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本藩人物誌の目録

人物ごとの解説を調べるための補助史料です。試験導入中です。

全2,174件中 901~1000件・10 / 22ページ

  1. HP-0907 赤崎平馬

    赤崎平馬は『御軍談合人数』五十四人の一人に数えられた人物で、日州三城の人と記される。本文は軍議参加者としての位置づけと所属地域だけを一行で伝え、奉公した主君、具体的な役職・知行、軍役、家族関係、出生・没年、法名・墓所は記載しない。

  2. HP-0908 赤松彦次郎則基

    赤松彦次郎則基は赤松肥前守義季の子。太閤入国の際、目白岐と読める場所で戦死したという。

  3. HP-0909 赤松肥前守義季

    赤松肥前守義季は播州赤松氏の系統で、赤松満祐の子孫と伝える人物。本文は姓名・官途と出自だけを一行で記し、次の赤松二郎左衛門義則条に詳しい家系由緒と義季の奉公記事が続く。

  4. HP-0910 赤松二郎左衛門義則

    赤松二郎左衛門義則条は、赤松則村(円心)から満祐へ続く播州赤松氏の系譜を掲げる。満祐切腹後、その子教康が日向志布志へ逃れ、松山中島に住んだと伝え、越中守則重・次郎四郎則季を経て肥前守義季へ至る。

  5. HP-0911 赤松五郎右衛門義張

    赤松五郎右衛門義張は赤松彦次郎則基の養子で、実父は川上日向守久政。本文末には後年の家筋の変化を示す短い注記があるが、字形が不鮮明で内容を確定しにくい。

  6. HP-0912 赤塚信濃守光重

    赤塚信濃守光重は源左衛門とも称し、日新公・貴久公に仕えた人物。本文は通称と二代の主君への奉公だけを一行で伝え、役職の具体的内容、知行、軍役、家族関係、出生・没年、法名、墓所は記載しない。

  7. HP-0913 赤塚五右衛門重昌

    赤塚五右衛門重昌は赤塚吉右衛門重増の子で、大口に居住した。島原合戦の際、大口地頭新納加賀守の出陣に伴い、曽木正右衛門重広と同じく兵具奉行として島原へ渡り、落城時に軍功があったという。

  8. HP-0914 赤塚三右衛門重政

    赤塚三右衛門重政は赤塚源太左衛門尉真賢の子。天正十五年四月の根白坂合戦後、十七歳の時、惟新公の命で細田覚右衛門とともに人質として差し出され、桑山修理大夫に預けられて高原瀬越の陣所に約四十日留め置かれた。

