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本藩人物誌の目録

人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。

全2,174件中 1301~1400件・14 / 22ページ

  1. HP-1308 島津忠親

    北郷忠相の嫡子。北郷家督を忠豊に譲り、忠広の養子として飫肥を継ぐ。伊東・肝付氏と戦って飫肥を奪回したが、再び失い都城篠池へ退去。元亀2年、同地で病没。

  2. HP-1309 島津忠清

    義虎の三男、備前守・又助。小西行長預かりで宇土に住み、行長の死後は熊本へ移った。慶長十四年に子二人と帰参。娘は光久の母となった。

  3. HP-1310 島津忠続

    周防守・五郎三郎・治部左衛門、入道太閑。天文六年の加世田城攻めで軍功があり、伊作和田ノ脇を与えられた阿多地頭。花瀬村に大閑塚があった。

  4. HP-1312 島津忠辰(中務大輔)

    島津実久の弟。市来城で戦死した。実久の孫である和泉忠辰とは別人。

  5. HP-1313 島津忠朝

    忠廉の子。串良を拝領し、北郷忠相と三俣院・志布志方面へ勢力を広げた。嫡子忠広を飫肥に置いて志布志へ移る。真存法師から古今集の伝授を受けた。

  6. HP-1314 島津忠長

    尚久の嫡子、出家して紹益。串良・宮之城の地頭で、島原・岩屋・朝鮮などに出陣し、三代の老中を務めた。慶長十五年没、六十歳。

  7. HP-1315 島津忠直

    家久の二男、豊久の弟。東郷重虎から島津忠直へ復姓改名し、朝鮮出兵・佐土原防備の記事を残す。三代堂村で四十八歳没。

  8. HP-1316 島津忠倍

    忠長の嫡子。朝鮮南原城で敵首を取り、庄内でも軍功を挙げた。水俣では姓名と年齢を記した矢を多数射たという。東郷に住み、慶長十四年に三十二歳で没した。

  9. HP-1317 島津忠房

    実久の叔父。新納常陸守と市来城を守ったが、貴久の攻撃を受けて降り、出水へ帰った。

  10. HP-1318 島津忠明

    忠福の子、有久の孫。忠昌から大口一所三百五十町を与えられ、享禄三年に大口城で没した。最期は戦死・落城自殺の両記述があり、のち八幡として祀られた。

  11. HP-1319 島津忠隣

    義虎の二男で歳久の養子。十八歳で筑紫出征の副将となり、鷹取・岩屋で戦った。翌年、根白坂で家久と先陣に進み、銃弾を受けて十九歳で戦死した。

  12. HP-1320 島津忠朗

    家久の三男。幼少から江戸人質を務め、秀忠・家光に御目見した。加治木一万石を拝領。延宝四年に没したが、本文の享年と生年には不整合がある。

  13. HP-1321 島津朝久

    島津豊後守朝久は忠親の子で、島津義弘に仕えた。鷹取・岩屋・根白坂などに出陣し、文禄元年に朝鮮へ渡り、翌年巨済島の陣中で没した。

  14. HP-1322 島津豊久

    家久の嫡子。島原に初陣し、朝鮮・庄内に転戦。関ヶ原で義弘へ退却を促し、十三騎で敵中へ入って戦死したと記す。三十一歳。

  15. HP-1323 島津明久

    忠明の子、次郎四郎。享禄二年に大島村で戦死し、若宮として祀られた。戦死日は九月三日・二十三日の異記があり、大島忠泰条は十六歳と記す。忠泰の養父。

  16. HP-1324 東勘右衛門

    北郷兵右衛門の前に載る、都城内の人物。

  17. HP-1325 東郷刑部丞

    島津歳久に殉死した二十七人の一人。官途は刑部丞、法号は助翁存佐上座。諱は本文に記されない。

  18. HP-1326 東郷重位

    天寧寺の善吉から示現流剣術を学び、家久の師匠となった。和歌・絵画・鍛冶にも優れ、寛永二十年、八十三歳で没。

