ARCHIVE DIRECTORY
本藩人物誌の目録
人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。
全2,174件中 1101~1200件・12 / 22ページ
HP-1107 竹下外記
竹下外記。加治木の士で、天文十三年九月十三日に西別府で戦死した。
HP-1108 竹下九郎
竹下九郎。朝鮮陣に従い、紺糸威の鎧を着て戦った。
HP-1109 竹下源太左衛門
竹下源太左衛門。日新斎の片浦氏との合戦で間瀬川を案内し、感状と知行を受けた。
HP-1110 竹下左近将監
竹下左近将監。永禄七年、島津義弘に従って飯野へ移った六十人の一人。
HP-1111 竹下舎人
竹下舎人。島津歳久の家臣で、危急時に単身祁答院へ走り、歳久の家族へ事態を知らせた。
HP-1112 竹下助八郎
竹下助八郎。島津歳久に殉死し、法号を記される。
HP-1113 竹下又左衛門
竹下又左衛門。木崎原で長峰弥四郎を討ち、横川城攻めでは島津義弘をかばって腕を切られた。
HP-1114 寺原弥助重年
寺原弥助重年は惟新公の朝鮮出兵に供奉した人物。惟新公への殉死を約したが強く制止されて果たせず、のち慈眼公への殉死を願い出て家の許可を得、寛永十五年三月十日に殉死した。
HP-1115 竹崎越中
竹崎越中。文禄三年の三州検地で奉行を務め、その功を豊臣秀吉の朱印状で賞された。
HP-1116 竹崎忠清
竹崎忠清(又次郎)。天文二十三年十月に十八歳で戦死した。
HP-1117 竹松勘右衛門
竹松勘右衛門。島津尚久に供奉した。
HP-1118 竹田山城入道笑我
『覚兼日記』の天正三年十二月二十七日に、肝付氏の使者として記される人物。
HP-1119 竹内実経
竹内実経(宮内左衛門)。朝鮮からの帰途、番船破損の際に戦死した。
HP-1120 竹内自休
竹内自休。宇喜多秀家旧臣で、料理を業とし、島津家に召し出されて国分・鹿児島で包丁人を務めた。
HP-1121 竹内実位
竹内実位(兵部少輔)。朝鮮役で軍功があり、番船破損後に南海島へ上陸し、釜山へ向かう使者も務めた。
HP-1122 竹内実康
竹内実康(備前守)。祁答院家旧臣から島津家に召し出され、肥後佐敷の船戦で島津忠長父子を救った。
HP-1123 竹内善助
竹内善助。子孫の竹内十郎左衛門が島津日新・貴久・義久の三代に仕え、朝鮮役にも供奉した家の祖。
HP-1124 竹内半右衛門
竹内半右衛門。加治木に住み、島津義弘に奉公した。
HP-1125 中原円乗院
中原円乗院。山伏で、関ヶ原合戦後に島津家の使僧などを務めた。
HP-1126 中原円乗坊
道釈伝は中原円乗坊について、円乗院とも称すると注す。
HP-1127 中原中将坊慶秀
慶隆の子で、庄内の高城合戦で戦死した。道釈伝にも同名で掲載される。
HP-1128 中原良慶坊慶信
道釈伝に良慶坊慶信の名を掲げる。本伝の良崧坊慶信とは坊号が異なる。
HP-1129 中原藤左衛門
中原藤左衛門。島津義弘に召し出され加治木に住み、客屋の番として長年、来客接待を担った。
HP-1130 中原坊慶降
道釈伝に中原坊慶降の名を掲げる。本伝の慶隆とは末字が異なる。
HP-1131 中原坊慶隆
竜伯公により鹿児島の宝泉坊へ召し移され、般若院を称した。関ヶ原後には本山助之丞に添えられ使者を務めた。
HP-1132 中原良崧坊慶信
兄慶秀の戦死後に家を継ぎ、家久に近侍した。後裔の還俗記事は本人の経歴とは分ける。