  9. HP-0915 赤塚吉右衛門重増

    赤塚吉右衛門重増は赤塚源助重直の次男とされ、赤塚家の養子となった人物。関ヶ原合戦と琉球入に関わる軍労があったと記される。

  10. HP-0916 赤塚源太左衛門尉重徳

    赤塚源太左衛門尉重徳は赤塚信濃守光重の子。太右衛門尉とも記される。

  11. HP-0917 赤塚源太左衛門尉真賢

    赤塚源太左衛門尉真賢は入道休意斎、太郎次郎真重とも称し、重徳の子。弘治三年、十六歳で蒲生菱刈陣に初首を取り、永禄七年に忠平公に従って飯野へ移った。

  12. HP-0918 赤塚武蔵守真親

    赤塚武蔵守真親は、斎藤越前守宗の子孫とする赤塚氏の系譜に属する。祖先の越前守範房は新田義貞に従って箱根で戦死し、その子が初めて薩摩へ下って氏久公に仕えたという。

  13. HP-0919 赤塚吉右衛門直明

    赤塚吉右衛門直明は赤塚五右衛門重昌の子。初め大口に居住していたが、寛文年間に鹿児島へ召し移され、納殿役を務めた。

  14. HP-0920 赤塚利重

    赤塚利重は朝市とも称し、赤塚重直の子。義弘公に仕え、慶長二年に朝鮮へ渡海して泗川で軍功を挙げた。

  15. HP-0921 切通小七

    切通小七は金吾島津歳久に殉死した人物である。法名は翁祖芳禅定門と記される。

  16. HP-0922 雪溪和尚

    阿久根の有馬氏。長寿寺十六世住僧。義虎と東郷渋谷氏の和睦を試み、交渉不成立後に阿久根で戦死した。

  17. HP-0923 専秀坊

    真言宗の僧。関ヶ原後、大坂にいた二人の夫人の帰国を、一昼夜の断食と嘆願で実現させたと伝える。

  18. HP-0924 川越重賢

    川越重賢(紀伊助、初九郎)。河越重頼の後裔とする川越氏の系譜と、家の奉公由緒を伝える人物。

  19. HP-0925 川越重林

    川越九郎兵衛重林。重賢の孫とされ、本文に天正六年の高城城下での戦死を記す。川越外記との同人比定は留保。

  20. HP-0926 川越家実

    丹後守。永禄年間の高隈地頭、元亀年間の百引地頭と記される。

  21. HP-0927 川原親豊

    川原親豊(長左衛門)。田原鎮忠の弟で、兄と同じく関ヶ原で戦死した。

  22. HP-0928 川崎源太夫

    伊集院忠能と相良八郎左衛門の間に載る、末吉城の人物群の一人。

  23. HP-0929 川上愛久

    妙円寺で出家後、忠昌の命で還俗し家督を継いだ。避難を経て貴久に仕え、父から伝わる弓馬の道を伝授。伊集院から高江へ戻り、永禄二年に七十五歳で没した。

  24. HP-0930 川上越後坊

    道釈伝に越後坊の名を掲げる人物。具体的な経歴は記されない。

  25. HP-0931 川上忠武

    川上忠武(又次郎)。武五郎左衛門義久の二男とされ、川上忠克の家老役を務めたと記される。

  26. HP-0932 川上久隅

    川上久隅(上野介、入道慰叟)。幼少時に川上城落城を経験し、成長後は地頭・犬追物射手・検見役として仕え、肥後・有馬へ出陣した。

  27. HP-0933 川上久慶

    弓馬の伝統を継ぎ、犬追物の射手・検見役を務めた。伝書の抜書・十七問答と和歌を残し、江戸でも検見を勤めて将軍に拝謁。生年と享年には不整合がある。

  28. HP-0934 川上久兼

    川上久兼(助右衛門)。有久の子で、島津義弘の小姓として父と朝鮮へ渡り、のち納殿役を務めた。

  29. HP-0935 川上久準

    川上久準(弥四郎)。川上筑前守忠真の二男で、関ヶ原合戦に二十五歳で戦死した。

  30. HP-0936 川上久信

    川上久信(蔵人)。出家して吉田津友寺にいたが、島津歳久の求めで還俗し、その家臣となった。

  31. HP-0937 川上久進

    川上久進(上野守)。久貞の子で、島津光久代に犬追物の射手を務め、寛文十一年に五十六歳で没した。

  32. HP-0938 川上久清

    川上久清(主殿介)。島津兵庫頭忠紀の家臣で、天正十五年の島原出陣時に出水から百余人を率いた。

  33. HP-0939 川上久盛