  19. HP-1327 東郷重影

    入来院重時の家臣。渡海軍の将に選ばれたが、梅北国兼に加担して討たれた。

  20. HP-1328 東郷重経

    重虎の二男、昌重の弟。慶長十七年菱刈生。正保三年に兄の跡目を継ぎ、延宝三年十一月七日、六十三歳で没。

  21. HP-1330 東郷重次

    右衛門佐重歳の子。入来院又六重時の家臣で、庄内において戦死した。弟重明の在京・高麗渡海とは区別する。

  22. HP-1331 東郷重治

    安房助、入道弓伴。瀬戸口氏から東郷氏へ改姓し、内之浦などの地頭を務め、泰平寺・上洛に供奉。文禄中四百石。

  23. HP-1332 東郷重尚

    東郷重治の養子。阿久根方面で島津義虎と争い、元亀元年に義久へ降伏し、東郷一所を返された。

  24. HP-1333 東郷重尚(大和守)

    大和守、入道喜俊。元亀元年に入来院と相談して領地を進上・降参し、東郷の本領を安堵された。天正十三年頃没と記す。

  25. HP-1334 東郷重尚(長左衛門尉)

    重信の実弟で養子。日置流を学び、谷山地頭代・光久の弓術師範を務めた。谷山で金的に二矢とも命中させた逸話を載せる。

  26. HP-1335 東郷重昌

    初め湯田氏。与七重成の子で、惟新公の御荷物役を務めた。元和六年、東郷加賀重綱と相談して東郷氏へ改姓した。

  27. HP-1336 東郷重信

    東郷重勝の子。忠恒に供奉して朝鮮へ渡海し、慶長五年八月朔日に伏見城で戦死。家の出自には異説がある。

  28. HP-1337 東郷重方

    重位の子。坊泊地頭・町奉行、光久の師匠を務め、二百石を与えられた。大肥前殿と呼ばれ、万治二年、五十六歳で没。

  29. HP-1338 東郷昌重

    若狭守、又九郎。家久の江戸供奉中に島津の名字・称号辞退を願い、東郷家を継ぐ。正保三年、樺山久尚養子となり久広と改名。

  30. HP-1339 東郷彦右衛門

    日高静鎮に続いて、都城内の人物群に載る。

  31. HP-1340 東条清閑

    東条六左衛門の父。子の項に、父子が谷山掛橋で誅せられた記事がある。

  32. HP-1341 東条六左衛門

    東条清閑の子。谷山掛橋で誅せられ、父子が鎌田弥右衛門に斬られたと記す。

  33. HP-1342 東太郎左衛門

    東太郎左衛門は義弘の船頭。朝鮮で鉄炮による防戦を行い、関ヶ原後には泉州堺に船を着け、義弘を乗船させたと記す。

  34. HP-1343 東八郎兵衛

    薬丸四郎右衛門と阿多で忠真の母に付き従い、変報後にともに死んだと記す。

  35. HP-1344 湯地定清

    湯地左近定清の記事は、子孫の一人が伊東家敗北後に島津領へ出て、島津家臣となった由緒を記す。本人については官途・諱以外の奉公、知行、軍役、生没年、法名、墓所を載せず、記事の中心は後裔の出仕である。

  36. HP-1345 湯田重頼

    湯田左衛門重頼は、子孫が東郷に住んだと記される。子の湯田兵七重成は庄内で戦死し、その子与右衛門へ系譜が続く。

  37. HP-1346 湯田掃部兵衛

    湯田掃部兵衛は、天正年間の御軍議人数五十四人の一人として、蒲生の人物に数えられている。本文はこの軍議参加者としての位置づけだけを記し、諱、家系、知行、個別の軍功、生没年、法名、墓所は載せない。

  38. HP-1347 渕上久右衛門

    渕上久右衛門は関ヶ原からの御退去に供奉した一人と記される。本文は関ヶ原退却への随従だけを伝える短い記事で、実名、役職、知行、退却中の個別行動、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  39. HP-1348 藤井久介