HP-1133 中戸早左衛門秀成
中戸早左衛門秀成。島津義弘の台所で包丁役を務め、朝鮮・伏見城攻めに従軍した。
HP-1134 中江周琳
中江周琳、法印・意温斎。近江佐々木氏流で、京都で医学を学び、近衛植家の紹介により島津貴久に仕えた医師。
HP-1135 中江瑞
中江瑞。意温斎周琳の次男で、京都で祐乗法印に学び法眼となり、島津家久の代に薩摩へ召し下された。
HP-1136 中江貞一
中江貞一。中江周琳の嫡子として記され、子孫名を伴う短い系譜記事である。
HP-1137 中山宗右衛門宗重
中山宗右衛門宗重。島津義弘に従って朝鮮へ渡り、伏見城松丸口を破り、関ヶ原からの退却にも随行した。
HP-1138 中条助八
都城内の人物として、氏名のみが記される。
HP-1139 中神内蔵之允頼増
中神内蔵之允頼増。中原藤左衛門の実子で、島津久元の小姓から物奉行・長野金山奉行・諸国使者を務めた。
HP-1140 中西長門守秀長
中西長門守秀長。近江小幡氏の後裔で能に通じ、秀次に仕えた後、島津家久に招かれて朝廷でも能を演じた。
HP-1141 中村喜兵衛義光
中村喜兵衛義光。光義の実弟で、兄の戦死後に家督を継いだ。
HP-1142 中村紀伊守義種
中村紀伊守義種。小幡式部大輔秀義の子で中村氏を継ぎ、島津家に仕えて飫肥・九州各地の合戦で軍功を重ねた。
HP-1143 中村吉右衛門
都城内の人物群に載り、「一東八郎兵衛」という異名注がある。
HP-1144 中村金右衛門
中村金右衛門。島津軍の朝鮮出兵に従軍した。
HP-1145 中村喜兵衛光義
中村喜兵衛光義。中村義種の子で、肥後堅志田城の戦いで戦死した。
HP-1146 中村作左衛門
中村作左衛門。父常和は京都で絵物を業とし、関ヶ原後に京都へ逃れた薩摩勢の帰国を近衛家への取次で助けた。
HP-1147 中村舎人
中村舎人。佐長浜の卒で、天文二十三年八月二十九日に加治木市口で戦死した。
HP-1148 中島伴助盛
中島伴助盛。中島善左衛門とともに朝鮮出兵へ従軍した。
HP-1149 家村信是
竜伯公に奉仕した家村筑後守信是。子信房は天正15年の上洛に供奉し、本文には一族の由緒と後代の奉公も記す。
HP-1150 中村平太夫
初め農民で、抜擢されて家臣となった。忠真の一族・家臣の安永城の人物群に載る。
HP-1151 中村某
松坂城の地頭。落城の際、父子三人で戦死したと記される。
HP-1152 中村茂右衛門
中村茂右衛門。島津豊久の家臣で、十八歳で主君に殉死した。
HP-1153 中村与左衛門
山田城の人物群に載る中村氏の人物。本文の与右衛門に、左との異注がある。
HP-1154 中島北国左衛門
中島北国左衛門。島津義弘に仕えて加治木に住み、朝鮮へ従軍し、所領と感状を受けた。
HP-1155 中島石見頼住
中島石見頼住。伊集院氏に従った家の後裔で、内城落城後に島津義弘へ仕え、加治木から鹿児島へ移った。
HP-1156 中馬重方
惟新公に仕え、朝鮮の海戦と関ヶ原退却で働いた強弓の武士。出水武士役・脇元御仮屋守。
HP-1157 中馬大蔵
中馬大蔵。市来の人。惟新公に従い高城で戦死したとする説と、天正十五年に根白坂で討死したとする説がある。
HP-1158 玄蕃(姓要確認・旧登録名「中保玄蕃」)
如辰入道・朝倉十助に続く勝岡城の人物。姓の第二字は判読保留。
HP-1159 中野右近将監