    川上久盛(助之進)。兄久如の死後、甥千徳丸の後見と踊地頭を務め、甥の成人後に家督・地頭職を返した。

  34. HP-0940 川上久辰

    谷山地頭。朝鮮で伏兵に遭い十七か所を負傷。再渡海後の番船戦でも頭に石を受けたが、家臣と嫡子の働きで逃れ、治療後に快復した。

  35. HP-0941 川上久通

    久隅の二男。兄久利に代わり家督代を務め、朝鮮へ渡海した。本文は慶長三年に朝鮮国で病死と記す。

  36. HP-0942 川上久貞

    川上久貞(上野守)。久通の嫡子で家督を継ぎ、中郷地頭を務め、寛永六年に江戸で三十八歳で没した。

  37. HP-0943 川上久如

    川上久如(助七)。久林の子で、高城・馬越・踊の地頭を務め、寛永八年に二十六歳で没した。

  38. HP-0944 川上久利

    川上久利(左衛門尉)。久隅の嫡子で、朝鮮から無断帰国し、庄内の役でも命令に従わなかったため父に勘当された。

  39. HP-0945 川上久林

    川上久林(左京亮)。忠堅の嫡子で、朝鮮・関ヶ原・大坂に従軍し、関ヶ原退却では「島津小返し五本」の一人となった。

  40. HP-0946 川上久朗

    川上久朗(左近将監)。島津義久の家老・谷山地頭を務め、菱刈勢との戦いで殿軍を担って重傷を負い、三十二歳で没した。

  41. HP-0947 川上経久

    川上経久(武蔵守、入道芳麟)。川上家の弓馬故実を義久・義弘・久保へ伝え、犬追物検見役や永吉地頭を務めた。

  42. HP-0948 川上尚

    川上尚(五次右衛門、初忠秀・乙千丸)。朝鮮・庄内・関ヶ原に従軍し、義弘から馬術を学び、琉球へ横目として渡った。

  43. HP-0949 川上昌久

    川上安久の養子。実久への帰属をめぐる連判と末弘伯耆守殺害に関わり、天文四年に大興寺で切腹を命じられた。鳥越に葬られ、三本杉を墓標とした。

  44. HP-0950 川上忠克

    串木野城主。島津実久に属したが、天文八年八月に離反し、貴久へ降った。

  45. HP-0951 川上忠兄

    川上忠兄(四郎兵衛)。小林地頭として豊臣方を防ぎ、泗川・庄内・関ヶ原で働き、退却時に家康への使者を務めた。

  46. HP-0952 川上忠継

    忠克の四男とされ、永禄四年七月十三日に大隅の廻で戦死した。続く地頭職・寛永九年の軍役は、本人ではなく後代の家系記事。

  47. HP-0953 川上忠堅

    高城・深江・島原などに出陣。本文は隆信を鎗で突き伏せた働きを伝える。鷹取城攻めで右腕を切られ二十九歳で戦死し、遺骸は八代へ運ばれた。

  48. HP-0954 川上忠光

    川上忠光(出羽守)。吉田津友寺の住職だったが還俗し、島津右馬頭家の家老役を務めた。

  49. HP-0955 川上忠克

    川上忠克(上野介、入道意釣)。島津実久方から貴久へ転じ、のち甑島流刑を経て赦免され、家老となった。

  50. HP-0956 川上忠実

    朝鮮撤退戦で殿を守り、矢傷と馬の喪失を経て救援され、治療・褒賞を受けた。関ヶ原にも従い、佐土原跡目の請願に当たった。

  51. HP-0957 川上忠尋

    川上忠尋(五次右衛門)。川上尚の養子で、御厩別当を務め、家久・光久に仕えた馬術・馬療治の達人。

  52. HP-0958 川上忠智

    川上忠智(三河守、入道肱忱)。島津義弘の家老として栗野・馬越・蒲生などの地頭を務め、島原・岩屋城へ従軍した。

  53. HP-0959 川上忠通

    朝鮮への使者を務め、琉球在番奉行として唐物の買付けに携わった。帰国時に御腰物を拝領し、のち御使役や穆佐・松山・牛根の地頭を務めた。

  54. HP-0960 川上有久

    川上有久(美濃守、初又十郎)。兄の早世で家督を継ぎ、朝鮮で兵具奉行を務め、島津義弘に供奉した。

  55. HP-0961 川尻種時

    川尻種時(忠右衛門)。伊作田尻村を領した家の人物で、朝鮮役・南海島遭難・関ヶ原に従った。

  56. HP-0962 川田義秀