    藤井久介は志布志衆。元和五年八月二十三日、福昌寺で松齢公に殉死し、法名を悟安休頓上座妙円十一番と記す。

  40. HP-1349 藤井四郎兵衛

    藤井四郎兵衛は川上久国の家来。久国と同じ示現流を鍛錬し、たびたび家久公の相手として召し出された。

  41. HP-1350 藤見長治

    藤見長治は清武衆の人物で、筑前岩屋城攻めで戦死したと記される。本文は所属と戦死した合戦だけを伝える一行の記事で、主君、役職、知行、個別の戦功、家族関係、戦死年月日、法名、墓所は記載しない。

  42. HP-1351 藤元丹波

    藤元丹波は飯野上江の戦死者と記される。木崎原合戦で忠節があり、鎧・鑓・知行を拝領したという。

  43. HP-1352 藤崎公綱

    藤崎公綱は文之和尚の門人。慶長十九年五月、中書公が駿河・江戸へ使者として上った際、その随員として召し付けられた人物と記される。

  44. HP-1353 藤崎公範

    藤崎豊前守公範の記事は藤崎氏の由緒と子孫を列記する。祖先は京都の合戦で宮方に属し、新田氏に加わったのち初めて薩摩へ下向して細島などを領したという。

  45. HP-1354 藤崎庄兵衛

    藤崎庄兵衛は向島の野村に居住した。慶長五年、関ヶ原合戦後に島津義弘(惟新公)が向島へ蟄居した際、庄兵衛の隠居家を御座所として提供したという。

  46. HP-1355 藤崎六郎右衛門

    藤崎六郎右衛門は伊集院幸侃に随身し、その後、近侍する立場になったと記される。本文は奉公先と近侍化だけを伝える短い記事で、実名、知行、具体的な役職・軍役、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  47. HP-1356 草道藤左衛門