中野右近将監。島津義弘に従って飯野へ召し移された六十人の一人。
HP-1160 中野勘兵衛
中野勘兵衛。島津軍の朝鮮出兵に従軍した。
HP-1161 中野山右衛門
中野山右衛門。島津軍の朝鮮出兵に従軍した。
HP-1162 中野助八
中野助八。天正十五年の豊後出陣時、島津義弘から品物を託されたが、酒に酔って捨てたと記される。
HP-1163 中野甚左衛門
中野甚左衛門。島津義弘に従って朝鮮へ渡り、慶長二年七月、加徳島南方で水を求めて上陸した際に戦死した。
HP-1164 樗木監物
樗木主水に続く「同監物」。山之口城の人物群に載る。
HP-1165 樗木主水
倉野七兵衛尉に続いて山之口城の人物群に載る。樗木監物とは別人。
HP-1166 帖佐三五坊
道釈伝に帖佐三五坊の名を独立して掲げるが、具体的な経歴の説明はない。
HP-1167 帖佐宗光
帖佐宗光。柳川・豊後・小田原・朝鮮・庄内・関ヶ原に従軍。伊集院幸侃誅殺の密使となり、山田城では三首級・八人生捕の戦功を挙げた。
HP-1168 帖佐六七
帖佐六七。朝鮮で虎に左股を噛まれながら斬りつけた。本文は虎狩りの三つ目に死亡とし、二十三歳に二十二歳の異注がある。
HP-1169 朝元法印
救仁郷頼宗の次男。天文年間に飯熊山新熊野三所大権現の別当となり、子孫が照信院を継いだ。
HP-1170 朝倉十助
伊集院如辰入道に続いて勝岡城の人物群に載る。
HP-1171 朝倉常陸守
朝倉常陸守は天正六年十二月十二日、高城で本田親治と同じく戦死した人物。本文は官途名、戦死年月日・場所と同時に戦死した人物だけを一行で伝え、実名、奉公した主君、役職の具体的内容、知行高、軍中での働き、家族関係、出生年、法名・墓所は記載しない。
HP-1172 朝隈伴兼
祁答院良重の一族・家臣の欄に載る肥前守。
HP-1173 町田図書頭久幸
久倍の二男。肥後家の養子を経て実兄忠綱の家を継ぎ、泗川・庄内に従軍。家久の家老を務め、寛永元年に江戸で没した。
HP-1174 町田久次
町田三郎五郎久次は、町田家十一代石谷出羽守高久の三男三郎五郎忠光から五代の孫とされる。忠光―八郎左衛門忠親―久吉を経て久次に至る系譜を掲げる。
HP-1175 町田久政
町田源左衛門久政は、町田家十六代兵部左衛門久徳の三男で、母は伊集院刑部少輔久盈の娘。兄久倍が大口地頭となったものの家老職のため移住できず、境目の大口へ久政が地頭代として赴いた。
HP-1176 町田久則
町田伊賀守久則(入道石心)は久政の子。父の戦死後に扶持・知行を与えられ、鹿児島へ移って加増を重ね、栗野・山崎・隈之城・阿久根などを領した。
HP-1177 町田久泰
町田新左衛門久泰は三郎五郎久直とも称し、町田忠継の子。天正年間に市山の地頭を務めたと記される。
HP-1178 町田久倍
伊集院地頭・御使役・老中を務め、耳川や八代に従軍。秋月氏との交渉、忠恒元服の理髪、歳久討手の陸手を担当。復礼使を務めた後、播磨国明石で没した。
HP-1179 町田久房
町田縫殿助久房は町田駿河守久門の子で、百次地頭を務めたと記される。本文は父子関係と地頭職だけを伝える一行記事で、主君、知行高、軍役、居所、生没年、法名、墓所は記載しない。
HP-1180 町田久門
町田駿河守久門は初名久充、町田忠豊の子。百次および曽於郡の地頭職を務めた。
HP-1181 町田久用
実久の命で伊集院一宇治城を守り、日新公父子の攻撃を受けて降参した。巻8には郡山での死と系譜の異なる記載がある。