    式部少輔義元の子。川田氏が河内を領して氏とした由来と歴代系譜を伝える条で、本人の軍役や生没は明記されない。

  57. HP-0963 川田義朗

    川田義朗(駿河守、牛室)。兵術・軍配を修め、垂水地頭として高原・水俣・島原・岩屋などに従軍した。

  58. HP-0964 鎌田豊前守

    鎌田豊前守。加治木町奉行を務め、島津家久(慈眼公)の死に殉じた。

  59. HP-0965 川内源兵衛

    川内源兵衛(初弥五)。伏見方面や関ヶ原に従軍し、敵将を鉄砲で倒して石田三成から国広の太刀を受けた。

  60. HP-0966 川田国貞

    川田国貞(丹波守、孫六郎)。木崎原合戦で敵の足軽大将を討ち取り、のち馬越で戦死した。

  61. HP-0967 川内主殿

    飯野へ移った六十人の一人。本文は一行記事で、役職・軍役や生没年は記さない。

  62. HP-0968 川内重利

    川内重利(織部)。技芸の上手として島津家久(慈眼公)に仕えた。

  63. HP-0969 川畑甲斐守

    川畑甲斐守。筑後田尻氏への援軍に加わり、肥後退陣時に谷山城付近で戦死した。

  64. HP-0970 川畑等信

    川畑等信(藤弥左衛門)。島津家久に仕えて佐土原城に居り、家久の死後に殉死した。

  65. HP-0971 浅江権之丞

    浅江権之丞は『御軍談合人数』五十四人の一人に数えられた人物で、飫肥の人と記される。本文は軍議参加者としての位置づけと所属地域だけを一行で伝え、奉公した主君、役職・知行高、具体的な軍役、家族関係、出生・没年、法名・墓所は記載しない。

  66. HP-0972 染川安次

    染川安次(杢左衛門)。波平流の刀工で、慶長年間に鹿児島に住んだ。

  67. HP-0973 染川延行

    染川延行(帯刀左衛門)。上方から来た刀工の家で、川上忠堅が龍造寺隆信を刺した刀の作者と伝わる。

  68. HP-0974 染川源之允

    染川源之允。島津家久に殉死し、四十歳で没して福昌寺廟前に葬られた。

  69. HP-0975 染川正安

    染川正安(才之丞)。寛永頃の刀工で、吉野馬追の焼印を担当する惣鍛冶役を務めた。

  70. HP-0976 船木次兵衛

    船木次兵衛は、附録に並記される五人の一人で、芸者として中納言様に召し抱えられたと記される。

  71. HP-0977 船木播磨守

    船木の領主と記される人物。

  72. HP-0978 前原隠岐守

    前原隠岐守は文禄四年の記録に「山来衆」として見えると記される。本文は年次と所属だけを伝える一行記事で、実名、主君、役職の具体的内容、知行、軍役、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  73. HP-0979 前原源六

    前原源六は福山衆。山田有栄に属し、関ヶ原合戦で亀井武蔵守方へ送られた鉄砲衆の加勢人数に加わった。

  74. HP-0980 前原孫左衛門

    前原孫左衛門は浜之市衆。関ヶ原合戦の際、島津豊久に属し、亀井武蔵守方へ送られた鉄砲衆の加勢人数に加わった。

  75. HP-0981 前原兵左衛門

    前原兵左衛門は前原隠岐守の子ではないかと記される。慶長二年冬、朝鮮で江南人の光通を討ち取り、その戦功を伝える書状があるという。

  76. HP-0982 前川為仙

    前川為仙は朝鮮出身の医師で、加治木に居住した。島津家の子弟が幼少の頃、読書や詩作などを指南したと記される。

  77. HP-0983 前田主税

    前田主税は木崎原合戦で戦死したと記される。本文は戦死地となった合戦だけを伝える一行記事で、出自、実名、主君、役職の具体的内容、知行、家族関係、戦死年月日、法名、墓所は記載しない。

  78. HP-0984 前田孫兵衛

    前田孫兵衛は島津義弘(惟新公)に供奉して朝鮮へ渡海した人物。本文は主君と海外軍役だけを伝える短い記事で、出自、実名、役職、知行、具体的な戦闘、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  79. HP-0985 前田範元