    草道藤左衛門は朝鮮役に供奉したと記される。本文は渡海軍役だけを伝える短い記事で、主君、所属、具体的な戦闘、役職、知行、家族関係、生没年・法名・墓所は記載しない。

  48. HP-1357 徳永助右衛門

    徳永助右衛門。忠恒に従い朝鮮へ渡り、戦死した勝目兵右衛門の遺骸を親指の鑢痕から見分けた。

  49. HP-1358 徳持舎人

    徳持舎人。敷根で被弾した大蔵を救出。高原落城時、本田因幡とともに人質として敵陣へ遣わされた。軍談合五十四人の一人で朝鮮供奉も記す。

  50. HP-1359 奈須左近将監

    奈須左近将監。那須与一系を称する日向椎葉の家の人物で、大友方から島津方へ転じ、義弘に仕えて各地へ従軍した。

  51. HP-1360 奈良原安芸守延

    奈良原安芸守延。天文期から島津軍に従い、飫肥酒谷地頭を務め、高城・水俣・八代・島原・朝鮮で軍役を重ねた。

  52. HP-1361 奈良原大膳正広

    奈良原大膳正広。長門守資新の次男で兄と朝鮮へ渡り、慶長二年十一月十八日の番船破損時に戦死した。

  53. HP-1362 奈良原喜左衛門資初

    奈良原喜左衛門資初。安芸守延の次男で、自力で朝鮮へ渡り島津義弘に謁し、恩賞と近侍を命じられた。

  54. HP-1363 奈良原長門守資新

    奈良原長門守資新。島津貴久に召し出され、飫肥への援軍として伊東勢と戦い、板敷合戦で戦死した。

  55. HP-1364 奈良原清左衛門長豊

    奈良原清左衛門長豊。実は猪俣左近の三男で、元和二年に生まれ、吟味役を務めた。

  56. HP-1365 奈良原狩野介敦延

    奈良原狩野介敦延。島津忠長と朝鮮へ渡り、南原城攻めと泗川合戦で軍功を立てた。

  57. HP-1366 奈良原狩野介豊敦

    奈良原狩野介豊敦。敦延の子で、天正八年に生まれ、元和五年七月十五日に没した。

  58. HP-1367 奈良原清八

    都城内の人物群に載る。列をまたぐ「奈良」「原清八」を一人名として復元。

  59. HP-1368 内村半平

    小川半介の弟。都城内の人物群に載る。

  60. HP-1369 内田主馬

    内田主馬。島津歳久に殉死した一人で、法号は重山正珍禅定門。

  61. HP-1370 内田忠新

    内田源左衛門入道忠新。兄三郎の弟で、島津義久・義弘に供奉して各地で軍功を重ねた。

  62. HP-1371 鍋倉小左衛門

    鍋倉小左衛門。朝鮮出兵に供奉したことだけを伝える一行記事である。

  63. HP-1372 南雲壱岐守親貞

    南雲壱岐守親貞。武功ある人物として記され、二郎親宗らへ続く子孫系譜を載せる。

  64. HP-1373 南郷若狭守忠包

    南郷若狭守忠包。伊集院氏流の南郷氏に属し、島津義弘に仕えて加久藤地頭を務めた。

  65. HP-1374 南郷左近将監忠信

    南郷左近将監忠信。忠鏡の嫡子で、肥後本江の戦いで戦死した。

  66. HP-1375 南郷治部少輔忠永

    南郷治部少輔忠永。忠鏡の次男で、筑前住吉原の戦いで戦死した。

  67. HP-1376 南郷淡路守忠重

    南郷淡路守忠重。忠鏡の三男で兄二人の戦死後に家督を継ぎ、朝鮮・関ヶ原に従軍して五十石を得た。

  68. HP-1377 南郷孫右衛門忠利

    南郷孫右衛門忠利。南郷忠重の養子で、実父は新納孫右衛門教久と記される。

  69. HP-1378 南照坊

    弘治二年に京都から愛宕の神体を背負って下り、鹿児島の東福寺城の北の山上に祀った山伏。

  70. HP-1379 酒瀬川強左衛門

    酒瀬川強左衛門は木崎原で戦死した。本文はこの一行のみで、父母・系譜、主君、役職、知行、合戦の年月、具体的な働き、享年、法名、墓所は記さない。

  71. HP-1380 二木清之允

    二木清之允は高麗出兵に供奉した人物。本文は朝鮮出兵への従軍だけを伝える一行の記事で、主君、役職、知行、個別の戦功、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  72. HP-1381 二木但馬