HP-1182 町田左近将監
肝付省釣に味方したのち、内応が発覚して自害。母・妻子も死罪になったと記される。
HP-1183 町田忠継
町田新左衛門忠継は新五郎とも称し、町田久次の子。弟とともに馬越の保で敵に射られ、切り死にしたと記される。
HP-1184 町田忠綱
町田左京亮忠綱は町田久倍の嫡子で、五郎とも称した。天正十六年、島津義久(龍伯公)の上洛に供奉し、その後、高麗の唐島と読める地で戦死した。
HP-1185 町田忠次
町田弥四郎忠次は加賀守忠豊の二男。父と同じく廻の戦いで戦死し、十九歳であった。
HP-1186 町田忠述
町田越中守忠述(入道乗伝斎)は町田忠辰の子。父から兵道を学んだと記される。
HP-1187 町田忠辰
町田越中守忠辰(入道一歩斎)は、町田家七代清久の八男土佐守忠好から続く系統で、父は越中守忠時。島津義弘(忠平)に仕えて飯野に在住し、木崎原合戦では勝鬨と首実検後の引導・山祭りを務めた。
HP-1188 町田忠豊
町田加賀守忠豊は又七・縫殿介とも称し、町田久用の子。永禄四年、廻の戦いで戦死した。
HP-1189 町田忠房
町田周防守忠房(入道呑中)は、町田家十五代長門守忠栄の二男で、垂水にいたと記される。島津家の命により右馬頭征久の家老を務めた。
HP-1190 町田助次郎久次
町田助次郎久次は町田久興の弟。慶長三年四月三日、朝鮮の泗川で戦死し、十八歳であったと記される。
HP-1191 長崎休兵衛尉
忠真の一族・家臣の山田城の人物群に、長崎治部少輔に続いて記される。
HP-1192 長崎治部少輔
忠真の一族・家臣のうち、山田城の人物群に載る長崎氏の人物。
HP-1193 長崎仙右衛門通泰
長崎仙右衛門通泰。通常の子で、没収された六十石を回復し、慶長十七年には国分城の守備を命じられた。
HP-1194 長崎年人
長崎年人。関ヶ原で長寿院盛淳の馬側を離れず、二十三歳で戦死した。
HP-1195 長山兵部少輔
長山兵部少輔。足軽大将を務め、天正十一年の有馬渡海・堅志田城攻めで先登した。
HP-1196 長寿院盛淳
安養院住持から竜伯公の家老となり、小田原・朝鮮・庄内に従軍。関ヶ原で主君の名代を願って羽織を拝領し、殿軍で防戦して五十三歳で戦死した。
HP-1197 長松院盛俊
道釈伝に掲載され、歳久に殉死したと記す。法号は権律師盛俊。
HP-1198 長沼秀昌
長沼秀昌。伊東氏家臣長沼宮内少輔の養子となり、伊東家から薩摩へ来て、のち鹿児島へ移った。
HP-1199 長倉加賀左衛門
長倉加賀左衛門。朝鮮役で番船が破損した際に戦死した。
HP-1200 長倉兵部少輔
長倉兵部少輔。島津歳久に仕え、主君に殉死した二十七人の一人で、辞世を残した。
HP-1201 長谷識岐孫右衛門
長谷識岐孫右衛門。伊集院に属し、島津貴久の小野への忍行で山中を案内して田布施まで供奉した。
HP-1202 長田讃岐守
長田讃岐守。伊敷村長田に住んで長田氏を称した家の人物で、島津義久に仕えた系譜を載せる。
HP-1203 長田太郎左衛門
長田太郎左衛門。天文二十三年十一月十三日、平松の戦いで戦死した。
HP-1204 長田筑後守
長田筑後守。本文には蔵衛門の名を併記するが、具体的な経歴は記されない。
HP-1205 長浜右衛門兵衛
長浜右衛門兵衛。島津忠長の家臣で、島原の戦いで戦死した。
HP-1206 長峰伊予守入道宗奢
長峰伊予守入道宗奢。北郷時久の家臣で、主君に殉死した。