    前田志摩範元は前田助六範春の孫と記される。島原の戦いで戦死した。

  80. HP-0986 前田範時

    前田又六郎範時は、比志島栄尊の四男・前田又四郎栄秀から九代に当たる系統と記され、子孫は木古にいたという。島津忠良(日新公)に仕え、加世田で戦死した。

  81. HP-0987 前田範春

    前田助六範春は前田範時から三代目に当たる人物。島津義弘(惟新公)に供奉し、飯野へ召し移されたと記される。

  82. HP-0988 前田豊前守

    前田豊前守は日向国の人物で、天正年間に島津家で行われた軍談合の人数五十四人の一人に数えられた。本文は出身地と軍議参加を伝えるが、実名、主君、具体的な役職・軍役、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  83. HP-0989 前田万右衛門

    前田万右衛門は島津義弘(惟新公)の道具衆を務め、関ヶ原合戦後の島津勢退却に供奉した。本文は近侍的な所属と退却行動だけを伝え、出自、実名、知行、個別の戦功、家族関係、生没年、法名、墓所は記載しない。

  84. HP-0990 前田和泉守

    前田和泉守は前田志摩範元の子。庄内の陣で軍功を挙げ、その後末吉へ召し移されたと記される。

  85. HP-0991 曽木越中守

    曽木越中守。永禄七年に飯野へ移された六十人の一人で、吉松地頭代を務めた。

  86. HP-0992 曽木下次郎

    曽木下次郎。朝鮮役に供奉した。

  87. HP-0993 曽木重治

    曽木重治(摂津守)。加治木に住み、木崎原合戦で六十一歳にして戦死した。

  88. HP-0994 曽木重貞

    曽木重貞(弥次郎)。島津義弘の小姓として関ヶ原退却に従い、感状と五十石を受けた。

  89. HP-0995 曽木重松

    曽木重松(五兵衛尉)。島津豊久・義弘に従い、小田原・朝鮮役・関ヶ原退却で働いた。

  90. HP-0996 曽木重杠

    曽木重杠(甚右衛門)。島原合戦で敵の侍を討ち、寛永十六年に没した。

  91. HP-0997 曽木日向

    曽木日向。慶長十八年の記事として見出しがあるが、本文は欠けている。

  92. HP-0998 曽木弥兵衛

    曽木弥兵衛。島津家久の納殿役を務め、加治木に住んだ。

  93. HP-0999 倉野七兵衛尉

    山之口城の人物群に載る。「七」には「金」の異注がある。

  94. HP-1000 相徳九郎

    相徳九郎は忠平公に供奉して飯野へ移住した六十人の一人。本文は主君への供奉、移住先と人数だけを一行で伝え、家族関係、役職、知行高、具体的な軍役、出生・没年、法名・墓所は記載しない。

  95. HP-1001 相徳新左衛門尉

    加世田落城時、妻子を城外へ逃がした後、自らは引き返して戦死した。

  96. HP-1002 相模坊光久

    愛甲氏の法印で吉松の小野寺住持。伊東軍への調伏の功により三ノ山瀬太尾宮座主に任じられたと伝える。

  97. HP-1003 相良頼豊

    相良勘解由次官頼豊は稲留民部左衛門の子で、相良権兵衛の孫とされ、相良氏を称した。御中口役と読める役を務め、慶長十三年に根占地頭となる。

  98. HP-1004 相良頼貞

    相良権兵衛頼貞は相良頼豊の子で、御申口役を務めた。本文は見出し・父子関係・役職のみの短い記事で、出生、母・妻子、知行、軍役、没年、法名、墓所は記載しない。

  99. HP-1005 相良舎人

    相良舎人は相良長継の二男で、母は岩切三河入道の娘。父長継が関ヶ原で戦死した後に生まれ、幼少から島津忠恒に召し仕えた。

  100. HP-1006 相良助大夫

    相良助大夫は初め竹之下氏を称し、伊勢兵部の与力であった。本文は旧姓と所属のみを記す短い記事で、実名、父母・妻子、知行、軍役、生没年、法名、墓所は記載しない。