    二木但馬は大永年間、山田有親に逆心の企てがあることを知り、伊作城へ呼び寄せた。有親が来城する途中、仏坂に伏兵を置いて討ち取ったと記される。

  73. HP-1382 二木利助

    二木利助は加治木出身で、初め是枝姓であったという。銭作として加治木へ出た後に二木を称し、さらに楽石氏へ改めたと記される。

  74. HP-1383 日高甚四郎義宗

    日高甚四郎義宗は義秋の子。肥州で戦死したと記されるが、戦死年月や合戦名は不明。法号は源貞と傍記される。

  75. HP-1384 日高与市左衛門義秋

    日高与市左衛門義秋は紀伊介義治の弟。伊集院忠朗の策を兄に伝えたが拒まれ、のち日新公に奉公して市来の知行を得たと記す。

  76. HP-1385 日高新四郎

    日高新四郎は琉球入りの軍役人数に記載された人物。賦課された二人のほか一人を加え、計三人の人数を出したと記す。

  77. HP-1386 日高与市左衛門正恒

    日高与市左衛門正恒は正治の子。朝鮮・琉球へ主従三人で渡海し、元和三年八月に小根占川南村の代官を務めたと記す。

  78. HP-1387 日高紀伊守正治

    日高紀伊守正治は義宗の子。曽木城攻めで功を挙げ、元亀三年の木崎原合戦で戦死。久留半五左衛門との先陣争いは、正治を鑓初とする裁定を伝える。

  79. HP-1388 日高十兵衛正盛

    日高十兵衛正盛は正恒の子。寛永十五年の原城攻めで城へ乗り入り、敵の投石で石垣から落下。負傷がもとで同年五月二十九日に没した。

  80. HP-1389 日高静鎮

    初めは柏原の町人だった。忠真一族・家臣のうち都城内の人物群に載る。

  81. HP-1390 日置久岑

    日置伊勢久岑は豊州家家臣として名を掲げる。本文は官途と名のみで、具体的経歴は記さない。

  82. HP-1391 日置久範

    日置美作久範は豊州家家臣として名を掲げる。本文は官途と名のみで、具体的経歴は記さない。

  83. HP-1392 日置忠鎮

    日置周防守忠鎮は豊州家家臣として名を掲げる。本文は官途と名のみで、具体的な経歴は記さない。

  84. HP-1393 日置弾正

    日置弾正は豊州家家臣として名を掲げるが、実名や具体的経歴は記されない。

  85. HP-1394 日置忠光

    日置狩野介忠光は久明の二男で忠充の養子。飫肥の新山で戦死した。

  86. HP-1395 日置忠充

    日置忠充は越後源六・周防守と称し、豊州家家臣として名を掲げるが、具体的経歴は記されない。

  87. HP-1396 日置美作守忠□

    日置美作守忠□は豊州家家臣として名を掲げるが、諱の末字は欠損し、経歴は記されない。

  88. HP-1397 日野内膳資顕

    日野内膳資顕は朝鮮で義弘の納殿役を務めた。日野家との対面を経て改名し、元和五年には姫の桑名への輿入れに奥家老として従った。

  89. HP-1399 入佐郷久為

    天正4年の高原城攻めで戦死した入佐郷久為。子助八久利も庄内で戦死し、本文はその養子の由緒まで記す。

  90. HP-1400 入来院重高

    義虎の五男。頴娃久秀・入来院重国を経て重高。朝鮮・関ヶ原に出陣し、入来院・湯之尾地頭。長崎警備の帰途、阿久根蔵津で没した。

  91. HP-1401 入来院重嗣

    重朝の子。串木野で初陣し、祁答院領を兼帯。東郷重尚の降伏を仲介して五城を進上。十二月二日没、定観寺に葬る。

  92. HP-1402 入来院重時

    島津以久の次男、重豊の養子。朝鮮・山田城・伏見城で働く。本文は関ヶ原後、江州水口・勢田の辺で主従七人戦死、二十八歳と記す。

  93. HP-1403 入来院重聡

    日新公の竹之山城攻めに加勢した入来院領主。老齢後は嫡子重朝を在陣させた。娘は貴久夫人。天文年間に病没。

  94. HP-1404 入来院重朝

    重聡の子。川内方面の攻略に働いたが、東郷・祁答院勢への加担を疑われ出仕停止となり、郡山城を召し上げられた。七月十六日没、没年不詳。

  95. HP-1405 入来院重豊

    野心の風聞に起請文と所領進上で応じ、領地安堵を得た入来院領主。高原・大友・水俣に出陣。天正十一年八月五日没。

  96. HP-1406 祢寝重長

    大禰寝などを領し、肝付・伊地知氏らと島津氏に抗戦。指宿では負傷しても戦い、天正元年に義久の和議を受けて降参した。種子島出兵には異説がある。

  97. HP-1407 馬関田右衛門佐

    北原兼守が嗣子なく没した後、伊東義祐の娘を妻とし、北原家の家督に立てられた。

  98. HP-1408 馬場玄蕃

    元亀二年、滝ヶ水で銃弾に当たって死んだと記される。

  99. HP-1409 馬渡勘解由

    馬渡勘解由。前条と同じく島津義弘に従って飯野へ移住した六十人の一人。

  100. HP-1410 梅北国兼

    足軽大将・地頭として軍功を挙げたが、文禄元年に佐敷で反乱を起こし殺された。