公・役職・軍役・生没
人物関係要約
父は省釣(兼続)。良兼の弟・女婿。妻は良兼と伊東義祐の娘との間に生まれた女子で、義祐の孫娘。
検索キーワード
肝付兼輔/左馬頭/一郎四郎/兼輔/兼亮/兼道/兄の娘を娶って家督を継ぐ。島津降参後、阿多十二町を与えられ、肥後国に在番。/天正二年に領地を献じて竜伯公へ降参と記す。高山没収は天正四年という異説注。夫婦不和に伴う内乱後に阿多も失う。関ヶ原の役で戦死。/関ヶ原の役で戦死と記す。没地・享年の明記なし。
公開区分
注記付き公開可
精読・確認状況
既存の全頁精読・境界確認記録を確認(今回の再精読なし)
公開判定根拠
既存の全頁精読・境界確認記録と現行PDFのID・頁数対応を確認。疑義を明記して記載箇所へ案内できるため公開可。
説明作成区分
AI用PDF全頁精読
本文境界判定
全1頁。夫婦不和と妻の出自に関する割注、末尾の高山没収年の〇注は同じ人物に関連する続記事。妻は独立した人物見出しではない。
判読保留
天正二年という年は降参に付され、父兄がともに同年没したという意味にしない。高山没収年の二年と四年を併記。関ヶ原の役という記載から戦死地点を関ヶ原本戦の場所に限定しない。

出典:『鹿児島県史料集 第13集 本藩人物誌』